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古今著聞集 卷三

橘成季
(『古事談・古今著聞集・十訓抄・榮華物語』 國史大系15 經濟雜誌 1901.10.15
〔原文頭注等〕【原文割注】(*入力者注記)。振り仮名・振り漢字を施した。
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  目録   第三 政道忠臣   第四 公事
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(目録)



[目次]

古今著聞集卷第三

政道忠臣第三

[目次]
[七三] 治世之政、萬方靡然。是則君以仁使臣、臣以忠奉君。君者憂國臣者忘家。君臣合體上下和睦者也。

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[七四] 延喜〔延喜以下、一本爲則行、宜從。〕聖主(*醍醐天皇)位に即せおはしまして後、本院右大臣(*藤原時平。藤原基經男)・菅家(*菅原道眞。菅原是善男)・定國朝臣(*藤原定國。藤原高藤男)・季長朝臣(*平季長。高棟王男)・長谷雄朝臣(*紀長谷雄。紀貞範男)、此五人其心をしれり、顧問にもそなはりぬべしとて寛平法皇(*宇多法皇)注申させ給ひける。かくおぼしめしとらせ給ひける、やんごとなき事也。

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[七五] 神泉苑正殿を乾臨閣けんりんかくとなづけて、近衞こんゑの次將を別當になして、天子つねに遊覽有て、風月の興・管絃の遊有けり。又宴飮も侍けるを、延喜御時天神(*菅原道眞)の臣下にておはしましける時、いさめ諌め奉られければとゞまりにけり。寛平の遺訓にも、春風秋月若實事、幸神泉・北野、且翫風月、且調文武、不一年再幸、又大熱大寒愼之と侍り。(*國史大系本には七三〜七五段を一括する。)

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[七六] 村上御時南殿なでん出御ありけるに、諸司の下部の年たけ長けたるが、南階の邊に候けるをめして、當時の政道をば世にはいかゞ申すと御尋有ければ、目出度候とこそ申候へ。但主殿寮とのもれう松明たいまつ多入候。率分堂りつぶんだうに草候と奏たりければ、御門大きにはぢ耻ぢ思召てけり。させる公事の日にはあらざりけるにや。松明のいると申は公事の夜に入由にて侍り。率分堂に草のしげれるとは諸國のみつぎ物の參らぬ由成べし。いみじく申たりけるもの也。

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[七七] 昔は人の裝束もなへ〳〵としてぞ有ける。されば齋院〔院、一本作信、或是。〕の大納言(*藤原齋信。藤原爲光男)の消息に、先代之時節會袍借献など書れたんなるは、節會の袍とてほの〴〵(*ぼろぼろとカ)ある物の人にかすなどが有けるとぞ。

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[七八] 後朱雀院の御時しゆん(*四月一日の孟夏の旬、十月一日の孟冬の旬に天皇が紫宸殿で朝政を聴く行事)に參たりける上達部を御覽じて、次日資房卿(*藤原資房。藤原資平男)の藏人頭也けるを召て、昨日公卿の裝束を御覽ぜしかば以外もつてのほかに袖大に成にけり。かくては世のついへなるべし。いかゞせんずると右大臣實資(*藤原實資。藤原齊敏男)のもとへいひあはすべしとみことのり有ければ、則申されければ、おとゞ大臣申給けるは、みな公卿に此よしを承りて畏り申さば、さすがに左〔左、當據上下文作右。〕大臣御氣しきかうぶり蒙りたりと聞えば、人もなをり侍なんとはからひ申されければ、そのさだめに披露有て、右府閉門してかしこまり〔の、一本旡。〕よしをせられければ、人みな聞おそれて裝束の寸法すべ統べ(*原文「すへ」)られけり。

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[七九] 小野宮殿(*藤原實賴。藤原忠平男)・九條殿(*藤原師輔。藤原忠平男)御同車にて出仕せさせ給ける時、御車のしりに公卿一兩人などはのせらるゝおりもありけり。又閑院の大將(*藤原朝光。藤原兼通男)・小一條大將(*藤原濟時。藤原師尹男)左右大將にて同車してあそばれけり。此比は父子同車の事だに〔だに、據一本補。〕もまれ也。
寛元二年(*1244)賀茂臨時祭の時、二條前殿(*藤原良實。藤原道家男。普光園院殿)關白、一條前殿(*一條實經。藤原良實弟。円明寺殿)左大臣にてまいりあひ給ひたりしに、暮て事はてにしかば御同車にて二條室町にたてられて御見物ありけり。其後法成寺の御八講に參らせ給ひけり。左府の御車をむなぐるま空車にて法成寺へやらせられけり。道の程關白の御随身は御車のさき、左府の御随身は御車の後にぞ打たりける。前驅はあひまじはりたりけり。興有事にぞ世の人申侍し。

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[八〇] 後三條院御時、隆方(*藤原隆方。藤原隆元男)が權左中弁にて侍りけるを越て實政(*藤原實政。藤原資業男)を左中弁になされにけり。あした翌朝に隆方陪膳はいぜんつとめて候ければ、御膳にもえつかせおはしまさゞりけり。はぢ耻ぢさせ給ひけるにこそ。

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[八一] 同院律令式格しききやくにたがはずと宣命にかゝせさせ給はせけるを、資仲卿(*藤原資仲。藤原資平男)これより後をこそ申させたまはめ。前にすでにたがひたる事共をば、いかでかかくは申させ給ぞと制しまいらせけるに、程なくうせさせおはしましにければ、その宣命のゆへにやとぞ人申ける。爲輔中納言(*藤原爲輔。藤原朝賴男。甘露寺中納言)口傳(*散佚)にかゝれて侍なるは、人は風のやうなるべき也。風はうるはしうひきのべ引き延べつればたふるゝ倒るゝなり。ひだをとりてたつれ立つればたふるゝ事なし。人のあまりにうるはしくなりぬればえたもた保たず、風のやうにひだあるやうなれど實にうるはしきがたもつなりと侍るとかや。(*二段に分かれる話カ)

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[八二] 匡房中納言(*大江匡房。大江成衡男。江帥)は太宰權帥になりて任に赴かれたりけるに、道理にてとりたる物をば舟壹艘につみ、非道にて取たる物をば又一艘につみてのぼられけるに、道理の舟は入海じゆかいしてけり。非道の舟は平かにつきければ、江帥いはれけるは、世は早く末になりにたり。人いたく正直なるまじき也とぞ侍ける。それを悟らんが爲にかくつみてのぼられけるにや。むかし・中比だにかやうに侍けり。末代よく〳〵用心あるべきこと也。

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[八三] 寛治八年(*1094)十月廿四日亥時計に内裏燒亡有けり。中御門右府(*藤原宗忠。藤原宗俊男)右中弁にて侍けるが宿侍しゆくじ(*宿次)せられたりけり〔けり、一本旡〕。いそぎ御前へ參りて御劔璽の箱は候やらんとたづねまいらせければ、みづからもちたるぞと勅答ありけり。其外の寳物どもをも一々にたづねまいらせて分明の勅答を承けり。事急になりて腰輿すでに南殿によせられたるほどになりにける中に、心はやく一々に分明に申ける、いみじかりける事也。

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[八四] 德大寺左府(*藤原實能)、中院右府(*源雅定)を越て右大將に成給ひにけり。保延五年(*1139)十二月十六日實能任右大將。同年十一月二日内大臣辭左大將。十二月七日雅定任左大將。宇治左府(*藤原賴長)内大臣・左大將にておはしけるが、中院右府のれうに左大將を辭申されたりけるに、崇德院德大寺左府を左に轉ぜさせんと思しめしてしばらくおさへられけり。中院右府の事をば鳥羽院しきりに執申させ給けれ共猶事ゆかざりければ、保延六年(*1140)十一月廿五日に院(*鳥羽院)近衞こんゑ烏丸からすまの陣口に御幸なりて、仰下さるゝ由を承て罷歸べきよしを申させ給ければ、ちからおよばせ給はで其夜召仰めしおほせ有けり。やんごとなかりける事也。

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[八五] 光方(*藤原〔葉室〕光方。藤原光賴男)廷尉佐にて着駄〔駄、當作。〕ちやくだのまつりごと(*着政)につきたりけるに、雨の降たりけるに扇をさし〔さし、一本旁書云かさし歟、此下同本有たり二字。〕けり。晴日夕陽にむかひてこそさす事にて侍るに、思ひわか分かざりけるにや。父大納言(*藤原光賴)見物しけるが、かへり歸りて光方が辭をかきて奉りけり。前途有まじき也とぞいはれける。はたしてとくうせにけり。

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[八六] 治承四年(*1180)六月二日福原にみやこうつり〔うつり、原作かへり、據一本改。〕有けるに、同十三日帥の大納言隆季卿(*藤原隆季。藤原家成男)新都にて夢に見侍りけるは、大なる屋のすきたるうちに、我ゐたるひさしのかたに女房あり。ついがきのとに頻になく聲あり。あやしみて問に女房の云やう、これこそみやこうつりよ。太神宮のうけさせ給はぬ事にて候ぞといひけり。すなはち驚ぬ。又ねたりける夢に同じやうに見てけり。おそれおのゝきて次日の朝院に參じて前大納言邦綱(*藤原邦綱。藤原盛國男)・別當時忠卿(*平時忠)などに語て〔て、一本作たり。〕けり。太政入道傳へ聞かれたれ〔たれ、一本作てけれ。〕共いと承引なかりけり。去程に同人の夢に還御ありと邦綱卿長絹の狩衣きて新院(*高倉上皇)の御供に候ふ。頭亮重衡朝臣(*平重衡)よろひきて御供に候と見てさめ覺めぬ。乍去一日の夢用ゐられねば申出ざりけり。十一月廿六日平の京に還御有けるは彼夢にはよらざりけり。山僧のうたへ訴へ又東國の亂などの故とぞ聞え侍ける。

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[八七] 治承四年(*1180)秋の頃より、伊豆國の流人前右兵衞佐賴朝謀叛の聞え有けり。追討使少將惟盛(*ママ)朝臣(*平維盛)・薩摩守忠度(*平忠度)・參河守知度(*平知度)等下されたりけれども、源家の兵次第に數添ければ、追討使等皆道より歸にけり。かゝる程に世中靜ならざりければ、十一月卅〔卅、一本作廿、同本與此同。〕日新院の殿上にて東國謀叛の事評議有けり。中御門左大臣【經宗】(*藤原經宗。藤原經實男)・左大將【實定】・帥大納言【隆季】・新大納言【宗家】(*藤原宗家。藤原宗能男)・春宮大夫【忠親】(*藤原忠親。藤原忠宗男)・左大辨【長方】(*藤原長方)參られたりけり。頭辨經房朝臣(*藤原經房)綸言の旨を仰けるに、左大辨發言して申けるは、偏に可德政(*漢高祖劉邦)六國、承平年中有將門謀叛。和先蹤、於今度者四ヶ月中十餘國皆反。當時之政若不天意歟。以之思之法皇(*後白河法皇)四代帝王父〔也、一本旡〕。無故不-食天下、如元可-食政務歟。又入道關白(*藤原基房。松殿)歸朝之恩者、可攘災之基哉と申たりけるを、諸卿聞て皆色をうしなはれけり。他人は只德政を行はるべきおもむきをぞ申されける。彼兩事には同〔同、據一本補。〕ぜられざりけり。法皇去年の冬より政に御口入ごくにふもなく、殿下ゆへなくながされ流されさせ給ひし事は、しかしながら平太政入道(*平淸盛)張行ちやうぎやう(*強行)にて侍りけるに、左大辨おそるゝ所なくさだめ申されける、ありがたき事也。入道もさすが道理をばはぢ愧ぢ思はれけるにや、其後程なく十二月八日より法皇の御事もなだめ申、同十六日入道殿下もびぜんの備前國より歸洛せさせ給けり。(*國史大系本は前段と一つにまとめる。)


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公事第四

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[八八] 正朔の節會より除夜の追儺にいたるまで、公事の禮一にあらず。おこなひきたる儀まち〳〵にわかれたり。凡恒例ごうれい・臨時の大小事、西宮記(*源高明)・北山抄(*藤原公任)をもて其龜鏡に備へたり。小野宮(*藤原實資『小野宮年中行事』)・九條殿(*藤原師輔『九條年中行事』)の兩流口傳・故實そのかはりめおほく侍とかや。有職の家に習ひ傳へて今は絶る事なし。いみじき事なり。

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[八九] 宇治殿(*藤原賴通)侍從にならせ給ひて後、能通(*藤原能通)臨時祭の舞人を辭たりける時、其かはりに宇治殿いらせ給にけり。祭同〔同、一本作日、同本與此同。〕車にのりて見物しけるを、人長にんぢやう兼時(*秦兼時カ)能通を見て、かれはこゝろある人(*心得のある人の意カ)の見物せらるゝかといひたりける、いみじくぞ侍りける。(*國史大系本は前段に併せる。)

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[九〇] 一條院御時、束帶にて殿上の日給につきう・ひだまひにはあふべきよし起請有けるに、堀川右大臣(*藤原賴宗。藤原道長男)殿上人にておはしけるが、片足にしたうづ(*束帶の沓下)をはきて身をば殿上のまへの立蔀にかくして、韈はきたる片足ばかりを指出て、藏人に見せられたりければ、かやうの事嘲哢に似りとて起請やぶられにけり。

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[九一] 萬壽二年(*1025)蹈哥たふか節會に、右大臣(*藤原實資)内辨にて陣(*列座)に付て宣命・見參を見給ける間入御じゆぎよ有けるに、三位中將師房卿(*源師房)をおきながら大納言齊信卿(*藤原齊信)警蹕けいひちをせられければ、人々あやしみあへりけり。權大納言行成卿その失錯しつさく〔失錯、原作失借、據一本改。〕を扇にしるして臥内ぐわだいにうちおかれたり〔たり、一本此下有けり二字〕にしるさん爲に先扇には書たりけるにや。其子息少將隆國朝臣(*行經カ。次段の隆國と混同カ)參りあひて、我扇に取かへて見られければ此失禮を記したりける。それよりやがて披露有けるを、齊信卿ふかくうらみにけり。もとよりよろしからざる中なりければ、かゝりけ〔りけ、據一本補。〕るとぞ世の人いひける。

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[九二] 宇治大納言隆國卿(*源隆國。源俊賢男)中將になりたりける年、臨時の祭〔祭、據一本補。〕陪從べいじうつかうまつるべきよし催されければ、腹だちて裝束うけとらず、衣ひきかづきて直廬ちよくろ(*内裏の宿直の曹司)ふさ臥されたりけるに、宇治殿公武をもちて御馬をたまはせたりければ、おきあがりてしやうぞくつとめられ侍けり。

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[九三] いづれの年にか白馬節會に進士判官藤原經仲參りたりけるに、雜犯ざふぼんたゞすべき物なかりければ、ちからおよばで非違使ども退出せんとしけるに、なにがし僧正とかやの兒沓をはきながら木のまたにのぼりて見物しけるを、經仲が下部をもてめしとりてたゞしける詞に、長大垂髪にて皮の沓をはき、たかき〔かき、原作る、據一本改。〕木にのぼりて宮闕をうかがふ。一身をもつて師(*四に掛けるカ。盗賊に見立てたものカ)のをかしをなせる、しかるべしや、いかんと勘問したりける、時にのぞみていみじかりけり。叡感ありて女房の衣をたまはせけりとなん。

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[九四] 寛治八年(*1094)正月二日殿の臨時客有けるに、左大臣左大將【俊房】(*源俊房)・右大臣【顯房】(*源顯房)・内大臣【師通】(*藤原師通)參りたり。事はてゝ各御馬ひかれければ三公地に下て拜し給ひけり。殿下(*關白藤原師實)・左府隨身府生下毛野敦久・右府前駈參河權守盛雅(*源盛雅)を南階の前に召て御衣をぬぎてたまはせけり。内大臣・中納言中將(*藤原忠實)左右よりすゝみより給て、くれなゐのうちあこめ打衵御ひとへおくり出されけり。中納言中將つたへとりて、御單物をば敦久に給ひ、打衣をば盛雅に給ける、先規あれども時にのぞみて面目ゆゝしくぞ侍ける。次に中宮御方(*堀河天皇中宮。後三條院皇女篤子内親王)臨時客に人々參り給けり。催馬樂・朗詠などはてゝ、散手さんじゆ〔手、原作斗、據一本改〕新靺鞨しんまか・其駒などにおよびける、淵醉の興ためしなくや侍らん。

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[九五] 久安三年(*1147)十一月廿日豐明節會、内大臣【宇治】(*藤原賴長)内辨をつとめ給ひけるに、まだ〔まだ、一本作いまだ。〕膝突をしかぬに無左右大外〔外、一本作内〕(*内に傍註「外歟」)記めされけり。左近將曹大名おほなの久季まづひざづき膝突をしきてめしたりけり。稱美する事かぎりなし。後におとゞ久季をめして感じ給ひけるとなん。

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[九六] 仁平三年〔1153〕正月一日院(*崇德上皇)拜禮有けり。八條太政大臣(*藤原實行)七十二にてたち給ひたりけり〔り、一本作る〕。一たび拜してふたゝびち〔ち、原作拜、今從一本〕し給ひけり。此事禮記に見えたるとかや。同二年にも又かくぞ有ける。天永〔天永以下五十六字、恐當接于前章〕(*國史大系本文は「天永」以下を改行し次段とつなげるが、それを改めるべきことを記した頭注。)四年〔1113〕正月一日(*鳥羽天皇)御元服。理髪堀河左大臣(*源俊房)の一蹉〔蹉、一本作跪〕再致(*再拜)し給ひけるためしにや。寳治元年(*1247)院拜禮に、後久我大相國【通光】(*源通光。後久我太政大臣)もかくし給たりけり。

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[九七] 仁平二年(*1152)〔仁平二年云々、恐當爲別行〕(*國史大系本文では前段後半と同段落。)五月十七日勝講行はれけるに、中山内府藏人(*藤原忠親)左衞門佐にて奉行せられけるに、廿一日結願日左大臣(*藤原賴長)まいり給ひて、御裝束をみさせ給ひけるに、九條大相國(*藤原伊通)大納言にておはしけり。資信中納言(*藤原資信)の左大辨とて參られたりけるが、講談師(*講讀師トモ)座のたてやう例にたがひたるよし申されけるにつきて、左府奉行の職事に仰られてなをされにけり。左府後に日記を見させ給ひけるに、本の御裝束たがはざりければ、僻説にてなをされつる事をくい悔いたまひて、怠を書て職事のもとにつかはしける、正直なりける事かな。

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[九八] 内宴は弘仁年中(*810−824。嵯峨朝)にはじまりたりけるが、長元(*1028−1037。後一條朝)より後たえておこなはれず。保元三年(*1158)正月廿一日におこし興しおこなはるべき由さた有ける程に、其日は雨ふりて廿二日におこなはれけり。次第の事共ふるきあとを尋ておこなはれけり。法性寺殿(*藤原忠通)關白にておはしましけるをはじめて、人々おほく參りあひたりけるに、前太政大臣(*藤原實行)は必ず詩を可奉人〔人、據一本補。〕にておはしけり。太政大臣(*藤原宗輔)は管絃の座に必候べき人にておはしけるに、座敷うちなかりければいかゞ有べきとかねてさた有けるに、太政大臣しもとつくべきよし進み申されけれども、殿下(*藤原忠通)ゆるし給はざりけり。つゐに前太政大臣まづ參て詩を奉る。披講はてゝいで給ひて後太政大臣かはりて座につき給ひけり。有がたかるべき事也。御遊の所作人、太政大臣【宗輔】箏、左大臣【伊通】(*藤原伊通)拍子(*原文「柏子」)、内大臣【公敎】(*藤原公敎)ふへ、按察使重通(*藤原重通)琵琶、左京大夫隆季朝臣(*藤原隆季)・上總介重家朝臣(*藤原重家)笙、宮内卿資賢朝臣(*源資賢)和琴、前備後守季兼(*藤原季兼)篳篥、主上(*後白河天皇)御付哥有けり。有がたきためし成べし。呂、安名尊あなたふと二反席田むしろだ二反賀殿急かてんのきふ美作みまさか二反、律、伊勢海・萬歳樂・靑柳・五常樂ごしやうらく更衣ころもがへ、これらをぞ奏せられける。そも〳〵大監物周〔周、一本作用〕(*藤原周光)は近き比の詩〔詩、一本作侍〕學生の中にきこえ有ものにて參りたりけるが、歳八十ばかりにて階をのぼる事かなはざりけるを、大藏卿長成朝臣(*藤原長成)・春宮大進朝方(*藤原朝方)弟子にて有ければ、前後にあひしたがひて扶持したり。ゆゝしき面目とぞ世の人申ける。周光もことに自讃しけり。此度ぞかし、俊憲宰相(*藤原俊憲)藏人・左少辨・右衞門權佐・東宮學士にてかきひゞかし響かして侍けることは。そのとし二條院位につかせおはしまして、次の年式日〔日、原作目、據一本改〕におこなはれけるに、主上玄象ひかせおはしましけり。上下耳をおどろかさずといふ事なし。内大臣拍子、按察使重通笙、新三位季行卿(*藤原季行)篳篥、中將俊通朝臣(*藤原俊通)箏、實國朝臣(*藤原實國)笛、安名尊・鳥破とりのは・美作・賀殿急・伊勢海・萬歳樂・更衣・三臺急さんだいのきふ・五常樂急、このたびの御遊ことにおもしろかりければ、主上興に入せおはしましけり。按察笙をおきて時々唱哥しやうがせられけり。興ある事也。永暦(*1160−61。二條朝)よりおこなはれず成にけり。くちおしき事也。

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[九九] 後白河院御熊野詣に藤代の宿につかせおはしましたりけるに、國司松煙をつみて御前におきたりけり。花山院左府(*藤原兼雅)、中山太政入道殿(*藤原賴實)其時右大將にて御前に候はせ給たりけるに、此墨いか程の物ぞ、心みよと勅定有ければ、おとゞ(*花山院左府)右大將にすゝめ申されければ、硯を引よせて墨をとりてすらせ給けり。その樣除目の執筆の定成けり。左府見とがめて(*注目して)しきりに感歎のけしき有けり。

[目次]
[一〇〇] 建久(*1190−1198)の頃、月輪入道(*九條兼實)にて公事どもをこし興し行はれけるに、近代(*当世)節會などにも上達部物をくはぬ事いはれなき事也、ふるきにまかすべきよしさた沙汰有けるに、三條左大臣入道(*藤原實房)の内辨の時さ〔さ、一本作き〕つに(*未詳。牛蒡等カ)とりてめしたまひたりけるを、職者しよくしやのし給ことなればやうぞ侍らんとや思はれけん、諸人みな同じ物を食せられけり。次に又内辨かちぐり搗栗をとりてめすよしして懷中し給ひければ、人々皆また同じていにせられけり。殿下たちのぞかせ給て、何となく内辨のせらるゝ事を、かゝるべきしきぞと心得て、人々まねぶ事見ぐるしとて、其後此さたとまりにけり。

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[一〇一] 建久の頃、中山太政入道殿(*藤原賴實)大納言右大將にて、縣召除目に三箇夜出仕せさせ給ひて、筥文の三の〔三の、據一本補〕(*未詳)を夜ごとにかへてとらせ給ひけるを、人々めでたがりのゝしり〔り以下廿一字(*じ迄)、據一本補〕あへりけるに、頭中將忠季朝臣(*藤原〔中山〕忠季。中山忠親男)あまりにいみじがりて繪にかきて持れ〔れ、原作せ、據一本改〕たりけるとかや。中將はゆゝしき繪かきになん侍ける。

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[一○二] 承元二年(*1208)十二月九日、京官つかさめしの除目行はれけるに、或大納言硯〔硯、據一本補〕筥を第二の大臣の前におかれたりけるを、光明峯寺入道殿(*藤原道家。藤原良経男)中納言左大將にて一筥おかせ給ふとて、さきの人の置たがへられたる硯筥ながら、北へをしあげさせ給たりける。人々ほめ奉る事かぎりなかりける。その時御年十六に成給ひに〔に、一本旡〕けるとかや。みなし子の御身にてあはれに目出度〔度、一本旡〕御事かなと時の人申けるとなん。

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[一〇三] 後鳥羽院公事〔公事以下十九字、據一本補〕(*菩提院マデ)の道をふかく御さた沙汰ありけるに、菩提院入道殿下(*藤原基房。松殿關白)に内辨の作法をならはせおはしまさんとて、瀧口殿に御幸なりて門みなさしまはさ差し回されけり。入道殿下墨染の御衣・はかまに笏たゞしくして、院の御下重したがさね〔重、一本作童〕の尻をたまはらせ給て、御腰にゆひてもゝゆき股貫(*ももぬき)〔もゝ、據一本補〕はきてねらせ給ひたりける。目も心もおよばずめでたかりける。おさなき殿上人一二人、上北面じやうほくめんには重輔朝臣(*藤原重輔)一人ぞ候ける。

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[一〇四] 後鳥羽院ひ〔ひ、原作の、據一本改〕そかに大内に御幸なりて白馬節會の習禮しふらい有けり。院は大臣の大將とて内辨をつとめさせおはしましけり。官人坊門大納言忠信(*藤原忠信〔信範〕)番長ばんぢやう家季朝臣(*藤原家季)にてぞ侍ける。右大將にて後久我太政大臣(*藤原通光)おはしけるに、番長には造酒正みきのかみ信久(*藤原信久)をなされたりけり。大納言に信久ふかく〔ふかく、一本作ふかう〕かしこまりたりけるを、大納言見て隨身に隨身のかくばかりするやうやあるといはれければ、隨身も隨身にこそよれといひたりける、いと興有事也。此日の事ぞかし、彈正少弼國章(*未詳)内侍となりて、下名おりなをもちて東のはしらのもとへあゆみ出たりけるに、陣につきたる諸卿たへかねてみなわらひたりけるとなん。

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[一〇五] 天慶五年(*942。朱雀朝)五月十七日、内裏にて蕃客のたはぶれ有けり。大使には前中書王さきのちゆうしよわう(*醍醐天王皇子兼明親王)の中將にておはしましけるをぞなし奉られける。其外諸職皆その人を定られける。主上村上の〔村上の、原爲傍書、今從一本〕聖主の親王にておはしましけるを、其〔其、據一本補〕主領にてわたらせ給ひけり。かゝるむかしのためしも侍る故にや、(*國史大系本文ではここで改行)順德院の御位の時賭弓のりゆみをまねばれける。左京大夫重長朝臣(*藤原重長〔知長〕)六位の靑色袍をかりてきて、白木の御倚子いしにつきて主上の御まねをぞしける。時正卿(*未詳)いまだ五位にて侍ける、關白に成たりけり。其外大將以下いげ皆殿上人をぞなされける。重長朝臣御倚子につきて御前にそなへたる菓子鳥のあしなどを取てくひたりける、比興(*滑稽、不埒)の事なりけり。勝負の舞を奏する時木工權頭孝道(*藤原孝道)〔道、一本作通、同本與此同〕一皷をうち、藏人孝時(*藤原孝時。孝道男)大皷を打けり。まことの義(*儀)にもおとらずぞ侍ける。猪熊殿(*藤原家實)の關白にておはしましける、光明峯寺入道殿(*藤原道家)の左大臣にておはしましけるに〔に、一本旡、恐衍〕、召に應じて參らせ給て御覽ぜられけり。後鳥羽院御熊野詣の間〔間、一本作ま〕なりけり。御よろこびの(*歸還の祝いカ)後此事きこしめして、主上の御まねしかるべからず。あまさへ剩へ(*あまつさえはあまりさへの促音便)食する事狂々也とて逆鱗有て、按察光親卿を御つかひにて内裏へ申されたりければ、ことにがく事苦くなりけるとなん。

古今著聞集卷第三


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