内外古今 逸話文庫 第一編
文藝
○ 鈴木朗院本を以て文章の師となす
鈴木朗(號離屋)字は叔淸、通稱常介、尾張の儒官なり、幼にして頴敏、日々書千餘言を誦し、粗其意に通ず、世以て神童なりと稱す、十歳文を能くし、長ずるに及びて愈精工を加ふ、淸人錢泳其文を見て稱し云ふ、先秦兩漢の風ありて唐宋八家の習なしと、朗もと儒士なれど出るときは必ず平常近松出雲等作の院本を懷にし、倦む時は商家の檐前路傍の木石を嫌はず、腰打据て院本を展讀するを樂とす、人怪んで問ふ、抑院本は猥褻野卑、讀書するもののかりそめにも手を觸るべからざるものに非ずやと、朗曰く否左にあらず、近松出雲等はいふも更なり、すべて院本の作者はよく人情世態に通曉し、とても和漢文の及ぶべきものにあらず、さればおのれは此院本を以て文章の組織を工夫するなりと、人其見の意表に出づるに驚く(同上)
鈴木朖(あきら)。儒学者、国学者。文法研究で知られる。『言語四種論』『雅語音声考』『活語断続譜』等を著す。『言語四種論』には、「体の詞・形状の詞・作用の詞・テニヲハ」の品詞分類を示した。
原文ルビ「じふさい」。「じつさい」(じっさい)か。
細かく巧みであること。〔同〕精巧。
清朝の文人。(1759-1844)鈴木朖より5歳年長。
書画に優れ、古人の書の模刻を能くした。『履園叢話』等を著す。
習癖。「称す」とあるように賞めたのである。
竹田出雲。
浄瑠璃本、丸本(まるほん)。古浄瑠璃や義太夫節の一曲全部を収めた版本。他の流派のものは正本(しょうほん)と呼ぶ。
当初は絵入りの読本形式で、後に七、八行の稽古本形式で刊行された。一部だけ抜き出したものは、床本(ゆかほん)、抜本、段物(だんもの)等と呼ぶ。
元来は金・元代に倡妓たちが笑劇を行う行院(こういん)で行われた脚本を院本と読び、それに読み仮名として「まるほん」を当てた。
いうまでもなく。もちろん。
「せいたい」とも読む。世の中の有様。世情。
意外なことを言う(する)。