逸話文庫:1:武事:10
内外古今 逸話文庫 第一編
武事
○ 我が勝に非ず敵の敗れたるのみ
佛國の名將
チユレンヌ、
一日戰つて敵を
敗り、其
夕直ちに書を其妻に送り、
捷を報じて曰く、敵進んで我に
逼り、
却て敗走せり、吾
謹で天恩の
辱きを謝す、此日吾少しく
勞せり、今
將に
寢んとす、
卿の
無異を祈ると、
而して其
籌策の妙と勇戰の狀とに
至ては、
一も記する所なし、故を以て
後人之を
頌して曰く、
功伐の
雄偉なる、
今日に
於て
誰か
能く
公に
比せん、
而して
謙退矜らざる、今日に於て
亦誰か
克く公に比するを得んや、公の
捷や曰く、吾
巧なるに
非ず、敵
自ら
過てるのみと、公の戰况を
報ずるや、記せざる者は
唯功伐のみ、公の其
戰跡を
談ずるや、聞く者公
自ら
之を
督せしを忘れ、
或は談ずる者は公に非ざるか、
抑も又公の
名實相讎らざるかを疑はしむ、公の
戰勝て歸るや、
隱匿出ずして、人民の
歎美を避け、
殆ど其勝を
慚る者の
如し、人の
己を頌するを聽くや、
恰も
自ら容るゝ能はざる者の如し、又
敢て王宮に
入らず、王の
褒辭を受くるを
畏るればなり
出典未詳。
テュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(Henri de la Tour d'Auvergne, Vicomte de Turenne)(1611―1675)。
原文「勞」のルビ「ろう」。疲れた。
夫婦、友人間で互いを呼ぶ言い方に用いる。あなた、そなた。
原文ルビ「ぶゐ」。
功績。
戦跡(戦蹟)は戦場の意。ここは戦績(戦功)か。
話と実際とが一致しているのかどうか。それほど大したことでもないように抑損して語るということ。「讎る」は等しい意。
ここでは、公の場に姿を見せないこと。
まったく自分のものとして受けとめることができないというように見える。(その賛美はとうていわが身に当てはまらないとでもいうような有様だ。)