逸話文庫:1:武事:10

内外古今 逸話文庫 第一編

武事

○ 我がかちに非ず敵の敗れたるのみ

佛國ふつこくの名將チユレンヌ一日いちじつ戰つて敵をやぶり、其ゆふべたゞちに書を其妻に送り、かちを報じて曰く、敵進んで我にせまり、かへつて敗走せり、吾つゝしんで天恩のかたじけなきを謝す、此日吾少しくらうせり、今まさいねんとす、けい無異ぶいを祈ると、しかして其籌策ちうさくの妙と勇戰の狀とにいたつては、いつも記する所なし、故を以て後人こうじん之をしようして曰く、功伐こうばつ雄偉ゆうゐなる、今日こんにちおいたれこうせん、しかして謙退けんたいほこらざる、今日に於てまた誰かく公に比するを得んや、公のかつや曰く、吾たくみなるにあらず、敵みづかあやまてるのみと、公の戰况をほうずるや、記せざる者はたゞ功伐のみ、公の其戰跡だんずるや、聞く者公みづかこれとくせしを忘れ、あるいは談ずる者は公に非ざるか、そもそも又公の名實めいじつあたらざるかを疑はしむ、公のたゝかひかつて歸るや、隱匿いんとくいでずして、人民の歎美たんびを避け、ほとんど其勝をはづる者のごとし、人のおのれを頌するを聽くや、あたか自らるゝあたはざる者の如し、又あへて王宮にらず、王の褒辭ほうじを受くるをおそるればなり