内外古今 逸話文庫 第一編
武事
○ 木村重成小敵と爭はず
木村
長門守重成、其
未だ幼少なりし時、
茶道某と云へるもの、口論の
果て
怒つて、
扇子を以て重成の
頭を打ち、其
烏帽子を落したることありしに、重成は少しも怒る
氣色なく、平然として笑つて言ひけるは、
汝士の徒としては打ち捨て置く
可きものに
非らず、
宜しく
一命を
貰ひ受けざる
可らず、
然れども汝を殺す時は我も
亦死ざるを得ず、然るに我が命は大切なり、君の一大事あらん時の御用に立つ
可きものにこそあれ、汝の
如きものを相手として
捨つ
可き
輕きものに非ず、
故に今は許して置く可し、
必ず忘れなせそと云ひて、少しも
顧みざりしかば、
其友人等聞き
傳へて云ひけるは、重成
怯懦命を
惜むを
以て、
言を左右に托して爭を
决せざるなり、
此くの
如き
怯者、
焉んぞ君の爲に命を棄ることを得んやと、
相誹りて一人の重成の
大度に
服するものなかりき、然るに
後慶長の戰
起るに及んで、重成大坂陣中に在て、智勇第一の將と呼ばれ、數度の激戰に
馳驅して、
曾て一度も
後れを見せず、
次で其
和睦とゝのひて秀賴家康と
盟書を取り
交はすの時に至り、大坂の諸將等、一人として其使節に
當らんと云ふ者無かりしを、重成
自ら
請ひてこれを
勤め、單身
敵中に
入りて、少しも恐るゝ色なく、味方に
充分利益ある
約定をなしたるのみならず、後又
元和の
戰起るに及んで、再び大坂方の大將として、
花々敷き働きをなし、君の馬前に一命を
隕として、
美事の最期を
遂げしこと
毫もさきに云ひし言葉に違はざりければ、先きに
誹りし人々、初めて重成の
沈勇なるに
服し、
相傳へて
美譚となせりと云ふ