逸話文庫:1:武事:5

内外古今 逸話文庫 第一編

武事

○ 木村重成小敵とあらそはず

木村長門守ながとのかみ重成しげなり、其いまだ幼少なりし時、茶道さどう某と云へるもの、口論のいかつて、扇子せんすを以て重成のとうを打ち、其烏帽子ゑぼしを落したることありしに、重成は少しも怒る氣色けしきなく、平然として笑つて言ひけるは、なんぢさむらひの徒としては打ち捨て置くきものにらず、よろしく一命いちめいもらひ受けざるべからず、しかれども汝を殺す時は我もまたしせざるを得ず、然るに我が命は大切なり、君の一大事あらん時の御用に立つきものにこそあれ、汝のごときものを相手としてかろきものに非ず、ゆゑに今は許して置く可し、必ず忘れなせそと云ひて、少しもかへりみざりしかば、その友人等聞きつたへて云ひけるは、重成怯懦けふだ命ををしむをもつて、げん左右さいうたくしてあらそひけつせざるなり、くのごと怯者けふしやいづくんぞ君の爲に命をすつることを得んやと、相誹あひそしりて一人の重成の大度たいどふくするものなかりき、然るにのち慶長の戰おこるに及んで、重成大坂陣中に在て、智勇第一の將と呼ばれ、數度の激戰に馳驅ちくして、かつて一度もおくれを見せず、ついで其和睦わぼくとゝのひて秀賴家康と盟書めいしよを取りはすの時に至り、大坂の諸將等、一人として其使節にあたらんと云ふ者無かりしを、重成みづかひてこれをつとめ、單身敵中てきちうりて、少しも恐るゝ色なく、味方に充分じゆうぶん利益りえきある約定やくぢやうをなしたるのみならず、後又元和げんなたゝかひ起るに及んで、再び大坂方の大將として、花々敷はな〴〵しき働きをなし、君の馬前に一命をとして、美事みごとの最期をげしことがうもさきに云ひし言葉に違はざりければ、先きにそしりし人々、初めて重成の沈勇ちんゆうなるにふくし、相傳あひつたへて美譚びだんとなせりと云ふ