内外古今 逸話文庫 第一編
文藝
○ 山岡明阿彌特に國文に長ず
山岡
明阿彌 名は浚明字は子亮左二右衛門と稱す 隱居して明阿彌陀佛とよぶ、狂名を
大藏千文といふ、安永九年庚子京都に遊び、其比病死す、時に十月十五日なり、江州三井寺は山岡氏の祖道阿彌の
墓所あり、よりて道阿彌の墓の
側に葬るといふ、明阿博學にしてもつとも和文をよくす、また著述の書多し、陸奧の名所を見んとて立出る比の歌、
思ひたつ浪の數にはあらねども心をよする松がうら島
剃髪の時のたはれ歌、
けふからはころり坊主になりひさご人にかゝりて世を渡らばや
辭世、
百とせのなかばも何のうつゝかは思へば蝶の夢さへもなし
(
太田南畝)
原文「俊明」。「まつあけ」と読む。
音訓原文の儘。
大田南畝。