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支那小説瞥見(べつけん)

一

支那事變以來、國民の支那文化關心(くわんしん)熱が嵩(たかま)るとともに、支那小説の紹介や出版の風潮が盛(さかん)になりかけてゐる。この二、三年間に出版された支那小說の飜譯は、決して僅少(きんせう)だとはいへない。古典的な「三國志」「水滸傳」「西遊記」「紅樓夢」を始めとして現代作家中の魯迅・郁達夫・茅盾・沈從文その他の作家の作品が紹介されてゐる。しかしこれを他の外國作家の紹介に比べれば決してその量も多くなく、その飜譯の業も餘り立派であるのが尠(すくな)い。明治以來、わが文壇が求めた文學思想・文學技術は、西歐の文學であつて、決して東洋文化—特に支那文化から求むるところが餘りなかつた。事實、支那の小説が日本に敎へうる文學性を有してゐたか、ゐなかつたかは問題外として、日本は支那に文學を敎へる立場にあるとしても敎へらるゝなにものも支那は有してゐないと一般にわが國民は信じ、又それなみの結論をなしてゐる評論もないではない。

わたしも現代支那小說に現はれてゐる日本文學模倣(もはう)性を認め、作家の文學性中に支那に立脚しない姿をみた時機の作品を知らぬではないが、しかし支那小説史を通覽して、その古典的小説を讀み、或(あるい)は現代支那小説の一時期の、日本文學模倣後の、現代作家の完成品を讀了(どくれう)してみるのにそこにはやはり、博物地大〔「地大物博」—広大な国土と豊かな風土〕な支那から生れいでた文學としての特質性とその長所とを、認めざるをえないもののあることを感ずる。いたづらに西歐の近代小説の型體〔ママ〕のみが小説の本道であり、小説の面白味を有してゐるとばかりは思はれないものがある。

明治以來のわが國民の支那文化冷笑(れいせう)の風潮は、自(おの)づと支那小説などにも波及してゐて、今日支那小説に對して關心なり研究なりをしてゐる邦人は實に寥々(れうれう)たるものである。事變以來一般の風潮とともに支那小説の飜譯が話題となり問題化されてきたのは、實は德川中期以來の一大變化現象だといつても過言(かごん)ではない。文化文政このかた明治、大正、昭和の現在に至るまで日本において支那小說硏究乃至(ないし)飜譯などが一般民衆の前に展開されたことなどは、ほとんどなかつたといつてよからう。してみれば今日日本において支那小説が市場に出版しかけてゐるその深い力は何物かを今後の日本文化や文學に影響させはすまいか。

わたしはそんな空想を畫(ゑが)きながら、今日出版せられてゐる數種の支那小說書を散讀するが、讀了後の思ひは、必ずしもわたしを喜ばすものではない。飜譯といひながら完全な飜譯ではなく、飜案といひながら決して文學的な飜案ではない書物が多い。

戰時普及版の「西遊記」「水滸傳」(某々(ぼうぼう)書店刊)を讀んだが、實に昔日(せきじつ)の赤本〔清末民初の雑書。紅皮書。〕の如くで、これはこれなみの愛讀者層がありその出版の目的はあらうが、支那小說原本といかに異つてゐる俗惡書かに愕(おどろ)く。

現在「水滸傳」の名稱や筋を知らぬ日本人も少くなからうし、岡嶋冠山の飜譯以來、幾十册も「水滸傳」の飜譯が作られてゐるが、しかもなほその大半は、誤譯惡譯をでてゐない。「水滸傳」中の人物はそれぞれ方言を用ひて羅貫中は作中の人物個性を生かし人物の相違を巧みに描〔ママ〕いてゐるが、さうした面白味を充分に飜譯のうへに現はしてゐる書物などわたしは一度も見た驗(ため)しがない。いはゞ日本人は完全な「水滸傳」を知らずに「水滸傳」を論じてゐるのである。これは一例だが、そんな飜譯書はざらにある。西歐文學の飜譯が今日隨分(ずゐぶん)高度にまで進歩し、一言一句も忽(ゆるが)せにせぬのに支那の小説は日本人に曲解されて讀まされてゐる。このごろさる出版社發行の三國志物語」を讀んだ。これも原本とは似て非(ひ)な〔る〕もので、一流出版社で、三册續きのものを出版しても、こと支那小説となると、これは原本を改惡して赤本じみたものしてしまふ。要(えう)は支那小說硏究の專門家が日本に僅少だからである。

二

日本人は支那小說といへば、荒唐無稽(くわうたうむけい)、妖怪變化譚(へんげたん)ばかり多いのだと信じてゐる。「聊齋志異」「剪燈新話」「西遊記」等の類ばかりが早くから紹介されてゐるがためであらう。

しかし長い支那小説史上には決してそんな荒唐無稽譚ばかりではなく、却(かへ)つて「金瓶梅」「打樓夢」「儒林外史」の如き、徹底した寫實(しやじつ)主義の小説もある。

一體(いつたい)に寫實主義の小說は白話(はくわ)卽ち口話〔ママ〕で書かれた小說に多いために、日本に紹介される機會(きくわい)が少なかつた。日本人の支那語敎養は低いものであつて、小説文學を飜譯するなどの困難事は今日まで求めるのに難(かた)かつたのである。

「紅樓夢」「兒女英雄傳」などはまだ北京語(今日の標準語)で書いてあるから、或は容易なところもあるが、近頃の近代作家になると盛に方言土語(どご)を用ひて小説を書いてゐるので、われわれ日本人には、全く手にあまる作品も少くない。

六、七年前、農民小説が流行して、茅盾、艾蕪(がいぶ)、呉組湘(ごそしやう)などが盛に土語を作品の中に書き入れてゐたが、一般支那語として北京語の辭書さへ滿足に求め難い現状にあつて、わたしなどこれら農民小説には困(こま)りはてたことがある。しかし標準語中に作品の表現として土語の會話のはいりうることは文藝作品としての當然の進展であるので、今後日本で支那小説に親しみを有してゐる人々は、これをいかにして解しうる手段を求めるか中々に容易ではない。

これは現代文學飜譯難の一例であるが、「紅樓夢」の如き純粹の北京語で描かれた作品でも餘りに寫實が細かく、會話の微妙な應接は今日の北京語の常識では表現し難いものがある。このごろ岩波文庫本に松枝茂夫君が「紅樓夢」を譯してをられ、中々の名譯であり誤譯などのないよいものであるが、それを讀み終つて感ずるものは、原本を讀んだときとは隨分相違した文學感情をうけることである。「紅樓夢」全卷を通ずる素材は金陵宮廷における男女の戀愛の細かい心の動きである。瞬々(しゆんしゆん)に動く男女の會話にも情と情との交互された人間の心の弱さが表白されてをり、北京語はよくこの作品の主題を生かすのに充二分の力となつてゐるが、日本語となるとその特色がよほど筆端(ひつたん)に心をくばらぬと俗つぼくなる。

飜譯された「紅樓夢」を讀むと、宮廷に行はれてゐる高貴な人々の情事といふよりも、田舍町の金持の家で行はれてゐる野暮(やぼ)ぐさい痴話(ちわ)喧嘩の小説のやうな氣がする。とてもあの尨大(ばうだい)な小説を讀者に讀みつゞけさせるだけの筆端の色艶(いろつや)がない。わたしはこの飜譯を讀んで、支那小說中の寫實小說の面白味は北京語の妙味にあるのだといふことを知つた。北京語は話言葉とて文學性があるばかりでなく、書き言葉としても文學味を多分に有してゐるやうである。

この夏わたしは長い年月、心に思ひながら讀む機會がなかつた「金瓶梅」を讀んだ。隨分(ずゐぶん)時局がらでもない古典小說ではあるが、この寫實の鈍重味は大陸文學でなければ描き難い力をもつてゐると感じた。富士山の美を讃へ、俳句の境地を解する日本民衆のなかから現はれ難いものがある。支那民族性の力強さ—いかなる苦難にもうち勝つて生き拔く生活力から生れてくる氣質は、これら寫實小説の描寫を讀むと解しえられる。

「紅樓夢」「金瓶梅」の作者は、日本民族と通ずるよりは、帝政時代の露西亞(ロシア)の作家とその血脈を同じくしてゐるやうである。わたしが常に思ふのは、支那人の描いた小説は日本小説とはほとんど相違して、却つて露西亞の小説と佛蘭西(フランス)の小説との混合されたものの如き色彩を感ずる。鈍重でしかも繊細、荒唐でしかも寫實的であるからだ。

三

沈從文(しんじうぶん)の「邊城(へんじやう)」を讀む。改造社版大陸文學叢書の一つである。曾(かつ)て沈從文の書いた自傳記「從文自傳」「記丁玲(きていれい)」(正續篇)を讀んで感動したわたしは、彼の小說を讀破するに至つて更に深い感激を覺える。文章も精緻(せいち)であるばかりか詩的な情感をふくんでゐて、自傳につきものの自己滿足の告白的な虛僞(きよぎ)もなく、文壇下積(したづみ)生活ごろの心の動き、彼の成長時代の四圍(しゐ)の風色、いづれも心を打つものばかりで、特に「記丁玲」は女流作家丁玲やその夫の胡也頻(こやひん)とともに北京の公寓(コングー)〔アパート〕や上海の彷徨(はうくわう)情況をうら悲しく、しかも未來へのなんらかの光りある生活を描いてゐて得難い文學的よさをもつてゐる。後年丁玲は現代支那女流作家として最も一世を風靡(ふうび)し、今日毛澤東の戀人になつてゐるとかなどと噂されてゐるが、いまだ文壇に名をださないころの彼女の姿にこそ却つて人間らしい心のなびきがある。

沈從文の文章はすべてに詩的な抱擁(はうよう)的な温(あたたか)みがある。自傳的な隨筆文學に感じた私は、その小説を讀むに至つて、決してわたしの心をあざむかぬ彼の文學に、一層の感動を受けた。「邊城(へんじやう)」は中篇小説であるが、その他「夫」「夫婦」「ランプ」「會明」「柏子」等、いづれの短篇も傑(すぐ)れてゐる。西歐文學に心醉(しんすい)し西歐文學に敎へ親しまされてきたわたし達が、今日日本精神に返れ、東洋文化に參加せよと時局的に論ぜられても眞實の東洋的な文學は今日の文壇に甚だ求め難い實状に至つてゐる。或は古典的な復古文學を東洋的だといひ、いたづらに消極的なあきらめを東洋的だと文學の上に表現する向きもあるが、眞に新進作家らしい強さで東洋の匂ひを情感にも思想にも漂(ただよ)はしてゐる文學を、わたしははからず〔も〕沈從文の文學を讀んで感じた。

「邊城」といふ小説は實にもの恐ろしい傑作である。勿論現代支那の小説であるため、日本の常識で、一般にこの小説も問題にならずにゐるが、私は今日これほどに支那文學が問題になりながら、「邊城」を問題にしてゐない文壇批評家の常識にも反省を加へたい。洞庭湖から沅江を溯(さかのぼ)つて二百五十キロ、湖南四川兩省の省境(しやうざかひ)に靜かに眠るが如く存在する一小城市に明け暮れを過(すご)してゐる人々の人間としての哀樂悲戀(ひれん)が、かくも叙情的にかくも美しくかくも純情に描かれてゐる小說をわたしは讀んで、いひ知れぬ支那人への愛情をうけた。

東洋の廣大さがすくすくと胸を打ち、支那民衆のうるはしさ、美的な生活相——人間かくあつてこそ人生は面白からうと思ひを深くした。數年前以來、支那の現代文學も外國文學模倣の域(ゐき)を脱し、民族文學樹立に大童(おほわらは)であつたが、沈從文や艾蕪や呉組湘など新作家の文學を讀むと現代日本の新進作家よりも、文學に對して强い根を握つてゐるやうである。遙かに進むべき東洋文學への文學美を描いてゐる。開拓文學とか農民文學とかと、呼び聲(ごゑ)ばかりの宣傳(せんでん)的な文學を文學だと思ひこみ、國策文學の如く思ひ込んでゐる淺薄な文學がとかく流行しがちな現代日本に對比して、今日「邊城」のやうな小說も東洋から現はれてゐるのかと思ふと、現在の日本文學などは實に暗中模索(あんちゆうもさく)時代である。 (北海タイムス所載)