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支那文化と支那語

一

從來、中等學校での外國語敎育は、ほとんど英語に限定されてゐて、特殊性に基づく學校でも獨佛(どくふつ)語を課するぐらゐであつて、支那語は全く外國語のなかに含められてゐなかつた實情である。滿洲事變以來、この情勢が時局認識の深まるとともに一變して、中等實業學校、高等專門學校の大半は、支那語敎育を課さざるをえない現状となつてきたが、これは次代國民の敎育に一新紀元を劃(くわく)するものであるとともに、數百年來の鎖國趣味的な、漢學趣味的な支那學敎養を施してゐた分野に生き生きとした支那文化學を附與するやうになるのであらうが、現状打開に當(あた)つて、支那語敎育の前途に幾多の考へねばならぬ問題が横たはつてきた。

支那語は三千年來の文化興亡の歷史をもつ文化語である。支那の國家に盛衰興亡はあつたにしても、決して死語でもなければ古典語でもない。悠久(いうきう)な年代の文化の翳(かげ)をにじませた言語である。四聲(しせい)・重念(ぢゆうねん)〔強勢(ストレス)〕など高低抑揚をもつた音樂的リズムのあるあの支那語は、他のあらゆる外國語に比べても劣らぬ美しい言葉である。この優美優秀な言語に對して、最も日本人は敎養と理解とに缺(か)けてゐる。これは數百年にわたる日支文化融合の齎(もたら)した一大缺點であつて、同文同種の思想の流れてきた日本には、支那語を外國語として尊重するだけの知識慾と努力とをもたなかつたのである。

明治以來の西洋文化輸入も所詮(しよせん)われわれの生活中には飜譯文化の域を出てゐないし、佛敎文化にしても、漢文を通じての文化であつたし、却(かへ)つて漢文こそは國文學と交流して、離れ難(がた)いわれわれの文化財となつてゐる。支那の哲學・文學は飽くまでも日本化され、日本的となつたと同時に支那文化の純粹な研究はほとんどその翳を日本にとゞめてゐぬといつてもよい。

唐話(たうわ)すなはち支那語の研究が徳川初期に岡嶋冠山(くわんざん)によつて愈々(いよいよ)發達してきて以來行はれて來た面影(おもかげ)はあるにしても、それは儒者の餘技(よぎ)であつて、徳川時代の儒學思想橫行(わうかう)は決して支那語〔研究〕の發達を促(うなが)す機にいたらしめなかつた。

鎖國的な漢學趣味が支那語硏究を發達させなかつた封建時代の支那學敎育がなんら變形もされずに、昭和の現代にも行はれてゐて、漢文敎育ばかりが發達して少しも支那語敎育が行はれてゐない。

一體(いつたい)外國語文は現代文からはいり古典文に進むのが硏究の當然の進路なのに、日本では、支那文ばかりはこの經路を踏まないでゐる。たゞちに古文形式の文章から讀み始める。漢文の訓點(くんてん)讀みは當然の讀み方として誰も疑はない。

勿論(もちろん)古く荻生徂徠一派の蘐園(けんゑん)派が漢文直讀論を主張してゐるが、それは奇異の説といはれ、徂徠自體さへ非國民的な人物として取扱はれたこともあるが、支那の文章を支那音で讀み、支那的に考へるのが理の當然なのは今日のわれわれの眼からみれば當然すぎるほど當然であつて、徳川鎖國期において支那文を訓點式を辿(たど)つて讀む一種の飜譯讀み法を捨てゝゐたならば、現代のわれわれに一層親しく深く支那の思想文化が解(かい)しえられてゐたであらう。

否(いな)、徳川期ばかりでなくこの惡弊は續いて、明治、大正、昭和を通じて支那學界に「支那文化の理解は支那語學より」と絕叫(ぜつけう)する學者の僅少(きんせう)であつたのは甚だ遺憾である。

今日(こんにち)この時局になつてさへなほ支那の文章は所謂(いはゆる)漢文ばかりに限り、鵺(ぬえ)的な時文(じぶん)(口語の雜つた文語文)などを中等學校に課して一時をごまかし、生きた支那語の面白味を敎へないでゐる。

二

このごろ現在刊行されてゐる中等乃至(ないし)專門學校用の支那語敎科書を五六十種通讀したが、その拙劣(せつれつ)幼稚な編輯、素材の粗雜、外國語としての語彙(ごゐ)構文についての編纂者の無定見にはあいた口がふさがらなかつた。これを現行の英語敎科書に比べたならば、明治年間の英語敎科書の程度であつて、支那語早わかり書の範圍(はんゐ)をいでない。通俗的な支那語會話、支那商業語程度の語彙語法ばかりがのさばつてゐて、幾つかの傑(すぐ)れた良心的な敎科書を除いて、大部分のものは編纂者が支那語を文化語として意識して作られたものかどうかも疑はしい實状である。

なかには支那人間に現に用ひられてゐない清末ごろに使用されたやうな語彙が、初級敎科書に挿入(さふにふ)されてゐるのもあつて、今日これら敎科書を使用して學ぶ學生の支那語敎養は今後興味ある話題を生むのではないかと思はれる。敎科書の大半はウェード式發音記號で支那音を讀ませてゐるが、注音符號を眞によく活用して支那語の發音を敎へてゐる書物はほとんどない。

ウェード式發音で支那語を表記するのは不可能であつて、多くの誤りある發音を日本人に敎へがちであるのは、その方面に理解のある人々ならば了解できようが、いまだに西洋人に適切な發音符號をその儘(まま)借用して不審に思つてゐないやうである。支那の假名(かな)である注音符號が現に支那で重要視せられ、これに據(よ)るのが最も支那語の發音を表はすのに適正確實であるにも拘(かか)はらず、案外支那語敎育界で活用されてゐない。現在の支那語敎師の注音符號に對する素養が低いからではあるまいか。

更に外國語學習の階梯(かいてい)は、話言葉から書き言葉に移りゆくのが最も効果的であるのに、支那語敎育の場合ばかりは、ほとんどこの階梯を踏んで指導するやうな編輯振りをみせてゐる敎科書は見當らない。僅(わづ)かに倉石〔倉石武四郎〕博士の支那語敎科書ばかりが、漢字を從(じゆう)にし、發音を主にして編纂されてゐる。

日本における漢文敎育——漢字尊重の傳統は、支那語敎育の世界にまでその餘弊を流して、文字を主とし發音を從とする傾向を現はしてゐるかのやうに思はれる。

更に私をして最も考へさせられた事實は、これら現行の支那語敎科書が與(あた)へてゐる限界の言語が、日常支那語に限られてゐるのが多く、文化語としての發展の第一段を踏んでゐないやうに見受けられることである。

拓殖(たくしよく)式支那語、大陸開拓式支那語とでもいひたいやうで、さらに進んで支那古典文理解へと進む階梯に至る道を展(ひら)いてゐない。支那語の先生は明け暮れに現代北京語ばかりを知つて、古典の戯曲・小說も讀めず、まして「論語」「孟子」の常識がなくても當り前となつてをり、また漢文の先生は返り點・送(おくり)假名をつけて漢文こそ讀むが、支那の俗語俗文を解しようともせず、まして現代支那語なぞ了解してゐなくとも當然の權利のやうになつてゐる數百年來の誤つた古那學硏究態度を保つて來た日本に、今日このやうな支那語敎科書が、時局のあわただしい波にのつて狼狽(らうばい)して現はれてくるのも無理はない。

漢學敎育の餘弊は支那語敎育の發達を退化させ、支那事情認識をわれわれに遲らせてしまつたことは大へんなものだといはねばならない。

三

支那語敎育は現代文と古文との區別なくそれらを結びつける意味でも今日特に急務を要する問題である。しかるに今日の支那語敎科書をみると、街のおかみさんや勞働者が用ひる實用支那語の程度であつて、現在これほど支那語敎科書が刊行されてゐるにも拘はらず、これを學びえて、それが古文講讀の糸口となりうるかどうかは甚だ疑問である。

支那語學者(謂はゆる支那語の先生)に支那文化史的な學識を求めたいと思ふのは單に私だけの希望ではすまされないだらう。謂はゆる支那語の先生と謂はゆる漢文の先生が一體になつた敎養を必要とするのである。この敎養がなければ、現次〔現時〕の新東亞建設上の支那認識は出來難くなるであらう。

一體今日中等學校で漢文を課してゐる意義は奈邊(なへん)〔どこ〕にあるのか。國語問題があれほど世上の話題となり漢字制限論が叫ばれ、早晚(さうばん)その實現をみる時機が至るだらうが、かかる時代に難澁(なんじふ)そのものの如(ごと)き漢字ばかりの羅列してゐる漢文を、いまだ智腦のやはらかい靑年期の學生に敢(あへ)て無用の負擔(ふたん)を負はせ、學ばさせて〔学ばせて〕ゐる意味は何處(どこ)にあるのだらうか。

國語の敎科書にはこのごろわが國の先儒の書いた日本漢文の讀み下(くだ)し文が所載されてゐる。例へば「日本外史」とか「日本政記」とかが漢文ではなく、假名まじりの國文として讀まれてゐる。これを敢て原漢文で讀むのと、讀下し文として讀むのと、その學問的相違、文學的相違はどこにあるとも思はれぬ。

無用の勞苦は一日も早くとるべきである。更に「唐宋八家文」とか「文章軌範」などのやうな漢文を今日の學生に敎へていかなる學問的價値があるのか私は常に疑問に思つてゐる。現代の學生にとつて「文章軌範」などは、決して文章の軌範ではなく、いたづらに無用の負擔に苦しましめるばかりである。

儒敎倫理を敎へるのが中等學校の漢文敎育の一面だといふならば、なにも困難な漢字ばかりの文章を通じて敎へなくとも他に方法はあらう。現行の漢文敎科書は現代支那事情を敎へないばかりでなく、過去の支那を敎へるにも遙(はる)かに遠い敎材物である。

現行の漢文敎科書は根本から研究考察をしてみなくては、最も時代にとり殘された隱居の手なぐさみ本となつてしまふだらうと信じてゐる。鎖國時代の支那硏究と新東亞建設時代の支那研究とが同一眼であつてよい譯(わけ)がない。

今日、漢學敎育と實用支那語敎育ばかりが一般に普及されてゐて、今後の青少年が支那文化思想を理解するやうになるとは思はれない。

歴史的假名遣(づか)ひがやゝともすれば表音式假名遣ひにもなりかけようとする時代に、漢文を訓點式に讀む方法はどうすればよいのか。樣々に想ひをまはしてゆくと、漢文敎育ほど、無用の勞苦をしてゐるものも少くないやうに思はれる。

漢字製造國である支那自體(じたい)ですら、漢字制限が實行され、その歩みに向かつてゐるのに、日本のみが漢文敎育をして、青少年に漢字苦を與へてゐる。「八家文」や「文章軌範」のやうか難澁な漢字を知らなくとも、支那の生きた文章は書けるのである。

容易に書ける現代支那文などを敎へずに、靑少年にとつて一知半解(いつちはんかい)の理解しかもてぬ「論語」や「大學」や「孟子」の拔萃(ばつすい)を敎へても、いたづらに學生に智腦苦を附與するのみである。

今後の若い靑少年を指導して、大陸建設の第一歩を踏ましめる人材を作るためには、漢文敎育に一大改革をなすべき時機が目睫(もくせふ)〔の間〕に迫つてゐるやうな焦躁(せうさう)の氣に私はかられてゐる。 (東京朝日新聞所載)

*支那文は日本からみれば、外國語文である。外國語文であるならば、外國語で書かれた文章として取扱ふべきである。日本人は日本の漢字といふものを知つてゐるから、その知識を應用して、支那人の書いた文章をよめばよいといふ理窟はない。これは、飽くまでも「應用」であつて、それでは眞の支那文章の面白さは解(わか)らない。訓點讀みは日本人の發明した文化財であるといふ人があり、だから返り點をつけ、送り假名をつけて讀むのがよろしいといふ人が多いが、いかにそれは、わが國語を亂(みだ)すものであるか、いかに支那文を誤つて讀むものであるかを解する人は少い。日本と支那とは決して同文ではないのである。