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はしがき

日本語文と支那語文とを明確に區別して考察せねばならぬといふ意圖(いと)は、十數年來、わたしの腦裡をさらぬひとつの課題であつて、從つてこれはまた、日本文化と支那文化とを明確に區別意識して研究されねばならないといふことにもなるのである。德川鎖國期以來、漢文教養に禍(わざは)ひされたわれわれ日本人の支那文化學研究は、甚だこの點に關して、曖昧模糊たるもので、「國語・漢文」學といふものが普及されてゐるにもかゝはらず、支那文化學の研究は、ほとんど、日本人に常識化されてゐない。日本人に最も親しく最も理解されてゐなければならぬ支那文化が、最も親しまれぬ形になつて理解されてゐる。日支は同文同種であるなどと主張する學者がゐるかぎり、日本には純粹の支那學は發展するものでない。支那文化は支那文化であり、日本文化は日本文化である。その間の交流や、利用ばかりに研究の目標をおいてゐては、支那文化の眞の研究は發達するものでない。先人の種々研究された支那ではあるが、われわれは、いまいちど、支那研究の第一歩である態度からまづ反省して、支那の發見をしなほしてみなくてはならない。

わたしのこゝに纂めた雜稿は、そのときどきの雜誌新聞のために、 書かれた啓蒙のものではあるが、わたしの硏究する態度は、いつも儒敎一尊ではなく、支那の文語文理解の一點張りではない。飽くまでも、支那の文化・文學に立脚した文學の純粹性を述べたく、また漢學臭を脱出したいのである。いろいろの課題を、わたしはわたしの考へのもとに、近代化した眼で支那文化を眺めたい。これらのいくつかの拙稿を讀んでいたゞければ、新しい支那文化の發見のヒントをうるのではなからうかと自惚(うぬぼ)れる。近代化した支那の研究はまだなにもやつてゐないのだ。日本人は總力になつて、今後新しい支那學研究をはじめる必要が目睫(もくせふ)にせまつてゐる。

このやうな小著を刊行するのにも澤山の先輩友人のお世話になる。校正は齋藤秋男君や光風館編輯部の方々の配慮を受けた。拙稿中に鹽谷(しほのや)先生との座談記事を入れたのは、わたしにはなにか温かい恩澤に甘つたれてゐるやうで心うれしい。水船(みづふね)三洋畫伯(ぐわはく)に裝幀していたゞいたのも望外のよろこびである。これこの方々の御好意に感謝したい。

昭和辛巳(しんし)嚴冬

竹芝堂(ちくしだう)書齋にて〔竹芝堂は俳号〕

一戸(いちのへ)務