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空の聲(こゑ)

昔、あるところに、心やさしく綺麗(きれい)な小娘(こむすめ)がゐた。正直者(しやうぢきもの)で、だれにも可愛(かはい)がられてゐた。

しかし、娘の運(うん)は惡(わる)く、そんな風貌(ふうばう)や品性(ひんせい)にもかゝはらず、思ひ切りのいゝ神さまが、遂(つひ)にかの女を、物凄(ものすご)く貧之(びんぼふ)な家に生(うま)れさせた。

八歳(さい)になると、父母に送られて、ある百姓家(ひやくしやうや)に養女(やうぢよ)として貰(もら)はれていつた。將來(しやうらい)、この百姓家の息子(むすこ)の嫁(よめ)となるためである。

この農家(のうか)には、かの女(ぢよ)と同年輩(どうねんぱい)ぐらゐの夫(をつと)のほかに、鬼婆(おにばば)のやうな母親と、もう一人生(うま)れて一年たらずの義妹(ぎまい)がゐる。

こんな環境(くわんきやう)になつたので、かの女の生活は、ますます悲慘(ひさん)なものになつた。赤(あか)ん坊(ばう)を抱(かか)へ、ご飯(はん)の支度(したく)をし、臺所(だいどころ)の水汲(みづくみ)をし、畑に種子(たね)を蒔(ま)き、すべて家事(かじ)や野(の)らの仕事は、かの女が用達(ようたし)をした。こんな細々(こまごま)したこんなん(こんなん)な用事(ようじ)のないときには、毎日(まいにち)かゝさず一度か二度は、ちやうど日常(にちじやう)の飯(めし)のやうに、きまつて養母(やうぼ)からひどく毆(なぐ)られてばかりゐた。十歳(じつさい)たらずの小娘(こむすめ)が、こんな荒(あら)仕事に我慢(がまん)できるわけがない。しかし、かの女は反抗(はんかう)する氣力(きりよく)もなく、たゞ耐(た)え忍(しの)んで過(すご)してゐた。

一日(いちにち)一日と、そして一年一年と、歳月(さいげつ)はすぎ去(さ)つていつた。この幼(をさな)い娘の運命(うんめい)は、終始(しゆうし)、このやうに苦(くる)しみつゞけであつた。ある日、非常(ひじやう)に不幸(ふかう)な悲しむべきことが起(おこ)つた。その日、かの女は、義母(はは)のいひつけで、市場(いちば)へ粉(こな)を買(か)ひにいつた。このとき、妹(いもうと)は喜(よろこ)んで、いつしよにいきたいといふので、よちよち歩く妹の手をひいて、連(つ)れていくことになつた。市場では思ひがけなくあまり混雜(こんざつ)してゐたので、〔妹の〕姿(すがた)が見えなくなつた。

かの女は、非常にしんぱい(しんぱい)し、恐怖(きようふ)のどん底(ぞこ)に陷(おちい)つた。あちこちを探(さが)しまはつたが、遂(つひ)に妹を見つけることができない。かの女は氣(き)も狂(くる)ふほどである。義母に告(つ)げたなら、どんなに叱(しか)られるだらう。どんなに折檻(せつかん)されるか分らない。恐(おそ)れをののいた氣(き)もちで歸つた。

泣く泣く義母(ぎぼ)に語(かた)ると、母は物凄(ものすご)い顏をして、いままでになかつたほど激(はげ)しくかの女を撲(う)つた。毆(なぐ)られて半死半生(はんしはんしやう)の状態(じやうたい)になつたとき、やつと桶(をけ)のなかへいれられて、部屋(へや)の隅(すみ)の方(はう)に置(お)かれた。

つぎの日、義母は、朝早(はや)くからやつてきて、昨日(きのふ)のやうにけふも、竹棒(たけぼう)で毆(なぐ)らうとして、桶(をけ)のふたをあけると、そこには人は見えない。一羽(いちは)の小鳥(ことり)が、小さくなつて、大桶の隅(すみ)にとまつてゐる。母は驚(おどろ)いて、「あつ」といふと、小鳥は嘴(くちばし)で、「妹(メイ)! 妹(メイ)!」と鳴きながら、軒(のき)をかすめて、空に飛び去(さ)つた。

まことに、そのとき鳴いた小鳥の聲(こゑ)は、幼(をさな)い娘が、本氣(ほんき)になつて妹を探(さが)し求(もと)めてゐる可憐(かれん)なひびき(ひびき)であつた。老婆(らうば)の耳底(じてい)には、その後(ご)、いつまでも、メイ・メイと鳴く音(ね)が殘(のこ)つて、去(さ)りやらなかつた。〔蜀魂(不如帰)の類話〕