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嘘(うそ)つきの名人(めいじん)

むかし、ある私塾(しじゆく)に一人の學生(がくせい)がゐた。かれは、心のひねくれた惡賢(わるがしこ)い男で、勉強もせずに、たゞ人とふざけたり、人を笑はせたりばかりしてゐる。私塾へ通(かよ)つても、少しも書物(しよもつ)を讀(よ)まない。かれは學生であるが、支那(シナ)の古い風習(ふうしふ)で、はやくから結婚し若い妻があつた。

私塾の先生(せんせい)は用事(ようじ)があつて、ある日外出(ぐわいしゆつ)をした。出(で)がけに、學生に向(む)かつて、

「よく書物を讀んでゐて、騷(さは)いではいけない。先生は、街(まち)まで用達(ようたし)にいつてくる。暫(しばら)くして、わたしが歸つてきたら、おまへたちに書物を暗誦(あんしよう)させる。暗記(あんき)してゐないものは、この鞭(むち)で打ちますよ」

からだを大きく振(ふ)つて大威張(おほゐば)りで、部屋をでていつた。

先生がでていくと、この惡賢い學生は、まるでお寺の神さまがゐなくなつたときの小鬼(こおに)のやうに、忽(たちま)ち暴(あば)れ騒ぎだした。暫く教室で騒いでゐたが、それだけでは、物足(ものた)らなくなつて、街へ飛びだした。

街へいくと、道路で、甕(かめ)賣(う)りが、大きな甕の荷物(にもつ)をかついで、得意(とくい)さうになつて、呼(よ)び賣りしてゐるのに出遭(であ)つた。かれは、甕賣りをからかひたくなつた。

「甕(かめ)やさん。底(そこ)のない甕をもつてるかい」

甕賣りはへんな顏をした。底のない甕などなんに使ふのだらう。

「なんにするんですね」

「底の壞(こは)れたのを一つくれないか。いゝ値(ね)で買ふよ。」

「あなたは、そんなものをなんに使ふんですか」

「うちの煙突(えんとつ)に使ふんだよ。壊れたのがほしい」

「駄目(だめ)ですよ、あなた。壞れた底なしの甕なぞ一つもありません。壞したらもつたいない」

「いや、壊したらどうです。底を壊せばいゝよ。壊しただけの甕は、あたしが辨償(べんしやう)する」

甕賣りは考へた。一日ぢゆう、怒鳴(どな)り步いても、やつと、二つか三つしか賣れるものでない。底を壊して、壊しただけを、かれに辨償させれば、なにも仕事をせずに、二三ヶ月(かげつ)は遊んで暮(くら)せる。こんな都合(つがふ)のいゝお客(きやく)はない。かれは承諾(しようだく)して、嬉(うれ)しさうに壞しはじめた。

學生は暫(しばら)く甕賣りの傍(そば)に立つて、甕の底をたゝき壞すのをみてゐたが、

「おまへは、こゝで壊してゐなさい。あたしは、用事があるから家へいつてくる。壊し終(をは)つたら、大聲(おほごゑ)で呼(よ)べば、すぐ歸つてくるからな」

學生は、氣忙(きぜは)しさうに姿(すがた)を消した。

甕賣りは半日(はんにち)ぐらゐかゝつて、甕をたくさん壞した。やつとのことで一つ形よく底の壊れたのができた。そこで甕賣りは、塾(じゆく)の入口(いりぐち)へきて、だいぶ長い間、學生を呼びださうと怒鳴つてゐたが、だれも知らぬ顏をしてゐるし、さつきの學生の姿はみえない。いらいらしてきて、甕賣りは罵(ののし)りだした。

そのとき、塾の先生が歸つてきた。理由(りいう)を聞きたゞすと、甕賣りの話は氣(き)の毒(どく)である。こんな惡いことをするのは、だれであるかも、すぐ先生には判斷(はんだん)がついた。そこで甕賣りに向かつて、

「甕賣りやさん。判(わか)つた。きつと學生に騙(だま)されたんだ。わたしが、いくらか金を拂(はら)ふから、あなたも不運(ふうん)と諦(あきら)め歸つてくれ。學生は十分(じふぶん)しかつておく」

甕賣りも、全(まつた)くこれは騙(だま)されたのだ、仕方(しかた)がない、たゞ不運だと思つて、先生がくれた金を貰(もら)つて、ぶつ〳〵いひながら、荷物(にもつ)をかついで步きだした。

先生は、甕賣りが歸つてから、あの學生を呼びだして調(しら)べた。想像(さうざう)通(どほ)りかれである。先生は怒(おこ)つて、鞭(むち)で十囘(じつくわい)かれのからだを撲(う)つた。

學生は、じぶんが惡いことをしたのに氣(き)づかずに、むしろ先生が餘計(よけい)な世話(せわ)を燒(や)くのだと、先生を恨(うら)んだ。いつか先生に仕返(しかへ)しをしてやると、祕(ひそ)かに惡い考へを起(おこ)した。

いく日もすぎないのに、先生はすつかりそんな事件(じけん)を忘(わす)れてゐた。ある日の午後、かれは鬚(ひげ)を撫(な)でながら、書物を讀んでゐた。そこへ例(れい)の學生がやつてきた。

「先生。先生の鬚(ひげ)は、どうしてそんなに少(すくな)いのですか」

「うん、全(まつた)くこれでは長いとはいへないな」

「もう少し長い方が立派(りつぱ)だとは思ひませんか」

「さうは思ふが、どうにもならない」

「先生。長くなさりたいと思ふなら、いゝ遣(や)り方(かた)があります。それは百發百中(ひやつぱつひやくちゆう)で、わたしの父の鬚も非常に少(すくな)かつたのですが、ある方法で直しました」

それを聞くと、とても喜び、せきこんで、「どんな方法なんだ。教(をし)へてくれないか」といふ。

うまく計略(けいりやく)にひつかゝつたなと、學生は喜んで、

「先生あわてないでください。まづその方法をいひますから聞いてください。水で膠(にかは)と魚(さかな)の浮袋(うきぶくろ)とを混(ま)ぜて、こね合(あは)せると、それは非常に粘(ねば)りますね。それを口のまはりに塗(ぬ)つて太陽(たいやう)に晒(さら)し、それから、蔭(かげ)の凉(すず)しいところで乾(かはか)します。かうすると、鬚は粘りつくでせう。暫く待つてから、それを取ると、鬚を長く伸(のば)せるぢやないですか。先生が、嘘(うそ)だとおつしやるなら、わたしの父に尋(たづ)ねてください」

元來(ぐわんらい)、この先生は讀書(どくしよ)生活ばかりしてゐて、世情(せじやう)のことは、あまり知らない。常識(じやうしき)の低(ひく)い人である。學生が、父親も試(ため)してうまくいつたことがあるといはれて、ちやうど、鬚を伸(のば)したい氣もちでいつぱいのときであつたので、うかうかと、その通りに、實行(じつかう)する氣になつた。

だれが、こんな方法が、本當(ほんたう)にあたるとは思はれよう。

しかし、先生は、眞顏(まがほ)になつて、膠(にかは)と魚の浮袋とを塗つて、學生のいつたやうにやつた。暫くすると、氣もちが惡くなつた。あわてゝ鬚の塗り藥(ぐすり)をとらうとすると、どうしても、とれない。構(かま)はず無理に鬚をひつばつて、取らうとすると、肉や鬚のついた皮膚(ひふ)が、はがれて取れた。血はたら〳〵と流れて、痛(いた)みが增(ま)してくる。

先生は、涙を流して怒つた。早速(さつそく)、かれの父親を私塾へ呼びに〔人を〕やつた。

話を一通(ひととほ)り聞いて、學生の父親は、息子のいたづらを怒りながらも、先生に對(たい)して慚愧(ざんき)に耐(た)えない。何(なん)といつて申譯(まうしわけ)してよいやら分(わか)らずに、たゞ頭ばかりさげて謝罪(しやざい)してゐた。

先生が座(ざ)を去(さ)つてから、父親は息子を面前(めんぜん)に呼(よ)んで、非常にかれを罵(ののし)りながら毆(なぐ)りつけた。

學生は父親に毆られてから、父を恨(うら)みに思ひ、いつか仕返しをしてやるぞと、惡い考へを起した。

ある日、市場(いちば)から包(つつみ)をもつて歸つてきた學生は父に、

「お父さんは肉饅頭(まんぢゆう)がお好(す)きだから、食べていたゞかうと思つて、わたしは、けふ市場で買つてきました。ちやうど、肉がなくて、肉のない饅頭(まんぢゆう)ですが、包(つつみ)をあけてください。一つも肉のあるのはありませんが、お父さん、これも息子のわづかな孝行(かうかう)だと思つて、お食べなさい」

父親は息子の振舞(ふるまひ)をみて、こんなに從順(じうじゆん)な孝行ものになつたのかと、心でたいそう喜び、饅頭(まんぢゆう)を殘(のこ)らず食べてしまつた。

父親は、間(ま)もなく腹(はら)がいたみだした。吐(は)きさうにもなつた。

その晩(ばん)おそくなつて、學生は妻にいつた。

「ははは……けふお父(とう)さんが吐いたのをみたかい。あれは、おれがやつたいたづらだ。肉饅頭(まんぢゆう)のなかに、くだし藥(ぐすり)をいれたんだ。いつか親爺(おやぢ)は、おれを撲(う)つたからなあ」

「まあ。あなたはあきれた人ですね。だれにもいたづらをして。ましてお父さんになぞ、いたづらをするなどと……」

妻は、夫(をつと)の行(おこな)ひは間違(まちが)つてゐる、人の道(みち)にはづれてゐるのに、あきれて口がきけなかつた。

「よし。よし。ぐづぐづいふな。お父さんにしたことを、おまへが怨(うら)みがましくいふなら、おまへにだつてしてやるぞ。いまにみてゐろ」

妻にいたづらの意見(いけん)〔注意〕をされて、反(かへ)つて妻をにくみだした。いつか妻にいたづらをして、からかつてやらうと心に決めた。

妻も夫をよく理解(りかい)してゐなかつた。他(ほか)の人なら騙(だま)されるけど、わたしは騙されるものですか」と思つた。

そんなことがあつてから、數(すう)ヶ月經(た)つてからである。夫は、その日も市場へいつて、夕方(ゆふがた)暗くなつても、まだもどつて來なかつた。

「どこへいつたのでせう。どうしてまだ歸らないのだらう」

妻は少し怒つて、夕飯(ゆふはん)も食べずに、かれを待つてゐた。

夜更(よふけ)になつてから、やつと、かれはうなだれて元氣(げんき)なく、のそり〳〵と歸つてきた。溜息(ためいき)ばかりついて話もしない。

妻が飯はすんだかと聞いても、頭(かむり)を振つただけで、口をきかない。妻は夕飯の始末(しまつ)をはやくしたいと思ひ、いつしよに食べようとしたが、嘆息(たんそく)ばかりしてゐて、食べようといはない。妻はいらいらして怒つた。怒つて、わけを訊(ただ)しても、どうしても默(だま)つてうつむいてゐる。

おそくなつてから、妻にせめられて、やつと、しぶしぶ語りだした。

「おまへ、はやく飯(めし)を食べろ。食べたら話す。さうぢやないと、恐らくおまへは飯が喉(のど)にも通らなくなるぞ……」

このとき、妻はいつそう怒つたので、話さなければならなくなつた。

かれは、つらさうな樣子で、ぼつり〳〵話しだした。

「今日、市場で、おまへの里(さと)の兄(にい)さんに出逢(であ)つた。そこでおまへのお父さんが死んだことを聞いたんだ。兄さんは、泣いて眼を眞赤(まつか)に腫(はら)してゐた。白布(しろぬの)を、おれにくれて、歸つたら、おまへに喪服(もふく)をつくつて、明日(あす)おまへを送つてきてくれといはれたんだ。わしは兄さんと一緒(いつしよ)に葬式(さうしき)の道具を買ひ、それでこんなにおそくなつた」

聞いてゐるうちに妻は「あゝ」といつたまゝ、泣きだし、飯(めし)も通らなくなつた。

「ご飯(はん)を食べてから、話すといつたのに、無理(むり)に話させるからだよ。あゝ、泣いても仕方がない。泣いたからとて、お父さんが生き返つてくるわけぢやない。はやく喪服(もふく)をつくつて、明日ははやく里へいくがいゝ」

かれは妻を慰(なぐさ)めた。かの女(ぢよ)は一晩(ひとばん)ぢゆう泣きつゞけながら、喪服を縫(ぬ)つた。大急(おほいそ)ぎなので、夜通(よどほ)し忙(いそが)しかつた。

寢(ね)につくまへに、かれは手拭(てぬぐひ)をいぢくり、そつと灰(はひ)をつけて妻に向かひ、「明日はやく出かけるんだ。手拭は食卓のうへに置くから、顏なぞ洗はずに、拭(ふ)いたらすぐいくといゝね」といつた。

つぎの日、空がまだ明(あ)けはなれぬうちに、夫婦は起きて、妻は手拭が灰で汚れてゐるのも知らずに構(かま)はずそれで拭いた。氣が急(せ)いてゐるので、鏡(かがみ)もみず、身(み)づくろひもいゝ加減(かげん)にして、すぐ出かけた。

急(いそ)いで、里の家に着(つ)いて、かの女は大聲(おほごゑ)で「お父さん」といつて部屋にはいるなり泣きだした。

これよりも前(まへ)に、夫は、妻より一足(ひとあし)はやく、妻の里にかけつけ、妻の父に「たいへんです。お父さん。あなたの娘が氣が狂(くる)ひました。馬鹿なことばかりします。はやく來てみてください。妻はあんな變(へん)な眞似(まね)ばかりして……」

舅(しうと)は娘が馬鹿になつたと聞いて、驚いて奧(おく)からでてきた。

見れば、娘は部屋の入口で泣きくづれてゐる。髮には櫛(くし)も入れずに、ばう〳〵として、顏は灰(はひ)だらけである。しかも身には白い着物を着て、「お父さん。お父さん」と叫んでゐる。父親は娘の變(かは)りはてた姿をみて、可愛さうにもなり、腹立(はらだ)たしくもなつた。

かの女は眼(め)の前に、父親の姿をみると、「あゝ幽靈(いうれい)だ。お父さんのお化(ば)けだ」といつて逃(に)げだした。

父親は娘のあとを追(お)ひかけた。あとになつて、一部始終(いちぶしじゆう)の話が分(わか)ると、もともと、あのいたづらものの、いたづらに騙(だま)されたことが分(わか)つて、父親も大いに怒り、父娘(ちちむすめ)ともどもに、語(かた)り合つてゐるうちに夜(よ)が明けた。

父親は娘をつれて、かれをこらしめてやらうと出かけた。家へいつてみると、かれは、とつくに逃げ去つて、その姿は見えなかつた。