← 次の章 目次 前の章 →
|

龍王(りゆうわう)の花

兄(あに)夫婦(ふうふ)と弟(をとうと)とが一軒(いつけん)の家にいつしよに住んでゐ(い)た。兄は王大(ワンタ)といひ、弟は王二(ワンル)といつた。王大(ワンタ)は生(うま)れながら利口者(りこうもの)であつたが、一つ惡(わる)い癖(くせ)がある。それは妻をこはがることだつた。妻が、どんな無理(むり)をいつても、反對(はんたい)できない。迷惑(めいわく)をかけられるやうなことをされても、何(なに)もいへなかつた。

弟も眞面目(まじめ)でおとなしい質(たち)である。兄にも嫂(あによめ)にも尊敬(そんけい)の念(ねん)をもつてゐて少(すこ)しもさからはない。村人(むらびと)からも可愛(かはい)がられてゐた。しかし、嫂は、弟をひどく虐待(ぎやくたい)して、うすのろ扱(あつか)ひをし、いつも陰險(いんけん)な惡賢(わるがしこ)い遣(や)り方(かた)で、かれをいぢめた。〔王二は〕毎日(まいにち)、不安(ふあん)な悲しい日をつゞけてゐた。

冬の寒い日である。嫂はまた弟を困(こま)らせる難題(なんだい)をもちかけた。柴(しば)を刈(か)つて山から歸(かへ)つて來た姿(すがた)をみかけると、

「お氣(き)の毒(どく)だがね、もう一度山へいつて、木(こ)の葉(は)を拾(ひろ)つておいで。はやい方(はう)がいゝね」といつた。

嫂(あによめ)は弟に内證(ないしよ)で、肉入(い)りの麵(めん)を食べてゐた。そこへ王二(ワンル)が歸つたので不機嫌(ふきげん)になり、そつと食べてゐるのを、弟に悟(さと)られないために、高い聲(こゑ)で、かれをおどかし、山へいかせようとした。

「ご飯(はん)を食べてからでは、どうでせう(しよう)」

憐(あは)れな樣子で、嫂に悲しさうに訴(うつた)へる。

「いゝよ。役(やく)に立たないね。毎日あたしのおかげで、生きていかれるのに、食べることばかり一人前(いちにんまへ)でも、仕事(しごと)ときては、本當(ほんたう)に役に立たない。おまへに食べさせるより、小犬(こいぬ)にやつた方がましだよ。犬なら家の番(ばん)ぐらゐする……」

嫂は、そつぽを向(む)いて、土間(どま)の小犬を指(さ)し、きつい樣子(やうす)である。

仕方(しかた)がない。王二(ワンル)は齒(は)ぎしりしながら、荷物(にもつ)をもつて門をでた。こんなに雪が降つて、草木の凍(こほ)つてゐるのに、どこに木の葉があらう。嫂(ねえ)さんは、こんなに、ひどく當(あた)るが、わたしはどうしたらいゝのだらう。あゝもう午(ひる)だ。飯(めし)も食べられない——いろ〳〵考へると、悲しくなつてくる。いつの間(ま)にか亡(な)くなつた父母の墓前(ぼぜん)へ來てしまつた。

弟は荷物をおろして土饅頭(どまんぢゆう)の傍(そば)で泣いてゐた。

「お父(とう)さん、お母(か)あさん。お二人(ふたり)とも、どうしてこんなにはやく死んだのです。子供のことをお忘(わす)れになつたのですか。こんな寒い日に、いままで、朝からまだ一粒(ひとつぶ)もご飯(はん)を食べてゐません。お母あさん。お腹(なか)がすいて死にさうです」

〔雪が〕降(ふ)り積(つも)つた墓(はか)にすがつて、泣き悲しんでゐた。と、目の前が急(きふ)にまつくらになつて、暗(くら)くなつた瞬間(しゆんかん)に、土饅頭のかげから、父母(ふぼ)が現(あらは)れた。父はにつこり笑(わら)つて、

「兄と分家(ぶんけ)をしなさい。そのとき家の門(もん)の前にある濠(ほり)をもらつて獨立(どくりつ)なさい」と弟に告(つ)げた。「あつ」といつてかれが眼(め)を醒(さま)したときには、もう家の寢床(ねどこ)に寢てゐた。いつ、どうして歸つたのか分(わか)らなかつた。

かれは床(とこ)から起きると、夢(ゆめ)の話を想(おも)ひだし、兄に分家(ぶんけ)をしたいこと、あの濠(ほり)がほしいことをいひだした。兄も嫂(あによめ)もそれを聞いて驚(おどろ)いたが、嫂は弟が分家しようといひ、何(なん)の價値(かち)もないものをほしいといひ、外(ほか)に何(なに)もいらないと主張(しゆちやう)するので、すぐ喜んで承知(しやうち)した。兄もしぶ〳〵妻に同意(どうい)した。

晩(ばん)になつても、けふからは王二(ワンル)は、寢(ね)る家(いへ)もない。濠(ほり)のあたりにいつて、淋(さび)しく泣いてゐた。泣きつゞけてゐると、夜もかなり更(ふ)けてから、どこからともなく、夜叉(やしや)が現(あらは)れた。

「もし〳〵、お若(わか)い方(かた)。旦那(だんな)さまが、あなたを呼(よ)んでゐます。いま旦那さまの處(ところ)へご案内(あんない)しますが、旦那さまはあなたに何(なに)かやるとおつしやいますから、そのときは、何もいらない、ただ鉢(はち)の花が欲(ほ)しいとおつしやい。決(けつ)して忘(わす)れず覺(おぼ)えておきなさい。さあ、眼(め)を閉(と)ぢて、わたしが開(ひら)けといふまで開(あ)けてはならない」

王二(ワンル)は不審(ふしん)さうに夜叉(やしや)を見上(みあ)げながらも、いふまゝになつた。濠の傍(そば)に坐(すわ)つて眼を閉(と)ぢた。さあつと風を切るやうな氣(き)がする。やがて、ふはり〳〵と大空を飛んでゐるやうであつた。暫(しばら)くすると、夜叉がかれを下に降(おろ)したらしく、「眼を開(ひら)け」といつた。

開(あ)けてみると、いつの間(ま)にか、たいさう立派(りつぱ)な宮殿(きゆうでん)の庭園(ていゑん)に來てゐる。眼(め)もさめるほど美しい。さま〴〵の花が、色美しく咲(さ)いてゐる。

夜叉は王二(ワンル)を大きな御殿(ごてん)に連れていつた。御殿の正面には、一人の老王(らうわう)が玉座(ぎよくざ)に坐(ざ)をかまへてゐる。夜叉は、「あれが龍王(りゆうわう)さまです」といふ。王二(ワンル)は、御殿の前の大理石(だいりせき)の石疊(いしだたみ)に額突(ぬかづ)いた。御殿からは、うるはしい音樂(おんがく)の音(ね)が響(ひび)いてくる。龍王は、龍型(りゆうがた)の冠(かんむり)をつけて、唐錦(からにしき)の服裝(ふくさう)をしてゐる。

遙(はる)か遠くから龍王の聲がした。

「わたしは、おまへが、何となく可愛(かはい)さうに思はれてならぬ。何(なに)か物も與(あた)へようと思ふが、望(のぞ)みはなんだ」

「龍王さま。わたしは何もいりません。たゞあの鉢(はち)に咲いた花が欲(ほ)しいと思ひます」

王二(ワンル)は、わけが分らないので、敎(をし)へられた通(とほ)り、御殿の階(きざはし)近くにあつた一つノの鉢に咲いてゐる美しい花を指(さ)していつた。

龍王は「むつ」と、口籠(くちごも)つたばかりで考へ込(こ)んでゐた。じぶんの三番目の娘である。どうして、あれをかれに與(あた)へられよう。あの鉢の花はやりたくない。しかしなんでも與へるといつたからには、與へないわけにはいかない。これはどうしたらいゝだらう。やがて、また考へなほした。あの若者(わかもの)もなか〳〵可愛(かは)いゝ奴(やつ)だ。よし、若者に娘をくれてやらう。かれに與へてしまへば、じぶんの氣(き)もちも落ちつける。さう思ふと、速斷(そくだん)に「よし、その鉢の花を取らすぞ」——重重(おもおも)しい聲(こゑ)が、御殿に響(ひび)きわたつた。

「夜叉(やしや)、若者を濠(ほり)のところまで、見送りいたせ」

夜叉に案内されて、王二(ワンル)はいつの間にか、またもとの濠端(ほりばた)に歸つてゐた。槐樹(くわいじゆ)に輕(かる)く風が當(あた)つてゐる。いままであつた濠が、すつかり庭園に變(かは)つてゐた。王二(ワンル)は驚いて、中に進むと、一人の人間の姿もみえず、たゞいくらかの鷄(にはとり)や家鴨(あひる)や鵞鳥(がてう)や犬などが、あちらこちらに遊んでゐる。犬は王二(ワンル)をみて、尾を振(ふ)りながら迎(むか)へた。鷄(にはとり)や家鴨(あひる)や鵞鳥(がてう)も、親(した)しさうに、かれの周圍(まはり)に來て、いろ〳〵の聲をだして鳴いた。

美しい石がいくつも飾(かざ)られた庭の隅(すみ)には、土塀(どべい)が長くつゞき、家が建つてゐた。王二(ワンル)の住(すま)ひなのである。かれは家にはいつて、龍王からいたゞいた花の咲いてゐる鉢を食卓(しよくたく)のうへに置(お)いた。暫(しばら)くすると、年取つた召使(めしつか)ひが、帷(とばり)をわけて、部屋(へや)に現(あらは)れた。王二(ワンル)に鄭重(ていちやう)におじぎをすると、何(なに)もいはずに何もかも氣(き)をきかして雜用(ざつよう)した。王二(ワンル)は、どうしてこんなふうになつたのか、事情(じじやう)が分らなかつたが、敢(あへ)て問ひ訊(たづ)ねもしなかつた。

晩(ばん)になつて、門を閉(と)ぢ、寢(しん)につかうとすると、表側(おもてがは)の部屋においてあつた食卓が、やたらに音(おと)をたてた。王二(ワンル)は戸を開(あ)けて、院子(ユワンズ)(中庭)にでてみると、中庭に、美しい少女(せうぢよ)が立つてゐる。劉海(リユウハイ)(前髮(まへがみ))をさげて、口元を紅(くれなゐ)に染(そ)め、小さい耳の耳飾(みみかざり)が、夜の間〔闇か。〕にもきら〳〵する。〔少女は〕につこり笑つて、おじぎをした。

王二(ワンル)は、少女を一目(ひとめ)みると、委細(ゐさい)構(かま)はず、表側の部屋の食卓に置いてある鉢のところまで馳(は)せつけた。憎々(にくにく)しさうに、かれは鉢の花を摘(つ)みとつて、石疊(いしだたみ)のうへに投げ捨てた。いま〳〵しさうに、足で花を踏みつけてゐると、背後(はいご)から、少女の小鳩(こばと)のやうな聲がした。

「そんな無殘(むざん)なことをしないでください。それはあたしの住(すま)ひですもの」

王二(ワンル)は、そんなことにかまはず、目茶苦茶(めちやくちや)に花を踏(ふ)みにじつてしまつた。氣一本(きいつぽん)〔生一本〕の王二(ワンル)は少女にいつた。

「龍王さまは、あなたをわたしの妻(つま)としてくれたのです。これから、あたしとあなた二人の家庭(かてい)です。あなたは何をいふのです。あなたが、再(ふたた)びあの鉢の花の家に歸つてしまふのが心配なので、わたしは、二度(にど)と歸れないやうに、この花を踏みにじつてしまひました」

少女は、淋(さび)しさうに石疊のうへに散(ち)つた花を眺(なが)めてゐたが、水々(みづみづ)しい眼から淚を流しながら、この若者に身を任(まか)すより仕方(しかた)がないと思つた。

何もしないうちに思ひ通(どほ)りの美しい嫁(よめ)を娶(めと)つたので、うれしくてたまらなく、二三日すぎてから、妻を連(つ)れて、兄夫婦のところを訪(おとづ)れた。王二(ワンル)夫婦が、兄の家の門をはいると、兄が大きな聲で泣き叫(さけ)んでゐるのが聞えた。

どうしたのかと思つて、王二(ワンル)は兄に訊(たづ)ねると、こんな有樣(ありさま)だといつて、また泣き叫(さけ)んでゐる。部屋を見まはすと、嫂(あによめ)が梁(はり)から一本の繩(なは)をさげて首(くび)を吊(つ)つて死んでゐる。兄の話では、嫂は弟を長いこと虐待(ぎやくたい)してゐたが、弟が立派(りつぱ)になつたのを聞いて、たいへんわが身の罪(つみ)を耻(は)ぢ、以前(いぜん)やつた罪を悔(く)いて、人に合(あは)せる顏(かほ)がないといつて、こんな悲しい有樣になつたのだといふ。

王二(ワンル)夫婦は、兄をなぐさめながら、嫂の葬式(さうしき)を立派(りつぱ)にすませた。