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顏(イエン)の墓(はか)

顏(イエン)といふ姓(せい)の一家(いつか)がある。家族(かぞく)は五人。老(らう)夫婦(ふうふ)と息子(むすこ)の文江(ウエンチヤン)、嫁(よめ)の張(チヤオ)さん(支那(シナ)では妻は實家(じつか)の姓(せい)を用(もち)ひる)、娘の阿珍(アチエン)であつた。張(チヤオ)さんは器量(きりやう)がよいばかりでなく、たいへん利口(りこう)なので、かれらの家庭(かてい)は幸福(かうふく)であつた。

しかし、老婆(らうば)は、嫁(よめ)が親切(しんせつ)に細(こま)かい點(てん)まで氣(き)を配(くば)つて仕(つか)へてゐるのに、まだ氣(き)に入(い)らないで不足(ふそく)にばかり思つてゐる。常(つね)に長いのを持(も)てば短(みじか)いのが欲(ほ)しくなるといふ不平(ふへい)である〔「吾輩は猫である」の言葉〕。張(チヤオ)さんは、苛酷(かこく)にされても、反(かへ)つて耐(た)へ忍(しの)び一度も言葉を返さない。

家庭の仕事なら、どんなことをさせても、悉(ことごと)く滿足(まんぞく)な仕事をして、張(チヤオ)さんはつらいとも思はない。たゞ夫(をつと)が外出(ぐわいしゆつ)してからの毎日の水汲(みづくみ)には、かの女(ぢよ)もなか〳〵骨折(ほねをり)であつた。遠(とほ)いところから水を汲(く)むのが、既に容易ごとではないのに、まして三寸の小さな纏足(てんそく)の脚(あし)で運ぶのである。それは本當(ほんたう)にからだをさゝへ切(き)れるものでない。そのうへ、老婆は、嫁が途中(とちゆう)で休息(きうそく)するのをおそれ、特(とく)にかの女のために二つの底(そこ)の尖(とが)つた木桶(きをけ)をつくり、もしも途中で休みでもすれば、兩手でその桶(をけ)を支(ささ)へてゐなければ駄目(だめ)なやうにした。歸つてくるのが少しでも遲(おく)れると、罵(ののし)られるばかりか、打(う)たれるのである。そこでかの女は水汲にいくときは、特に細かな注意(ちゆうい)を拂(はら)つた。

ある日、水汲から歸らうとすると、なんともからだがふら〳〵する。仕方(しかた)がなく水桶(みづをけ)を路上(ろじやう)において一休(ひとやす)みした。このとき、遠くから鳶色(とびいろ)の馬が走つてきた。馬上(ばじやう)には、いかめしい軍人(ぐんじん)が乘(の)つてゐる。馬が張(チヤオ)さんの前までくると、その茶褐色(ちやかつしよく)の眼(め)が、清水(しみづ)にそゝぎ、飮みたげな樣子(やうす)をした。張(チヤオ)さんは、ひと目みて驚き、目をみはり、ぼんやりとした。

このとき、軍人は急(いそ)いで馬上から飛び降(お)りて、張(チヤオ)さんに向(むか)ひ、丁寧(ていねい)に一禮(いちれい)し、馬に水を飮ましてくれないかといつた。張(チヤオ)さんは暫(しばら)く考へてゐたが、困惑(こんわく)した樣子でいつた。

「後(うしろ)の桶の水を馬に飮ませませう。前(まへ)の方(はう)のは、年寄(としより)が炊事(すいじ)に使(つか)ふのですから、布(ぬの)のかゝつてゐるのは、あげられません」

軍人はかの女の話(はなし)を聞いて、腰(こし)の間(あひだ)から鞭(むち)を取りだし、かの女に贈(おく)り與(あた)へた。

「家へ持つてお歸りなさい」

つゞけていふには、水がなくなつたら、この鞭を水甕(みづがめ)に浸(ひた)し、上(うへ)に揚(あ)げると自然(しぜん)に新(あたら)しい水が、水甕にいつぱいになる〔と云う〕。

張(チヤオ)さんは半信半疑(はんしんはんぎ)で、この鞭(むち)をもらひ家に歸つた。つぎの日にこれを試(ため)すと果(はた)して軍人のいつたとほりである。その後(ご)、水汲にいく路(みち)には再(ふたた)びかの女(ぢよ)の姿(すがた)は見られなくなつた。

秋の收穫(しうくわく)がすんだ後(あと)に、張(チヤオ)さんは數日(すじつ)實家(じつか)へ歸るのが、每年(まいとし)の習慣(しふくわん)である。今年(ことし)も實家に歸るのだが、歸るに際(さい)して、水甕(みづがめ)にいれる鞭(むち)の効能(かうのう)を義妹(いもうと)の阿珍(アチエン)に教(をし)へた。かの女が實家に歸つてから、阿珍(アチエン)は不思議(ふしぎ)に思つて、義姉(あね)が恐(おそろ)しくなり、母親にそれを告(つ)げた。かの女ら二人(ふたり)は臺所(だいどころ)へ駈(か)けつけ、水甕のなかから、鞭をとりだし、力(ちから)いつぱい地上(ちじやう)に投(な)げつけた。

すると、どうであらう。鞭から漲(みなぎ)り溢(あふ)れた水は臺所(だいどころ)ぢゆうにいつぱいになり、河水(かすい)のやうに外へも流れだし、忽(たちま)ち庭全體(ぜんたい)が小さな池(いけ)になつてしまつた。だんだん水は村ぢゆうに洪水(こうずい)のやうに流れ廣(ひろ)がり、どこもかしこも一面(いちめん)の海になつた。

張(チヤオ)さんは、この椿事(ちんじ)を聞くと飛ぶやうにして歸つてきた。かの女はこのとき、ちやうど雲に乘つて來た。かの女は水中から舅(しうと)や姑(しうとめ)を探(さが)しだし、一人づゝ手を引いた。阿珍(アチエン)も濁流(だくりう)から流れ寄(よ)りかの女の着物に縋(すが)つた。おかげでかれらはみな水面(すいめん)に浮(うか)び上(あが)つた。暫(しばら)くしてかれらはまたみな姿を水に匿(かく)してしまつた。

洋々(やうやう)と流れる大洪水(だいこうずい)もだん〳〵にひいて、幸(さいは)ひに村人(むらびと)の多くは救(すく)はれた。

冬が過ぎ、廣(ひろ)い大陸(たいりく)に春が訪(おとづ)れると、いままで寒さのために遊んでゐた人たちも機織(はたおり)機(き)のまへに坐(すわ)つて織物(おりもの)を織(お)りはじめるころ、村人たちによつて、村はづれに大きな「顏(イエン)氏の墓(はか)」が建立(こんりふ)された。赤土色(あかつちいろ)の土饅頭(どまんぢう)に、夏のころになると、紅色(あかいろ)の蜻蛉(とんぼ)(紅蓁椒(ホンチンチアオ))〔赤トンボを唐辛子に見立てた雅名〕が、すい〳〵と飛んで、かすり型の影(かげ)をうつしてゐる。