鍛冶屋の神さま
陸姑兒は、小さな村の鍛冶屋の娘である。家族は、とても小人數で、父母と、かの女だけしかゐない。父は毎日、店でトッチンカン、トッチンカンと鐵を打つてゐる。陸姑兒は母の手傳ひをしながら、お客をもてなす。引きしまつた口とやさしくふくよかな面差とは、村の評判であつて、近所の人々は、鍛冶屋に用事のあるときには、みな陸姑兒の店へたのみにいつた。
ある秋雨の初めて晴れた日の午後、太陽は斜に暖い光を投げて、野原には蒸發したかすかな暖いしめり氣が漲つてゐた。畑と畑との間の畔には、豆の葉や枯草が山のやうに積んである。村の女や子供たちは、笊や箒を持つて、燃料を集めに畑へいく。
陸姑兒と隣り娘の小祥嫂も、ご飯支度の燃料を集めにでかけた。二人は出かけるのが、少し遲かつたので、近いところの枯草や豆の葉は、みんな人に拾はれてしまつて、村外れの割合に遠いところまで出かけていかねばならなかつた。
陸姑兒と小祥嫂は、たのしく話しあひながら步いてゐたので、知らず知らずに、村の南に當る山麓の松林のなかまで來てしまつた。そこには、山のやうに積まれたたくさんの松葉や松脂の匂ふ松毬などがある。
「小祥嫂。ここには草や柴が本當にたくさんあるはね。一休みしてから、笊にいつぱい取りませう。少し持つて歸つても、二三日燃すぐらゐは十分だわ」
陸姑兒は、 少し疲れたやうなふうではあつたが、滿足さうにいつた。
「あなたがいひだしたのだから、どうぞお先に暫くお休みなさい。あたしはあの山へ登つて、四方を眺め、あの邊へいつたことはないけど、伯母さんの家のある方角を捜してみるわ」
小祥嫂は、いそいで山へ馳け登つた。陸姑兒は、うなづいて松林のはいり口で待つてゐた。
陸姑兒ひとり、草や柴のたくさん生えてゐる林のなかに坐つて、なごやかな風に吹かれてゐた。長く編んだ髮の毛を、ふは〳〵とふり亂すのを、絶えず手で額を拂ひながら、小祥嫂が、非常に元氣よく遠く山へ登つていくのを見てゐた。と、突然に小祥嫂が、顏青ざめて驚きながら、向き直つて、歸つてくる姿がみえる。陸姑兒は、その樣子をみると、前の方まで迎へに馳けつけた。
「どうしたの。なんで馳け下りて來たの」
小祥嫂は、あえぎながら、
「あのね。あの樹の下に、血のたら〳〵流れてゐる人間の足があつたの。どんな化物が食ひ殘したのか知らないけど……はやく逃げませう!はやく」
二人は無我無中で、家へ馳け戾つて、その後、二度と再び、外へ出かけなかつた。
この噂が傳はつてからは、村ぢゆうの女たちは、容易に外へでないばかりか、働き盛りの男さへ、外出するときは、特別に注意を拂つてゐた。しかしこんなふうで、村の人々は、毎日々々村にゐなくなり、日が經つにつれて、次第にその數が多くなつた。どこへいつてしまうのだか、だれも知らない。畑や野原へいつてゐるのではなく、反つてときどき、粉々になつた屍體が、村はづれで發見されたりした。陸姑兒の小さな鍛冶屋も、そんな具合で、暫くの間、店をしめて、仕事を休むより仕方がない。母や村の年取つた女たちは、毎日はやく、この不幸な人たちを救つてくださるやうにと、天道さまにお祈りをした。
ある日、遠い國から一人の仙人が、この村を訪れた。仙人は村の長者に會つていつた。
「村の南方、あの高い山麓の林のなかに、一頭の兇惡な怪牛がゐる。このごろ、そいつが、毎日夜になると村にきて、人を食ひ、晝間は、林で眠つてゐる。まだ日が沈むまでに二時間あまりあるから、まだその怪牛は、大きな岩石の底で晝寢をしてゐる。氷のやうに冷い鐵牛だから、晝は動かず、人も食べない。晝のうちに騙して捕へ、村にもつてきて、村の鍛冶屋を集め、怪牛を鐵の燃えてゐる熔鑛爐のなかに入れて、燒いてしまうがいゝ。これははやくしないと、日が暮れてからでは、燒くことができない。牛は、夜になると、生き返つて、村人全部の生命が危險になる」
村人は、この話を聞いて、たくさんの人を山麓へやり、幸ひになにごともなくやす〳〵と、鐵牛を捕へ、村へかついできた。
すぐ、陸姑兒の家に運んで、熔鑛爐に入れて燒く準備をした。
熔鑛爐の火は燃えて眞赤に熱くなつてゐる。しかし、恐しい鐵牛を中に入れてみたが、一本の毛さへ、熔け切らない。
そのうちに、だん〳〵日が暮れてきた。怪牛が、元氣づき、あばれだす時刻がせまつてくる。もう目を開きさうである。村人はあわてだした。仙人は恐しさうにいつた。
「思ひがけないことだが、今は最後の手段を講ずるより仕方がない。だれか勇敢な鍛冶屋が、爐のなかへ、牛と一緖に飛び込んで、熔け込んでしまはなければならない。あつ、全村の人を救ふために、だれかさうしなくてはならない。困つたことになつた」
仙人は、悲しさうにいつた。村ぢゆうの鍛冶屋は、それを聞いて、一人として口を切る者がない。無言のまゝ、村人はお互ひに顏を見合せてばかりゐる。
と、あたりの靜けさを破るやうに、陸姑兒の父が、大聲で叫んだ。
「おれがやる」
このとき、陸姑兒も店にゐて、この話を聞いてゐた。そして、小さい胸をいためながら、どうなることかと心配してゐた。その瞬間に、父親の聲である。かの女は永久に父と別れなければならぬと思ふと、いひやうのない涙がぼろ〳〵と流れた。あの慈悲深いお父さま、あのわたしのために苦勞をなすつてくださるお父さま。その父が、こんな悲しい最後になるとは、どうしたことだらう。
かの女は、 涙を拭いて、 父親の足もとに馳けつけ、
「お父さん、 わたしが身代りになります」
「あゝ、いゝ子よ。おまへはそんなことをしないで、お母あさんと樂しく暮すがいゝ。おれは、こんなに年を取つてゐるから、死んでも惜しくない」
話が終り切らないうちに、日はとつぷりと暮れて、牛が目を醒した。火焔の燃えたつてゐるなかから、牛は物凄く唸りだした。事態は刻々と迫つてくる。ぐづぐづしてゐられない。陸姑兒の父は、火のなかへ飛び込まなくてはならなくなつた。陸姑兒は、爐の入口に身を伏せて、父をとゞめてやまない。と、不意にかの女の片方の銀色に輝いてゐる腕輪が、知らないうちに、爐に落ちた。みる〳〵うちに牛の片方の角が熔けてしまつた。かの女は驚いて、もう一方の腕輪を爐へ投げ捨てた。と、前とおなじやうに別の一方の角も熔けた。かの女は、そこで、一足の布靴を脱ぎ捨てゝ、爐に投げ込んだ。すると、牛の兩方の蹄は見えなくなつた。
かの女は心に固く誓つた。父を救はなければならぬ。全村の人を救はなければならぬ。それには、じぶんの身を犧牲にしなくてはいけない。——「お父さん、さやうなら」
忽ち、火中に飛込んだ。牛もかの女も瞬く間に熔けていつた。
このとき以來、村ぢゆうには、昔のやうに、靜かな平和な日が訪れた。
村人は陸姑兒の孝行と義烈とに感謝して、村に陸姑兒寺を建立した。お願ひをすれば、必ずご利益があるといふので、毎年五月ちゆうは、燒香の人やお詣りの人が、いつぱいつゞいて絶えることがない。本殿の一部には、土人形の神像がある。可愛いゝ少女の姿をして、薄黒い色の牛の背に乘り、永遠に微笑をたたえてゐるといふ。