結縁豆
藥堂語錄
耳食録
古書の山の中から『耳食録』〔清・楽鈞。乾隆五九年(一七九四)成立。〕正續合せて二十卷を探し出した。紙も印刷も粗末な坊刻本で、誤字だらけであるけれども文章は讀める。『復堂日記補録』〔清朝・譚献〕光緒四年〔一八七八年〕十月二十八日の條に、「樂蓮裳〔蓮裳は楽鈞の号〕の耳食錄を閱す。文采麗密、稗乘〔野史小説〕中の採るべき者」と云つてゐる。復堂が常に小說を讀んでゐたことは、日記に見え、その批評に據れば『耳食錄』を以て最も佳であるとしてゐる。樂君は無論能文であつて、文章は確かによく書けてをり、結局『聊齋』の科臼を脱してをらぬ〔型を抜け出ていない。新味がない。〕にしても、彼は彼でまた佳い處がある。大抵志怪の書は底意の無いといふことが第一である。『還寃志』〔南北朝・顔之推。還魂記とも。〕『金剛經鳩異』〔唐・段成式『酉陽雑俎』の内。「鳩異」は異説を集める意。〕のやうに宗旨を標明してゐる〔著述の趣意を明示しているもの〕のは別に一類をなし、それは構はぬけれども。『耳食録』も報應〔因果応報〕を談じてゐる。たゞそれが專ら志怪の爲にしたもので、しかも作者の頗る詼謔的な處〔ユーモラスな、鷹揚なところ〕はまことに喜ばしい。たとへば卷一の『鄧無影』とか、卷六の『廊下物』の如きは、頗る『諾皋記』〔酉陽雑俎の一篇〕の風がある。また卷五『白衣婦人』の一則は、迷離惝怳〔ぼんやりして訳が分からないこと〕、何がどうなつたやらとんと譯のわからぬもので、後世の小説中にはかういつた書き方は滅多に見られぬ。が實はこれは『諾皋記』下卷の戴詧の話の翻案なのである。樂君が段柯古の影響を受くることの淺からぬことが窺はれる。たゞ段氏の原文では、詧が諸婦人の爲に坑の中に牽き入れられ、詧が出て來るやこんどは代りにその弟が見えなくなつたので、家人が慟哭してゐると、詧は獨り哭かず、「彼も隨分愉快にやつてゐるだらうさ、何で哭くことがある」(他亦甚快活、何用哭也)と云つたとなつてゐる。それが『耳食録』では少年の語つた言葉として「彼は隨分樂しからう、尙哭いてどうするのだ」(彼基樂、尙何哭爲)となつてゐる。これはまことに金を點じて鐵と成してしまつた觀がある〔改悪してしまったように見える〕。文字の事は蓋し甚だ言ひ難い。樂君すら尚その中の甘苦を辨じ得ないのであるから〔上手下手の区別が分からない〕、益〻この事の眞に容易ならぬを知るべしだ。卷六『南野社令』〔南野は地名、社令は土地神〕の一則に溺鬼(溺死者の亡魂)が慈心により土地神に任ぜられた話を記してゐるが、例の古臭い勸戒の調子ではあるにせよ、文情斐娓にして〔味わい深い筆致で〕、いやらしさが無く、その巧みなことは『閲微草堂』の上に出るかと思はれる。といふのが紀曉嵐(『閥微草堂筆記』の著者)は文に巧みではあつても主意が露骨に見えすぎてゐて、糖衣をかぶせた丸藥を呑んだやうな感じを抱かせる。それが橄欖〔オリーブ〕や大根のやうな味ならば、よしんぱその意圖が喉を潤し熱をさますに在つたとしても、食べて味はふことも出來るわけで、樂蓮裳のこの文はその一例と爲し得よう。鬼を説くには何か爲にする〔意図する、底意を有する〕所の無いことが大切だと私はいつも言ふが、その實、重要なのはやはり文章と態度だ。假に二者共に誠實質樸であつたならば、自らその美が出て來るもので、お説教をする所が有つたにしても、それは個人の宗教傾向のやうなもので、讀者は禮を以て之に接すればよく、賛成するにせよせぬにせよ、どちらも嫌ふことはないのである。かく見て來るならば、文章を書くには本來一定の規律はない。爲にする所がないことは無論最もよろしいが、例外も有り得るわけで、まづ作者の趣味と見識こそ必要な二つの基本、即ち態度の由つて出づる所〔源となるところ〕である。「士は器識〔器量と見識〕を先にして文章を後にす」〔新唐書〕と古人は云つてゐるが、語は陳腐でも、實は頗る理がある。蓋し文章と器識とは本來は一つの物の表と裏にすぎぬからである。