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藥堂語錄

夷堅志(いけんし)

『夷堅志(いけんし)』〔南宋・洪邁〕は全書凡(およ)そ四百二十卷、小説家中でも卷帙(くわんちつ)の最も多いものであるが、惜しむらくすでに全(まつた)からず、今日(こんにち)たゞ甲乙丙丁(かふおつへいてい)各二十卷を存(そん)するのみである。十萬卷樓〔清・陸心源の書庫及び叢書名〕の宋寫本(そうしやほん)を影印(えいいん)した重刊本(じゆうかんぼん)が世に行はれてゐる。洪景盧(こうけいろ)(『夷堅志』の著者)は好んで大部(だいぶ)の書を編著(へんちよ)し、內容は蕪雜(ぶざつ)なるを免(まぬか)れぬ。『揅經堂外集(けんけいだうぐわいしふ)』(清、阮元(げんげん)著)の『四庫未收書目提要(しこみしうしよもくていえう)』卷三に「その書中には神怪荒誕(しんくわいくわうたん)の談(だん)がその大半を占(し)めてゐるけれども、遺文軼事(ゐぶんいつじ)の考鏡(かうきやう)に資(し)すべき者〔考究に役立つもの〕も往々その間(かん)に雜出(ざつしゆつ)してゐる。」と云つてゐるのは、甚だ公平な批評である。丙志(へいし)卷十八に『契丹誦詩(きつたんしようし)』といふ一則があるが、それは

契丹(きつたん)〔北宋時代に遼として隣接〕の小兒(せうに)が初めて書を讀む時には、先(ま)づ俗語でその文句を顚倒(てんたう)して習ふ。一字を二字にも三字にも用ひる場合さへある。最近使(つかひ)を奉(ほう)じて金國(きんこく)〔金は女真族であり、契丹ではない。〕に赴(おもむ)いた時、接伴副使(せつぱんふくし)となつた秘書少監(せうかん)王補(わうほ)がいつも私にそれを言つて笑つた。たとへば「鳥宿池中樹(とりはやどるちちゆうのじゆ)、僧敲月下門(そうはたたくげつかのもん)」(唐、賈島(かたう)の句)の二句を、彼等が讀む時には「月明の中に坊さんが門叩く、水の中(なか)の樹の上に鴉(からす)がとまる」といふ。まづさういつた具合(ぐあひ)である。補は錦州(きんしう)の人、やはり契丹人である。

案ずるにここに記してあるのは恐(おそ)らく一般に行はれてゐた漢文對讀(ついどく)〔原文と訳文とを対照させて読むこと〕の有樣であると思はれるが、昔は滅多(めつた)に見られぬ事なので、不思議がつたまでであらう。契丹の文子〔未詳。文字か。〕は滅多に見られぬ。一體(いつたい)中國に誰かその讀み方に通じた人がゐるだらうか。ここに尚(なほ)その句法の排列(はいれつ)を想見(さうけん)し得(え)られるのも、嬉しい事である。普通「池中」といへば大抵(たいてい)「池邊(ちへん)」の意となるわけであるが、それを契丹語譯(やく)では水の底に影を寫(うつ)してゐる樹と言ひ切つてしまつてゐるし、また「鳥」を「鴉」と譯してゐるのも、異聞〔見聞か。〕を廣(ひろ)くするに足る。これは必ずしも「鳥」を「烏(からす)」と讀んだのではあるまい。恐らくこの景色の中では鴉の方が更にふさはしいと思つたのではあるまいか。周松靄(しうしようあい)〔清・周春〕輯(しふ)『遼詩話(れうしわ)』二卷は、遼の詩に關する逸話(いつわ)を大小網羅(まうら)したものであるが、この一則亦極めて風趣に富んでゐるに拘(かかは)らず、何故に之を採(と)り忘れたのであらうか。又案ずるに『辛卯侍行記(しんばうじかうき)』卷一の注の中に華文と英文の難易(なんい)を論じ、その十一難に「華文は多く理に順(したが)つて章を成し、その顛倒していふ場合は絶えて少い。ところが英文では大抵みな顛倒していふ。たとへば爾若干歲(お前は幾歲か)といふのを譯すと、如何老是你(ハウ・オールド・アー・ユー)となる。」とある。陶拙存(たうせつそん)は清末(しんまつ)でも立派な見識(けんしき)の持主(もちぬし)であるが、ここに至つては尙未(なほいま)だ倒順(たうじゆん)の見(けん)〔本末転倒の見方〕あるを免れぬ。洪君は古人であるのだから、無論一層怪しむに足らぬわけである。