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藥堂語錄

舌華録(ぜつくわろく)

『舌華録』九卷、明、曹臣(そうしん)纂著(さんちよ)。諸書より採録(さいろく)し、たゞ語を取つて事を取らず、「慧語(けいご)」から「悽語(せいご)」〔哀悼の語〕まで凡そ十八類に分(わか)つてゐる。昔、人の家で小型の不完本を見たことがあつたが、近年(きんねん)に至り始めて大型本を二部蒐集(しうしふ)することが出來た。その一は冒頭(ばうとう)に萬暦(ばんれき)乙卯(いつばう)〔万暦四三年(一六一五)〕の潘之恆(はんしこう)〔明代〕の序、袁中道(ゑんちゆうだう)〔明代〕の序(これには日附なし)があつて、宋蘭揮(そうらんき)〔清・宋筠〕の藏印(ざういん)が數個押してある。その二は袁の序を存(そん)してゐるだけであるが、この方は板刻(はんこく)も稍(やや)よく、原刊本かと思はれる。小さい時『硯雲甲編(けんうんかふへん)』〔清・金忠淳編の叢書〕中の『陶菴夢憶(たうあんむおく)』〔明・張岱〕を讀み、始めて『舌華錄(ぜつくわろく)』の名を知つた。『夢憶』の原文に

余(張岱)が家は太僕公(たいぼくこう)(張岱の高祖(かうそ)張天復(ちやうてんふく))〔明代、官、甘粛行太僕寺卿に至る。〕以來豪飮(がういん)を稱(しよう)せられてゐたが、その後つひに傳(でん)を失ひ、余が父も叔父もほんのこれつぱかしも飮めなくなり、茄子(なす)の糟漬(かすづけ)を食つてさへ顏が赤らむ位(くらゐ)である。自家(じか)で普段宴會(えんくわい)をする時でも、專(もつぱ)ら料理(れうり)の方に念を入れ、その方にかけては遂(つひ)に江南第一といはれるに至つた。皿が運ばれて來るや否(いな)や、兄弟爭(あらそ)つて食ひ忽(たちま)ち平(たひら)げてしまふ。腹が一杯になるとその儘(まま)さつさと歸つてしまひ、最後まで杯(さかづき)を擧(あ)げることはない。來客のある場合でも、客の辭(じ)するのを待たずさつさと立つて歸つてしまふ。山人(さんじん)〔官途に就かない者〕張東谷(ちやうとうこく)は酒徒(しゆと)である。いつもそれがつまらなくて仕方がない。ある日つと起つて私の父に向つて云つた。「あなたのお兄弟がたも中々變(かは)つてゐられますな。肉はたゞ食べるばつかし、うまいもうまくないもお構(かま)ひなしと來てゐる。酒はたゞ飮まぬばつかし、飮めるやら飮めぬやらわかりやしない。」(爾兄弟奇矣、肉只是吃、不管好吃不好吃、酒只是不吃、不知會吃不會吃)この二語、頗(すこぶる)る趣(おもむき)あり、晉人(しんひと)の風味がある。〔「世説新語」の登場人物のような趣がある。〕しかるに最近さる傖父(ゐなかもの)がこれをば『舌華録』に載せて、「張氏兄弟は賦性(ふせい)奇なる哉(かな)、肉は美惡(びあく)を論ぜずたゞ食ふばかり、酒は美惡を論ぜずたゞ食はぬばかり」(張氏兄弟賦性奇哉、肉不論美惡只是吃、酒不論美惡只是不吃)とやつた。一字一字が板につき過ぎて〔型に篏り過ぎて〕その差千里である。世間にはまことに金を點(てん)じて鐵(てつ)となす〔点金成鉄。点は点化の意。〕人士(じんし)が少くないことである。

今『舌華録』の原書を査(しら)べるのにこの條が見えぬ。よくよく見ると卷三「冷語(れいご)」〔冷やかし、嘲る語〕第六の中程(なかほど)が二本とも一葉(いちえふ)だけ缺(か)けてゐた。そこで友人から上海(シヤンハイ)發行の有光紙(いうくわうし)石印本(せきいんぼん)〔機械製の洋紙でリトグラフにして印刷した本〕を借りて讀み、七則(しちそく)だけ補寫(ほしや)したが、恰(あたか)も〔ちょうど〕その中に在つた。その文にいふ、

會稽(くわいけい)の張狀元(ちやうじやうげん)(張元汴)〔張岱の曾祖父。科挙の首席合格者である状元になった。徐渭の出獄を援助した。〕の諸孫四五輩(しごはい)はみな酒を飮まず、餚物(こうぶつ)〔酒の肴〕を善(よ)くし、席所に至る每(ごと)に箸(はし)を下(おろ)すこと林(はやし)の如く、必ず一盡(いちじん)して後止(や)む。沈曼長(しんまんちやう)〔未詳。沈季長かという。〕曰(いは)く、「張氏兄弟は賦性奇(き)なる哉、餚(さかな)に遇(あ)へば美惡を論ぜずたゞ食ふばかり、酒に遇へば善惡〔ママ〕を論ぜずたゞ食はぬばかり」と。

卷首(くわんしゆ)に引用書目(しよもく)五十餘部を列擧してあるが、一體この條は何の書に出てゐるのであらうか。よしんば〔たとえ仮に〕實(じつ)を失つてゐるにせよ、曹氏はその責任を負はなくてよいわけだ。たゞ張東谷の語と比較すれば、確かに及ばぬ處がある。それに張元汴を會稽の人となしてゐるが、そこにも誤りがある。

譯註

*張元汴は同じく紹興府(しやうこうふ)城内でも山陰縣(けん)の人である。