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結縁豆

藥堂語錄

抃宋竹枝詞(べんそうちくしし)

書賈(しよこ)が來て、河南官書局(くわんしよきよく)新刻『抃宋竹枝詞(べんそうちくしし)』〔清・李于潢〕一册を手に入れた。板刻(はんこく)は良くなく、紙も粗末(そまつ)なのは、怪しむに足らぬとしても、たゞ横摺(よこずり)なので、讀むのに甚だ不愉快である。書は凡(およ)そ二卷、詩百首あり、寳豐(ほうほう)〔河南省の県名〕の李于潢(りうくわう)著。前に蒋湘南(しやうしやうなん)撰『李李村(りりそん)墓誌銘(ぼしめい)』があつて、彼が道光(だうくわう)乙未(いつび)〔道光一五年(一八三五)〕に卒(しゆつ)したことがわかる。蓋(けだ)しすでに百年を閲(けみ)してゐるわけである。蒋の文章は『七經樓文鈔(しちけいろうぶんせう)』〔清・蒋湘南の文集〕にも見えぬ。その最初の一節に「豕憐犬、犬憐牛、牛憐馬、馬憐龍、〔豚は人に食われるものだが、人に使役される犬を憐れみ、犬は荷役に苦しむ牛を憐れみ、牛は戦場に駆り出される馬を憐れみ、馬は天と人を掌らねばならない龍を憐む。憐みの基軸を顛倒した奇警な箴言。〕凡そ百七十三言語は實に詼詭(くわいき)〔放誕でありながら諧謔味を湛えていること。〕を極めてゐる。又極めて樸實(ぼくじつ)にして生動(せいだう)してをり〔生き生きとしている〕、余の深く喜ぶ所である。」と云つてゐる。私は詩は解らぬのだが、『竹枝詞』〔民謡を元にした詩体〕は民俗風物を誌(しる)したものではあり、また事柄が抃京〔開封〕の事であつて、作者が風土の變化(へんか)に對して深い歎(なげ)きを抱(いだ)かざるを得(え)ないのは、「小引(せういん)」〔端書〕に言つてゐる通りであるのだから、これは讀者がたとへ風雅の素人(しろうと)であつたにせよ、鑑賞出來るわけである。卷上に「相藍買得胡蘆種、才過清明便發芽」(相國寺で葫蘆の種を買ひ、これを蒔いて清明節〔四月五日。清明は二十四節気の一つで、大地が潤い草木が芽吹く時期をいう。〕が過ぎると芽が出る)といふ句がある。その注に『過庭録(かていろく)』〔南宋・范公偁。范仲淹の曾孫。過庭は庭訓の意。孔鯉の逸話に基づく。〕を引いて、「黄魯直(くわうろちよく)〔北宋・黄庭堅〕曰く、自分は最近、京師(けいし)の相國寺(しやうこくじ)で大きな葫蘆(ふくべ)〔瓢箪〕の種を賣(う)つてゐるのを見たが、背中にも葫蘆のばかに大きなのを一つ背負(せお)つてゐた。一粒數百金といふのに、人が競(きそ)つて買つてゐた。春になつて種を蒔(ま)くと、こんなのが成るのださうである。」といひ、更に『東原録(とうげんろく)』〔北宋・龔鼎臣〕を引いて、「俗に一錢のことを一金(きん)と謂(い)ふ。」ともある。卷下に「買得奇方賭不輸」(賭博に絶對に負けぬといふ珍らしい藥を買つた)といふ句があり、注に『東坡志林(とうばしりん)』〔北宋・蘇軾〕を引いて、「都下(とか)のさる道士(だうし)が相國寺に坐(ざ)して諸〻(もろもろ)の奇方(きはう)(珍らしい處方(しよはう))を賣つてゐるが、その一つの封(ふう)じ紙(がみ)に賣賭錢不輸方(丶丶丶丶丶丶)(絶對に賭博に負けぬ藥賣ります)と書いてあつたので、さる若い博徒(ばくと)が千金を出して買つて歸り、開いてみると但止乞頭(丶丶丶丶)(たゞ寺錢(てらせん)を貰(もら)ふばかりの意。賭場(とば)の席主(せきしゆ)になれば、勝負に拘(かかは)らず寺銭ははいるわけである)とあつた。」とある。以前私は『志林』のこの一條を讀んだ際、「千金」なる一語がどうも呑(の)みこめぬ疑ひを持つてゐたが、今上(うへ)に引いた二節を見て、始めて成程(なるほど)と悟(さと)つた。してみれば私は『竹枝詞』を讀んで又知識を増すことも出來たわけである。古人が「卷を開けば益(えき)あり」と云つたのは、いかにもその通りであつた。清初の隆仁寺〔西に隆「福」寺、東に護国寺があったという。〕、今日の護國寺は、いはば宋の相監(相國寺)〔卷上の「相藍」の誤植か。相国寺の伽藍を謂うか。〕の類(たぐひ)ではあるまいか。多分今でもかういつたやうな面白い物を賣つてゐるのが居(ゐ)るに違ひないと思はれる。しかるに王漁洋(わうぎよやう)〔清・王士禎〕以來さういふ事はあまり識(しる)さないやうになつて、つひに今日に至つたのである。私は前の注を繰返し見て、宋人(そうひと)の風趣(ふうしゆ)に富めることは誠(まこと)に後人(こうじん)の及ばざる所であると益〻(ますます)歎(たん)じた次第である。