結縁豆
藥堂語錄
九烟遺集
小さい時『昭代叢書』〔清・張潮等撰。明清時代の随筆・考証を集めた叢書。〕中の『將就園記』〔明・ 黄周星、字九煙(九烟)、号笑庵・而庵、他。「將就」は「まあこんなもの」というような意味という。「デモ庭園記」といった命名。〕を讀み、ひそかに甚だ好ましく思ひ、そのため今に至つてなほ黄九烟の名を覺えてゐる。最近ある書賈から『九烟先生遺集』を見せられた。道光己酉年〔道光二九年(一八四九)〕刊、凡そ六卷、『園記』は卷二の中に在つた。故人に會つたやうな嬉しさでその本を買つた。しかし今讀み返してみるに、大して佳いとも思はれぬ。それでも文中にはやはり佳作もある。桐城派〔清代、安徽省桐城県出身の方苞、劉大櫆、姚鼐らの提唱した新古文運動の流派〕は呉越間の遺老の多く放恣なるを甚だしく憎んでゐるが、九烟の取るべき點も恐らく亦そこ〔放恣を許容する点〕に在らう。『戯れに逆旅主人の爲に皋伯通を責むるの書』は、嬉笑怒罵の妙を盡し、嘉慶道光間〔清代における嘉慶帝の治世(一七九六年〜一八二〇年)から道光帝の治世(一八二〇年〜一八五〇年)にかけての期間。清初の康雍乾盛世の後、経世致用の学と考証学等が盛んになったという。〕の滑稽文盛行の時代〔鏡花縁、閲微草堂筆記、諧鐸等の作品や弾詞・鼓詞等の語り物文芸等が展開した時期という。〕に在つてもこれほどの好い文章は少いかと思はれる。「小引」の言に據れば、この集は『夏爲堂別集』〔黄周星〕に依據して増補を加へたものとのことであるが、今『販書偶記』〔孫殿起。清代から民国にかけての書籍目録〕卷十四の夏爲堂別集の下に附註してある篇目を査べてみるに、今本は大分刪削されたもので、『豈想菴選夢略刻』〔黄周星が夢について記録した書〕一卷の如きは、すでにこの中に收められてゐない。五年前に故友馬隅卿君〔馬廉〕の處で『別集』の寫本を見、借りて來て一通り目を通したことがあり、たしか『情寶詩』七律〔七言律詩〕五首があつたと憶えてゐるが、今それも見えぬ。『選夢略刻』は僅か四十八則、一本を手寫してなほ篋中に藏してゐる。朱日莖の『弁言』〔序、端書の意。〕に「夢約そ一萬、みな咄々叱嗟〔ため息をついて嘆く意か。〕、我々の想像も及ばぬものばかりである。茲に刻したのは未だ全夢ではない」と云つてゐる。案ずるに『遺集』卷一『陶密菴詩序』にも「余もと選夢一卷あり、平生夢の中にて得たる詩文聯額の類を紀せるものにて、凡そ十餘卷」といひ、又、卷二『陶嵾公に寄す』〔陶嵾は陶希聖。公は敬称。〕にも「僕、平生頗る奇夢多し、嘗て夢の中にて見し詩文聯額の類を裒輯し、録して十卷と爲せり。大率自ら作れる者十の七、他人の作を閲せる者十の三」と云つてゐる。蓋し『選夢』の原本は甚だ多かつたので、『略刻』はその一部分に過ぎぬのである。今又これらを悉く刪去してしまつたのは大いに惜しい。しかも後人が先祖の遺集を重刻するのに、ほしいままに去取するといふのも、まことに不敬である。これは極めて卑近な事であるに拘らず、世人が多く了知してゐないのは、どうも可笑しな事だと思ふ。
譯註