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結縁豆

藥堂語錄

後記(こうき)

この數年來(すうねんらい)古い書物をどちらかといへば餘計(よけい)に讀んだのは、その方が手に入れ易(やす)く、價(あたひ)も西洋の本に比べていくらか廉(やす)いからであつた。だがその用途(ようと)はといふとさう鹿爪(しかつめ)らしいもの〔真面目くさったもの、改まったもの〕ではなく、大抵の場合、博奕(ばくえき)に代(か)へるか、或は卷煙草(まきたばこ)のつもりで、聊(いささ)かそれでもつてひまをつぶしただけである。私は葉卷(はまき)は吸(す)へない。十幾歳(じふいくつ)の時に「刀牌(たうはい)」「孔雀(くじやく)」「品海(ひんかい)」〔英日米の紙巻き煙草の銘柄〕といつた煙草(たばこ)を買つて一生懸命に吸ひ習はうとやつてみたが、いつまでたつてもたうとう出來るやうにならず、つひに今日に至つた。恐らく天分(てんぶん)に限られてゐるのであらうか。いつも人がいかにもおいしさうに吸つてゐるのを見ると、非常に羨(うらやま)しい氣がするのだが、これだけはどうすることも出來ない。それでは假(かり)にひまつぶしの書物でもつてこれに代へようといふわけであつたが、讀むべきものが無い時にもやはり往々にして手持(ても)ち無沙汰(ぶさた)で〔なんとはなしに退屈で〕、失癮(しついん)〔阿片が切れた禁断症状〕に似たものがある。そのため本代はどうしても儉約(けんやく)出來ない。しかもその費用は實際卷煙草代を越え、時にはシガー〔葉巻烟草〕と比肩(ひけん)するくらゐになつてしまふ。一部〔一冊〕の書物を讀み了(をは)ると、偶〻(たまたま)一部分でも氣に入つたところがあれば、それで十分滿足する。時に面白くないと思ふことはあつても、別段(べつだん)憎(にく)み嫌(きら)ふといふことはない。古人に對して何(なに)もさう苛酷(かこく)な要求はしなくてもよく、たゞそれが私の一時(かりそめ)の閲讀(えつどく)に供(きよう)せられれば有難(ありがた)いのである。古人は「たゞ眼を遮(さへぎ)ることを圖(はか)るのみ」〔道元「正法眼蔵(しやうぼふげんざう)」で看経(かんきん)について「要遮眼」を説くという。俗事から眼を遮り、内に活眼を開く云々。〕と云つてゐるが、私の氣持もせいぜいそこらあたりである。讀了後(どくれうご)何か感想でもあれば、常に紙片(しへん)を取つてその梗槪(こうがい)を記すことにしてゐるが、長い間に一二百則(そく)もたまつた。新聞をやつてゐる友人が埋草(うめぐさ)に欲(ほ)しいといふので、その中からその時その時に拔書(ぬきがき)して送り、二三年來原稿は殆(ほとん)どもう盡(つ)きようとしてゐる。庸報社(ようほうしや)から求められた分(ぶん)が四五十則あつたのを、先日一册(さつ)に纒(まと)めたいからとの來信(らいしん)で、さつそく承知との返事はしたものの、かうした文章は新しいといふでも古いといふでもなく、今どきの人の眼には入らぬしろもの〔代物〕だ。書物に印刷してみたところで讀む人は少(すくな)からうし、恐らく新聞社の好意(かうい)に負(そむ)くことになるのが落ちであらう。たゞ一事、代(かは)つて廣告(くわうこく)をなすことが出來るのは〔一つだけ広言できることは〕、卽(すなは)ち私は未(いま)だ五戒(ごかい)こそ受けてをらね〔受けていないけれども〕、平生(へいぜい)嘘は決してつかぬといふことで、これを稱(しよう)して「語録」〔本人の言葉をそのまま文章に書きつけたもの〕といつても、自(みづか)ら顧(かへり)みて愧(は)ぢることは無いと信じてゐる。中華民國三十年〔一九四一年〕三月二十四日、知堂(ちだう)〔周作人の号〕題記。