結縁豆
藥堂語錄
夜光の珠
焦南浦〔清・焦袁熹〕著『此木軒雜著』卷一に『南唐の寵姫』といふ一則があり、その前半に云ふ、
宋の大將は南唐後主〔最後の皇帝〕の寵姫を獲た。ところがその女、夜になつて燈を見ると忽ち目を閉ぢて「煙臭い」といふ。そこで蠟燭に代へてやると、「ますます煙臭い」といふ。「宮中では燭をともさなかつたのか」と聞くと、「本閤ではいつも夜になると大きな寶珠を釣りさげた。その光は室ぢう〔ママ。中(ぢゆう)〕を照しわたして、眞畫のやうでした」と答へるのであつた。李氏(南唐後主李煜)は一國の主であり、このやうな豪奢をなしたが、その後、捕へられて京師に監禁の身となり、明けくれ淚で顏を洗つた。運盡きすべてが去つてしまつては、百感の交〻集るのも宜べなるかなである〔もっともなことだ〕。
案ずるにかうした傳說は蓋し「古へより已にこれ有り」である。梁〔南朝梁〕の僧寶唱の編した『經律異相』卷三十六、雜行長者部、「樹提伽、身は人中に生れて天の果報を受く」の二に、『樹提伽經』を引いて云ふ、
進んでその戶に到るに、白銀もて壁と爲し、水精もて地と爲せり。王は水の流るるを見て、進み得ざるかと疑ふ。樹提伽卽ち王の前を導く。戶の中は黃金を以て牀〔寝床〕と爲し、白玉もて几と爲せり。樹提伽の婦は百二十重の金銀の幃帳〔とばり〕を有し、端正雙び無し。王の爲に禮を作すに、眼中より涙出づ。王「卿の婦は我を見て何の愜らぬことかある、眼中より淚出づるは」と問ひ給ふ。答へて言ふ、「王の衣の烟臭きが故に淚出づるなり」と。王「庶民は脂を燃し、諸侯は蠟を燃し、天子は漆を燃す、亦烟無きなり。何とて淚出づるを得んや。」提伽答へて言ふ、「臣が家に明月の神珠あり、堂上に掛くるに、晝夜異ること無く、火の光を須ひず」と。
『千字文』にも「珠は夜光を稱す」とあり、古くからこの説のあつたことが知られる。しかし故事の實例としてはさしづめこの經を以て最も早いと爲すべきであらう。六朝の譯文もたしかに稱讃するに足り、自ら古艶の色を帶びてゐる。後世の傳聞は恐らくこれから出たものと思はれ、殊に烟氣云々の如き、その形跡が甚だ似てゐる。たゞ佛經で長者が前生に於いて布施をなし、身は天堂の供養を受けたと言つてゐるのは、話として本々神怪であるし、仙人の樓居中にかうした照夜の珠があつたとしても、唐突を覺えぬばかりか、いかにも自然であるのだが、それが今、南唐の宮中に移されて來ると、どうも穩當を欠いた感じがする。せめて『漢武故事』〔南北朝、佚名氏〕あたりにでも這入つてゐるのならばまだしもである。といふのが、後世の帝王はもはやこのやうな珍寶を有するほどの仕合せ〔巡り合わせ、機会〕を失つてゐるからで、無論これは必ずしも清の故宮を例證に引いて始めてわかる事ではない。嘗て湖州の友人から聞いた笑話にこんなのがあつた。ある百姓女、朝早くから起きて働きながら、溜息をついていつた。「あゝこれが皇后樣だつたらどんなに樂だらうな、今頃は大方まだ紺麻の蚊帳の中に寢てござつて、これ太監〔宦官〕や、柿を一つちぎつて來て食べさせておくれ、などと云うてなさるぢやろ。」我々は百姓女が自分の主觀でもつて王室の幸福を描いてゐるのを笑つてはならぬ。讀書人が宮中には必ず寶物があるだらうと想像するのも、決して三家村の見識〔学者の浅薄偏狹な見地。三家村は辺陬の集落の意。〕から出たものではないのであつて、かかる處に取捨その中を得ることの亦決して易々たるものでないことがわかるであらう。〔適切な遠近法をもってものを判断することは決して容易なことではない、という意。民俗考証から思想的成見まで幅広く含意しているか。〕