結縁豆
藥堂語錄
松崖詩鈔
『松崖詩鈔』武康の李鍾〔清代、字広文は本文から補う。〕撰。寫本。みな近體詩〔唐以後の格律に適った詩体〕、凡そ一百一首。首葉〔初めのページ〕に印があり、白文で「阮亭梅叔」と讀まれる。最後に墨筆で「甲子〔嘉慶九年(一八〇四)〕冬日、揚州の阮亭梅叔、敬んで武林(杭州)撫院〔巡撫の役所〕の誠本堂にて讀む」と一行の題字があつて、名字の上に印が二つ押され、朱文〔陽刻〕には「仲嘉」、白文〔陰刻〕には「阮亭印」とあるが、どちらも顛倒してゐる。二番目のものの上には「梅叔」とある朱文の印が重ねて押してあるので、重なり合つてゐて一寸には讀みとれない。卷首に赤紙を一枚挾んであるのは、どうやら第二枚目らしく、最初の二字が「鈞誨」〔目上の助言を拝承する意〕となつてゐるのは、勿論上文を承けるものなのであらう。その下に
武康は群山の中に僻在し、輇材諷説〔空疎で浮薄な言説を弄する者〕の士は專ら帖括(八股文)〔八股文の答案をいう。〕に務め、古文を習ふことを以て大愚と爲せり。しかるに廣文は年少にして學を好み、その詩文は天機淸妙、實にこの鄕(武康)僅かに有する所たり。若し夫子の題辭の奬借を蒙らば〔あなた樣のご推薦のお言葉をいただけたなら〕、聞くもの必ずや踵を接して起り、固陋の俗以て小變すべし。伏して求む、賜ふに弁言を以てしその仰慕の意を慰むるを得ば、廣文の幸甚だし、熊飛の幸甚だし。
これは蓋し徐雪廬の手筆であらう。その上から又塗改して草書でかう書いてある。
諷說の士、專ら帖括に務め、古文を習ふを以て大愚なりと爲せり。しかるに今、廣文の詩は頗る陸放翁(陸游)に似、而も胸次は更に芥蒂なし〔胸中少しも濁りがない〕。王右丞(王維)云く、「子の天機淸妙なる者に非ずして、豈能くこの不急の務を以て相邀へんや。然れどもこの中に言趣あり」〔王維「山中与裴秀才迪書」。春山の遊びというような不要不急のことにこそ言外の深趣があるが、生得清妙の士でなければ、お誘いはしない、というほどの意。〕と。吾、廣文の詩に於いて亦しか云ふ。嘉慶甲子〔嘉慶九年(一八〇四)〕。揚州の阮元序。
白文の印には「伯元」(阮元の字)とある。案ずるに阮君は『兩浙輶軒錄』〔両浙は錢塘江の東西(浙東・浙西)を合わせた浙江省全体の称呼。〕を編集して、辛酉・癸亥〔嘉慶六年(一八〇一)から同八年(一八〇三)〕に成つたが、この書は上呈するのが少し遲れたのと、また生存者のものは收めぬのが例であつた爲に、選に入らなかつたのである。但し潘譯琴編『續錄』及び『補遺』合せて六一卷は、九十年後のものであるのに、やはり收めてゐないのは、何故であるか知らぬ。傳寫本が多からざりし爲、採訪者がこれを見なかつたのではあるまいか。徐雪蘆著『春雪亭詩話』はなかなか面白く、小引に據れば恐らく嘉慶乙丑〔嘉慶一〇年(一八〇五)〕に作られたものである。その中によく故人の詩句が引いてあるが、それにも松崖のことには觸れてない。とすれば松崖の詩は眞にこの一册中に在るのではあるまいか。私は詩は分らぬ、がその多く眞率な處を愛する。又よく酒について言つてゐるのは、どうやら本當に酒が好きな人であつたらしく、普通の詩材と同じくないやうである。『地を避く』五律〔五言律詩〕の中に「市近くして親ら酒を賖ひ、村荒れて寄せて魚を賣る」といひ、また「酒債急に須らく償ふべし」とか「酒債多く積むを嫌ふ」といつた句があり、賖(掛買ひ)〔前借りで買うこと〕したのは恐らく事實なのであらう。その自ら廣文先生の生活を咏じた七律〔七言律詩〕の中に、「酒を喜びて妻の對酌するを嫌はず」と云つてゐるのは、詩として見てはどうであるか知らぬが、この語は要するに極めて佳い、殆ど自らその眞趣を得たるものと謂つてよからう。