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助字 卷一

助字の扉

 

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助字 卷之一

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標目

            〔句尾〕(*割注)            ムシロ 

助字 卷之一

肥後 介石 撰
唐の韓昌黎・柳宗元等は世のために文宗と稱せらるすら、猶アヤマチあるもの。この助字に暗きが致すところなり。是を以て慨歎こゝに息まず、遂にこの助字を著はし、上六書にさかのぼり下和訓に渉り、一助字に於て且らく體と用と、及び和訓との三を分て、竟にその旨一致ならしめ、以て古來の謬りをタメナホして助字の眞面目を表はさんと欲す。(*括の意。)
[標目]

矣は語の截斷するところに用る辞なり。何を以て知る。矣の字はシタガ矢。は正くは耜の旁の上のコがヿになった形につくるべし。之を篆文に逆S字形につくるべし。これは語氣の口より出る形なり。矢はなり。箭は一には行くこと直し、二には(*去カ)ことハヤし。故に語氣の口より出ること箭の如く直くして箭の如く疾きを矣といふ。是れ徐鉉等が矣クシテキノ之義、今試言ハヾ、則出氣直而疾といへる意なり。語氣の口より出ること箭の如く直くして箭の如く疾しとは、語氣截れヲハりてそのアトにつがざることなり。語氣アトにつがずとは、是れ語の言ひ截れることなり。 コヽを以て矣の字を語の截斷するところに用る辞とす。是れ説文、及び六書(*魏校「六書精蘊」)等に矣語已辞也といへる意なり。語已とは、是れ語の截斷することなり。夫れ和語の別に五種あり。一には將然言、二には連用言、三には截斷言、四には連體言、五には已然言、この中第三の截斷言のあるべきところに於て、この矣の字を用うべきことなり。必然ラン、至レバサリ、門已タリアヤマテリ、老タリ。如此右の傍行ワキクダリ(*原文左ルビ)に和字を以て点をツケ、試に和語を以て矣の字にアテヽみるに、矣の字の有るべきところには、必ず和語の截斷言を以て讀むなり。是を以て矣の字は語の截斷するところに用うべき辞なること弥〳〵明なり。 時にこの矣の字を截斷言とするは、語のウヘにあり、句のことには非ず。何となれば、句は語よりも寛し、語は句よりも狹し。故に句の中には語を収むれども、語の中には句をヲサメず。故に矣の字はたゞ句尾のみならず、亦句腹にも用ゐたり。孟子に死矣成盆括といひ、論語に鮮矣有ルコト仁といへる如きは、矣の字を句腹に用ゐてあり。句腹は是れ語なり、句にはあらず。然にその句腹にこの截斷言たる矣の字を用ゐたれば、矣は是れ語の截斷する辞にて、句の截斷する辞に非ずと知るべし。 問ふ、柳宗元はこの矣の字を注して決斷辞とす。この説是耶非耶。答ふ、非なり。何を以て非なりとす。曰く、矣の字はその義語の截斷するところに用うべき辞なることは、上に已にその字體に就て辨じたるが如し。それ語の截斷する辞とは、義の截斷する辞に同じからず。〔語と義とは別なり。故にえら(*選り分ける意)。〕然に決斷とは義を決斷することなり、語のことにはあらず。矣の字は語にかゝり、決斷は義にかゝるものなれば、矣の字と決斷辞とは語と義との別あり。而るに矣の字を注して決斷辞とするは、是れ義と語とを謬りタガへり。是れその説の非なるゆへんなり。 問ふ、語と義とはいかなる別かある。答ふ、語は是れ言なり。は義をよく言ひ顯はし、義は言のために言ひ顯はさる。釋典にこのとの別を分て、之を能・所となづく。そのとはなり、そのとは義なり。は能くをいひ顯はす故にと名け、のためにルヽハサゆへにと名く。タトへば書を講ずるに、その講辨のコトバと名け、亦之をと名く。そのコトバに言ひ顯はさるゝところの書のワケを義と名け、亦は所(*傍線ナシ)といふ。是れ語と義と別なるゆへん(*ママ)なり。 問ふ、言と義とは水火の如くその体異なるものに非るべし。何となれば、ひとりあるに非ず、義ひとり有るに非ず。は必ずを帶てあり、は必ずによりて顯はるゝものなれば、の外に別に義なし、ソノマヽ義といふべし。タトへばマツと呼べるは、マツといふを帶びて、餘のナミ等と呼べるウヘに通ぜず。然らば、とを別つて以て柳宗元を破斥するは、その理なきに似たり。是れいかん。こたふ、然らず。まつと呼べるマツマツの兩字に通じ、なみと呼べる言はナミナミの兩字に通ず。而るに、マツといふ義はマツの義に通ぜず。又ナミといふ義はナミの義に通ぜず。故には自他に渉りてヒロく通じ、は自のみに限りて是れ狹し。然らば、とは寛・狹の別あり、又能・所の別あり。混じて一とすべからず。柳宗元が言を以て義に混じ、矣の字を注して決斷辞とするもの謬なきことを得ず。 問ふ、矣の字はたゞ音のみ有てその訓なきはいかん。答、矣の字はもと一音にして、異音に亙らざる字性なるゆへ、たゞ音のみありて訓なし。問ふ、何を以て矣の字は一音にして異音に亙らざる字性なることを知る。答ふ、矣の字は語氣の口より出ること矢の如く直くして、矢の如く疾速なる義なることは上に已に辨ずるが如し。語氣の口より出ること矢の如く直くして矢の如く疾速なるとは、即ち是れ音聲の口より出ること矢の如く直くして速疾なる義なり。〔語氣は音聲のことゝすべし。〕音聲の口より出ること矢の如く直くして速疾なるときは、その音聲たゞ一音にして異音にワタらず。〔一音とは、阿といふが如く、たゞその阿の一音なるをいふ。異音とは、阿伊宇江於等の異なる音のうへに轉ずるをいふ。〕異音なるものは前音より後音に連なり、後音より後々音に連なれば、その前音の韻後ヒヾキアトに引て後音につゞき、後音の韻後ヒヾキアトに引て後々音につゞく。由て異音に渉る音聲は、一にはユルやかに出でゝハヤからず、二には屈曲カヾミマガル(*原文左ルビ)して直からず。〔異音に轉ずるものは、たとへば詳の字をつまびらかと訓ずるが如し。の音よりの音に轉じ、の音よりの音に轉じ、の音よりの音に轉じ、の音よりの音に轉ず。如此異音に轉ずる聲は、かの聲よりこの聲に移る。替りのとき、その聲が折れて屈まるなり。折れて屈まるゆへにその聲直きことを得ず。是れ異音に轉ずるものは屈み曲りて直からずといふゆへんなり。一音なるものはこの聲移り替ることなければ、たゞ一筋ひとすぢにして直ほなり(*ママ)。故に一音なるものはその聲直くして屈曲なし。〕一音なるものは前音の後音に連なり、後音の後々音に連なることなければ、前音のアトヒヾキを引かず。故に一音にして異音に轉ぜざる音聲は、一にはハヤくしてユルやかならず、二には直くして屈み曲がることなし。〔詳の字をつまびらかといふが如く、異音にわたる聲は先づの音よりの音にうつるとき、の音の後に又ヒヾキありてつうとその聲を長く引て緩るやかに出づ。の音よりの音に移るとき、そのの音のアトヒヾキありてまあとその聲を長く引てゆるやかに出づ。の音よりの音に移るとき、そのの音のアトの韻(*原文ルビなし)ありてびいと長く引てその聲ゆるやかに出づ。の音よりの音に移るとき、の音のあとヒヾキありてらあと長く引てその聲ゆるやかに出づ。故に異音相ひ連なり出るものは前音のあとにヒヾキを引て後音にうつれり。若しつまびらかの五字を離して別々に呼ぶときは、是れ一音なるゆへ、あとにヒヾキを引かず。コヽを以て一音なるものはアトヒヾキを引ずといふ。〕矣の字はこの二義を存ず。聲急に出ること矢の如くなるゆへ、アトヒヾキを引ず。アトヒヾキを引ざるゆへに一音とす。又聲矢の如く直く出でゝ屈み曲ることなきゆへ異音にわたらずとす。是れ矣の字は一音にして異音にわたらずといふ所以なり。一音にして異音にわたらざる字體なるゆへ、矣の字を音のみありて訓なしとす。 問ふ、一音にして異音に轉ぜざれば、何故にたゞ音のみにして訓を施さられ(*ママ)ざるや。答、音はたゞ一音の上にあり、訓は異音相連なる上にあり。たとへば詳の字をつまびらかと訓ずるが如し。是れの音との音との音との音との音との五箇の異音に轉ぜり。それ訓は如此必ず異音にわたれば、たゞ一音にして異音にわたらざるものは訓とは名けず。今この矣の字は一音にして異音にわたらざるところの字体なるゆへ、訓を施すべからず。 問ふ、訓は何故に異音にわたり、音は何故に一音にかぎるや。答、音は物柄モノガラを言ひあらはすものにあらざるユヘ、たゞ一音にかぎれり。訓はよく物柄コトガラ(*ママ)を言ひあらはすべきあるを以て異音にわたれり。何となれば、詳の字をつまびらかと訓ずるが如し。是れ五箇の異音あつめ合はせて一箇の訓と仕立シタテ揚げたるとき、詳は是れ審詳の義なることを知る。若しこの五箇の異音分てとを別々に呼ばゝ、是れ一音にして物柄コトガラを言顯はすこと能はざれば、たとへば風聲や河聲の如し。故に音は一音にかぎり、訓は異音にわたるといふ。 問ふ、喚の音をクハンと名け、畫の音をクハクと名くる如きは、そのオン異音に轉ず。然らば、音も亦異音にわたるに非ずや。何ぞ音は異音にわたらずといふ。答、喚の音・畫の音の如きは、是れ異音に轉ずるには非ず。異音相よりて一音を成す。たとへば是れ五味酢甘辛苦〕相ひよりて一味を成すが如し。故にクハンの音・クハクの音は是れ一音なり。一音なるゆへ物を言ひあらはすのなし。たとへば陶器ヤキモノ鑄物イモノの類をる音はクハンと鳴り、鍬鋤スキクハ(*ママ)を地に穿ち入るゝオトクハクと鳴れども、物を呼びあらはすこと能はざるが如し。 問ふ、菜をと名け、葉をと名けたる如きは、その訓たゞ一音にして異音にわたらず。然らば、訓も亦一音のウヘにあり。何ぞ訓は一音の上になしといふや。答、案ずるに、和語を以て漢字に訓を施すに五種の別あり。一には自然の訓、二には契約の訓、三には合成の訓、四には音轉の訓、五には畧語の訓。先づその自然の訓とは人爲ヒトワザ(*原文左ルビ)を以て名けたる訓にあらず、その物・その事に自然に備はる訓なり。嗟鳴等にあゝと名けたる如し。人の歎息の聲は自然にあゝと出づ。又鶴をつると名け、雁をかりと名けたる如し。鶴や雁の體に、自然に備はるところのカレが鳴き聲なり。又矢をやと名けたる如し。是れ矢を射る掛け聲はやぁと自然に出ればなり。之を自然の訓と名く。二に契約の訓とは、それ和語を以て漢字に訓を施すに、ワケを以て名くべきものあり、ワケを以て名くべからざるものあり。そのワケを以て名くべからざるものに於ては、之には何某ナニといふ名を施さんと契約ヤクソク(*原文左ルビ)して設けたる訓を契約の訓と名く。たとへば町家のものゝ、その一家限りに家内のもの同士ドウシ契約ヤクソク(*「契約」原文左ルビ)して、賣物の符牒フテウの名を設くるが如し。菜をと名け、葉をと名けたる如きもの、即ちこの契約の訓なり。三に合成の訓とは、自然の訓、又は契約の訓、又は音轉の訓等を合はせ集めて成するところの訓なり。タトへば螢をほたると名け、汀をみぎはと名けたる類なり。ほたるとは火垂ヒタル〔ヒとホとは相通ずる音なり。〕の義、これはの訓と垂の訓と合はせて成すところの訓なり。又みぎはとは水際ミヅギハの義、これはミヅの訓と際の訓とを合はせせる訓なるゆへ、之を合成の訓と名く。この合成の訓はその名くべきワケを以て施せる訓なり。四に音轉の訓とは、オンのそのまゝを轉じて訓となすものなり。之に凡そ二種あり。一には漢音を轉じて訓となすあり。ブンふみと名け〔古今集以前にはの字なし。故に文の音をフミと名け、の音をせみ(*原文傍線ナシ)と名け、錢の音をゼニと名け、蘭の音をラニ(*原文傍線ナシ)と名けたり。〕せみと名け、錢をぜにと名けたる類、是なり。 二には梵語テンヂクコトバ(*原文左ルビ)を以て訓としたるあり。猿をましらと名け〔實字(*未刊)猿の下の解に見ゆ〕、父をちゝと名けてゝと名ける〔實字父の下の解にみえたり。〕類是なり。これは天竺の音のまゝを轉じて訓としたるなり。又鴨をあひると名けたる如きは亞弗利加アフリカの國名の音を轉じて訓とすれば〔鴨はもと亞弗利加國よりわたりし鳥ゆへ、その國名を以て名けたり。〕(*頭注)、これ等も亦音轉訓の中に類して収むべし。五に畧語の訓とは、既に物に名け事に名けたる訓の語を省略して名けたる訓なり。見の字は具さにはみると名べきをその語を略して□□(*原文長方形ルビ)と名け、簸(*原文「皮」を「欠」に)の字は具さにはひると訓ずべきを、そのコトバを略して□□(*原文長方形ルビ)と名くるの類、是なり。 この五種の訓の中に、餘の四訓はワケを以て名けたる訓に非れば、たとひ一音たりとも訓を成ず。たゞ合成の訓ひとりワケを以て名けたる訓なれば、異音相よりて訓を成す。一音にては訓を成する(*ママ)義なし。今この矣の字は一音にて異音にわたらざる字體ゆへ、たゞオンのみありて訓なしといふは、五種の訓の中に合成の訓を以ていへり。更に多端の問答すべきことあり。煩を厭ふて之を略す。 問ふ、六書正僞(*呉元満「六書正義」カ)によれば、矣は箭鏃ヤジリの形に象れる字とす。然らば、矣はやじりと訓ずべし。何ぞ矣は音のみありて訓なしといふことを得んや。答、矣を箭鏃ヤジリとすることは經書・歴史・ゥ子百家の上にみえざることなり。又かの六書正僞に矣の篆文を逆S字型+竪棒+下開半月形+兀につくり、カシラ逆S字形を以て矢尻ヤジリのところとせり。然らば、矢尻ヤジリを屈みマガれる形とすべし。矢尻ヤジリもし屈み曲らば、物にアタりてヤブり穿つこと能はざるべし。矢尻もし物を傷らずんば、その矢尻は何の用をかなす。又かの六書正僞に、初には矣は象形といひ〔矢尻の形に象るを象形といふ〕、後には諧聲とす〔矣は从がひ矢、聲といふは、是れ諧聲なり〕。是れ自言が自言と齟齬せり。如く此六書正僞には三箇の失あれば、矣を箭鏃と注したるは是れ謬りなり。この六書正僞の謬り、本づくところは鏃の字の族に从へるを以てなり。何となれば、族は族から矢を取った形に从ひ矢に从へることを彼れ知ずして、族は方に从ひ矣に从へるものと思ひ謬りたり、とみえたり。然に、族は方に从ひ矣に从ふには非ず。是れ族から矢を取った形に从ひ矢に从へるなり。族から矢を取った形ハタの形に象れる字なり。故に旌・旗・旃・等みな族から矢を取った形に从へり。之を以てかの六書正僞の六書に疎きことを知るべし。然れば、矣はやじりと訓ずべからず。是を以て矣はたゞ音のみありて訓なしと知るべし。我邦の古人、この矣の字を注してたゞ既往・將來のみにかゝる字といへども、現在の上に用ゐたる古例多し。又明幽兩界の中にはたゞ幽界のみに用る字といへども、亦明界の上に用ゐたる例多し。そのウヘこの矣字を如此注するは矣の字體・字義に於て毫もよるところなし。この外種々の説あり。みな暗索メクラサグリ(*原文左ルビ)のことのみ。字義によるものなし。

[標目]

兮は前語絶んと欲して後語をナカダチして引き發す(*ママ)辞なり。何を以て知る。兮はシタガ八从。八は分破の義、は从丂の一を欠く形。一は物横たはりて障りとなる形なり。丂の一を欠く形は篆文に縦の波形につくるべし。これは語氣の口より屈み曲りて出る形なり。故に語氣物にへられてノブること能はざるをといふ。由て兮の字は物に礙へられて出難デカヌところの語氣を分破してよく引き發す(*ママ)の義なり。この意よりして兮を前の語絶へんと欲するとき後の語を引き發すべき辞とす。楚辞の九歌にスツ兮江中、オク浦といへる如きは、上の句は捐の字にて語氣絶へんと欲す(*ママ)故に兮の字を置て下の江中の語を引き發し、下の句は遺の字にて語氣絶へんと欲す故に兮の字を置て下の浦の語を引き發すなり。問ふ、上の語氣絶へんとするとき、兮の字を置て媒して下の語を引き發す(*ママ)はいかなる意味なりや。答、上の語のヒヾキ〔聲の初を音といひ、聲の後を韻といふ。〕を長く引て以て後の語を引き發す(*ママ)なり。楚辞に捐兮江中、遺浦といへる如き、上の句の捐の字の訓のヒヾキを長く引てスツルと讀めば、そのヒヾキウチに下の江中の語が自然に浮び出るなり。又下の句の遺の字の訓のヒヾキを長く引てオクルと讀めば、そのヒヾキウチに下の浦の語が自然に浮び出るなり。たとへばモノイはんとしてそのコトバ出難デカヌルときに、或はヱヽと言ひ或はアヽと言ふて、その聲のヒヾキを長く引けば、則ちヒヾキを長く引く中に自然にアトの語が浮び出るが如し。由て言ひ絶んとする最後のコトバヒヾキを長く引てアトコトバを引き發すは是れ兮の字の媒妁ナカダチ(*原文左ルビ)によれり。之を以てみるに、矣の字と兮の字との別が尚更ナホサラ分明に知らるゝなり。何となれば、矣の字は語氣の矢の如くハヤく出てる義なるゆへに、語の言ひるゝ(*ママ)ところに用る辞とし、兮は前の語のヒヾキを長く引てユルやかなる意味あるゆへに、前の語の絶んとするとき媒して後の語を引き發す辞とす。然れば、矣と兮とは語の續くと截るゝとの別あり。 説文に云く、兮ルナリカンガフ(*左ルビ「トヾマル」)也、稽ナリ也、考ナリ也。この兮の字は前の語のヒヾキを長く引て、或はヱヽといひ或はアヽなどゝ、その聲が一音の上に留て後の語を考へ出すの義あることを注して説文に如此いへり。 問ふ、兮の字の句中にあるものは後の語を引き發す辞ともいふべし。句尾にあるものは、後に引き發すべき語なければ、後の語を引き發す辞といふべからず。答ふ、句にして尾にあるときは、後に引き發すべき語はなけれども、後の語を引き發すべき餘意を含めり。之を言ひフクめの兮といふ。例せば、而の字は上を承け下に接すべき辞なれども、句尾にあるものは下の語に接すべき餘意をフクめるが如し。句尾の而は之を言ひ含めの而といふ。〔言ひふくめの而といふことは、下の而の字の解にみえたり。〕 問ふ、兮の字はたゞ音のみありてその訓なきはいかん。答、兮の字は前の語より後の語に移るとき、その前の語のヒヾキを長く引てアヽといひヱヽなどゝいふて、同音〔同音と一音とは是れ別なり。一音とは一个の音なり。同音とは同じき音の多くつゞくことなり。〕(*頭注)の上に留て異音の上に轉ぜず。故に音のみありて訓なし。〔異音に轉ぜざるものにはその訓なしといふこと、上の矣の字の下の解中にみえたり。〕(*割注)

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也はオノレつかさどるところのことを守て他にマギルヽ(*原文左ルビ)ぜざらしむる辞なり。何を以て知る。也は六書(*魏校)によるに、大篆に○に逆さ爪の形につくる、小篆に○に逆さ入の形につくる、秦の石刻には廿に尾の形につくるといへり。今案ずるに、也は篆文に○に逆さ入の形につくるべし。これは筆道の便利に從てタテにつくれども、その實は横に○に入の形につくるべし。〔筆道の便利によりて竪を横とし、横を縦とし、斜を正とし、正を斜とするの例多し。目は目を横に臥せた形につくり、豕・豸は豕を横に伏せた形豸を横に臥せた形につくるべきを、今これ筆法の便利によりて目につくり、豕をに伏せた形、二画欠(*ママ)・豸につくるが如し。〕之を圖に冩さば注口器・半挿の形の形につくるべし。これは水注ミヅツギの形、新定三禮圖(*聶崇義)〔匜は古は也につくる。後世也は助字に借り用るゆえ、也に匚を加へて匜り(*ママ)以て也と匜とを分てり。〕の形を脚付き注口器・半挿の形につくり、これは盥手澆水の器テヲアラフトキミヅヲカケルウツハ(*原文左ルビ)なりといへり。由て也の字はもと水器の名なり。 それ水器はオノレ主るところの水を守て他の水に濫ぜざらしむるものなり。この意より轉じてオノレ主るところの事を守て他に濫ぜざらしむる辞とす。それ器はいづれも己が貯へるシナを守るものなれども、水器ひとりオノレ貯へる物を守て他に濫ぜざらしむるのすぐれたり。何となれば、金や石や、或は米などの如く、そのカタチ堅くして粒立ツブダチたるものは、カレコレと一處におけども自他の別を失はずして、オノレ他のシナマギルヽ(*原文左ルビ)ずることなし。水は然らず。タトひ之を分て別處におくとも、終に一處に混じ來て自他の別をなすこと能はず。しかるに之を水器に入れおくとき、その水器に制せられて、器中の水と器外の水と相濫ずることなし。是を以てさま〴〵の器ある中に水器ひとり己れたくはへるところのものを守て他に濫ぜざらしむるのすぐれたり。是れゥ器の中にひとり水器を以て之を助字に借り用ゐて、己れ主るところのものを守て他に濫ぜざらしむる辞とするゆへんなり。タトへば、此花ナリ也といへば、この也の字はたゞ桃といふ一分を主り守て、他の梅・梨等の花に濫ぜざらしむるなり。説文に也を女陰と注したるは、たゞ字義にあづからざるのみならず、亦古典に見えざる説なり。

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はものをえらび出すの辞なり。何を以て知る。は从白。は老の省きなり。〔字書みな者を老部にのするは、老の省きに从へるゆへんなり。〕白は白髪なり。〔者に从へたる白を白髪のことゝするは、皆に从へたる白を白髪のことゝするが如し。〕(*頭注)故に老て白髪となれるをといふ。白髪のものはK髪のものゝ中にありてことに人の目にタツゆへ揀び出し易し。この意よりしてを揀び出す辞とす。

        
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