矣は語の截斷するところに用る辞なり。何を以て知る。矣の字は
从ヒレ厶从
フレ矢。
厶は正くは
につくるべし。之を篆文に
につくるべし。これは語氣の口より出る形なり。矢は
箭なり。箭は一には行くこと直し、二には
厺る
(*去カ)こと
疾し。故に語氣の口より出ること箭の如く直くして箭の如く疾きを矣といふ。是れ徐鉉等が矣
者直
クシテ疾
キノ之義、今試言
ハヾ、則出
ル氣直而疾といへる意なり。語氣の口より出ること箭の如く直くして箭の如く疾しとは、語氣截れ
卒りてその
後につがざることなり。語氣
後につがずとは、是れ語の言ひ截れることなり。
是を以て矣の字を語の截斷するところに用る辞とす。是れ説文、及び六書
縕(*魏校「六書精蘊」)等に矣
者語已
ル辞也といへる意なり。語已
ルとは、是れ語の截斷することなり。夫れ和語の別に五種あり。一には將然言、二には連用言、三には截斷言、四には連體言、五には已然言、この中第三の截斷言のあるべきところに於て、この矣の字を用うべきことなり。必然
ラン矣、至
レバ則
行ヌ矣、門已
ニ閉
タリ矣、
過テリ矣、老
タリ矣、
不レ來
矣、
不レ忘
矣。如
レ此右の
傍行(*原文左ルビ)に和字を以て点を
施、試に和語を以て矣の字に
配みるに、矣の字の有るべきところには、必ず和語の截斷言を以て讀むなり。是を以て矣の字は語の截斷するところに用うべき辞なること弥
〳〵明なり。
時にこの矣の字を截斷言とするは、語の
上にあり、句のことには非ず。何となれば、句は語よりも寛し、語は句よりも狹し。故に句の中には語を収むれども、語の中には句を
孕ず。故に矣の字はたゞ句尾のみならず、亦句腹にも用ゐたり。孟子に死矣成盆括といひ、論語に鮮
シ矣有
ルコトレ仁といへる如きは、矣の字を句腹に用ゐてあり。句腹は是れ語なり、句にはあらず。然にその句腹にこの截斷言たる矣の字を用ゐたれば、矣は是れ語の截斷する辞にて、句の截斷する辞に非ずと知るべし。
問ふ、柳宗元はこの矣の字を注して決斷辞とす。この説是
カ耶非耶。答ふ、非なり。何を以て非なりとす。曰く、矣の字はその義語の截斷するところに用うべき辞なることは、上に已にその字體に就て辨じたるが如し。それ語の截斷する辞とは、義の截斷する辞に同じからず。
〔語と義とは別なり。故に揀ぶ(*選り分ける意)。〕然に決斷とは義を決斷することなり、語のことにはあらず。矣の字は語にかゝり、決斷は義にかゝるものなれば、矣の字と決斷辞とは語と義との別あり。而るに矣の字を注して決斷辞とするは、是れ義と語とを謬り
差へり。是れその説の非なるゆへんなり。
問ふ、語と義とはいかなる別かある。答ふ、語は是れ言なり。
言は義をよく言ひ顯はし、義は言のために言ひ顯はさる。釋典にこの
言と
義との別を分て、之を能・所と
名く。その
能とは
言なり、その
所とは義なり。
言は能く
義をいひ顯はす故に
能と名け、
義は
言のために
所二言
ヒ顯
ハサ一ゆへに
所と名く。
設へば書を講ずるに、その講辨の
語を
言と名け、亦之を
能と名く。その
語に言ひ顯はさるゝところの書の
訳を義と名け、亦は所
(*傍線ナシ)といふ。是れ語と義と別なるゆへん
(*ママ)なり。
問ふ、言と義とは水火の如くその体異なるものに非るべし。何となれば、
言ひとりあるに非ず、義ひとり有るに非ず。
言は必ず
義を帶てあり、
義は必ず
言によりて顯はるゝものなれば、
言の外に別に義なし、
言即義といふべし。
設へば
松と呼べる
言は、
松といふ
義を帶びて、餘の
浪等と呼べる
言の
上に通ぜず。然らば、
言と
義とを別つて以て柳宗元を破斥するは、その理なきに似たり。是れいかん。
答、然らず。
まつと呼べる
言は
松・
待の兩字に通じ、
なみと呼べる言は
浪・
竝の兩字に通ず。而るに、
松といふ義は
待の義に通ぜず。又
浪といふ義は
竝の義に通ぜず。故に
言は自他に渉りて
寛く通じ、
義は自のみに限りて是れ狹し。然らば、
言と
義とは寛・狹の別あり、又能・所の別あり。混じて一とすべからず。柳宗元が言を以て義に混じ、矣の字を注して決斷辞とするもの謬なきことを得ず。
問ふ、矣の字はたゞ音のみ有てその訓なきはいかん。答、矣の字はもと一音にして、異音に亙らざる字性なるゆへ、たゞ音のみありて訓なし。問ふ、何を以て矣の字は一音にして異音に亙らざる字性なることを知る。答ふ、矣の字は語氣の口より出ること矢の如く直くして、矢の如く疾速なる義なることは上に已に辨ずるが如し。語氣の口より出ること矢の如く直くして矢の如く疾速なるとは、即ち是れ音聲の口より出ること矢の如く直くして速疾なる義なり。
〔語氣は音聲のことゝすべし。〕音聲の口より出ること矢の如く直くして速疾なるときは、その音聲たゞ一音にして異音に
亙らず。
〔一音とは、阿といふが如く、たゞその阿の一音なるをいふ。異音とは、阿伊宇江於等の異なる音のうへに轉ずるをいふ。〕異音なるものは前音より後音に連なり、後音より後々音に連なれば、その前音の
韻後に引て後音につゞき、後音の
韻後に引て後々音につゞく。由て異音に渉る音聲は、一には
緩やかに出でゝ
疾からず、二には
屈曲(*原文左ルビ)して直からず。
〔異音に轉ずるものは、たとへば詳の字をつまびらかと訓ずるが如し。つの音よりまの音に轉じ、まの音よりびの音に轉じ、びの音よりらの音に轉じ、らの音よりかの音に轉ず。如レ此異音に轉ずる聲は、かの聲よりこの聲に移る。替り目のとき、その聲が折れて屈まるなり。折れて屈まるゆへにその聲直きことを得ず。是れ異音に轉ずるものは屈み曲りて直からずといふゆへんなり。一音なるものはこの聲移り替ることなければ、たゞ一筋にして直ほなり(*ママ)。故に一音なるものはその聲直くして屈曲なし。〕一音なるものは前音の後音に連なり、後音の後々音に連なることなければ、前音の
後に
韻を引かず。故に一音にして異音に轉ぜざる音聲は、一には
疾くして
緩やかならず、二には直くして屈み曲がることなし。
〔詳の字をつまびらかといふが如く、異音にわたる聲は先づつの音よりまの音にうつるとき、つの音の後に又うの韻ありてつうとその聲を長く引て緩るやかに出づ。まの音よりびの音に移るとき、そのまの音の後にあの韻ありてまあとその聲を長く引てゆるやかに出づ。びの音よりらの音に移るとき、そのびの音の後にいの韻(*原文ルビなし)ありてびいと長く引てその聲ゆるやかに出づ。らの音よりかの音に移るとき、らの音の後にあの韻ありてらあと長く引てその聲ゆるやかに出づ。故に異音相ひ連なり出るものは前音のあとに韻を引て後音にうつれり。若しつまびらかの五字を離して別々に呼ぶときは、是れ一音なるゆへ、あとに韻を引かず。是を以て一音なるものは後に韻を引ずといふ。〕矣の字はこの二義を存ず。聲急に出ること矢の如くなるゆへ、
後に
韻を引ず。
後に
韻を引ざるゆへに一音とす。又聲矢の如く直く出でゝ屈み曲ることなきゆへ異音にわたらずとす。是れ矣の字は一音にして異音にわたらずといふ所以なり。一音にして異音にわたらざる字體なるゆへ、矣の字を音のみありて訓なしとす。
問ふ、一音にして異音に轉ぜざれば、何故にたゞ音のみにして訓を施さられ
(*ママ)ざるや。答、音はたゞ一音の上にあり、訓は異音相連なる上にあり。たとへば詳の字をつまびらかと訓ずるが如し。是れ
つの音と
まの音と
びの音と
らの音と
かの音との五箇の異音に轉ぜり。それ訓は如
クレ此必ず異音にわたれば、たゞ一音にして異音にわたらざるものは訓とは名けず。今この矣の字は一音にして異音にわたらざるところの字体なるゆへ、訓を施すべからず。
問ふ、訓は何故に異音にわたり、音は何故に一音にかぎるや。答、音は
物柄を言ひあらはすものにあらざる
故、たゞ一音にかぎれり。訓はよく
物柄(*ママ)を言ひあらはすべき
能あるを以て異音にわたれり。何となれば、詳の字を
つまびらかと訓ずるが如し。是れ五箇の異音あつめ合はせて一箇の訓と
仕立揚げたるとき、詳は是れ審詳の義なることを知る。若しこの五箇の異音分て
つと
まと
びと
らと
かとを別々に呼ばゝ、是れ一音にして
物柄を言
ヒ顯はすこと能はざれば、たとへば風聲や河聲の如し。故に音は一音にかぎり、訓は異音にわたるといふ。
問ふ、喚の音を
クハンと名け、畫の音を
クハクと名くる如きは、その
音異音に轉ず。然らば、音も亦異音にわたるに非ずや。何ぞ音は異音にわたらずといふ。答、喚の音・畫の音の如きは、是れ異音に轉ずるには非ず。異音相よりて一音を成す。たとへば是れ五味
〔醎酢甘辛苦〕相ひよりて一味を成すが如し。故に
クハンの音・
クハクの音は是れ一音なり。一音なるゆへ物を言ひあらはすの
能なし。たとへば
陶器・
鑄物の類を
破る音は
クハンと鳴り、
鍬鋤(*ママ)を地に穿ち入るゝ
音は
クハクと鳴れども、物を呼びあらはすこと能はざるが如し。
問ふ、菜を
なと名け、葉を
はと名けたる如きは、その訓たゞ一音にして異音にわたらず。然らば、訓も亦一音の
上にあり。何ぞ訓は一音の上になしといふや。答、
石案ずるに、和語を以て漢字に訓を施すに五種の別あり。一には自然の訓、二には契約の訓、三には合成の訓、四には音轉の訓、五には畧語の訓。先づその自然の訓とは
人爲(*原文左ルビ)を以て名けたる訓にあらず、その物・その事に自然に備はる訓なり。嗟鳴等に
あゝと名けたる如し。人の歎息の聲は自然にあゝと出づ。又鶴をつると名け、雁をかりと名けたる如し。鶴や雁の體に、自然に備はるところの
彼が鳴き聲なり。又矢をやと名けたる如し。是れ矢を射る掛け聲はやぁと自然に出ればなり。之を自然の訓と名く。二に契約の訓とは、それ和語を以て漢字に訓を施すに、
訳を以て名くべきものあり、
訳を以て名くべからざるものあり。その
訳を以て名くべからざるものに於ては、之には
何某といふ名を施さんと
契約(*原文左ルビ)して設けたる訓を契約の訓と名く。たとへば町家のものゝ、その一家限りに家内のもの
同士契約(*「契約」原文左ルビ)して、賣物の
符牒の名を設くるが如し。菜を
なと名け、葉を
はと名けたる如きもの、即ちこの契約の訓なり。三に合成の訓とは、自然の訓、又は契約の訓、又は音轉の訓等を合はせ集めて成するところの訓なり。
設へば螢を
ほたると名け、汀を
みぎはと名けたる類なり。
ほたるとは
火垂〔ヒとホとは相通ずる音なり。〕の義、これは
火の訓と垂の訓と合はせて成すところの訓なり。又
みぎはとは
水際の義、これは
水の訓と際の訓とを合はせ
成せる訓なるゆへ、之を合成の訓と名く。この合成の訓はその名くべき
訳を以て施せる訓なり。四に音轉の訓とは、
音のそのまゝを轉じて訓となすものなり。之に凡そ二種あり。一には漢音を轉じて訓となすあり。
文を
ふみと名け
〔古今集以前にはんの字なし。故に文の音をフミと名け、蟬の音をせみ(*原文傍線ナシ)と名け、錢の音をゼニと名け、蘭の音をラニ(*原文傍線ナシ)と名けたり。〕蟬を
せみと名け、錢を
ぜにと名けたる類、是なり。
二には
梵語(*原文左ルビ)を以て訓としたるあり。猿を
ましらと名け
〔實字櫽(*未刊)猿の下の解に見ゆ〕、父を
ちゝと名け
てゝと名ける
〔實字櫽父の下の解にみえたり。〕類是なり。これは天竺の音のまゝを轉じて訓としたるなり。又鴨を
あひると名けたる如きは
亞弗利加の國名の音を轉じて訓とすれば
〔鴨はもと亞弗利加國よりわたりし鳥ゆへ、その國名を以て名けたり。〕(*頭注)、これ等も亦音轉訓の中に類して収むべし。五に畧語の訓とは、既に物に名け事に名けたる訓の語を省略して名けたる訓なり。見の字は具さにはみると名
クべきをその語を略して
み(*原文長方形ルビ)と名け、簸
(*原文「皮」を「欠」に)の字は具さには
ひると訓ずべきを、その
語を略して
ひ(*原文長方形ルビ)と名くるの類、是なり。
この五種の訓の中に、餘の四訓は
故を以て名けたる訓に非れば、たとひ一音たりとも訓を成ず。たゞ合成の訓ひとり
故を以て名けたる訓なれば、異音相よりて訓を成す。一音にては訓を成する
(*ママ)義なし。今この矣の字は一音にて異音にわたらざる字體ゆへ、たゞ
音のみありて訓なしといふは、五種の訓の中に合成の訓を以ていへり。更に多端の問答すべきことあり。煩を厭ふて之を略す。
問ふ、六書正僞
(*呉元満「六書正義」カ)によれば、矣は
箭鏃の形に象れる字とす。然らば、矣はやじりと訓ずべし。何ぞ矣は音のみありて訓なしといふことを得んや。答、矣を
箭鏃とすることは經書・歴史・ゥ子百家の上にみえざることなり。又かの六書正僞に矣の篆文を
につくり、
首の
を以て
矢尻のところとせり。然らば、
矢尻を屈み
曲れる形とすべし。
矢尻もし屈み曲らば、物に
中りて
傷り穿つこと能はざるべし。矢尻もし物を傷らずんば、その矢尻は何の用をかなす。又かの六書正僞に、初には矣は象形といひ
〔矢尻の形に象るを象形といふ〕、後には諧聲とす
〔矣は从がひレ矢、厶聲といふは、是れ諧聲なり〕。是れ自言が自言と齟齬せり。如く
レ此六書正僞には三箇の失あれば、矣を箭鏃と注したるは是れ謬りなり。この六書正僞の謬り、本づくところは鏃の字の族に从へるを以てなり。何となれば、族は
に从ひ矢に从へることを彼れ知ずして、族は方に从ひ矣に从へるものと思ひ謬りたり、とみえたり。然に、族は方に从ひ矣に从ふには非ず。是れ
に从ひ矢に从へるなり。
は
旗の形に象れる字なり。故に旌・旗・旃・
旂・
斾・
旟等みな
に从へり。之を以てかの六書正僞の六書に疎きことを知るべし。然れば、矣はやじりと訓ずべからず。是を以て矣はたゞ音のみありて訓なしと知るべし。我邦の古人、この矣の字を注してたゞ既往・將來のみにかゝる字といへども、現在の上に用ゐたる古例多し。又明幽兩界の中にはたゞ幽界のみに用る字といへども、亦明界の上に用ゐたる例多し。その
上この矣字を如
レ此注するは矣の字體・字義に於て毫もよるところなし。この外種々の説あり。みな
暗索(*原文左ルビ)のことのみ。字義によるものなし。
兮は前語絶んと欲して後語を
媒して引き發す
(*ママ)辞なり。何を以て知る。兮は
从ヒレ八从
フレ丂ニ。八は分破の義、
丂は从
ヒレ一
ニ从
フレ。一は物横たはりて障りとなる形なり。
は篆文に
につくるべし。これは語氣の口より屈み曲りて出る形なり。故に語氣物に
礙へられて
伸ること能はざるを
丂といふ。由て兮の字は物に礙へられて
出難ルところの語氣を分破してよく引き發す
(*ママ)の義なり。この意よりして兮を前の語絶へんと欲するとき後の語を引き發すべき辞とす。楚辞の九歌に
捐ル二余
ガ玦一兮江中、
遺ル二余
ニ珮
一兮
澧浦といへる如きは、上の句は捐の字にて語氣絶へんと欲す
(*ママ)故に兮の字を置て下の江中の語を引き發し、下の句は遺の字にて語氣絶へんと欲す故に兮の字を置て下の
澧浦の語を引き發すなり。問ふ、上の語氣絶へんとするとき、兮の字を置て媒して下の語を引き發す
(*ママ)はいかなる意味なりや。答、上の語の
韻〔聲の初を音といひ、聲の後を韻といふ。〕を長く引て以て後の語を引き發す
(*ママ)なり。楚辞に捐
ル二余
ガ玦一兮江中、遺
ル二余
ニ珮
一兮
澧浦といへる如き、上の句の捐の字の訓の
韻を長く引て
捐ウと讀めば、その
韻の
中に下の江中の語が自然に浮び出るなり。又下の句の遺の字の訓の
韻を長く引て
遺ウと讀めば、その
韻の
中に下の
澧浦の語が自然に浮び出るなり。たとへば
言はんとしてその
語の
出難ときに、或は
ヱヽと言ひ或は
アヽと言ふて、その聲の
韻を長く引けば、則ち
韻を長く引く中に自然に
後の語が浮び出るが如し。由て言ひ絶んとする最後の
語の
韻を長く引て
後の
語を引き發すは是れ兮の字の
媒妁(*原文左ルビ)によれり。之を以てみるに、矣の字と兮の字との別が
尚更分明に知らるゝなり。何となれば、矣の字は語氣の矢の如く
疾く出て
厺る義なるゆへに、語の言ひ
截るゝ
(*ママ)ところに用る辞とし、兮は前の語の
韻を長く引て
緩やかなる意味あるゆへに、前の語の絶んとするとき媒して後の語を引き發す辞とす。然れば、矣と兮とは語の續くと截るゝとの別あり。
説文に云く、兮
ハ語
ニ有
ルナリレ所
レ稽ル(*左ルビ「トヾマル」)也、稽
ハ留
ナリ也、考
ナリ也。この兮の字は前の語の
韻を長く引て、或は
ヱヽといひ或は
アヽなどゝ、その聲が一音の上に留て後の語を考へ出すの義あることを注して説文に如
クレ此いへり。
問ふ、兮の字の句中にあるものは後の語を引き發す辞ともいふべし。句尾にあるものは、後に引き發すべき語なければ、後の語を引き發す辞といふべからず。答ふ、句にして尾にあるときは、後に引き發すべき語はなけれども、後の語を引き發すべき餘意を含めり。之を言ひ
含めの兮といふ。例せば、而の字は上を承け下に接すべき辞なれども、句尾にあるものは下の語に接すべき餘意を
含めるが如し。句尾の而は之を言ひ含めの而といふ。
〔言ひふくめの而といふことは、下の而の字の解にみえたり。〕
問ふ、兮の字はたゞ音のみありてその訓なきはいかん。答、兮の字は前の語より後の語に移るとき、その前の語の
韻を長く引て
アヽといひ
ヱヽなどゝいふて、同音
〔同音と一音とは是れ別なり。一音とは一个の音なり。同音とは同じき音の多くつゞくことなり。〕(*頭注)の上に留て異音の上に轉ぜず。故に音のみありて訓なし。
〔異音に轉ぜざるものにはその訓なしといふこと、上の矣の字の下の解中にみえたり。〕(*割注)