作文初問
縣孝孺(山県周南)
(服部南郭考訂『作文初問』 仙鶴堂藏 山城屋茂左衛門 1755〔宝暦5〕)
※ 〔参照〕村田峯次郎編『作文初問・三之逕』合册(長周叢書 稻垣常三郎 1890.12.24)
板本本文と叢書翻刻本は全てカタカナ書き。細部の相違が多く、翻刻の誤りが多い。
本文
跋(源春信)
作文初問
長門 縣孝孺 撰
秦漢以上を古文とす。六經以下諸子百家の書皆是なり。然るに其文辭互に蹈襲せず、一種一種各一家の體を成セり。文章家自己の好尚に從ひて優劣を評品すと雖、左傳ハ不下爲ニ二檀弓一減ゼ上レ價ヲ、孟子ハ不下爲ニ二莊子一奪ハレ上レ席ヲ。諸家各一家の文章にて百世不刋(*不磨)の文辭なり。是を以文章に定體なし。如何樣に書ても文章になると云ヿを悟るべし。如クレ此領會すれば、氣膽闊大になり、百家を幷呑する心ありて、筆を把[一オ]て羞澁せず。
文章に篇法・章法・句法あり。文章䡄範・文章歐冶・文章一貫等の書を見て、其法を悟るべし。此篇の末に大槪を抄出せり。又史漢の評林、諸家の文評等、甚學者にuあり。注テレ意ヲ可レ見也。又歐冶・䡄範の類、爲ニシテ二科業ノ一而設る者あり。是に眼染メば習氣二等に落て、古文を學ぶに害あり。心得て見るべきなり。凡唐宋以後、天下の文章韓・柳を宗とす。人人巧拙ありと雖、畢竟二家の範圍を不レ出。太抵(*ママ)天下の文章一體に成たり。篇法・章法・起結・舖叙・過接・照應・起伏、凡一[一ウ]篇の文字繩墨をひき、寸法をあつるに其次第分明なり。是韓・柳以後の文法なり。此文法を秦漢以上の古文に附會して論ずる者は非なり。經史諸子皆事を記し道を論ずるの書にて、意達して止ム。後世文人の詞藻を弄する類に非ず。故に古文は無法渾成、自然の文字なり。事を叙で言を述る時は、章句・段落自然と其中にあり。譬ば、人一件の事狀を口説するに、源委・巨細次を逐て説下せば、自然に條貫ありて分曉なるが如し。後の學者、其中に就て目なれたる者を表出し、條理して文法と[二オ]す。故に其法亦定論なし。我悟る處を貴重して論説す。文人の氣習にて、往往夸詡(*大仰)の言あり。不レ可二眩惑ス一。古人法を設て文を作るに非ず。唐荊川(*唐順之)曰、漢以前ノ之文ハ未二嘗無バアラ一レ法。而シテ法寓ス二於無法ノ之中ニ一。故ニ其爲レ法也、密ニシテ而不レ可レ窺。唐ト與ノ二近代一之文ハ、不レ能レ無ヿレ法。而シテ以二有法一爲レ法ト。故ニ其爲レ法也、嚴ニシテ而不レ可レ犯ス、と云り。法寓ス二於無法ノ之中ニ一といへば、法を隱して手を見せぬ樣に聞ゆれども、左にてはなし。古人は文法の沙汰はなしと心得べし。徂徠先生古文矩明ス下韓・柳ト與ノ二于鱗一之分ヲ上已。非レ蔽フニ二先秦以上ノ之古文ヲ一。蒙士文を作るに、法を論ず[二ウ]れば拘縛せられて惡し。大槩一篇の起結・首中尾・段落等の工面をして、凡は心に任せて書べきなり。
文を作んと思はゞ、先題に對して主意を立べし。是一篇の文字の種子なり。主意已に出來たらば、首は何と言起し、中にて何と言ひろげ、尾にて何と言收むべしと、首中尾の分段を布置すべし。是にて一篇の體立なり。分段已に定らば、筆を把て心に任せてさら〳〵と書立べし。此塲にて苦思澁滯すれば、一篇の氣脉貫通せず、章段支離して體[三オ]を成ぬなり。其上にて只管脩シレ辭ヲ、潤色し、務て卑俚を洗滌し、典雅の辭を擇び、繁冗なる處を點撿して、文を簡古に約て見るべし。十字二十字の句を五字七字にも約し、五百字七百字の篇を二百三百にも約すべし。古文は辭簡潔にして義理深長なるを貴ぶ。中華の文も宋元の文は冗長なれば、試に古文辭を以約て見よ。如何程もつめらるべし。此方は常の言語繁冗支離なる故、其口氣自然と文章にうつり、衍語侈辭あるヿを不レ覺ヘ。又言語の次第漢語に比すれば顚倒なる故、讀レ之ヲで見[三ウ]て口に碍らざる(*さはらざる、と読むか。)故、顚倒あるヿを不レ覺。又言語の殊異に因て字の顚倒のみならず、句の次第にも倒置あり。多くの文字を費して漸くとき廻して通ずるヿあり。和文の習心に染てある故なり。漢語を和語にて譯して説クに、下の句を先へ言て上の句を後に言ヘば、講説を不レ費して分曉に通ずる類多し。是にて字のみならず句にも顚倒あるヿを知べし。此意を了悟して古辭・雅語を以綴緝すれば、自然と文簡潔高雅にて義理深くなるなり。
文章に脩辭・達意二端あり。徂徠先生譯文筌蹄題言[四オ]中具に論ぜられたり。畢竟辭不レレ脩セば意不レ達セ故に、脩辭文章の第一義なり。文を作んと欲せば、先古辭雅語を多く記憶すべし。胷中富贍なれば、筆を把て自由三昧なり。朱元晦云、韓愈博極二傳書ヲ一、奇辭奧旨如レ取ガ二諸室中ノ物ヲ一、と云り。此事なり。汪伯玉は十三家を定めて比年(*毎年)に一周せしと云り。四書五經は中華の人擧業(*科挙のための勉強、作文)の爲童稚の時より暗誦するなれば、十三家の内に不レ數ヘ。所レ謂十三家は、左傳・國語・戰國策・史記・漢書・荀子・呂覽・老子・列子・莊子・楚辭・淮南子・文選。此外に韓非子・水經・世説不ノレ可レ不バアル讀書と、徂徠[四ウ]先生は云れしなり。華人は僧家諷經の如く音節ありて順に讀下す故、此方の讀方に比すれば勞も少く功(*左ルビ)を省くなり。此方の讀方は華人に比すれば大きに功力を費す。是程の書、比年一周には及難かるべきか。讀ムに以セバレ目ヲ亦頗功を省くべし。古人菁華要文(*菁華抄か。)を抄書して記するもあり。甚抄書を貪れば却て功を費し、記憶のuにならぬヿもあり。若又書數を省き、簡にして記せんと欲せば、五經は經學・文章の根元なれば、專に可シレ讀。此外に左傳・國語・史記・漢書・屈子・莊子・文選なるべし。讀方本文ば[五オ]かりさら〳〵と讀て、全部に渉て記憶するヿを圖るべし。大要は人人得方ある物なれば、其法は好む所に任せ、いかにもして博く記憶して緩急に備ふべし。文を搆るに臨て、李u(*李商隠)が獺祭魚と云る樣に書籍を捜索すれば、拐~渙散(*左ルビ)して工夫不二專一ナラ一、文章の氣を傷ふ。或は多岐に奔散して文不二成得一。常に胸中に貯へ有つべきヿ、作文第一の功用なり。
韓退之は務テ去二陳言ヲ一を功とせり。陳ハ陳腐(*左ルビ)也。いかなる新奇の美言にても、一たび人の口を經れば陳腐なり。人の陳腐を拾ひて文を作るは卑しと思[五ウ]へるなり。檀弓・孟子の文法を學んで文を作れども、學びたりと不見、自家渾成の文と見ゆるは、語を剽竊せぬ故なり。去二陳言ヲ一とは古書の成言全句を用ぬなり。文字は皆經子史集、古書に本據せり。然らざれば文典雅ならず。明の末、袁中郎・鍾伯敬など王・李が古文を厭ひて新奇の文を倡ふ。好んで六朝以後近俗の文字を用たる故、其文輕膚(*左ルビ)繊弱なり。戒とすべし。韓・柳と並稱すれども、柳子厚は間古人の成言全句を取用ひて文を作れり。獻吉・于鱗が開祖なり。然れども多用レバ二古語ヲ一、反テ累ヌ二正氣ヲ一、と[六オ]云り。古語を用ひて鑄鎔不レレ足ば、支吾(*つっかかる、流れに逆らう、ぎくしゃくする)する處ありて、全文渾成の氣を傷ふ故なり。于鱗は好で古人の成語全句を綴緝して文を作る。是は一意に高古を貴ぶ故、古語を解析すれば古氣を傷んヿを恐るゝなり。汪伯玉亦多用二全語ヲ一、元美は章法・句法をば模すれども全語をば不レ用。其文比スレバ二于鱗ニ一、才有テレ餘、而時ニ傷ラレ二於巧ニ一、不レ專ナラ二於古一。獻吉が集を檢するに、其集の自序全く左傳季札觀樂の段を學べり。是于鱗が興起する所なり。其佗の篇は四字の句多く、文簡潔なれども、間齊梁の語あり、古雅に不レ專。李・何(*李夢陽・何景明)[六ウ]が復古の功は、專詩にあり。文章は王・李に至て明の古文成レり。
古語を用るに鑄鎔・融化(*左ルビ)を重んず。譬ば古金を用て器を作るが如し。よく鑄鎔して金質(*左ルビ)融化すれば、器は新製なれども光采・色澤宛然(*左ルビ)たる古器なり。若シ剪截(*左ルビ)不レ稱ハ、字義不レ當、或ハ語辭不類(*不良)なれば、畔岸乖隔(*斜線以下左ルビ、ママ)して支離・齟齬す。是子厚が所レ謂正氣を傷ふなり。尤工夫を用べきヿなり。
文章古今の變を觀て、品格の高下・氣象の雅俗を知リ、文を作る標準を立べし。先秦の古文は文章の[七オ]本なれば不レ論、漢は西京(*長安)を盛とす。南北隋唐に下りて衰ふ。韓・柳古文を倡へて唐の文興る。宋元明に下りて衰へて、王・李興スレ之ヲ。是古今の變なり。漢の文、齊梁の文、韓・柳の文、宋元の文、王・李が文、各十篇ばかり抽出して、體製・辭藻を熟覽せば、其變判然として可レ見ユなり。漢の文は古文に比すれば漸く儷語(*左ルビ)多し。其辭古質樸茂(*質朴厚重)なり。其中史選(*史記)は儷語少し。六朝に下りては、對偶の法甚巧にして、其辭縟麗を尚ぶ。婦女の體質は弱くしてチ粉(*白粉)の粧盛なるが如し。韓・柳偶對を去リチ華を削り、義理を主とし、孟子の[七ウ]體を學んで古文を倡ふ。六朝の弊一洗す。韓・柳六朝の辭勝に懲て、チ華を削り義理明暢を尚ぶ。其流宋元に至ては理勝て辭不レ脩。辭を不レ脩ば、必鄙俚に落ツ。義理明暢を尚んで辭猥雜なる故、其文冗長なり。于鱗此弊を矯んとす。韓・柳不レ可レ再ビス矣。唐を踰ヘ、漢を越て、左傳・史選を主とし、先秦以上の古文を取ル。宋元理勝の文に懲て、專ら脩辭を尚ぶ。元美・伯玉二翼ス之ヲ一。是明の古文なり。
于鱗曰、不レバレ以セ二規矩ヲ一、不レ能二方圓スルヿ一。擬議シテ成セバレ變ヲ日新冨有ナリ。今夫尚書・莊・左氏・檀弓・考工・司馬、其成言班如タリ(*整然)也、法[八オ]則森如タリ(*儼然)也。吾摭テ二其華ヲ一、而裁ス二其衷ヲ一。琢シテレ字ヲ成シレ辭ヲ、屬シテレ辭ヲ成スレ篇ヲ、と。是于鱗が家法なり。擬議より冨有までは繫辭傳の辭を裁して文を作る。擬議は效法の義に取ル。即摸擬(*左ルビ)也。古人の成言を摸擬して、變二化シテ陳腐ヲ一、而爲ル二新奇一也。于鱗が意、古言を陳腐と言ども、規矩を陳腐とて棄られはすまじ。古文を學ばゝ、古言を規矩とすべし。古人の成言班如として可レ見ツ。文法森嚴(*左ルビ)に具りてあり。其辭の英華を擇んで取リ、其衷ところを我心にて裁節して取リ、字をみがひて辭句を作り、辭句を綴屬(*左ルビ)して一篇を作るべし、と思へるなり。韓子[八ウ]が陳言を去ルと云を反用して、別に韓・柳以後の古文を建立せり。宋元の文章猥雜卑陋なれば、げにも不ンレ如ナラレ此ば救ひがたかるべし。其上于鱗が古文を學べば、古書に淹貫(*博通、通暁)せざれば不レ能。古書に淹貫すれば、古經明め易し。徂徠先生專李・王を推れしは、徒に文章を高しとするに非ず。經學の階梯なればなり。然れども韓・柳は時を考へ力を量りて、自己より出す。其文自然なり。管仲が仁に似たり。于鱗は一意に脩シレ古ヲ、超乘シテ而上り、古人を摸擬して作る故、時に或ハ牽強あり。善ク學ばずんば宋襄の仁(*贔屓の引き倒し)にな[九オ]るべし、又孫叔敖が優孟(*見掛け倒し)なるべし。學者の工夫にあり。
此方の學者、助字を大小(*によらず、の意か。)大事として難んずるは、助字に和訓なき故なり。字書に的當の訓詁なければ、訓なきに因て難んぜば、華人も同じヿなり。されど彼方に助字の難易を論じたる事を不レ見。柳子厚人に助字を教へて、乎・歟・邪・哉・夫者疑辭也、矣・耳・焉・也者決スル辭也、と計り言て其他備具(*詳悉・詳説)せず。漢文の助辭は此方のテニヲハの如し。助字なくても上下の文を通じて心を以推て讀メば義通ずるヿな[九ウ]れば、大槩右の樣に心得てすむヿなる故なり。俗諺に、焉・矣・也・乎・哉用ヒ得ル的ノ好秀才と云も、旦且(*旦旦=懇切に、か。)助字などをば辨へ知ル程の才子と云ヿなり。難んずる言に非ず。韓・柳以後は、文法・體制大槩一定せる故、助字の置所又可キレ用字も一定して知リ易し。古文は不レ然。南郭文筌小言に論列せり。考て可レ知。凡助字の用、辭句不足なる故、助字を添て語勢を整るもあり。字孑孤(*左ルビ。「孑」右ルビ「けつ」)なる故、助字を副て輔るもあり。或は整齊・疊複する故、助字を挿んで語勢を緩むるもあり。助字を去て義に害なきもあり。助字を得て[十オ]義理深くなるもあり。又乎字可レ用處に也字を用ひ、之字用べき處に而字ある類、交換通用せるも、皆語勢に因て轉ずるなり。此類は上下の文を推て義を取て通ずるなれば、今文の使用より見れば、唯語勢を助けて定義なきに似たり。又詩經助字多無二意義一、猶如三楚調ノ候・兮、近時ノ歌曲哪・哩ノ類以成ガ二聲調ヲ一已。故ニ註家亦無二解釋一。設如欲セバ下以二後世助字ノ法ヲ一考中究セント其義ヲ上、則捕ヘレ風ヲ繋グレ影ヲ也。詩ハ者歌詠ノ之辭。其文固ヨリ與二佗書一殊ナリ。然レドモ可三以槪ス二助字ノ之用ヲ一。又古文には必可キレ有處に助字なく、有まじき處に助字有もあり。心を注て[十ウ]可レ見ル。助字少なき文は整齊・簡潔なり。助字多き文は婉曲・優美なり。書經・漢書は助字少なく、左・國、遷史は助字多し。論語・孟子は助字多く、荀子は少なし。老・列は少なく、莊子には多し。一書の内にても篇體に因て多少あり、一人の作にても文體に因て多少あり。凡助辭字義を以求ては知リがたし。博く古人の用處を見て、變化を知ルべし。自然と難事に非るヿを知べし。
歐陽永叔(*欧陽脩)、多ク讀メバレ書ヲ、自能スレ文ヲ、と云り。泛然(*左ルビ)と博く書を讀メと云には非ず。文章にuある書を混讀に讀メば、[十一オ]心目文に熟して自然と文章を喩ると云ヿなり。唐明四家の集、常に不レ離レ身ヲして熟讀すべし。不レレ然ば古辭を多く記憶しても、篇章の結撰泥むなり。
劉
勰曰、六經
ハ象
ドリ二天地
ニ一、
效シ二鬼~
ニ一、參
ハリ二物序
ニ一、制
シ二人紀
ヲ一、洞
カニシ二性靈之奧區
ヲ一、極
ムル二文章之骨髓
ヲ一者也。論・説・辭・序
ハ、則易統
ベ二其首
ヲ一、詔・策・章・奏
ハ、則書發
シ二其源
ヲ一、賦・頌・歌・贊
ハ、則詩立
二其本
ヲ一、銘・誄・箴・祝
ハ、則禮總
ベ二其端
ヲ一、紀・傳・銘・檄
ハ、則春秋
〔此指左傳〕(*割注)爲
リレ根。百家騰躍
スレドモ、終
ニ入
ル二環内
ニ一。故
ニ文能
ク宗
トスレバレ經
ヲ、有
二六善
一焉。情深
シテ而不
レ詭
セ、一也。風C
シテ而不
レ雜
ナラ、二也。事信
ニシテ而不
レ誕
ナラ、三也。義直
ニシテ而不
レ囘
カラ、四也。體約
ニシテ而不
レ蕪
ナラ、五也。文麗
ニシテ而不
レ滛セ、六也。
[十一ウ]
文の體製・章句の法・辭の菁華、悉く五經に出ヅ。能ク五經の文を記憶するヿ、學レ文の基本なり。
柳子厚曰、當ニ三先ヅ讀ム二六經ヲ一。次ニ論語・孟軻ノ書。皆經言ナリ。左氏・國語・莊周・屈原ガ之辭、稍采二取セヨ之ヲ一。穀梁子・太史公、甚峻潔ナリ。可二以出入ス一。
李塗曰、
莊子ガ文章善
ク用
フレ虗ヲ。以
二其
虗ヲ一、而
虗ニス二天下
ノ之實
ヲ一。
太史公文字善
ク用
フレ實
ヲ。以
二其實
ヲ一、而實
ニス二天下
ノ虗ヲ一。
宋人作二文章焔`ヲ一。
莊子は實事を假て議論を行ふ。史記ハ直ニ記ス二事實ヲ一。不シテ三必シモ下サ二斷案ヲ一、而淑慝(*善悪)褒貶、自有レ不ヿレ待二議論ヲ一。
王元美曰、
檀弓・
考工記・
孟子・
左氏・
戰國策・
司馬遷ハ、聖
ナル二[十二オ]於文
一者
カ乎。其叙事
ハ則化工
(*天成)之肖物
(*迫真の描写)ナリ。
班氏(*漢書)ハ賢
ナル二於文
ニ一者
カ乎。人巧極
リ天工錯
レリ。
莊生・
列子・
楞嚴・
維摩詰ハ、鬼
二~
ナル於文
ニ一者
カ乎。其逹見峽決
シテ而河潰
ユ也。窈冥變幻
シテ、而莫
レ知
ヿ二其端倪
(*区切りを持った全容、全貌)ヲ一也。
孝孺按ズルニ、楞嚴・維摩、逹見・峽決ハ、則有ンレ之。其文豈屈・莊ガ之倫ナランヤ。元美有二此心一故ニ、其文不レ純ナラレ古ニ。又能下シテレ筆ヲ縱横無レ禦ヿ。
凡文章經(*六経。詩・書・易・春秋・礼記・楽記)に本づくヿ、劉勰が前の論に云り。されども莊子・屈子が跌宕・奇譎(*縦横奔放)の思ひ、窈冥・變幻の風調なければ、文章闒靸萎薾(*たふさふゐじ。萎靡不振)するなり。譬ば屈子が漁父ノ辭に、漁父莞爾トシテ而笑フ。鼓シテレヲ而去ル、と云。棄て繫著(*くよくよと気にすること)なき所極て面白し。蘇子瞻(*蘇軾)是に本づひて赤壁賦[十二ウ]に鶴を夢みるヿを云り。窈冥・變幻屈子が上に出たり。這等の逸調、詔・策・經・議等の文には用られず。されど文士の胸、此奇思・逸調無れば、文委靡するなり。詩に經語を忌む心にて、文章も理學に濡首(*惑溺)する經生は、風雅の思致なくして拙き者なり。
麗澤文説(*南宋・呂祖謙)云、文
ニ有
二三等
一。上
ハ焉藏
シテレ鋒
ヲ不
レ露
サ。讀
メバレ之
ヲ自有
二滋味
一。中
ハ焉歩驟馳騁、飛
シレ沙
ヲ走
スレ石
ヲ。下
ハ焉用意庸常、專
ラ事
トス二造語
ヲ一。
初學の者は中等を心がくべし。上等を學ばゝ下等に落べし。東坡作テレ文ヲ工ナリ二於命意ニ一。必超然トシテ獨二立ス[十三オ]於衆人ノ之上ニ一、と云り。題に向て先主意を得と吟味すべし。趣向庸常なれば、造語よくても下等に落ツ。超然と高くとびぬけたる工夫なければ凡庸を得離れず。
王維曰、文章
ノ之體有
レ二。序事・議論、各不
二相淆
一。葢人人能言
フ矣。然
モ此宋人創
テ爲
ルレ之
ヲ。宋
ノ眞コ秀讀
テ二古人之文
ヲ一、自列
二所見
ヲ一、
岐テ爲
二二途
ト一。夫文體區別
スルヿ、古
ヨリ誠
ニ有
レ之。然
ドモ有
下不
レ可
二岐
テ而別
ニス一者
上。如
キ二老子・
伯夷・
屈原・
管仲・
公孫弘・
鄭莊等
ノ傳、及儒林傳等
ノ序
ノ一、此皆既述
シ二其事
ヲ一、又發
二其義
ヲ一。觀
バ二言
ノ之辨
ナル者
ヲ一、以爲
テ二議論
ト一可也。觀
バ二實
ノ之具
ル者
ヲ一、以爲
テ二叙事
ト一可也。變化・離合、不
レ可
二[十三ウ]名物
ス一、龍騰鳳躍、不
レ可
二韁鎖
(*束縛)ス一。文
ニシテ而至
レ是
ニ、雖
二遷史ト一不
レ知
二其然
ルヿヲ一。晉人
劉勰論
ズルヿレ文
ヲ備
レリ矣。條中有
トハ二鎔裁
スル(*冗語を省き、構成を錬って条理を明らかにすること。洗錬。劉勰『文心雕龍』の語。)者
一、正謂
レ此
ヲ耳。夫金錫不
レバレ和
セ不
レ成
レ器
ヲ。事詞不
レバレ會
セ不
レ成
レ文
ヲ。其致一也。
按ズルニ、文筌ニ叙事・議論・辭令爲二三體ト一。以二詔・誥・教・誓・祝・盟・啓・簡ノ類ヲ一爲二辭令ト一。
徂徠先生曰、文章
ノ之道達意
論語・脩辭
ノ易傳二派、發
スレ自
二聖言
一。其
ノ實
ハ二
ノ者相
須。非
レバ二脩辭
ニ一、則意不
レ得
レ達
スルヿヲ。故
ニ三代
ノ時、二派未
二嘗分裂
セ一。然
ドモ亦各有
レ所
レ主
トスル。
孟・
荀・
老・
列・
韓・
賈・
遷・
固ハ、主
トスル二達意
ヲ一者
ナリ也。
左・
國・
莊・
騷・
相如・
楊雄ハ、主
トスル二脩辭
ヲ一者
ナリ也。東京
(*洛陽)ハ偏
ナリ二脩辭
ニ一。而
シテ達意
ノ一派寥寥
タリ。六朝
ノ浮靡至
テレ唐
ニ而極
ル矣。
[十四オ]故
ニ韓・
柳以
二達意
ヲ一振
フレ之
ヲ。宇宙一新
ス。然
レドモ韓・
柳ハ求
二諸
ヲ古
ニ一故
ニ振
フ。
歐・
蘇ハ求
二諸
ヲ韓・
柳ニ一故
ニ又衰
フ。降
テ至
リ二元明
ニ一、文皆語録中
ノ語、助字別
ニ作
シ二一法
ヲ一、夐
ニ與
二上古
一不
レ合。古今
ノ之間、遂
ニ成
二一大鴻溝
ヲ一。故
ニ李・
王以
二脩辭
一、振
レ之
ヲ、一
ニ以
レ古
ヲ爲
レ則
ト。可
レ謂
二大豪傑
ト一矣。
譯筌題言
愚謂、五經者義理ノ之府、菁華ノ之藪。
歐陽永叔曰、文字
ハ無
二佗
ノ術
一。惟讀
コトレ書
ヲ多
ケレバ、則爲
テレ之
ヲ自工
ナリ。世人
ノ之患
ハ在
下懶
ナルトレ讀
ニレ書
ヲ、又作
ルヿ二文字
ヲ一少
キト、毎
ニ二一篇出
ル一、即求
ルトニ上レ過
ンヿヲレ人
ニ。如
シテレ此少
シ二有
レ至
ルヿ者
一。
文章辨體(*明・呉訥編)
文を作るに、始より善ク作らん、人に勝らんと思へば、却て澁[十四ウ]泥して文才を傷ふ。志をばくして、工をば易く心得べきなり。
看レ文法
- 第一看二大槩ノ主張ヲ一。 如何是主意。
- 第二看二文勢ノ規模ヲ一。 如何是首尾相應ス。
- 第三看二綱目・關鍵(*要点)ヲ一。 如何是抑揚・開闔ノ處。
- 第四看二警策ヲ一。 如何是一篇ノ警策(*眼目)。
- 第五看二句法ヲ一。 如何是下レ句ヲ、下シテレ字ヲ有レ力處。如何是融化・屈折シテ、剪截有レ力處。如何是實ニ體二貼スル題目ヲ一處。
愚謂、是レ則文法。
程子曰、孟子善シ二議論ニ一。先提テ二其綱ヲ一、而後詳ニ説レ之ヲ。只是見識高シ。胸中ヨリ流出ス。辨論盤根錯節ノ處ハ、只以二譬喩ヲ一、輕輕ニ解[十五オ]破ス。性理大全
王維曰、古今文章家、擅ニスル二竒響ヲ一者六家。左氏ノ之文ハ以葩(*華)ニシテ而竒。莊子ノ之文ハ以玄ニシテ而竒。屈原ノ之文ハ以幽シテ而竒。戰國策之文ハ以雄ニシテ而竒。太史公之文ハ以憤ニシテ而竒。孟堅(*班固)之文ハ以整ニシテ而奇。
皇宋類苑云、文章與二人品一同ジ。自レ古大聖・大賢非レバ下有二英雄氣量一者ニ上、不レ能レ到ルヿ也。英雄ノ之氣ハ、擔二負ス天地ヲ一。英雄ノ之量ハ、包二含ス古今ヲ一。擔二負シ天地ノ至重ヲ一、包二含シテ古今ヲ一而有ラバレ餘リ、如立テ二天下ノ之道コヲ一、成ストモ二天下ノ之事業ヲ一無ン二不可ナルヿ一。況ヤ區區タル古文ニシテ、而有ンヤ二不レ高者一乎。[十五ウ]
蘇伯衡ガ曰、凡遇ハヾ二題目ニ一、須二先命ズ一レ意ヲ。大意既ニ立タバ、又須三區二處ス(*部類分けする。)如何ガ起シ、如何ガ承接シ、如何ガ收拾セント一。此ヲ之謂二布置ト一。又曰、下スノレ筆之時、且須シ二專心冥思ス一。一篇ノ大槩已ニ具テ二於胸中ニ一、方ニ可レ措レ辭ヲ。若逐レ段逐テレ句ヲ爲寸(*時)ハレ之ヲ、則非レ所二以ニ爲ル一レ文矣。
篇法
緯文瑣語云、篇中不
レ可
レ有
二冗章
一、章中不
レ可
レ有
二冗句
一、句中不
レ可
レ有
二冗字
一。
文章一貫
篇成て後、數囘沙汰して冗章・冗句を去べし。冗處あれば、文病て氣不レ健ナラ。
麗澤文説云、文字一意貴
ブヿ在
二段數多
キニ一。
[十六オ]
篇中段數を段段にわけてかくべし。段數分るれば、文勢分明にて、義理分れ易し。
又云、散文若
シ作
サバ二段子
ヲ一、恐
クハ不
ジ二流暢
セ一。
散文は四六對偶の文に對して云。四六ハ貴レ易ヲレ讀故に事條ごとに段を分てかくなり。散文は段を多くわけば、篇體崎嶇としてさらりとあるまじ、となり。是は前に段數を多くせよと云に付て、又此心得をして段數のわけやうをよく取廻し、支離せぬやうにと云ヿなり。前の段數多と云も、四六に限らず散文の法をも兼て云り。[十六ウ]
文章焔`云、文字須
下要
ス數行齊整
ナル處、數行不
二齊整
ナラ一處
ヲ上。意對
スル處
ハ、文却
テ不
二必
シモ對
セ一、意不
二必
シモ對
一處
ハ、文却
テ著對
ス。
齊整は對偶を指ス。古文の對語は、語勢對して字不二必シモ對セ一。句中の助字も參差(*左ルビ)たり。對偶堅ければ時文に落て鄙し。古書の對法に心を付て見るべし。
文字有下終篇不レ見二主意ヲ一、而結句見二主意ヲ一者上。過秦論、仁義不シテレ施サ、而攻守ノ之勢異ナレバナリ。韓愈守戒在ノレ得ルニレ人ヲ之類是レ也。文章焔`
史記終篇惟作シ二他人ノ説ヲ一、末後ニ自己只説ク二一句ヲ一。子瞻表忠[十七オ]觀碑ノ之類是也。文章焔`
昌黎送ルノ三李愿歸ルヲ二盤谷ニ一序、終篇全ク擧二愿ガ説話ヲ一、自説クハ只數語、其實非二愿ガ言ニ一。此又別ニ是レ一格式。文章焔`
捫蝨詩話(*捫蝨新話)云、爲
ニハレ文
ヲ要
スレ知
ンヿヲ二常山
ノ蛇勢
ヲ一。
即孫子首尾共ニ至ルの説。最切當の論なり。
王世貞曰、首尾・開闔・繁簡・奇正、各極ルハ二其度ヲ一、篇法ナリ也。抑揚・頓挫・長短・節奏、各極ルハ二其致ヲ一、句法ナリ也。點綴・關鍵・金石・綺綵、各極ルハ二其造ヲ一、字法ナリ也。篇ニ有二百尺ノ之錦一。句ニ有二千鈞ノ之弩一。字ニ有二百錬ノ之金一。
文筌、文章
ノ體段六節。
[十七ウ]
- 起 貴四明切如ヲ三人ノ之有ガ二眉目一。 篇の首。發端なり。
- 承 貴四疏通如ヲ三人ノ之有ガ二咽喉一。 承は承接なり。上を受て次へうつる。
- 鋪 貴四詳悉如ヲ三人ノ之有ガ二心胸一。 二節は篇の中。轉折も(*次行へ続く。)
- 叙 貴四轉折如ヲ三人ノ之有ガ二腹臟一。 委曲の意なり。
- 過 貴四重實如ヲ三人ノ之有ガ二腰膂(*背骨)一。 過は過接。議論の端改る所、両段のつぎめなり。
- 結 貴四緊快如ヲ三人ノ之有ガ二手足一。 篇の尾。結段なり。
右六節、大小諸文體
ノ中皆用
レ之
ヲ。然
ドモ或用
ヒ二其二
ヲ一、或
ハ用
ユ二其三四
ヲ一。可
二隨
テレニ増減
ス一。有則用
ヒレ之
ヲ、無則已
ムレ之
ヲ。其間起結
ノ二字
ハ、則必不
レ可
レ無
バアル者
ナリ也。起結
ノ二法、在
テ二作文家
ニ一最爲
二難事
ト一。須
下將
テ二韓・
柳二家諸體文字
ヲ一、摘
二出
シ起結
ヲ一、觀
中其變化
ノ手段
ヲ上。
[十八オ]當
ニレ自
二得
ス之
ヲ一。非
レ可
ニ二言傳
ス一也。
文章一貫、起端
ノ八法。
- 問答 設ケ二爲シテ問答ヲ一、以發スレ端ヲ。
- 頌聖 頌二美シテ聖コヲ一、以發スレ端ヲ。 此聖コハ指二天子ヲ一なり。凡古人のコを擧げ、頌美して題の本事へうつして承る體なり。
- 叙事 次二叙シテ事實ヲ一、以發スレ端ヲ。
- 原本 或原ネ二理之本ヲ一、或原ヅケ二事ノ之本ヲ一、或原ヅク二古ノ之始ヲ一。
- 冐頭 或就テレ題ニ立レ説ヲ。 先一段の議論を述して、本事へうつる。
- 破題 或見ハシ二題ノ字ヲ一、或切ニス二題ノ意ヲ一。
- 設事 本無キヲ二實事一、假ニ設二次序ヲ一。 是は冐頭の類。
- 抒情 攄テ二其ノ眞情ヲ一、以發ス二事ノ端ヲ一。 是は破題の類。[十八ウ]
- 或含ンデ 令三下ノ文ヲシテ在二此内ニ一、
- 或引テ二下ノ文ヲ一 令二下ノ文ヲシテ從レ此生ゼ一、
- 或喚ンデ二下ノ文ヲ一 令二下ノ文ヲシテ與レ此應ゼ一。
歐陽起鳴云、鋪叙ハ要ス二豐贍ヲ一。最怕ル文字直致シテ無ンヿヲ二委曲一。(*「歐陽論範」か。)
麗澤文説云、看ルハ二文字ヲ一、須三要ス看ンヿヲ二佗ノ過換及ビ過接ノ處ヲ一。
又云、轉換ノ處須二是有一レ力。不シテレ假二助語ヲ一、而自接連スル者ヲ爲レ上ト。
文章一貫云、過接シテ以結ビレ上ヲ生ズルヲレ下ヲ爲レ妙ト。
又云、止齋(*陳傅良)ガ曰、結尾ハ正ニ關鎖(*左ルビ)ノ之地。尤要ス二造ルヿレ語ヲ塩ァ、遣ルヿレ文ヲ順快ヲ一。葢塩ァナレバ則有二文外ノ之意一、順快ナレバ則讀テレ之ヲ而有二餘味一。
歐陽起鳴云、結尾或先ニ褒スレバ後ニ貶シ、或先ニ抑レバ後ニ揚。或ハ短中ニ[十九オ]求メレ長ヲ、或衆中ニ拈ス(*摘む)レ一ヲ。或以二冷語ヲ一結ビ、或以二經句一結ス。但末梢ノ文字最嫌フ二軟弱ヲ一。更須シ三百尺竿頭ニ復進二一歩ヲ一。
文筌、結尾
ノ九法。
- 問答 問答ノ起ハ、折伏シテ終レ之ヲ。
- 張大 題ノ之約ナル者ハ、張テ而大ニスレ之ヲ。
- 収斂 題ノ之侈ナル者ハ、收メテ而歛ムレ之ヲ。
- 會理 規歩矩行、確然タル正理。
- 叙事 叙事ノ起ハ、叙事終レ之ヲ。
- 設事 設事ノ起ハ、設事終レ之ヲ。
- 攄情 攄テ二其至情ヲ一、以終二不盡ノ之意ヲ一。[十九ウ]
- 要終 要シテ二事之終ヲ一、以結ス二篇意ヲ一。
- 歌頌 或爲シ二亂辭ヲ一、或爲ス二歌詩ヲ一。 本篇本爲ルレ賦法。然ども諸體通用すべし。
章法
劉勰曰、設ルニレ情ヲ有レ宅、置ニレ言ヲ有レ位。宅ヲレ情ヲ曰レ章ト、位スルヲレ言ヲ曰レ句ト。故ニ章ハ者明也、句ハ者局也。夫人之立ルレ言ヲ、因テレ字ニ而生ジレ句ヲ、積テレ句ヲ而成シレ章ヲ、積テレ章ヲ而成スレ篇ヲ也。
篇中言んと欲する事、條路を分つて言下すに、一條の事、數句を積て明かに言取ル。是一章なり。數十句の大章あり、二三句の小章あり。上に大章あれば、下亦大章を以對應するあり。或上に[二十オ]長章ありて文勢緩なれば、下短章を以急に攝收するあり。變化無窮を貴ぶ。文章䡄範等を見て可レ悟。今此に粗二三の例を擧グ。
左傳隱公、苟有ラバ二明信一、澗溪沼沚ノ之毛、蘋蘩蘊藻ノ之菜、筺筥リ釜ノ之器、潢汙行潦ノ之水、可クレ薦二於鬼~ニ一、可シレ羞二於王公ニ一。而ヲ況ヤ君子結ビ二二國ノ之信ヲ一、行ニレ之ヲ以セバレ禮ヲ、又焉ンゾ用ンレ質ヲ。
莊子繕性、世喪(*左ルビ)シレ道ヲ矣、道喪ルレ世ヲ矣。世ト與レ道交〳〵相喪ル也。道ノ之人何ニ由テカ興サン二乎世ヲ一。世モ亦何ニ由テカ興サン二乎道ヲ一哉。道無ク三以興ヿ二乎世ヲ一、世無三以興ヿ二乎道ヲ一、雖二聖人不ト一レ在二山林ノ之中ニ一、其コ隱ル矣。隱ル故ニ不二自ラ隱レ一。[二十ウ]
繫辭、夫易ハ聖人ノ之所二以ナリ極テレ深ヲ而研ク一レ幾ヲ也。唯深シ也。故ニ能通ズ二天下ノ之志ヲ一。唯幾ナリ也。故ニ能成ス二天下ノ之務ヲ一。唯~ナリ也。故ニ不シテレ疾而速ニ、不シテレ行而至ル。
右類、整語・散語參錯シテ而成レ章ヲ。古書類多シ。不二悉ク擧一。又有下用二一類ノ字ヲ一、排比シテ成レ章ヲ者上。
繫辭、冨有之ヲ謂二大業ト一、日新之ヲ謂二盛コト一、生生之ヲ謂レ易ト。成象之ヲ謂レ乾ト、效法之ヲ謂レ坤ト。極メレ數ヲ知ルレ來ヲ之ヲ謂レ占ト、通ズルレ變ニ之ヲ謂レ事ト。陰陽不測之ヲ謂レ~ト。
考工記、以レ脰ヲ鳴者、以レ注ヲ鳴者、以レ旁ヲ鳴者、以レ翼ヲ鳴者、以レ股ヲ鳴者、以レ胷ヲ鳴者。[二十一オ]
莊子、徐無鬼吾與レ之邀ヘ二樂ヲ於天ニ一、吾與レ之邀フ二食ヲ於地ニ一。吾不二與レ之爲一レ事ヲ、不二與レ之爲一レ謀ヲ、不二與レ之爲一レ怪ヲ。吾與レ之乘テ二天地ノ之誠ニ一、而不二以レ物與レ之相攖ラ一。吾與レ之一ニ委虵シテ、而不三與レ之爲二事ノ所ヲ一レ=B今也然モ有二世俗ノ之償一焉。
右古書ノ中多レ類。今不二枚擧セ一。又有二交錯シテ而成レ章ヲ者一。
莊子、以レ指ヲ、喩ンヨリ二指ノ之非ニ一レ指ニ、不レ若以レ非ヲレ指、喩ンニ二指ノ之非ニ一レ指ニ也。
荀子、不シテレ利而利スルハレ之ヲ、不レ如利シテ而後利スルノレ之ヲ之利ナルニ也。利シテ而後利スルハレ之ヲ、不レ如利シテ而不ルレ利セ者ノ之利ナルニ也。
右莊子ノ中類多シ。他書ニモ亦間〳〵有レ之。不二枚擧セ一。
以上句法一定スル者、其法易シレ見。至テハ二乎長短句參差トシテ成レ章ヲ[二十一ウ]者ニ一、難レ著シ二其法ヲ一。今摘テ二䡄範ノ中二三章ヲ一、示スレ例ヲ。學者當下博ク捜リ二本篇ヲ一、知中其法則ヲ上。
韓子ガ書、古ノ之人三月不レバレ仕、則弔ス。故ニ出レバレ疆ヲ必載スレ質。然所三以ノ重ズル二於自進ニ一者ハ、以ナリ二其於テレ周ニ不可ナレバ、則去テ之レ魯ニ此句八字(*割注)、於テレ魯ニ不可ナレバ、則去テ之レ齊此句八字(*割注)、於テレ齊ニ不可ナレバ、則去テ之レ宋ニ、之レ鄭ニ、之レ秦ニ、之ヲ一レ楚ニ也此句十五字(*割注)。
又雖レ有レ所二憎怨一、苟モ不ルレ至三於欲スルニ二其死ヲ一者ハ、則將ニ下狂奔シテ盡シレ氣句法(*割注)、濡シ二手足ヲ一句法、焦シ二毛髪ヲ一句法、救テレ之ヲ而不ント上レ辭セ也收法(*割注)。若レ是者何哉。其勢誠ニ急ニシテ、而其情誠ニ可レバナリレ悲也章法(*割注)。
又序與レ之語リ二道理ヲ一三字句(*割注)、辨ジ二古今ノ事ノ當否ヲ一六字句、論ズレバ二人ノ高下一四字句、事後當ヲ二成敗ス一五字句、若ク二河ノ決シテ下流シテ而東ニ注グガ一、若ク下駟[二十二オ]馬駕シ二輕車ニ一、就キ二熟路ニ一、而シテ王良・造父爲ガ中之ガ先後ヲ上也一句長。以二句合爲一句(*割注)、若シ二燭照シ數計ヘテ而龜卜スルガ一也一句短。
張文潛(*張耒)云、七月ノ詩、七月以下皆不二道破セ一。至テ二十月ニ一、方メテ言二蟋蟀ヲ一。非ンバ下深キ二於文章ニ一者ニ上、能爲ンヤレ之ヲ耶。
句法
按句法、以二四字ヲ一爲レ本ト、自然ノ語勢ナリ。而モ有二一字ノ句一、有二二三字ノ句一、有下七八字ヨリ至ル二數十字ニ一者上。司馬子長(*司馬遷)有下一二百句ヲ爲二一句ト一者上。才子筆端ノ變化、難レ爲シ二定格ヲ一。今擧テ二二三例ヲ一、以爲二榜樣(*榜样とも。手本)ト一。
檀弓、孔子先反ル。門人後ル。雨甚シ二字句(*割注)。至ル一字句。孔子問テ焉[二十二ウ]曰、爾來ルヿ何ゾ遲キ也。
又曰、防ノ墓崩ル。孔子不レ應ヘ。三タビス一字句(*割注)。孔子泫然トシテ流シテレ涕ヲ曰、(*原文下略)
莊子田子方、顔淵曰、文王ハ其猶未カ邪。又何ゾ以レ夢爲ンヤ乎。仲尼曰、默セ一字句(*割注)。汝無レレ言ヿ。
又人間世、匠石曰、密トセヨ一字句(*割注)。若ヂ無レレ言ヿ。
孟子、使レ浚セレ井ヲ。出ヅ一字句(*割注)。從テ而揜フレ之ヲ。
又曰、干戈ハ二字句(*割注)、朕レ(*ワレ)一字句。琴ハ一字句、朕一字句。弤(*漆塗りの飾りのある弓)ハ一字句、朕一字句。
文則(*陳騤)云、檀弓長句ノ法。○毋ンヤ四乃チ使ルヿ三人ヲシテ疑ハ二夫ノ不シテレ以セレ情ヲ居レ瘠ニ者ヲ一乎哉。○孰カ有ンヤ下執テ二親ノ之喪ヲ一、而沐浴シテ而珮ルレ玉ヲ者上乎。○簣[二十三オ]尚ハ不レ如二杞梁ガ之妻ノ之知ニ一レ禮ヲ也。○苟無シテ二禮義・忠信・誠愨ノ之心一、以蒞マバレ之ニ、○短句ノ法。○華シテ而皖ラカ三字(*割注)。○立ツレ孫ヲ二字。○畏。厭。溺一字。
左傳長句ノ法。夫固ヨリ謂ヘリ下君訓テレ衆ヲ、而好ク鎭二撫シ之ヲ一、召テ二諸司ヲ一、而勸ムルニレ之ヲ以シ二令コヲ一、見テ二莫敖ヲ一、而告ント中諸天ノ之不ヲ上レ假レ易キニ也。桓十三年傳(*割注)○天或ハ者欲スルモ下逞シテ二其心ヲ一、以厚シ二其毒ヲ一、而シテ降ント中之ニ罸ヲ上、未ダレ可レ知也。昭四年傳
荀子長句。正名篇、凡邪説僻言ノ之離テ二正道ヲ一而擅作スル者、無下不レ類セ二於三惑ニ一者上矣。
文章焔`云、司馬子長一二百句作シテ二一句ト一下ス。更ニ點ジ不レ斷タレ。退之(*韓愈)三五十句作シテ二一句ト一下ス。子瞻(*蘇軾)モ亦然リ。初不レ難レ學。但[二十三ウ]長句中轉二得意ヲ一去ル。便是好シ。若一二百句・三五十句、只説二得レバ一句ノ事ヲ一、則冗ナリ矣。
陳揆(*陳騤)ガ文則、多ク擧ス二句法ヲ一。此ニ不二備載セ一。可レ考フ二本篇ヲ一。
文章一貫曰、有二由レ長入レ短ニ者一、有二由レ短入レ長者一、有二長短錯綜スル者一。
作文初問 終[二十四オ]
跋(*翻刻本の柱に記載。板本にはなし。)
周南山縣先生は一代の名儒なり。幼少より家嚴(*厳父)良齋君に從て家學を受く。家教嚴勵、學ぶところまた謹厚なり。長ずるに及びて江戸に至り、物徂徠氏に就き古學を修め、其業大に進む。賦性温良、議論また平順に歸す。徂徠氏頗る其才を愛し、群弟子中特に先生と安藤東野二人を推す。實に物門高弟の巨擘となす。正コ年閨A朝鮮國の修信使途次長門を經て赤間關にす。先生乃ち命を奉じて之に應接し、筆語酬唱衆皆なその英才に驚けり。そのゝち本藩の儒官に擧げられ、小倉尚齋に繼ぎて明倫館の祭酒となり、佐々木龍原等と大に學問教授の任に與かる。瀧鶴臺・和智東郊等長門十才子の稱ありしは、いづれも先生門下の士なり。先生の教は、學術專ら正純・嚴肅を旨とし、决して蟲雕の末技に流れず。是を以て詩に文に佳麗豐縟の辭藻なしと雖も、學力該博固より傳ふるに足る。此書の如きは、實にその一なり。初學に示す所の作文法の標凖にして、先生に於ては僅に全豹の一斑に過ぎざれども、我輩後進の徒之を得て九鼎大呂より重しとす。古文を修むるの法、條理渾成自から修辭・達意の~髄を得る法を説き、術を傳ふるもの、丁寧親切善く胸中の富贍を悉す。朱元晦云、韓愈博極傳書、奇辭奧旨如取諸室中物(*本文参照。)と。余輩先生の此書に於て亦之を云ふ。噫。明治二十三年十二月某日陳文主人源春信拜記。
本文
跋(源春信)