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作文初問

縣孝孺(山県周南)
(服部南郭考訂『作文初問』 仙鶴堂藏 山城屋茂左衛門 1755〔宝暦5〕)
※ 〔参照〕村田峯次郎編『作文初問・三之逕』合册(長周叢書 稻垣常三郎 1890.12.24
板本本文と叢書翻刻本は全てカタカナ書き。細部の相違が多く、翻刻の誤りが多い。

  本文   跋(源春信)
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作文初問

長門 縣孝孺 撰
以上を古文とす。六經以下諸子百家の書皆是なり。然るに其文辭互に蹈襲せず、一種一種各一家の體を成り。文章家自己の好尚に從ひて優劣を評品すと雖、左傳檀弓上レ、孟子莊子ハレ上レ。諸家各一家の文章にて百世不刋(*不磨)の文辭なり。是を以文章に定體なし。如何樣に書ても文章になると云を悟るべし。如此領會すれば、氣膽闊大になり、百家を呑する心ありて、筆を把[一オ]て羞澁せず。
文章に篇法・章法・句法あり。文章文章歐冶文章一貫等の書を見て、其法を悟るべし。此篇の末に大を抄出せり。又の評林、諸家の文評等、甚學者にuあり。つけ見也。又歐冶の類、爲ニシテ科業而設る者あり。是に眼染ば習氣二等に落て、古文を學ぶに害あり。心得て見るべきなり。凡唐宋以後、天下の文章を宗とす。人人巧拙ありと雖、畢竟二家の範圍を不出。太抵(*ママ)天下の文章一體に成たり。篇法・章法・起結・舖叙・過接・照應・起伏、凡一[一ウ]篇の文字繩墨をひき、寸法をあつるに其次第分明なり。是以後の文法なり。此文法を秦以上の古文に附會して論ずる者は非なり。經史諸子皆事を記し道を論ずるの書にて、意達して止。後世文人の詞藻を弄する類に非ず。故に古文は無法渾成、自然の文字なり。事を叙で言を述る時は、章句・段落自然と其中にあり。譬ば、人一件の事を口説するに、源委・巨細次を逐て説下せば、自然に條貫ありて分曉なるが如し。後の學者、其中に就て目なれたる者を表出し、條理して文法と[二オ]す。故に其法亦定論なし。我悟る處を貴重して論説す。文人の氣習にて、往往夸(*大仰)の言あり。不眩惑。古人法を設て文を作るに非ず。唐荊川(*唐順之)曰、以前之文嘗無バアラ一レ法。而シテ法寓於無法之中。故其爲法也、密ニシテ而不窺。唐近代之文、不法。而シテ有法。故其爲法也、嚴ニシテ而不、と云り。法寓於無法之中といへば、法を隱して手を見せぬ樣に聞ゆれども、左にてはなし。古人は文法の沙汰はなしと心得べし。徂徠先生古文矩于鱗之分已。非フニ先秦以上之古文。蒙士文を作るに、法を論ず[二ウ]れば拘縛せられて惡し。大一篇の起結・首中尾・段落等の工面をして、凡は心に任せて書べきなり。
文を作んと思はゞ、先題に對して主意を立べし。是一篇の文字の種子なり。主意已に出來たらば、首は何と言起し、中にて何と言ひろげ、尾にて何と言收むべしと、首中尾の分段を布置すべし。是にて一篇の體立なり。分段已に定らば、筆を把て心に任せてさら〳〵と書立べし。此塲にて苦思澁滯すれば、一篇の氣脉貫通せず、章段支離して體[三オ]を成ぬなり。其上にて只管ひたすら、潤色し、務て卑俚を洗滌し、典雅の辭を擇び、繁冗なる處を點撿して、文を簡古につめて見るべし。十字二十字の句を五字七字にも約し、五百字七百字の篇を二百三百にも約すべし。古文は辭簡潔にして義理深長なるを貴ぶ。中華の文も宋元の文は冗長なれば、試に古文辭を以約て見よ。如何程もつめらるべし。此方は常の言語繁冗支離なる故、其口氣自然と文章にうつり、衍語侈辭あるを不。又言語の次第語に比すれば倒なる故、讀で見[三ウ]て口に碍らざる(*さはらざる、と読むか。)故、倒あるを不覺。又言語の殊異に因て字の倒のみならず、句の次第にも倒置あり。多くの文字を費して漸くとき廻して通ずるあり。和文の習心に染てある故なり。語を和語にて譯して説に、下の句を先へ言て上の句を後に言ば、講説を不費して分曉に通ずる類多し。是にて字のみならず句にも倒あるを知べし。此意を了悟して古辭・雅語を以綴緝すれば、自然と文簡潔高雅にて義理深くなるなり。
文章に脩辭・達意二端あり。徂徠先生譯文筌蹄題言[四オ]中具に論ぜられたり。畢竟辭不ば意不故に、脩辭文章の第一義なり。文を作んと欲せば、先古辭雅語を多く記憶すべし。中富贍なれば、筆を把て自由三昧なり。朱元晦云、韓愈博極傳書、奇辭奧旨如諸室中、と云り。此事なり。汪伯玉は十三家を定めて比年(*毎年)に一周せしと云り。四書五經は中華の人擧業(*科挙のための勉強、作文)の爲童稚の時より暗誦するなれば、十三家の内に不。所謂十三家は、左傳國語戰國策史記荀子呂覽老子列子莊子楚辭淮南子文選。此外に韓非子水經世説バアル讀書と、徂徠[四ウ]先生は云れしなり。華人は僧家諷經の如く音節ありて順に讀下す故、此方の讀方に比すれば勞も少くてま(*左ルビ)を省くなり。此方の讀方は華人に比すれば大きに功力を費す。是程の書、比年一周には及難かるべきか。讀に以セバ亦頗功を省くべし。古人菁華要文(*菁華抄か。)を抄書して記するもあり。甚抄書を貪れば却て功を費し、記憶のuにならぬもあり。若又書數を省き、簡にして記せんと欲せば、五經は經學・文章の根元なれば、專に可讀。此外に左傳國語史記屈子莊子文選なるべし。讀方本文ば[五オ]かりさら〳〵と讀て、全部に渉て記憶するを圖るべし。大要は人人得方ある物なれば、其法は好む所に任せ、いかにもして博く記憶して緩急に備ふべし。文を搆るに臨て、李u(*李商隠)が獺祭魚と云る樣に書籍を捜索すれば、拐~渙散とけちる(*左ルビ)して工夫不專一ナラ、文章の氣を傷ふ。或は多岐に奔散して文不成得。常に胸中に貯へ有つべき、作文第一の功用なり。
韓退之は務陳言を功とせり。陳陳腐ふるくくさる(*左ルビ)也。いかなる新奇の美言にても、一たび人の口を經れば陳腐なり。人の陳腐を拾ひて文を作るは卑しと思[五ウ]へるなり。檀弓・孟子の文法を學んで文を作れども、學びたりと不見、自家渾成の文と見ゆるは、語を剽竊せぬ故なり。去陳言一とは古書の成言全句を用ぬなり。文字は皆經子史集、古書に本據せり。然らざれば文典雅ならず。明の末、袁中郎鍾伯敬などが古文を厭ひて新奇の文を倡ふ。好んで六朝以後近俗の文字を用たる故、其文輕うすし(*左ルビ)繊弱なり。戒とすべし。と並稱すれども、柳子厚は間古人の成言全句を取用ひて文を作れり。獻吉于鱗が開なり。然れども多用レバ古語、反正氣、と[六オ]云り。古語を用ひて鑄鎔不足ば、支吾(*つっかかる、流れに逆らう、ぎくしゃくする)する處ありて、全文渾成の氣を傷ふ故なり。于鱗は好で古人の成語全句を綴緝して文を作る。是は一意に高古を貴ぶ故、古語を解析すれば古氣を傷んを恐るゝなり。汪伯玉亦多用全語一、元美は章法・句法をば模すれども全語をば不用。其文比スレバ于鱗、才有餘、而時ラレ於巧、不ナラ於古獻吉が集を檢するに、其集の自序全く左傳季札觀樂の段を學べり。是于鱗が興起する所なり。其佗の篇は四字の句多く、文簡潔なれども、間齊梁の語あり、古雅に不專。(*李夢陽・何景明)[六ウ]が復古の功は、專詩にあり。文章はに至て明の古文成り。
古語を用るに鑄鎔いとらかす融化とけあふ(*左ルビ)を重んず。譬ば古金を用て器を作るが如し。よく鑄鎔して金質ぢがね(*左ルビ)融化すれば、器は新製なれども光采・色澤宛然そのまゝ(*左ルビ)たる古器なり。若剪截きりやふ(*左ルビ)、字義不當、或語辭不類(*不良)なれば、畔岸くわい/そね〳〵(*斜線以下左ルビ、ママ)して支離・齟齬す。是子厚が所謂正氣を傷ふなり。尤工夫を用べきなり。
文章古今の變を觀て、品格の高下・氣象の雅俗を知、文を作る標準を立べし。先秦の古文は文章の[七オ]本なれば不論、は西京(*長安)を盛とす。南北隋唐に下りて衰ふ。古文を倡へて唐の文興る。宋元明に下りて衰へて、。是古今の變なり。の文、齊梁の文、の文、宋元の文、が文、各十篇ばかり抽出して、體製・辭藻を熟覽せば、其變判然として可なり。の文は古文に比すれば漸くつい(*左ルビ)多し。其辭古質樸茂(*質朴厚重)なり。其中史選(*史記)は儷語少し。六朝に下りては、對偶の法甚巧にして、其辭縟麗を尚ぶ。婦女の體質は弱くしてチ粉(*白粉)の粧盛なるが如し。偶對を去チ華を削り、義理を主とし、孟子[七ウ]體を學んで古文を倡ふ。六朝の弊一洗す。六朝の辭勝に懲て、チ華を削り義理明暢を尚ぶ。其流宋元に至ては理勝て辭不脩。辭を不脩ば、必鄙俚に落。義理明暢を尚んで辭猥雜なる故、其文冗長なり。于鱗此弊を矯んとす。ビス矣。唐を踰を越て、左傳史選を主とし、先秦以上の古文を取。宋元理勝の文に懲て、專ら脩辭を尚ぶ。元美伯玉。是明の古文なり。
于鱗曰、不レバ規矩、不方圓スル。擬議シテセバ日新冨有ナリ。今夫尚書左氏檀弓考工司馬、其成言班如タリ(*整然)也、法[八オ]則森如タリ(*儼然)也。吾其華、而裁其衷。琢シテ、屬シテ、と。是于鱗が家法なり。擬議より冨有までは辭傳の辭を裁して文を作る。擬議は效法の義に取。即摸擬うつしなぞらふ(*左ルビ)也。古人の成言を摸擬して、變シテ陳腐、而爲新奇也。于鱗が意、古言を陳腐と言ども、規矩を陳腐とて棄られはすまじ。古文を學ばゝ、古言を規矩とすべし。古人の成言班如として可。文法森嚴をごそか(*左ルビ)に具りてあり。其辭の英華を擇んで取、其よきところを我心にて裁節して取、字をみがひて辭句を作り、辭句を綴屬つゞりつゞけ(*左ルビ)して一篇を作るべし、と思へるなり。韓子[八ウ]が陳言を去と云を反用して、別に以後の古文を建立せり。宋元の文章猥雜卑陋なれば、げにも不ナラ此ば救ひがたかるべし。其上于鱗が古文を學べば、古書に淹貫(*博通、通暁)せざれば不能。古書に淹貫すれば、古經明め易し。徂徠先生を推れしは、徒に文章を高しとするに非ず。經學の階梯なればなり。然れどもは時を考へ力を量りて、自己より出す。其文自然なり。管仲が仁に似たり。于鱗は一意に脩、超乘シテ而上り、古人を摸擬して作る故、時に或牽強あり。善學ばずんば宋襄の仁(*贔屓の引き倒し)にな[九オ]るべし、又孫叔敖が優孟(*見掛け倒し)なるべし。學者の工夫にあり。
此方の學者、助字を大小(*によらず、の意か。)大事として難んずるは、助字に和訓なき故なり。字書に的當の訓詁なければ、訓なきに因て難んぜば、華人も同じなり。されど彼方に助字の難易を論じたる事を不見。柳子厚人に助字を教へて、乎・歟・邪・哉・夫疑辭也、矣・耳・焉・也スル辭也、と計り言て其他備具(*詳悉・詳説)せず。文の助辭は此方のテニヲハの如し。助字なくても上下の文を通じて心を以推て讀ば義通ずる[九ウ]れば、大右の樣に心得てすむなる故なり。俗諺に、焉・矣・也・乎・哉用好秀才と云も、旦且(*旦旦=懇切に、か。)助字などをば辨へ知程の才子と云なり。難んずる言に非ず。以後は、文法・體制大槩一定せる故、助字の置所又可用字も一定して知易し。古文は不然。南郭文筌小言に論列せり。考て可知。凡助字の用、辭句不足なる故、助字を添て語勢を整るもあり。字孑孤ひとり(*左ルビ。「孑」右ルビ「けつ」)なる故、助字を副て輔るもあり。或は整齊・疊複する故、助字を挿んで語勢を緩むるもあり。助字を去て義に害なきもあり。助字を得て[十オ]義理深くなるもあり。又乎字可用處に也字を用ひ、之字用べき處に而字ある類、交換通用せるも、皆語勢に因て轉ずるなり。此類は上下の文を推て義を取て通ずるなれば、今文の使用より見れば、唯語勢を助けて定義なきに似たり。又詩經助字多無意義、猶如楚調候・兮、近時歌曲・哩類以成聲調已。故註家亦無解釋。設如欲セバ後世助字セント其義、則捕也。詩者歌詠之辭。其文固ヨリ佗書ナリ。然レドモ助字之用。又古文には必可有處に助字なく、有まじき處に助字有もあり。心をつけ[十ウ]。助字少なき文は整齊・簡潔なり。助字多き文は婉曲・優美なり。書經は助字少なく、遷史は助字多し。論語孟子は助字多く、荀子は少なし。は少なく、莊子には多し。一書の内にても篇體に因て多少あり、一人の作にても文體に因て多少あり。凡助辭字義を以求ては知がたし。博く古人の用處を見て、變化を知べし。自然と難事に非るを知べし。
歐陽永叔(*欧陽脩)、多メバ、自能、と云り。泛然ばつと(*左ルビ)と博く書を讀と云には非ず。文章にuある書を混讀ひたよみに讀ば、[十一オ]心目文に熟して自然と文章を喩ると云なり。唐明四家の集、常に不して熟讀すべし。不然ば古辭を多く記憶しても、篇章の結撰泥むなり。
曰、六經ドリ天地しる鬼~、參ハリ物序、制人紀、洞カニシ性靈之奧區、極ムル文章之骨髓者也。論・説・辭・序、則易統其首、詔・策・章・奏、則書發其源、賦・頌・歌・贊、則詩立其本、銘・誄・箴・祝、則禮總其端、紀・傳・銘・檄、則春秋〔此指左傳〕(*割注)根。百家騰躍スレドモ、終環内。故文能トスレバ、有六善焉。情深シテ而不、一也。風Cシテ而不ナラ、二也。事信ニシテ而不ナラ、三也。義直ニシテ而不カラ、四也。體約ニシテ而不ナラ、五也。文麗ニシテ而不、六也。[十一ウ]
文の體製・章句の法・辭の菁華、悉く五經に出。能五經の文を記憶する、學文の基本なり。
柳子厚曰、當六經一。次論語孟軻。皆經言ナリ左氏國語莊周屈原之辭、稍采セヨ穀梁子太史公、甚峻潔ナリ。可以出入
李塗曰、莊子文章善。以、而ニス天下之實太史公文字善。以其實、而實ニス天下宋人作文章焔`
莊子は實事を假て議論を行ふ。史記事實。不シテシモ斷案、而淑慝(*善悪)褒貶、自有議論
王元美曰、檀弓考工記孟子左氏戰國策司馬遷、聖ナル[十二オ]於文乎。其叙事則化工(*天成)之肖物(*迫真の描写)ナリ班氏(*漢書)ナル於文乎。人巧極天工錯レリ莊生列子楞嚴維摩詰、鬼~ナル於文乎。其逹見峽決シテ而河潰也。窈冥變幻シテ、而莫其端倪(*区切りを持った全容、全貌)也。
孝孺ズルニ、楞嚴・維摩、逹見・峽決、則有之。其文豈之倫ナランヤ。元美有此心、其文不ナラ。又能下シテ縱横無
凡文章經(*六経。詩・書・易・春秋・礼記・楽記)に本づくが前の論に云り。されども莊子屈子が跌宕・奇譎(*縦横奔放)の思ひ、窈冥・變幻の風調なければ、文章闒靸(*たふさふゐじ。萎靡不振)するなり。譬ば屈子漁父に、漁父莞爾トシテ而笑。鼓シテ而去、と云。棄て(*くよくよと気にすること)なき所極て面白し。蘇子瞻(*蘇軾)是に本づひて赤壁賦[十二ウ]に鶴を夢みるを云り。窈冥・變幻屈子が上に出たり。這等の逸調、詔・策・經・議等の文には用られず。されど文士の胸、此奇思・逸調無れば、文委靡するなり。詩に經語を忌む心にて、文章も理學に濡首(*惑溺)する經生は、風雅の思致なくして拙き者なり。
麗澤文説(*南宋・呂祖謙)云、文三等。上焉藏シテ。讀メバ自有滋味。中焉歩驟馳騁、飛。下焉用意庸常、專トス造語
初學の者は中等を心がくべし。上等を學ばゝ下等に落べし。東坡作ナリ於命意。必超然トシテ[十三オ]於衆人之上、と云り。題に向て先主意を得と吟味すべし。趣向庸常なれば、造語よくても下等に落。超然と高くとびぬけたる工夫なければ凡庸を得離れず。
王維曰、文章之體有二。序事・議論、各不相淆。葢人人能言矣。然此宋人創。宋眞コ秀古人之文、自列所見わけ二途。夫文體區別スル、古ヨリ之。然ドモ而別ニス。如老子伯夷屈原管仲公孫弘鄭莊傳、及儒林傳等、此皆既述其事、又發其義。觀之辨ナル、以爲議論可也。觀之具、以爲叙事可也。變化・離合、不[十三ウ]名物、龍騰鳳躍、不(*束縛)。文ニシテ而至、雖遷史其然。晉人ズルレリ矣。條中有トハ鎔裁スル(*冗語を省き、構成を錬って条理を明らかにすること。洗錬。劉『文心雕龍』の語。)、正謂耳。夫金錫不レバ。事詞不レバ。其致一也。
ズルニ文筌叙事・議論・辭令爲三體。以詔・誥・教・誓・・盟・啓・簡辭令
徂徠先生曰、文章之道達意論語・脩辭易傳二派、發聖言。其者相まつ。非レバ脩辭、則意不スル。故三代時、二派未嘗分裂。然ドモ亦各有トスル、主トスル達意ナリ也。相如楊雄、主トスル脩辭ナリ也。東京(*洛陽)ナリ脩辭。而シテ達意一派寥寥タリ。六朝浮靡至而極矣。[十四オ]達意。宇宙一新。然レドモ又衰。降元明、文皆語録中語、助字別一法、夐上古合。古今之間、遂一大鴻溝。故脩辭、振、一。可大豪傑矣。譯筌題言
謂、五經義理之府、菁華之藪。
歐陽永叔曰、文字。惟讀コトケレバ、則爲自工ナリ。世人之患ナルト、又作文字キト、毎一篇出、即求ルトニ上レ。如シテ此少文章辨體(*明・呉訥編)
文を作るに、始より善作らん、人に勝らんと思へば、却て澁[十四ウ]泥して文才を傷ふ。志をばくして、工をば易く心得べきなり。

文法

愚謂、是則文法。
程子曰、孟子善議論。先提其綱、而後詳。只是見識高。胸中ヨリ流出。辨論盤根錯節、只以譬喩、輕輕[十五オ]性理大全
王維曰、古今文章家、擅ニスル竒響者六家。左氏之文以葩(*華)ニシテ而竒。莊子之文以玄ニシテ而竒。屈原之文以幽シテ而竒。戰國策之文以雄ニシテ而竒。太史公之文以憤ニシテ而竒。孟堅(*班固)之文以整ニシテ而奇。
皇宋類苑云、文章與人品。自古大聖・大賢非レバ英雄氣量、不也。英雄之氣、擔天地。英雄之量、包古今。擔天地至重、包シテ古今而有ラバ、如立天下之道コ、成ストモ天下之事業不可ナル。況區區タル古文ニシテ、而有ンヤ高者乎。[十五ウ]
蘇伯衡曰、凡遇ハヾ題目、須先命一レ。大意既タバ、又須(*部類分けする。)如何、如何承接、如何收拾セント。此之謂布置。又曰、下スノ筆之時、且須專心冥思。一篇於胸中、方。若逐段逐(*時)、則非一レ文矣。

篇法

緯文瑣語云、篇中不冗章、章中不冗句、句中不冗字文章一貫
篇成て後、數囘沙汰して冗章・冗句を去べし。冗處あれば、文病て氣不ナラ
麗澤文説云、文字一意貴段數多キニ[十六オ]
篇中段數を段段にわけてかくべし。段數分るれば、文勢分明にて、義理分れ易し。
又云、散文若サバ段子、恐クハ流暢
散文は四六對偶の文に對して云。四六讀故に事條ごとに段を分てかくなり。散文は段を多くわけば、篇體崎嶇としてさらりとあるまじ、となり。是は前に段數を多くせよと云に付て、又此心得をして段數のわけやうをよく取廻し、支離せぬやうにと云なり。前の段數多と云も、四六に限らず散文の法をも兼て云り。[十六ウ]
文章焔`云、文字須數行齊整ナル處、數行不齊整ナラ。意對スル、文却シモ、意不シモ、文却著對
齊整は對偶を指。古文の對語は、語勢對して字不シモ。句中の助字も參差そろわず(*左ルビ)たり。對偶堅ければ時文に落て鄙し。古書の對法に心を付て見るべし。
文字有終篇不主意、而結句見主意過秦論、仁義不シテ、而攻守之勢異ナレバナリ韓愈守戒在ルニ之類是也。文章焔`
史記終篇惟作他人、末後自己只説一句子瞻表忠[十七オ]觀碑之類是也。文章焔`
昌黎ルノ李愿歸ルヲ盤谷、終篇全説話、自説クハ只數語、其實非。此又別一格式。文章焔`
捫蝨詩話(*捫蝨新話)云、爲ニハ常山蛇勢
孫子首尾共の説。最切當の論なり。
王世貞曰、首尾・開闔・繁簡・奇正、各極ルハ其度、篇法ナリ也。抑揚・頓挫・長短・節奏、各極ルハ其致、句法ナリ也。點綴・關鍵・金石・綺綵、各極ルハ其造、字法ナリ也。篇百尺之錦。句千鈞之弩。字百錬之金
文筌、文章體段六節。[十七ウ] 右六節、大小諸文體中皆用。然ドモ或用其二、或其三四。可増減。有則用、無則已。其間起結二字、則必不バアルナリ也。起結二法、在作文家最爲難事。須二家諸體文字、摘起結、觀其變化手段[十八オ]。非言傳也。
文章一貫、起端八法。
歐陽起鳴云、鋪叙豐贍。最怕文字直致シテ委曲(*「歐陽論範」か。)
麗澤文説云、看ルハ文字、須過換及過接
又云、轉換處須是有一レ力。不シテ助語、而自接連スル
文章一貫云、過接シテ以結ズルヲ
又云、止齋(*陳傅良)曰、結尾關鎖しまり(*左ルビ)之地。尤要塩ァ、順快。葢塩ァナレバ則有文外之意、順快ナレバ則讀而有餘味
歐陽起鳴云、結尾或先スレバ、或先レバ揚。或短中[十九オ]、或衆中(*摘む)。或以冷語、或以經句。但末梢文字最嫌軟弱。更須百尺竿頭復進一歩
文筌、結尾九法。

章法

曰、設ルニ宅、置位。をく、位スルヲ。故者明也、句者局也。夫人之立、因而生、積而成、積而成也。
篇中言んと欲する事、條路を分つて言下すに、一條の事、數句を積て明かに言取。是一章なり。數十句の大章あり、二三句の小章あり。上に大章あれば、下亦大章を以對應するあり。或上に[二十オ]長章ありて文勢緩なれば、下短章を以急に攝收するあり。變化無窮を貴ぶ。文章等を見て可悟。今此に粗二三の例を擧
左傳隱公、苟有ラバ明信、澗溪沼沚之毛、蘋蘊藻之菜、筺筥リ釜之器、潢汙行潦之水、可於鬼~、可於王公。而君子結二國之信、行セバ、又焉ンゾ
莊子繕性、世ウシナフ(*左ルビ)矣、道喪矣。世道交〳〵相喪也。道之人何テカサン乎世。世亦何テカサン乎道哉。道無以興乎世、世無以興乎道、雖聖人不一レ山林之中、其コ隱矣。隱[二十ウ]
、夫易聖人之所ナリ而研一レ也。唯深也。故能通天下之志。唯幾ナリ也。故能成天下之務。唯~ナリ也。故シテ疾而速、不シテ行而至
右類、整語・散語參錯シテ而成。古書類多。不。又有一類、排比シテ
、冨有之大業、日新之盛コ、生生之。成象之、效法之。極、通ズル。陰陽不測之~
考工記、以鳴者、以鳴者、以鳴者、以鳴者、以鳴者、以鳴者。[二十一オ]
莊子、徐無鬼吾與之邀於天、吾與之邀於地。吾不之爲一レ、不之爲一レ、不之爲一レ。吾與之乘天地之誠、而不物與之相。吾與之一シテ、而不之爲一レ=B今也然世俗之償焉。
右古書中多類。今不枚擧。又有交錯シテ而成
莊子、以、喩ンヨリ之非一レ、不若以指、喩ンニ之非一レ也。
荀子、不シテ利而利スルハ、不如利シテ而後利スルノ之利ナルニ也。利シテ而後利スルハ、不如利シテ而不之利ナルニ也。
莊子中類多。他書ニモ亦間〳〵之。不枚擧
以上句法一定スル者、其法易見。至テハ乎長短句參差トシテ[二十一ウ]、難其法。今摘中二三章、示。學者當本篇、知其法則
韓子書、古之人三月不レバ仕、則弔。故レバ必載質。然所ズル於自進、以ナリ其於不可ナレバ、則去此句八字(*割注)、於不可ナレバ、則去此句八字(*割注)、於不可ナレバ、則去、之、之、之一レ此句十五字(*割注)
又雖憎怨、苟於欲スルニ其死、則將狂奔シテ句法(*割注)、濡手足句法、焦毛髪句法、救而不ント上レ收法(*割注)。若是者何哉。其勢誠ニシテ、而其情誠レバナリ悲也章法(*割注)
又序與之語道理三字句(*割注)、辨古今當否六字句、論ズレバ高下四字句、事後當成敗五字句、若シテ下流シテ而東グガ、若[二十二オ]馬駕輕車、就熟路、而シテ王良・造父爲先後一句長。以二句合爲一句(*割注)、若燭照數計ヘテ而龜卜スルガ一句短
張文潛(*張耒)云、七月詩、七月以下皆不道破。至十月、方メテ蟋蟀。非ンバ於文章、能爲ンヤ耶。

句法

按句法、以四字、自然語勢ナリ。而一字、有二三字、有七八字ヨリ數十字司馬子長(*司馬遷)一二百句一句。才子筆端變化、難定格。今擧二三例、以爲榜樣(*榜とも。手本)
檀弓孔子先反。門人後。雨甚二字句(*割注)。至一字句孔子[二十二ウ]曰、爾來也。
又曰、防墓崩孔子。三タビス一字句(*割注)孔子トシテシテ曰、(*原文下略)
莊子田子方顔淵曰、文王其猶未邪。又何夢爲ンヤ乎。仲尼曰、默一字句(*割注)。汝無
人間世、匠石曰、密トセヨ一字句(*割注)。若
孟子、使。出一字句(*割注)。從
又曰、干戈二字句(*割注)、朕(*ワレ一字句。琴一字句、朕一字句(*漆塗りの飾りのある弓)一字句、朕一字句
文則(*陳云、檀弓長句法。○毋ンヤ使ヲシテシテ乎哉。○孰ンヤ之喪、而沐浴シテ而珮乎。○簣[二十三オ]杞梁之妻之知一レ也。○苟無シテ禮義・忠信・誠愨之心、以マバ、○短句法。○華シテ而皖ラカ三字(*割注)。○立二字。○畏。厭。溺一字
左傳長句法。夫固ヨリヘリ君訓、而好、召諸司、而勸ムルニ令コ、見莫敖、而告ント諸天之不上レキニ也。桓十三年傳(*割注)○天或者欲スルモシテ其心、以厚其毒、而シテント、未知也。昭四年傳
荀子長句。正名篇、凡邪説僻言之離正道而擅作スル者、無於三惑矣。
文章焔`云、司馬子長一二百句作シテ一句。更タレ退之(*韓愈)三五十句作シテ一句子瞻(*蘇軾)亦然。初不學。但[二十三ウ]長句中轉得意。便是好。若一二百句・三五十句、只説レバ一句、則冗ナリ矣。
陳揆(*陳文則、多句法。此備載。可本篇
文章一貫曰、有長入、有短入長者、有長短錯綜スル

作文初問 [二十四オ]


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(*翻刻本の柱に記載。板本にはなし。)

周南山縣先生は一代の名儒なり。幼少より家嚴(*厳父)良齋君に從て家學を受く。家教嚴勵、學ぶところまた謹厚なり。長ずるに及びて江戸に至り、物徂徠氏に就き古學を修め、其業大に進む。賦性温良、議論また平順に歸す。徂徠氏頗る其才を愛し、群弟子中特に先生安藤東野二人を推す。實に物門高弟の巨擘となす。正コ年閨A朝鮮國の修信使途次長門を經て赤間關にす。先生乃ち命を奉じて之に應接し、筆語酬唱衆皆なその英才に驚けり。そのゝち本藩の儒官に擧げられ、小倉尚齋に繼ぎて明倫館の祭酒となり、佐々木龍原等と大に學問教授の任に與かる。瀧鶴臺和智東郊等長門十才子の稱ありしは、いづれも先生門下の士なり。先生の教は、學術專ら正純・嚴肅を旨とし、决して蟲雕の末技に流れず。是を以て詩に文に佳麗豐縟の辭藻なしと雖も、學力該博固より傳ふるに足る。此書の如きは、實にその一なり。初學に示す所の作文法の標凖にして、先生に於ては僅に全豹の一斑に過ぎざれども、我輩後進の徒之を得て九鼎大呂より重しとす。古文を修むるの法、條理渾成自から修辭・達意の~髄を得る法を説き、術を傳ふるもの、丁寧親切善く胸中の富贍を悉す。朱元晦云、韓愈博極傳書、奇辭奧旨如取諸室中物(*本文参照。)と。余輩先生の此書に於て亦之を云ふ。噫。明治二十三年十二月某日陳文主人源春信拜記。


  本文   跋(源春信)
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