隱公

概要 〔☆概要(経と伝の解説・要約作成)は、生成AIの援助に依存している。読みは少し異なっているが、あえてそのままにした。〕

 恵公の正妻は孟子もうしといったが、孟子が亡くなった。
 そこで声子せいしを後妻に迎えたところ、隠公が生まれた。
 宋の武公に仲子ちゅうしという娘が生まれた際、その手には「魯の夫人となる」という文字の形の手相あざがあった。
 そのため仲子はわが国(魯)に嫁ぎ、桓公を産んだが、その後まもなく恵公が亡くなった。
 こうして隠公が即位し、幼い桓公を奉ずること(いずれ国を譲る摂政としての即位)となった。
 
要約(ポイント)
1.二人の異母兄弟の誕生
 ◯隠公:側室(後妻)である声子の子。長男。
 ◯桓公:正室(身分の高い仲子)の子。次男。

2.仲子の手相の伝説
 宋の姫君・仲子の手に「魯の夫人になる」と書かれていたため、魯の恵公に嫁ぎ、正室として桓公を産んだ。

3.隠公即位の背景
 恵公が亡くなった際、本来の跡継ぎである桓公はまだ幼かった。そのため、異母兄である隠公が「桓公が大人になるまでの繋ぎ(摂政)」として臨時で君主の位に就いた。
 この「隠公はあくまで弟のための代理で即位した」という背景が、この後の隠公の葛藤や悲劇的な結末につながる重要な前提となっています。
訓読 〔傳〕惠公けいこうノ元妃げんぴハ孟子ナリ。孟子卒しゆつス。繼グニ㆑室ヲ以テス㆓聲子せいしヲ㆒。生ム㆓隱公いんこうヲ㆒。宋ノ武公生ム㆓仲子ちゆうしヲ㆒。仲子生マレテ而有リ㆔文ノ在ル㆓其ノ手ニ㆒。曰ク、爲ラント㆓魯ノ夫人ト㆒。故ニ仲子歸とつグ㆓于我ニ㆒。生ミテ㆓桓公くわんこうヲ㆒而惠公薨こうズ。是ここヲ以もつテ隱公立チテ而奉ほうズ㆑之ヲ。
 〔經〕 〇元年、春、王ノ正月。
〇三月、公及と㆓邾ちゆノ儀父ぎほ㆒盟ちかフ㆓于蔑べつニ㆒。
○夏、五月、鄭伯克ツ㆓段ニ于鄢えんニ㆒。
〇秋、七月、天王てんわう使しム㆓宰咺けんヲシテ來リテ歸おくラ㆓惠公・仲子ノ之賵ばうヲ㆒。
〇九月、及㆓宋人そうひと㆒盟フ㆓于宿しゆくニ㆒。
〇冬、十有いう二月、祭伯來ル。
〇公子益師えきし卒ス。
白文 〔傳〕 惠公元妃孟子。孟子卒。繼室以聲子。生隱公。宋武公生仲子。仲子生而有文在其手。曰、爲魯夫人。故仲子歸于我。生桓公而惠公薨。是以隱公立而奉之。
 〔經〕 ◯元年、春、王正月。
◯三月、公及邾儀父盟于蔑。
◯夏、五月、鄭伯克段于鄢。
◯秋、七月、天王使宰咺來歸惠公仲子之賵。
◯九月、及宋人盟于宿。
◯冬、十有二月、祭伯來。公子師卒。
原文 〔傳〕【|惠公{けいこう}】〈NOTE 在位46年(前768―723) 〉の【|元妃{げんぴ}】〈NOTE 正夫人 〉は【孟子】〈NOTE 子は宋国の姓。宋王の長女なので孟子と呼んだ。 〉なり。孟子【|卒{しゆつ}す】〈NOTE 大夫の他、貴人の死に用いる。 〉。繼ぐに[㆑]室を以てす[㆓]【|聲子{せいし}】〈NOTE 孟子の姪娣(てつてい)=侍女かという。 〉を[㆒]。生む[㆓]【|隱公{いんこう}】〈NOTE 在位11年(前722―712) 〉を[㆒]。【宋】〈NOTE 殷王朝の末裔を封じた。子姓、公爵。魯は周公の封ぜられた国で姫姓、侯爵。 〉の【武公】〈NOTE 在位18年(前765―748) 〉生む[㆓]|仲子{ちゆうし}を[㆒]。仲子生まれて而有り[㆔]【文】〈NOTE 筋模樣が魯の字をなしたという。 〉の在る[㆓]其の手に[㆒]。曰く、爲らんと[㆓]魯の夫人と[㆒]。故に仲子|歸{とつ}ぐ[㆓]于我に[㆒]。生みて[㆓]【|桓公{くわんこう}】〈NOTE 在位18年(前711―694) 〉を[㆒]而惠公|薨{こう}ず。|是{ここ}を|以{もつ}て隱公【立ちて而|奉{ほう}ず[㆑]之を】〈NOTE 桓公の摂政を務めた。即位していないため、経に先立って伝を書いた。これを「先んずるの[㆑]経に伝」という。 〉。
 〔經〕〇元年、春、【王の正月】〈NOTE 周王の定めた暦の正月。魯が周の王統に連なる国として正暦を用いていることを示す。 〉。 〇三月、公|及{と}[㆓]【|邾{ちゆ}】〈NOTE 魯の附庸の国。後、子爵。鄒(騶)と改称。 〉の|儀父{ぎほ}[㆒]|盟{ちか}ふ[㆓]于|蔑{べつ}に[㆒]。 ○夏、五月、【鄭伯】〈NOTE 鄭の荘公。在位43年(前743―701)。鄭は姫姓、伯爵。 〉克つ[㆓]【段】〈NOTE 鄭荘公の弟、共叔段。 〉に于|鄢{えん}に[㆒]。 〇秋、七月、【|天王{てんわう}】〈NOTE 周の平王。在位51年(前771―720)。即位とともに周都を鎬京から雒邑(洛陽)に遷都した。東周の初代の王。 〉|使{し}む[㆓]【宰】〈NOTE 宰夫。弔問使。 〉|咺{けん}をして來りて|歸{おく}ら[㆓]惠公・仲子の之【|賵{ばう}】〈NOTE 喪礼の車馬。 〉を[㆒]。 〇九月、及[㆓]|宋人{そうひと}[㆒]盟ふ[㆓]于【|宿{しゆく}】〈NOTE 国名。 〉に[㆒]。 〇冬、十|有{いう}二月、【祭伯】〈NOTE 周の卿士。伯は尊称。周公の子孫。 〉來る。 〇公子|益師{えきし}卒す。
旧タグ 〔傳〕【 ̄惠公`けいこう´】〈NOTE 在位46年(前768―723) 〉ノ【 ̄元妃`げんぴ´】〈NOTE 正夫人 〉ハ【孟子】〈NOTE 子は宋国の姓。宋王の長女なので孟子と呼んだ。 〉ナリ。孟子【 ̄卒`しゆつ´ス】〈NOTE 大夫の他、貴人の死に用いる。 〉。繼グニ^室ヲ以テス 2( 【 ̄聲子`せいし´】〈NOTE 孟子の姪娣(てつてい)=侍女かという。 〉ヲ )1 。生ム 2( 【 ̄隱公`いんこう´】〈NOTE 在位11年(前722―712) 〉ヲ )1 。【宋】〈NOTE 殷王朝の末裔を封じた。子姓、公爵。魯は周公の封ぜられた国で姫姓、侯爵。 〉ノ【武公】〈NOTE 在位18年(前765―748) 〉生ム 2(  ̄仲子`ちゆうし´ヲ )1 。仲子生マレテ而有リ 3( 【文】〈NOTE 筋模樣が魯の字をなしたという。 〉ノ在ル 2( 其ノ手ニ )1 。曰ク、爲ラント 2( 魯ノ夫人ト )1 。故ニ仲子 ̄歸`とつ´グ 2( 于我ニ )1 。生ミテ 2( 【 ̄桓公`くわんこう´】〈NOTE 在位18年(前711―694) 〉ヲ )1 而惠公 ̄薨`こう´ズ。 ̄是`ここ´ヲ ̄以`もつ´テ隱公【立チテ而 ̄奉`ほう´ズ^之ヲ】〈NOTE 桓公の摂政を務めた。即位していないため、経に先立って伝を書いた。これを「先ンズルノ^経ニ伝」という。 〉。
 〔經〕〇元年、春、【王ノ正月】〈NOTE 周王の定めた暦の正月。魯が周の王統に連なる国として正暦を用いていることを示す。 〉。 〇三月、公 ̄及`と´ 2( 【 ̄邾`ちゆ´】〈NOTE 魯の附庸の国。後、子爵。鄒(騶)と改称。 〉ノ ̄儀父`ぎほ´ )1  ̄盟`ちか´フ 2( 于 ̄蔑`べつ´ニ )1 。 ○夏、五月、【鄭伯】〈NOTE 鄭の荘公。在位43年(前743―701)。鄭は姫姓、伯爵。 〉克ツ 2( 【段】〈NOTE 鄭荘公の弟、共叔段。 〉ニ于 ̄鄢`えん´ニ )1 。 〇秋、七月、【 ̄天王`てんわう´】〈NOTE 周の平王。在位51年(前771―720)。即位トトモニ周都ヲ鎬京カラ雒邑(洛陽)ニ遷都シタ。東周ノ初代ノ王。 〉 ̄使`し´ム 2( 【宰】〈NOTE 宰夫。弔問使。 〉 ̄咺`けん´ヲシテ來リテ ̄歸`おく´ラ 2( 惠公・仲子ノ之【 ̄賵`ばう´】〈NOTE 喪礼の車馬。 〉ヲ )1 。 〇九月、及 2(  ̄宋人`そうひと´ )1 盟フ 2( 于【 ̄宿`しゆく´】〈NOTE 国名。 〉ニ )1 。 〇冬、十 ̄有`いう´二月、【祭伯】〈NOTE 周の卿士。伯は尊称。周公の子孫。 〉來ル。 〇公子 ̄益師`えきし´卒ス。
注記 〇惠公けいこう ― 在位46年(前768―723) 〇元妃げんぴ ― 正夫人 〇孟子 ― 子は宋国の姓。宋王の長女なので孟子と呼んだ。 〇卒しゆつス ― 大夫の他、貴人の死に用いる。 〇聲子せいし ― 孟子の姪娣(てつてい)=侍女かという。 〇隱公いんこう ― 在位11年(前722―712) 〇宋 ― 殷王朝の末裔を封じた。子姓、公爵。魯は周公の封ぜられた国で姫姓、侯爵。 〇武公 ― 在位18年(前765―748) 〇文 ― 筋模樣が魯の字をなしたという。 〇桓公くわんこう ― 在位18年(前711―694) 〇立チテ而奉ほうズ㆑之ヲ ― 桓公の摂政を務めた。即位していないため、経に先立って伝を書いた。これを「先んずるの㆑経に伝」という。  〇王ノ正月 ― 周王の定めた暦の正月。魯が周の王統に連なる国として正暦を用いていることを示す。 〇邾ちゆ ― 魯の附庸の国。後、子爵。鄒(騶)と改称。 〇鄭伯 ― 鄭の荘公。在位43年(前743―701)。鄭は姫姓、伯爵。 〇段 ― 鄭荘公の弟、共叔段。 〇天王てんわう ― 周の平王。在位51年(前771―720)。即位とともに周都を鎬京から雒邑(洛陽)に遷都した。東周の初代の王。 〇宰 ― 宰夫。弔問使。 〇賵ばう ― 喪礼の車馬。 〇宿しゆく ― 国名。 〇祭伯 ― 周の卿士。伯は尊称。周公の子孫。
概要 『春秋』隠公元年・経文解説
1.元年、春、王正月。
書き下し:元年、春、王の正月。
現代語訳:隠公の元年(紀元前722年)、春、周の天子の暦による正月。
解説:
 『春秋』全体の記念すべき冒頭の1行です。公の「即位」が記載されていない点が特徴的です(通常は新君主の即位時に「公即位」と書かれます)。これは、隠公が弟の桓公に位を譲るまでの臨時(摂政)として即位したため、正式な即位儀礼を行わなかったという政治的意図を反映しているとされています。

2.三月、公及邾儀父盟于蔑。
書き下し:三月、公、邾ちゅうの儀父ぎほと蔑べつに盟ちかふ。
現代語訳:三月、隠公は邾の君主である儀父と蔑の地で同盟を結んだ。
解説:
 隠公が即位して最初に行った外政活動です。隣国の小国・邾との関係を安定させるための和平協定でした。「儀父」という尊称(字)で記載されているのは、礼を尽くした交際であったためと解釈されます。

3.夏、五月、鄭伯克段于鄢。
書き下し:夏、五月、鄭伯ていはく段を鄢えんに克かつ。
現代語訳:夏、五月、鄭の荘公(鄭伯)が、弟の段を鄢の地で打ち破った。
解説:
 有名な「鄭伯、段に克つ」の一条です。鄭の荘公が、謀反を企てた実の弟・段を追い詰めた事件です。
 『春秋』の文法では、以下の冷徹な批判が込められています。
 弟であっても反乱者であるため「弟」と書かず、単に名(段)で記した。
 兄である荘公が弟を正しく教導せず、意図的に悪事を放置して滅ぼしたため、「鄭伯」と書きつつも兄弟同士の戦いを意味する「克つ」という語を用いて兄の罪も責めている。

4.秋、七月、天王使宰咺來歸惠公仲子之賵。
書き下し:秋、七月、天王てんのう宰咺さいけんをして来たりて恵公・仲子の賵ほうを帰おくらしむ。
現代語訳:秋、七月、周の天子(平王)が内宰(官名)の咺を遣わし、前君主の恵公とその正妻仲子への葬儀の進物(賵)を贈ってきた。
解説:
 周の王室から送られてきたお悔やみの品(車馬など)の記録です。しかし、恵公の死去からは時間が経っており、仲子はまだ存命中であったため、王室側の礼儀の不備や混乱を示す記述とされています。

5.九月、及宋人盟于宿。
書き下し:九月、宋人と宿しゅくに盟ふ。
現代語訳:九月、(魯の使者が)宋の使者と宿の地で同盟を結んだ。
解説:
 大国である宋との関係改善のために結ばれた同盟です。「公」と書かれていないため、隠公自身ではなく魯の大夫(臣下)が赴いて結んだ盟約です。

6.冬、十有二月、祭伯來。公子師卒。
書き下し:冬、十有二月じゅうにがつ〔※じゅうゆうにがつ│入力者注〕、祭伯さいはく来たる。公子師し卒す。
現代語訳:冬、十二月、周の使者である祭伯がやってきた。また、魯の公子である師(隠公の異母兄)が亡くなった。
解説:
◯祭伯来たる:周王の命を受けずに私的に訪れた、あるいは正規の使節手続きを踏まなかったため、朝見や聘問の語を使わず単に「来たる」と低く評価して記されています。
◯公子師卒す:魯の王族である公子師の死を悼んで記録されたものです。

『春秋左氏伝』隠公元年・伝(前半)
現代語訳
 (隠元年)春、王の周の正月。(経文に)隠公の「即位」と書かれていないのは、(弟の桓公への譲位を前提とした)摂政であったからである。
 三月、隠公は邾ちゅうの儀父ぎほと蔑べつで同盟を結んだ。「儀父」とは邾の君主・克こくのことである。まだ周の王室から正式な爵位(子爵)の任命を受けていなかったため、経文にはその爵位を書かなかった。「儀父」と呼んだのは、その礼節を尊重したからである。隠公は自ら摂政の身でありながら、邾との友好関係を求めようとした。そのため、蔑での同盟を行ったのである。
 夏、四月、費伯ひはくが軍を率いて郎ろうの地に城を築いた。経文にこのことが書かれていないのは、隠公の命令によるものではなかったからである。

概説とポイント
◯「不書即位」(即位を書かざる)の意図
 隠公の即位が記録されない理由を「摂政(臨時の代理)」であったからと説明しています。隠公の謙抑的な姿勢と、後の悲劇につながる不確定な立場が明確に示されます。

◯春秋筆法の解明(邾儀父)
 「なぜ爵位(子爵)ではなく『儀父』と書かれたのか」について、周の官許(未王命)と隠公側の尊重(貴之)という二重の背景を明かします。

◯不書(書かざる)の法則
 費伯の築城が『春秋』経文に存在しない理由を「公命に非ざる(君主の正規の命でない)」ためとし、『春秋』が国家の正式な行政・外交記録であることを裏付けています。

『春秋左氏伝』隠公元年・伝(後半:「鄭伯克段于鄢」前日譚)
現代語訳
 これより先、鄭の武公は申しんの国から妻を迎えた。武姜ぶきょうという。
  武姜は荘公そうこうと共叔段きょうしゅくだんを産んだ。
 荘公が生まれる際、足から生まれる倒産(あるいは難産)であったため、武姜は大いに驚き恐れた。そのため名を「寤生ごせい(逆子・難産で生まれた子)」と名付け、そのまま彼を忌み嫌うようになった。一方で弟の共叔段を溺愛し、彼を跡継ぎに立てようとして何度も武公に請い願ったが、武公は許さなかった。
 荘公が即位すると、武姜は段のために「制せい」の地を恩賞として与えるよう請求した。荘公は「制は険固な要害の地であり、かつて虢叔かくしゅくがそこで戦死した不吉な場所です。他の土地ならご命令に従いましょう」と言い、代わりに「京けい」の地を与えてそこに住まわせた。人々は彼のことを「京城の大叔だいしゅく」と呼んだ。

概説とポイント
◯母の偏愛と歪んだ母子関係の始まり
 難産で生まれた長男・荘公を忌み嫌い(寤生)、弟の段を偏愛する母・武姜の偏執的な態度が描かれます。これが鄭の王室を揺るがす大乱の根本原因となります。

◯荘公の冷徹な計算(老謀深算)
 母からの「要害の地(制)をよこせ」という不当な要求に対し、荘公は不吉さを理由に巧みに拒否しつつ、巨大な都市「京」を与えます。一見すると母の言いなりですが、実は「弟に野心を抱かせ、自滅させるための罠(陰謀)」の第一歩です。

◯「京城大叔」の誕生
 大都市・京を手に入れた段は、やがて兵力を蓄え、兄である荘公に対して反乱を企てることになります。歴史的名場面「鄭伯、段に克つ」への緊張感が一気に高まるプロローグです。
訓読 〔傳〕元年、春、王ノ周ノ正月。不ルハ㆑書セ㆓即位ヲ㆒、攝スレバナリ也。三月、公及㆓邾ノ儀父㆒盟フトハ㆓于蔑ニ㆒、邾ノ子克ナリ也。未ダ レバ ㆓王命ニ㆒、故ニ不㆑書セ㆑爵ヲ。曰フハ㆓儀父ト㆒、貴ブナリ㆑之ヲ也。公攝シテ㆑位ヲ而欲ス㆑求メント㆓好よしミヲ於邾ニ㆒。故ニ爲ス㆓蔑ノ之盟ヒヲ㆒。夏、四月、費伯帥ひきヰテ㆑師ヲ城きづク㆑郞ニ。不ルハ㆑書セ、非ザレバナリ㆓公命ニ㆒也。
 初メ、鄭ノ武公娶リ㆓于申ニ㆒。曰フ㆓武姜ぶきやうト㆒。生ム㆔莊公さうこうト及とヲ㆓共叔段きようしゆくだん㆒。莊公寤生ごせいシテ驚カス㆓姜氏ヲ㆒。故ニ名なづケテ曰ヒ㆓寤生ト㆒、遂ニ惡にくム㆑之ヲ。愛シテ㆓共叔段ヲ㆒、欲シ㆑立テント㆑之ヲ、亟〻しばしば請フ㆓於武公ニ㆒。公弗ず㆑許サ。及ビ㆓莊公ノ即クニ㆒㆑位ニ、爲ニ㆑之ガ請フ㆑制ヲ。公曰ク、制ハ巖邑がんいふナリ也。虢叔くわくしゆく死セリ㆑焉これニ。他ノ邑いふハ唯ダ命めいナリト。請ヒテ㆑京けいヲ、使ム㆑居をラ㆑之ニ。謂フ㆓之ヲ京城ノ大叔たいしゆくト㆒。
白文 〔傳〕元年、春、王周正月。不書即位、攝也。三月、公及邾儀父盟于蔑、邾子克也。未王命、故不書爵。曰儀父、貴之也。公攝位而欲求好於邾。故爲蔑之盟。夏、四月、費伯帥師城郞。不書、非公命也。
 初、鄭武公娶于申。曰武姜。生莊公及共叔段。莊公寤生驚姜氏。故名曰寤生、遂惡之。愛共叔段、欲立之、亟請於武公。公弗許。及莊公即位、爲之請制。公曰、制巖邑也。虢叔死焉。他邑唯命。請京、使居之。謂之京城大叔。
原文 〔傳〕元年、春、王の【周の正月】〈NOTE 周暦の正月。 〉。不るは[㆑]書せ[㆓]即位を[㆒]、【攝すればなり也】〈NOTE 摂政となったからである。 〉。三月、公及[㆓]邾の儀父[㆒]盟ふとは[㆓]于蔑に[㆒]、邾の子克なり也。未だ _れば_ [㆓]王命に[㆒]、故に不[㆑]書せ[㆑]【爵】〈NOTE 邾は後に子爵。 〉を。曰ふは[㆓]儀父と[㆒]、貴ぶなり[㆑]之を也。公攝して[㆑]位を而欲す[㆑]求めんと[㆓]|好{よし}みを於邾に[㆒]。故に爲す[㆓]蔑の之盟ひを[㆒]。夏、四月、費伯|帥{ひき}ゐて[㆑]師を|城{きづ}く[㆑]【郞】〈NOTE 魯の地名。 〉に。不るは[㆑]書せ、非ざればなり[㆓]【公命】〈NOTE 隠公の命令 〉に[㆒]也。 【初め】〈NOTE 元来。史を遡って事を記す言い方。 〉、【鄭の武公】〈NOTE 在位26年(前770―744)。 〉娶り[㆓]于【申】〈NOTE 伯夷の後裔の国という。姜姓。 〉に[㆒]。曰ふ[㆓]【|武姜{ぶきやう}】〈NOTE 諸侯の夫人は、夫の諡の下に生国の姓を配して呼ぶ。 〉と[㆒]。生む[㆔]|莊公{さうこう}と|及{と}を[㆓]【|共叔段{きようしゆくだん}】〈NOTE 名は段。莊公の弟で、後に共の地に逃れたことによる呼称。 〉[㆒]。莊公【|寤生{ごせい}】〈NOTE 史記・鄭世家に難産とあり、逆子かという。寤は牾の音通。 〉して驚かす[㆓]姜氏を[㆒]。故に|名{なづ}けて曰ひ[㆓]寤生と[㆒]、遂に|惡{にく}む[㆑]之を。愛して[㆓]共叔段を[㆒]、欲し[㆑]立てんと[㆑]之を、|亟〻{しばしば}請ふ[㆓]於武公に[㆒]。公|弗{ず}[㆑]許さ。及び[㆓]莊公の即くに[㆒㆑]位に、爲に[㆑]之が請ふ[㆑]制を。公曰く、制は【|巖邑{がんいふ}】〈NOTE 要害の地。 〉なり也。【|虢叔{くわくしゆく}】〈NOTE 周文王の弟で東虢に封ぜられたが、鄭に攻められて敗死した。 〉死せり[㆑]|焉{これ}に。他の|邑{いふ}は唯だ|命{めい}なりと。請ひて[㆑]|京{けい}を、使む[㆑]|居{を}ら[㆑]之に。謂ふ[㆓]之を【京城】〈NOTE 諸侯の都城に伍する意。 〉の|大叔{たいしゆく}と[㆒]。
旧タグ 〔傳〕元年、春、王ノ【周ノ正月】〈NOTE 周暦の正月。 〉。不ルハ^書セ 2( 即位ヲ )1 、【攝スレバナリ也】〈NOTE 摂政となったからである。 〉。三月、公及 2( 邾ノ儀父 )1 盟フトハ 2( 于蔑ニ )1 、邾ノ子克ナリ也。未ダ _レバ_ 2( 王命ニ )1 、故ニ不^書セ^【爵】〈NOTE 邾は後に子爵。 〉ヲ。曰フハ 2( 儀父ト )1 、貴ブナリ^之ヲ也。公攝シテ^位ヲ而欲ス^求メント 2(  ̄好`よし´ミヲ於邾ニ )1 。故ニ爲ス 2( 蔑ノ之盟ヒヲ )1 。夏、四月、費伯 ̄帥`ひき´ヰテ^師ヲ ̄城`きづ´ク^【郞】〈NOTE 魯の地名。 〉ニ。不ルハ^書セ、非ザレバナリ 2( 【公命】〈NOTE 隠公の命令 〉ニ )1 也。 【初メ】〈NOTE 元来。史を遡って事を記す言い方。 〉、【鄭ノ武公】〈NOTE 在位26年(前770―744)。 〉娶リ 2( 于【申】〈NOTE 伯夷の後裔の国という。姜姓。 〉ニ )1 。曰フ 2( 【 ̄武姜`ぶきやう´】〈NOTE 諸侯の夫人は、夫の諡の下に生国の姓を配して呼ぶ。 〉ト )1 。生ム 3(  ̄莊公`さうこう´ト ̄及`と´ヲ 2( 【 ̄共叔段`きようしゆくだん´】〈NOTE 名は段。莊公の弟で、後に共の地に逃れたことによる呼称。 〉 )1 。莊公【 ̄寤生`ごせい´】〈NOTE 史記・鄭世家に難産とあり、逆子かという。寤は牾の音通。 〉シテ驚カス 2( 姜氏ヲ )1 。故ニ ̄名`なづ´ケテ曰ヒ 2( 寤生ト )1 、遂ニ ̄惡`にく´ム^之ヲ。愛シテ 2( 共叔段ヲ )1 、欲シ^立テント^之ヲ、 ̄亟〻`しばしば´請フ 2( 於武公ニ )1 。公 ̄弗`ず´^許サ。及ビ 2( 莊公ノ即クニ )1^位ニ、爲ニ^之ガ請フ^制ヲ。公曰ク、制ハ【 ̄巖邑`がんいふ´】〈NOTE 要害の地。 〉ナリ也。【 ̄虢叔`くわくしゆく´】〈NOTE 周文王の弟で東虢に封ぜられたが、鄭に攻められて敗死した。 〉死セリ^ ̄焉`これ´ニ。他ノ ̄邑`いふ´ハ唯ダ ̄命`めい´ナリト。請ヒテ^ ̄京`けい´ヲ、使ム^ ̄居`を´ラ^之ニ。謂フ 2( 之ヲ【京城】〈NOTE 諸侯の都城に伍する意。 〉ノ ̄大叔`たいしゆく´ト )1 。
注記 〇周ノ正月 ― 周暦の正月。 〇攝スレバナリ也 ― 摂政となったからである。 〇爵 ― 邾は後に子爵。 〇郞 ― 魯の地名。 〇公命 ― 隠公の命令 〇初メ ― 元来。史を遡って事を記す言い方。 〇鄭ノ武公 ― 在位26年(前770―744)。 〇申 ― 伯夷の後裔の国という。姜姓。 〇武姜ぶきやう ― 諸侯の夫人は、夫の諡の下に生国の姓を配して呼ぶ。 〇共叔段きようしゆくだん ― 名は段。莊公の弟で、後に共の地に逃れたことによる呼称。 〇寤生ごせい ― 史記・鄭世家に難産とあり、逆子かという。寤は牾の音通。 〇巖邑がんいふ ― 要害の地。 〇虢叔くわくしゆく ― 周文王の弟で東虢に封ぜられたが、鄭に攻められて敗死した。 〇京城 ― 諸侯の都城に伍する意。
概要  (鄭の大夫である)祭仲が言った。
 「城郭の規模が百雉ひつ(長さの単位)を超えるのは、国家の害となります。先王の制度では、大きな都城でも本国の三分の分、中程度なら五分の一、小規模なら九分の一を超えてはならないと定められています。いま、京けいの城郭はその基準を超えております。これは制度に反しており、主君は(いずれ弟の勢力に)耐え切れなくなるでしょう」
 荘公は言った。
 「母の姜氏がそれを望んだのだ。どうしてこの害を避けられようか」
祭仲は答えた。
 「姜氏にどのような満足(満足を知る心)がありましょうか。早めに処置をなさり、野心が蔓延はびこらないようにするに越したことはありません。蔓つる草でさえ除き去るのが難しいのです。増してや、主君の溺愛されるおとうとならば猶更なおさらのことです」
 荘公は言った。
 「不義を多く行えば、必ず自ら滅びるものだ。あなたはまあ、これを見ていなさい」

 やがて大叔(段)は、西の国境と北の国境の町に対し、自分と荘公の双方に二重に所属(服属)するよう命じた。
 (これを見た)公子呂(字は子封)が言った。
 「国は二重の忠誠(二心が生まれること)に耐えられません。もし京を段に与えて(国を渡して)しまわれるおつもりなら、わたくしは段にお仕えすることをご許可ください。与えられないのでしたら、どうか段を取り除いてしまい、人民に二心を抱かせないようにしてください」
 荘公は言った。
 「放っておきなさい。(野心を野放しにすれば)いずれ自らに災いが及ぶだろう」

 大叔はさらに、二重に服属させた町を没収して自分の領地とし、その勢力は廩延りんえんにまで達した。
 子封が言った。
 「もう限界(討伐の時期)です。(これ以上土地と)人望を厚くすれば、民衆の心を得てしまいます」
 荘公は言った。
 「道義に反し(不義)、兄にも親しまない(不昵)者が、勢力を拡大しても、大きくなればなるほど崩壊するだけだ」

 大叔は城壁を修復し、兵糧を集め、甲冑や兵器を整え、歩兵と戦車を準備して、まさに鄭の都を襲撃しようとした。母の姜氏もこれに内応して城門を開く約束をした。
 荘公は(密偵により)その決行期日を聞きつけると、「時が来た」と言った。  荘公は子封に命じ、戦車二百乗を率いさせて京を討伐させた。京の人民は大叔段に背き、段は鄢えんの地に逃げ込んだ。荘公は鄢で段を攻撃した。
 五月辛丑しんちゅうの日、大叔は共きょうの国へ亡命した。

 経文に「鄭伯、段に鄢に克つ」と書かれている理由。
 段は弟としての道を尽くさなかった(不弟)。だから経文には「弟」と書かなかったのである。
 二人の君主が戦うようであったから、だから「克つ」と書いた。
(荘公を)「鄭伯」と爵位で呼んだのは、兄として弟を教導する道を失った(あえて放置して罪を重くさせた)からである。これを「鄭(荘公)の志(意図)」と言う。
 「出奔す(亡命した)」と書かないのは、(荘公が追い詰めたため)過ちを咎めて正すことが難しくなったからである。

概説とポイント
◯「多行不義必自斃(不義を多く行えば必ず自斃す)」の格言
 荘公の冷徹で計算し尽くされた政治手腕(老謀深算)を象徴する有名な言葉です。臣下(祭仲・子封)が「早く処置すべきだ」と焦る中、荘公はあえて弟の不義・暴走を野放しにし、罪が極限まで大きくなったところで一気に討滅する戦略をとりました。

◯「鄭伯克段于鄢」の春秋筆法(解釈の核心)
 『左伝』は、経文のたった6文字の中に込められた史官の厳格な批判を次のように紐解きます。
1.「弟」と書かない:兄に刃を向けた段の「不弟(弟らしからぬ道義違反)」〔※孝悌の徳に背く意│入力者補足〕を批判。
2.「克(勝つ)」と書く:対等な国家同士の戦争のような惨状を招いたことを批判。
3.「鄭伯」と書く:弟を正しく教育せず、策略にハメて滅ぼした荘公の「失教(教導の放棄)」を批判。
訓読 祭仲曰ク、都城ノ過グルハ㆓百雉ひやくちニ㆒、國ノ之害ナリ也。先王ノ之制、大都モ不㆑過ギ㆓參さんニスルノ㆑國ヲ之一いつニ㆒、中ハ五ノ之一、小ハ九きうノ之一ナリ。今京ハ不㆑度どアラ。非ザルナリ㆑制ニ也。君將まさニ ントスト ㆑不ラント㆑堪ヘ。公曰ク、姜氏欲セリ㆑之ヲ。焉いづンゾ避さケント㆑害ヲ。對こたヘテ曰ク、姜氏何ノ厭あクコトカ之レ有ラン。不㆑如しカ㆔早ク爲スニ㆓之ガ所ヲ㆒。無カレ㆑使ムルコト㆓滋蔓じまんセ㆒。蔓まんセバ難がたキナリ㆑圖はかリ也。蔓草まんさうスラ猶なホ不㆑可カラ㆑除ク。況ンヤ君ノイ之寵弟ヲヤ乎ト。公曰ク、多ク行ハバ㆓不義ヲ㆒、必ズ自ラ斃たふレン。子し姑しばらク待テト㆑之ヲ。既すでニシテ而大叔命ジテ㆓西鄙せいひ・北鄙ニ㆒貳じセシム㆓於己おのれニ㆒。公子呂りよ。子封ト同ジ。曰ク、國不㆑堪ヘ㆑貳ニ。若もシ弗ずンバ㆑與ヘ、則チ請フ除ケ㆑之ヲ。無カレト㆑生ゼシムルコト㆓民心ヲ㆒。公曰ク、無キモ㆑庸もちフルコト、將ニ ト ㆓自ラ及バント㆒。大叔又收メテ㆑貳ヲ以テ爲シ㆓己ガ邑いふト㆒、至ル㆓于廩延りんえんニ㆒。子封しほう曰ク、可ナリ矣。厚ケレバ將ニ ト ㆑得ント㆑衆ヲ。公曰ク、不義ナレバ不㆑昵つカ、厚ケレバ將ニ ト ㆑崩レント。大叔完聚くわんしゆうシ、繕ヒ㆓甲兵ヲ㆒、具そなヘ㆓卒乘そつじようヲ㆒、將ニ __ ㆑襲ハント㆑鄭ヲ。夫人將ニ __ ㆑啓ひらカント㆑之ヲ。公聞キテ㆓其ノ期きヲ㆒曰ク、可ナリ矣ト。命ジ㆓子封ニ㆒、帥ヰテ㆓車二百乘ヲ㆒以テ伐タシム㆑京ヲ。京叛そむク㆓大叔段ニ㆒。段入いル㆓于鄢えんニ㆒。公伐ツ㆓諸これヲ鄢ニ㆒。五月辛丑しんちう、大叔出㆐㆓奔ス共ニ㆒。書シテ曰ク、鄭伯克かツト㆓段ニ于鄢ニ㆒。段ハ不弟ふていナレバ、故ニ不㆑言ハ㆑弟ト。如クナレバ㆓二君ノ㆒、故ニ曰フ㆑克ツト。稱スルハ㆓鄭伯ト㆒、失ヒタレバナリ㆑敎ヘヲ也。謂フ㆓之ヲ鄭志ト㆒。不ルハ㆑言ハ㆓出奔セシヲ㆒、難かたンズレバナリ㆑之ヲ也。
白文 祭仲曰、都城過百雉、國之害也。先王之制、大都不過參國之一、中五之一、小九之一。今京不度。非制也。君將不堪。公曰、姜氏欲之。焉避害。對曰、姜氏何厭之有。不如早爲之所。無使滋蔓。蔓難圖也。蔓草猶不可除。況君之寵弟乎。公曰、多行不義、必自斃。子姑待之。既而大叔命西鄙北鄙貳於己。公子呂。子封同。曰、國不堪貳。若弗與、則請除之。無生民心。公曰、無庸、將自及。大叔又收貳以爲己邑、至于廩延。子封曰、可矣。厚將得衆。公曰、不義不昵、厚將崩。大叔完聚、繕甲兵、具卒乘、將襲鄭。夫人將啓之。公聞其期曰、可矣。命子封、帥車二百乘以伐京。京叛大叔段。段入于鄢。公伐諸鄢。五月辛丑、大叔出奔共。書曰、鄭伯克段于鄢。段不弟、故不言弟。如二君、故曰克。稱鄭伯、失敎也。謂之鄭志。不言出奔、難之也。
原文 祭仲曰く、【都城】〈NOTE 町の城壁。 〉の過ぐるは[㆓]【|百雉{ひやくち}】〈NOTE 一雉は高さ一丈、長さ三丈または五丈。周囲1~1.5kmの城壁を持つ規摸。 〉に[㆒]、國の之害なり也。先王の之制、大都も不[㆑]過ぎ[㆓]|參{さん}にするの[㆑]國を之|一{いつ}に[㆒]、中は五の之一、小は|九{きう}の之一なり。今京は不[㆑]|度{ど}あら。非ざるなり[㆑]制に也。君|將{まさ}に _んとすと_ [㆑]不らんと[㆑]堪へ。公曰く、姜氏欲せり[㆑]之を。|焉{いづ}んぞ|避{さ}けんと[㆑]害を。|對{こた}へて曰く、姜氏何の|厭{あ}くことか之れ有らん。不[㆑]|如{し}か[㆔]早く【爲すに[㆓]之が所を[㆒]】〈NOTE 適切な処置を講ずること。 〉。【無かれ[㆑]使むること[㆓]|滋蔓{じまん}せ[㆒]。】〈NOTE はびこらせてはならない。 〉|蔓{まん}せば|難{がた}きなり[㆑]|圖{はか}り也。|蔓草{まんさう}すら|猶{な}ほ不[㆑]可から[㆑]除く。況んや君のい之【寵弟】〈NOTE 母親の寵愛を受けて増長している弟 〉をや乎と。公曰く、多く行はば[㆓]不義を[㆒]、必ず自ら|斃{たふ}れん。|子{し}【|姑{しばら}く】〈NOTE なにはともかく 〉待てと[㆑]之を。【|既{すで}にして而】〈NOTE やがて 〉大叔命じて[㆓]【|西鄙{せいひ}・北鄙】〈NOTE 西と北の国境辺の邑。 〉に[㆒]【|貳{じ}せしむ[㆓]於|己{おのれ}に】〈NOTE 二心を持たせるとする解釈があるが、自分にも税を収めさせる意味の方が適切か。 〉[㆒]。【公子|呂{りよ}。子封と同じ。】〈NOTE 鄭の大夫 〉曰く、國不[㆑]堪へ[㆑]貳に。|若{も}し|弗{ず}んば[㆑]與へ、則ち請ふ除け[㆑]之を。無かれと[㆑]生ぜしむること[㆓]民心を[㆒]。公曰く、【無きも[㆑]|庸{もち}ふること】〈NOTE こちらから何かの手立てを講ぜずとも、 〉、將に _と_ [㆓]自ら及ばんと[㆒]。大叔又收めて[㆑]【貳】〈NOTE 徴税権を行使した西部・北部の邑。 〉を以て爲し[㆓]己が|邑{いふ}と[㆒]、至る[㆓]于【|廩延{りんえん}】〈NOTE 鄭の支配地 〉に[㆒]。|子封{しほう}曰く、【可なり矣】〈NOTE もう行動を起こしてもよいでしょう。 〉。【厚ければ】〈NOTE 勢力を増せば 〉將に _と_ [㆑]得んと[㆑]衆を。公曰く、不義なれば不[㆑]|昵{つ}か、厚ければ將に _と_ [㆑]崩れんと。大叔【|完聚{くわんしゆう}し】〈NOTE 資材を集め、同志を糾合する。 〉、繕ひ[㆓]甲兵を[㆒]、|具{そな}へ[㆓]【|卒乘{そつじよう}】〈NOTE 軍勢と兵車 〉を[㆒]、將に __ [㆑]襲はんと[㆑]鄭を。夫人將に __ [㆑]【|啓{ひら}かん】〈NOTE 手引きする 〉と[㆑]之を。公聞きて[㆓]其の|期{き}を[㆒]曰く、可なり矣と。命じ[㆓]子封に[㆒]、帥ゐて[㆓]【車二百乘】〈NOTE 兵車二百台。一乗は、甲士3人、歩卒72人の単位。約15,000人の軍勢。 〉を[㆒]以て伐たしむ[㆑]京を。京|叛{そむ}く[㆓]大叔段に[㆒]。段|入{い}る[㆓]于|鄢{えん}に[㆒]。公伐つ[㆓]|諸{これ}を鄢に[㆒]。五月|辛丑{しんちう}、大叔出[㆐][㆓]奔す共に[㆒]。書して曰く、鄭伯【|克{か}つ】〈NOTE 勢力伯仲する強敵を負かす。 〉と[㆓]段に于鄢に[㆒]。段は|不弟{ふてい}なれば、故に不[㆑]言は[㆑]弟と。如くなれば[㆓]二君の[㆒]、故に曰ふ[㆑]克つと。稱するは[㆓]鄭伯と[㆒]、失ひたればなり[㆑]敎へを也。謂ふ[㆓]之を【鄭志】〈NOTE 鄭国の輿論。 〉と[㆒]。不るは[㆑]言は[㆓]出奔せしを[㆒]、【|難{かた}んずればなり[㆑]之を也】〈NOTE 実の兄弟のありようとして一連の顛末を潔しとしなかったためだ。 〉。
旧タグ 祭仲曰ク、【都城】〈NOTE 町の城壁。 〉ノ過グルハ 2( 【 ̄百雉`ひやくち´】〈NOTE 一雉は高さ一丈、長さ三丈または五丈。周囲1~1.5kmの城壁を持つ規摸。 〉ニ )1 、國ノ之害ナリ也。先王ノ之制、大都モ不^過ギ 2(  ̄參`さん´ニスルノ^國ヲ之 ̄一`いつ´ニ )1 、中ハ五ノ之一、小ハ ̄九`きう´ノ之一ナリ。今京ハ不^ ̄度`ど´アラ。非ザルナリ^制ニ也。君 ̄將`まさ´ニ _ントスト_ ^不ラント^堪ヘ。公曰ク、姜氏欲セリ^之ヲ。 ̄焉`いづ´ンゾ ̄避`さ´ケント^害ヲ。 ̄對`こた´ヘテ曰ク、姜氏何ノ ̄厭`あ´クコトカ之レ有ラン。不^ ̄如`し´カ 3( 早ク【爲スニ 2( 之ガ所ヲ )1 】〈NOTE 適切な処置を講ずること。 〉。【無カレ^使ムルコト 2(  ̄滋蔓`じまん´セ )1 。】〈NOTE はびこらせてはならない。 〉 ̄蔓`まん´セバ ̄難`がた´キナリ^ ̄圖`はか´リ也。 ̄蔓草`まんさう´スラ ̄猶`な´ホ不^可カラ^除ク。況ンヤ君ノイ之【寵弟】〈NOTE 母親の寵愛を受けて増長している弟 〉ヲヤ乎ト。公曰ク、多ク行ハバ 2( 不義ヲ )1 、必ズ自ラ ̄斃`たふ´レン。 ̄子`し´【 ̄姑`しばら´ク】〈NOTE なにはともかく 〉待テト^之ヲ。【 ̄既`すで´ニシテ而】〈NOTE やがて 〉大叔命ジテ 2( 【 ̄西鄙`せいひ´・北鄙】〈NOTE 西と北の国境辺の邑。 〉ニ )1 【 ̄貳`じ´セシム 2( 於 ̄己`おのれ´ニ】〈NOTE 二心を持たせるとする解釈があるが、自分にも税を収めさせる意味の方が適切か。 〉 )1 。【公子 ̄呂`りよ´。子封ト同ジ。】〈NOTE 鄭の大夫 〉曰ク、國不^堪ヘ^貳ニ。 ̄若`も´シ ̄弗`ず´ンバ^與ヘ、則チ請フ除ケ^之ヲ。無カレト^生ゼシムルコト 2( 民心ヲ )1 。公曰ク、【無キモ^ ̄庸`もち´フルコト】〈NOTE こちらから何かの手立てを講ぜずとも、 〉、將ニ _ト_ 2( 自ラ及バント )1 。大叔又收メテ^【貳】〈NOTE 徴税権を行使した西部・北部の邑。 〉ヲ以テ爲シ 2( 己ガ ̄邑`いふ´ト )1 、至ル 2( 于【 ̄廩延`りんえん´】〈NOTE 鄭の支配地 〉ニ )1 。 ̄子封`しほう´曰ク、【可ナリ矣】〈NOTE もう行動を起こしてもよいでしょう。 〉。【厚ケレバ】〈NOTE 勢力を増せば 〉將ニ _ト_ ^得ント^衆ヲ。公曰ク、不義ナレバ不^ ̄昵`つ´カ、厚ケレバ將ニ _ト_ ^崩レント。大叔【 ̄完聚`くわんしゆう´シ】〈NOTE 資材を集め、同志を糾合する。 〉、繕ヒ 2( 甲兵ヲ )1 、 ̄具`そな´ヘ 2( 【 ̄卒乘`そつじよう´】〈NOTE 軍勢と兵車 〉ヲ )1 、將ニ __ ^襲ハント^鄭ヲ。夫人將ニ __ ^【 ̄啓`ひら´カン】〈NOTE手引きする 〉ト^之ヲ。公聞キテ 2( 其ノ ̄期`き´ヲ )1 曰ク、可ナリ矣ト。命ジ 2( 子封ニ )1 、帥ヰテ 2( 【車二百乘】〈NOTE 兵車二百台。一乗は、甲士3人、歩卒72人の単位。約15,000人の軍勢。 〉ヲ )1 以テ伐タシム^京ヲ。京 ̄叛`そむ´ク 2( 大叔段ニ )1 。段 ̄入`い´ル 2( 于 ̄鄢`えん´ニ )1 。公伐ツ 2(  ̄諸`これ´ヲ鄢ニ )1 。五月 ̄辛丑`しんちう´、大叔出- 2( 奔ス共ニ )1 。書シテ曰ク、鄭伯【 ̄克`か´ツ】〈NOTE 勢力伯仲する強敵を負かす。 〉ト 2( 段ニ于鄢ニ )1 。段ハ ̄不弟`ふてい´ナレバ、故ニ不^言ハ^弟ト。如クナレバ 2( 二君ノ )1 、故ニ曰フ^克ツト。稱スルハ 2( 鄭伯ト )1 、失ヒタレバナリ^敎ヘヲ也。謂フ 2( 之ヲ【鄭志】〈NOTE 鄭国の輿論。 〉ト )1 。不ルハ^言ハ 2( 出奔セシヲ )1 、【 ̄難`かた´ンズレバナリ^之ヲ也】〈NOTE 実の兄弟のありようとして一連の顛末を潔しとしなかったためだ。 〉。
注記 〇都城 ― 町の城壁。 〇百雉ひやくち ― 一雉は高さ一丈、長さ三丈または五丈。周囲1~1.5kmの城壁を持つ規摸。 〇爲スニ㆓之ガ所ヲ㆒ ― 適切な処置を講ずること。 〇無カレ㆑使ムルコト㆓滋蔓じまんセ㆒。 ― はびこらせてはならない。 〇寵弟 ― 母親の寵愛を受けて増長している弟 〇姑しばらク ― なにはともかく 〇既すでニシテ而 ― やがて 〇西鄙せいひ・北鄙 ― 西と北の国境辺の邑。 〇貳じセシム㆓於己おのれニ ― 二心を持たせるとする解釈があるが、自分にも税を収めさせる意味の方が適切か。 〇公子呂りよ。子封ト同ジ。 ― 鄭の大夫 〇無キモ㆑庸もちフルコト ― こちらから何かの手立てを講ぜずとも、 〇貳 ― 徴税権を行使した西部・北部の邑。 〇廩延りんえん ― 鄭の支配地 〇可ナリ矣 ― もう行動を起こしてもよいでしょう。 〇厚ケレバ ― 勢力を増せば 〇完聚くわんしゆうシ ― 資材を集め、同志を糾合する。 〇卒乘そつじよう ― 軍勢と兵車 〇啓ひらカン ― 手引きする 〇車二百乘 ― 兵車二百台。一乗は、甲士3人、歩卒72人の単位。約一万五千人の軍勢。 〇克かツ ― 勢力伯仲する強敵を負かす。 〇鄭志 ― 鄭国の輿論。 〇難かたンズレバナリ㆑之ヲ也 ― 実の兄弟のありようとして一連の顛末を潔しとしなかったためだ。
概要 (段を滅ぼした荘公は)ついに母の姜氏を城潁じょうえいの地に遠ざけて幽閉し、「黄泉(あの世・地下の水脈)に達する(あの世で行き会う)までは、二度と相まみえることはない」と誓いを立てた。
 しかし、間もなく(母を追放したことを)後悔するようになった。

 潁谷えいこくの地方官であった潁考叔えいこうしゅくがこの噂を聞き、荘公に贈り物を献上した。荘公は彼に食事を賜った。
 潁考叔は食事の際、肉だけを残して食べなかった。荘公がその理由を尋ねると、答えて言った。
 「私めには母がおります。私めが食べるものは何でも母に味わわせてまいりましたが、主君から賜ったこの肉のスープ(羹)はまだ味わわせたことがございません。どうかこれをお持ち帰りし、母に差し上げるのをお許しください」
 荘公は言った。
 「お前には贈り物を与えられる母がいるのだな。ああ、私だけには母がいないのだ(母に会うことができないのだ)」
 潁考叔が言った。
 「恐れながらお尋ねいたします。それはどういうお意味でしょうか」
 荘公はその理由(誓いを立てて母を追放したこと)を語り、さらに後悔している気持ちを伝えた。
 潁考叔は答えて言った。
 「主君、何を思い悩むことがありましょう。もし土地を掘って地下水脈(黄泉)にまで達し、そこにトンネル(地下道)を掘って相まみえるならば、誰が『誓いに反した』などと言うでしょうか」
 荘公はその助言に従った。

 荘公はトンネルに入ると、詩を吟じた。
 「大きなトンネルの中は、その楽しみ(和やかさ)が満ちあふれている(融融)」
 姜氏もトンネルから出てくると、詩を吟じた。
 「大きなトンネルの外は、その楽しみがどこまでも広がっている(泄泄)」
 こうして、もとのような良好な母と子の関係に戻ったのであった。

 君子(史官・後世の批評者)は次のように言っている。
 「潁考叔は真の孝行者(純孝)である。自らの母を愛する心が、荘公にまで波及したのだ。『詩経』に『孝子の孝心は尽きることがなく、永遠に同類(周囲の人々)に与えられる』とあるのは、まさにこのことを言っているのだろう」

概説とポイント
◯「黄泉の誓い」とトンネルでの和解
 一時の怒りにまかせて「あの世に行くまで(黄泉に達するまで)会わない」と誓った(誓言)ものの、後悔に苛まれる荘公の人間的な弱さが描かれます。地表を深く掘って地下水脈(黄泉)に届くトンネルを作るという潁考叔の頓智(とんち)のようなウルトラCによって、誓言を破ることなく(メンツを保ちつつ)母と和解を果たします。

◯詩の唱和(融融と泄泄)
 暗く狭い地下道の中で再会した母子が、解きほぐれた心を「融融ゆうゆう(和気あいあい)」「泄泄えいえい(のびのびと晴れやか)」という美しい擬態語を込めた詩で表現し合う、物語文学としての屈指の名場面です。

◯「純孝」の機知
 潁考叔は単に直言して諫めるのではなく、「母のために肉を残す」という自然な振る舞い(孝心)を通じて荘公に「母の愛しさ」を思い起こさせました。史官(君子)はこれを単なる機転ではなく、自らの孝心が周囲を動かした「純孝」のあらわれであると高く評価しています。

 この場面で隠公元年の鄭の国内騒動(鄭伯、段に克つ)の一連の物語が綺麗に完結いたします。
訓読 遂ニ寘おキテ㆓姜氏ヲ于城潁じやうえいニ㆒、而誓ヒテ㆑之ニ曰ク、不ンバ㆑及バ㆓黄泉くわうせんニ㆒、無ケント㆓相見ルコト㆒也。既ニシテ而悔ユ㆑之ヲ。潁考叔えいかうしゆく爲たリ㆓潁谷えいこくノ封人ほうじん㆒、聞キテ㆑之ヲ、有リ㆑獻ズルコト㆓於公ニ㆒。公賜フ㆓之ニ食しヲ㆒。食フニ舍おク㆑肉ヲ。公問フ㆑之ヲ。對ヘテ曰ク、小人有リ㆑母。皆嘗なム㆓小人ノ之食ヲ㆒矣。未ダ __ ㆑嘗メ㆓君ノ之羹あつものヲ㆒。請フ以テ遺おくラント㆑之ヲ。公曰ク、爾なんぢ有リテ㆑母遺ル。繄ああ我獨リ無シト。潁考叔曰ク、敢あへテ問フ、何ノ謂いひゾヤ也ト。公語つゲ㆓之ガ故ヲ㆒、且かツ告グ㆓之ガ悔くいヲ㆒。對ヘテ曰ク、君何ゾ患うれヘン焉。若もシ闕かキテ㆑地ヲ及ビ㆑泉ニ、隧すいシテ而相見バ、其レ誰カ曰ハント㆑不ト㆑然ラ。公從フ㆑之ニ。公入リテ而賦ふス。大隧たいすいノ之中うち、其ノ樂シミヤ也融融ゆうゆうタリト。姜モ出デテ而賦ス。大隧ノ之外そと、其ノ樂シミヤ也泄泄えいえいタリト。遂ニ爲たルコト㆓母子㆒如ごとシ㆑初メノ。君子曰ク、潁考叔ハ純孝ナリ也。愛シ㆓其ノ母ヲ㆒、施ひイテ及ボス㆓莊公ニ㆒。詩ニ曰ク、孝子不㆑匱とぼシカラ、永ク錫たまフト㆓爾ノ類るいヲ㆒。其レ是ノ之謂カ乎。
白文 遂寘姜氏于城潁、而誓之曰、不及黄泉、無相見也。既而悔之。潁考叔爲潁谷封人、聞之、有獻於公。公賜之食。食舍肉。公問之。對曰、小人有母。皆嘗小人之食矣。未嘗君之羹。請以遺之。公曰、爾有母遺。繄我獨無。潁考叔曰、敢問、何謂也。公語之故、且告之悔。對曰、君何患焉。若闕地及泉、隧而相見、其誰曰不然。公從之。公入而賦。大隧之中、其樂也融融。姜出而賦。大隧之外、其樂也泄泄。遂爲母子如初。君子曰、潁考叔純孝也。愛其母、施及莊公。詩曰、孝子不匱、永錫爾類。其是之謂乎。
原文 遂に【|寘{お}きて】〈NOTE 幽閉して 〉[㆓]姜氏を于|城潁{じやうえい}に[㆒]、而誓ひて[㆑]之に曰く、不んば[㆑]及ば[㆓]|黄泉{くわうせん}に[㆒]、無けんと[㆓]相見ること[㆒]也。既にして而悔ゆ[㆑]之を。|潁考叔{えいかうしゆく}|爲{た}り[㆓]|潁谷{えいこく}の【|封人{ほうじん}】〈NOTE 国境を司る役人。 〉[㆒]、聞きて[㆑]之を、有り[㆑]獻ずること[㆓]於公に[㆒]。公賜ふ[㆓]之に|食{し}を[㆒]。食ふに|舍{お}く[㆑]肉を。公問ふ[㆑]之を。對へて曰く、小人有り[㆑]母。皆【|嘗{な}む[㆓]小人の之食を[㆒]矣】〈NOTE 私どものまずい食事を共にしている。 〉。未だ __ [㆑]嘗め[㆓]君の之|羹{あつもの}を[㆒]。請ふ以て|遺{おく}らんと[㆑]之を。公曰く、|爾{なんぢ}有りて[㆑]母遺る。|繄{ああ}我獨り無しと。潁考叔曰く、|敢{あへ}て問ふ、何の|謂{いひ}ぞや也と。公|語{つ}げ[㆓]之が故を[㆒]、|且{か}つ告ぐ[㆓]之が|悔{くい}を[㆒]。對へて曰く、君何ぞ|患{うれ}へん焉。|若{も}し|闕{か}きて[㆑]地を及び[㆑]泉に、【|隧{すい}して】〈NOTE 地下道を鑿って 〉而相見ば、其れ誰か曰はんと[㆑]【不と[㆑]然ら】〈NOTE 誓いの旨にそぐわない 〉。公從ふ[㆑]之に。公入りて而【|賦{ふ}す】〈NOTE 詩を作って歌う。 〉。|大隧{たいすい}の之|中{うち}、其の樂しみや也【|融融{ゆうゆう}たり】〈NOTE 心が和らぎ楽しむ 〉と。姜も出でて而賦す。大隧の之|外{そと}、其の樂しみや也【|泄泄{えいえい}たり】〈NOTE 喜びが外に溢れる 〉と。遂に|爲{た}ること[㆓]母子[㆒]|如{ごと}し[㆑]初めの。君子曰く、潁考叔は純孝なり也。愛し[㆓]其の母を[㆒]、【|施{ひ}いて及ぼす[㆓]莊公に[㆒]】〈NOTE 荘公にも親孝行をさせた。 〉。【詩に曰く】〈NOTE 詩経・大雅・既酔 〉、孝子不[㆑]|匱{とぼ}しから、【永く|錫{たま}ふと[㆓]爾の|類{るい}を[㆒]】〈NOTE 天は永遠に同類(の孝子)をこの世に降さる。 〉。【其れ是の之謂か乎】〈NOTE この例などをいうのであろう。 〉。
旧タグ 遂ニ【 ̄寘`お´キテ】〈NOTE 幽閉して 〉 2( 姜氏ヲ于 ̄城潁`じやうえい´ニ )1 、而誓ヒテ^之ニ曰ク、不ンバ^及バ 2(  ̄黄泉`くわうせん´ニ )1 、無ケント 2( 相見ルコト )1 也。既ニシテ而悔ユ^之ヲ。 ̄潁考叔`えいかうしゆく´ ̄爲`た´リ 2(  ̄潁谷`えいこく´ノ【 ̄封人`ほうじん´】〈NOTE 国境を司る役人。 〉 )1 、聞キテ^之ヲ、有リ^獻ズルコト 2( 於公ニ )1 。公賜フ 2( 之ニ ̄食`し´ヲ )1 。食フニ ̄舍`お´ク^肉ヲ。公問フ^之ヲ。對ヘテ曰ク、小人有リ^母。皆【 ̄嘗`な´ム 2( 小人ノ之食ヲ )1 矣】〈NOTE 私どものまずい食事を共にしている。 〉。未ダ __ ^嘗メ 2( 君ノ之 ̄羹`あつもの´ヲ )1 。請フ以テ ̄遺`おく´ラント^之ヲ。公曰ク、 ̄爾`なんぢ´有リテ^母遺ル。 ̄繄`ああ´我獨リ無シト。潁考叔曰ク、 ̄敢`あへ´テ問フ、何ノ ̄謂`いひ´ゾヤ也ト。公 ̄語`つ´ゲ 2( 之ガ故ヲ )1 、 ̄且`か´ツ告グ 2( 之ガ ̄悔`くい´ヲ )1 。對ヘテ曰ク、君何ゾ ̄患`うれ´ヘン焉。 ̄若`も´シ ̄闕`か´キテ^地ヲ及ビ^泉ニ、【 ̄隧`すい´シテ】〈NOTE 地下道を鑿って〉而相見バ、其レ誰カ曰ハント^【不ト^然ラ】〈NOTE 誓いの旨にそぐわない 〉。公從フ^之ニ。公入リテ而【 ̄賦`ふ´ス】〈NOTE 詩を作って歌う。 〉。 ̄大隧`たいすい´ノ之 ̄中`うち´、其ノ樂シミヤ也【 ̄融融`ゆうゆう´タリ】〈NOTE 心が和らぎ楽しむ 〉ト。姜モ出デテ而賦ス。大隧ノ之 ̄外`そと´、其ノ樂シミヤ也【 ̄泄泄`えいえい´タリ】〈NOTE 喜びが外に溢れる 〉ト。遂ニ ̄爲`た´ルコト 2( 母子 )1  ̄如`ごと´シ^初メノ。君子曰ク、潁考叔ハ純孝ナリ也。愛シ 2( 其ノ母ヲ )1 、【 ̄施`ひ´イテ及ボス 2( 莊公ニ )1 】〈NOTE 荘公にも親孝行をさせた。 〉。【詩ニ曰ク】〈NOTE 詩経・大雅・既酔 〉、孝子不^ ̄匱`とぼ´シカラ、【永ク ̄錫`たま´フト 2( 爾ノ ̄類`るい´ヲ )1 】〈NOTE 天は永遠に同類(の孝子)をこの世に降さる。 〉。【其レ是ノ之謂カ乎】〈NOTE この例などをいうのであろうう。 〉。
注記 〇寘おキテ ― 幽閉して 〇封人ほうじん ― 国境を司る役人。 〇嘗なム㆓小人ノ之食ヲ㆒矣 ― 私どものまずい食事を共にしている。 〇隧すいシテ ― 地下道を鑿って 〇不ト㆑然ラ ― 誓いの旨にそぐわない 〇賦ふス ― 詩を作って歌う。 〇融融ゆうゆうタリ ― 心が和らぎ楽しむ 〇泄泄えいえいタリ ― 喜びが外に溢れる 〇施ひイテ及ボス㆓莊公ニ㆒ ― 荘公にも親孝行をさせた。 〇詩ニ曰ク ― 詩経・大雅・既酔 〇永ク錫たまフト㆓爾ノ類るいヲ㆒ ― 天は永遠に同類(の孝子)をこの世に降さる。 〇其レ是ノ之謂カ乎 ― この例などをいうのであろう。
概要 (経文の)「秋、七月、天王(周の天子)が宰咺さいけんを遣わして、恵公と仲子の賵ほう(葬儀用の進物)を贈ってきた」について。
 (恵公の死から時間が経ちすぎており)遅すぎた(緩)。その上、仲子はまだ亡くなっていない。だから(礼に外れた者として、経文には官名だけでなく)名(咺)が記されたのである。
 (本来の礼制では)天子が没した際は七ヶ月して葬儀を行い、車軌(車の幅)を同じくする者(すべての諸侯)がことごとく参列する。諸侯は五ヶ月で葬儀を行い、同盟の国々が参列する。大夫は三ヶ月で葬儀を行い、同じ位の者が参列する。士は月を跨いで(一ヶ月ほどで)葬儀を行い、外戚や親族が参列する。
 死者への進物(贈)が遺体に間に合わず、生者へのお悔やみ(弔)が悲しみの最中(葬儀の時期)に間に合わないのは礼に反する。また、まだ起きてもいない凶事(生きている仲子の葬儀)をあらかじめ用意して進物を贈るのも、非礼である。
 秋、八月、紀きの国の人が夷いの国を討伐した。夷の国が(魯に被害を)告げてこなかった。そのため経文には書かれていない(不書)。
 (また、この時期に)イナゴ(蜚)が発生した。しかし被害(災い)とはならなかった。そのため、これも経文には書かれていない(不書)。
 恵公の晩年、魯は黄こうの地で宋の軍を破ったことがあった。隠公が即位すると、(過去の確執を拭い)宋と講和を結ぼうとした。九月、(魯の臣下が)宋の人と宿しゅくの地で同盟を結んだのは、初めて国交を通じたからである。
 冬、十月庚申の日、恵公を改葬した。隠公が(前君主を軽視して)臨席しなかった。そのため(経文には改葬のことが)書かれていない(不書)。 そもそも恵公が崩御した際、宋の軍隊が押し寄せており、かつ太子(桓公)もまだ幼かった。そのため葬儀に不備や手落ち(闕)があった。それゆえに今回、改葬を行ったのである。
 衛の文公(衛侯)が葬儀に参列しにやってきたが、隠公と会見しなかった。(正式な講和・外交の儀礼を経なかったため)これも経文には書かれていない(不書)。

概説とポイント
◯周王室の非礼と「名」を記す批判(宰咺)
 周王室が「死後かなり経った前君主(恵公)」と「まだ生きているその妻(仲子)」の進物をまとめて贈ってきたことに対し、『左伝』は礼制(天子七月、諸侯五月…)を引いて厳しく批判します。経文に「宰咺」と個人名が書かれたのは、礼を失した行動に対する蔑称・批判(春秋筆法)であると解釈しています。

◯「不書(書かざる)」の原則
 経文に記載がない(不書)理由が具体的に列挙されています。

1.紀の夷討伐・イナゴの発生:告報がない、または実害がない私的な出来事は記録しない。
2.恵公の改葬:当主である隠公が親臨(自ら参列)しなかった不礼な行事のため記録しない。
3.衛侯の来会:公式な君主同士の会見を行わなかったため記録しない。 『春秋』が単なる日常日記ではなく、「国家の公式・正規の礼法にかなった記録」であることを示しています。
恵公の改葬の裏事情
 恵公が亡くなった当時、宋との戦争中であり、跡継ぎの桓公も幼かったために「葬儀に不備があった」という過去の動乱の事情が明かされます。

 この段落で、隠元年の一連の記録の解釈が大きくまとまります。
訓読 秋、七月、天王使ム㆓宰咺さいけんヲシテ來リテ歸おくラ㆓惠公・仲子ノ之賵ヲ㆒。緩くわんナリ。且ツ子氏しし未ダ __ ㆑薨こうゼ。故ニ名イフ。天子ハ七月ニシテ而葬ル。同軌どうき畢ことごとク至ル。諸侯ハ五月、同盟至ル。大夫ハ三月、同位至ル。士ハ踰月ゆげつ、外姻至ル。贈リテ㆑死ニ不㆑及バ㆑尸しニ。弔ヒテ㆑生ヲ不㆑及バ㆑哀あいニ。豫あらかじメスルハ㆓凶事ヲ㆒、非ザルナリ㆑禮ニ也。秋、八月、紀人きひと伐ツ㆑夷いヲ。夷不㆑告ゲ。故ニ不㆑書セ。有リ㆑蜚ひ。不㆑爲サ㆑災ヲ。亦不㆑書セ。
惠公ノ之季年、敗やぶル㆓宋ノ師ヲ于黄くわうニ㆒。公立チテ而求ム㆑成たひらギヲ焉。九月、及と㆓宋人㆒盟ちかフ㆓于宿ニ㆒。始メテ通ズルナリ也。冬、十月庚申かうしん、改㆐㆓葬ス惠公ヲ㆒。公弗ず㆑臨マ。故ニ不㆑書セ。惠公ノ之薨ズルヤ也、有リ㆓宋ノ師㆒。太子少わかシ。葬故ニ有リ㆑闕かクル。是ここヲ以テ改葬ス。衞侯來リテ會くわいス㆑葬ニ。不㆑見まみエ㆑公ニ。亦不㆑書セ。
白文 秋、七月、天王使宰咺來歸惠公仲子之賵。緩。且子氏未薨。故名。天子七月而葬。同軌畢至。侯五月、同盟至。大夫三月、同位至。士踰月、外姻至。贈死不及尸。弔生不及哀。豫凶事、非禮也。秋、八月、紀人伐夷。夷不告。故不書。有蜚。不爲災。亦不書。
惠公之季年、敗宋師于黄。公立而求成焉。九月、及宋人盟于宿。始通也。冬、十月庚申、改葬惠公。公弗臨。故不書。惠公之薨也、有宋師。太子少。葬故有闕。是以改葬。衞侯來會葬。不見公。亦不書。
原文 秋、七月、天王使む[㆓]|宰咺{さいけん}をして來りて|歸{おく}ら[㆓]惠公・仲子の之賵を[㆒]。【|緩{くわん}なり。】〈NOTE 葬儀に遥かに遅れた。 〉且つ【|子氏{しし}】〈NOTE 仲子 〉未だ __ [㆑]|薨{こう}ぜ。故に【名いふ】〈NOTE 宰咺の名を書して非礼を責めた 〉。天子は七月にして而葬る。【|同軌{どうき}】〈NOTE 諸侯 〉|畢{ことごと}く【至る】〈NOTE 使者を遣わして会葬させる 〉。諸侯は五月、【同盟】〈NOTE 同盟の諸侯 〉至る。大夫は三月、【同位】〈NOTE 他国の同位の者 〉至る。士は【|踰月{ゆげつ}】〈NOTE 翌月。「月を|踰{こ}えて」とも読める。 〉、【外姻】〈NOTE 他国の姻戚に当たる者 〉至る。贈りて[㆑]死に不[㆑]及ば[㆑]|尸{し}に。弔ひて[㆑]生を不[㆑]及ば[㆑]|哀{あい}に。【|豫{あらかじ}めするは[㆓]凶事を[㆒]】〈NOTE まだ生きている仲子に葬礼の車を贈ったこと。 〉、非ざるなり[㆑]禮に也。秋、八月、|紀人{きひと}伐つ[㆑]|夷{い}を。夷不[㆑]告げ。故に不[㆑]書せ。有り[㆑]|蜚{ひ}。不[㆑]爲さ[㆑]災を。亦不[㆑]書せ。
 惠公の之季年、【|敗{やぶ}る】〈NOTE 打ち負かす 〉[㆓]宋の師を于|黄{くわう}に[㆒]。【公】〈NOTE 隠公 〉立ちて而求む[㆑]【|成{たひら}ぎ】〈NOTE 媾和。和睦。 〉を焉。九月、|及{と}[㆓]宋人[㆒]|盟{ちか}ふ[㆓]于宿に[㆒]。始めて通ずるなり也。冬、十月|庚申{かうしん}、改[㆐][㆓]葬す惠公を[㆒]。【公|弗{ず}[㆑]臨ま。】〈NOTE 隠公は桓公に遠慮して、喪主として葬儀に臨むことはしなかった。 〉故に不[㆑]書せ。惠公の之薨ずるや也、有り[㆓]宋の師[㆒]。【太子】〈NOTE 桓公 〉|少{わか}し。葬故に有り[㆑]|闕{か}くる。|是{ここ}を以て改葬す。衞侯來りて|會{くわい}す[㆑]葬に。不[㆑]|見{まみ}え[㆑]【公】〈NOTE 隠公 〉に。亦不[㆑]書せ。
旧タグ 秋、七月、天王使ム 2(  ̄宰咺`さいけん´ヲシテ來リテ ̄歸`おく´ラ 2( 惠公・仲子ノ之賵ヲ )1 。【 ̄緩`くわん´ナリ。】〈NOTE 葬儀に遥かに遅れた。 〉且ツ【 ̄子氏`しし´】〈NOTE 仲子 〉未ダ __ ^ ̄薨`こう´ゼ。故ニ【名イフ】〈NOTE 宰咺の名を書して非礼を責めた 〉。天子ハ七月ニシテ而葬ル。【 ̄同軌`どうき´】〈NOTE 諸侯 〉 ̄畢`ことごと´ク【至ル】〈NOTE 使者を遣わして会葬させる 〉。諸侯ハ五月、【同盟】〈NOTE 同盟の諸侯 〉至ル。大夫ハ三月、【同位】〈NOTE 他国の同位の者 〉至ル。士ハ【 ̄踰月`ゆげつ´】〈NOTE 翌月。「月ヲ ̄踰`こ´エテ」とも読める。 〉、【外姻】〈NOTE 他国の姻戚に当たる者 〉至ル。贈リテ^死ニ不^及バ^ ̄尸`し´ニ。弔ヒテ^生ヲ不^及バ^ ̄哀`あい´ニ。【 ̄豫`あらかじ´メスルハ 2( 凶事ヲ )1 】〈NOTE まだ生きている仲子に葬礼の車を贈ったこと。 〉、非ザルナリ^禮ニ也。秋、八月、 ̄紀人`きひと´伐ツ^ ̄夷`い´ヲ。夷不^告ゲ。故ニ不^書セ。有リ^ ̄蜚`ひ´。不^爲サ^災ヲ。亦不^書セ。  惠公ノ之季年、【 ̄敗`やぶ´ル】〈NOTE 打ち負かす 〉 2( 宋ノ師ヲ于 ̄黄`くわう´ニ )1 。【公】〈NOTE 隠公 〉立チテ而求ム^【 ̄成`たひら´ギ】〈NOTE 媾和。和睦。 〉ヲ焉。九月、 ̄及`と´ 2( 宋人 )1  ̄盟`ちか´フ 2( 于宿ニ )1 。始メテ通ズルナリ也。冬、十月 ̄庚申`かうしん´、改- 2( 葬ス惠公ヲ )1 。【公 ̄弗`ず´^臨マ。】〈NOTE 隠公は桓公に遠慮して、喪主として葬儀に臨むことはしなかった。 〉故ニ不^書セ。惠公ノ之薨ズルヤ也、有リ 2( 宋ノ師 )1 。【太子】〈NOTE 桓公 〉 ̄少`わか´シ。葬故ニ有リ^ ̄闕`か´クル。 ̄是`ここ´ヲ以テ改葬ス。衞侯來リテ ̄會`くわい´ス^葬ニ。不^ ̄見`まみ´エ^【公】〈NOTE 隠公 〉ニ。亦不^書セ。
注記 〇緩くわんナリ。 ― 葬儀に遥かに遅れた。 〇子氏しし ― 仲子 〇名イフ ― 宰咺の名を書して非礼を責めた 〇同軌どうき ― 諸侯 〇至ル ― 使者を遣わして会葬させる 〇同盟 ― 同盟の諸侯 〇同位 ― 他国の同位の者 〇踰月ゆげつ ― 翌月。「月を踰こえて」とも読める。 〇外姻 ― 他国の姻戚に当たる者 〇豫あらかじメスルハ㆓凶事ヲ㆒ ― まだ生きている仲子に葬礼の車を贈ったこと。 〇敗やぶル ― 打ち負かす 〇公 ― 隠公 〇成たひらギ ― 媾和。和睦。 〇公弗ず㆑臨マ。 ― 隠公は桓公に遠慮して、喪主として葬儀に臨むことはしなかった。 〇太子 ― 桓公 〇公 ― 隠公
概要 鄭の共叔段の乱の際、(段の子である)公孫滑こうそんかつは衛の国へ亡命した。
 衛の人は公孫滑のために鄭を攻撃し、廩延りんえんの地を奪い取った。
 そこで鄭の人は、周の天子の軍隊(王師)と虢かくの国の軍隊を引き連れて衛の南の国境を攻撃した。また、邾ちゅうの国に援軍を要請した。
 邾の君主は、(魯の臣下である)公子豫よに私的に連絡を取ってきた。公子豫は救援に行きたいと申し出たが、隠公はこれを許さなかった。しかし公子豫は独断で出陣し、邾の人・鄭の人と翼よくの地で同盟を結んだ。経文にこの(同盟の)ことが書かれていないのは、隠公の命令によるものではなかったからである(非公命)。

 (魯の)南門を新しく造営した。経文に書かれていないのは、これもまた隠公の命令によるものではなかったからである(非公命)。
 十二月、祭伯(さいはく)がやってきた。(経文に「来たる」とだけ書かれ、正式な使節の扱いになっていないのは)周の天子の命令による来訪ではなかったからである(私的な来訪)。
 衆父しゅうほ(魯の大夫・公子師の字)が亡くなった。隠公が小斂しょうれん(遺体を納棺する前の儀礼)に立ち会わなかった。それゆえ、経文には(死亡の)「日」が書かれていないのである。

概説とポイント
◯共叔段の乱の余波と国際戦争への拡大
 前段で解決したと思われた「鄭伯、段に克つ」の動乱ですが、段の子である公孫滑が衛に逃げ込んだことで、鄭・衛・周(王室)・虢・邾・魯の6カ国を巻き込む国際的な軍事衝突へと波及していった様子が描かれます。

◯臣下(公子豫)の独断専行と「不書」
 隠公の反対を押し切って勝手に他国と同盟を結んだ公子豫の行動や、公命に基づかない南門の造営について、『左伝』は「非公命(君主の命に非ず)」として経文に記録されない理由を明快に説明します。

◯礼の不備による記録の省略(不書日)

1.祭伯の来訪:天子の命によらない私的な来訪であったため、正式な外交記録(朝・聘)として扱われない。
2.衆父の死:君主である隠公が小斂(葬礼の重要局面)に親臨しなかったため、敬意を欠くものとして死亡「日」の記載が省略された(不書日)。
訓読 鄭ノ共叔ノ之亂らんニ、公孫滑こうそんくわつ出㆐㆓奔ス衞ニ㆒。衞人ゑいひと爲メニ㆑之ガ伐チテ㆑鄭ヲ、取ル㆓廩延りんえんヲ㆒。鄭人以テ㆓王ノ師・虢くわくノ師ヲ㆒伐ツ㆓衞ノ南鄙ヲ㆒。請フ㆓師ヲ於邾ちゆニ㆒。邾子使しム㆑私しセ㆓於公子豫こうしよニ㆒。豫請フ㆑往カンコトヲ。公弗㆑許サ。遂ニ行キ、及と㆓邾人・鄭人㆒盟ちかフ㆓於翼ニ㆒。不ルハ㆑書セ、非ザレバナリ㆓公命ニ㆒也。新タニ作ル㆓南門ヲ㆒。不ルハ㆑書セ、亦また非ザレバナリ㆓公命ニ㆒也。十二月、祭伯來ル。非ザルナリ㆓王命ニ㆒也。衆父しゆうほ卒しゆつス。公不㆑與あづかラ㆓小斂せうれんニ㆒。故ニ不㆑書セ㆑日ヲ。
白文 鄭共叔之亂、公孫滑出奔衞。衞人爲之伐鄭、取廩延。鄭人以王師虢師伐衞南鄙。請師於邾。邾子使私於公子豫。豫請往。公弗許。遂行、及邾人鄭人盟於翼。不書、非公命也。新作南門。不書、亦非公命也。十二月、祭伯來。非王命也。衆父卒。公不與小斂。故不書日。
原文 鄭の共叔の之|亂{らん}に、【|公孫滑{こうそんくわつ}】〈NOTE 共叔段の子。 〉出[㆐][㆓]奔す【衞】〈NOTE 周の武王の弟唐叔の封国。姫姓、侯爵。 〉に[㆒]。|衞人{ゑいひと}爲めに[㆑]之が伐ちて[㆑]鄭を、取る[㆓]|廩延{りんえん}を[㆒]。鄭人以て[㆓]王の師・【|虢{くわく}】〈NOTE 周の文王の弟虢仲の封国。 〉の師を[㆒]伐つ[㆓]衞の南鄙を[㆒]。請ふ[㆓]師を於|邾{ちゆ}に[㆒]。邾子【|使{し}む[㆑]|私{し}せ】〈NOTE 非公式に折衝させた。 〉[㆓]於【|公子豫{こうしよ}】〈NOTE 魯の大夫 〉に[㆒]。豫請ふ[㆑]往かんことを。公弗[㆑]許さ。遂に行き、|及{と}[㆓]邾人・鄭人[㆒]|盟{ちか}ふ[㆓]於翼に[㆒]。不るは[㆑]書せ、非ざればなり[㆓]公命に[㆒]也。新たに作る[㆓]南門を[㆒]。不るは[㆑]書せ、|亦{また}非ざればなり[㆓]公命に[㆒]也。十二月、祭伯來る。非ざるなり[㆓]王命に[㆒]也。【|衆父{しゆうほ}】〈NOTE 魯の公子益師の字。 〉|卒{しゆつ}す。公不[㆑]|與{あづか}ら[㆓]|小斂{せうれん}に[㆒]。故に不[㆑]書せ[㆑]日を。
旧タグ 鄭ノ共叔ノ之 ̄亂`らん´ニ、【 ̄公孫滑`こうそんくわつ´】〈NOTE 共叔段の子。 〉出- 2( 奔ス【衞】〈NOTE 周の武王の弟唐叔の封国。姫姓、侯爵。 〉ニ )1 。 ̄衞人`ゑいひと´爲メニ^之ガ伐チテ^鄭ヲ、取ル 2(  ̄廩延`りんえん´ヲ )1 。鄭人以テ 2( 王ノ師・【 ̄虢`くわく´】〈NOTE 周の文王の弟虢仲の封国。 〉ノ師ヲ )1 伐ツ 2( 衞ノ南鄙ヲ )1 。請フ 2( 師ヲ於 ̄邾`ちゆ´ニ )1 。邾子【 ̄使`し´ム^ ̄私`し´セ】〈NOTE 非公式に折衝させた。 〉 2( 於【 ̄公子豫`こうしよ´】〈NOTE 魯の大夫 〉ニ )1 。豫請フ^往カンコトヲ。公弗^許サ。遂ニ行キ、 ̄及`と´ 2( 邾人・鄭人 )1  ̄盟`ちか´フ 2( 於翼ニ )1 。不ルハ^書セ、非ザレバナリ 2( 公命ニ )1 也。新タニ作ル 2( 南門ヲ )1 。不ルハ^書セ、 ̄亦`また´非ザレバナリ 2( 公命ニ )1 也。十二月、祭伯來ル。非ザルナリ 2( 王命ニ )1 也。【 ̄衆父`しゆうほ´】〈NOTE 魯の公子益師の字。 〉 ̄卒`しゆつ´ス。公不^ ̄與`あづか´ラ 2(  ̄小斂`せうれん´ニ )1 。故ニ不^書セ^日ヲ。
注記 〇公孫滑こうそんくわつ ― 共叔段の子。 〇衞 ― 周の武王の弟唐叔の封国。姫姓、侯爵。 〇虢くわく ― 周の文王の弟虢仲の封国。 〇使しム㆑私しセ ― 非公式に折衝させた。 〇公子豫こうしよ ― 魯の大夫 〇衆父しゆうほ ― 魯の公子益師の字。
概要 『春秋』隠公二年・経文解説
1.二年、春、公會戎于潛。
書き下し:二年、春、公、戎じゅうと潜せんに会す。
現代語訳:隠公二年の春、隠公は潜の地で異民族・戎(西戎)の首長と会談した。

解説:
 魯の西隣に位置する異民族・戎との会談記録です。国境の安定をはかるための予備交渉(慣れ親しむための会合)であり、秋に行われる正式な同盟(唐の盟)への第一歩でした。

2.夏、五月、莒人入向。
書き下し:夏、五月、莒きょ人、向こうに入る。
現代語訳:夏、五月、莒(東夷の国)の軍が小国・向に侵入(占領)した。
解説:
 大国である莒が、隣接する小国である向(現在の山東省)に侵攻した事件です。『春秋』の筆法において「入る」という語は、完全に滅ぼして領土化するのではなく、一時的に攻め入って支配下に置いた状態を表します。

3.無駭帥師入極。
書き下し:無駭むがい師を帥ひきいて極きょくに入る。
現代語訳:魯の大夫である無駭が軍を率いて(魯の附庸国であった)極の地に侵入し、これを滅ぼした。
解説:
 魯の公族である無駭が小国「極」を攻略した記録です。この時、氏(家名)が書かれず単に「無駭」と名だけが書かれているのは、まだ周王から正式な氏を与えられていなかったため、あるいは勝手な私兵行使に対する批判(諸説あり)とされます。

4.秋、八月庚辰、公及戎盟于唐。
書き下し:秋、八月庚辰こうしん、公、戎と唐に盟ちかふ。
現代語訳:秋、八月庚辰の日、隠公は戎と唐の地で正式な同盟を結んだ。
解説:
 春の「潜の会」を経て実った、戎との和平条約です。これにより魯は西方の国境の安全を確保し、対外関係を有利に進めることができました。

5.九月、紀裂繻來逆女。
書き下し:九月、紀きの裂繻れつじゅ来たりて女むすめを逆むかう。
現代語訳:九月、紀の国の大夫である裂繻が、(姫君を妻として迎えるため)魯へ迎えにやってきた。
解説:
 魯の姫君(伯姫)を紀の君主(紀子)の妻として迎えるための、正式なブライダル使節の来訪記録です。大夫(裂繻)自らが礼を尽くして訪れたことが記されています。

6.冬、十月、伯姫歸于紀。
書き下し:冬、十月、伯姫はくき紀に帰とつぐ。
現代語訳:冬、十月、隠公の姉(または妹)である伯姫が紀の国へ嫁いで行った。
解説:
 前の条文を受けて、正式に婚儀が整い、伯姫が紀へ嫁いだことを示します。「帰」は女性が他国へ嫁ぐことを意味する定型表現です。

7.紀子帛莒子盟于密。
書き下し:紀の子帛しはく、莒きょの子と密に盟ふ。
現代語訳:紀の君主である子帛(裂繻の字、あるいは紀伯)と、莒の君主が密の地で同盟を結んだ。
解説:
 魯と婚姻を結んだ紀が、隣国である莒と和平同盟を結んだ記録です。この同盟には魯の仲介があったとされています。

8.十有二月乙卯、夫人子氏薨
。 書き下し:十有二月乙卯、夫人子氏しし薨こうず。
現代語訳:十二月乙卯の日、恵公の正妻であった子氏(桓公の母である仲子)が亡くなった。
解説:
 隠公の弟である桓公の実母・仲子(子氏)の訃報です。彼女の死は、今後の魯国内における隠公と桓公(仲子の子)の立場や権力バランスに微妙な影を落とすことになります。

9.鄭人伐衞。
書き下し:鄭てい人、衛を伐つ。
現代語訳:鄭の軍勢が衛の国を攻撃した。
解説:
 隠元年からの因縁である、共叔段の乱を発端とした鄭と衛の報復合戦の続きです。衛が段の子(公孫滑)を庇護して鄭を攻めたため、鄭による逆侵攻が行われました。

 隠公二年の「経」も、それぞれの条文にのちの「伝」で語られる深い外交的駆け引きや背景が込められております。
訓読 〔經〕◯二年、春、公會くわいス㆓戎じゆうニ于潛せんニ㆒。
◯夏、五月、莒人きよひと入いル㆑向しやうニ。
◯無駭むがい帥ひきヰテ㆑師ヲ入ル㆑極ニ。
◯秋、八月康辰、公及㆑戎盟フ㆓于唐ニ㆒。
◯九月、紀ノ裂繻れつじゆ來リテ逆むかフ㆑女ヲ。
◯冬、十月、伯姫はくき歸とつグ㆓于紀ニ㆒。
◯紀ノ子帛しはく・莒子きよし盟フ㆓于密ニ㆒。
◯十有いう二月乙卯いつばう、夫人子氏しし薨ズ。
◯鄭人伐ツ㆑衞ヲ。
白文 〔經〕 ◯二年、春、公會戎于潛。
◯夏、五月、莒人入向。
◯無駭帥師入極。
◯秋、八月康辰、公及戎盟于唐。
◯九月、紀裂繻來逆女。
◯冬、十月、伯姫歸于紀。
◯紀子帛莒子盟于密。
◯十有二月乙卯、夫人子氏薨。
◯鄭人伐衞。
原文 〔經〕◯二年、春、公|會{くわい}す[㆓]【|戎{じゆう}】〈NOTE 西北の異民族。 〉に于【|潛{せん}】〈NOTE 魯の地名 〉に[㆒]。 ◯夏、五月、【|莒人{きよひと}】〈NOTE 莒国は初め贏(えい)姓、のち己(き)姓。子爵。 〉|入{い}る[㆑]【|向{しやう}】〈NOTE 莒の隣国の名 〉に。 ◯【|無駭{むがい}】〈NOTE 魯の卿。 〉|帥{ひき}ゐて[㆑]師を入る[㆑]【極】〈NOTE 魯の附庸(属国)の名 〉に。 ◯秋、八月康辰、公及[㆑]戎盟ふ[㆓]于【唐】〈NOTE 魯の地名 〉に[㆒]。 ◯九月、紀の【|裂繻{れつじゆ}】〈NOTE 紀国の大夫。字子帛。 〉來りて【|逆{むか}ふ[㆑]女を】〈NOTE 魯の公女伯姫を君主の配偶として迎えに来る。 〉。 ◯冬、十月、【|伯姫{はくき}】〈NOTE 隠公の姉妹の年長者 〉|歸{とつ}ぐ[㆓]于紀に[㆒]。 ◯紀の|子帛{しはく}・【|莒子{きよし}】〈NOTE 莒国の君主。子爵の国なので莒子と呼ぶ。 〉盟ふ[㆓]于【密】〈NOTE 莒国の地名 〉に[㆒]。 ◯十|有{いう}二月|乙卯{いつばう}、夫人【|子氏{しし}】〈NOTE 仲子。桓公の生母。 〉薨ず。 ◯鄭人伐つ[㆑]衞を。
旧タグ 〔經〕◯二年、春、公 ̄會`くわい´ス 2( 【 ̄戎`じゆう´】〈NOTE 西北の異民族。 〉ニ于【 ̄潛`せん´】〈NOTE 魯ノ地名 〉ニ )1 。 ◯夏、五月、【 ̄莒人`きよひと´】〈NOTE 莒国は初め贏(えい)姓、のち己(き)姓。子爵。 〉 ̄入`い´ル^【 ̄向`しやう´】〈NOTE 莒の隣国の名 〉ニ。 ◯【 ̄無駭`むがい´】〈NOTE 魯の卿。 〉 ̄帥`ひき´ヰテ^師ヲ入ル^【極】〈NOTE 魯の附庸(属国)の名 〉ニ。 ◯秋、八月康辰、公及^戎盟フ 2( 于【唐】〈NOTE 魯の地名〉ニ )1 。 ◯九月、紀ノ【 ̄裂繻`れつじゆ´】〈NOTE 紀国の大夫。字子帛。 〉來リテ【 ̄逆`むか´フ^女ヲ】〈NOTE 魯の公女伯姫を君主の配偶として迎えに来る。 〉。 ◯冬、十月、【 ̄伯姫`はくき´】〈NOTE 隠公の姉妹の年長者 〉 ̄歸`とつ´グ 2( 于紀ニ )1 。 ◯紀ノ ̄子帛`しはく´・【 ̄莒子`きよし´】〈NOTE 莒国の君主。子爵の国なので莒子と呼ぶ。 〉盟フ 2( 于【密】〈NOTE 莒国の地名 〉ニ )1 。 ◯十 ̄有`いう´二月 ̄乙卯`いつばう´、夫人【 ̄子氏`しし´】〈NOTE 仲子。桓公の生母。 〉薨ズ。 ◯鄭人伐ツ^衞ヲ。
注記 〇戎じゆう ― 西北の異民族。 〇潛せん ― 魯の地名 〇莒人きよひと ― 莒国は初め贏(えい)姓、のち己(き)姓。子爵。 〇向しやう ― 莒の隣国の名 〇無駭むがい ― 魯の卿。 〇極 ― 魯の附庸(属国)の名 〇唐 ― 魯の地名 〇裂繻れつじゆ ― 紀国の大夫。字子帛。 〇逆むかフ㆑女ヲ ― 魯の公女伯姫を君主の配偶として迎えに来る。 〇伯姫はくき ― 隠公の姉妹の年長者 〇莒子きよし ― 莒国の君主。子爵の国なので莒子と呼ぶ。 〇密 ― 莒国の地名 〇子氏しし ― 仲子。桓公の生母。
概要 (隠公二年)春、隠公が潜せんの地で異民族・戎じゅうと会談したのは、前君主である恵公の代からの友好関係を維持・修復するためであった。
このとき戎側は同盟(誓盟)を結ぶことを請求したが、隠公は(まだ準備不足であるとして)これを辞退した。

 莒きよの君主(莒子)は向の国から妻(向姜)を迎えた。しかし向姜は莒での暮らしに馴染めず(不満を抱き)、実家である向へ帰ってしまった。
 夏、莒の人は向の地に攻め入り、この向姜を連れ戻した。

 司空(官名)である無駭むがいが極きょくに侵入し、(魯の大夫である)費庈父ひきんぽがこれを攻めて(極を)撃破・制圧した。

 戎が再び同盟を結ぶことを請求してきた。
 秋、(隠公は)唐とうの地で戎と同盟を結んだ。これは(春の辞退を経て、改めて)戎との友好関係を再開・強化するためである。

 九月、紀の裂繻れつじゅが来たりて(魯の姫君を)迎えたのは、他国の卿(大臣クラスの高官)が自国の君主のために妻を迎えにきたからである(それゆえ経文に名が記された)。

 冬、紀の子帛(裂繻)と莒の君主が密みつの地で同盟を結んだのは、魯が(仲介役となって)調停したからである。

 鄭の人が衛を討伐したのは、(前年に起こった)公孫滑の乱(衛が公孫滑を擁護して鄭を攻めたこと)を問罪・討伐するためである。

概説とポイント
◯対戎外交の慎重さと成果
 隠公は春の「潜の会」で戎からの盟約要請を一度あえて辞退(公辞)し、相手の出方を見極めて秋の「唐の盟」で正式に同盟を結びました。『左伝』はこれが「恵公からの好みを修める(好みを復修する)」という長期的・平和的な外交方針に基づいていることを解説しています。

◯家庭の不和が招いた戦争(莒人入向)
 経文の「莒人入向(莒人が向に入る)」という無機質な軍事記録の裏に、「嫁いだ娘がホームシック(または夫婦不和)で実家に逃げ帰り、激怒した夫の国が軍を出して連戻した」という人間味あふれるドラマがあったことを『左伝』が解き明かしています。

◯魯の調停外交(紀子帛莒子盟于密)
 同盟国となった「紀」と、隣国である「莒」の同盟の陰に、魯の仲介(魯故)があったことを明かします。隠公が周辺国とのネットワークを構築し、東方の国際秩序を安定させようとしていた積極的な外政がうかがえます。

◯公孫滑の乱の完全な解決
 隠元年から続く鄭と衛の確執について、今回の鄭の攻勢が「公孫滑の乱への報復(討)」という正当な名目に基づくものであることを簡潔に整理しています。
訓読 〔傳〕二年、春、公會スルハ㆓戎ニ于濳ニ㆒、脩をさムルナリ㆓惠公ノ之好よしミヲ㆒也。
 戎請フ㆑盟ヒヲ。公辭ス。
 莒子娶めとル㆓于向ニ㆒。向姜しやうきやう不シテ㆑安ンゼ㆑莒ニ而歸ル。夏、莒人入リ㆑向ニ、以ゐテ㆓姜氏ヲ㆒還ル。
 司空ノ無駭入リ㆑極ニ、費庈父ひきんぼ勝ツ㆑之ニ。
 戎請フ㆑盟ヒヲ。秋、盟フハ㆓于唐ニ㆒、復タ脩ムルナリ㆓戎ノ好ミヲ㆒也。
 九月、紀ノ裂繻來リテ逆フルハ㆑女ヲ、卿爲たメニ㆑君ノ逆フルナリ也。
 冬、紀ノ子帛・莒子盟フハ㆓于密ニ㆒、魯ノ故ナリ也。
 鄭人伐ツハ㆑衞ヲ、討ツナリ㆓公孫滑ノ之亂らんヲ㆒也。
白文 〔傳〕二年、春、公會戎于濳、脩惠公之好也。
戎請盟。公辭。
莒子娶于向。向姜不安莒而歸。夏、莒人入向、以姜氏還。
司空無駭入極、費庈父勝之。
戎請盟。秋、盟于唐、復脩戎好也。
九月、紀裂繻來逆女、卿爲君逆也。
冬、紀子帛莒子盟于密、魯故也。
鄭人伐衞、討公孫滑之亂也。
原文 〔傳〕二年、春、公會するは[㆓]戎に于濳に[㆒]、|脩{をさ}むるなり[㆓]惠公の之|好{よし}みを[㆒]也。 戎請ふ[㆑]盟ひを。公辭す。 莒子【|娶{めと}る[㆓]于向に[㆒]】〈NOTE 向国から夫人を迎えた。 〉。【|向姜{しやうきやう}】〈NOTE 向国は姜姓。 〉不して[㆑]安んぜ[㆑]莒に而歸る。夏、莒人入り[㆑]向に、|以{ゐ}て[㆓]姜氏を[㆒]還る。 【司空】〈NOTE 司空は土地・人民を治め、司徒は文教を掌り、司馬は軍政を担当した。漢代には三公と総称。 〉の無駭入り[㆑]極に、|費庈父{ひきんぼ}【勝つ[㆑]之に】〈NOTE 極を滅ぼした 〉。 戎請ふ[㆑]盟ひを。秋、盟ふは[㆓]于唐に[㆒]、復た脩むるなり[㆓]戎の好みを[㆒]也。 九月、紀の裂繻來りて逆ふるは[㆑]女を、卿|爲{た}めに[㆑]君の逆ふるなり也。 冬、紀の子帛・莒子盟ふは[㆓]于密に[㆒]、【魯の故なり也】〈NOTE 魯と莒の仲を取り持つためである 〉。 鄭人伐つは[㆑]衞を、【討つなり[㆓]公孫滑の之|亂{らん}を[㆒]也】〈NOTE 衛が鄭の廩延を侵略した報復である 〉。
旧タグ 〔傳〕二年、春、公會スルハ 2( 戎ニ于濳ニ )1 、 ̄脩`をさ´ムルナリ 2( 惠公ノ之 ̄好`よし´ミヲ )1 也。 戎請フ^盟ヒヲ。公辭ス。 莒子【 ̄娶`めと´ル 2( 于向ニ )1 】〈NOTE 向国から夫人を迎えた。 〉。【 ̄向姜`しやうきやう´】〈NOTE 向国は姜姓。 〉不シテ^安ンゼ^莒ニ而歸ル。夏、莒人入リ^向ニ、 ̄以`ゐ´テ 2( 姜氏ヲ )1 還ル。 【司空】〈NOTE 司空は土地・人民を治め、司徒は文教を掌り、司馬は軍政を担当した。漢代には三公と総称。 〉ノ無駭入リ^極ニ、 ̄費庈父`ひきんぼ´【勝ツ^之ニ】〈NOTE 極を滅ぼした〉。 戎請フ^盟ヒヲ。秋、盟フハ 2( 于唐ニ )1 、復タ脩ムルナリ 2( 戎ノ好ミヲ )1 也。 九月、紀ノ裂繻來リテ逆フルハ^女ヲ、卿 ̄爲`た´メニ^君ノ逆フルナリ也。 冬、紀ノ子帛・莒子盟フハ 2( 于密ニ )1 、【魯ノ故ナリ也】〈NOTE 魯と莒の仲を取り持つためである 〉。 鄭人伐ツハ^衞ヲ、【討ツナリ 2( 公孫滑ノ之 ̄亂`らん´ヲ )1 也】〈NOTE 衛が鄭の廩延を侵略した報復である 〉。
注記 〇娶めとル㆓于向ニ㆒ ― 向国から夫人を迎えた。 〇向姜しやうきやう ― 向国は姜姓。 〇司空 ― 司空は土地・人民を治め、司徒は文教を掌り、司馬は軍政を担当した。漢代には三公と総称。 〇勝ツ㆑之ニ ― 極を滅ぼした 〇魯ノ故ナリ也 ― 魯と莒の仲を取り持つためである 〇討ツナリ㆓公孫滑ノ之亂らんヲ㆒也 ― 衛が鄭の廩延を侵略した報復である
概要 三年、春、王の二月己巳きしの日、日食があった。
 三月庚戌こうじゅつの日、天王(周の平王)が崩御された。
 夏、四月辛卯しんぼうの日、君氏くんしが亡くなった。
 秋、武氏の子(周の天子の使者)がやって来て、(天王の葬儀のための)金品(賻ふ)を要求した。
 八月庚辰こうしんの日、宋の公・和(穆公)が亡くなった。
 冬、十二月、斉の君主(斉侯)と鄭の君主(鄭伯)が石門せきもんの地で同盟を結んだ。
 癸未きびの日、宋の穆公を葬った。

【伝】
 三年、春、王の三月壬戌じんじゅつの日、周の平王が崩御された。(周王室から諸侯への訃報である)赴告ふこくには「庚戌の日」と打ち間違えて(あるいは意図的にずらして)知らされた。それゆえ、経文には「庚戌」と書かれているのである。

 夏、君氏が亡くなった。これは(隠公の実母である)声子せいしのことである。(隠公は実母を重んじたかったが、正式な正妻・夫人ではなかったため)諸侯に訃報を発せず(不赴)、葬儀を終えて霊牌を寝殿に迎えて泣く儀式も行えず(不反哭)、(先代君主の正妻である)姑しゅうとめの廟びょうに合祀(祔祭)することもできなかった。それゆえ(正式な夫人の死を示す)「薨こう」とは書かず、「夫人」とも称さず、(礼に準拠した葬儀でなかったため)「葬(葬られた)」とも書かず、さらに(母の生家の)姓も書かなかったのである。しかし、隠公の母であるという尊厳を保つために(史官は配慮して)「君氏」と書いたのである。

概説とポイント
◯日食と平王の崩御(東周の時代の大きな転換点)
 周を西から東(洛邑)へ遷都させた東周最初の天子・平王の崩御が記録されます。伝文では、実際の崩御日(壬戌)と王室からの公式な訃報(庚戌)にズレがあったことが明かされ、『春秋』の記録が「魯が公式に受け取った報告(赴告)」に基づいているという史官の記録原則が示されます。

◯「君氏卒」に込められた悲哀と「春秋筆法」
 隠公の実母である声子は、恵公の側室(あるいは継妻未満)であったため、死後に正規の「夫人」としての礼(諸侯への告白、反哭、祔祭)を尽くすことができませんでした。
その厳しい礼制の制約を反映して、経文では「薨」ではなく単に「卒」と書かれ、姓も省略されています。しかし、我が母に礼を尽くせない隠公の悲しみに配慮し、史官は彼女を「君氏(我が君の母君)」と呼ぶことで最低限の尊称を与えました。『春秋』の表現がいかに冷徹な礼の規定と人間的な情愛の狭間で練られているかが伺える名文です。

◯王室の困窮(武氏子来求賻)
 秋の条文では、天子の国である周王室が、諸侯である魯に対して「葬儀の費用(賻)を乞い求めてきた(求賻)」というショッキングな事実が書かれます。天王の権威が失墜し、財政的に諸侯に頼らざるを得なくなっている東周初期の衰退ぶりが如実に表れています。
 隠公三年は、このあとに『左伝』屈指の思想的名文である「石碏せきしゃくの諫言」や「周と鄭の質子(人質交換)」といった非常に重要な記事が続いてまいります。
訓読 〔經〕◯三年、春、王ノ二月己巳きし、日有リ㆑食スルコト㆑之ヲ。
◯三月庚戌、天王てんわう崩ズ。
◯夏、四月辛卯しんばう、君氏くんし卒ス。
◯秋、武氏ノ子來リテ求ム㆑賻ふヲ。
◯八月康辰、宋公そうこう和くわ卒ス。
◯冬、十有二月、齊候・鄭伯盟フ㆓于石門ニ㆒。
◯癸未きび、葬ル㆓宋ノ穆公ぼくこうヲ㆒。

〔傳〕三年、春、王ノ三月壬戌じんじゆつ、平王崩ズ。赴つグルニ以テス㆓庚戌ヲ㆒。故ニ書ス㆑之ヲ。
 夏、君氏卒ストハ、聲子せいしナリ也。不㆑赴ゲ㆓于諸侯ニ㆒、不㆔反㆐㆓哭はんこくセ于寢しんニ㆒、不㆑祔ふセ㆓于姑こニ㆒、故ニ不㆑曰ハ㆑薨ズト、不㆑稱セ㆓夫人ト㆒、故ニ不㆑言ハ㆑葬ルト、不㆑書セ㆑姓ヲ。爲メノ㆑公ノ故ニ曰フ㆓君氏ト㆒。
白文 〔經〕 ◯三年、春、王二月己巳、日有食之。
◯三月庚戌、天王崩。
◯夏、四月辛卯、君氏卒。
◯秋、武氏子來求賻。
◯八月康辰、宋公和卒。
◯冬、十有二月、齊候鄭伯盟于石門。
◯癸未、葬宋穆公。


〔傳〕三年、春、王三月壬戌、平王崩。赴以庚戌。故書之。
夏、君氏卒、聲子也。不赴于諸侯、不反哭于寢、不祔于姑、故不曰薨、不稱夫人、故不言葬、不書姓。爲公故曰君氏。
原文 〔經〕◯三年、春、王の二月|己巳{きし}、【日有り[㆑]食すること[㆑]之を】〈NOTE 日食があった。 〉。 ◯三月庚戌、|天王{てんわう}崩ず。 ◯夏、四月|辛卯{しんばう}、【|君氏{くんし}】〈NOTE 隠公母声子。 〉卒す。 ◯秋、【武氏】〈NOTE 周の大夫。 〉の子來りて求む[㆑]【|賻{ふ}】〈NOTE 葬礼のための貨財 〉を。 ◯八月康辰、|宋公{そうこう}【|和{くわ}】〈NOTE 穆公の名。穆公は在位9年(前728-720)。 〉卒す。 ◯冬、十有二月、【齊候】〈NOTE 齊の僖公。在位34年(前730-697)。 〉・【鄭伯】〈NOTE 鄭の荘公。 〉盟ふ[㆓]于【石門】〈NOTE 齊の地名 〉に[㆒]。 ◯|癸未{きび}、葬る[㆓]宋の|穆公{ぼくこう}を[㆒]。 〔傳〕三年、春、王の三月|壬戌{じんじゆつ}、平王崩ず。|赴{つ}ぐるに以てす[㆓]庚戌を[㆒]。故に【書す[㆑]之を】〈NOTE 庚戌の日を記録した 〉。 夏、君氏卒すとは、|聲子{せいし}なり也。不[㆑]赴げ[㆓]于諸侯に[㆒]、不[㆔]【|反[㆐][㆓]哭{はんこく}】〈NOTE 埋葬から帰って、正殿で死者に哭する儀式 〉せ于【|寢{しん}】〈NOTE 正殿 〉に[㆒]、不[㆑]【|祔{ふ}】〈NOTE 死者の霊を殯宮に祀り、一定期間を経て祖廟に合祀すること。 〉せ[㆓]于【|姑{こ}】〈NOTE 祖姑。祖父の妻。夫人は義理の祖母の廟に合祀する。 〉に[㆒]、故に不[㆑]曰は[㆑]薨ずと、不[㆑]稱せ[㆓]夫人と[㆒]、故に不[㆑]言は[㆑]葬ると、【不[㆑]書せ[㆑]姓を】〈NOTE 夫人(又は小君)何某氏と史に記さない 〉。爲めの[㆑]公の故に曰ふ[㆓]【君氏】〈NOTE 君夫人という称呼で呼んだ。隠公が摂政だったので、国母の正式礼を憚ったという意。 〉と[㆒]。
旧タグ 〔經〕◯三年、春、王ノ二月 ̄己巳`きし´、【日有リ^食スルコト^之ヲ】〈NOTE 日食があった。 〉。 ◯三月庚戌、 ̄天王`てんわう´崩ズ。 ◯夏、四月 ̄辛卯`しんばう´、【 ̄君氏`くんし´】〈NOTE 隠公母声子。 〉卒ス。 ◯秋、【武氏】〈NOTE 周の大夫。 〉ノ子來リテ求ム^【 ̄賻`ふ´】〈NOTE 葬礼のための貨財 〉ヲ。 ◯八月康辰、 ̄宋公`そうこう´【 ̄和`くわ´】〈NOTE 穆公の名。穆公は在位9年(前728-720)。 〉卒ス。 ◯冬、十有二月、【齊候】〈NOTE 齊の僖公。在位34年(前730-697)。 〉・【鄭伯】〈NOTE 鄭の荘公。 〉盟フ 2( 于【石門】〈NOTE 齊の地名〉ニ )1 。 ◯ ̄癸未`きび´、葬ル 2( 宋ノ ̄穆公`ぼくこう´ヲ )1 。 〔傳〕三年、春、王ノ三月 ̄壬戌`じんじゆつ´、平王崩ズ。 ̄赴`つ´グルニ以テス 2( 庚戌ヲ )1 。故ニ【書ス^之ヲ】〈NOTE 庚戌の日を記録した 〉。 夏、君氏卒ストハ、 ̄聲子`せいし´ナリ也。不^赴ゲ 2( 于諸侯ニ )1 、不 3( 【 ̄反[㆐][㆓]哭`はんこく´】〈NOTE 埋葬から帰って、正殿で死者に哭する儀式 〉セ于【 ̄寢`しん´】〈NOTE 正殿 〉ニ )1 、不^【 ̄祔`ふ´】〈NOTE 死者の霊を殯宮に祀り、一定期間を経て祖廟に合祀すること。 〉セ 2( 于【 ̄姑`こ´】〈NOTE 祖姑。祖父の妻。夫人は義理の祖母の廟に合祀する。〉ニ )1 、故ニ不^曰ハ^薨ズト、不^稱セ 2( 夫人ト )1 、故ニ不^言ハ^葬ルト、【不^書セ^姓ヲ】〈NOTE 夫人(又は小君)何某氏と史に記さない 〉。爲メノ^公ノ故ニ曰フ 2( 【君氏】〈NOTE 君夫人という称呼で呼んだ。隠公が摂政だったので、国母の正式礼を憚ったという意。 〉ト )1 。
注記 〇日有リ㆑食スルコト㆑之ヲ ― 日食があった。 〇君氏くんし ― 隠公母声子。 〇武氏 ― 周の大夫。 〇賻ふ ― 葬礼のための貨財 〇和くわ ― 穆公の名。穆公は在位9年(前728-720)。 〇齊候 ― 齊の僖公。在位34年(前730-697)。 〇鄭伯 ― 鄭の荘公。 〇石門 ― 齊の地名 〇書ス㆑之ヲ ― 庚戌の日を記録した 〇反㆐㆓哭はんこく ― 埋葬から帰って、正殿で死者に哭する儀式 〇寢しん ― 正殿 〇祔ふ ― 死者の霊を殯宮に祀り、一定期間を経て祖廟に合祀すること。 〇姑こ ― 祖姑。祖父の妻。夫人は義理の祖母の廟に合祀する。 〇不㆑書セ㆑姓ヲ ― 夫人(又は小君)何某氏と史に記さない 〇君氏 ― 君夫人という称呼で呼んだ。隠公が摂政だったので、国母の正式礼を憚ったという意。
概要 鄭の武公と(その子である)荘公は、共に周の平王の卿士(最高宰相)を務めていた。
 しかし平王は(権力が大きくなりすぎた鄭の荘公を警戒し)、虢かくの公(虢公忌父)にも政務を分散させようとした(貳す)。鄭の荘公は平王を怨んだ。
 平王は「そのような事実はない」と言い、その潔白を証明するために、周王室と鄭は互いに人質を交換することとなった(周鄭交質)。
 周の王子・狐こが鄭へ人質として赴き、鄭の公子・忽こつ(のちの昭公)が周へ人質として赴いた。

 平王が崩御すると、周の人々(王室)は約束を破って虢公に政権を与えようとした。
 (これに怒った)四月、鄭の祭足さいそく(祭仲)が軍を率いて、周の直轄地である「温おん」の麦を刈り取って強奪した。
 秋には、さらに「成周(東周の都・洛邑の周辺)」の稲(禾)を刈り取った。こうして周王室と鄭の仲は決定的に悪化した(周鄭交惡)。

 君子(史官・後世の批評者)は次のように言っている。
 「信義が心の中から発したものでなければ、人質を立てたところで見せかけに過ぎない。自他を思いやる心(恕)を明確にして行動し、礼によって互いを束ねるならば、たとえ人質がいなくとも、誰がその仲を割くことができようか。
 もし真心の信義があるならば、谷川や沼地に生える僅かな草(毛)や、水草(蘋・蘩・薀藻)といった貧しい菜、竹かごや鍋(筐筥・錡釜)といった粗末な器具、水たまりのわずかな水(潢汙・行潦)であっても、鬼神に捧げることができ、王公に献上することができるのだ。
ましてや君子が二国の信義を結び、それを礼によって行うならば、どうして人質など使う必要があろうか。
 『詩経』の国風に『采繁』や『采蘋』があり、小雅に『行葦』や『泂酌』の詩があるのは、忠義と信義を明らかにするためである」

 (経文に)「武氏の子が来たりて賵(葬儀の費用)を求む」とあるのは、平王の遺体がまだ埋葬されていなかったからである(王室が困窮し、葬儀も出せないため焦って集金に走ったのである)。

概説とポイント
◯天子の威信の地に堕ちた「周鄭交質」
 本来、諸侯を統率する絶対的権威であるはずの「天子(周王)」が、一諸侯に過ぎない「鄭」の機嫌をとるために実の王子を人質に出すという、過渡期・春秋時代の到来を象徴する衝撃的な事件です。

◯「温の麦・成周の禾を刈る」挑発行為
 人質交換にとどまらず、鄭の臣・祭足(祭仲)は天子の膝元である直轄地の領域に踏み込み、兵を率いて勝手に穀物を収穫・強奪しました。これは周王室に対するあからさまな武力威嚇であり、王室の無力さを天下に知らしめることとなりました。

◯「君子曰く」の信義論(名文)
 『左伝』の筆者は、この醜い人質劇と裏切りを厳しく批判します。

1.「信不由中、質無也」:心からの誠実さ(中)がない信義は、いくら人質(質)を立てても無意味である。
2.粗末な供え物の比喩:真心の信義(明信)さえあれば、野の草や水たまりの水といった質素なものでも神や王に受け入れられる(形式や人質という物理的補償ではなく、心の「信」こそが根本である)。
3.『詩経』の引用:古代の詩を引用しながら、政治外交における「礼」と「忠信」の不可欠さを説きます。

◯前段の「武氏子來求賻」の伏線回収
 末尾で、経文にあった周の使者(武氏子)の金品要求について、「平王が崩御したのに葬儀費用すら出せず、まだ埋葬できていなかったからだ」という痛々しい王室の裏事情を明かして締めくくります。

 天下の秩序が崩壊していく過程と、それを哀しむ儒家的倫理観が見事に対比された名場面です。
訓読 鄭ノ武公・莊公さうこう、爲ル㆓平王ノ卿士けいしト㆒。王貳じス㆓于虢くわくニ㆒。鄭伯怨ム㆑王ヲ。王曰ハク、無シト㆑之。故ニ周・鄭交〻こもごも質ちス。王子わうし狐こ爲リ㆑質ト㆓於鄭ニ㆒、鄭ノ公子忽こつ爲ル㆑質ト㆓於周ニ㆒。王崩ズ。周人將まさニ __ ㆑畀あたヘント㆓虢公ニ政まつりごとヲ㆒。四月、鄭ノ祭足さいそく帥ヰテ㆑師ヲ取ル㆓温ノ之麥ヲ㆒。秋、又取ル㆓成周ノ之禾くわヲ㆒。周・鄭交〻惡あシ。君子曰ク、信モ不ンバ㆑由よリセ㆑中ちゆう、質モ無キナリ㆑益也。明恕めいじよニシテ而行ヒ、要スルニ㆑之ヲ以テセバ㆑禮ヲ、雖いへどモ㆑無シト㆑有ルコト㆑質、誰たれカ能よク閒へだテン㆑之ヲ。苟いやしクモ有ラバ㆓明信㆒、澗谿沼畤かんけいせうしノ之毛まう、蘋蘩薀藻ひんぱんをんさうノ之菜さい、筐筥錡釜きやうきよきふノ之器き、潢汙行潦くわうをかうらうノ之水みづモ、可べク㆑薦ム㆓於鬼神ニ㆒、可シ㆑羞すすム㆓於王公ニ㆒。而しかルヲ況いはんヤ君子結ビ㆓二國ノ之信ヲ㆒、行フニ㆑之ヲ以テセバ㆑禮ヲ、又焉いづクンゾ用ヰン㆑質ヲ。風ふうニ有リ㆓采繁さいはん・采蘋さいひん㆒、雅がニ有ルハ㆓行葦かうゐ・泂酌けいしやく㆒、昭あきらカニスルナリ㆓忠信ヲ㆒也ト。武氏ノ子來リテ求ムルハ㆑賻ヲ、王未ダ レバナリ ㆑葬ラ也。
白文 鄭武公莊公、爲平王卿士。王貳于虢。鄭伯怨王。王曰、無之。故周鄭交質。王子狐爲質於鄭、鄭公子忽爲質於周。王崩。周人將畀虢公政。四月、鄭祭足帥師取温之麥。秋、又取成周之禾。周鄭交惡。君子曰、信不由中、質無也。明恕而行、要之以禮、雖無有質、誰能閒之。苟有明信、澗谿沼畤之毛、蘋蘩薀藻之菜、筐筥錡釜之器、潢汙行潦之水、可薦於鬼、可羞於王公。而況君子結二國之信、行之以禮、又焉用質。風有采繁采蘋、雅有行葦泂酌、昭忠信也。武氏子來求賻、王未葬也。
原文 鄭の武公・|莊公{さうこう}、爲る[㆓]平王の【|卿士{けいし}】〈NOTE 執政 〉と[㆒]。王【|貳{じ}す[㆓]于|虢{くわく}に[㆒]】〈NOTE 虢公に政権を与えようという二心を抱いた 〉。鄭伯怨む[㆑]王を。王曰はく、無しと[㆑]之。故に周・鄭|交〻{こもごも}|質{ち}す。|王子{わうし}|狐{こ}爲り[㆑]質と[㆓]於鄭に[㆒]、鄭の公子|忽{こつ}爲る[㆑]質と[㆓]於周に[㆒]。王崩ず。周人|將{まさ}に __ [㆑]|畀{あた}へんと[㆓]虢公に|政{まつりごと}を[㆒]。四月、鄭の【|祭足{さいそく}】〈NOTE 大夫祭仲 〉帥ゐて[㆑]師を取る[㆓]温の之麥を[㆒]。秋、又取る[㆓]【成周】〈NOTE 温とともに周の畿内の地 〉の之【|禾{くわ}】〈NOTE 粟 〉を[㆒]。周・鄭交〻|惡{あ}し。君子曰く、信も不んば[㆑]|由{よ}りせ[㆑]【|中{ちゆう}】〈NOTE 忠。真心。 〉、質も無きなり[㆑]益也。【|明恕{めいじよ}】〈NOTE 公明正大で思いやりの心をもつこと。 〉にして而行ひ、要するに[㆑]之を以てせば[㆑]禮を、|雖{いへど}も[㆑]無しと[㆑]有ること[㆑]質、|誰{たれ}か|能{よ}く|閒{へだ}てん[㆑]之を。|苟{いやし}くも有らば[㆓]明信[㆒]、【|澗谿沼畤{かんけいせうし}の之|毛{まう}】〈NOTE 谷川や沼沢の汀の草 〉、【|蘋蘩薀藻{ひんぱんをんさう}】〈NOTE 雑草や水草の類 〉の之|菜{さい}、【|筐筥錡釜{きやうきよきふ}】〈NOTE 笊(ざる)や鍋釜 〉の之|器{き}、【|潢汙行潦{くわうをかうらう}】〈NOTE 水溜まりの雨水 〉の之|水{みづ}も、|可{べ}く[㆑]薦む[㆓]於鬼神に[㆒]、可し[㆑]|羞{すす}む[㆓]於王公に[㆒]。|而{しか}るを|況{いはん}や君子結び[㆓]二國の之信を[㆒]、行ふに[㆑]之を以てせば[㆑]禮を、又|焉{いづ}くんぞ用ゐん[㆑]質を。【|風{ふう}に有り[㆓]|采繁{さいはん}・|采蘋{さいひん}[㆒]、|雅{が}に有るは[㆓]|行葦{かうゐ}・|泂酌{けいしやく}[㆒]、】〈NOTE 詩経の国風(召南)や大雅に粗末な貲を祭祀に供えるさまを歌う。 〉|昭{あきら}かにするなり[㆓]忠信を[㆒]也と。【武氏の子】〈NOTE 正式の大夫に任命もしなかった非礼を風刺するという 〉來りて求むるは[㆑]賻を、王未だ _ればなり_ [㆑]葬ら也。
旧タグ 鄭ノ武公・ ̄莊公`さうこう´、爲ル 2( 平王ノ【 ̄卿士`けいし´】〈NOTE 執政 〉ト )1 。王【 ̄貳`じ´ス 2( 于 ̄虢`くわく´ニ )1 】〈NOTE 虢公に政権を与えようという二心を抱いた 〉。鄭伯怨ム^王ヲ。王曰ハク、無シト^之。故ニ周・鄭 ̄交〻`こもごも´ ̄質`ち´ス。 ̄王子`わうし´ ̄狐`こ´爲リ^質ト 2( 於鄭ニ )1 、鄭ノ公子 ̄忽`こつ´爲ル^質ト 2( 於周ニ )1 。王崩ズ。周人 ̄將`まさ´ニ __ ^ ̄畀`あた´ヘント 2( 虢公ニ ̄政`まつりごと´ヲ )1 。四月、鄭ノ【 ̄祭足`さいそく´】〈NOTE 大夫祭仲 〉帥ヰテ^師ヲ取ル 2( 温ノ之麥ヲ )1 。秋、又取ル 2( 【成周】〈NOTE 温とともに周の畿内の地 〉ノ之【 ̄禾`くわ´】〈NOTE 粟 〉ヲ )1 。周・鄭交〻 ̄惡`あ´シ。君子曰ク、信モ不ンバ^ ̄由`よ´リセ^【 ̄中`ちゆう´】〈NOTE 忠。真心。 〉、質モ無キナリ^益也。【 ̄明恕`めいじよ´】〈NOTE 公明正大で思いやりの心をもつこと。 〉ニシテ而行ヒ、要スルニ^之ヲ以テセバ^禮ヲ、 ̄雖`いへど´モ^無シト^有ルコト^質、 ̄誰`たれ´カ ̄能`よ´ク ̄閒`へだ´テン^之ヲ。 ̄苟`いやし´クモ有ラバ 2( 明信 )1 、【 ̄澗谿沼畤`かんけいせうし´ノ之 ̄毛`まう´】〈NOTE 谷川や沼沢の汀の草 〉、【 ̄蘋蘩薀藻`ひんぱんをんさう´】〈NOTE 雑草や水草の類 〉ノ之 ̄菜`さい´、【 ̄筐筥錡釜`きやうきよきふ´】〈NOTE 笊(ざる)や鍋釜 〉ノ之 ̄器`き´、【 ̄潢汙行潦`くわうをかうらう´】〈NOTE 水溜まりの雨水 〉ノ之 ̄水`みづ´モ、 ̄可`べ´ク^薦ム 2( 於鬼神ニ )1 、可シ^ ̄羞`すす´ム 2( 於王公ニ )1 。 ̄而`しか´ルヲ ̄況`いはん´ヤ君子結ビ 2( 二國ノ之信ヲ )1 、行フニ^之ヲ以テセバ^禮ヲ、又 ̄焉`いづ´クンゾ用ヰン^質ヲ。【 ̄風`ふう´ニ有リ 2(  ̄采繁`さいはん´・ ̄采蘋`さいひん´ )1 、 ̄雅`が´ニ有ルハ 2(  ̄行葦`かうゐ´・ ̄泂酌`けいしやく´ )1 、】〈NOTE 詩経の国風(召南)や大雅に粗末な貲を祭祀に供えるさまを歌う。 〉 ̄昭`あきら´カニスルナリ 2( 忠信ヲ )1 也ト。【武氏ノ子】〈NOTE 正式の大夫に任命もしなかった非礼を風刺するという 〉來リテ求ムルハ^賻ヲ、王未ダ _レバナリ_ ^葬ラ也。
注記 〇卿士けいし ― 執政 〇貳じス㆓于虢くわくニ㆒ ― 虢公に政権を与えようという二心を抱いた 〇祭足さいそく ― 大夫祭仲 〇成周 ― 温とともに周の畿内の地 〇禾くわ ― 粟 〇中ちゆう ― 忠。真心。 〇明恕めいじよ ― 公明正大で思いやりの心をもつこと。 〇澗谿沼畤かんけいせうしノ之毛まう ― 谷川や沼沢の汀の草 〇蘋蘩薀藻ひんぱんをんさう ― 雑草や水草の類 〇筐筥錡釜きやうきよきふ ― 笊(ざる)や鍋釜 〇潢汙行潦くわうをかうらう ― 水溜まりの雨水 〇風ふうニ有リ㆓采繁さいはん・采蘋さいひん㆒、雅がニ有ルハ㆓行葦かうゐ・泂酌けいしやく㆒、 ― 詩経の国風(召南)や大雅に粗末な貲を祭祀に供えるさまを歌う。 〇武氏ノ子 ― 正式の大夫に任命もしなかった非礼を風刺するという
概要 自分の実子(公子馮)ではなく、兄(先君・宣公)の子である「与夷(殤公)」に公位を譲った宋の穆公の美徳(義)と、それに伴い公子馮を鄭へ亡命させたことが今後の動乱(宋・鄭の長年の対立)の火種となる歴史的伏線が描かれています。

  宋の穆公が病に倒れた。大司馬(軍事長官)の孔父こうほ(孔子の先祖)を呼び寄せ、(甥である)与夷よい(後の殤公)の後見を託して言った。
 「先君(兄の宣公)は、我が子である与夷を差し置いて、私(寡人)を君主として立ててくださった。私はその恩義を片時も忘れたことがない。もし諸大夫のお陰で、無事に天寿を全うして死ぬ(首領を保って以て没する)ことができたとして、あの世で先君から『与夷はどうなったか』と問われたら、私は何とお答えすればよいのだ。どうかあなたは与夷を戴いて、国家(社稷)の主として仕えてくれ。私は死んでも思い残すことはない」
 孔父は答えて言った。
 「群臣はみな、(穆公のお子である)公子馮ひょう様をお立てしたいと願っております」
 穆公は言った。
 「それはならぬ。先君は私を賢明であると評価して、国家を託されたのだ。もし私がその徳を捨てて(甥に公位を)譲らないならば、それは先君の優れた判断(先君の挙)を台無しにすることになる。どうして私を『賢者』などと言えようか。先君の素晴らしき徳を光り輝かせることに、どうして努めずにいられようか。あなたどうか、先君の功績を廃することのないようにしてくれ」
 (こうして公位継承の争いを防ぐため)子の公子馮を国外に去らせ、鄭の国に居させ(亡命させ)た。
 八月庚辰の日、宋の穆公が崩御し、与夷(殤公)が即位した。

 君子(史官・後世の批評者)は次のように言っている。
 「宋の宣公は、まさに『人を見る目があった(知人)』と言うべきである。(弟の)穆公を立てたことで、結局はその実子(与夷)が君主の地位を享受することになり、道義にかなった命を残すことができた。『詩経』商頌に『殷は天命を受けてすべてが良くなり、多くの幸運を担う』とあるのは、まさにこのことを言っているのだろう」

 冬、斉と鄭が石門せきもんの地で同盟を結んだ。これは(以前行われた)盧ろの同盟を再確認(尋)したものである。
 庚戌の日、鄭の荘公の戦車が済さいの水中でひっくり返った(僨す)。

概説とポイント
◯宋穆公の「譲位」と先君(兄・宣公)への恩義
 宋では兄(宣公)が死際、我が子(与夷)を差し置いて弟(穆公)に位を譲りました。その恩義に報いるため、穆公は自身が死に直面した際、我が子(公子馮)ではなく甥(与夷=殤公)に位を返上(譲位)します。己の欲望を排し、道義(義)を貫いた美談として『左伝』は高く評価しています。

◯後の大動乱(宋・鄭抗争)への伏線(公子馮の鄭への亡命)
 穆公は後継者争いを防ぐため、我が子である公子馮を鄭の国へ亡命させました。しかし、これが裏目となり、のちに「公子馮を擁護・利用する鄭」と「それを嫌う宋(殤公)」との間で激しい戦争が勃発することになります。歴史の皮肉と伏線が見事に組み込まれています。

◯孔父(孔父嘉)の登場
 穆公から遺言を託された大司馬の「孔父」は、後に儒教をひらく孔子の六世の祖にあたる人物です。彼もまた、のちに宋の動乱の中で悲劇的な最期を遂げることになります。

◯不吉な前兆(車僨于濟)
 末尾の「鄭伯の車、済に僨たおる」というわずか1文は、鄭の荘公の戦車が川でひっくり返ったという事故の記録ですが、これから鄭の国や周辺国に巻き起こる不穏な暗雲や波乱を暗示する吉凶の前兆(説話的表現)として挿入されています。
訓読 宋ノ穆公疾やム。召シテ㆓大司馬たいしば孔父こうほヲ㆒而屬しよくス㆓殤公しやうこうヲ㆒焉。曰ク、先君舍おキテ㆓與夷よいヲ㆒而立ツ㆓寡人ヲ㆒。寡人弗㆓敢あへテ忘レ㆒。若シ以テ㆓大夫ノ之靈ヲ㆒、得ンニ㆘保たもチテ㆓首領ヲ㆒以テ沒スルコトヲ㆖、先君若シ問ハバ㆓與夷ヲ㆒、其レ將はタ何ノ辭モテ以テ對こたヘン。請フ子し奉ジテ㆑之ヲ以テ主つかさどレ㆓社稷ヲ㆒。寡人くわじん雖モ㆑死スト亦無カラン㆑悔ユルコト焉ト。對ヘテ曰ク、羣臣願フ㆑奉ゼンコトヲ㆑馮ひようヲ也ト。公曰ク、不可ナリ。先君以テ㆓寡人ヲ㆒爲シ㆑賢ト、使ム㆑主ラ㆓社稷ヲ㆒。若シ棄テテ㆑德ヲ不ンバ㆑讓ラ、是レ廢スルナリ㆓先君ノ之擧ヲ㆒也。豈あニ曰ハンヤ㆓能ク賢ナリト㆒。光㆐㆓昭くわうせうスルコト先君ノ之令德ヲ㆒、可ケンヤ㆑不ル㆑務メ乎。吾子ごし其レ無カレト㆑廢スルコト㆓先君ノ之功こうヲ㆒。使しム㆔公子馮ヲシテ出デテ居をラ㆓于鄭ニ㆒。八月康辰、宋ノ穆公卒シ、殤公即ク㆑位ニ。君子曰ク、宋ノ宣公ハ可シ㆑謂フ㆑知ルト㆑人ヲ矣。立テテ㆓穆公ヲ㆒、其ノ子饗うケシハ㆑之ニ、命ズルニ以テスルカナ㆑義ヲ夫。商頌しやうしようニ曰ク、殷いんノ受クルハ㆑命ヲ咸みな宜シク、百祿是レ荷になフト。其レ是レヲ之レ謂フカ乎ト。
 冬、齊・鄭盟フハ㆓于石門ニ㆒、尋あたたムルナリ㆓盧ろノ之盟ヒヲ㆒也。庚戌かうじゆつ、鄭伯ノ之車僨やぶル㆓于濟せいニ㆒。
白文 宋穆公疾。召大司馬孔父而屬殤公焉。曰、先君舍與夷而立寡人。寡人弗敢忘。若以大夫之靈、得保首領以沒、先君若問與夷、其將何辭以對。請子奉之以主社稷。寡人雖死亦無悔焉。對曰、羣臣願奉馮也。公曰、不可。先君以寡人爲賢、使主社稷。若棄德不讓、是廢先君之擧也。豈曰能賢。光昭先君之令德、可不務乎。吾子其無廢先君之功。使公子馮出居于鄭。八月康辰、宋穆公卒、殤公即位。君子曰、宋宣公可謂知人矣。立穆公、其子饗之、命以義夫。商頌曰、殷受命咸宜、百祿是荷。其是之謂乎。
 冬、齊鄭盟于石門、尋盧之盟也。庚戌、鄭伯之車僨于濟。
原文 【宋の穆公】〈NOTE 在位9年(前728-720)。 〉|疾{や}む。召して[㆓]【|大司馬{たいしば}】〈NOTE 軍政官 〉【|孔父{こうほ}】〈NOTE 孔子の六世の祖。 〉を[㆒]而【|屬{しよく}す】〈NOTE 依嘱する 〉[㆓]【|殤公{しやうこう}】〈NOTE 穆公の兄宣公の子。名は与夷。 〉を[㆒]焉。曰く、先君|舍{お}きて[㆓]|與夷{よい}を[㆒]而立つ[㆓]【寡人】〈NOTE 諸侯の謙称。寡徳の者という意。 〉を[㆒]。寡人弗[㆓]【|敢{あへ}て】〈NOTE 決して 〉忘れ[㆒]。若し以て[㆓]大夫の之靈を[㆒]、得んに[㆘]【|保{たも}ちて[㆓]首領を[㆒]】〈NOTE 五体満足で 〉以て沒することを[㆖]、先君若し問はば[㆓]與夷を[㆒]、其れ|將{は}た何の辭もて以て|對{こた}へん。請ふ|子{し}【奉じて[㆑]之を】〈NOTE 与夷を(君主として)仰いで 〉以て|主{つかさど}れ[㆓]【社稷】〈NOTE 国家。社は土地の神、稷は穀物の神。古く宮殿にこの神々を祀ったことから。 〉を[㆒]。|寡人{くわじん}雖も[㆑]死すと亦無からん[㆑]悔ゆること焉と。對へて曰く、羣臣願ふ[㆑]奉ぜんことを[㆑]【|馮{ひよう}】〈NOTE 穆公の子。 〉を也と。公曰く、不可なり。先君以て[㆓]寡人を[㆒]爲し[㆑]【賢】〈NOTE 優れた人物 〉と、使む[㆑]主ら[㆓]社稷を[㆒]。若し棄てて[㆑]德を不んば[㆑]讓ら、是れ廢するなり[㆓]先君の之擧を[㆒]也。|豈{あ}に曰はんや[㆓]能く賢なりと[㆒]。|【光[㆐][㆓]昭{くわうせう}する】〈NOTE 光輝かせる 〉こと先君の之【令德】〈NOTE 立派な賦性 〉を[㆒]、可けんや[㆑]不る[㆑]務め乎。【|吾子{ごし}】〈NOTE あなた。「子」よりも親愛を表す称呼。 〉其れ無かれと[㆑]廢すること[㆓]先君の之|功{こう}を[㆒]。|使{し}む[㆔]【公子馮】〈NOTE 魯の桓公二年に殤公を弑逆して国君となる。 〉をして出でて|居{を}ら[㆓]于鄭に[㆒]。八月康辰、宋の穆公卒し、殤公即く[㆑]位に。君子曰く、宋の宣公は可し[㆑]謂ふ[㆑]知ると[㆑]人を矣。立てて[㆓]穆公を[㆒]、其の子【|饗{う}けしは[㆑]之に】〈NOTE 穆公の跡を継いだ 〉、命ずるに以てするかな[㆑]義を夫。【|商頌{しやうしよう}】〈NOTE 詩経・商頌「玄鳥」。頌は、宗廟で祖先を頌えて歌う。 〉に曰く、|殷{いん}の【受くるは[㆑]命を|咸{みな}宜しく】〈NOTE 皇位継承はみな道に適う。 〉、【百祿是れ|荷{にな}ふ】〈NOTE 多くの幸いを受けて栄えた。 〉と。其れ是れを之れ謂ふか乎と。冬、齊・鄭盟ふは[㆓]于石門に[㆒]、|尋{あたた}むるなり[㆓]|盧{ろ}の之盟ひを[㆒]也。|庚戌{かうじゆつ}、鄭伯の之車【|僨{やぶ}る】〈NOTE 覆って川に落ちる 〉[㆓]于【|濟{せい}】〈NOTE 斉の済水 〉に[㆒]。
旧タグ 【宋ノ穆公】〈NOTE 在位9年(前728-720)。 〉 ̄疾`や´ム。召シテ 2( 【 ̄大司馬`たいしば´】〈NOTE 軍政官 〉【 ̄孔父`こうほ´】〈NOTE 孔子の六世の祖。 〉ヲ )1 而【 ̄屬`しよく´ス】〈NOTE 依嘱する 〉 2( 【 ̄殤公`しやうこう´】〈NOTE 穆公の兄宣公の子。名は与夷。 〉ヲ )1 焉。曰ク、先君 ̄舍`お´キテ 2(  ̄與夷`よい´ヲ )1 而立ツ 2( 【寡人】〈NOTE 諸侯の謙称。寡徳の者という意。 〉ヲ )1 。寡人弗 2( 【 ̄敢`あへ´テ】〈NOTE 決して 〉忘レ )1 。若シ以テ 2( 大夫ノ之靈ヲ )1 、得ンニ 2{ 【 ̄保`たも´チテ 2( 首領ヲ )1 】〈NOTE 五体満足で 〉以テ沒スルコトヲ }1 、先君若シ問ハバ 2( 與夷ヲ )1 、其レ ̄將`は´タ何ノ辭モテ以テ ̄對`こた´ヘン。請フ ̄子`し´【奉ジテ^之ヲ】〈NOTE 与夷を(君主として)仰いで 〉以テ ̄主`つかさど´レ 2( 【社稷】〈NOTE 国家。社は土地の神、稷は穀物の神。古く宮殿にこの神々を祀ったことから。 〉ヲ )1 。 ̄寡人`くわじん´雖モ^死スト亦無カラン^悔ユルコト焉ト。對ヘテ曰ク、羣臣願フ^奉ゼンコトヲ^【 ̄馮`ひよう´】〈NOTE 穆公の子。 〉ヲ也ト。公曰ク、不可ナリ。先君以テ 2( 寡人ヲ )1 爲シ^【賢】〈NOTE 優れた人物 〉ト、使ム^主ラ 2( 社稷ヲ )1 。若シ棄テテ^德ヲ不ンバ^讓ラ、是レ廢スルナリ 2( 先君ノ之擧ヲ )1 也。 ̄豈`あ´ニ曰ハンヤ 2( 能ク賢ナリト )1 。 ̄【光[㆐][㆓]昭`くわうせう´スル】〈NOTE 光輝かせる 〉コト先君ノ之【令德】〈NOTE 立派な賦性 〉ヲ )1 、可ケンヤ^不ル^務メ乎。【 ̄吾子`ごし´】〈NOTE あなた。「子」よりも親愛を表す称呼。 〉其レ無カレト^廢スルコト 2( 先君ノ之 ̄功`こう´ヲ )1 。 ̄使`し´ム 3( 【公子馮】〈NOTE 魯の桓公二年に殤公を弑逆して国君となる。 〉ヲシテ出デテ ̄居`を´ラ 2( 于鄭ニ )1 。八月康辰、宋ノ穆公卒シ、殤公即ク^位ニ。君子曰ク、宋ノ宣公ハ可シ^謂フ^知ルト^人ヲ矣。立テテ 2( 穆公ヲ )1 、其ノ子【 ̄饗`う´ケシハ^之ニ】〈NOTE 穆公の跡を継いだ 〉、命ズルニ以テスルカナ^義ヲ夫。【 ̄商頌`しやうしよう´】〈NOTE 詩経・商頌「玄鳥」。頌ハ、宗廟デ祖先ヲ頌エテ歌ウ。 〉ニ曰ク、 ̄殷`いん´ノ【受クルハ^命ヲ ̄咸`みな´宜シク】〈NOTE 皇位継承はみな道に適う。 〉、【百祿是レ ̄荷`にな´フ】〈NOTE 多くの幸いを受けて栄えた。 〉ト。其レ是レヲ之レ謂フカ乎ト。冬、齊・鄭盟フハ 2( 于石門ニ )1 、 ̄尋`あたた´ムルナリ 2(  ̄盧`ろ´ノ之盟ヒヲ )1 也。 ̄庚戌`かうじゆつ´、鄭伯ノ之車【 ̄僨`やぶ´ル】〈NOTE 覆って川に落ちる 〉 2( 于【 ̄濟`せい´】〈NOTE 斉の済水 〉ニ )1 。
注記 〇宋ノ穆公 ― 在位9年(前728-720)。 〇大司馬たいしば ― 軍政官 〇孔父こうほ ― 孔子の六世の祖。 〇屬しよくス ― 依嘱する 〇殤公しやうこう ― 穆公の兄宣公の子。名は与夷。 〇寡人 ― 諸侯の謙称。寡徳の者という意。 〇敢あへテ ― 決して 〇保たもチテ㆓首領ヲ㆒ ― 五体満足で 〇奉ジテ㆑之ヲ ― 与夷を(君主として)仰いで 〇社稷 ― 国家。社は土地の神、稷は穀物の神。古く宮殿にこの神々を祀ったことから。 〇馮ひよう ― 穆公の子。 〇賢 ― 優れた人物 〇光㆐㆓昭くわうせうスル ― 光輝かせる 〇令德 ― 立派な賦性 〇吾子ごし ― あなた。「子」よりも親愛を表す称呼。 〇公子馮 ― 魯の桓公二年に殤公を弑逆して国君となる。 〇饗うケシハ㆑之ニ ― 穆公の跡を継いだ 〇商頌しやうしよう ― 詩経・商頌「玄鳥」。頌は、宗廟で祖先を頌えて歌う。 〇受クルハ㆑命ヲ咸みな宜シク ― 皇位継承はみな道に適う。 〇百祿是レ荷になフ ― 多くの幸いを受けて栄えた。 〇僨やぶル ― 覆って川に落ちる 〇濟せい ― 斉の済水
概要 『春秋左氏伝』隠公三年・伝の最後の条文(『左伝』屈指の名臣・石碏による名諫言「石碏の諫言」)です。
 衛の国内における禍根(身分不相応な寵愛と道義の欠如)が、のちの暗殺劇や動乱(隠公四年の大事件)へと繋がっていく緊迫した伏線の場面です。後半の「六順・六逆」の哲学は、後代の儒教倫理・国家論にも大きな影響を与えた名文として知られています。

 衛の荘公は、斉の太子(東宮)得臣の妹を妻に迎えた。名を荘姜そうきょうという。美しく賢い女性であったが、子が生まれなかった。衛の人々が彼女のために詠んだ詩が『詩経』の「碩人せきじん」である。
 荘公はまた陳の国から妻を迎え、名を厲嬀れいきといった。厲嬀は孝伯を生んだが早くに亡くなった。その妹(娣)である戴嬀たいきが(のちの君主となる)桓公(完)を生んだ。正妻である荘姜は、この桓公を実の子のようにして育てた。

 (一方、)公子州吁しゅうくは、荘公の愛妾(喠人)の子であった。荘公から非常に寵愛され、武芸や戦争を好んだが、荘公はこれを禁止しなかった。荘姜は州吁の振る舞いを酷く嫌った。

 賢臣である石碏せきしゃくが荘公を諫めて言った。
 「私めが聞いておりますのは、『子を愛するならば、道義にかなった正しい道(義方)を教え、よこしまな道(邪)に入り込ませないようにすべきである』ということです。驕り、威張り、淫らで、放縦になるのは、まさに邪道へと入る原因でございます。これら四つの悪徳が生じるのは、身分に合わない過度な寵愛と俸禄を与えるからです。
 もし州吁様を跡継ぎ(太子)にお立てになるおつもりならば、早くその地位をお定めください。もしそのおつもりがないのでしたら、(過度な寵愛は)災いへの階段(階)となるでしょう。
 そもそも、寵愛されても驕らず、驕っても人に下ることができ、地位が下がり屈辱を受けても恨みを抱かず、恨みを抱いても感情を自制(眕)できる者など、めったにいるものではありません。
 その上、身分の低い者が尊い者を妨げ(賤妨貴)、若い者が年長者をしのぎ(少陵長)、遠い親族が近い親族の仲を割き(遠閒親)、新しい者が古くからの者を追い落とし(新聞舊)、小さな者が大きな者を凌駕し(小加大)、不義(淫)が道義を打ち破る(淫破義)。これらを【六逆りくぎゃく(六つの邪逆)】と申します。
 これに対し、君主が道義を守り、臣下がそれを行い、父が慈しみ、子が孝行を尽くし、兄が慈しみ、弟が敬う。これらを【六順りくじゅん(六つの順道)】と申します。
 正しい道(六順)を捨てて邪逆(六逆)を真似ることは、自ら災いを招き寄せる(速禍)ようなものです。人民を治める君主たる者は、まさにこのような災いを取り除くことに努めるべきです。それなのに自ら災いを早めるようなことをなさるのは、よろしくないのではないでしょうか」

 しかし荘公は石碏の言を聞き入れなかった。
石碏の子である石厚せきこうは、州吁と親しく交友していた。石碏は息子に州吁と付き合うのをやめさせようとしたが、聞き入れなかった。
 やがて(荘公が亡くなり)桓公が即位したため、石碏は(我が子の不穏な動きに失望し、自ら危険を察して)引退(致仕・老)した。

概説とポイント
◯『詩経』碩人の背景と荘姜の悲劇
 冒頭で登場する荘姜は、古代中国の絶世の美女として名高く、『詩経』衛風の代表作「碩人」のモデルです。しかし「美しくも子に恵まれない」という家庭的悲劇を抱えており、これが妾の子(州吁)の台頭を招く原因となります。

◯「六順」と「六逆」の国家倫理
 石碏の諫言は、儒家道徳の真髄を示す屈指の名文です。

1.教育の基本:本当の親の愛とは、甘やかすことではなく「義方(正道)」を教えること。
2.権力構造の曖昧さ批判:跡継ぎにする気がないなら、側室の子に過度な寵愛を与えるな(曖昧な態度は内乱のもと)。
3.六逆(社会秩序を崩壊させる6つの逆行):身分の低い者・若者が尊い者・年長者を凌駕する危うさを説く。
4.六順(社会を安定させる6つの調和):君義・臣行・父慈・子孝・兄愛・弟敬という秩序の重要性を説く。

◯四年の大惨事(州吁のクーデター)への伏線
 荘公がこの忠告を無視し、また石碏の実子(石厚)までもが州吁の無法なグループに加わってしまったことで、嵐の予感が漂います。君主が死亡し、石碏が老齢を理由に辞職(老)したことで、ブレーキの壊れた衛の国は隠公四年において「州吁による桓公暗殺」という大事件を引き起こすことになります。
訓読 衞ノ莊公、娶リ㆓于齊ノ東宮得臣とくしんノ之妹ヲ㆒、曰フ㆓莊姜さうきやうト㆒。美ニシテ而無シ㆑子。 衞人所ナリ㆔爲ニ賦スル㆓碩人せきじんヲ㆒也。 又娶リ㆓于陳ニ㆒、曰フ㆓厲嬀れいぎト㆒。生ミテ㆓孝伯ヲ㆒.早ク死セリ。其ノ娣てい戴嬀たいぎ生ム㆓桓公ヲ㆒。莊妾以テ爲ス㆓己ガ子ト㆒。公子州吁しうくハ、嬖人へいじんノ之子ナリ也。有リテ㆑寵而好ム㆑兵ヲ。公弗㆑禁ゼ。莊姜惡ム㆑之ヲ。石碏せきさく諫メテ曰ク、臣聞ク、愛スレバ㆑子ヲ、教フルニ㆑之以テシ㆓義方ヲ㆒、 弗ト㆑納いレ㆓於邪ニ㆒。 驕奢淫泆いんいつハ、 所ナリ㆓自リテ邪ナル㆒也。四者ノ之來タルハ、 寵祿過グレバナリ也。 將ニ バ ㆑立テント㆓州吁ヲ㆒、 乃チ定メヨ㆑之ヲ矣。若シ猶ホ未ダシケレバ也、階かいニシテ㆑之ヲ爲サン㆑禍わざはひヲ。夫そレ寵セラレテ而不㆑驕ラ、 驕リテ而能ク降リ、 降リテ而不㆑憾ミ、 憾ミテ而能ク眕しのブ者ハ鮮すくなシ矣。且ツ夫レ賤ノ妨ゲ㆑貴ヲ、少ノ陵しのギ㆑長ヲ、遠ノ閒へだテ㆑親ヲ、新ノ聞テ㆑舊ヲ、小ノ加ヘ㆑大ニ、淫ノ破ルハ㆑義ヲ、所謂いはゆる六逆りくぎやくナリ也。君義ニ臣行ヒ、父慈ニ子孝ニ、兄愛シ弟敬スルハ、所謂六順ナリ也。 去リテ順效ならフハ㆑逆ニ、 所㆐㆓以ナリ速まねク㆒禍也。 君タル㆑人者ハ、將ニ __ ㆓禍ヲ是レ務メテ去ラント㆒。而しかルニ速クハ㆑之ヲ、無カランカ㆓乃チ不可ナルコト㆒乎ト。弗㆑聽カ。其ノ子厚こう與㆓州吁㆒游ブ。禁ズレドモ㆑之不㆑可きカ。桓公立チテ、乃チ老らうス。
白文 衞莊公、娶于齊東宮得臣之妹、曰莊姜。美而無子。衞人所爲賦碩人也。又娶于陳、曰厲嬀。生孝伯早死。其娣戴嬀生桓公。莊妾以爲己子。公子州吁、嬖人之子也。有寵而好兵。公弗禁。莊姜惡之。石碏諫曰、臣聞、愛子、教之以義方、弗納於邪。驕奢淫泆、所自邪也。四之來、寵祿過也。將立州吁、乃定之矣。若猶未也、階之爲禍。夫寵而不驕、驕而能降、降而不憾、憾而能眕鮮矣。且夫賤妨貴、少陵長、遠閒親、新聞舊、小加大、淫破義、所謂六逆也。君義臣行、父慈子孝、兄愛弟敬、所謂六順也。去順效逆、所以速禍也。君人者、將禍是務去。而速之、無乃不可乎。弗聽。其子厚與州吁游。禁之不可。桓公立、乃老。
原文 【衞の莊公】〈NOTE 在位22年(前757-735)。 〉、娶り[㆓]于齊の東宮|得臣{とくしん}の之妹を[㆒]、曰ふ[㆓]【|莊姜{さうきやう}】〈NOTE 荘は荘公の諡、姜は斉の姓。 〉と[㆒]。美にして而無し[㆑]子。 衞人所なり[㆔]爲に賦する[㆓]【|碩人{せきじん}】〈NOTE 詩経・衛風。碩人は優れた人の意。荘姜の髙貴と美麗を称える。 〉を[㆒]也。 又娶り[㆓]于陳に[㆒]、曰ふ[㆓]【|厲嬀{れいぎ}】〈NOTE 厲は諡、嬀は陳の姓。 〉と[㆒]。生みて[㆓]孝伯を[㆒].早く死せり。其の【|娣{てい}】〈NOTE 妹。姉の腰元として共に衛に来る。 〉|戴嬀{たいぎ}生む[㆓]桓公を[㆒]。莊妾以て爲す[㆓]己が子と[㆒]。公子|州吁{しうく}は、【|嬖人{へいじん}】〈NOTE 妾 〉の之子なり也。有りて[㆑]寵而好む[㆑]兵を。公弗[㆑]禁ぜ。莊姜惡む[㆑]之を。|石碏{せきさく}諫めて曰く、臣聞く、愛すれば[㆑]子を、教ふるに[㆑]之以てし[㆓]【義方】〈NOTE 正しい筋道 〉を[㆒]、 弗と[㆑]|納{い}れ[㆓]於邪に[㆒]。 驕奢|淫泆{いんいつ}は、 所なり[㆓]自りて邪なる[㆒]也。四者の之來たるは、 【寵祿】〈NOTE 寵愛と待遇 〉過ぐればなり也。 將に _ば_ [㆑]立てんと[㆓]州吁を[㆒]、 乃ち定めよ[㆑]之を矣。若し猶ほ未だしければ也、【|階{かい}にして[㆑]之を】〈NOTE 君の寵愛を恃んで 〉爲さん[㆑]|禍{わざはひ}を。|夫{そ}れ寵せられて而不[㆑]驕ら、 驕りて而能く降り、 降りて而不[㆑]憾み、 憾みて而能く【|眕{しの}ぶ】〈NOTE 自重する 〉者は|鮮{すくな}し矣。且つ夫れ賤の妨げ[㆑]貴を、少の|陵{しの}ぎ[㆑]長を、遠の【|閒{へだ}て】〈NOTE 離間して 〉[㆑]親を、新の聞て[㆑]舊を、【小の加へ[㆑]大に】〈NOTE 爵禄の下位の者が上位の者を凌ぎ 〉、淫の破るは[㆑]義を、|所謂{いはゆる}|六逆{りくぎやく}なり也。君義に臣行ひ、父慈に子孝に、兄愛し弟敬するは、所謂六順なり也。 去りて順|效{なら}ふは[㆑]逆に、 所[㆐][㆓]以なり|速{まね}く[㆒]禍也。 君たる[㆑]人者は、將に __ [㆓]禍を是れ務めて去らんと[㆒]。|而{しか}るに速くは[㆑]之を、無からんか[㆓]乃ち不可なること[㆒]乎と。弗[㆑]聽か。其の子|厚{こう}與[㆓]州吁[㆒]游ぶ。禁ずれども[㆑]之不[㆑]|可{き}か。桓公立ちて、乃ち|【老{らう}す】〈NOTE |致仕{ちじ}する 〉。
旧タグ 衞ノ莊公、娶リ 2( 于齊ノ東宮 ̄得臣`とくしん´ノ之妹ヲ )1 、曰フ 2(  ̄莊姜`さうきやう´ト )1 。美ニシテ而無シ^子。 衞人所ナリ 3( 爲ニ賦スル 2(  ̄碩人`せきじん´ヲ )1 也。 又娶リ 2( 于陳ニ )1 、曰フ 2(  ̄厲嬀`れいぎ´ト )1 。生ミテ 2( 孝伯ヲ )1 .早ク死セリ。其ノ ̄娣`てい´ ̄戴嬀`たいぎ´生ム 2( 桓公ヲ )1 。莊妾以テ爲ス 2( 己ガ子ト )1 。公子 ̄州吁`しうく´ハ、 ̄嬖人`へいじん´ノ之子ナリ也。有リテ^寵而好ム^兵ヲ。公弗^禁ゼ。莊姜惡ム^之ヲ。 ̄石碏`せきさく´諫メテ曰ク、臣聞ク、愛スレバ^子ヲ、教フルニ^之以テシ 2( 義方ヲ )1 、 弗ト^ ̄納`い´レ 2( 於邪ニ )1 。 驕奢 ̄淫泆`いんいつ´ハ、 所ナリ 2( 自リテ邪ナル )1 也。四者ノ之來タルハ、 寵祿過グレバナリ也。 將ニ _バ_ ^立テント 2( 州吁ヲ )1 、 乃チ定メヨ^之ヲ矣。若シ猶ホ未ダシケレバ也、 ̄階`かい´ニシテ^之ヲ爲サン^ ̄禍`わざはひ´ヲ。 ̄夫`そ´レ寵セラレテ而不^驕ラ、 驕リテ而能ク降リ、 降リテ而不^憾ミ、 憾ミテ而能ク ̄眕`しの´ブ者ハ ̄鮮`すくな´シ矣。且ツ夫レ賤ノ妨ゲ^貴ヲ、少ノ ̄陵`しの´ギ^長ヲ、遠ノ ̄閒`へだ´テ^親ヲ、新ノ聞テ^舊ヲ、小ノ加ヘ^大ニ、淫ノ破ルハ^義ヲ、 ̄所謂`いはゆる´ ̄六逆`りくぎやく´ナリ也。君義ニ臣行ヒ、父慈ニ子孝ニ、兄愛シ弟敬スルハ、所謂六順ナリ也。 去リテ順 ̄效`なら´フハ^逆ニ、 所- 2( 以ナリ ̄速`まね´ク )1 禍也。 君タル^人者ハ、將ニ __ 2( 禍ヲ是レ務メテ去ラント )1 。 ̄而`しか´ルニ速クハ^之ヲ、無カランカ 2( 乃チ不可ナルコト )1 乎ト。弗^聽カ。其ノ子 ̄厚`こう´與 2( 州吁 )1 游ブ。禁ズレドモ^之不^ ̄可`き´カ。桓公立チテ、乃チ ̄老`らう´ス。
注記 V〔注釈〕 〇衞ノ莊公 ― 在位22年(前757-735)。 〇莊姜さうきやう ― 荘は荘公の諡、姜は斉の姓。 〇碩人せきじん ― 詩経・衛風。碩人は優れた人の意。荘姜の髙貴と美麗を称える。 〇厲嬀れいぎ ― 厲は諡、嬀は陳の姓。 〇娣てい ― 妹。姉の腰元として共に衛に来る。 〇嬖人へいじん ― 妾 〇義方 ― 正しい筋道 〇寵祿 ― 寵愛と待遇 〇階かいニシテ㆑之ヲ ― 君の寵愛を恃んで 〇眕しのブ ― 自重する 〇閒へだテ ― 離間して 〇小ノ加ヘ㆑大ニ ― 爵禄の下位の者が上位の者を凌ぎ 〇老らうス ― 致仕ちじする
概要 『春秋』隠公四年・経文解説
1.四年、春、王二月、莒人伐杞取牟婁。
書き下し:四年、春、王の二月、莒きょ人、杞きを伐ちて牟婁ぼうろうを取る。
現代語訳:隠公四年の春、周の暦の二月、莒の軍勢が杞の国を攻撃し、その領土である牟婁を奪い取った。
解説:
 山東半島の強国である莒が、隣接する小国杞を襲撃して地盤を拡大した記録です。当時の諸侯間の弱肉強食の様相を示しています。

2.戊申、衞州吁弑其君完。
書き下し:戊申ぼしん、衛の州吁しゅうく、其の君完かんを弑しいす。
現代語訳:戊申の日、衛の公子である州吁が、自らの主君である桓公(名は完)を暗殺した。
解説:
 前年の石碏せきしゃくの懸念が現実となった大事件です。『春秋』の筆法において、臣下や弟が君主を殺すことを「弑しいす」と表現し、最大級の非道・義理違反として厳しく批判します。また「州吁」と名を明記することで、その罪が彼個人にあることを告発しています。

3.夏、公及宋公遇于清。
書き下し:夏、公こう及び宋公、清せいに遇ぐうす。
現代語訳:夏、隠公は宋の殤公(与夷)と清の地で非公式に会談(礼式を略した会合)を行った。
解説:
 「遇」は正式な儀礼(会盟)を省いた簡易的な首脳会談を意味します。衛で発生したクーデターや、鄭に対する包囲網の形成など、緊迫する国際情勢に対応するための緊急協議でした。

4.宋公陳侯蔡人衞人、伐鄭。
書き下し:宋公、陳侯、蔡人、衛人、鄭を伐つ。
現代語訳:宋の公(殤公)、陳の侯(桓公)、蔡の軍勢、衛の軍勢が連合して鄭を攻撃した。
解説:
 王位を奪った衛の州吁が、自らの求心力を高めるため(また前年鄭に亡命した宋の公子馮を排除したい宋の意図と一致して)、諸侯を抱き込んで結成した「反鄭連合軍」の第一陣です。「蔡人」「衛人」とあるのは、君主自らではなく大夫クラスが率いた軍であることを示します。

5.秋、翬帥師會宋公陳侯蔡人衞人伐鄭。
書き下し:秋、翬き、師しを帥ひきいて宋公、陳侯、蔡人、衛人に会して鄭を伐つ。
現代語訳:秋、魯の大夫である翬(公子翬・羽父)が自ら軍を率い、宋公・陳侯・蔡人・衛人の連合軍に合流して鄭を攻撃した。
解説:
 隠公の意向に反し、魯の大夫・翬が独断で連立与党の連合軍に参加した記録です。『左伝』本文でその身勝手な出兵の裏事情が語られることになります。

6.九月、衞人殺州吁于濮。
書き下し:九月、衛人、州吁を濮ぼくに殺す。
現代語訳:九月、衛の人々(賢臣・石碏ら)が、国賊である州吁を濮の地で誅殺した。
解説:
 君主を殺して位を奪った州吁が、わずか数ヶ月で処刑された記録です。主君を殺した際は「弑す」と書かれますが、罪人を処刑した場合は「殺す」と書かれます。また「衛人」とあるのは、国人・臣下が結束して義のために罪人を討取った(大義滅親)ことを評価した筆法です。

7.冬、十有二月、衞人立晉。
書き下し:冬、十有二月、衛人、晋しん(しん)を立つ。
現代語訳:冬、十二月、衛の人々は(刑州に逃れていた桓公の弟である)晋(宣公)を新たな君主として擁立した。
解説:
 州吁の乱が鎮圧され、正統な血統である公子晋が立てられたことで、衛の国内の動乱が収束を迎えたことを告げる条文です。
訓読 〔經〕○四年、春、王ノ二月、莒人きよひと伐チテ㆑杞ヲ取ル㆓牟婁ぼうろうヲ㆒、
○戊申ぼしん、 衞ノ州吁しうく弑しいス㆓其ノ君完くわんヲ㆒。
○夏、公及と㆓宋公㆒遇フ㆓于清せいニ。
○宋公・陳侯・蔡人・衞人、伐ツ㆑鄭ていヲ。
○秋、翬き帥ヰテ㆑師ヲ會シテ㆓宋公・陳侯・蔡人・衞人ニ㆒伐ツ㆑鄭ヲ。
○九月、 衞人殺ス㆓州吁ヲ于濮ぼくニ㆒。
○冬、十有いう二月、 衞人立ツ㆑晉ヲ。
白文 〔 經〕◯四年、春、王二月、莒人伐杞取牟婁。
◯戊申、衞州吁弑其君完。
◯夏、公及宋公遇于清。
◯宋公陳侯蔡人衞人、伐鄭。
◯秋、翬帥師會宋公陳侯蔡人衞人伐鄭。
◯九月、衞人殺州吁于濮。
◯冬、十有二月、衞人立晉。
原文 〔經〕○四年、春、王の二月、|莒人{きよひと}伐ちて[㆑]杞を取る[㆓]【|牟婁{ぼうろう}】〈NOTE 杞の地名 〉を[㆒]。 ○【|戊申{ぼしん}】〈NOTE 三月十七日 〉、 衞の|州吁{しうく}|弑{しい}す[㆓]其の君|完{くわん}を[㆒]。 ○夏、公|及{と}[㆓]宋公[㆒]遇ふ[㆓]于【|清{せい}】〈NOTE 衛の地名 〉に。 ○宋公・陳侯・蔡人・衞人、伐つ[㆑]|鄭{てい}を。 ○秋、【|翬{き}】〈NOTE 魯の大夫。公子翬。 〉帥ゐて[㆑]師を會して[㆓]【宋公】〈NOTE 殤公 〉・【陳侯】〈NOTE 桓公 〉・蔡人・衞人に[㆒]伐つ[㆑]鄭を。 ○九月、 衞人殺す[㆓]州吁を于【|濮{ぼく}】〈NOTE 濮水。河の名。 〉に[㆒]。 ○冬、十|有{いう}二月、 衞人立つ[㆑]【晉】〈NOTE 桓公の弟 〉を。
旧タグ 〔經〕○四年、春、王ノ二月、 ̄莒人`きよひと´伐チテ^杞ヲ取ル 2(  ̄牟婁`ぼうろう´ヲ )1 、
○ ̄戊申`ぼしん´、 衞ノ ̄州吁`しうく´ ̄弑`しい´ス 2( 其ノ君 ̄完`くわん´ヲ )1 。
○夏、公 ̄及`と´ 2( 宋公 )1 遇フ 2( 于 ̄清`せい´ニ。
○宋公・陳侯・蔡人・衞人、伐ツ^ ̄鄭`てい´ヲ。
○秋、 ̄翬`き´帥ヰテ^師ヲ會シテ 2( 宋公・陳侯・蔡人・衞人ニ )1 伐ツ^鄭ヲ。
○九月、 衞人殺ス 2( 州吁ヲ于 ̄濮`ぼく´ニ )1 。
○冬、十 ̄有`いう´二月、 衞人立ツ^晉ヲ。
注記 〔注釈〕 〇牟婁ぼうろう ― 杞の地名 〇戊申ぼしん ― 三月十七日 〇清せい ― 衛の地名 〇翬き ― 魯の大夫。公子翬。 〇宋公 ― 殤公 〇陳侯 ― 桓公 〇濮ぼく ― 濮水。河の名。 〇晉 ― 桓公の弟
概要 (隠公四年)春、衛の州吁しゅうくが(兄である)桓公を暗殺して、自ら君主の位に就いた。
 隠公は、以前(宿の地で結んだ)宿の同盟を再確認(尋)するため、宋の殤公と会談を行おうとしていた。しかし約束の期日にならないうちに、衛の使者がやって来て(主君暗殺の)内乱を報告してきた。
 夏、隠公は(事態の急変を受けて)宋の殤公と清の地で非公式に会談(遇)した。
 (そもそも)宋の殤公が即位した際、亡命した(先の穆公の子である)公子馮ひょうは鄭へ逃げ込んでいた。鄭の人々はこの公子馮を宋の君主として送り返そう(復位させよう)と狙っていた。
 一方、位を奪った衛の州吁は、かつて先君(荘公)が鄭との間に抱いていた怨みを晴らすとともに、他国(諸侯)からの支持を獲得し、それによって国内の民心を一つにまとめよう(和す)と考えた。
 そこで宋に使者を送り、こう告げさせた。
 「貴国(宋)が鄭を攻撃して禍根(公子馮)を取り除こうとされるなら、我が国は貴国を盟主とお仰ぎいたします。我が国の兵力(賦)をお貸しし、陳や蔡の国々も引き連れて従いましょう。これこそが衛の国の願うところでございます」
 宋の人はこれを承諾した。この時、陳と蔡も衛と懇意にしていた。そのため、宋の公(殤公)、陳の侯(桓公)、蔡の軍、衛の軍が連合して鄭を攻撃し、その東門を五日間にわたって包囲したのち撤退した。

 隠公が大夫の衆仲(衆父)に尋ねて言った。
 「衛の州吁は、(あのような力尽くの手法で)目的を成就(政権を安定)させることができるだろうか」
 衆仲は答えて言った。
 「私めは『道徳や仁徳(徳)をもって人民をまとめる』とは聞いておりますが、『内乱や武力(乱)をもってまとめる』などとは聞いたことがございません。乱をもって治めようとするのは、絡まった糸を解こうとして余計に乱してしまう(治絲而棼)ようなものです。
 そもそも州吁という男は、武力を頼みとし(阻兵)、他人の痛みに鈍感で残酷(安忍)でございます。武力を頼みとすれば味方(衆)を失い、残酷であれば親しい者(親)を失います。味方が離反し親しい者が離れ去れば(衆叛親離)、目的を果たすことなど不可能です。
 そもそも軍事(兵)というものは、火のようなものです。制御して収めようとしなければ、自らを焼き尽くしてしまう(弗戢将自焚)ことになります。 州吁は主君を殺し、人民を痛めつけて乱暴に扱っております。その上、素晴らしい徳を修める努力もせず、乱暴な手段で成功を収めようとしているのです。絶対に(自滅を)免れることはできません」

概説とポイント
◯州吁の企み(求寵於諸侯、以和其民)
 不正な手段(暗殺)で王位を奪った州吁は、国内の不満や批判の目を逸らすため、外に敵(鄭)を作って侵略戦争を仕掛けました。「外部の危機を利用して国内を統制する」という、古今東西の独裁者が使う典型的な手口が描かれています。
◯宋と衛の利害の一致
 宋の殤公もまた、自らの王位を脅かす亡命中の公子馮(鄭に潜伏中)を除去したかったため、州吁の「反鄭連合軍」の提案に飛びつきました。不義のクーデター政権と、自国の保身を狙う政権が利害で結びついた侵略戦争であったことが判明します。
◯衆仲の名言「兵猶火也(兵はなお火のごときなり)」
 衆仲(衆父)による州吁評は、東洋の軍事思想・道徳論における屈指の名言です。
1.治絲而棼(糸を治めてこれをふんす):武力で無理に抑え込もうとすれば、もつれた糸のように事態は悪化する。
2.衆叛親離(衆叛し親離る):力づくで酷情な人間からは、人々も身内も離れ去る。
3.兵猶火也、弗戢將自焚(兵は猶火のごときなり、戢めざれば将に自らを焚かんとす):戦争や武力行使は火と同じで、適度なところで収めなければ、最後は自分自身を焼き尽くしてしまう。
 衆仲の予言通り、この後、州吁の政権は急激に瓦解に向かい、老臣・石碏による壮絶な「大義滅親(実の息子ごと不義の臣を成敗する)」のクライマックスへと突入していきます。
訓読 〔傳〕四年、 春、 衞ノ州吁しうく、弑しいシテ㆓桓公ヲ㆒而立ツ。公、與㆓宋公㆒爲シ㆑會ヲ、將ニ __ ㆑尋あたたメント㆓宿しゆくノ之盟ヒヲ㆒。未ダ __ ㆑及バ㆑期きニ、 衞人來タリテ告グ㆑亂ヲ。 
夏、公、及と㆓宋公㆒遇フ㆓于淸せいニ㆒。
宋ノ殤公しやうこうノ之即クヤ㆑位ニ也、公子馮ひよう出㆐㆓奔ス鄭ニ㆒。鄭人欲ス㆑納レント㆑之ヲ。及ビ㆓衞ノ州吁ノ立ツニ㆒、將ニ __ ㆘脩をさメテ㆓先君ノ之怨ミヲ於鄭ニ㆒、而求メ㆓寵ヲ於諸侯ニ㆒、以テ和セント㆗其ノ民ヲ㆖。使メテ㆑告ゲ㆓於宋ニ㆒曰ク、君若シ伐チテ㆑鄭ヲ以テ除カバ㆓君ノ害ヲ㆒、君爲レ㆓主ト㆒。弊邑へいいふ以テ㆑賦ヲ與㆓陳・蔡㆒從ハン。 則チ衞國ノ之願ヒナリ也ト。 宋人許ス㆑之ヲ。 於テ㆑是ここニ、陳・蔡方ニ睦シ㆓於衞ニ㆒。 故ニ宋公、陳侯・蔡人・衞人、伐チテ㆑鄭ヲ圍ミ㆓其ノ東門ヲ㆒、 五日ニシテ而還ル。
公問ヒテ㆓於衆仲しゆうちゆうニ㆒曰ク、 衞ノ州吁ハ、其レ成ランカ乎ト。對ヘテ曰ク、臣聞ク㆓以テ㆑德ヲ和スルヲ㆒㆑民ヲ。不㆑聞カ㆑以テスルヲ㆑亂ヲ。以テスルハ㆑亂ヲ、猶ホ キナリ ㆓治メテ㆑絲ヲ而棼もつラスガ㆒㆑之ヲ也。夫かノ州吁ハ、阻たのミテ㆑兵ヲ而安ンズ㆑忍ニ。阻メバ㆑兵ヲ無ク㆑衆、安ンズレバ㆑忍ニ無シ㆑親。衆叛キ親離ルレバ、難シ㆓以テ濟リ㆒矣。夫レ兵ハ猶ホ キナリ ㆑火ノ也。弗ンバ㆑戢おさメ、將ニ __ ㆓自ラ焚やケント㆒也。夫ノ州吁ハ弑シテ㆓其ノ君ヲ㆒而虐㆐㆓用ス其ノ民ヲ㆒。於テカ㆑是ニ乎、不シテ㆑務メ㆓令徳ヲ㆒、而欲ス㆓以テ㆑亂ヲ成サント㆒。必ズ不じ㆑免まぬかレ矣。
白文 〔傳〕四年、春、衞州吁、弑桓公而立。公、與宋公爲會、將尋宿之盟。未及期、衞人來告亂。
夏、公、及宋公遇于淸。
宋殤公之即位也、公子馮出奔鄭。鄭人欲納之。及衞州吁立、將脩先君之怨於鄭、而求寵於諸侯、以和其民。使告於宋曰、君若伐鄭以除君害、君爲主。弊邑以賦與陳蔡從。則衞國之願也。宋人許之。於是、陳蔡方睦於衞。故宋公、陳侯蔡人衞人、伐鄭圍其東門、五日而還。
公問於衆仲曰、衞州吁、其成乎。對曰、臣聞以德和民。不聞以亂。以亂、猶治絲而棼之也。夫州吁、阻兵而安忍。阻兵無衆、安忍無親。衆叛親離、難以濟矣。夫兵猶火也。弗戢、將自焚也。夫州吁弑其君而虐用其民。於是乎、不務令徳、而欲以亂成。必不免矣。
原文 〔傳〕四年、 春、 衞の|州吁{しうく}、|弑{しい}して[㆓]桓公を[㆒]而立つ。【公】〈NOTE 隠公 〉、與[㆓]【宋公】〈NOTE 殤公 〉[㆒]爲し[㆑]會を、將に __ [㆑]|尋{あたた}めんと[㆓]|宿{しゆく}の之盟ひを[㆒]。未だ __ [㆑]及ば[㆑]|期{き}に、 衞人來たりて告ぐ[㆑]亂を。 夏、公、|及{と}[㆓]宋公[㆒]遇ふ[㆓]于|淸{せい}に[㆒]。 宋の|殤公{しやうこう}の之即くや[㆑]位に也、公子|馮{ひよう}出[㆐][㆓]奔す鄭に[㆒]。鄭人欲す[㆑]納れんと[㆑]之を。及び[㆓]衞の州吁の立つに[㆒]、將に __ [㆘]|脩{をさ}めて[㆓]【先君の之怨み】〈NOTE 隠公二年に鄭が衛を伐った怨み。 〉を於鄭に[㆒]、而求め[㆓]寵を於諸侯に[㆒]、以て【和せんと[㆗]其の民を】〈NOTE 報復を掲げて人民を結集させようとしたこと 〉[㆖]。使めて[㆑]告げ[㆓]於宋に[㆒]曰く、君若し伐ちて[㆑]鄭を以て除かば[㆓]君の害を[㆒]、君爲れ[㆓]主と[㆒]。|弊邑{へいいふ}【以て[㆑]賦】〈NOTE 賦は軍を徴発すること 〉を與[㆓]陳・蔡[㆒]從はん。 則ち衞國の之願ひなり也と。 宋人許す[㆑]之を。 於て[㆑]|是{ここ}に、陳・蔡方に睦し[㆓]於衞に[㆒]。 故に宋公、【陳侯】〈NOTE 桓公 〉・蔡人・衞人、伐ちて[㆑]鄭を圍み[㆓]其の東門を[㆒]、 五日にして而還る。 公問ひて[㆓]於【|衆仲{しゆうちゆう}】〈NOTE 魯の大夫 〉に[㆒]曰く、 衞の州吁は、其れ【成らんか乎】〈NOTE 君主として成功するか 〉と。對へて曰く、臣聞く[㆓]以て[㆑]德を和するを[㆒㆑]民を。不[㆑]聞か[㆑]以てするを[㆑]【亂】〈NOTE 正道に外れた行い 〉を。以てするは[㆑]亂を、猶ほ _きなり_ [㆓]治めて[㆑]絲を而|棼{もつ}らすが[㆒㆑]之を也。|夫{か}の州吁は、|阻{たの}みて[㆑]兵を而【安んず[㆑]忍に】〈NOTE 残忍な行いを平然とする 〉。阻めば[㆑]兵を無く[㆑]衆、安んずれば[㆑]忍に無し[㆑]親。衆叛き親離るれば、【難し[㆓]以て濟り[㆒]】〈NOTE 成功することは覚束ない 〉矣。夫れ兵は猶ほ _きなり_ [㆑]火の也。【弗んば[㆑]|戢{おさ}め】〈NOTE うまく始末しないと 〉、將に __ [㆓]自ら|焚{や}けんと[㆒]也。夫の州吁は弑して[㆓]其の君を[㆒]而虐[㆐][㆓]用す其の民を[㆒]。於てか[㆑]是に乎、不して[㆑]務め[㆓]【令徳】〈NOTE 立派な行い 〉を[㆒]、而欲す[㆓]以て[㆑]亂を成さんと[㆒]。必ず【|不{じ}[㆑]|免{まぬか}れ】〈NOTE 災禍を免れないだろう。碌でもない末路を辿るだろう。 〉矣。
旧タグ 〔傳〕四年、 春、 衞ノ ̄州吁`しうく´、 ̄弑`しい´シテ 2( 桓公ヲ )1 而立ツ。公、與 2( 宋公 )1 爲シ^會ヲ、將ニ __ ^ ̄尋`あたた´メント 2(  ̄宿`しゆく´ノ之盟ヒヲ )1 。未ダ __ ^及バ^ ̄期`き´ニ、 衞人來タリテ告グ^亂ヲ。 
夏、公、 ̄及`と´ 2( 宋公 )1 遇フ 2( 于 ̄淸`せい´ニ )1 。
宋ノ ̄殤公`しやうこう´ノ之即クヤ^位ニ也、公子 ̄馮`ひよう´出- 2( 奔ス鄭ニ )1 。鄭人欲ス^納レント^之ヲ。及ビ 2( 衞ノ州吁ノ立ツニ )1 、將ニ __ 2{  ̄脩`をさ´メテ 2( 先君ノ之怨ミヲ於鄭ニ )1 、而求メ 2( 寵ヲ於諸侯ニ )1 、以テ和セント ┤其ノ民ヲ }1 。使メテ^告ゲ 2( 於宋ニ )1 曰ク、君若シ伐チテ^鄭ヲ以テ除カバ 2( 君ノ害ヲ )1 、君爲レ 2( 主ト )1 。 ̄弊邑`へいいふ´以テ^賦ヲ與 2( 陳・蔡 )1 從ハン。 則チ衞國ノ之願ヒナリ也ト。 宋人許ス^之ヲ。 於テ^ ̄是`ここ´ニ、陳・蔡方ニ睦シ 2( 於衞ニ )1 。 故ニ宋公、陳侯・蔡人・衞人、伐チテ^鄭ヲ圍ミ 2( 其ノ東門ヲ )1 、 五日ニシテ而還ル。
公問ヒテ 2( 於 ̄衆仲`しゆうちゆう´ニ )1 曰ク、 衞ノ州吁ハ、其レ成ランカ乎ト。對ヘテ曰ク、臣聞ク 2( 以テ^德ヲ和スルヲ )1^民ヲ。不^聞カ^以テスルヲ^亂ヲ。以テスルハ^亂ヲ、猶ホ _キナリ_ 2( 治メテ^絲ヲ而 ̄棼`もつ´ラスガ )1^之ヲ也。 ̄夫`か´ノ州吁ハ、 ̄阻`たの´ミテ^兵ヲ而安ンズ^忍ニ。阻メバ^兵ヲ無ク^衆、安ンズレバ^忍ニ無シ^親。衆叛キ親離ルレバ、難シ 2( 以テ濟リ )1 矣。夫レ兵ハ猶ホ _キナリ_ ^火ノ也。弗ンバ^ ̄戢`おさ´メ、將ニ __ 2( 自ラ ̄焚`や´ケント )1 也。夫ノ州吁ハ弑シテ 2( 其ノ君ヲ )1 而虐- 2( 用ス其ノ民ヲ )1 。於テカ^是ニ乎、不シテ^務メ 2( 令徳ヲ )1 、而欲ス 2( 以テ^亂ヲ成サント )1 。必ズ ̄不`じ´^ ̄免`まぬか´レ矣。
注記 〔注釈〕 〇公 ― 隠公 〇宋公 ― 殤公 〇先君ノ之怨ミ ― 隠公二年に鄭が衛を伐った怨み。 〇和セント㆗其ノ民ヲ ― 報復を掲げて人民を結集させようとしたこと 〇以テ㆑賦 ― 賦は軍を徴発すること 〇陳侯 ― 桓公 〇衆仲しゆうちゆう ― 魯の大夫 〇成ランカ乎 ― 君主として成功するか 〇亂 ― 正道に外れた行い 〇安ンズ㆑忍ニ ― 残忍な行いを平然とする 〇難シ㆓以テ濟リ㆒ ― 成功することは覚束ない 〇弗ンバ㆑戢おさメ ― うまく始末しないと 〇令徳 ― 立派な行い 〇不じ㆑免まぬかレ ― 災禍を免れないだろう。碌でもない末路を辿るだろう。
概要 逆臣・州吁と、それに加担した実の息子・石厚せきこうを謀略によって捕縛し、国家の道義のために処刑した老臣・石碏の決断は、後世「大義親を滅す」という故事成語として語り継がれる極めて重要な名場面です。

『春秋左氏伝』隠公四年・伝(後半:大義滅親と宣公の即位)

 秋、諸侯の連合軍が再び鄭を攻撃した。宋の公(殤公)が魯へ使者を遣わし、出兵(援軍)を請い求めてきた。隠公はこれを辞退(拒否)した。
 しかし(魯の大夫である公子)翬き(羽父)が自ら軍を率いて合流することを乞い願った。隠公は許さなかったが、翬が強く請い求めて出陣してしまった。それゆえ、経文には「翬、師を帥ひきゆ〔※ひきゐる│入力者注記〕」と(氏を書かずに「翬」とだけ)書かれ、その独断専行を憎み批判(疾)しているのである。諸侯の軍は鄭の歩兵(徒兵)を破り、その穀物(禾)を刈り取って帰国した。

 (さて、武力に頼る)衛の州吁は、依然として民心を一つにまとめる(和す)ことができずにいた。
 (州吁の側近であった石碏の子)石厚せきこうは、君主としての地位を安定(定君)させる方法を、父である石子(石碏)に尋ねた。
 石碏は言った。
 「周の天子に拝謁(王覲)するのがよかろう」
 石厚は言った。
 「どうすれば天子にお目にかかることができますか」
 石碏は言った。
 「陳の桓公は、ちょうどいま周王室から大変寵愛されている。また陳と衛は親密な間柄だ。もし陳へ朝貢し、陳の君主を通じて周王室へ請願するならば、必ずや謁見が叶うだろう」

 石厚は州吁に従って陳の国へと赴いた。
 (しかし)石碏はあらかじめ密使を陳へ送り、こう伝えていた。
 「我が衛の国は狭く小さな国で、私(老夫)は年老いて耄碌し、何もすることができません。この(陳を訪れる)二人こそは、実は我が君主(桓公)を殺害した真犯人でございます。どうか機会をとらえてこれを処理(逮捕)してください」
 陳の人は二人を捕らえ、その処分の立ち会いを衛の国に請い求めた。
 九月、衛の人は右宰ゆうさい・醜しゅうを派遣して(立ち会わせ)、濮ぼくの地で州吁を誅殺した。(また石碏は自家の家臣を陳へ遣わし、不義の息子である石厚をも処刑させた。)

 君子(史官・後世の批評者)は次のように言っている。
 「石碏は、真の臣下(純臣)であると言える。州吁の(主君暗殺の)悪行を憎み、実の息子である石厚をもその罪と同罪とした。『大義滅親(国家の大義のためには、肉親の情を滅ぼす)』とは、まさにこのことを言っているのだろう」
 衛の人々は、(刑州に逃れていた桓公の弟である)公子晋しんを邢けいの国から迎え入れた。
 冬、十二月、公子晋が即位した(宣公)。
 経文に「衛人、晋を立つ」と書かれているのは、人々の総意(衆)によって擁立されたからである。

概説とポイント
◯臣下・翬(公子翬)の身勝手な出兵と春秋筆法
 隠公の制止を振り切って独断で勝手に反鄭連合軍に参加した臣下・翬に対し、経文では「翬帥師」と氏(家名)を省いて名だけを記すことで、史官がその非礼と無道(疾)を批判しているという解釈が示されます。

◯「大義滅親」の綿密な謀略
 老臣・石碏は、力づくでは倒せない州吁と石厚を油断させるため、あえて「周王室に認められれば君位が安定する」「そのためには仲の良い陳国を頼るべし」と偽の提案を授けます。権威に飢えていた州吁らはこの罠にまんまとハマり、敵地に足を踏み入れて捕縛されました。

◯成語「大義滅親(たいぎめっしん)」の出典
 石碏は国賊である州吁を排するだけでなく、それに協力した我が子・石厚をも容赦なく処刑させました(『左伝』の別注では、家臣の獏犬を陳に派遣して石厚を斬らせたとされます)。私情(親子の情)を差し挟まず、国家の道義(大義)を優先した姿勢を『左伝』は「純臣(純粋なる臣下)」と絶賛しています。

◯「衛人立晉」の筆法(民心の帰順)
 州吁の暴政が去り、正統な血統である公子晋が擁立されたことについて、経文が「衛人(衛の人々)」という主語を用いたのは、これが国民・諸臣の総意(衆)に基づいた正当な即位であったことを物語っています。
訓読 秋、諸侯復タ伐ツ㆑鄭ヲ。宋公使ム㆓來リテ乞ハ㆒㆑師ヲ。公辭ス㆑之ヲ。 羽父うほ請フ㆓以ヰテ㆑師ヲ會セント㆒㆑之ニ。 公弗㆑許サ。固ク請ヒテ而行ク。故ニ書シテ曰フハ㆓翬き帥ヰルト㆒㆑師ヲ、疾にくムナリ㆑之ヲ也。諸侯ノ之師、敗リ㆓鄭ノ徒兵ヲ㆒、取リテ㆓其ノ禾くわヲ而還ル。
州吁未ダ __ ㆑能あたハ㆑和スル㆓其ノ民ヲ㆒。 厚こう、問フ㆓定ムルヲ㆑君ヲ於石子せきしニ㆒。石子曰ク、 王覲わうきんスルヲ爲スト㆑可ト。 曰ク、 何ヲ以テ得ント㆑觀スルヲ。 曰ク、陳ノ桓公方ニ有リ㆑寵㆓於王ニ㆒。陳・衞方ニ睦シ。 若シ朝シテ㆑陳ニ使メバ㆑請ハ、 必ズ可キナリト㆑得也。 厚、從ヒテ㆓州吁ニ㆒如ゆク㆑陳ニ。 石錯せきさく使メテ㆑告ゲ㆓于陳ニ㆒曰ク、衞國ハ褊小ニシテ、老夫耄ばうセリ矣。無キナリ㆓能ク爲スコト㆒也。此ノ二人ノ者ハ、實ニ弑セリ㆓寡君ヲ㆒、敢テ卽つイテ圖はかルト㆑之ヲ。陳人執とらヘテ㆑之ヲ、而請フ㆓涖のぞマンコトヲ於衞ニ㆒。九月、 衞人使ム㆔右宰いうさい醜ヲシテ涖ミテ殺サ㆓州吁ヲ于濮ぼくニ㆒。君子曰ク、石錯ハ純臣ナリ也。惡ミテ㆓州吁ヲ㆒而厚與あづかル焉。大義滅ストハ㆑親ヲ、其レ是ヲ之レ謂フカ乎ト。
衞人逆むかフ㆓公子晉しんヲ于邢けいヨリ㆒。冬、十二月、宣公即ク㆑位ニ。書シテ曰ク衞人立ツトハ㆑晉ヲ、衆ナレバナリ也。
白文 秋、諸侯復伐鄭。宋公使來乞師。公辭之。父請以師會之。公弗許。固請而行。故書曰翬帥師、疾之也。諸侯之師、敗鄭徒兵、取其禾而還。
州吁未能和其民。厚、問定君於石子。石子曰、王覲爲可。曰、何以得觀。曰、陳桓公方有寵於王。陳衞方睦。若朝陳使請、必可得也。厚、從州吁如陳。石錯使告于陳曰、衞國褊小、老夫耄矣。無能爲也。此二人者、實弑寡君、敢卽圖之。陳人執之、而請涖於衞。九月、衞人使右宰醜涖殺州吁于濮。君子曰、石錯純臣也。惡州吁而厚與焉。大義滅親、其是之謂乎。
衞人逆公子晉于邢。冬、十二月、宣公即位。書曰衞人立晉、衆也。
原文 秋、諸侯復た伐つ[㆑]鄭を。宋公使む[㆓]來りて乞は[㆒㆑]師を。公辭す[㆑]之を。 【|羽父{うほ}】〈NOTE 翬の字。 〉請ふ[㆓]以ゐて[㆑]師を會せんと[㆒㆑]之に。 公弗[㆑]許さ。固く請ひて而行く。故に書して曰ふは[㆓]【|翬{き}帥ゐると[㆒㆑]師を】〈NOTE 公子である翬の名だけを記したのは詆る意があるとする。翬は後に隠公を弑逆した。 〉、|疾{にく}むなり[㆑]之を也。諸侯の之師、敗り[㆓]鄭の徒兵を[㆒]、取りて[㆓]其の|禾{くわ}を而還る。 州吁未だ __ [㆑]|能{あた}は[㆑]和する[㆓]其の民を[㆒]。 【|厚{こう}】〈NOTE 石厚 〉、問ふ[㆓]定むるを[㆑]君を於【|石子{せきし}】〈NOTE 石錯。石厚の父。 〉に[㆒]。石子曰く、 【|王覲{わうきん}】〈NOTE 天子に拝謁すること 〉するを爲すと[㆑]可と。 曰く、 何を以て得んと[㆑]觀するを。 曰く、陳の桓公方に有り[㆑]寵[㆓]於王に[㆒]。陳・衞方に睦し。 若し朝して[㆑]陳に使めば[㆑]請は、 必ず可きなりと[㆑]得也。 厚、從ひて[㆓]州吁に[㆒]|如{ゆ}く[㆑]陳に。 |石錯{せきさく}使めて[㆑]告げ[㆓]于陳に[㆒]曰く、衞國は褊小にして、【老夫】〈NOTE 大夫を退いた者の謙称 〉【|耄{ばう}せり】〈NOTE 老耄した。老いぼれた。 〉矣。無きなり[㆓]能く爲すこと[㆒]也。此の二人の者は、實に弑せり[㆓]【寡君】〈NOTE 我が国の君主という謙辞 〉を[㆒]、【敢て|卽{つ}いて|圖{はか}ると[㆑]之を】〈NOTE 貴方によって処置をお願いしたい 〉。陳人|執{とら}へて[㆑]之を、而請ふ[㆓]【|涖{のぞ}まんこと】〈NOTE 立ち会うこと 〉を於衞に[㆒]。九月、 衞人使む[㆔]|右宰{いうさい}醜をして涖みて殺さ[㆓]州吁を于|濮{ぼく}に[㆒]。君子曰く、石錯は純臣なり也。惡みて[㆓]州吁を[㆒]而厚【|與{あづか}る焉】〈NOTE 関与する。連座させる。 〉。大義滅すとは[㆑]親を、其れ是を之れ謂ふか乎と。 衞人|逆{むか}ふ[㆓]公子|晉{しん}を于【|邢{けい}】〈NOTE 国名。侯爵。 〉より[㆒]。冬、十二月、宣公即く[㆑]位に。書して曰く衞人立つとは[㆑]晉を、【衆なればなり也】〈NOTE 人民の意向だったからだ 〉。
旧タグ 秋、諸侯復タ伐ツ^鄭ヲ。宋公使ム 2( 來リテ乞ハ )1^師ヲ。公辭ス^之ヲ。  ̄羽父`うほ´請フ 2( 以ヰテ^師ヲ會セント )1^之ニ。 公弗^許サ。固ク請ヒテ而行ク。故ニ書シテ曰フハ 2(  ̄翬`き´帥ヰルト )1^師ヲ、 ̄疾`にく´ムナリ^之ヲ也。諸侯ノ之師、敗リ 2( 鄭ノ徒兵ヲ )1 、取リテ 2( 其ノ ̄禾`くわ´ヲ而還ル。
州吁未ダ __ ^ ̄能`あた´ハ^和スル 2( 其ノ民ヲ )1 。  ̄厚`こう´、問フ 2( 定ムルヲ^君ヲ於 ̄石子`せきし´ニ )1 。石子曰ク、  ̄王覲`わうきん´スルヲ爲スト^可ト。 曰ク、 何ヲ以テ得ント^觀スルヲ。 曰ク、陳ノ桓公方ニ有リ^寵 2( 於王ニ )1 。陳・衞方ニ睦シ。 若シ朝シテ^陳ニ使メバ^請ハ、 必ズ可キナリト^得也。 厚、從ヒテ 2( 州吁ニ )1  ̄如`ゆ´ク^陳ニ。  ̄石錯`せきさく´使メテ^告ゲ 2( 于陳ニ )1 曰ク、衞國ハ褊小ニシテ、老夫 ̄耄`ばう´セリ矣。無キナリ 2( 能ク爲スコト )1 也。此ノ二人ノ者ハ、實ニ弑セリ 2( 寡君ヲ )1 、敢テ ̄卽`つ´イテ ̄圖`はか´ルト^之ヲ。陳人 ̄執`とら´ヘテ^之ヲ、而請フ 2(  ̄涖`のぞ´マンコトヲ於衞ニ )1 。九月、 衞人使ム 3(  ̄右宰`いうさい´醜ヲシテ涖ミテ殺サ 2( 州吁ヲ于 ̄濮`ぼく´ニ )1 。君子曰ク、石錯ハ純臣ナリ也。惡ミテ 2( 州吁ヲ )1 而厚 ̄與`あづか´ル焉。大義滅ストハ^親ヲ、其レ是ヲ之レ謂フカ乎ト。
衞人 ̄逆`むか´フ 2( 公子 ̄晉`しん´ヲ于 ̄邢`けい´ヨリ )1 。冬、十二月、宣公即ク^位ニ。書シテ曰ク衞人立ツトハ^晉ヲ、衆ナレバナリ也。
注記 〔注釈〕 〇羽父うほ ― 翬の字。 〇翬き帥ヰルト㆒㆑師ヲ ― 公子である翬の名だけを記したのは詆る意があるとする。翬は後に隠公を弑逆した。 〇厚こう ― 石厚 〇石子せきし ― 石錯。石厚の父。 〇王覲わうきん ― 天子に拝謁すること 〇老夫 ― 大夫を退いた者の謙称 〇耄ばうセリ ― 老耄した。老いぼれた。 〇寡君 ― 我が国の君主という謙辞 〇敢テ卽つイテ圖はかルト㆑之ヲ ― 貴方によって処置をお願いしたい 〇涖のぞマンコト ― 立ち会うこと 〇與あづかル焉 ― 関与する。連座させる。 〇邢けい ― 国名。侯爵。 〇衆ナレバナリ也 ― 人民の意向だったからだ
概要
訓読 〔經〕○五年、春、公矢つらヌ㆓魚ぎよヲ于棠たうニ㆒。
○夏、四月、葬ル㆓衞ノ桓公ヲ㆒。
○秋、衞ノ師入いル㆑郕せいニ。
○九月、考なス㆓仲子ノ之宮きゆうヲ㆒。 初メテ獻ズ㆓六羽りくうヲ㆒。
○邾人ちゆひと・鄭人、伐ツ㆑宋ヲ。
○螟めいアリ。
○冬、十有二月辛巳しんし、公子彄こう卒しゆつス。
○宋人伐チ㆑鄭ヲ、圍ム㆓長葛ちやうかつヲ㆒。
白文 〔經〕◯五年、春、公矢魚于棠。
◯夏、四月、葬衞桓公。
◯秋、衞師入郕。
◯九月、考仲子之宮。初獻六。
◯邾人鄭人、伐宋。
◯螟。
◯冬、十有二月辛巳、公子彄卒。
◯宋人伐鄭、圍長葛。
原文 〔經〕○五年、春、公【|矢{つら}ぬ[㆓]|魚{ぎよ}を】〈NOTE 漁具を並べて漁労を見物する 〉于【|棠{たう}】〈NOTE 魯の地名 〉に[㆒]。 ○夏、四月、葬る[㆓]衞の桓公を[㆒]。 ○秋、衞の師|入{い}る[㆑]【|郕{せい}】〈NOTE 姫姓。 〉に。 ○九月、【|考{な}す】〈NOTE 落成式を挙げる 〉[㆓]仲子の之【|宮{きゆう}】〈NOTE 霊廟 〉を[㆒]。 初めて獻ず[㆓]【|六羽{りくう}】〈NOTE 六佾の舞 〉を[㆒]。 ○|邾人{ちゆひと}・鄭人、伐つ[㆑]宋を。 ○【|螟{めい}】〈NOTE 稲の害虫 〉あり。 ○冬、十有二月|辛巳{しんし}、公子|彄{こう}|卒{しゆつ}す。 ○宋人伐ち[㆑]鄭を、圍む[㆓]【|長葛{ちやうかつ}】〈NOTE 鄭の地名 〉を[㆒]。
旧タグ 〔經〕○五年、春、公 ̄矢`つら´ヌ 2(  ̄魚`ぎよ´ヲ于 ̄棠`たう´ニ )1 。
○夏、四月、葬ル 2( 衞ノ桓公ヲ )1 。
○秋、衞ノ師 ̄入`い´ル^ ̄郕`せい´ニ。
○九月、 ̄考`な´ス 2( 仲子ノ之 ̄宮`きゆう´ヲ )1 。 初メテ獻ズ 2(  ̄六羽`りくう´ヲ )1 。
○ ̄邾人`ちゆひと´・鄭人、伐ツ^宋ヲ。
○ ̄螟`めい´アリ。
○冬、十有二月 ̄辛巳`しんし´、公子 ̄彄`こう´ ̄卒`しゆつ´ス。
○宋人伐チ^鄭ヲ、圍ム 2(  ̄長葛`ちやうかつ´ヲ )1 。
注記 〔注釈〕 〇矢つらヌ㆓魚ぎよヲ ― 漁具を並べて漁労を見物する 〇棠たう ― 魯の地名 〇郕せい ― 姫姓。 〇考なス ― 落成式を挙げる 〇宮きゆう ― 霊廟 〇六羽りくう ― 六佾の舞 〇螟めい ― 稲の害虫 〇長葛ちやうかつ ― 鄭の地名
概要
訓読 〔傳〕五年、春、公將ニ __ ㆔如ゆキテ㆑棠ニ觀ント㆓魚者ヲ㆒。臧僖伯ざうきはく諫メテ曰ク、凡ソ物ノ不㆑足ラ㆔以テ講ズルニ㆓大事ヲ㆒、其ノ材ノ不ンバ㆑足ラ㆔以テ備フルニ㆓器用ニ㆒、則チ君不㆑擧セ焉。君ハ將ニ ル ㆑納レント㆓民ヲ於軌物きぶつニ㆒者ナリ也。故ニ講ジテ㆑事ヲ以テ度はかル㆑軌ニ。量謂フ㆓之ヲ軌ト㆒。取リテ㆑材ヲ以テ章あきらカニス㆑物ヲ。采謂フ㆓之ヲ物ト㆒。不軌不物、謂フ㆓之ヲ亂政ト㆒。亂政亟〻しばしば行ハルルハ、所㆐㆓以ナリ敗ルル㆒也。故ニ春ハ蒐しうシ、夏ハ苗べうシ、秋ハ獮せんシ、冬ハ狩ス。皆於テシ㆓農隙のうげきニ㆒、以テ講ズル㆑事ヲ也。三年ニシテ而治兵シ、入リテ而振旅しんりよシ、歸リテ而飮至シ、以テ數ヘ㆓軍實ヲ㆒、昭あきらカニシ㆓文章ヲ㆒、明カニシ㆓貴賤ヲ㆒、辯ジ㆓等列ヲ㆒、順ニシ㆓少長ヲ㆒、習ハスナリ㆓威儀ヲ㆒也。鳥獸ノ之肉、不㆑登ラ㆓於俎そニ㆒、皮革・齒牙・骨角・毛羽、不ンバ㆑登ラ㆓於器ニ㆒、則チ公不ルハ㆑射しやセ、古ノ之制ナリ也。若もシ夫そレ山林川澤之實、器用之資ハ、皁隸さうれいノ之事、官司之守リニシテ、非ザルナリ㆓君ノ所ニ㆒㆑及ブ也ト。公曰ク、吾將ニ __ ㆑略セント㆑地ヲ焉ト。遂ニ往キ、陳つらネテ㆑魚ヲ而觀ル㆑之ヲ。僖伯稱シテ㆑疾やまいト不㆑從ハ。書シテ曰フハ㆔公矢つらヌト㆓魚ヲ于棠ニ㆒、非ザレバナリ㆑禮ニ也。且ツ言フナリ㆓遠地ヲ㆒也。
曲沃きよくよくノ莊伯、以ひきヰテ㆓鄭人・邢人けいひとヲ㆒伐ツ㆑翼よくヲ。王、使しム尹氏ゐんし・武氏ヲシテ助ケ㆒㆑之ヲ。翼侯奔はしル㆑隨ずゐニ。
白文 〔傳〕五年、春、公將如棠觀魚者。臧僖伯諫曰、凡物不足以講大事、其材不足以備器用、則君不擧焉。君將納民於軌物者也。故講事以度軌。量謂之軌。取材以章物。采謂之物。不軌不物、謂之亂政。亂政亟行、所以敗也。故春蒐、夏苗、秋獮、冬狩。皆於農隙、以講事也。三年而治兵、入而振旅、歸而飮至、以數軍實、昭文章、明貴賤、辯等列、順少長、習威儀也。鳥獸之肉、不登於俎、皮革齒牙骨角毛羽、不登於器、則公不射、古之制也。若夫山林川澤之實、用之資、皁隸之事、官司之守、非君所及也。公曰、吾將略地焉。遂往、陳魚而觀之。僖伯稱疾不從。書曰公矢魚于棠、非禮也。且言遠地也。
曲沃莊伯、以鄭人邢人伐翼。王、使尹氏武氏助之。翼侯奔隨。
原文 〔傳〕五年、春、公將に __ [㆔]|如{ゆ}きて[㆑]棠に觀んと[㆓]魚者を[㆒]。【|臧僖伯{ざうきはく}】〈NOTE 公子彄。字子臧。孝公の子。僖は諡。その孫が祖父の字を取って臧氏を名乗ったことから追記した名。 〉諫めて曰く、凡そ物の不[㆑]足ら[㆔]以て講ずるに[㆓]【大事】〈NOTE 国の大事。戦争と祭祀。 〉を[㆒]、其の材の不んば[㆑]足ら[㆔]以て備ふるに[㆓]【器用】〈NOTE 大事のための需要 〉に[㆒]、則ち君【不[㆑]擧せ】〈NOTE 行動を起こさない 〉焉。君は【將に _る_ [㆑]納れんと[㆓]民を於|軌物{きぶつ}に[㆒]者】〈NOTE 軌と物とに適うように図る存在 〉なり也。故に講じて[㆑]事を以て|度{はか}る[㆑]軌に。【量】〈NOTE 法度に適っていること 〉謂ふ[㆓]之を軌と[㆒]。取りて[㆑]材を以て【|章{あきら}かにす[㆑]物を】〈NOTE 器物の飾りを身分相応に整える 〉。【采】〈NOTE 飾り物 〉謂ふ[㆓]之を物と[㆒]。不軌不物、謂ふ[㆓]之を亂政と[㆒]。亂政|亟〻{しばしば}行はるるは、所[㆐][㆓]以なり敗るる[㆒]也。故に春は|蒐{しう}し、夏は|苗{べう}し、秋は|獮{せん}し、冬は狩す。【皆】〈NOTE 四種の狩猟 〉於てし[㆓]|農隙{のうげき}に[㆒]、以て講ずる[㆑]事を也。三年にして而【治兵し】〈NOTE 軍の演習を行う 〉、入りて而【|振旅{しんりよ}】〈NOTE 隊列を整える 〉し、歸りて而飮至し、以て數へ[㆓]【軍實】〈NOTE 武器や獲物 〉を[㆒]、|昭{あきら}かにし[㆓]【文章】〈NOTE 装飾 〉を[㆒]、明かにし[㆓]貴賤を[㆒]、辯じ[㆓]等列を[㆒]、順にし[㆓]少長を[㆒]、習はすなり[㆓]威儀を[㆒]也。鳥獸の之肉、不[㆑]登ら[㆓]於【|俎{そ}】〈NOTE 犠牲を載せる台 〉に[㆒]、皮革・齒牙・骨角・毛羽、【不んば[㆑]登ら[㆓]於器に[㆒]】〈NOTE 器物の飾りにならないなら、 〉、則ち公不るは[㆑]|射{しや}せ、古の之制なり也。|若{も}し|夫{そ}れ山林川澤之實、器用之【資】〈NOTE 材料 〉は、【|皁隸{さうれい}】〈NOTE 下僕 〉の之事、【官司之守り】〈NOTE 役人の職分 〉にして、非ざるなり[㆓]君の所に[㆒㆑]及ぶ也と。公曰く、吾將に __ [㆑]【略せんと[㆑]地を】〈NOTE 領地を巡行する 〉焉と。遂に往き、|陳{つら}ねて[㆑]魚を而觀る[㆑]之を。僖伯稱して[㆑]|疾{やまい}と不[㆑]從は。書して曰ふは[㆔]公|矢{つら}ぬと[㆓]魚を于棠に[㆒]、非ざればなり[㆑]禮に也。且つ言ふなり[㆓]【遠地】〈NOTE 遠い辺土には君主は赴かないという意。 〉を[㆒]也。 |曲沃{きよくよく}の【莊伯】〈NOTE 成師の子。 〉、|以{ひき}ゐて[㆓]鄭人・|邢人{けいひと}を[㆒]伐つ[㆑]【|翼{よく}】〈NOTE 晋の都 〉を。【王】〈NOTE 周の桓王 〉、|使{し}む【|尹氏{ゐんし}・武氏】〈NOTE 周の大夫の名 〉をして助け[㆒㆑]之を。【翼侯】〈NOTE 晋の孝侯の弟鄂侯 〉|奔{はし}る[㆑]【|隨{ずゐ}】〈NOTE 晋の地名 〉に。
旧タグ 〔傳〕五年、春、公將ニ __ 3(  ̄如`ゆ´キテ^棠ニ觀ント 2( 魚者ヲ )1 。 ̄臧僖伯`ざうきはく´諫メテ曰ク、凡ソ物ノ不^足ラ 3( 以テ講ズルニ 2( 大事ヲ )1 、其ノ材ノ不ンバ^足ラ 3( 以テ備フルニ 2( 器用ニ )1 、則チ君不^擧セ焉。君ハ將ニ _ル_ ^納レント 2( 民ヲ於 ̄軌物`きぶつ´ニ )1 者ナリ也。故ニ講ジテ^事ヲ以テ ̄度`はか´ル^軌ニ。量謂フ 2( 之ヲ軌ト )1 。取リテ^材ヲ以テ ̄章`あきら´カニス^物ヲ。采謂フ 2( 之ヲ物ト )1 。不軌不物、謂フ 2( 之ヲ亂政ト )1 。亂政 ̄亟〻`しばしば´行ハルルハ、所- 2( 以ナリ敗ルル )1 也。故ニ春ハ ̄蒐`しう´シ、夏ハ ̄苗`べう´シ、秋ハ ̄獮`せん´シ、冬ハ狩ス。皆於テシ 2(  ̄農隙`のうげき´ニ )1 、以テ講ズル^事ヲ也。三年ニシテ而治兵シ、入リテ而 ̄振旅`しんりよ´シ、歸リテ而飮至シ、以テ數ヘ 2( 軍實ヲ )1 、 ̄昭`あきら´カニシ 2( 文章ヲ )1 、明カニシ 2( 貴賤ヲ )1 、辯ジ 2( 等列ヲ )1 、順ニシ 2( 少長ヲ )1 、習ハスナリ 2( 威儀ヲ )1 也。鳥獸ノ之肉、不^登ラ 2( 於 ̄俎`そ´ニ )1 、皮革・齒牙・骨角・毛羽、不ンバ^登ラ 2( 於器ニ )1 、則チ公不ルハ^ ̄射`しや´セ、古ノ之制ナリ也。 ̄若`も´シ ̄夫`そ´レ山林川澤之實、器用之資ハ、 ̄皁隸`さうれい´ノ之事、官司之守リニシテ、非ザルナリ 2( 君ノ所ニ )1^及ブ也ト。公曰ク、吾將ニ __ ^略セント^地ヲ焉ト。遂ニ往キ、 ̄陳`つら´ネテ^魚ヲ而觀ル^之ヲ。僖伯稱シテ^ ̄疾`やまい´ト不^從ハ。書シテ曰フハ 3( 公 ̄矢`つら´ヌト 2( 魚ヲ于棠ニ )1 、非ザレバナリ^禮ニ也。且ツ言フナリ 2( 遠地ヲ )1 也。
 ̄曲沃`きよくよく´ノ莊伯、 ̄以`ひき´ヰテ 2( 鄭人・ ̄邢人`けいひと´ヲ )1 伐ツ^ ̄翼`よく´ヲ。王、 ̄使`し´ム ̄尹氏`ゐんし´・武氏ヲシテ助ケ )1^之ヲ。翼侯 ̄奔`はし´ル^ ̄隨`ずゐ´ニ。
注記 〔注釈〕 〇臧僖伯ざうきはく ― 公子彄。字子臧。孝公の子。僖は諡。その孫が祖父の字を取って臧氏を名乗ったことから追記した名。 〇大事 ― 国の大事。戦争と祭祀。 〇器用 ― 大事のための需要 〇不㆑擧セ ― 行動を起こさない 〇將ニ _ル_ ㆑納レント㆓民ヲ於軌物きぶつニ㆒者 ― 軌と物とに適うように図る存在 〇量 ― 法度に適っていること 〇章あきらカニス㆑物ヲ ― 器物の飾りを身分相応に整える 〇采 ― 飾り物 〇皆 ― 四種の狩猟 〇治兵シ ― 軍の演習を行う 〇振旅しんりよ ― 隊列を整える 〇軍實 ― 武器や獲物 〇文章 ― 装飾 〇俎そ ― 犠牲を載せる台 〇不ンバ㆑登ラ㆓於器ニ㆒ ― 器物の飾りにならないなら、 〇資 ― 材料 〇皁隸さうれい ― 下僕 〇官司之守リ ― 役人の職分 〇略セント㆑地ヲ ― 領地を巡行する 〇遠地 ― 遠い辺土には君主は赴かないという意。 〇莊伯 ― 成師の子。 〇翼よく ― 晋の都 〇王 ― 周の桓王 〇尹氏ゐんし・武氏 ― 周の大夫の名 〇翼侯 ― 晋の孝侯の弟鄂侯 〇隨ずゐ ― 晋の地名
概要
訓読 夏、葬ル衞ノ桓公ヲ。衞亂ル。是ヲ以テ緩ナリ。
四月、鄭人侵シテ㆓衞ノ牧ぼくヲ㆒、以テ報ユ㆓東門ノ之役えきニ㆒。衞人以ヰテ㆓燕師ヲ㆒伐ツ㆑鄭ヲ。鄭ノ祭足・原繁・泄駕せつが、以ヰテ㆓三軍ヲ㆒軍ぐんシ㆓其ノ前ニ㆒、使ム㆘曼伯まんはくト與ヲシテ㆓子元㆒濳ひそカニ軍セ㆗其ノ後ロニ㆖。燕人畏レテ㆓鄭ノ三軍ヲ㆒、而不㆑虞はかラ㆓制人せいひとヲ㆒。六月、鄭ノ二公子、以ヰテ㆓制人ヲ㆒敗ル㆓燕ノ師ヲ于北制ニ㆒。君子曰、不ンバ㆑備ヘ㆓不虞ニ㆒、不ト㆑可カラ㆓以テ師しス㆒。

曲沃叛ク㆑王ニ。秋、王命ジテ㆓虢公ニ㆒伐タシメテ㆓曲沃ヲ㆒、而立ツ㆓哀候ヲ于翼ニ㆒。
衞ノ之亂ルルヤ也、郕せい人侵ス㆑衞ヲ。故ニ衞師入ル㆑郕ニ。

九月、考ス㆓仲子ノ之宮きゆうヲ㆒。將ニ __ ㆑萬ばんセント焉。公問フ㆓羽數ヲ於衆仲ニ㆒。對ヘテ曰ク、天子ハ用ヰ㆑八ヲ、、諸侯ハ用ウ㆑六ヲ。大夫ハ四、士ハ二。夫レ舞ハ所㆐㆘以ナリ節シテ㆓八音いんヲ㆒而行めぐラス㆗八風ヲ㆖。故ニ自リ㆑八以テ下ルト。公從フ㆑之ニ。於テ㆑是ニ、初メテ獻ズ㆓六羽ヲ㆒。始メテ用ヰルナリ㆓六佾りくいつヲ㆒也。
白文 夏、葬衞桓公。衞亂。是以緩。
四月、鄭人侵衞牧、以報東門之役。衞人以燕師伐鄭。鄭祭足原繁泄駕、以三軍軍其前、使曼伯與子元濳軍其後。燕人畏鄭三軍、而不虞制人。六月、鄭二公子、以制人敗燕師于北制。君子曰、不備不虞、不可以師。

曲沃叛王。秋、王命虢公伐曲沃、而立哀候于翼。
衞之亂也、郕人侵衞。故衞師入郕。

九月、考仲子之宮。將萬焉。公問羽數於衆仲。對曰、天子用八、、諸侯用六。大夫四、士二。夫舞所以節八音而行八風。故自八以下。公從之。於是、初獻六羽。始用六佾也。
原文 夏、葬る衞の桓公を。衞亂る。是を以て緩なり。 四月、鄭人侵して[㆓]衞の【|牧{ぼく}】〈NOTE 地名とも、郊外の意ともいう。 〉を[㆒]、以て報ゆ[㆓]東門の之|役{えき}に[㆒]。衞人以ゐて[㆓]【燕師】〈NOTE 南燕の軍隊 〉を[㆒]伐つ[㆑]鄭を。鄭の祭足・原繁・|泄駕{せつが}、以ゐて[㆓]【三軍】〈NOTE 一軍は12,500人。 〉を[㆒]|軍{ぐん}し[㆓]【其の前】〈NOTE 燕の軍の前 〉に[㆒]、使む[㆘]【|曼伯{まんはく}】〈NOTE 鄭の公子。昭公の字。 〉と與をして[㆓]【子元】〈NOTE 鄭の公子。厲公の字。 〉[㆒]|濳{ひそ}かに軍せ[㆗]其の後ろに[㆖]。燕人畏れて[㆓]鄭の三軍を[㆒]、而不[㆑]|虞{はか}ら[㆓]|制人{せいひと}を[㆒]。六月、鄭の二公子、以ゐて[㆓]制人を[㆒]敗る[㆓]燕の師を于【北制】〈NOTE 鄭の地名 〉に[㆒]。君子曰、不んば[㆑]備へ[㆓]【不虞】〈NOTE 万一の場合 〉に[㆒]、不と[㆑]可から[㆓]以て|師{し}す[㆒]。 【曲沃叛く[㆑]王に】〈NOTE 周の桓王が立てた鄂侯の子の光を、王命に逆らって荘伯が国外に放逐したこと。 〉。秋、王命じて[㆓]虢公に[㆒]伐たしめて[㆓]曲沃を[㆒]、而立つ[㆓]【哀候】〈NOTE 鄂侯の子 〉を于翼に[㆒]。 衞の之亂るるや也、|郕{せい}人侵す[㆑]衞を。故に衞師入る[㆑]郕に。 九月、考す[㆓]仲子の之|宮{きゆう}を[㆒]。將に __ [㆑]【|萬{ばん}せん】〈NOTE 文舞・武舞の総称。 〉と焉。公問ふ[㆓]【羽數】〈NOTE 雉の尾羽を持って舞う人数 〉を於衆仲に[㆒]。對へて曰く、天子は【用ゐ[㆑]八を】〈NOTE 八佾の舞。八人の舞手とも、八列✕八人の舞手ともいう。 〉、、諸侯は用う[㆑]六を。大夫は四、士は二。夫れ舞は所[㆐][㆘]以なり節して[㆓]【八|音{いん}】〈NOTE 八つの楽音 〉を[㆒]而【|行{めぐ}らす[㆗]八風】〈NOTE 八方の風を調和させる 〉を[㆖]。故に自り[㆑]八以て下ると。公從ふ[㆑]之に。於て[㆑]是に、初めて獻ず[㆓]六羽を[㆒]。始めて用ゐるなり[㆓]|六佾{りくいつ}を[㆒]也。
旧タグ 夏、葬ル衞ノ桓公ヲ。衞亂ル。是ヲ以テ緩ナリ。
四月、鄭人侵シテ 2( 衞ノ ̄牧`ぼく´ヲ )1 、以テ報ユ 2( 東門ノ之 ̄役`えき´ニ )1 。衞人以ヰテ 2( 燕師ヲ )1 伐ツ^鄭ヲ。鄭ノ祭足・原繁・ ̄泄駕`せつが´、以ヰテ 2( 三軍ヲ )1  ̄軍`ぐん´シ 2( 其ノ前ニ )1 、使ム 2{  ̄曼伯`まんはく´ト與ヲシテ 2( 子元 )1  ̄濳`ひそ´カニ軍セ ┤其ノ後ロニ }1 。燕人畏レテ 2( 鄭ノ三軍ヲ )1 、而不^ ̄虞`はか´ラ 2(  ̄制人`せいひと´ヲ )1 。六月、鄭ノ二公子、以ヰテ 2( 制人ヲ )1 敗ル 2( 燕ノ師ヲ于北制ニ )1 。君子曰、不ンバ^備ヘ 2( 不虞ニ )1 、不ト^可カラ 2( 以テ ̄師`し´ス )1 。

曲沃叛ク^王ニ。秋、王命ジテ 2( 虢公ニ )1 伐タシメテ 2( 曲沃ヲ )1 、而立ツ 2( 哀候ヲ于翼ニ )1 。
衞ノ之亂ルルヤ也、 ̄郕`せい´人侵ス^衞ヲ。故ニ衞師入ル^郕ニ。

九月、考ス 2( 仲子ノ之 ̄宮`きゆう´ヲ )1 。將ニ __ ^ ̄萬`ばん´セント焉。公問フ 2( 羽數ヲ於衆仲ニ )1 。對ヘテ曰ク、天子ハ用ヰ^八ヲ、、諸侯ハ用ウ^六ヲ。大夫ハ四、士ハ二。夫レ舞ハ所- 2{ 以ナリ節シテ 2( 八 ̄音`いん´ヲ )1 而 ̄行`めぐ´ラス ┤八風ヲ }1 。故ニ自リ^八以テ下ルト。公從フ^之ニ。於テ^是ニ、初メテ獻ズ 2( 六羽ヲ )1 。始メテ用ヰルナリ 2(  ̄六佾`りくいつ´ヲ )1 也。
注記 〔注釈〕 〇牧ぼく ― 地名とも、郊外の意ともいう。 〇燕師 ― 南燕の軍隊 〇三軍 ― 一軍は12,500人。 〇其ノ前 ― 燕の軍の前 〇曼伯まんはく ― 鄭の公子。昭公の字。 〇子元 ― 鄭の公子。厲公の字。 〇北制 ― 鄭の地名 〇不虞 ― 万一の場合 〇曲沃叛ク㆑王ニ ― 周の桓王が立てた鄂侯の子の光を、王命に逆らって荘伯が国外に放逐したこと。 〇哀候 ― 鄂侯の子 〇萬ばんセン ― 文舞・武舞の総称。 〇羽數 ― 雉の尾羽を持って舞う人数 〇用ヰ㆑八ヲ ― 八佾の舞。八人の舞手とも、八列✕八人の舞手ともいう。 〇八音いん ― 八つの楽音 〇行めぐラス㆗八風 ― 八方の風を調和させる
概要
訓読 宋人取ル㆓邾田ちゆでんヲ㆒。邾人告ゲテ㆓於鄭ニ㆒曰ク、請フ、君釋ケ㆓憾ミヲ於宋ニ㆒.弊邑爲サント㆑道みちびキヲ。鄭人以ヰテ㆓王師ヲ㆒會シ㆑之ニ、伐チテ㆑宋ヲ入リ㆓其ノ郛ふニ㆒、以テ報ユ㆓東門ノ之役えきニ㆒。宋人使ム㆓來リテ告ゲ㆒㆑命ヲ。公聞キ㆓其ノ入ルト㆒㆑郛ニ也、將ニ __ ㆑救ハント㆑之ヲ。問ヒテ㆓於使者ニ㆒曰ク、師何いづクニカ及ブト。對ヘテ曰ク、未ダ ト ㆑及バ㆑國ニ。公怒リテ乃チ止ム。辭シテ㆓使者ニ㆒曰ク、君命ジテ㆓寡人ニ㆒、同ジク恤うれヘシム㆓社稷しやしよくノ之難ヲ㆒。今問ヘバ㆓諸これヲ使者ニ㆒、曰ク、師未ダ ト ㆑及バ㆑國ニ。非ザルナリ㆔寡人ノ之所ニ㆓敢ヘテ知ル㆒也ト。冬、十二月辛巳しんし、臧僖伯卒ス。公曰ク、叔父しゆくふ有リ㆑憾ミ㆓於寡人ニ㆒。寡人弗ずト㆓敢ヘテ忘レ㆒。葬ムルニ㆑之ヲ加フ㆓一等ヲ㆒。
宋人伐チテ㆑鄭ヲ圍かこムハ㆓長葛㆒、以テ報ユルナリ㆓入ルノ㆑郛ニ之役ニ㆒也。
白文 宋人取邾田。邾人告於鄭曰、請、君釋憾於宋弊邑爲道。鄭人以王師會之、伐宋入其郛、以報東門之役。宋人使來告命。公聞其入郛也、將救之。問於使者曰、師何及。對曰、未及國。公怒乃止。辭使曰、君命寡人、同恤稷之難。今問諸使者、曰、師未及國。非寡人之所敢知也。冬、十二月辛巳、臧僖伯卒。公曰、叔父有憾於寡人。寡人弗敢忘。葬之加一等。
宋人伐鄭圍長葛、以報入郛之役也。
原文 宋人取る[㆓]|邾田{ちゆでん}を[㆒]。邾人告げて[㆓]於鄭に[㆒]曰く、請ふ、君釋け[㆓]憾みを於宋に[㆒].弊邑爲さんと[㆑]|道{みちび}きを。鄭人以ゐて[㆓]王師を[㆒]【會し[㆑]之に】〈NOTE 邾と協働する 〉、伐ちて[㆑]宋を入り[㆓]其の【|郛{ふ}】〈NOTE 城郭、外城 〉に[㆒]、以て報ゆ[㆓]【東門の之|役{えき}】〈NOTE 前年、宋を初めとする諸侯東門を攻められたこと。 〉に[㆒]。宋人使む[㆓]來りて告げ[㆒㆑]【命】〈NOTE 魯に助力を乞う宋公の命令 〉を。公聞き[㆓]其の入ると[㆒㆑]郛に也、將に __ [㆑]救はんと[㆑]之を。問ひて[㆓]於使者に[㆒]曰く、師|何{いづ}くにか及ぶと。對へて曰く、未だ _と_ [㆑]及ば[㆑]國に。公怒りて乃ち止む。辭して[㆓]使者に[㆒]曰く、君命じて[㆓]寡人に[㆒]、【同じく|恤{うれ}へしむ[㆓]|社稷{しやしよく}の之難を[㆒]。】〈NOTE 国難に対する憂いを共有させた(魯にも多大の負荷をかけた) 〉今問へば[㆓]|諸{これ}を使者に[㆒]、曰く、師未だ _と_ [㆑]及ば[㆑]國に。非ざるなり[㆔]寡人の之所に[㆓]敢へて知る[㆒]也と。冬、十二月|辛巳{しんし}、【臧僖伯】〈NOTE 魯の公子。前出。 〉卒す。公曰く、|叔父{しゆくふ}有り[㆑]憾み[㆓]於寡人に[㆒]。寡人|弗{ず}と[㆓]敢へて忘れ[㆒]。葬むるに[㆑]之を【加ふ[㆓]一等を[㆒]】〈NOTE 一等加階した 〉。 宋人伐ちて[㆑]鄭を|圍{かこ}むは[㆓]長葛[㆒]、以て報ゆるなり[㆓]入るの[㆑]郛に之役に[㆒]也。
旧タグ 宋人取ル 2(  ̄邾田`ちゆでん´ヲ )1 。邾人告ゲテ 2( 於鄭ニ )1 曰ク、請フ、君釋ケ 2( 憾ミヲ於宋ニ )1 .弊邑爲サント^ ̄道`みちび´キヲ。鄭人以ヰテ 2( 王師ヲ )1 會シ^之ニ、伐チテ^宋ヲ入リ 2( 其ノ ̄郛`ふ´ニ )1 、以テ報ユ 2( 東門ノ之 ̄役`えき´ニ )1 。宋人使ム 2( 來リテ告ゲ )1^命ヲ。公聞キ 2( 其ノ入ルト )1^郛ニ也、將ニ __ ^救ハント^之ヲ。問ヒテ 2( 於使者ニ )1 曰ク、師 ̄何`いづ´クニカ及ブト。對ヘテ曰ク、未ダ _ト_ ^及バ^國ニ。公怒リテ乃チ止ム。辭シテ 2( 使者ニ )1 曰ク、君命ジテ 2( 寡人ニ )1 、同ジク ̄恤`うれ´ヘシム 2(  ̄社稷`しやしよく´ノ之難ヲ )1 。今問ヘバ 2(  ̄諸`これ´ヲ使者ニ )1 、曰ク、師未ダ _ト_ ^及バ^國ニ。非ザルナリ 3( 寡人ノ之所ニ 2( 敢ヘテ知ル )1 也ト。冬、十二月 ̄辛巳`しんし´、臧僖伯卒ス。公曰ク、 ̄叔父`しゆくふ´有リ^憾ミ 2( 於寡人ニ )1 。寡人 ̄弗`ず´ト 2( 敢ヘテ忘レ )1 。葬ムルニ^之ヲ加フ 2( 一等ヲ )1 。
宋人伐チテ^鄭ヲ ̄圍`かこ´ムハ 2( 長葛 )1 、以テ報ユルナリ 2( 入ルノ^郛ニ之役ニ )1 也。
注記 〔注釈〕 〇會シ㆑之ニ ― 邾と協働する 〇郛ふ ― 城郭、外城 〇東門ノ之役えき ― 前年、宋を初めとする諸侯東門を攻められたこと。 〇命 ― 魯に助力を乞う宋公の命令 〇同ジク恤うれヘシム㆓社稷しやしよくノ之難ヲ㆒。 ― 国難に対する憂いを共有させた(魯にも多大の負荷をかけた) 〇臧僖伯 ― 魯の公子。前出。 〇加フ㆓一等ヲ㆒ ― 一等加階した
概要
訓読 〔經〕○六年、春、鄭人來リテ渝かヘテ平たひらグ。
○夏、五月辛酉しんいう、公會シテ㆓齊侯ニ㆒盟ちかフ㆓于艾がいニ㆒。
○秋、七月。
○冬、宋人取ル㆓長葛ちやうかつヲ㆒。
白文 〔經〕◯六年、春、鄭人來渝平。
◯夏、五月辛酉、公會齊侯盟于艾。
◯秋、七月。
◯冬、宋人取長葛。
原文 〔經〕○六年、春、鄭人來りて【|渝{か}へて|平{たひら}ぐ】〈NOTE これまでに変わり、和睦した 〉。
○夏、五月|辛酉{しんいう}、公會して[㆓]齊侯に[㆒]|盟{ちか}ふ[㆓]于【|艾{がい}】〈NOTE 斉魯の国境にある山 〉に[㆒]。
○秋、七月。
○冬、宋人取る[㆓]|長葛{ちやうかつ}を[㆒]。
旧タグ 〔經〕○六年、春、鄭人來リテ ̄渝`か´ヘテ ̄平`たひら´グ。
○夏、五月 ̄辛酉`しんいう´、公會シテ 2( 齊侯ニ )1  ̄盟`ちか´フ 2( 于 ̄艾`がい´ニ )1 。
○秋、七月。
○冬、宋人取ル 2(  ̄長葛`ちやうかつ´ヲ )1 。
注記 〔注釈〕 〇渝かヘテ平たひらグ ― これまでに変わり、和睦した 〇艾がい ― 斉魯の国境にある山
概要
訓読 〔傳〕六年、春、鄭人來リテ渝ヘテ平グトハ、更メ成たひらグナリ也。翼ノ九宗きうそう・五正ごせいノ頃父けいほ之子嘉父かほ、逆むかヘ㆓晉侯ヲ于隨ずゐニ㆒、納いル㆓諸これヲ鄂がくニ㆒。晉人謂フ㆓之ヲ鄂侯ト㆒。
夏、盟フトハ㆓于艾がいニ㆒、始メテ平グナリ㆓于齊ニ㆒也。
白文 〔傳〕六年、春、鄭人來渝平、更成也。翼九宗五正頃父之子嘉父、逆晉侯于隨、納諸鄂。晉人謂之鄂侯。
夏、盟于艾、始平于齊也。
原文 〔傳〕六年、春、鄭人來りて渝へて平ぐとは、更め|成{たひら}ぐなり也。翼の【|九宗{きうそう}】〈NOTE 同姓の九族。殷の懐姓の九族と五行の官の子孫が晋の祖である唐叔に与えられた、という。 〉・【|五正{ごせい}】〈NOTE 五行の官の長官 〉の|頃父{けいほ}之子|嘉父{かほ}、|逆{むか}へ[㆓]【晉侯】〈NOTE 曲沃の荘伯に追われた。 〉を于|隨{ずゐ}に[㆒]、|納{い}る[㆓]|諸{これ}を【|鄂{がく}】〈NOTE 晋の地名 〉に[㆒]。晉人謂ふ[㆓]之を鄂侯と[㆒]。 夏、盟ふとは[㆓]于|艾{がい}に[㆒]、始めて【平ぐなり[㆓]于齊に[㆒]】〈NOTE 斉と和睦した 〉也。
旧タグ 〔傳〕六年、春、鄭人來リテ渝ヘテ平グトハ、更メ ̄成`たひら´グナリ也。翼ノ ̄九宗`きうそう´・ ̄五正`ごせい´ノ ̄頃父`けいほ´之子 ̄嘉父`かほ´、 ̄逆`むか´ヘ 2( 晉侯ヲ于 ̄隨`ずゐ´ニ )1 、 ̄納`い´ル 2(  ̄諸`これ´ヲ ̄鄂`がく´ニ )1 。晉人謂フ 2( 之ヲ鄂侯ト )1 。
夏、盟フトハ 2( 于 ̄艾`がい´ニ )1 、始メテ平グナリ 2( 于齊ニ )1 也。
注記 〔注釈〕 〇九宗きうそう ― 同姓の九族。殷の懐姓の九族と五行の官の子孫が晋の祖である唐叔に与えられた、という。 〇五正ごせい ― 五行の官の長官 〇晉侯 ― 曲沃の荘伯に追われた。 〇鄂がく ― 晋の地名 〇平グナリ㆓于齊ニ㆒ ― 斉と和睦した
概要
訓読 五月庚申、鄭伯侵シテ㆑陳ヲ大イニ獲タリ。往歳わうさい、鄭伯請フ㆓成たひらギヲ于陳ニ㆒。陳侯不㆑許サ。五父ほ諫いさメテ曰ク、親シミ㆑仁ニ善クスルハ㆑鄰りんニ、國ノ之寶ナリ也。君其レ許セト㆑鄭ニ。陳侯曰ク、宋・衞實ニ難シ。鄭何ゾ能ク爲サント。君子曰ク、善ハ不㆑可カラ㆑失フ、惡ハ不トハ㆑可カラ㆑長ズ、其レ陳ノ桓公ノ之謂いひカ乎。長ジテ㆑惡ヲ不ンバ㆑悛あらたメ、從ツテ自ラ及バン也。雖モ㆑欲スト㆑救ハント㆑之ヲ、其レ將はタ能よクセンヤ乎。商書ニ曰ク、惡ノ之易のブルヤ也、如シ㆔火ノ之燎やクガ㆓于原げんヲ㆒。不㆑可カラ㆓嚮むかヒ邇ちかづク㆒。其レ猶もつテ可ケンヤト㆓撲滅ス㆒。周任しうじん有リ㆑言ヘルコト、曰ク、爲をさムルハ㆓國家ヲ㆒者、見ルコト㆑惡ヲ如シ㆓農夫ノ之務メテ去ルガ㆒㆑草ヲ焉。芟㆐㆓夷さんい㆐薀㆐崇うんすうシテ之ヲ㆒、絶チ㆓其ノ本根ほんこんヲ㆒、勿なクンバ㆑使ムルコト㆓能ク殖セ㆒、則チ善ナル者信のブト矣。
白文 五月庚申、鄭伯侵陳大獲。往歳、鄭伯請成于陳。陳侯不許。五父諫曰、親仁善鄰、國之寶也。君其許鄭。陳侯曰、宋衞實難。鄭何能爲。君子曰、善不可失、惡不可長、其陳桓公之謂乎。長惡不悛、從自及也。雖欲救之、其將能乎。商書曰、惡之易也、如火之燎于原不可嚮邇。其猶可撲滅。周任有言、曰、爲國家、見惡如農夫之務去草焉。芟夷薀崇之、絶其本根、勿使能殖、則善者信矣。
原文 五月庚申、鄭伯侵して[㆑]陳を大いに獲たり。【|往歳{わうさい}】〈NOTE 隠公四年 〉、鄭伯請ふ[㆓]|成{たひら}ぎを于陳に[㆒]。陳侯不[㆑]許さ。【五|父{ほ}】〈NOTE 陳の桓公の弟|佗{た} 〉|諫{いさ}めて曰く、親しみ[㆑]仁に善くするは[㆑]|鄰{りん}に、國の之寶なり也。君其れ許せと[㆑]鄭に。陳侯曰く、宋・衞實に難し。鄭何ぞ能く爲さんと。君子曰く、善は不[㆑]可から[㆑]失ふ、惡は不とは[㆑]可から[㆑]長ず、其れ陳の桓公の之|謂{いひ}か乎。長じて[㆑]惡を不んば[㆑]|悛{あらた}め、從つて自ら及ばん也。雖も[㆑]欲すと[㆑]救はんと[㆑]之を、其れ|將{は}た|能{よ}くせんや乎。【商書】〈NOTE 書経・盤庚篇 〉に曰く、惡の之【|易{の}ぶる】〈NOTE 蔓延する 〉や也、如し[㆔]火の之|燎{や}くが[㆓]于|原{げん}を[㆒]。不[㆑]可から[㆓]|嚮{むか}ひ|邇{ちかづ}く[㆒]。其れ|猶{もつ}て可けんやと[㆓]撲滅す[㆒]。【|周任{しうじん}】〈NOTE 古代の良吏の名 〉有り[㆑]言へること、曰く、|爲{をさ}むるは[㆓]國家を[㆒]者、見ること[㆑]惡を如し[㆓]農夫の之務めて去るが[㆒㆑]草を焉。【|芟[㆐][㆓]夷{さんい}[㆐]|薀[㆐]崇{うんすう}】〈NOTE 刈り取って積み重ねること 〉して之を[㆒]、絶ち[㆓]其の|本根{ほんこん}を[㆒]、|勿{な}くんば[㆑]使むること[㆓]能く殖せ[㆒]、則ち善なる者【|信{の}ぶ】〈NOTE 伸びる 〉と矣。
旧タグ 五月庚申、鄭伯侵シテ^陳ヲ大イニ獲タリ。 ̄往歳`わうさい´、鄭伯請フ 2(  ̄成`たひら´ギヲ于陳ニ )1 。陳侯不^許サ。五 ̄父`ほ´ ̄諫`いさ´メテ曰ク、親シミ^仁ニ善クスルハ^ ̄鄰`りん´ニ、國ノ之寶ナリ也。君其レ許セト^鄭ニ。陳侯曰ク、宋・衞實ニ難シ。鄭何ゾ能ク爲サント。君子曰ク、善ハ不^可カラ^失フ、惡ハ不トハ^可カラ^長ズ、其レ陳ノ桓公ノ之 ̄謂`いひ´カ乎。長ジテ^惡ヲ不ンバ^ ̄悛`あらた´メ、從ツテ自ラ及バン也。雖モ^欲スト^救ハント^之ヲ、其レ ̄將`は´タ ̄能`よ´クセンヤ乎。商書ニ曰ク、惡ノ之 ̄易`の´ブルヤ也、如シ 3( 火ノ之 ̄燎`や´クガ 2( 于 ̄原`げん´ヲ )1 。不^可カラ 2(  ̄嚮`むか´ヒ ̄邇`ちかづ´ク )1 。其レ ̄猶`もつ´テ可ケンヤト 2( 撲滅ス )1 。 ̄周任`しうじん´有リ^言ヘルコト、曰ク、 ̄爲`をさ´ムルハ 2( 國家ヲ )1 者、見ルコト^惡ヲ如シ 2( 農夫ノ之務メテ去ルガ )1^草ヲ焉。 ̄芟- 2( 夷`さんい´- ̄薀-崇`うんすう´シテ之ヲ )1 、絶チ 2( 其ノ ̄本根`ほんこん´ヲ )1 、 ̄勿`な´クンバ^使ムルコト 2( 能ク殖セ )1 、則チ善ナル者 ̄信`の´ブト矣。
注記 〔注釈〕 〇往歳わうさい ― 隠公四年 〇五父ほ ― 陳の桓公の弟佗た 〇商書 ― 書経・盤庚篇 〇易のブル ― 蔓延する 〇周任しうじん ― 古代の良吏の名 〇芟㆐㆓夷さんい㆐薀㆐崇うんすう ― 刈り取って積み重ねること 〇信のブ ― 伸びる
概要
訓読 秋、宋人取ル㆓長葛ヲ㆒。
冬、京師來リテ告グ㆑飢うゑヲ。公爲メニ㆑之ガ請フ㆓糴てきヲ於宋・衞・齊・鄭ニ㆒。禮ナリ也。
鄭伯如ゆキ㆑周ニ、始メテ朝スルナリ㆓桓王ニ㆒也。王不㆑禮れいセ焉。周ノ桓公言ヒテ㆓於王ニ㆒曰ク、我ガ周ノ之東遷セシトキ、晉・鄭焉こレ依レリ。善クシテ㆑鄭ニ以テ勸ムルモ㆓來者ヲ㆒、猶ホ懼ル㆑不ルヲ㆑蔇いたラ。況いはんヤ不ルヲヤ㆑禮セ焉。鄭不じト來ラ矣。
白文 秋、宋人取長葛。
冬、京師來告飢。公爲之請糴於宋衞齊鄭。禮也。
鄭伯如周、始朝桓王也。王不禮焉。周桓公言於王曰、我周之東遷、晉鄭焉依。善鄭以勸來者、猶懼不蔇。況不禮焉。鄭不來矣。
原文 【秋】〈NOTE 攻め取ったのが秋で、魯に報告のあったのが冬であるともいい、宋が殷の暦を用いていたので周暦冬十月は殷暦秋九月であるから、ともいう。 〉、宋人取る[㆓]長葛を[㆒]。 冬、【京師】〈NOTE 周の都 〉來りて告ぐ[㆑]【|飢{うゑ}】〈NOTE 饑饉 〉を。公爲めに[㆑]之が請ふ[㆓]【|糴{てき}】〈NOTE 穀物の買い入れ。対義語は「糶」(穀物の競り売り)。 〉を於宋・衞・齊・鄭に[㆒]。禮なり也。 鄭伯|如{ゆ}き[㆑]周に、始めて朝するなり[㆓]桓王に[㆒]也。王【不[㆑]|禮{れい}せ】〈NOTE 礼遇しない 〉焉。【周の桓公】〈NOTE 周公旦の次子の子孫 〉言ひて[㆓]於王に[㆒]曰く、我が周の之東遷せしとき、晉・鄭【|焉{こ}れ依れり】〈NOTE この二国を頼りにした 〉。善くして[㆑]鄭に以て【勸むるも[㆓]來者を[㆒]】〈NOTE 来訪を促す 〉、猶ほ懼る[㆑]不るを[㆑]【|蔇{いた}ら】〈NOTE 至る 〉。|況{いはん}や不るをや[㆑]禮せ焉。鄭|不{じ}と來ら矣。
旧タグ 秋、宋人取ル 2( 長葛ヲ )1 。
冬、京師來リテ告グ^ ̄飢`うゑ´ヲ。公爲メニ^之ガ請フ 2(  ̄糴`てき´ヲ於宋・衞・齊・鄭ニ )1 。禮ナリ也。
鄭伯 ̄如`ゆ´キ^周ニ、始メテ朝スルナリ 2( 桓王ニ )1 也。王不^ ̄禮`れい´セ焉。周ノ桓公言ヒテ 2( 於王ニ )1 曰ク、我ガ周ノ之東遷セシトキ、晉・鄭 ̄焉`こ´レ依レリ。善クシテ^鄭ニ以テ勸ムルモ 2( 來者ヲ )1 、猶ホ懼ル^不ルヲ^ ̄蔇`いた´ラ。 ̄況`いはん´ヤ不ルヲヤ^禮セ焉。鄭 ̄不`じ´ト來ラ矣。
注記 〔注釈〕 〇秋 ― 攻め取ったのが秋で、魯に報告のあったのが冬であるともいい、宋が殷の暦を用いていたので周暦冬十月は殷暦秋九月であるから、ともいう。 〇京師 ― 周の都 〇飢うゑ ― 饑饉 〇糴てき ― 穀物の買い入れ。対義語は「糶」(穀物の競り売り)。 〇不㆑禮れいセ ― 礼遇しない 〇周ノ桓公 ― 周公旦の次子の子孫 〇焉こレ依レリ ― この二国を頼りにした 〇勸ムルモ㆓來者ヲ㆒ ― 来訪を促す 〇蔇いたラ ― 至る
概要
訓読 〔經〕〇七年、春、王ノ三月、叔姫歸とつグ㆓于紀ニ㆒。
○滕侯とうこう卒ス。
○夏、城きづク㆓中丘ちゆうきうニ㆒.
○齊侯使ム㆓其ノ弟年ねんヲシテ來聘らいへいセ㆒。
○秋、公伐ツ㆑邾ヲ。
○冬、天王使ム㆓凡伯はんぱくヲシテ來聘セ㆒。戎伐チ㆓凡伯ヲ于楚丘ニ㆒以ゐテ歸ル。
白文 〔經〕◯七年、春、王三月、叔姫歸于紀。
◯滕侯卒。
◯夏、城中丘
◯齊侯使其弟年來聘。
◯秋、公伐邾。
◯冬、天王使凡伯來聘。戎伐凡伯于楚丘以歸。
原文 〔經〕〇七年、春、王の三月、【叔姫】〈NOTE 隠公二年に紀に嫁いだ伯姫の妹 〉|歸{とつ}ぐ[㆓]于紀に[㆒]。 ○【|滕侯{とうこう}】〈NOTE 滕は姫姓。周の文王の子孫の封国。侯爵。 〉卒す。 ○夏、|城{きづ}く[㆓]|【中丘{ちゆうきう}】〈NOTE 魯の地名 〉に[㆒]. ○齊侯使む[㆓]其の弟|年{ねん}をして|來聘{らいへい}せ[㆒]。 ○秋、公伐つ[㆑]邾を。 ○冬、天王使む[㆓]【|凡伯{はんぱく}】〈NOTE 凡は周公の子孫の封国。伯爵。周の卿士となり、伯を家号にしていた。 〉をして來聘せ[㆒]。戎伐ち[㆓]凡伯を于【楚丘】〈NOTE 曹の地名 〉に[㆒]|以{ゐ}て歸る。
旧タグ 〔經〕〇七年、春、王ノ三月、叔姫 ̄歸`とつ´グ 2( 于紀ニ )1 。
○ ̄滕侯`とうこう´卒ス。
○夏、 ̄城`きづ´ク 2(  ̄中丘`ちゆうきう´ニ )1 .
○齊侯使ム 2( 其ノ弟 ̄年`ねん´ヲシテ ̄來聘`らいへい´セ )1 。
○秋、公伐ツ^邾ヲ。
○冬、天王使ム 2(  ̄凡伯`はんぱく´ヲシテ來聘セ )1 。戎伐チ 2( 凡伯ヲ于楚丘ニ )1  ̄以`ゐ´テ歸ル。
注記 〔注釈〕 〇叔姫 ― 隠公二年に紀に嫁いだ伯姫の妹 〇滕侯とうこう ― 滕は姫姓。周の文王の子孫の封国。侯爵。 〇中丘ちゆうきう ― 魯の地名 〇凡伯はんぱく ― 凡は周公の子孫の封国。伯爵。周の卿士となり、伯を家号にしていた。 〇楚丘 ― 曹の地名
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