孟子 離婁章句 下
 

孟子(まうし)

 

離婁(りろう)章句(しやうく) 下(げ)


(1)  孟子曰ク、舜(しゆん)ハ生(うま)レ二於諸馮(しよひよう)ニ一、遷(うつ)リ二於負夏(ふか)ニ一、卒(をは)ル二於鳴條(めいでう)ニ一。東夷(とうい)ノ之人(ひと)ナリ也。文王(ぶんわう)ハ生レ二於岐周(きしう)ニ一、卒ル二於畢郢(ひつえい)ニ一。西夷(せいい)ノ之人ナリ也。地(ち)ノ之相去(あひさ)ルコト也千有餘里(せんいうより)、世(よ)ノ之相後(あひおく)ルヽコト也千有餘歳(せんいうよさい)ナレドモ、得(え)テレ志(こゝろざし)ヲ行(おこな)フハ二乎中國(ちゆうごく)ニ一、若(ごと)シレ合(がつ)スルガ二符節(ふせつ)ヲ一。先聖(せんせい)・後聖(こうせい)、其(そ)ノ揆(き)ハ一(いつ)ナリ也ト。
孟子曰、舜生於諸馮、遷於負夏、卒於鳴條。東夷之人也。文王生於岐周、卒於畢郢。西夷之人也。地之相去也千有餘里、世之相後也千有餘歳、得志行乎中國、若合符節。先聖・後聖、其揆一也。
孟子曰く、舜は諸馮に生れ、負夏に遷り、鳴條に卒る。東夷の人なり。文王は岐周に生れ、畢郢に卒る。西夷の人なり。地の相去ること千有餘里、世の相後るゝこと千有餘歳なれども、志を得て中國に行ふは、符節を合するがごとし。先聖・後聖、其の揆は一なりと。

(2)  子産(しさん)聽(をさ)メシトキ二鄭國(ていこく)ノ之政(まつりごと)ヲ一、以(もつ)テ二其(そ)ノ乘輿(じやうよ)ヲ一、濟(わた)セリ二人(ひと)ヲ於溱(しん)・洧(い)ニ一。
孟子曰ク、惠(けい)ナレドモ而不レ知(し)ラレ爲(な)スヲレ政(せい)ヲ。歳(とし)ノ十一月(じふいちぐわつ)ニ徒杠(とこう)成(な)リ、十二月(じふにぐわつ)ニ輿梁(よりやう)成レバ、民(たみ)未(いま)ダルナリ レ病(うれ)ヘレ渉(わた)ルヲ也。君子(くんし)ハ平(たひら)カニセバ二其(そ)ノ政(せい)ヲ一、行(ゆ)クニ辟(はら)フモレ人ヲ可(か)ナリ也。焉(いづ)クンゾ得(え)ン二人人(ひと〳〵)ニシテ而濟(わた)スヲ一レ之(これ)ヲ。故(ゆゑ)ニ爲(な)スレ政ヲ者(もの)ハ毎(ごと)ニシテレ人而悦(よろこ)バシメントセバレ之(これ)ヲ、日(ひ)モ亦(また)不レ足(た)ラ矣ト。
子産聽鄭國之政、以其乘輿、濟人於溱・洧。
孟子曰、惠而不知爲政。歳十一月徒杠成、十二月輿梁成、民未病渉也。君子平其政、行辟人可也。焉得人人而濟之。故爲政者毎人而悦之、日亦不足矣。
子産鄭國の政を聽めしとき、其の乘輿を以て、人を溱・洧に濟せり。
孟子曰く、惠なれども政を爲すを知らず。歳の十一月に徒杠成り、十二月に輿梁成れば、民未だ渉るを病へざるなり。君子は其の政を平かにせば、行くに人を辟ふも可なり。焉くんぞ人人にして之を濟すを得ん。故に政を爲す者は人毎にして之を悦ばしめんとせば、日も亦足らずと。

(3)  孟子告(つ)ゲテ二齊宣王(せいのせんわう)ニ一曰ク、君(きみ)ノ之視(み)ルコトレ臣(しん)ヲ如(ごと)クナラバ二手足(しゆそく)ノ一、則(すなは)チ臣モ視ルコトレ君ヲ如クナラン二腹心(ふくしん)ノ一。君ノ之視ルコトレ臣ヲ如クナラバ二犬馬(けんば)ノ一、則チ臣モ視ルコトレ君ヲ如クナラン二國人(こくじん)ノ一。君ノ之視ルコトレ臣ヲ如クナラバ二土芥(どかい)ノ一、則チ臣モ視ルコトレ君ヲ如クナラント二寇讎(こうしう)ノ一。
王(わう)曰ク、禮(れい)ニ爲(た)メニ二舊君(きうくん)ノ一有(あ)リレ服(ふく)スルコト。何如(いか)ナレバ斯(すなは)チ可(べ)キカ二爲(た)メニ服ス一矣ト。
曰ク、諫(いさ)メハ行(おこな)ハレ言(げん)ハ聽(き)カレ、膏澤(こうたく)下(くだ)ル二於民(たみ)ニ一。有(あ)リテレ故(ゆゑ)而去(さ)レバ、則(すなは)チ君(きみ)使(し)メ二人ヲシテ導(みちび)キテレ之(これ)ヲ出(い)デ一レ疆(さかひ)ヲ、又(また)先(さき)ンズ二於其(そ)ノ所(ところ)ニ一レ往(ゆ)ク。去(さ)リテ三年(さんねん)不レバレ反(かへ)ラ、然(しか)ル後(のち)ニ收(をさ)ム二其(そ)ノ田里(でんり)ヲ一。此(こ)レヲ之(これ)謂(い)フ二三有禮(さんいうれい)ト一焉。如(ごと)クナラバレ此(か)クノ則(すなは)チ爲(た)メニレ之(これ)ガ服(ふく)セン矣。
今(いま)ヤ也爲(な)リテモレ臣(しん)ト、諫(いさ)メハ則(すなは)チ不レ行(おこな)ハレ、言(げん)ハ則チ不レ聽カレ、膏澤不レ下ラ二於民ニ一。有リテレ故而去レバ、則チ君搏(はく)-二執(しつ)セントシ之(これ)ヲ一、又極(くるし)ム二之ヲ於其ノ所ニ一レ往ク。去(さ)ル之日(ひ)遂(つひ)ニ收(をさ)ム二其ノ田里ヲ一。此レヲ之謂フ二寇讎(こうしう)ト一。寇讎ニ何(なん)ノ服(ふく)スルコトカ之(これ)有(あ)ラント。
孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬馬、則臣視君如國人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎。
王曰、禮爲舊君有服。何如斯可爲服矣。
曰、諫行言聽、膏澤下於民。有故而去、則君使人導之出疆、又先於其所往。去三年不反、然後收其田里。此之謂三有禮焉。如此則爲之服矣。
今也爲臣、諫則不行、言則不聽、膏澤不下於民。有故而去、則君搏執之、又極之於其所往。去之日遂收其田里。此之謂寇讎。寇讎何服之有。
孟子齊宣王に告げて曰く、君の臣を視ること手足のごとくならば、則ち臣も君を視ること腹心のごとくならん。君の臣を視ること犬馬のごとくならば、則ち臣も君を視ること國人のごとくならん。君の臣を視ること土芥のごとくならば、則ち臣も君を視ること寇讎のごとくならんと。
王曰く、禮に舊君の爲めに服すること有り。何如なれば斯ち爲めに服す可きかと。
曰く、諫めは行はれ言は聽かれ、膏澤民に下る。故有りて去れば、則ち君人をして之を導きて疆を出でしめ、又其の往く所に先んず。去りて三年反らざれば、然る後に其の田里を收む。此れを之三有禮と謂ふ。此くのごとくならば則ち之が爲めに服せん。
今や臣と爲りても、諫めは則ち行はれず、言は則ち聽かれず、膏澤民に下らず。故有りて去れば、則ち君之を搏執せんとし、又之を其の往く所に極む。去る之日遂に其の田里を收む。此れを之寇讎と謂ふ。寇讎に何の服することか之有らんと。

(4)  孟子曰ク、無(な)クシテレ罪(つみ)而殺(ころ)サバレ士(し)ヲ、則(すなは)チ大夫(たいふ)ハ可(べ)ク二以(もつ)テ去(さ)ル一、無クシテレ罪而戮(ころ)サバレ民(たみ)ヲ、則チ士(し)ハ可シト二以テ徙(うつ)ル一。
孟子曰、無罪而殺士、則大夫可以去、無罪而戮民、則士可以徙。
孟子曰く、罪無くして士を殺さば、則ち大夫は以て去るべく、罪無くして民を戮さば、則ち士は以て徙るべしと。

(5)  孟子曰ク、君(きみ)ニシテ仁(じん)ナレバ莫(な)クレ不ルモノレ仁ナラ、君ニシテ義(ぎ)ナレバ莫(な)シトレ不ルモノレ義ナラ。
孟子曰、君仁莫不仁、君義莫不義。
孟子曰く、君にして仁なれば仁ならざるもの莫く、君にして義なれば義ならざるもの莫しと。

(6)  孟子曰ク、非(あら)ザルレ禮(れい)ニ之禮(れい)、非ザルレ義(ぎ)ニ之義(ぎ)ヲ、大人(たいじん)ハ弗(ず)トレ爲(な)サ。
孟子曰、非禮之禮、非義之義、大人弗爲。
孟子曰く、禮に非ざる之禮、義に非ざる之義を、大人は爲さずと。

(7)  孟子曰ク、中(ちゆう)ナルモノハ也養(やしな)ヒレ不ルモノヲレ中ナラ、才(さい)アルモノハ也養フレ不ルモノヲレ才アラ。故(ゆゑ)ニ人ハ樂(ねが)フナリレ有(あ)ランコトヲ二賢(かしこ)キ父兄(ふけい)一也。如(も)シ中ナルモノハ也棄(す)テレ不ルモノヲレ中ナラ、才アルモノハ也棄テナバレ不ルモノヲレ才アラ、則(すなは)チ賢(けん)ト不肖(ふせう)ト之相去(あひさ)ルコト、其(そ)ノ閒(かん)不ラントレ能(あた)ハレ以(もつ)テスルコトレ寸(すん)ヲ。
孟子曰、中也養不中、才也養不才。故人樂有賢父兄也。如中也棄不中、才也棄不才、則賢不肖之相去、其閒不能以寸。
孟子曰く、中なるものは中ならざるものを養ひ、才あるものは才あらざるものを養ふ。故に人は賢き父兄有らんことを樂ふなり。如し中なるものは中ならざるものを棄て、才あるものは才あらざるものを棄てなば、則ち賢と不肖と之相去ること、其の閒寸を以てすること能はざらんと。

(8)  孟子曰ク、人ハ有(あ)リテレ不ルコトレ爲(な)サ也、而(しか)ル後(のち)ニ可(べ)シト二以(もつ)テ有ル一レ爲スコト。
孟子曰、人有不爲也、而後可以有爲。
孟子曰く、人は爲さざること有りて、而る後に以て爲すこと有るべしと。

(9)  孟子曰ク、言(い)ヒテ二人ノ之不善(ふぜん)ヲ一、當(まさ)ニキト 下如(いか)二後(のち)ノ患(わづら)ヒヲ一何(ん)ス上。
孟子曰、言人之不善、當如後患何。
孟子曰く、人の不善を言ひて、當に後の患ひを如何すべきと。

(10)  孟子曰ク、仲尼(ちゆうぢ)ハ不ルレ爲(な)サ二已甚(はなは)ダシキコトヲ一者(もの)ナリト。
孟子曰、仲尼不爲已甚者。
孟子曰く、仲尼は已甚だしきことを爲さざる者なりと。

(11)  孟子曰ク、大人(たいじん)ハ者、言(げん)不二必(かなら)ズシモ信(しん)ナラントセ一、行(おこな)ヒ不二必ズシモ果(くわ)ナラントセ一。惟(た)ダ義(ぎ)ノ所(ところ)ノマヽナルノミトレ在(あ)ル。
孟子曰、大人者、言不必信、行不必果。惟義所在。
孟子曰く、大人は、言必ずしも信ならんとせず、行ひ必ずしも果ならんとせず。惟だ義の在る所のまゝなるのみと。

(12)  孟子曰ク、大人(たいじん)ハ者、不ルレ失(うしな)ハ二其(そ)ノ赤子(せきし)ノ之心(こゝろ)ヲ一者(もの)ナリ也ト。
孟子曰、大人者、不失其赤子之心者也。
孟子曰く、大人は、其の赤子の心を失はざる者なりと。

(13)  孟子曰ク、養(やしな)フハレ生(せい)ヲ者、不レ足(た)ラ三以(もつ)テ當(あ)ツルニ二大事(だいじ)ニ一。惟(た)ダ送(おく)ルハレ死(し)ヲ、可(べ)キノミト三以テ當(あ)ツ二大事ニ一。
孟子曰、養生者、不足以當大事。惟送死、可以當大事。
孟子曰く、生を養ふは、以て大事に當つるに足らず。惟だ死を送るは、以て大事に當つべきのみと。

(14)  孟子曰ク、君子(くんし)ノ深(ふか)ク造(いた)ルニレ之ニ以(もつ)テスルハレ道(みち)ヲ、欲(ほつ)スレバナリ三其(そ)ノ自(じ)-二得(とく)セント之ヲ一也。自-二得スレバ之ヲ一、則(すなは)チ居(を)ルコトレ之ニ安(やす)シ。居ルコトレ之ニ安ケレバ、則チ資(よ)ルコトレ之ニ深(ふか)シ。資ルコトレ之ニ深ケレバ、則チ取(と)リテモ二之ヲ左右(さいう)ニ一逢(あ)フ二其(そ)ノ原(みなもと)ニ一。故(ゆゑ)ニ君子ハ欲(ほつ)スルナリ三其(そ)ノ自-二得センコトヲ之ヲ一也ト。
孟子曰、君子深造之以道、欲其自得之也。自得之、則居之安。居之安、則資之深。資之深、則取之左右逢其原。故君子欲其自得之也。
孟子曰く、君子の深く之に造るに道を以てするは、其の之を自得せんと欲すればなり。之を自得すれば、則ち之に居ること安し。之に居ること安ければ、則ち之に資ること深し。之に資ること深ければ、則ち之を左右に取りても其の原に逢ふ。故に君子は其の之を自得せんことを欲するなりと。

(15)  孟子曰ク、博(ひろ)ク學(まな)ビテ而詳(つまびら)カニ説(と)クハレ之ヲ、將(まさ)ニレバナリ 二以(もつ)テ反(かへ)ツテ説(と)カント一レ約(やく)ヲ也ト。
孟子曰、博學而詳説之、將以反説約也。
孟子曰く、博く學びて詳かに之を説くは、將に以て反つて約を説かんとすればなりと。

(16)  孟子曰ク、以(もつ)テレ善(ぜん)ヲ服(ふく)スルレ人(ひと)ヲ者(もの)ニ、未(いま)ダルナリ レ有(あ)ラ二能(よ)ク服(ふく)スルレ人ヲ者(もの)一也。以テレ善ヲ養(やしな)ヒレ人ヲ、然(しか)ル後(のち)ニ能(よ)ク服(ふく)セシメン二天下(てんか)ヲ一。天下ノ不ルニ二心服(しんぷく)セ一而(しか)モ王(わう)タル者(もの)ハ、未ダルナリ 二之(これ)有ラ一也ト。
孟子曰、以善服人者、未有能服人者也。以善養人、然後能服天下。天下不心服而王者、未之有也。
孟子曰く、善を以て人を服する者に、未だ能く人を服する者有らざるなり。善を以て人を養ひ、然る後に能く天下を服せしめん。天下の心服せざるに而も王たる者は、未だ之有らざるなりと。

(17)  孟子曰ク、言(げん)ニ無シ二實(じつ)ノ不祥(ふしよう)一。不祥ノ之實(じつ)ハ、蔽(おほ)フレ賢(けん)ヲ者(もの)當(あた)ルトレ之(これ)ニ。
孟子曰、言無實不祥。不祥之實、蔽賢者當之。
孟子曰く、言に實の不祥無し。不祥の實は、賢を蔽ふ者之に當ると。

(18)  徐子(じよし)曰ク、仲尼(ちゆうぢ)亟(しばし)バ称(たゝ)ヘテレ水(みづ)ヲ曰ハク、水ナルカナ哉、水ナルカナ哉ト。何(なに)ヲ取(と)レルヤ二於水ニ一也ト。
孟子曰ク、原泉(げんせん)ハ混混(こん〳〵)トシテ不レ舍(お)カ二晝夜(ちうや)ヲ一。盈(み)チテレ科(あな)ニ而(しか)ル後(のち)ニ進(すゝ)ミ、放(いた)ル二乎四海(しかい)ニ一。有(あ)ルレ本(もと)者(もの)ハ如(ごと)シレ是(かく)ノ。是(こ)レヲ之(これ)取(と)レルノミ爾。苟(いやし)クモ爲(な)サバレ無(な)シトレ本(もと)、七八月(しちはちぐわつ)ノ之閒(あひだ)雨(あめ)集(あつ)マリテ溝澮(こうかい)皆(みな)盈(み)ツルモ、其(そ)ノ涸(か)ルヽハ也可(べ)キナリ二立(た)チテ而待(ま)ツ一也。故(ゆゑ)ニ聲聞(せいぶん)ノ過(す)グルハレ情(まこと)ニ、君子(くんし)恥(は)ヅトレ之(これ)ヲ。
徐子曰、仲尼亟称水曰、水哉、水哉。何取於水也。
孟子曰、原泉混混不舍晝夜。盈科而後進、放乎四海。有本者如是。是之取爾。苟爲無本、七八月之閒雨集溝澮皆盈、其涸也可立而待也。故聲聞過情、君子恥之。
徐子曰く、仲尼亟ば水を称へて曰はく、水なるかな、水なるかなと。何を水に取れるやと。
孟子曰く、原泉は混混として晝夜を舍かず。科に盈ちて而る後に進み、四海に放る。本有る者は是のごとし。是れを之取れるのみ。苟くも本無しと爲さば、七八月の閒雨集まりて溝澮皆盈つるも、其の涸るゝは立ちて待つべきなり。故に聲聞の情に過ぐるは、君子之を恥づと。

(19)  孟子曰ク、人ノ之所(ゆゑ)-三以(ん)ノ異(こと)ナル二於禽獸(きんじう)ニ一者(もの)ハ幾(ほとん)ド希(まれ)ナリ。庶民(しよみん)ハ去(さ)リレ之(これ)ヲ、君子(くんし)ハ存(そん)スレ之ヲ。舜(しゆん)ハ明(あきら)カニシ二於庶物(しよぶつ)ヲ一、察(さつ)スルニ二於人倫(じんりん)ヲ一、由(よ)リテ二仁義(じんぎ)ニ一行(おこな)ヒ、非(あら)ザルナリレ行(おこな)フニ二仁義ヲ一也ト。
孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希。庶民去之、君子存之。舜明於庶物、察於人倫、由仁義行、非行仁義也。
孟子曰く、人の禽獸に異なる所以の者は幾ど希なり。庶民は之を去り、君子は之を存す。舜は庶物を明かにし、人倫を察するに、仁義によりて行ひ、仁義を行ふに非ざるなりと。

(20)  孟子曰ク、禹(う)ハ惡(にく)ミテ二旨酒(ししゆ)ヲ一、而好(この)ミキ二善言(ぜんげん)ヲ一。湯(たう)ハ執(と)リレ中(ちゆう)ヲ、立(た)ツルコトレ賢(けん)ヲ無(な)カリキレ方(はう)。文王(ぶんわう)ハ視(み)ルコトレ民(たみ)ヲ如(ごと)クレ傷(いた)メルガ、望(のぞ)ムコトレ道(みち)ヲ而(ごと)シレ未(いま)ダルガ 二之(これ)ヲ見(み)一。武王(ぶわう)ハ不レ泄(な)レレ邇(ちか)キニ、不リキレ忘(わす)レレ遠(とほ)キヲ。周公(しうこう)ハ思(おも)フ下兼(か)ネ二三王(さんわう)ヲ一、以(もつ)テ施(ほどこ)サンコトヲ中四事(しじ)ヲ上。其(そ)ノ有(あ)レバ二不ルレ合(かな)ハ者(もの)一、仰(あふ)ギテ而思(おも)ヒレ之(これ)ヲ、夜(よ)以(もつ)テ繼(つ)ギレ日(ひ)ニ、幸(さいは)ヒニシテ而得(う)レバレ之(これ)ヲ、坐(ざ)シテ以(もつ)テ待(ま)テリトレ旦(あけがた)ヲ。
孟子曰、禹惡旨酒、而好善言。湯執中、立賢無方。文王視民如傷、望道而未之見。武王不泄邇、不忘遠。周公思兼三王、以施四事。其有不合者、仰而思之、夜以繼日、幸而得之、坐以待旦。
孟子曰く、禹は旨酒を惡みて、善言を好みき。湯は中を執り、賢を立つること方無かりき。文王は民を視ること傷めるがごとく、道を望むこと未だ之を見ざるがごとし。武王は邇きに泄れず、遠きを忘れざりき。周公は三王を兼ね、以て四事を施さんことを思ふ。其の合はざる者有れば、仰ぎて之を思ひ、夜以て日に繼ぎ、幸ひにして之を得れば、坐して以て旦を待てりと。

(21)  孟子曰ク、王者(わうじや)ノ之迹(あと)熄(や)ミテ而(すなは)チ詩(し)亡(ほろ)ブ。詩亡ビテ然(しか)ル後(のち)ニ春秋(しゆんじう)作(おこ)ル。晉(しん)ノ之乘(じよう)、楚(そ)ノ之檮杌(たうこつ)、魯(ろ)ノ之春秋(しゆんじう)ハ一(いつ)ナリ也。其(そ)ノ事(こと)ハ則(すなは)チ齊桓(せいかん)・晉文(しんぶん)、其ノ文(ぶん)ハ則(すなは)チ史(ふひと)ナリ。孔子(こうし)曰(のたま)ハク、其ノ義(ぎ)ハ則(すなは)チ丘(きう)竊(ひそ)カニ取(と)レリレ之(これ)ヲ矣ト。
孟子曰、王者之迹熄而詩亡。詩亡然後春秋作。晉之乘、楚之檮杌、魯之春秋一也。其事則齊桓・晉文、其文則史。孔子曰、其義則丘竊取之矣。
孟子曰く、王者の迹熄みて而ち詩亡ぶ。詩亡びて然る後に春秋作る。晉の乘、楚の檮杌、魯の春秋は一なり。其の事は則ち齊桓・晉文、其の文は則ち史なり。孔子曰はく、其の義は則ち丘竊かに之を取れりと。

(22)  孟子曰ク、君子(くんし)ノ之澤(たく)ハ五世(ごせい)ニシテ而斬(た)エ、小人(せうじん)ノ之澤モ五世ニシテ而斬(た)ユ。予(われ)ハ未(いま)ダルモ レ得(え)レ爲(た)ルヲ二孔子ノ徒(と)一也、予ハ私(ひそ)カニ淑(よ)クス二諸(これ)ヲ人(ひと)ニ一也ト。
孟子曰、君子之澤五世而斬、小人之澤五世而斬。予未得爲孔子徒也、予私淑諸人也。
孟子曰く、君子の澤は五世にして斬え、小人の澤も五世にして斬ゆ。予は未だ孔子の徒たるを得ざるも、予は私かに諸を人に淑くすと。

(23)  孟子曰ク、可(べ)ク二以(もつ)テ取(と)ル一、可カランニ二以テ無(な)カル一レ取ルコト、取レバ傷(そこな)フレ廉(れん)ヲ。可ク二以テ與(あた)フ一、可カランニ二以テ無カル一レ與フルコト、與フレバ傷フレ惠(けい)ヲ。可ク二以テ死(し)ス一、可カランニ二以テ無カル一レ死スルコト、死スレバ傷ルトレ勇(ゆう)ヲ。
孟子曰、可以取、可以無取、取傷廉。可以與、可以無與、與傷惠。可以死、可以無死、死傷勇。
孟子曰く、以て取るべく、以て取ること無かるべからんに、取れば廉を傷ふ。以て與ふべく、以て與ふること無かるべからんに、與ふれば惠を傷ふ。以て死すべく、以て死すること無かるべからんに、死すれば勇を傷ると。

(24)  逄蒙(はうもう)學(まな)ブ二射(しや)ヲ於羿(げい)ニ一。盡(つく)シテ二羿ノ之道(みち)ヲ一、思(おも)ヘラク、天下(てんか)ニ惟(た)ダ羿ノミ爲(な)ストレ愈(まさ)レリトレ己(おのれ)ニ。於(おい)テレ是(こゝ)ニ殺(ころ)セリレ羿ヲ。
孟子曰ク、是(こ)レ亦(また)羿モ有(あ)リレ罪(つみ)焉。公明儀(こうめいぎ)曰ク、宜(ほとん)ド若(ごと)シレ無キガレ罪焉ト。曰(い)ハン二薄(うす)キカナ乎ト一云爾(のみ)。惡(いづ)クンゾ得(え)ンレ無キヲレ罪。
鄭人(ていひと)使(し)ム二子濯孺子(したくじゆし)ヲシテ侵(をか)サ一レ衞(ゑい)ヲ。衞使(し)ム二庾公之斯(ゆこうしし)ヲシテ追(お)ハ一レ之(これ)ヲ。子濯孺子曰ク、今日(こんじつ)我(わ)ガ疾(やまひ)作(おこ)リ、不レ可(べ)カラ二以(もつ)テ執(と)ル一レ弓(ゆみ)ヲ。吾(われ)死(し)センカナ矣夫ト。問(と)ウテ二其(そ)ノ僕(ぼく)ニ一曰ク、追(お)フレ我(われ)ヲ者(もの)ハ誰(たれ)ゾヤ也ト。其ノ僕曰(いは)ク、庾公之斯ナリ也ト。曰ク、吾生(い)キタリ矣ト。其ノ僕曰ク、庾公之斯ハ、衞ノ之善(よ)ク射(い)ル者(もの)ナリ也。夫子(ふうし)ノ曰(い)フハ二吾生キタリト一、何(なん)ノ謂(い)ヒゾヤ也ト。
曰ク、庾公之斯ハ學(まな)ブ二射(しや)ヲ於尹公之他(ゐんこうした)ニ一。尹公之他ハ學(まな)ベリ二射ヲ於我(われ)ニ一。夫(か)ノ尹公之他ハ也、端(たゞ)シキ人ナリ也。其(そ)ノ取(と)ルコトレ友(とも)ヲ必(かなら)ズ端シカラン矣ト。
庾公之斯至(いた)リテ、曰(いは)ク、夫子(ふうし)何爲(なんす)レゾ不ルトレ執(と)ラレ弓(ゆみ)ヲ。曰ク、今日我(わ)ガ疾作(おこ)リ、不トレ可カラ二以テ執ル一レ弓ヲ。曰ク、小人(せうじん)ハ學(まな)ブ二射(しや)ヲ於尹公之他ニ一。尹公之他ハ學ベリ二射ヲ於夫子ニ一。我(われ)ハ不レ忍(しの)ビ下以(もつ)テ二夫子ノ之道(みち)ヲ一、反(かへ)ツテ害(がい)スルニ中夫子ヲ上。雖(いへど)モレ然(しか)リト、今日ノ之事(こと)ハ君(きみ)ノ事ナレバ也、我(われ)不ト二敢(あ)ヘテ廢(はい)セ一。抽(ぬ)キレ矢(や)ヲ、扣(たゝ)キテレ輪(わ)ヲ去(のぞ)キ二其(そ)ノ金(かね)ヲ一、發(はつ)シテ二乘矢(じようし)ヲ一而(しか)ル後(のち)ニ反(かへ)ルト。
逄蒙學射於羿。盡羿之道、思、天下惟羿爲愈己。於是殺羿。
孟子曰、是亦羿有罪焉。公明儀曰、宜若無罪焉。曰薄乎云爾。惡得無罪。
鄭人使子濯孺子侵衞。衞使庾公之斯追之。子濯孺子曰、今日我疾作、不可以執弓。吾死矣夫。問其僕曰、追我者誰也。其僕曰、庾公之斯也。曰、吾生矣。其僕曰、庾公之斯、衞之善射者也。夫子曰吾生、何謂也。
曰、庾公之斯學射於尹公之他。尹公之他學射於我。夫尹公之他也、端人也。其取友必端矣。
庾公之斯至、曰、夫子何爲不執弓。曰、今日我疾作、不可以執弓。曰、小人學射於尹公之他。尹公之他學射於夫子。我不忍以夫子之道、反害夫子。雖然、今日之事君事也、我不敢廢。抽矢、扣輪去其金、發乘矢而後反。
逄蒙射を羿に學ぶ。羿の道を盡して、思へらく、天下に惟だ羿のみ己に愈れりと爲すと。是に於て羿を殺せり。
孟子曰く、是れ亦羿も罪有り。公明儀曰く、宜ど罪無きがごとしと。薄きかなと曰はんのみ。惡くんぞ罪無きを得ん。
鄭人子濯孺子をして衞を侵さしむ。衞庾公之斯をして之を追はしむ。子濯孺子曰く、今日我が疾作り、以て弓を執るべからず。吾死せんかなと。其の僕に問うて曰く、我を追ふ者は誰ぞやと。其の僕曰く、庾公之斯なりと。曰く、吾生きたりと。其の僕曰く、庾公之斯は、衞の善く射る者なり。夫子の吾生きたりと曰ふは、何の謂ひぞやと。
曰く、庾公之斯は射を尹公之他に學ぶ。尹公之他は射を我に學べり。夫の尹公之他は、端しき人なり。其の友を取ること必ず端しからんと。
庾公之斯至りて、曰く、夫子何爲れぞ弓を執らざると。曰く、今日我が疾作り、以て弓を執るべからずと。曰く、小人は射を尹公之他に學ぶ。尹公之他は射を夫子に學べり。我は夫子の道を以て、反つて夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は君の事なれば、我敢へて廢せずと。矢を抽き、輪を扣きて其の金を去き、乘矢を發して而る後に反ると。

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(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)