言志録 (佐藤一齋) (3) 101-150/245章
 

言志録(げんしろく)

(101)  諺(ことわざ)ニ云(いは)ク、禍(わざは)ヒハ自(よ)リレ下(しも)起(お)コルト。余(われ)謂(おも)フ、是(こ)レ亡國(ばうこく)ノ之言(げん)ナリ也。不レ可カラレ使(し)ム三人主(じんしゆ)ヲシテ誤(ご)-二信(しん)セ之ヲ一。凡(およ)ソ禍ヒハ皆自(よ)リシテレ上(かみ)而起コル。雖(いへど)モ下其ノ出(い)ヅル二於下ニ一者ト上、而亦(また)必ズ有リレ所レ致(いた)ス。成湯(せいたう)ノ之誥(こう)ニ曰(いは)ク、爾(なんぢ)萬方(ばんぱう)ノ有ルハレ罪(つみ)在(あ)リト二予(われ)一人(いちにん)ニ一。爲(た)ル二人主(じんしゆ)一者ハ、當(まさ)ニシト レ監(かんが)ミル二此(こ)ノ言(げん)ニ一。
諺云、禍自下起。余謂、是亡國之言也。不可使人主誤信之。凡禍皆自上而起。雖其出於下者、而亦必有所致。成湯之誥曰、爾萬方有罪在予一人。爲人主者、當監此言。
諺に云く、禍ひは下より起こると。余謂ふ、是れ亡國の言なり。人主をして之を誤信せしむべからず。凡そ禍ひは皆上よりして起こる。其の下に出づる者と雖も、亦必ず致す所有り。成湯の誥に曰く、爾萬方の罪有るは予一人に在りと。人主たる者は、當に此の言に監みるべしと。

(102)  征(せい)止(とゞ)ムレバ二十(じふ)ガ一(いち)ニ一、則(すなは)チ井田(せいでん)ナリ也。經界(けいかい)不レバレ慢(みだ)リニセ、則チ井田ナリ也。深ク耕(たがや)シ易(をさ)メ耨(くさぎ)レバ、則チ井田ナリ也。百姓(ひやくせい)親睦(しんぼく)スレバ、則チ井田ナリ也。何(なん)ゾ必(かなら)ズシモ抅(こう)-二抅(こう)-乎(こ)トシテ方里(はうり)九區(きうく)ニ一、然(しか)ル後(のち)爲(な)サンヤ二井田ト一哉。
征止十一、則井田也。經界不慢、則井田也。深耕易耨、則井田也。百姓親睦、則井田也。何必抅抅乎方里九區、然後爲井田哉。
征十が一に止むれば、則ち井田なり。經界慢りにせざれば、則ち井田なり。深く耕し易め耨れば、則ち井田なり。百姓親睦すれば、則ち井田なり。何ぞ必ずしも方里九區に抅抅乎として、然る後井田と爲さんや。

(103)  夏后氏(かこうし)ヨリ而來(このかた)、人君(じんくん)皆傳(つた)フ二於子(こ)ニ一矣。是(こ)レ世(よゝ)ニスルナリ二其(そ)ノ禄(ろく)ヲ一也。人君既(すで)ニ自(みづか)ラ世ニシテ二其ノ禄ヲ一、而(しか)モ使ムル二人臣(じんしん)ヲシテ獨(ひと)リ不ラ一レ得(え)レ世ニスルヲ二其ノ禄ヲ一者ハ、斯(すなは)チ不ランヤ三亦(また)爲(た)ラ二自ラ私(わたくし)スルモノ一乎。故(ゆゑ)ニ世禄(せいろく)ノ之法(ほふ)ハ、天下(てんか)ノ之公(おほやけ)ナリ也。
夏后氏而來、人君皆傳於子矣。是世其禄也。人君既自世其禄、而使人臣獨不得世其禄者、斯不亦爲自私乎。故世禄之法、天下之公也。
夏后氏より而來、人君皆子に傳ふ。是れ其の禄を世にするなり。人君既に自ら其の禄を世にして、而も人臣をして獨り禄を其の世にするを得ざらしむる者は、斯ち亦自ら私するものたらざらんや。故に世禄の法は、天下の公なり。

(104)  天下ノ事物(じぶつ)ハ、有リ二理勢(りせい)ノ不ルレ得(え)レ不ルヲレ然(しか)ラ者一。學人(がくじん)或(あるい)ハ輙(すなは)チ斥(しりぞ)ケテ二人事(じんじ)ヲ一、目(もく)スルニ以テス二無用(むよう)ヲ一。殊(こと)ニ不レ知ラ、天下無ケレバ二無用ノ之物一、則チ亦(また)無シ二無用ノ之事一。其ノ斥ケテ以テ爲(な)ス二無用ト一者、安(いづ)クンゾ知ランヤ二其ノ不ルヲ一レ爲(た)ラ二大有用(だいいうよう)ノ者一乎。
若(も)シ輙チ一概(いちがい)ニ以テ二無用ヲ一目スレバレ之ヲ、則チ天ノ之生(しやう)ズル二萬物(ばんぶつ)ヲ一、一(いつ)ニ何(なんぞ)ゾ無用ナルモノノ之多(おほ)キヤ也。有リ二不ルレ中(あ)タラレ材(ざい)ニ之草木(さうもく)一、有リ二不ルレ可カラレ食ラフ之禽獸(きんじう)蟲魚(ちゆうぎよ)一。天果(はた)シテ有ツテ二何(なん)ノ用(よう)一而生(しよう)ズルレ之ヲ。殆(ほと)ンド非(あら)ズ二情量(じやうりやう)ノ所ニ一レ及(およ)ブ。易(えき)ニ曰(いは)ク、賁(かざ)ルト二其ノ須(ひげ)ヲ一。須モ亦(また)將(は)タ何ノ用ゾ。
天下事物、有理勢不得不然者。學人或輙斥人事、目以無用。殊不知、天下無無用之物、則亦無無用之事。其斥以爲無用者、安知其不爲大有用者乎。
若輙一概以無用目之、則天之生萬物、一何無用之多也。有不中材之草木、有不可食之禽獸蟲魚。天果有何用而生之。殆非情量所及。易曰、賁其須。須亦將何用。
天下の事物は、理勢の然らざるを得ざる者有り。學人或は輙ち人事を斥けて、目するに無用を以てす。殊に知らず、天下無用の物無ければ、則ち亦無用の事無し。其の斥けて以て無用と爲す者、安くんぞ其の大有用の者たらざるを知らんや。
若し輙ち一概に無用を以て之を目すれば、則ち天の萬物を生ずる、一に何ぞ無用なるものの多きや。材に中たらざる之草木有り、食らふべからざる之禽獸蟲魚有り。天果して何の用有つて之を生ずる。殆んど情量の及ぶ所に非ず。易に曰く、其の須を賁ると。須も亦將た何の用ぞ。

(105)  凡(およ)ソ年間(ねんかん)ノ人事(じんじ)萬端(ばんたん)、算(かぞ)ヘ來(きた)レバ十中(じつちゆう)ノ七(しち)ハ無用ナリ。但(た)ダ人ノ處(を)ル二平世(へいせい)ニ一、心ノ無ケレバレ所レ寄(よ)スル、則(すなは)チ閒居(かんきよ)シテ爲(な)スモ二不善(ふぜん)ヲ一亦(また)不レ少(すくな)カラ。今連(つら)ネ二貴賤(きせん)男女(だんぢよ)ヲ一、率(おほむ)ネ爲(ら)レテ二無用ニ纏綿(てんめん)驅役(くえき)セ一、以テ渉(わた)レバレ日ヲ、則チ念(ねん)ノ及(およ)ブ二不善(ふぜん)ニ一者、或(あるい)ハ少カラン矣。此(これ)モ亦其ノ用(よう)アル處(ところ)ナリ。葢(けだ)シ治安(ちあん)ノ世界ニハ不ルモレ得(え)レ不ルヲレ然(しか)ラ、亦(また)理勢(りせい)ナリ也。
凡年間人事萬端、算來十中七無用。但人處平世、心無所寄、則閒居爲不善亦不少。今連貴賤男女、率爲無用纏綿驅役、以渉日、則念及不善者、或少矣。此亦其用處。葢治安世界不得不然、亦理勢也。
凡そ年間の人事萬端、算へ來れば十中の七は無用なり。但だ人の平世に處る、心の寄する所無ければ、則ち閒居して不善を爲すも亦少からず。今貴賤男女を連ね、率ね無用に纏綿驅役せられて、以て日を渉れば、則ち念の不善に及ぶ者、或は少からん。此も亦其の用ある處なり。葢し治安の世界には然らざるを得ざるも、亦理勢なり。

(106)
欲(ほつ)セバレ知ラント二性(せい)ノ之善(ぜん)ナルヲ一、須(すべか)ラクシ 三先(ま)ヅ究(きは)ム二爲(な)スレ惡(あく)ヲ之所ヲ一レ由(よ)ル。人ノ之爲スハレ惡ヲ果(はた)シテ何(なん)ノ爲(た)メゾヤ也。非(あら)ズヤレ爲メニスルニ二耳目(じもく)・鼻口(びこう)・四肢(しし)ノ一乎。有(あ)ツテ二耳目一而(しか)ル後(のち)ニ溺(おぼ)レ二於聲色(せいしよく)ニ一、有ツテ二鼻口一而ル後ニ耽(ふけ)リ二於臭味(しうみ)ニ一、有ツテ二四肢一而ル後ニ縱(ほしいまゝ)ニス二於安逸(あんいつ)ヲ一。皆惡(あく)ノ之所ナリ二由(よ)ツテ起コル一也。
設(も)シ令(し)メバ下軀殻(くかく)ヲシテ去(さ)リ二耳目鼻口ヲ一、打(う)ツテ做(な)サ中一塊(いつくわい)ノ血肉(けつにく)ト上、則(すなは)チ此(こ)ノ人果(はた)シテ何(なん)ノ所アランヤレ爲(な)スレ惡(あく)ヲ邪。又(また)令メバ三性(せい)ヲシテ脱(だつ)セ二軀殻(くかく)ヲ一、則チ此ノ性果シテ有ルヤ二爲スレ惡ヲ之想(おも)ヒ一否(いな)ヤ。盍(なん)ゾル 二試(こゝろ)ミニ一(ひと)タビ思(おも)ハ一レ之(これ)ヲ。
欲知性之善、須先究爲惡之所由。人之爲惡果何爲也。非爲耳目・鼻口・四肢乎。有耳目而後溺於聲色、有鼻口而後耽於臭味、有四肢而後縱於安逸。皆惡之所由起也。
設令軀殻去耳目鼻口、打做一塊血肉、則此人果何所爲惡邪。又令性脱軀殻、則此性果有爲惡之想否。盍試一思之。
性の善なるを知らんと欲せば、須らく先づ惡を爲す之由る所を究むべし。人の惡を爲すは果して何の爲めぞや。耳目・鼻口・四肢の爲めにするに非ずや。耳目有つて而る後に聲色に溺れ、鼻口有つて而る後に臭味に耽り、四肢有つて而る後に安逸を縱にす。皆惡の由つて起こる所なり。
設し軀殻をして耳目鼻口を去り、打つて一塊の血肉と做さしめば、則ち此の人果して何の惡を爲す所あらんや。又性をして軀殻を脱せしめば、則ち此の性果して惡を爲す之想ひ有るや否や。盍ぞ試みに一たび之を思はざる。

(107)  性(せい)ハ稟(う)ケ二諸(これ)ヲ天ニ一、軀殻(くかく)ハ受(う)ク二諸ヲ地(ち)ニ一。天ハ純粹(じゆんすゐ)ニシテ無シレ形(かたち)。無ケレバレ形則(すなは)チ通(つう)ズ。乃(すなは)チ一(いつ)ナルノミ二於善(ぜん)ニ一而已。地ハ駁雜(ばくざつ)ニシテ有リレ形。有レバレ形則チ滯(とどこほ)ル。故(ゆゑ)ニ兼(か)ヌ二善惡(ぜんあく)ヲ一。地ハ本(も)ト能(よ)ク承(う)ケ二乎天(てん)ニ一以テ成(な)スレ功(こう)ヲ者(もの)、如(ごと)キ下起(お)コシ二風雨(ふうう)ヲ一以テ生(しやう)ズルガ中萬物(ばんぶつ)ヲ上、是(こ)レナリ也。又有リテカレ時(とき)乎風雨壞(やぶ)レバレ物ヲ、則チ兼ヌ二善惡ヲ一矣。其ノ所(ゆ)ルレ謂(い)ハ惡ナル者モ、亦非(あら)ズ二眞(しん)ニ有ルニ一レ惡、由(よ)リテレ有ルニ二過不及(くわふきふ)一而然(しか)リ。性ノ之善ト與(と)三軀殻ノ之兼ヌル二善惡ヲ一、亦如(ごと)シレ此(か)クノ。
性稟諸天、軀殻受諸地。天純粹無形。無形則通。乃一於善而已。地駁雜有形。有形則滯。故兼善惡。地本能承乎天以成功者、如起風雨以生萬物、是也。又有時乎風雨壞物、則兼善惡矣。其所謂惡者、亦非眞有惡、由有過不及而然。性之善與軀殻之兼善惡、亦如此。
性は諸を天に稟け、軀殻は諸を地に受く。天は純粹にして形無し。形無ければ則ち通ず。乃ち善に一なるのみ。地は駁雜にして形有り。形有れば則ち滯る。故に善惡を兼ぬ。地は本と能く天に承け以て功を成す者、風雨を起こし以て萬物を生ずるがごとき、是れなり。又時有りてか風雨物を壞れば、則ち善惡を兼ぬ。其の謂は所る惡なる者も、亦眞に惡有るに非ず、過不及有るによりて然り。性の善と軀殻の善惡を兼ぬると、亦此くのごとし。

(108)  性(せい)ハ雖(いへど)モレ善(ぜん)ナリト、而無ケレバ二軀殻(くかく)一、不レ能(あた)ハレ行(おこな)フコト二其ノ善ヲ一。軀殻ノ之設(まう)クル、本(も)ト趨(おもむ)キテ二心ノ之使役(しえき)ニ一以テ爲(な)スレ善ヲ者ナリ也。但(た)ダ其ノ有ルレ形者滯(とゞこほ)レバ、則チ既(すで)ニ承(う)ケテ二乎心ニ一以テ爲シレ善ヲ、又由(よ)ツテレ有ルニ二過不及(くわふきふ)一而流(なが)ル二於惡(あく)ニ一。孟子(まうし)云(いは)ク、形(かたち)ト色(いろ)トハ天性(てんせい)ナリ也。惟(た)ダ聖人(せいじん)ノミ然(しか)ル後(のち)可(べ)シト二以テ踐(ふ)ム一レ形ヲ。可シレ見ル、軀殻モ亦本(も)ト無キヲ二不善(ふぜん)一。
性雖善、而無軀殻、不能行其善。軀殻之設、本趨心之使役以爲善者也。但其有形者滯、則既承乎心以爲善、又由有過不及而流於惡。孟子云、形色天性也。惟聖人然後可以踐形。可見、軀殻亦本無不善。
性は善なりと雖も、軀殻無ければ、其の善を行ふこと能はず。軀殻の設くる、本と心の使役に趨きて以て善を爲す者なり。但だ其の形有る者滯れば、則ち既に心に承けて以て善を爲し、又過不及有るに由つて惡に流る。孟子云く、形と色とは天性なり。惟だ聖人のみ然る後以て形を踐むべしと。見るべし、軀殻も亦本と不善無きを。

(109)  人ハ不レ能(あた)ハレ無キコトレ欲(よく)。欲ハ能(よ)ク爲(な)スレ惡(あく)ヲ。天既(すで)ニ賦(あた)フルニレ人ニ、以(もつ)テシテ二性(せい)ノ之善(ぜん)ナル者ヲ一、而(しか)モ又(また)必ズ溷(にご)スニレ之ヲ、以テス二欲ノ之惡(あく)ナル者ヲ一。天何(なん)ゾ不ルレ使(し)メ二人ヲシテ初(はじ)メヨリ無(な)カラ一レ欲。欲果(はた)シテ何(なん)ノ用(よう)アリヤ也。
余(われ)謂(おも)フ、欲(よく)ナル者ハ、人身(じんしん)ノ之生氣(せいき)ニシテ、膏脂(こうし)精液(せいえき)ノ之所ナリレ蒸(あふ)ルヽ也。有ツテレ此(これ)而生(しやう)ジ、無クシテレ此而死ス。人身ノ欲氣(よくき)ハ四(よも)ニ暢(の)ビ、由(よ)ツテ二九竅(きうけう)毛孔(まうこう)ニ一而漏出(ろうしゆつ)ス。因(よ)ツテ使(し)ム三軀殻(くかく)ヲシテ熾(さかん)ナラ二其ノ願(ねが)ヒヲ一。所(ゆゑ)-三以(ん)ナリ流(なが)ルヽ二於惡(あく)ニ一也。
凡(およ)ソ生物(せいぶつ)ハ不レ能(あた)ハレ無キコトレ欲。唯(た)ダ聖人用(もち)ヰルノミ二其ノ欲ヲ於善處(ぜんしよ)ニ一耳。孟子(まうし)曰(いは)ク、可(べ)キヲレ欲(ほつ)ス之(これ)謂(い)フトレ善ト。孔子(こうし)曰ク、從(したが)フト二心ノ所ニ一レ欲(ほつ)スル。舜(しゆん)曰ク、俾(し)メヨト二予(われ)ヲシテ從ヒテレ欲スルニ以テ治(をさ)メ一。皆就(つ)キテ二善處ニ一言(い)フレ之ヲ。
人不能無欲。欲能爲惡。天既賦人、以性之善者、而又必溷之、以欲之惡者。天何不使人初無欲。欲果何用也。
余謂、欲者、人身之生氣、膏脂精液之所蒸也。有此而生、無此而死。人身欲氣四暢、由九竅毛孔而漏出。因使軀殻熾其願。所以流於惡也。
凡生物不能無欲。唯聖人用其欲於善處耳。孟子曰、可欲之謂善。孔子曰、從心所欲。舜曰、俾予從欲以治。皆就善處言之。
人は欲無きこと能はず。欲は能く惡を爲す。天既に人に賦ふるに、性の善なる者を以てして、而も又必ず之を溷すに、欲の惡なる者を以てす。天何ぞ人をして初めより欲無からしめざる。欲果して何の用ありや。
余謂ふ、欲なる者は、人身の生氣にして、膏脂精液の蒸るゝ所なり。此有つて生じ、此無くして死す。人身の欲氣は四に暢び、九竅毛孔に由つて漏出す。因つて軀殻をして其の願ひを熾ならしむ。惡に流るゝ所以なり。
凡そ生物は欲無きこと能はず。唯だ聖人其の欲を善處に用ゐるのみ。孟子曰く、欲すべきを之善と謂ふと。孔子曰く、心の欲する所に從ふと。舜曰く、予をして欲するに從ひて以て治めしめよと。皆善處に就きて之を言ふ。

(110)  人身(じんしん)ノ之生氣(せいき)ハ、乃(すなは)チ地氣(ちき)ノ之精(せい)ナリ也。故(ゆゑ)ニ生物(せいぶつ)ハ必ズ有リレ欲。地(ち)ハ兼(か)ヌ二善惡(ぜんあく)ヲ一。故ニ欲モ亦(また)有リ二善惡一。
人身之生氣、乃地氣之精也。故生物必有欲。地兼善惡。故欲亦有善惡。
人身の生氣は、乃ち地氣の精なり。故に生物は必ず欲有り。地は善惡を兼ぬ。故に欲も亦善惡有り。

(111)  草木(さうもく)ノ之有(あ)リテ二生氣(せいき)一、而日(ひゞ)ニ暢茂(ちやうも)スルモ、是(こ)レ其ノ欲(よく)ナリ也。從(したが)ヘバ二其ノ枝葉(しえふ)ノ之所ニ一レ長(ちやう)ズル、則(すなは)チ欲漏(も)ル。故(ゆゑ)ニ伐(き)レバ二其ノ枝葉ヲ一、則チ生氣反(かへ)ツテ二於根(ね)ニ一、而幹(みき)乃(すなは)チ大(だい)ナリ。如(ごと)キモレ人ノ亦(また)從ヘバ二軀殻(くかく)ノ之欲ニ一、則チ欲漏ル。欲漏ルレバ、則チ神(しん)耗(かう)シ、不レ能(あた)ハレ靈(れい)ナルコト也。故ニ窒(ふさ)ゲバ二欲ヲ於外(そと)ニ一、則チ生氣畜(たくは)ヘテ二於内(うち)ニ一、而心乃(すなは)チ靈(れい)ニ、身(み)モ亦健(すこや)カナリ矣。
草木之有生氣、而日暢茂、是其欲也。從其枝葉之所長、則欲漏。故伐其枝葉、則生氣反於根、而幹乃大。如人亦從軀殻之欲、則欲漏。欲漏、則神耗、不能靈也。故窒欲於外、則生氣畜於内、而心乃靈、身亦健矣。
草木の生氣有りて、日に暢茂するも、是れ其の欲なり。其の枝葉の長ずる所に從へば、則ち欲漏る。故に其の枝葉を伐れば、則ち生氣根に反つて、幹乃ち大なり。人のごときも亦軀殻の欲に從へば、則ち欲漏る。欲漏るれば、則ち神耗し、靈なること能はず。故に欲を外に窒げば、則ち生氣内に畜へて、心乃ち靈に、身も亦健かなり。

(112)  鍋内(くわない)ノ之湯(ゆ)、蒸(じよう)シテ成(な)ス二烟氣(えんき)ヲ一。氣(き)漏(も)ルレバ二於外(そと)ニ一、則(すなは)チ湯減(げん)ズ。以テレ蓋(ふた)ヲ塞(ふさ)ゲバレ之ヲ、則チ氣不レ能(あた)ハレ漏ルヽコト、化(くわ)シテレ露(つゆ)ト滴下(てつか)シ、湯乃(すなは)チ不レ減ゼ。人能(よ)ク窒(ふさ)ゲバレ欲ヲ、則チ心身(しん〳〵)並(なら)ビニ得(う)ルモ二其ノ養(やしな)ヒヲ一、亦(また)如(ごと)シレ此(か)クノ。
鍋内之湯、蒸成烟氣。氣漏於外、則湯減。以蓋塞之、則氣不能漏、化露滴下、湯乃不減。人能窒欲、則心身並得其養、亦如此。
鍋内の湯、蒸して烟氣を成す。氣外に漏るれば、則ち湯減ず。蓋を以て之を塞げば、則ち氣漏るゝこと能はず、露と化して滴下し、湯乃ち減ぜず。人能く欲を窒げば、則ち心身並びに其の養ひを得るも、亦此くのごとし。

(113)  近代(きんだい)賞(しやう)スルニ二孝子(かうし)ヲ一、賜(たま)ヒ二金帛(きんぱく)・粟米(ぞくべい)ヲ一以テ旌(あらは)スレ之ヲ。於(おい)テハ下風(ふう)-二勵(れい)スル頽俗(たいぞく)ヲ一之意(い)ニ上、則(すなは)チ得(え)タリ矣。但(た)ダ其ノ賞スルニレ之ヲ、當(まさ)ニキヲ レ原(もとづ)ク二諸(これ)ヲ孝子ノ之心(こゝろ)ニ一爲(な)スレ可(か)ト。孝子ノ之心ハ、愛(あい)スルレ親(おや)ヲ之外(ほか)、無シ二他念(たねん)一。其ノ身ノ之艱苦(かんく)スラ、且(か)ツ甘(あま)ンジテ受(う)クレ之ヲ。況(いは)ンヤ敢(あ)ヘテ求(もと)メンヤレ名(な)ヲ乎。故(ゆゑ)ニ金帛・粟米ノ之賜(たまもの)ハ、宜(よろ)シクシ 下厚(あつ)クシテ二於其ノ親(おや)ニ一、而薄(うす)クス中於其(そ)ノ子ニ上。
葢(けだ)シ非(あら)ズレ薄(うす)キニ二於其(そ)ノ子ニ一。所(ゆゑ)-三以(ん)ノ厚(あつ)クスル二於其ノ親ニ一者ハ、即(すなは)チ所-三以ナリ厚クスル二於其ノ子ニ一也。賞(しやう)スルレ親ヲ之辭(じ)ニ曰(いは)ク、庭訓(ていきん)有リトレ素(もとゐ)。賞スルレ子ヲ之辭ニ曰ク、能(よ)ク從(したが)フト二庭訓ニ一。如(ごと)ケレバレ此(か)クノ、則チ孝子ノ之素願(そぐわん)足(た)レリ矣。
近代賞孝子、賜金帛・粟米以旌之。於風勵頽俗之意、則得矣。但其賞之、當原諸孝子之心爲可。孝子之心、愛親之外、無他念。其身之艱苦、且甘受之。況敢求名乎。故金帛・粟米之賜、宜厚於其親、而薄於其子。
葢非薄於其子。所以厚於其親者、即所以厚於其子也。賞親之辭曰、庭訓有素。賞子之辭曰、能從庭訓。如此、則孝子之素願足矣。
近代孝子を賞するに、金帛・粟米を賜ひ以て之を旌す。頽俗を風勵する之意に於ては、則ち得たり。但だ其の之を賞するに、當に諸を孝子の心に原くべきを可と爲す。孝子の心は、親を愛する之外、他念無し。其の身の艱苦すら、且つ甘んじて之を受く。況んや敢へて名を求めんや。故に金帛・粟米の賜は、宜しく其の親に厚くして、其の子に薄くすべし。
葢し其の子に薄きに非ず。其の親に厚くする所以の者は、即ち其の子に厚くする所以なり。親を賞する之辭に曰く、庭訓素有りと。子を賞する之辭に曰く、能く庭訓に從ふと。此くのごとければ、則ち孝子の素願足れり。

(114)  孝名(かうめい)ノ之著(あら)ハルヽハ、必ズ由(よ)レバナリ二於貧窶(ひんく)・艱難(かんなん)・疾病(しつぺい)・變故(へんこ)ニ一。則(すなは)チ凡(およ)ソ有ル二孝名一者ハ、率(おほむ)ネ不幸(ふかう)ナル人ナリ也。今若(も)シ徒(いたづ)ラニ厚(あつ)ク賜(たま)ウテ二於孝子(かうし)ニ一、而(しか)モ不レバレ及(およ)バ二於親(おや)ニ一、則チ於(おい)テ下爲(た)ル二孝子一者ニ上、幾(ちか)シ下乎資(し)トシテ二其ノ家ノ之不幸ヲ一以テ博(と)リレ賞(しやう)ヲ徼(もと)ムルニ上レ名ヲ也。其(そ)ノ心恐(おそ)ラクハ有ランレ所レ不ルレ安(やす)カラ。且(か)ツ凡ソ稱(しよう)スルハ二人ノ之善(ぜん)ヲ一、當(まさ)ニシ 三必ズ本(もと)ヅク二其ノ父兄(ふけい)ニ一。如(ごと)ケレバレ此(か)クノ、則チ不シテ三獨(ひと)リ勸(すゝ)ムルノミナラ二其ノ孝弟(かうてい)ヲ一、而并(あは)セテ以テ勸ム二其ノ慈友(じいう)ヲ一。可(べ)シレ謂(い)フ三一擧(いつきよ)シテ而兩(りやう)-二得(とく)スト之ヲ一。
孝名之著、必由於貧窶・艱難・疾病・變故。則凡有孝名者、率不幸人也。今若徒厚賜於孝子、而不及於親、則於爲孝子者、幾乎資其家之不幸以博賞徼名也。其心恐有所不安。且凡稱人之善、當必本其父兄。如此、則不獨勸其孝弟、而并以勸其慈友。可謂一擧而兩得之。
孝名の著はるゝは、必ず貧窶・艱難・疾病・變故に由ればなり。則ち凡そ孝名有る者は、率ね不幸なる人なり。今若し徒らに厚く孝子に賜うて、而も親に及ばざれば、則ち孝子たる者に於て、其の家の不幸を資として以て賞を博り名を徼むるに幾し。其の心恐らくは安からざる所有らん。且つ凡そ人の善を稱するは、當に必ず其の父兄に本づくべし。此くのごとければ、則ち獨り其の孝弟を勸むるのみならずして、并せて以て其の慈友を勸む。一擧して之を兩得すと謂ふべし。

(115)  古今(ここん)以テレ舜(しゆん)ヲ爲(な)ス二大孝(たいかう)ノ人ト一。舜ハ固(もと)ヨリ大孝ナリ矣。然(しか)レドモ余(われ)ハ爲(た)メニレ舜ノ不レ願(ねが)ハレ稱(しよう)スルヲ二此(こ)ノ名ヲ一。舜ハ果(はた)シテ爲(た)リシカ二孝子一歟。聞(き)クニ三其ノ有ルヲ二此ノ名一、必ズ將(まさ)ニ四竦然(しようぜん)トシテ惴懼(ずゐく)シ、不ラント三翅(た)ダニ膚(ふ)-二受(じゆ)スルノミナラ砭刺(へんし)ヲ一。
葢(けだ)シ舜ノ之孝名(かうめい)ハ、由(よ)ツテ二瞽瞍(こそう)ノ之不慈(ふじ)ニ一而顯(あら)ハル。使(し)メバ三瞽瞍ヲシテ爲(た)ラ二慈父(じふ)一、則(すなは)チ舜ノ之孝(かう)モ亦泯然(びんぜん)トシテ無カランレ迹(あと)。此(こ)レ固(もと)ヨリ其ノ所ナリレ願(ねが)フ也。乃(すなは)チ不ルガレ得(え)レ然(しか)ルヲ故(ゆゑ)ニ、舜ハ只(た)ダ憂苦(いうく)百端(ひやくたん)シテ、負(お)ヒレ罪ヲ引(ひ)キレ慝(よこしま)ヲ、爲(た)メニレ父ノ隱(かく)サントシテレ之ヲ思フ、己(おのれ)寧(むし)ロ得(う)ルモ二不孝(ふかう)ノ之謗(そし)リヲ一、而(しか)モ不(じ)トレ使(し)メ二親ノ之不慈ヲ暴白(ばうはく)セ一。
然(しか)リ而(しかう)シテ天下後世(こうせい)ノ論(ろん)已(すで)ニ定(さだ)マリ、推(お)シテレ舜ヲ以テ爲(な)シテ二古今(ここん)第一等(だいいつとう)ノ孝子(かうし)ト一、而目(もく)シテ二瞽瞍ヲ一以テ爲ス二古今第一等ノ不慈ト一。夫(そ)レ舜ノ之孝名不レバレ可カラ二磨滅(まめつ)ス一、則チ瞽瞍ノ之不慈モ亦(また)不レ可カラ二磨滅ス一。使(し)メバ二舜ヲシテ知ラ一レ之ヲ、必ズ有ラン下不ルレ勝(た)ヘ二痛苦(つうく)ニ一者上。故(ゆゑ)ニ曰(いは)ク、爲メニレ舜ノ不トレ願ハレ稱スルヲ二此ノ名ヲ一。
古今以舜爲大孝人。舜固大孝矣。然余爲舜不願稱此名。舜果爲孝子歟。聞其有此名、必將竦然惴懼、不翅膚受砭刺。
葢舜之孝名、由瞽瞍之不慈而顯。使瞽瞍爲慈父、則舜之孝亦泯然無迹。此固其所願也。乃不得然故、舜只憂苦百端、負罪引慝、爲父隱之思、己寧得不孝之謗、而不使親之不慈暴白。
然而天下後世論已定、推舜以爲古今第一等孝子、而目瞽瞍以爲古今第一等不慈。夫舜之孝名不可磨滅、則瞽瞍之不慈亦不可磨滅。使舜知之、必有不勝痛苦者。故曰、爲舜不願稱此名。
古今舜を以て大孝の人と爲す。舜は固より大孝なり。然れども余は舜の爲めに此の名を稱するを願はず。舜は果して孝子たりしか。其の此の名有るを聞くに、必ず將に竦然として惴懼し、翅だに砭刺を膚受するのみならざらんとす。
葢し舜の孝名は、瞽瞍の不慈に由つて顯はる。瞽瞍をして慈父たらしめば、則ち舜の孝も亦泯然として迹無からん。此れ固より其の願ふ所なり。乃ち然るを得ざるが故に、舜は只だ憂苦百端して、罪を負ひ慝を引き、父の爲めに之を隱さんとして思ふ、己寧ろ不孝の謗りを得るも、而も親の不慈を暴白せしめじと。
然り而して天下後世の論已に定まり、舜を推して以て古今第一等の孝子と爲して、瞽瞍を目して以て古今第一等の不慈と爲す。夫れ舜の孝名磨滅すべからざれば、則ち瞽瞍の不慈も亦磨滅すべからず。舜をして之を知らしめば、必ず痛苦に勝へざる者有らん。故に曰く、舜の爲めに此の名を稱するを願はずと。

(116)  上古(じやうこ)ノ之時(とき)、無ク二人君(じんくん)一、無シ二百官(ひやつくわん)有司(いうし)一。人各〻(おの〳〵)食(は)ミ二其ノ力(ちから)ニ一以テ爲(な)スレ生(せい)ヲ。殆(ほと)ンド與(と)二禽獸(きんじう)一等(ひと)シキノミ耳。當(あた)リ二是(こ)ノ之時ニ一、強(つよ)キハ陵(しの)ギレ弱(よわ)キヲ、衆(おほ)キハ暴(そこな)ヒレ寡(すくな)キヲ、有リ下不ルレ得(え)レ遂(と)グルヲ二其ノ生ヲ一者上。其ノ間(かん)有レバ下才德(さいとく)ノ出(い)ヅル二於衆(しゆう)ニ一者上、則チ人心(こゝろ)トシテ有リ下來(き)タリ控(うつた)フルニ以テシレ情(じやう)ヲ、請(こ)フ二宰斷(さいだん)ヲ一者上。於(おい)テレ是(こゝ)ニ徃(ゆ)キテ而爲(た)メニ理(り)-二解(かい)ス之ヲ一。強キ者・衆キ者、屈(くつ)シテ二於其(そ)ノ直(ちよく)ニ一、而服(ふく)シ二於其ノ義(ぎ)ニ一、不二敢(あ)ヘテ復(ま)タ陵暴(れうぼ)セ一、弱キ者・寡キ者、因(よ)ツテ以テ得(え)タリレ遂グルヲ二其ノ生ヲ一。
如(ごと)キレ此(か)クノ者漸(やうや)ク多ク、遂(つひ)ニ至(いた)ル二於群然(ぐんぜん)トシテ來リ控フルニ一。不レ能(あた)ハ三自(みづか)ラ食(は)ム二其ノ力ニ一、勢(いきほ)ヒ不レ得(え)レ不ルヲ三距(きよ)-二絶(ぜつ)セ之ヲ一。於(おい)テレ是(こゝ)ニ衆(しゆう)必ズ相(あひ)議(ぎ)シテ曰(いは)ク、微(な)カリセバ二是(こ)ノ人一、患(うれ)ヘ復(ま)タ作(お)コラン。盍(なん)ゾル 丁各〻(おの〳〵)出(い)ダシテ二衣食(いしよく)ヲ一以テ給(きふ)シレ之ニ、使(し)メ丙是(こ)ノ人ヲシテ無カラ乙復(ま)タ食ムレ力ニ之勞(らう)甲。則(すなは)チ必ズ能(よ)ク爲(た)メニレ我(わ)ガ肯(がへん)ゼント二專(もつぱ)ラ任(にん)ズルヲ一レ之ニ。衆議(しゆうぎ)乃(すなは)チ諧(とゝの)ヒ、以(もつ)テレ是(こ)レヲ再(ふたゝ)ビ請(こ)フ。才德(さいとく)アル者、果(はた)シテ諾(だく)スレ之ヲ。是(こ)レ則(すなは)チ君長(くんちやう)ノ之始(はじ)メニシテ、而(しか)シテ貢賦(こうふ)ノ之所ナリ二由(よ)ツテ起コル一也。
如(ごと)キレ是(か)クノ者(もの)、彼此(ひし)有リレ之(これ)、其ノ間(かん)又有ラバ下才德ノ大(おほい)ニ卓(たく)-二越(ゑつ)スル乎衆(しゆう)ニ一者上、次(つぎ)ナル者モ亦皆來(きた)ツテ聽(き)ケリレ命(めい)ヲ焉。推(お)シテ而上(あ)ゲレ之ヲ、以テ二第一等(だいいつとう)ノ才德ノ者ヲ一置ク二諸(これ)ヲ第一等ノ地位(ちゐ)ニ一。乃(すなは)チ億兆(おくてう)ノ之君師(くんし)ハ是(こ)レナリ也。孟子(まうし)ノ所(ゆ)ルレ謂(い)ハ得(え)テ二乎邱民(きうみん)ニ一、而爲(な)ルノ二天子(てんし)ト一意(い)モ、亦與(と)レ此(これ)類(るゐ)ス。
上古之時、無人君、無百官有司。人各食其力以爲生。殆與禽獸等耳。當是之時、強陵弱、衆暴寡、有不得遂其生者。其間有才德出於衆者、則人心有來控以情、請宰斷者。於是徃而爲理解之。強者・衆者、屈於其直、而服於其義、不敢復陵暴、弱者・寡者、因以得遂其生。
如此者漸多、遂至於群然來控。不能自食其力、勢不得不距絶之。於是衆必相議曰、微是人、患復作。盍各出衣食以給之、使是人無復食力之勞。則必能爲我肯專任之。衆議乃諧、以是再請。才德者、果諾之。是則君長之始、而貢賦之所由起也。
如是者、彼此有之、其間又有才德大卓越乎衆者、次者亦皆來聽命焉。推而上之、以第一等才德者置諸第一等地位。乃億兆之君師是也。孟子所謂得乎邱民、而爲天子意、亦與此類。
上古の時、人君無く、百官有司無し。人各〻其の力に食み以て生を爲す。殆んど禽獸と等しきのみ。是の時に當り、強きは弱きを陵ぎ、衆きは寡きを暴ひ、其の生を遂ぐるを得ざる者有り。其の間才德の衆に出づる者有れば、則ち人心として來たり控ふるに情を以てし、宰斷を請ふ者有り。是に於て徃きて爲めに之を理解す。強き者・衆き者、其の直に屈して、其の義に服し、敢へて復た陵暴せず、弱き者・寡き者、因つて以て其の生を遂ぐるを得たり。
此くのごとき者漸く多く、遂に群然として來り控ふるに至る。自ら其の力に食む能はず、勢ひ之を距絶せざるを得ず。是に於て衆必ず相議して曰く、是の人微かりせば、患へ復た作こらん。盍ぞ各〻衣食を出だして以て之に給し、是の人をして復た力に食む之勞無からしめざる。則ち必ず能く我が爲めに專ら之に任ずるを肯ぜんと。衆議乃ち諧ひ、是れを以て再び請ふ。才德ある者、果して之を諾す。是れ則ち君長の始めにして、而して貢賦の由つて起こる所なり。
是くのごとき者、彼此之有り、其の間又才德の大に衆に卓越する者有らば、次なる者も亦皆來つて命を聽けり。推して之を上げ、第一等の才德の者を以て諸を第一等の地位に置く。乃ち億兆の君師は是れなり。孟子の謂はゆる邱民に得て、天子と爲るの意も、亦此と類す。

(117)  欲(ほつ)スルハレ爲(た)ラント二世間(せけん)第一等ノ人物一、其ノ志(こゝろざし)不レ小(せう)ナラ矣。余(われ)ハ則(すなは)チ以テ爲(な)ス二猶(な)ホ小ナリト一也。世間ニ生民(せいみん)雖(いへど)モレ衆(おほ)シト、而(しか)モ數(すう)有リレ限(かぎ)リ。茲(こ)ノ事恐ラクハ非(あら)ズレ難(がた)キニレ濟(な)シ。如(ごと)キハ二前古(ぜんこ)已(すで)ニ死(し)スル之人ノ一、則チ幾(いく)-二萬(まん)-倍(ばい)セン於今(いま)ニ一。其ノ中(うち)聖人(せいじん)・賢人(けんじん)・英雄(えいゆう)・豪傑(がうけつ)、不レ可カラ二勝(あ)ゲテ數(かぞ)フ一。我今日(こんにち)未(いま)ダレバ レ死セ、則チ似(ごと)キモ二稍〻(やゝ)出頭(しゆつとう)ノ人ノ一、而明日(めいじつ)即(すなは)チ死セバ、輙(すなは)チ忽(たちま)チ入(い)ラン二於古人(こじん)ノ籙中(ろくちゆう)ニ一。於(おい)テレ是(こゝ)ニ以(もつ)テ二我ガ所ヲ一レ爲(な)シタル、校(くら)ブレバ二諸(これ)ヲ古人ニ一、無カラン二足(た)ルレ比(くら)ブルニレ數(すう)ヲ者一。是(こ)レ則(すなは)チ可シレ愧(は)ヅ矣。故(ゆゑ)ニ有ルレ志者、要(えう)スルニ當(まさ)ニシ 下以テ二古今第一等ノ人物ヲ一自(みづか)ラ期(ご)ス上焉。
欲爲世間第一等人物、其志不小矣。余則以爲猶小也。世間生民雖衆、而數有限。茲事恐非難濟。如前古已死之人、則幾萬倍於今。其中聖人・賢人・英雄・豪傑、不可勝數。我今日未死、則似稍出頭人、而明日即死、輙忽入於古人籙中。於是以我所爲、校諸古人、無足比數者。是則可愧矣。故有志者、要當以古今第一等人物自期焉。
世間第一等の人物たらんと欲するは、其の志小ならず。余は則ち以て猶ほ小なりと爲す。世間に生民衆しと雖も、而も數限り有り。茲の事恐らくは濟し難きに非ず。前古已に死する之人のごときは、則ち今に幾萬倍せん。其の中聖人・賢人・英雄・豪傑、勝げて數ふべからず。我今日未だ死せざれば、則ち稍〻出頭の人の似きも、明日即ち死せば、輙ち忽ち古人の籙中に入らん。是に於て我が爲したる所を以て、諸を古人に校ぶれば、數を比ぶるに足る者無からん。是れ則ち愧づべし。故に志有る者、要するに當に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。

(118)  士(し)ハ當(まさ)ニシ レ恃(たの)ム二在(あ)ルレ己(おのれ)ニ者ヲ一。動天(どうてん)驚地(きやうち)ノ極大(きよくだい)事業モ、亦(また)都(すべ)テ自(よ)リ二一(いつ)ノ己(おのれ)一締造(ていざう)ス。
士當恃在己者。動天驚地極大事業、亦都自一己締造。
士は當に己に在る者を恃むべし。動天驚地の極大事業も、亦都て一の己より締造す。

(119)  喪(うしな)ヘバレ己(おのれ)ヲ、斯(すなは)チ喪フレ人ヲ。喪ヘバレ人ヲ、斯チ喪フレ物ヲ。
喪己、斯喪人。喪人、斯喪物。
己を喪へば、斯ち人を喪ふ。人を喪へば、斯ち物を喪ふ。

(120)  士(し)ハ貴(たつと)ブ二於獨立(どくりつ)自信(じしん)ヲ一矣。依(よ)リレ熱ニ附(つ)クレ炎(ほのほ)ニ之念(ねん)、不レ可カラレ起コス。
士貴於獨立自信矣。依熱附炎之念、不可起。
士は獨立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附く之念、起こすべからず。

(121)  有リ二本然(ほんぜん)ノ之眞己(しんこ)一、有リ二軀殻(くかく)ノ之假己(かこ)一。須(すべか)ラクシ レ要(えう)ス二自(みづか)ラ認(みと)メ得(う)ルヲ一。
有本然之眞己、有軀殻之假己。須要自認得。
本然の眞己有り、軀殻の假己有り。須らく自ら認め得るを要すべし。

(122)  人方(あ)タリ二少壯(せうそう)ノ時ニ一、不レ知ラ二惜陰(せきいん)ヲ一。雖(いへど)モレ知ルト不レ至(いた)ラ二太ダ惜(を)シムニ一。過(す)ギテ二四十(しじふ)ヲ一已後(ゐご)、始(はじ)メテ知ル二惜陰ヲ一。既(すで)ニ知ル之時、精力(せいりよく)漸(やうや)ク耗(こう)ス。故(ゆゑ)ニ人ノ爲(な)スニレ學ビヲ、須(すべか)ラクシ レ要(えう)ス二及(およ)ンデレ時ニ立志(りつし)勉勵(べんれい)スルヲ一。不(しから)ザレバ則(すなは)チ百悔(ひやくくわい)スルモ亦(また)竟(つひ)ニ無シレ益(えき)。
人方少壯時、不知惜陰。雖知不至太惜。過四十已後、始知惜陰。既知之時、精力漸耗。故人爲學、須要及時立志勉勵。不則百悔亦竟無益。
人少壯の時に方たり、惜陰を知らず。知ると雖も太だ惜しむに至らず。四十を過ぎて已後、始めて惜陰を知る。既に知る之時、精力漸く耗す。故に人の學びを爲すに、須らく時に及んで立志勉勵するを要すべし。不ざれば則ち百悔するも亦竟に益無し。

(123)  雲烟(うんえん)ハ聚(あつ)マリ二於不ルニレ得(え)レ已(や)ムヲ一、風雨(ふうう)ハ洩(も)レ二於不ルニレ得レ已ムヲ一、雷霆(らいてい)ハ震(ふる)フ二於不ルニレ得レ已ムヲ一。斯(すなは)チ可(べ)シ三以テ觀(み)ル二至誠(しせい)ノ之作用(さよう)ヲ一。
雲烟聚於不得已、風雨洩於不得已、雷霆震於不得已。斯可以觀至誠之作用。
雲烟は已むを得ざるに聚まり、風雨は已むを得ざるに洩れ、雷霆は已むを得ざるに震ふ。斯ち以て至誠の作用を觀るべし。

(124)  動(うご)ケバ二於不ルレ可カラレ已(や)ム之勢(いきほ)ヒニ一、則(すなは)チ動ケドモ而不レ括(ふさ)ガラ。履(ふ)メバ二於不ルレ可カラレ枉(ま)グ之途(みち)ヲ一、則チ履メドモ而不レ危(あやふ)カラ。
動於不可已之勢、則動而不括。履於不可枉之途、則履而不危。
已むべからざる之勢ひに動けば、則ち動けども括がらず。枉ぐべからざる之途を履めば、則ち履めども危からず。

(125)  周官(しうくわん)ニ有リ二食醫(しよくい)一、掌(つかさど)ル二飲食(いんしよく)ヲ一。飲食ハ須ラクキノミ 三視(なぞら)ヘテ爲(な)ス二常用(じやうよう)ノ藥餌(やくじ)ト一耳。食(し)ハ不レ厭(いと)ハレ精(せい)ナルヲ、膾(くわい)ハ不トハレ厭ハレ細(ほそ)キヲ、即(すなは)チ是(こ)レ製法(せいほふ)謹嚴(きんげん)ノ意思(いし)ナリ。食饐(す)エテ而餲(くさ)リ、魚(うを)鯘(あざ)レテ而肉敗(くさ)リタルヲ不レ食(く)ラハ、色ノ惡(あ)シキヲ不レ食ラハ、臭(にほ)ヒノ惡シキヲ不トハレ食ラハ、即チ是レ藥品(やくひん)精良(せいりやう)ノ意思ナリ。肉雖(いへど)モレ多(おほ)シト不レ使(し)メレ勝(まさ)ラ二食氣(しき)ニ一、即チ是レ君臣佐使(くんしんさし)分量(ぶんりやう)ノ意思ナリ。
周官有食醫、掌飲食。飲食須視爲常用藥餌耳。食不厭精、膾不厭細、即是製法謹嚴意思。食饐而餲、魚鯘而肉敗不食、色惡不食、臭惡不食、即是藥品精良意思。肉雖多不使勝食氣、即是君臣佐使分量意思。
周官に食醫有り、飲食を掌る。飲食は須らく視へて常用の藥餌と爲すべきのみ。食は精なるを厭はず、膾は細きを厭はずとは、即ち是れ製法謹嚴の意思なり。食饐えて餲り、魚鯘れて肉敗りたるを食らはず、色の惡しきを食らはず、臭ひの惡しきを食らはずとは、即ち是れ藥品精良の意思なり。肉多しと雖も食氣に勝らしめず、即ち是れ君臣佐使分量の意思なり。

(126)  聖人(せいじん)ハ如(ごと)ク二強健(きやうけん)ニシテ無(な)キレ病(やまひ)人ノ一、賢人(けんじん)ハ如ク二攝生(せつせい)シテ愼(つゝし)ムレ病ヲ人ノ一、常人(じやうじん)ハ如シ二虚羸(きよるゐ)ニシテ多(おほ)キレ病人ノ一。
聖人如強健無病人、賢人如攝生愼病人、常人如虚羸多病人。
聖人は強健にして病無き人のごとく、賢人は攝生して病を愼む人のごとく、常人は虚羸にして病多き人のごとし。

(127)  身(み)恒(つね)ニ病(や)ム者ハ、不レ覺(おぼ)エ二其ノ痛(いた)ミヲ一。心(こゝろ)恒ニ病ム者モ、亦(また)不レ覺エ二其ノ痛ミヲ一。
身恒病者、不覺其痛。心恒病者、亦不覺其痛。
身恒に病む者は、其の痛みを覺えず。心恒に病む者も、亦其の痛みを覺えず。

(128)  需(じゆ)ハ、雨天(うてん)ナリ也。待(ま)テバ則(すなは)チ霽(は)ル。不レバレ待タ則チ沾濡(てんじゆ)ス。〔需ハ、古文(こぶん)作(つく)ルレ〓〝雨/天〟ニ。丙子(へいし)正月(しやうぐわつ)録(ろく)ス。〕
需、雨天也。待則霽。不待則沾濡。〔需、古文作〓{雨/天}。丙子正月録。〕
需は、雨天なり。待てば則ち霽る。待たざれば則ち沾濡す。〔需は、古文〓に作る。丙子正月録す。〕 (1)〓{雨/天}

(129)  急迫(きふはく)スレバ敗(やぶ)ルレ事(こと)ヲ。寧耐(ねいたい)スレバ成(な)スレ事ヲ。
急迫敗事。寧耐成事。
急迫すれば事を敗る。寧耐すれば事を成す。

(130)  茫茫(ばう〳〵)タル宇宙(うちう)ニ、此(こ)ノ道(みち)只(た)ダ是(これ)レ一貫(いつくわん)ス。從(よ)リレ人視(み)レバレ之ヲ、有リ二中國(ちゆうごく)一、有リ二夷狄(いてき)一。從リレ天視レバレ之ヲ、無ク二中國一、無シ二夷狄一。中國ニ有レバ二秉彝(へいい)ノ之性(せい)一、夷狄モ亦(また)有リ二秉彝ノ之性一。中國ニ有レバ二惻隱(そくいん)・羞惡(しうお)・辭讓(じじやう)・是非(ぜひ)ノ之情(こゝろ)一、夷狄モ亦有リ二惻隱・羞惡・辭讓・是非ノ之情一。中國ニ有レバ二父子(ふし)・君臣(くんしん)・夫婦(ふうふ)・長幼(ちやうえう)・朋友(ほういう)ノ之倫(りん)一、夷狄モ亦有リ二父子・君臣・夫婦・長幼・朋友ノ之倫一。天寧(いづ)クンゾ有(たも)タンヤ二厚薄(こうはく)・愛憎(あいぞう)ヲ於其ノ間(かん)ニ一。所(ゆゑ)-二以(ん)ナリ此ノ道只ダ是レ一貫スル一。
但(た)ダ漢土(かんど)古(いにしへ)ノ聖人(せいじん)ノ、發(はつ)-二揮(き)スル此(こ)ノ道ヲ一者、獨(ひと)リ先(さき)ンジ、又(また)獨リ精(せい)ナリ。故(ゆゑ)ニ其ノ言語(げんぎよ)・文字(もんじ)、足(た)ル三以テ興(こう)-二起(き)スルニ人心(じんしん)ヲ一。而(しか)レドモ其ノ實(じつ)ハ則(すなは)チ道ハ在(あ)リテ二於人心ニ一、非(あら)ズ三言語・文字ノ之所ニ二能(よ)ク盡(つく)ス一。若(も)シ謂(い)ハヾ三道ハ獨リ在リト二於漢土ノ文字ニ一、則チ試(こゝろ)ミニ思ヘレ之(これ)ヲ。六合(りくがふ)ノ内(うち)ニ、同文(どうぶん)ノ之域(ゐき)、凡(およ)ソ有(いう)スルレ幾(いくば)クヲ。而(しか)モ猶(な)ホ有リ二治亂(ちらん)一。其ノ餘(よ)横文(わうぶん)ノ之俗(ぞく)モ、亦(また)能(よ)ク性(せい)トシ二其ノ性ヲ一、無クレ所レ不ルレ足(た)ラ、倫(りん)トシ二其ノ倫ヲ一、無キヲレ所レ不ルレ具(ぐ)セ。以テ養(やしな)ヒ二其ノ生(せい)ヲ一、以テ送(おく)ル二其ノ死ヲ一。然(しか)ラバ則(すなは)チ道豈(あ)ニ獨リ在ルノミナランヤ二於漢土ノ文字(もんじ)ニ一已乎。天果(はた)シテ有リト二厚薄(こうはく)愛憎(あいぞう)ノ之殊(こと)ナル一云(い)ハンヤ乎。
茫茫宇宙、此道只是一貫。從人視之、有中國、有夷狄。從天視之、無中國、無夷狄。中國有秉彝之性、夷狄亦有秉彝之性。中國有惻隱・羞惡・辭讓・是非之情、夷狄亦有惻隱・羞惡・辭讓・是非之情。中國有父子・君臣・夫婦・長幼・朋友之倫、夷狄亦有父子・君臣・夫婦・長幼・朋友之倫。天寧有厚薄・愛憎於其間。所以此道只是一貫。
但漢土古聖人、發揮此道者、獨先、又獨精。故其言語・文字、足以興起人心。而其實則道在於人心、非言語・文字之所能盡。若謂道獨在於漢土文字、則試思之。六合内、同文之域、凡有幾。而猶有治亂。其餘横文之俗、亦能性其性、無所不足、倫其倫、無所不具。以養其生、以送其死。然則道豈獨在於漢土文字已乎。天果有厚薄愛憎之殊云乎。
茫茫たる宇宙に、此の道只だ是れ一貫す。人より之を視れば、中國有り、夷狄有り。天より之を視れば、中國無く、夷狄無し。中國に秉彝の性有れば、夷狄も亦秉彝の性有り。中國に惻隱・羞惡・辭讓・是非の情有れば、夷狄も亦惻隱・羞惡・辭讓・是非の情有り。中國に父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫有れば、夷狄も亦父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫有り。天寧くんぞ厚薄・愛憎を其の間に有たんや。此の道只だ是れ一貫する所以なり。
但だ漢土古の聖人の、此の道を發揮する者、獨り先んじ、又獨り精なり。故に其の言語・文字、以て人心を興起するに足る。而れども其の實は則ち道は人心に在りて、言語・文字の能く盡す所に非ず。若し道は獨り漢土の文字に在りと謂はゞ、則ち試みに之を思へ。六合の内に、同文の域、凡そ幾くを有する。而も猶ほ治亂有り。其の餘横文の俗も、亦能く其の性を性とし、足らざる所無く、其の倫を倫とし、具せざる所無きを。以て其の生を養ひ、以て其の死を送る。然らば則ち道豈に獨り漢土の文字に在るのみならんや。天果して厚薄愛憎の殊なる有りと云はんや。

(131)  聖人(せいじん)ハ安(やす)ンズレ死(し)ニ。賢人(けんじん)ハ分(ぶん)トスレ死ヲ。常人(じやうじん)ハ畏(おそ)ルレ死ヲ。
聖人安死。賢人分死。常人畏死。
聖人は死に安んず。賢人は死を分とす。常人は死を畏る。

(132)  賢者(けんじや)ハ臨(のぞ)ミレ歾(ぼつ)スルニ、見二理(り)ノ當(まさ)ニキヲ 一レ然(しか)ル、以テ爲(な)スレ分(ぶん)ト。恥(は)ヂテレ畏(おそ)ルヽヲレ死ヲ而希(こひねが)フレ安(やす)ンズルヲレ死ニ。故(ゆゑ)ニ神氣(しんき)不レ亂(みだ)レ、又有リ二遺訓(ゐくん)一、足(た)ル二以テ聳(そび)ヤカスニ一レ聽(ちやう)ヲ。而(しか)レドモ其(そ)ノ不ルモレ及(およ)バ二聖人ニ一、亦(また)在(あ)リ二於此(こゝ)ニ一。聖人平生(へいぜい)ノ言動(げんどう)ハ、無シ二一(いつ)トシテ非(あら)ザル一レ訓(をし)ヘニ。而(しか)レドモ臨ミレ歾スルニ未(いま)ダ三必(かなら)ズシモ爲サ二遺訓ヲ一。視(み)ルコト二死生(しせい)ヲ一、眞(まこと)ニ如(ごと)ク二晝夜(ちうや)ノ一、無ケレバナリレ所レ着(つ)クルレ念(ねん)ヲ。
賢者臨歾、見理當然、以爲分。恥畏死而希安死。故神氣不亂、又有遺訓、足以聳聽。而其不及聖人、亦在於此。聖人平生言動、無一非訓。而臨歾未必爲遺訓。視死生、眞如晝夜、無所着念。
賢者は歾するに臨み、理の當に然るべきを見、以て分と爲す。死を畏るゝを恥ぢて死に安んずるを希ふ。故に神氣亂れず、又遺訓有り、以て聽を聳やかすに足る。而れども其の聖人に及ばざるも、亦此に在り。聖人平生の言動は、一として訓へに非ざる無し。而れども歾するに臨み未だ必ずしも遺訓を爲さず。死生を視ること、眞に晝夜のごとく、念を着くる所無ければなり。

(133)  堯(げう)・舜(しゆん)・文王(ぶんわう)、其ノ所ノレ遺(のこ)ス典謨(てんぼ)・訓誥(くんこう)ハ、皆可(べ)シ三以テ爲(な)ス二萬世(ばんせい)ノ法(ほふ)ト一。何(なん)ノ遺命(ゐめい)カ如(し)カンレ之(これ)ニ。至(いた)ツテハ二於成王(せいわう)ノ顧命(こめい)・曾子(そうし)ノ善言(ぜんげん)ニ一、賢人分上(ぶんじやう)、自(おの)ヅカラ當(まさ)ニキノミ レ如(ごと)クナルレ此(か)クノ已。因(よ)ツテ疑(うたが)フ、孔子(こうし)ノ泰山(たいざん)ノ之歌(うた)ハ、後人(こうじん)假托(かたく)シテ爲(な)スカトレ之ヲ。檀弓(だんぐう)ノ叵(がた)キハレ信(しん)ジ、多シ二此ノ類(たぐひ)一。欲(ほつ)シテレ尊(たつと)バント二聖人ヲ一、而却(かへ)ツテ爲(な)ス二之(これ)ガ累(るゐ)ヲ一。
堯・舜・文王、其所遺典謨・訓誥、皆可以爲萬世法。何遺命如之。至於成王顧命・曾子善言、賢人分上、自當如此已。因疑、孔子泰山之歌、後人假托爲之。檀弓叵信、多此類。欲尊聖人、而却爲之累。
堯・舜・文王、其の遺す所の典謨・訓誥は、皆以て萬世の法と爲すべし。何の遺命か之に如かん。成王の顧命・曾子の善言に至つては、賢人分上、自づから當に此くのごとくなるべきのみ。因つて疑ふ、孔子の泰山の歌は、後人假托して之を爲すかと。檀弓の信じ叵きは、此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、却つて之が累を爲す。

(134)  常人(じやうじん)ハ平素(へいそ)無(な)クシテ二一善(いちぜん)ノ可(べ)キ一レ稱(しよう)ス、而偶〻(たま〳〵)有レドモ下及(およ)ビ二病(やまひ)篤(あつ)キニ一、自(みづか)ラ知リレ不ルヲレ起(た)タ、遺囑(ゐしよく)不レ亂(みだ)レ、如(ごと)キ二賢者(けんじや)ノ之爲(な)スガ一者上、此(これ)ハ則(すなは)チ臨(のぞ)ムレ死ニ一節(いつせつ)似(に)タリレ可キニレ取(と)ル。然(しか)レドモ一種(いつしゆ)死病(しびやう)ノ証候(しようこう)、或(あるい)ハ有リレ致(いた)スコトレ然(しか)ルヲ。是(こ)レ亦(また)不レ可カラレ不ルレ知ラ。
常人平素無一善可稱、而偶有及病篤、自知不起、遺囑不亂、如賢者之爲者、此則臨死一節似可取。然一種死病証候、或有致然。是亦不可不知。
常人は平素一善の稱すべき無くして、偶〻病篤きに及び、自ら起たざるを知り、遺囑亂れず、賢者の爲すがごとき者有れども、此は則ち死に臨む一節取るべきに似たり。然れども一種死病の証候、或は然るを致すこと有り。是れ亦知らざるべからず。

(135)  氣節(きせつ)ノ之士(し)、貞烈(ていれつ)ノ之婦(ふ)、其ノ心ニ有リレ所レ激(げき)スル、不ルハ二敢(あ)ヘテ畏(おそ)レ一レ死ヲ、分(ぶん)トスルレ死ヲ者ノ之次(つぎ)ナリ也。血氣(けつき)ノ之勇(ゆう)ノ輕(かろ)ンジレ死ヲ、狂惑(きやうわく)ノ之夫(ふ)ノ甘(あま)ンズルハレ死ニ、則(すなは)チ下(くだ)ル二於畏(おそ)ルヽレ死ヲ者ニ一。又(また)如(ごと)キ二釋老(しやくらう)ノ之徒(と)ノ一、處(しよ)スルニレ死ニ頗(すこぶ)ル有リ二自得(じとく)スルコト一。然(しか)レドモ其ノ學(がく)モ畢竟(ひつきやう)亦(また)由(よ)リシテレ畏ルヽレ死ヲ而來(きた)ル。獨(ひと)リ極大(きよくだい)ノ老人(らうじん)、生氣(せいき)全(まつた)ク盡(つ)キ、溘然(かふぜん)トシテ無クシテレ病(やまひ)以(もつ)テ終(をは)ル者ハ、則チ與(と)二安(やす)ンズルレ死ニ者一無キノミレ異(こと)ナル耳。
氣節之士、貞烈之婦、其心有所激、不敢畏死、分死者之次也。血氣之勇輕死、狂惑之夫甘死、則下於畏死者。又如釋老之徒、處死頗有自得。然其學畢竟亦由畏死而來。獨極大老人、生氣全盡、溘然無病以終者、則與安死者無異耳。
氣節の士、貞烈の婦、其の心に激する所有り、敢へて死を畏れざるは、死を分とする者の次なり。血氣の勇の死を輕んじ、狂惑の夫の死に甘んずるは、則ち死を畏るゝ者に下る。又釋老の徒のごとき、死に處するに頗る自得すること有り。然れども其の學も畢竟亦死を畏るゝよりして來る。獨り極大の老人、生氣全く盡き、溘然として病無くして以て終る者は、則ち死に安んずる者と異なる無きのみ。

(136)  生物(せいぶつ)ハ皆(みな)畏(おそ)ルレ死ヲ。人ハ其ノ靈(れい)ナリ也。當(まさ)ニシ 下從(よ)リ二畏ルヽレ死ヲ之中(うち)一、揀(えら)ビ-中出(い)ダス不ルレ畏レ之理(り)ヲ上。吾(われ)思フ、我(わ)ガ身(み)ハ天物(てんぶつ)ナリ也。死生(しせい)ノ之權(けん)ハ在(あ)リレ天ニ。當ニシ 二順(したが)ヒテ受(う)ク一レ之ヲ。我(われ)ノ之生(う)マルヽヤ也、自然(しぜん)ニシテ而生(う)マル。生マルヽ時未(いま)ダ二嘗(かつ)テ知ラ一レ喜(よろこ)ブヲ矣。則(すなは)チ我ノ之死スルヤ也、應(まさ)ニシ 三亦(また)自然ニシテ而死シ、死スル時未ダル 二嘗テ知ラ一レ悲シムヲ也。天生(しやう)ジテレ之(これ)ヲ、而天死(し)セシムレ之ヲ。一(いつ)ニ聽(まか)スルノミ二乎天(てん)ニ一而已。吾何(なん)ゾ畏(おそ)レン焉。
吾(わ)ガ性(せい)ハ即(すなは)チ天地(てんち)ナリ也。軀殻(くかく)ハ則(すなは)チ藏(ざう)スルレ天ヲ之室(しつ)ナリ也。精氣(せいき)ノ之爲(な)ルヤレ物(もの)ト也、天寓(ぐう)シ二於此(こ)ノ室ニ一。遊魂(いうこん)ノ之爲(な)スヤレ變ヲ也、天離(はな)ル二於此ノ室ヲ一。死(し)スル之後(のち)ハ、即(すなは)チ生(う)マルヽ之前(さき)ニシテ、生マルヽ之前ハ、即チ死スル之後ナリ。而(しか)シテ吾ガ性ノ之所(ゆゑ)-二以(ん)ノ爲(た)ル一レ性者(もの)ハ、恒(つね)ニ在(あ)リ二於死生(しせい)ノ之外(ほか)ニ一。吾何(なに)ヲカ畏(おそ)レン焉。夫(そ)レ晝夜(ちうや)ハ一理(いちり)ニシテ、幽明(いうめい)モ一理ナリ。原(たづ)ネレ始(はじ)メヲ反(かへ)リレ終(を)ハリニ、知(し)ル二死生(しせい)ノ之説(せつ)ヲ一。何(なん)ゾ其ノ易簡(いかん)ニシテ而明白(めいはく)ナルヤ也。吾人(ごじん)當(まさ)ニシ 下以テ二此ノ理ヲ一自省(じせい)ス上焉。
生物皆畏死。人其靈也。當從畏死之中、揀出不畏之理。吾思、我身天物也。死生之權在天。當順受之。我之生也、自然而生。生時未嘗知喜矣。則我之死也、應亦自然而死、死時未嘗知悲也。天生之、而天死之。一聽乎天而已。吾何畏焉。
吾性即天地也。軀殻則藏天之室也。精氣之爲物也、天寓於此室。遊魂之爲變也、天離於此室。死之後、即生之前、生之前、即死之後。而吾性之所以爲性者、恒在於死生之外。吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之説。何其易簡而明白也。吾人當以此理自省焉。
生物は皆死を畏る。人は其の靈なり。當に死を畏るゝ之中より、畏れざる之理を揀び出だすべし。吾思ふ、我が身は天物なり。死生の權は天に在り。當に順ひて之を受くべし。我の生まるゝや、自然にして生まる。生まるゝ時未だ嘗て喜ぶを知らず。則ち我の死するや、應に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲しむを知らざるべし。天之を生じて、天之を死せしむ。一に天に聽するのみ。吾何ぞ畏れん。
吾が性は即ち天地なり。軀殻は則ち天を藏する之室なり。精氣の物と爲るや、天此の室に寓し、遊魂の變を爲すや、天此の室を離る。死する之後は、即ち生まるゝ之前にして、生まるゝ之前は、即ち死する之後なり。而して吾が性の性たる所以の者は、恒に死生の外に在り。吾何をか畏れん。夫れ晝夜は一理にして、幽明も一理なり。始めを原ね終はりに反り、死生の説を知る。何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人當に此の理を以て自省すべし。

(137)  畏(おそ)ルヽハレ死ヲ者、生(うま)マレテ後(のち)ノ之情(じやう)ナリ也。有(あ)ツテ二軀殻(くかく)一、而(しか)ル後(のち)有リ二是(こ)ノ情一。不ルハレ畏レレ死ヲ者ハ、生マルヽ前(さき)ノ之性(せい)ナリ也。離(はな)レテ二軀殻ヲ一、而始(はじ)メテ見ル二是ノ性ヲ一。人ハ須(すべか)ラクシ 三自(じ)-二得(とく)ス不ルレ畏レレ死ヲ之理(り)ヲ於畏ルヽレ死ヲ之中(うち)ニ一。庶(ちか)カラン二乎復(かへ)ルニ一レ性ニ焉。
畏死者、生後之情也。有軀殻、而後有是情。不畏死者、生前之性也。離軀殻、而始見是性。人須自得不畏死之理於畏死之中。庶乎復性焉。
死を畏るゝは、生まれて後の情なり。軀殻有つて、而る後是の情有り。死を畏れざるは、生まるゝ前の性なり。軀殻を離れて、始めて是の性を見る。人は須らく死を畏れざる之理を死を畏るゝ之中に自得すべし。性に復るに庶からん。

(138)  亡靈(ばうれい)ノ現(げん)ズルコトレ形(かたち)ヲ、徃徃(わう〳〵)有リレ之(これ)。葢(けだ)シ其ノ人於(おい)テ二未(いま)ダル レ死セ之時ニ一、或(あるい)ハ切(せつ)ニ二思慕(しぼ)ニ一、或ハ極(きは)メ二憤恨(ふんこん)ヲ一、氣(き)既(すで)ニ凝結(ぎようけつ)シテ遍(あまね)クレ身(み)ニ、身雖(いへど)モレ死スト而氣(き)ノ之凝結スル者(もの)不レ散(さん)ゼ、因(よ)ツテ或ハ爲(な)シレ祟(たゝ)リヲ爲スレ厲(れい)ヲ。然(しか)レドモ聚(あつ)マル者ハ無(な)シ二不ルレ散(さん)ゼ之理(り)一。譬(たと)ヘバ猶(な)ホシ 下冬月(とうげつ)貯(たくは)ヘ二水(みづ)ヲ於器(き)ニ一、凍沍(とうご)シテ成(な)シレ氷(こほり)ヲ、器雖モレ毀(やぶ)ルト而(しか)モ氷尚(な)ホ存(そん)セシガ、終(つひ)ニ亦(また)不ルガ上レ能(あた)ハレ不ル二澌盡(しじん)セ一。
亡靈現形、徃徃有之。葢其人於未死之時、或切思慕、或極憤恨、氣既凝結遍身、身雖死而氣之凝結者不散、因或爲祟爲厲。然聚者無不散之理。譬猶冬月貯水於器、凍沍成氷、器雖毀而氷尚存、終亦不能不澌盡。
亡靈の形を現ずること、徃徃之有り。葢し其の人未だ死せざる之時に於て、或は思慕に切に、或は憤恨を極め、氣既に凝結して身に遍く、身死すと雖も氣の凝結する者散ぜず、因つて或は祟りを爲し厲を爲す。然れども聚まる者は散ぜざる之理無し。譬へば猶ほ冬月水を器に貯へ、凍沍して氷を成し、器毀ると雖も而も氷尚ほ存せしが、終に亦澌盡せざる能はざるがごとし。

(139)  方(あた)リテハ二讀(よ)ムレ經(けい)ヲ時ニ一、須(すべか)ラクシ 下把(と)リテ二我ガ所ノレ遭(あ)フ人情(にんじやう)・事變(じへん)ヲ一做(な)ス中注脚(ちゆうきやく)ト上。臨(のぞ)ミテハ二處(しよ)スルレ事(こと)ヲ時ニ一、則(すなは)チ須ラクシ 下倒(さかし)マニ把リテ二聖賢(せいけん)ノ言語(げんぎよ)ヲ一做ス中注脚ト上。庶(ちか)カラン下乎事理(じり)融會(ゆうくわい)シ、見(けん)-中得(とく)スルニ學問(がくもん)ノ不ルレ離(はな)レ二日用(にちよう)ヲ一意思(いし)ヲ上。
方讀經時、須把我所遭人情・事變做注脚。臨處事時、則須倒把聖賢言語做注脚。庶乎事理融會、見得學問不離日用意思。
經を讀む時に方りては、須らく我が遭ふ所の人情・事變を把りて注脚と做すべし。事を處する時に臨みては、則ち須らく倒まに聖賢の言語を把りて注脚と做すべし。事理融會し、學問の日用を離れざる意思を見得するに庶からん。

(140)  一部(いちぶ)ノ歴史(れきし)、皆傳(つた)フレドモ二形迹(けいせき)ヲ一、而情實(じやうじつ)ハ或(あるい)ハ不レ傳(つた)ヘ。讀(よ)ムレ史(し)ヲ者ハ、須(すべか)ラクシ レ要(えう)ス下就(つ)キテ二形迹ニ一以(もつ)テ討(たづ)ネ-中出(い)ダスヲ情實ヲ上。
一部歴史、皆傳形迹、而情實或不傳。讀史者、須要就形迹以討出情實。
一部の歴史、皆形迹を傳ふれども、情實は或は傳へず。史を讀む者は、須らく形迹に就きて以て情實を討ね出だすを要すべし。

(141)  吾(われ)方(あた)リレ讀(よ)ムニレ書(しよ)ヲ、一(ひと)タビ想(おも)ヘバ二古昔(こせき)ノ聖賢(せいけん)・豪傑(がうけつ)ノ體魄(たいはく)皆死(し)セルヲ一、則(すなは)チ俯(ふ)シテレ首(かうべ)ヲ感愴(かんそう)ス。一タビ想ヘバ二聖賢・豪傑ノ精神(せいしん)尚(な)ホ存(そん)スルヲ一、則チ開(ひら)キテレ眼(まなこ)ヲ憤興(ふんこう)ス。
吾方讀書、一想古昔聖賢・豪傑體魄皆死、則俯首感愴。一想聖賢・豪傑精神尚存、則開眼憤興。
吾書を讀むに方り、一たび古昔の聖賢・豪傑の體魄皆死せるを想へば、則ち首を俯して感愴す。一たび聖賢・豪傑の精神尚ほ存するを想へば、則ち眼を開きて憤興す。

(142)  古徃(こわう)ノ歴史(れきし)ハ、是(こ)レ現世界(げんせかい)ニシテ、今來(きんらい)ノ世界ハ、是(こ)レ活(くわつ)歴史ナリ。
古徃歴史、是現世界、今來世界、是活歴史。
古徃の歴史は、是れ現世界にして、今來の世界は、是れ活歴史なり。

(143)  博聞(はくぶん)強記(きやうき)ハ、聰明(そうめい)ノ横(よこ)ナリ也。精義(せいぎ)入神(にふしん)ハ、聰明ノ豎(たて)ナリ也。
博聞強記、聰明横也。精義入神、聰明豎也。
博聞強記は、聰明の横なり。精義入神は、聰明の豎なり。

(144)  有リ二一耆宿(いちきしゆく)一、好ミレ讀(よ)ムヲレ書(しよ)ヲ、除(のぞ)ク二飲食(いんしよく)ヲ一外(ほか)、手ニ不レ釋(お)カレ卷(まき)ヲ、以テ至(いた)ル二於老(らう)ニ一。人皆稱(しよう)ス二篤學(とくがく)ト一。以テレ余(われ)ヲ視(み)ルニレ之ヲ、恐(おそ)ラクハ不ランレ濟(な)サレ事ヲ。渠(か)レ其ノ心常常(つね〴〵)放(すてお)カレテ在(あ)リテ二書ノ上(うへ)ニ一、不三收(をさ)メテ在ラ二腔子(かうし)ノ裏(うち)ニ一。人ハ五官(ごくわん)ノ之用(よう)、須(すべか)ラクシ 二均齊(きんせい)ニ役(えき)ス一レ之ヲ。而(しか)ルヲ渠(か)レハ精神耑(もつぱ)ラ注(ちゆう)シ二於目(め)ニ一、目偏(ひと)ヘニ受ケテ二其ノ勞(らう)ヲ一、而(しか)シテ精神モ亦(また)從(したが)ヒテ昏聵(こんくわい)ス。如(ごと)キハレ此(か)クノ則(すなは)チ雖(いへど)モ二能(よ)ク看(み)ルト一レ書ヲ、而(しか)モ決(けつ)シテ不レ能(あた)ハ二深ク造(いた)ツテ自得(じとく)スルコト一。便(すなは)チ除(た)ダ是(こ)レ放心(はうしん)ナルノミ。且(か)ツ如(ごと)キ二孔門(こうもん)ノ之敎(をし)ヘノ一、自(よ)リレ終(お)フルレ食(しよく)ヲ、至(いた)ルマデ二造次(ざうじ)顛沛(てんぱい)ニ一、不二敢(あ)ヘテ違(たが)ハ一レ仁(じん)ニ。試(こゝろ)ミニ思ヘ、渠レ一生(いつしやう)手ニ不トモレ釋カレ卷、放心スルコト如(ごと)キハレ此クノ、能(よ)ク不ヤレ違(たが)ハレ仁ニ否(いな)ヤト。
有一耆宿、好讀書、除飲食外、手不釋卷、以至於老。人皆稱篤學。以余視之、恐不濟事。渠其心常常放在書上、不收在腔子裏。人五官之用、須均齊役之。而渠精神耑注於目、目偏受其勞、而精神亦從昏聵。如此則雖能看書、而決不能深造自得。便除是放心。且如孔門之敎、自終食、至造次顛沛、不敢違仁。試思、渠一生手不釋卷、放心如此、能不違仁否。
一耆宿有り、書を讀むを好み、飲食を除く外、手に卷を釋かず、以て老に至る。人皆篤學と稱す。余を以て之を視るに、恐らくは事を濟さざらん。渠れ其の心常常放かれて書の上に在りて、收めて腔子の裏に在らず。人は五官の用、須らく均齊に之を役すべし。而るを渠れは精神耑ら目に注し、目偏へに其の勞を受けて、而して精神も亦從ひて昏聵す。此くのごときは則ち能く書を看ると雖も、而も決して深く造つて自得すること能はず。便ち除だ是れ放心なるのみ。且つ孔門の敎へのごとき、食を終ふるより、造次顛沛に至るまで、敢へて仁に違はず。試みに思へ、渠れ一生手に卷釋かずとも、放心すること此くのごときは、能く仁に違はずや否やと。

(145)  孔門(こうもん)ノ諸子(しよし)、或(あるい)ハ誾誾如(ぎん〳〵じよ)タリ、或ハ行行如(かう〳〵じよ)タリ、或ハ侃侃如(かん〳〵じよ)タリ。氣象(きしやう)何等(なんら)ノ剛直(ごうちよく)・明快(めいくわい)ゾ。今(いま)ノ之學者(がくしや)ハ、終歳(しゆうさい)爲(な)リ三故紙(こし)陳編(ちんぺん)ノ所ト二驅役(くえき)スル一、神氣(しんき)奄奄(えん〳〵)トシテ不レ奮(ふる)ハ、養(やう)-二成(せい)ス一種(いつしゆ)衰颯(すゐさつ)ノ氣象ヲ一。與(と)二孔門ノ諸子一霄壤(せうじやう)ナリ。
孔門諸子、或誾誾如、或行行如、或侃侃如。氣象何等剛直・明快。今之學者、終歳爲故紙陳編所驅役、神氣奄奄不奮、養成一種衰颯氣象。與孔門諸子霄壤。
孔門の諸子、或は誾誾如たり、或は行行如たり、或は侃侃如たり。氣象何等の剛直・明快ぞ。今の學者は、終歳故紙陳編の驅役する所と爲り、神氣奄奄として奮はず、一種衰颯の氣象を養成す。孔門の諸子と霄壤なり。

(146)  伯魚(はくぎよ)趨(はし)リレ庭(には)ヲ、始(はじ)メテ聞ク二詩(し)・禮(れい)ヲ一。時ニ年(とし)葢(けだ)シ已(すで)ニ過(す)グ二二十(にじふ)ヲ一。古者(いにしへ)ハ易(か)ヘテレ子(こ)ヲ而敎(をし)フレバレ之(これ)ヲ、則(すなは)チ伯魚ハ必ズ既(すで)ニ從學(じゆうがく)セシナラン矣。而(しか)ルニ趨庭(すうてい)ノ之前(さき)、未(いま)ダルハ レ聞カ二詩・禮ヲ一、所ノレ學(まな)ブ者何事(なにごと)ゾ。陳亢(ちんこう)モ亦(また)喜ベバ二於問(と)ヒテレ一(いつ)ヲ得(え)タルヲ一レ三(さん)ヲ、則(すなは)チ似(に)タリ二前(さき)レ此(これ)ヨリ未(いま)ダルニ 一レ學バ二詩・禮ヲ一。此等(これら)ノ處(ところ)、學者(がくしや)宜(よろ)シクシ 二深ク思フ一レ之(これ)ヲ。
伯魚趨庭、始聞詩・禮。時年葢已過二十。古者易子而敎之、則伯魚必既從學矣。而趨庭之前、未聞詩・禮、所學者何事。陳亢亦喜於問一得三、則似前此未學詩・禮。此等處、學者宜深思之。
伯魚庭を趨り、始めて詩・禮を聞く。時に年葢し已に二十を過ぐ。古者は子を易へて之を敎ふれば、則ち伯魚は必ず既に從學せしならん。而るに趨庭の前、未だ詩・禮を聞かざるは、學ぶ所の者何事ぞ。陳亢も亦一を問ひて三を得たるを喜べば、則ち此より前未だ詩・禮を學ばざるに似たり。此等の處、學者宜しく深く之を思ふべし。

(147)  取(と)ルハ二信(しん)ヲ於人(ひと)ニ一難(かた)シ也。人不シテレ信ゼ二於口(くち)ヲ一、而信ジ二於躬(み)ヲ一、不シテレ信ゼ二於躬ヲ一、而信ズ二於心(こゝろ)ヲ一。是(こゝ)ヲ以(もつ)テ難シ。
取信於人難也。人不信於口、而信於躬、不信於躬、而信於心。是以難。
信を人に取るは難し。人口を信ぜずして、躬を信じ、躬を信ぜずして、心を信ず。是を以て難し。

(148)  臨時(りんじ)ノ之信(しん)ハ、累(かさ)ネ二功(こう)ヲ於平日(へいじつ)ニ一、平日ノ之信ハ、收(をさ)ム二功ヲ於臨時ニ一。
臨時之信、累功於平日、平日之信、收功於臨時。
臨時の信は、功を平日に累ね、平日の信は、功を臨時に收む。

(149)  信(しん)孚(はぐゝ)メバ二於上下(しやうか)ニ一、天下(てんか)ニ無シ二甚(はなは)ダシクハ難(がた)キレ處(しよ)シ事一。
信孚於上下、天下無甚難處事。
信上下に孚めば、天下に甚だしくは處し難き事無し。

(150)  責(せ)ムルハレ善(ぜん)ヲ朋友(ほういう)ノ之道(みち)ナリ也。只(た)ダ須(すべか)ラクシ 二懇到(こんたう)切至(せつし)以(もつ)テ告(つ)グ一レ之ニ。不ンバレ然(しか)ラ、徒(いたづ)ラニ資(し)シテ二口舌(くぜつ)ニ一以テ博(はく)ス二責善(せきぜん)ノ之名(な)ヲ一。渠(か)レ不二以テ爲(な)サ一レ德(とく)ト、却(かへ)ツテ以テ爲スレ仇(あだ)ト。無シレ益(えき)也。
責善朋友之道也。只須懇到切至以告之。不然、徒資口舌以博責善之名。渠不以爲德、却以爲仇。無益也。
善を責むるは朋友の道なり。只だ須らく懇到切至以て之に告ぐべし。然らずんば、徒らに口舌に資して以て責善の名を博す。渠れ以て德と爲さず、却つて以て仇と爲す。益無し。
(101)
○ 成湯之誥-「其爾萬方有罪、在予一人。予一人有罪、無以爾萬方。」(『書経』商書「湯誥」)
○ 監みる-鑑みる。照らし見る。

(102)
○ 征-税(音セイ)と同じ。音通。
○ 井田-殷周の田制。一里四方を九区画に分け、中央の一区(百畝)を公田としたと伝える。
○ 經界-区切り、境界。
○ 易む-治む。
○ 抅抅乎-こだわるさま。

(103)
○ 夏后氏-禹。
○ 世にす-世襲する。
○ 私す-私物化する。
○ 世禄-世襲の俸禄。
○ 公-公共の制度。

(104)
○ 理勢-自然の成り行き。「不得不然者」とは、理屈では理解できない物事が存在することをいう。それが「無用之物」でもある。
○ 學人-学問のある人。
○ 目以無用-無用視する。
○ 無無用之物、則亦無無用之事-「無用之物」の存在が必然であるごとく、「無用之事」にもそれの成り立つだけの道理が存在することをいう。それが「理勢」である。
○ 一に何ぞ-なんとまあ。
○ 情量-思量。思い巡らすこと。
○ 賁其須-『易経』賁卦。鬚は自然の飾りである意。

(105)
○ 平世-治まった世。
○ 閒居爲不善-「君子必慎其独也、小人閑居為不善。」(『大学』)。
○ 纏綿-つきまとう。
○ 其用處-「無用之用」が働いている場所。

(107)
○ 通・滯-流れて止まることのないものと止まって動かないもの。
○ 成功-その働きを仕上げること。

(108)
○ 趨心之使役-心の命令に従う。
○ 形色天性也…-『孟子』(尽心上)の語。「踐む」は践み行う。形体の制限を十分に使いこなす意。

(109)
○ 九竅-九穴。目耳鼻口両便口。(『周礼』天官「疾醫」)
○ 可欲之謂善-こうありたい、こうしたいと思われるものを善と呼ぶ。(『孟子』尽心下)
○ 從心所欲-「七十而從心所欲、不踰矩。」(『論語』爲政篇)
○ 俾予從欲以治-自分の欲するとおりに政治を行わせてほしい。(『書経』虞書「大禹謨」)

(110)
○ 前章までの要約。長詩に対する反辞や乱のようなものか。

(111)
○ 耗す-消耗する。

(113)
○ 近代-近ごろ。
○ 金帛粟米-金銭・絹布・米穀。
○ 旌す-顕彰する。
○ 風勵-風厲。教え励ます。訓導する。
○ 頽俗-流俗。(頽廃に流れやすい)一般の風俗。
○ 原く-基礎を据える。
○ 且つ-~でさえ、~ですら(やはり)。
○ 庭訓-家庭の教え。
○ 素-素地。基礎。

(114)
○ 貧窶-貧苦。
○ 徼む-待ち構えて求める。
○ 慈友-慈しみ睦まじくすること。

(115)
○ 竦然-ぞっとする。
○ 惴懼-心に怖れる。
○ 膚受-膚に受ける。
○ 砭刺-石針を刺すこと。
○ 不慈-子を慈しむ心の無いこと。不孝の対。
○ 泯然-跡方も無いさま。
○ 百端-ありとあらゆること。
○ 引慝-邪悪の名を引き受ける。
○ 暴白-あばく。白日の下に曝す。
○ 然り而して-それなのに、ところが。
○ 勝へず-持ち堪えることができない。

(116)
○ 暴-残害する、損なう。
○ 遂其生-生を全うする。
○ 控-訴える、告げる。控訴。
○ 宰斷-裁断。切り分けて決を下す。
○ 理解-道理を以て解きほぐす。
○ 微-もしもいなかったら。
○ 盍-どうして~しないのか(~しようではないか)。
○ 肯ず-承知する、聴き入れる。
○ 君長-君主。
○ 貢賦-租税。
○ 彼此-かれこれ。あちらこちら。
○ 聽命焉-「焉」は「これ」と訓ませるつもりだったか。
○ 君師-政治と教化を兼ね備えた指導者。
○ 得乎邱民、而爲天子-田舎の一介の庶民でも、その才徳によって天子となる意(『孟子』尽心下)。
(117)
○ 生民-人民。ヒト。
○ 濟す-成し遂げる。
○ 前古-昔、往古。
○ 不可勝數-数え切れない。「数ふるに勝ふべからず。」とも訓む。
○ 出頭人-他より優れている者。
○ 輙ち-すぐさま、たやすく。「その度ごとに」の意で使うことも多い。
○ 籙-文書。ここは鬼籍、点鬼簿をいう。
○ 校ぶ-比較する。「校異」「対校」等の熟語がある。
○ 比數-匹敵の意に近いか。
○ 期す-「きス」「ごス」。目標とする、目論む。

(118)
○ 士-士人。
○ 動天驚地-驚天動地に同じ。世人を驚愕させる出来事。
○ 締造-作り上げる。

(120)
○ 依熱附炎-権力者に媚びること。趨炎附熱。

(121)
○ 認得-「眞己」を見出だすこと。

(122)
○ 及時-まだ間に合ううちに。「及ぶ」は時の経過に追いつく意。
○ 不-不者に同じ。「しからざれば」「しからずんば」と訓む。

(123)
○ 雷霆-いかずち(雷鳴)。
○ 至誠-「至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也。」(『孟子』離婁上)、「誠者天之道也 誠之者人之道也。」(『中庸』)
(124)
○ 動而不括-動いても行き詰まることがない。「括」は「塞」の意という。「君子藏器於身、待時而動、何不利之有。動而不括、是以出而有獲、語成器而動者也。」(『易経』繋辞下)この章は前章の続き。
○ 履む-履み行う。実践する。

(125)
○ 周官-『周礼』を指す。「天官冢宰」部に「食醫」の項あり。
○ 視爲-看做す、喩える。
○ 食-飲食は音「シヨク」、食物は音「シ」。
○ 食不厭精-以下、『論語』郷党篇の引用が重なる。
○ 意思-意味。
○ 藥品精良-薬は「製法謹嚴」で「精良」の藥草を用いるという漢方の教えを『論語』解釈に援用したか。
○ 君臣佐使-漢方薬の分類の語。役割を分けて配合する。

(126)
○ 虚羸-虚弱。「虚」も「弱い」意。

(128)
○ 需-『易経』「需」卦。「需」には「待つ」「求める」等の意がある。
○ 沾濡-濡れる。
○ 丙子-文化一三年(1816)。一斎四五歳。

(129)
○ 寧耐-落ち着いて我慢する。

(130)
○ 茫茫-果てしないさま。
○ 夷狄-野蛮人。中華に対する。華夷思想に従えば、日本も東夷に属することになる。
○ 秉彝-人が天の常道を遵守すること。「天生烝民、有物有則。 民之秉彝、好是懿德。」(『詩経』大雅・蕩之什「烝民」)
○ 惻隱-心痛すること。怵惕(ぢゆってき)惻隠と連ねる。「人皆有不忍人之心者、(略)皆有怵惕惻隠之心。(略)無惻隱之心者、非人也。」(『孟子』公孫丑上)また、惻隠・羞悪・辞譲・是非の心を仁義礼智に趨く端緒であるとしてえ、孟子はこれらを四端(したん)と呼んだ。
○ 羞惡-自分の悪を羞じ、人の不善を悪(にく)むこと。日本人の「恥」に相当する。「惡」は「憎む」また「恥」の意では音「オ」。
○ 辭讓-人に譲ること。
○ 是非-善悪正邪をわきまえること。
○ 倫-人倫に同じ。ともがら、人間関係の秩序、人として践み行うべき道理。父子以下の関係又は教えを五倫と呼ぶ。「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。」(『孟子』滕文公上)
○ 興起-奮い起こす。
○ 六合-天地、世界。天地と東西南北をまとめて呼ぶ。
○ 同文-使用する文字が同じであること。
○ 横文-横文字。蟹行文。「横文之俗」で西洋の風俗の意。
○ 殊なり-異なる、区別する。

(132)
○ 歾す-歿す。
○ 聳聽-人に傾聴させる。耳目を聳動させる。

(133)
○ 典謨・訓誥-『書経』堯典・舜典・大禹謨・伊訓・湯誥等の先賢の教え。
○ 遺命-先王の遺訓。
○ 顧命-『書経』周書「顧命」。
○ 善言-「鳥之將死、其鳴也哀。人之將死、其言也善。」(『論語』泰伯篇)
○ 分上-分を弁えた上のもの。
○ 泰山歌-「太山壞乎、梁柱摧乎、哲人萎乎。」(『史記』孔子世家)
○ 檀弓-『礼記』檀弓上下に記録された孔子の言動。
○ 叵信-叵(音「ハ」)は可を逆さにして「不可」の意味を表した指事文字。「無し・難し」の意。
○ 爲累-禍を及ぼす、迷惑となる。

(134)
○ 遺囑-後事を託すこと。
○ 証候-徴候。病気の症状。

(135)
○ 氣節之士-気概・節操ある人士。
○ 甘んずる-良しとして満足する。ここは、短慮で行動する、容易に行動する意。
○ 釋老之徒-仏教・道教の信者。儒学の現実主義と対立する思想的立場を代表する。
○ 自得-自ら悟って振る舞うところ。達観したようなところ。
○ 畢竟-とどのつまり。
○ 溘然-突然、ぽっくりと。

(136)
○ 靈-霊長。最も優れた存在。
○ 揀び出だす-善い物を選り抜く。
○ 自然-偶然。
○ 應に-おそらく、きっと。
○ 聽す-任せる。
○ 吾性之所以爲性者-自分というものの本性を成り立たせる根本のもの。
○ 幽明-死生に同じ。
○ 原始反終-「原始反終、故知死生之説。」(『易経』繋辞上)始めを遡っていけば、終わりに戻る。これが死生の理屈である。

(137)
○ 復性-本来の性に帰ること。「古之真人、不知説生、不知惡死。(略)不忘其所始、不求其所終。受而喜之、忘而復之。是之謂不以心捐道、不以人助天。是之謂真人。」(『荘子』大宗師)

(138)
○ 厲-悪鬼、疫病。
○ 凍沍-凍りつく。
○ 澌盡-尽きる、消え果てる。

(139)
○ 注脚-訓詁・注脚等、原文を解釈した説明。「訓・注・釈」等は分かりやすく解きほぐす意がある。注は本文中に割り入れ、脚は本文下部に書き入れたものという。この章では、経験に照らして経文を理解し、経文に照らして物事に対処することを指す。
○ 倒まに-前文とは逆に、の意。剰語か。
○ 融會-一つにとけ合う。
○ 日用-日常的用途、ふだん使うもの。講座学問でなく、日常実践に役立つ学問という意。

(140)
○ 一部-一揃い、ひとまとまり。
○ 情實-事の真相。
○ 討出-探し求める、調べ上げる。

(141)
○ 體魄-肉体。
○ 首を俯す-うなだれる。
○ 感愴-悲しみ悼む。
○ 憤興-発奮する。意気を奮い起こす。

(142)
○ 古徃-過ぎ去った昔。
○ 今來-音「コンライ・キンライ」。漢音に従った。「古往今来」で「昔から今まで」の意味だが、ここでは「これからやって来る、近未来の」の意。
○ 活歴史-目の当たりにする活きた歴史。

(143)
○ 横-横に延びる(幅広い)一面。
○ 精義入神-本義を極め尽くすこと。「精義入神、以致用也。」(『易経』繋辞下)
○ 豎-竪の本字。縦に延びる(奥に深まる)一面。

(144)
○ 耆宿-老大家。宿老。
○ 手不釋卷-書物を手から放さない。
○ 濟事-何事かを成就する。
○ 腔子-腹中。
○ 五官-耳目鼻口膚。
○ 耑-専。
○ 昏聵-ぼんやりとする、働きが鈍い。
○ 造る-行く、進む、至る。造詣。
○ 除-原本では「たゞ」と訓ませている。
○ 終食-「終食之間」はわずかな時間の意。「君子無終食之間違仁。造次必於是、顚沛必於是。」(『論語』里仁篇)
○ 造次顛沛-慌ただしい時も(転倒する時のような)咄嗟の場合も。前項参照。

(145)
○ 誾誾如・・・-「閔子侍側誾誾如也。子路行行如也。冉有・子貢侃侃如也。」(『論語』先進篇)。「誾誾如」は穏健な様子、「行行如」は剛直な様子、「侃侃如」は和楽の様子というが談論風発のさまか。
○ 何等の~ぞ-なんという~であるか。詠嘆形。「何等剛直・明快なる。」とも訓めそうだが、他の実例に接していない。
○ 故紙陳編-古書堆裏の生活の様子。「故・陳」は古臭い意。
○ 奄奄-息も絶え絶えな様子。気息奄々。精神が枯渇寸前の形容。
○ 衰颯-音「スヰサフ・スヰサツ」。衰えること。
○ 霄壤-天地雲泥の差がある。

(146)
○ 伯魚趨庭-『論語』季氏篇の庭訓の故事を指す。陳亢が孔子の子伯魚に異聞を尋ねると、庭を過ぎる際、孔子に詩と礼を学べと指示されたという。陳亢は詩と礼の意義に加えて、君子がその子を甘やかさないことを教わったと喜んだ。庭訓(家庭教育)の語の由来。
○ 從學-他の師に束脩を納めて学んだこと。
○ 此等處-本来の儒学が古典の句読に甘んじるのでなく、日常的実践を学問の目標・内容として十分に重視していたことを指す。

(147)
○ 不信於口-言葉について信を得ることをしない意。
○ 信於躬-振舞を視て信ずる。
○ 是を以て-そういうわけで。

(148)
○ 累功於平日-一旦の出来事で得た信用から、日々の信頼を増す結果となる。

(149)
○ 孚-「やしなふ、はぐくむ」。
○ 上下-目上と目下、長上と年少者。あらゆる階層の人たち。
○ 無甚-それほど~ない。部分否定。

(150)
○ 責善-善行を勧める、善をなすべく督励する。「責善、朋友之道也。」(『孟子』離婁下)
○ 懇到切至-丁寧を極め、親切で行き届くさま。ねんごろに。
○ 資口舌-口先だけ働かせること。
○ 爲德-有り難いと思う。
○ 爲仇-恨む。

(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)