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聖德太子傳略 卷之下

平氏撰

  推古天皇(続)   三十七歳   三十八歳   三十九歳   四十歳
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聖德太子傳略

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【本文】
卅七歳 十六年戊辰つちのへたつ夏四月、小野臣妹子まうデタリ大隋。隋朝使はい世清十二人從妹子-セリ于筑紫。六月難波むろつ
妹子奏シテサク、臣經百濟之日、百濟-かすメタリ大隋。仍ルコトヲ矣。群臣議シテサク、妹子懈怠ニシテヘリ蕃國。罪流刑そなヘテ奏聞。天皇問タマフ太子。太子奏シテタマハク、妹子之罪まことカラゆる。然レドモミヲよみスルハ妹子之功也。於テハ先身セシ之經而來ルコト。加之隋使共レリ。有ラバコト妹子、彼使乍チニンコト如何。天皇大ゆるシタマフ妹子
秋八月、大隋使まい。詔シテシテ餝騎かざりうま七十五疋椿つば市之ちまた。太子微服シテみそなハシタマフ。世清遥太子タマヘル、語左右曰、彼コニ真人ルトキもと、下ヨリいふシテ。觀トス。隋帝ラク、皇帝問倭皇。使人長吏大禮蘓因高ニストイヲ云云。天皇問太子、此書如何。太子奏シテタマハク、天子賜こう式也。然レドモ皇帝天下ノミ耳。而ルヲ。彼。應うや/\シクシテをさメタマフ。天皇よみシタマフ
九月、隋使還。復以妹子大使、吉志雄成をなり小使そいつかひ。天皇召太子已下リタマフことば。太子執シテ、東天皇敬フト西皇帝云云、謹不具。太子奏シテ髙向たかんこのあや玄理はるまさ八人シテ學生ものならひゞと而遣シタマフ
もち日、太子いま斑鳩。入リタマフ夢殿。此の殿在り寢殿之側にまうケテ御床みゆかしとね、一月たび沐浴シテ而入リタマフあくるかたリタマヒ海表わだのほか雜事、及製タマフニ諸經也、若レバとゞこをルトコロ、即入リタマフニ夢殿、常東方金人到ルニ妙義也。閇ルコトキタマハ七日七夜、不そなへ侍從、妃已下不ヅキタマフヲ。時人大トス。慧慈法師サク、殿下入リタマヘリ三昧定、敢シタテマツルコト。八箇日之晨、玉をしまづき之上ヘニ一巻。設シテ慧慈法師、是先身-セシトキ衡山セシ之經也。いんじ年、妹子將來セシハ者吾第子經也。三リノ老比丘不シテをさメシ之處、取レリ。故吾このごろシテレリ。指而示タマフ法師。師大トス。妹子將來セシニハ者無コト。太子出定後、常口遊ハク可怜あはれ可怜大隋國ニハ善知識ナリ。好。若レバルニ弟子。是勧戒之訓也。《夢に取來る之經は、複して爲す一巻と。黄なる紙・黄なるへうし、玉の軸・かんはたをびうるしの題。一かうに三十四字あり。字太だ微細也。太子薨じたまひて後、山背の大兄の王子六時に礼拜す。丁亥の年十月廿三日の夜半に忽に失たり。此經不知ら所を去る、求るに之を無し由。王子大に怪しみて之復た以爲す憂と矣。今在るは院に妹子が將來せし經なり。》
【原注】
【白文】
卅七歳十六年戊辰夏四月、小野臣妹子到自大隋。隋朝使裴世清等十二人從妹子來到于筑紫。六月到難波舘。
妹子奏曰、臣經百濟之日、百濟人採掠大隋表。仍不得上矣。群臣議曰、妹子懈怠失蕃國表。罪合流刑。具状奏聞。天皇問太子。太子奏曰、妹子之罪寔不可寛。然修好善鄰妹子之功也。於臣復有得先身所持之經而來。加之隋使共來。有流妹子、彼使乍聞思復如何。天皇大悅赦妹子罪。
秋八月、大隋使入京。詔遣餝騎七十五疋迎椿市之街。太子微服而看。世清遥見太子所居林上、語左右曰、彼有真人之氣。經其林下、下馬揖去。觀者異之。隋帝書曰、皇帝問倭皇。使人長吏大禮蘓因高等到具懐云云。天皇問太子曰、此書如何。太子奏曰、天子賜諸侯王書式也。然皇帝之字天下一耳。而用倭皇字。彼有其禮。應恭而修。天皇喜之。
九月、隋使還國。復以妹子爲大使、吉志雄成爲小使。天皇召太子已下議荅書之辞。太子執筆書之曰、東天皇敬問西皇帝云云、謹白不具。太子奏以髙向漢人玄理等八人爲學生而遣。
此月望日、太子在斑鳩宮。入夢殿内。此の殿在り寢殿之側に。設御床・褥、一月三度沐浴而入。明旦、談海表雜事、及製諸經疏也、若有滞義、即入夢殿、常自東方金人到告以妙義也。閇戸不開七日七夜、不進御膳不召侍從、妃已下不得近之。時人大異之。慧慈法師曰、殿下入三昧定、敢莫驚。八箇日之晨、玉机之上有一巻經。設筵引慧慈法師告曰、是吾先身修行衡山所持之經也。去年、妹子將來者吾第子經也。三老比丘不識吾所蔵之處、取佗經送。故吾頃遣魂取來。指所落字而示法師。師大驚竒之。妹子將來經者無有此字。太子出定後、常有口遊曰、可怜可怜大隋國僧我善知識。好讀書。若不讀書非爲弟子。是勧戒之訓也。《夢取來之經、複爲一巻。黄紙・黄、玉軸・綺帯、漆題。一行三十四字。字太微細也。太子薨後、山背大兄王子六時礼拜。丁亥年十月廿三日夜半忽失。此經不知所去、求之無由。王子大怪之復以爲憂矣。今在院妹子將來經。》
【書き下し文】
卅七歳 十六年戊辰つちのへたつ夏四月、小野の臣妹子まう大隋よりでたり。隋朝の使はい世清十二人妹子に從て于筑紫に來到せり。六月に難波のむろつに到る。
妹子奏して曰さく、臣百濟を經る之日、百濟の人大隋の表をかすめたり。仍て上ることを得不矣。群臣議して曰さく、妹子懈怠にして蕃國の表を失へり。罪流刑すし。状をそなへて奏聞す。天皇太子に問たまふ。太子奏して曰たまはく、妹子が之罪みまことゆるすべからず。然れども好みを修め鄰をよみするは妹子が之功也。臣に於ては復た先身に持せし所の之經を得て來ること有り。加之隋の使共に來れり。妹子を流こと有らば、彼の使乍ちに聞き思んこと復た如何ん。天皇大に悅て妹子が罪をゆるしたまふ。
秋八月に、大隋の使京にまいる。詔して餝騎かざりうま七十五疋を遣して椿つば市之ちまたに迎ふ。太子微服してみそなはしたまふ。世清遥に太子の居たまへる所の林の上を見て、左右に語て曰、彼こに真人の之有と。其の林のもとるとき、馬より下ていふして去る。觀る者の之を異とす。隋帝の書に曰らく、皇帝倭皇に問ふ。使人の長吏大禮蘓因高到て懐いを具にすと云云。天皇太子に問て曰く、此の書如何ん。太子奏して曰たまはく、天子諸こう王に賜ふ書の式也。然れども皇帝の之は天下に一のみ。而るを皇のを用る。彼れ其の禮有り。うや/\しくしてをさめたまふ應し。天皇之をよみしたまふ。
九月に、隋の使國に還る。復妹子を以て大使と爲し、吉志の雄成をなり小使そいつかひと爲す。天皇太子已下を召て荅つ書の之ことばを議りたまふ。太子筆を執て之を書して曰く、東の天皇敬て西の皇帝に問ふと云云、謹て白す不具と。太子奏して髙向たかんこのあや玄理はるまさ八人を以て學生ものならひゞとと爲して遣したまふ。
此の月のもちの日、太子斑鳩の宮にいます。夢殿の内に入りたまふ。此の殿寢殿之側に在り。御床みゆかしとねまうけて、一月に三たび沐浴して入りたまふ。 あくる旦た、海表わだのほかの雜事をかたりたまひ、及諸經の疏を製たまふに也、若し義にとゞこをるところ有れば、即夢殿に入りたまふに、常に東方より金人到て告るに妙義を以す也。戸を閇て開きたまはざること七日七夜、御そなへを進めず侍從を召さず、妃已下之に近づきたまふを得ず。時の人大に之を異とす。慧慈法師の曰さく、殿下三昧定に入りたまへり、敢て驚したてまつること莫れ。八箇日之晨た、玉のをしまづきの之上へに一巻の經有り。筵を設て慧慈法師をして告て曰く、是れ吾が先身に衡山に修行せしとき持せし所の之經也。いんじ年、妹子が將來せしは吾が第子の經也。三りの老比丘吾がをさめし所之處を識らずして、佗の經を取て送れり。故吾れこのごろ魂を遣して取り來れり。落る所の字を指て法師に示たまふ。師大に驚て之を竒とす。妹子が將來せし經には此の字有こと無し。太子出定の後、常に口遊有て曰はく、可怜あはれ可怜大隋國の僧には我れ善知識なり。好で書を讀む。若し書を讀まざれば弟子とるに非ず。是れ勧戒之訓へ也。 〔夢に取來る之經は、複して一巻と爲す。黄なる紙・黄なるへうし、玉の軸・かんはたをびうるしの題。一かうに三十四字あり。字太だ微細也。太子薨じたまひて後、山背の大兄の王子六時に礼拜す。丁亥の年十月廿三日の夜半に忽に失たり。此經去る所を知らず、之を求るに由無し。王子大に怪しみて之復た以憂と爲す矣。今院に在るは妹子が將來せし經なり。〕
【漢文エディタ原文】
卅七歳 十六年|戊辰(つちのへたつ)夏四月、小野ノ臣妹子|到(まう)デタリ^自リ 2( 大隋 )1 。隋朝ノ使|裴(はい)世清|等(ら)十二人從テ 2( 妹子ニ )1 來- 2( 到セリ于筑紫ニ )1 。六月ニ到ル 2( 難波ノ|舘(むろつ)ニ )1 。
妹子奏シテ曰サク、臣經ル 2( 百濟ヲ )1 之日、百濟ノ人|採(と)リ- 2( |掠(かす)メタリ大隋ノ表ヲ )1 。仍テ不^得^上ルコトヲ矣。群臣議シテ曰サク、妹子懈怠ニシテ失ヘリ 2( 蕃國ノ表ヲ )1 。罪|合(べ)シ 2( 流刑ス )1 。|具(そな)ヘテ^状ヲ奏聞ス。天皇問タマフ 2( 太子ニ )1 。太子奏シテ曰タマハク、妹子ガ之罪ミ|寔(まこと)ニ不^可カラ^|寛(ゆる)ス。然レドモ修メ^好ミヲ|善(よみ)スルハ^鄰ヲ妹子ガ之功也。於テハ^臣ニ復タ有リ 2{ 得テ 2( 先身ニ所ノ^持セシ之經ヲ )1 而來ルコト }1 。加之隋ノ使共ニ來レリ。有ラバ^流コト 2( 妹子ヲ )1 、彼ノ使乍チニ聞キ思ンコト復タ如何ン。天皇大ニ悅テ|赦(ゆる)シタマフ 2( 妹子ガ罪ヲ )1 。
秋八月ニ、大隋ノ使|入(まい)ル^京ニ。詔シテ遣シテ 2( |餝騎(かざりうま)七十五疋ヲ )1 迎フ 2( |椿(つば)市之|街(ちまた)ニ )1 。太子微服シテ而|看(みそな)ハシタマフ。世清遥ニ見テ 2( 太子ノ所ノ^居タマヘル林ノ上ヲ )1 、語テ 2( 左右ニ )1 曰、彼コニ有ト 2( 真人ノ之|氣(き) )1 。|經(ふ)ルトキ 2( 其ノ林ノ|下(もと)ヲ )1 、下テ^馬ヨリ|揖(いふ)シテ去ル。觀ル者ノ異トス^之ヲ。隋帝ノ書ニ曰ラク、皇帝問フ 2( 倭皇ニ )1 。使人ノ長吏大禮蘓因高|等(ら)到テ具ニスト^懐イヲ云云。天皇問テ 2( 太子ニ )1 曰ク、此ノ書如何ン。太子奏シテ曰タマハク、天子賜フ 2( 諸|侯(こう)王ニ )1 書ノ式也。然レドモ皇帝ノ之|字(な)ハ天下ニ一ノミ耳。而ルヲ用ル 2( |倭(わ)皇ノ|字(な)ヲ )1 。彼レ有リ 2( 其ノ禮 )1 。應シ 2( |恭(うや/\)シクシテ而|修(をさ)メタマフ )1 。天皇|喜(よみ)シタマフ^之ヲ。
九月ニ、隋ノ使還ル^國ニ。復以テ 2( 妹子ヲ )1 爲シ 2( 大使ト )1 、吉志ノ|雄成(をなり)ヲ爲ス 2( |小使(そいつかひ)ト )1 。天皇召テ 2( 太子已下ヲ )1 議リタマフ 2( 荅ツ書ノ之|辞(ことば)ヲ )1 。太子執テ^筆ヲ書シテ^之ヲ曰ク、東ノ天皇敬テ問フト 2( 西ノ皇帝ニ )1 云云、謹テ白ス不具ト。太子奏シテ以テ 2( |髙向(たかんこの)|漢(あや)人|玄理(はるまさ)|等(ら)八人ヲ )1 爲シテ 2( |學生(ものならひゞと)ト )1 而遣シタマフ。
此ノ月ノ|望(もち)ノ日、太子|在(いま)ス 2( 斑鳩ノ宮ニ )1 。入リタマフ 2( 夢殿ノ内ニ )1 。此の殿在り 2( 寢殿之側に )1 。|設(まう)ケテ 2( |御床(みゆか)・|褥(しとね)ヲ )1 、一月ニ三|度(たび)沐浴シテ而入リタマフ。|明(あくる)旦タ、|談(かた)リタマヒ 2( |海表(わだのほか)ノ雜事ヲ )1 、及製タマフニ 2( 諸經ノ疏ヲ )1 也、若シ有レバ^|滞(とゞこを)ルトコロ^義ニ、即入リタマフニ 2( 夢殿ニ )1 、常ニ自リ 2( 東方 )1 金人到テ告ルニ以ス 2( 妙義ヲ )1 也。閇テ^戸ヲ不ルコト^開キタマハ七日七夜、不^進メ 2( 御|膳(そなへ)ヲ )1 不^召サ 2( 侍從ヲ )1 、妃已下不^得^近ヅキタマフヲ^之ニ。時ノ人大ニ異トス^之ヲ。慧慈法師ノ曰サク、殿下入リタマヘリ 2( 三昧定ニ )1 、敢テ莫レ^驚シタテマツルコト。八箇日之晨タ、玉ノ|机(をしまづき)ノ之上ヘニ有リ 2( 一巻ノ經 )1 。設テ^筵ヲ|引(め)シテ 2( 慧慈法師ヲ )1 告テ曰ク、是レ吾ガ先身ニ修- 2( 行セシトキ衡山ニ )1 所ノ^持セシ之經也。|去(いんじ)年、妹子ガ將來セシハ者吾ガ第子ノ經也。三リノ老比丘不シテ^識ラ 2( 吾ガ所^|蔵(をさ)メシ之處ヲ )1 、取テ 2( 佗ノ經ヲ )1 送レリ。故吾レ|頃(このごろ)遣シテ^魂ヲ取リ來レリ。指テ 2( 所ノ^落ル字ヲ )1 而示タマフ 2( 法師ニ )1 。師大ニ驚テ竒トス^之ヲ。妹子ガ將來セシ經ニハ者無シ^有コト 2( 此ノ字 )1 。太子出定ノ後、常ニ有テ 2( 口遊 )1 曰ハク、|可怜(あはれ)可怜大隋國ノ僧ニハ我レ善知識ナリ。好デ讀ム^書ヲ。若シ不レバ^讀マ^書ヲ非ズ^|爲(す)ルニ 2( 弟子ト )1 。是レ勧戒之訓ヘ也。〔夢ニ取來ル之經ハ、複シテ爲ス 2( 一巻ト )1 。黄ナル紙・黄ナル|(へうし)、玉ノ軸・|綺(かんはた)ノ|帯(をび)、|漆(うるし)ノ題。一|行(かう)ニ三十四字アリ。字太ダ微細也。太子薨ジタマヒテ後、山背ノ大兄ノ王子六時ニ礼拜ス。丁亥ノ年十月廿三日ノ夜半ニ忽ニ失タリ。此經不^知ラ^所ヲ^去ル、求ルニ^之ヲ無シ^由。王子大ニ怪シミテ之復タ以爲ス^憂ト矣。今在ルハ^院ニ妹子ガ將來セシ經ナリ。〕

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【本文】
十七年己巳夏四月八日、太子始シタマフ勝鬘經。此月、百濟僧道きん等十人-セリ肥後。聞太子、情センコトヲ。仍-元興寺。太子召-レテ於斑鳩、問フニシタマフ過去宿身之事。十僧辞謝シテながシテカニせい、上人キヤ天眼乎。此太子衡山般若臺東房第一念禅比丘ナリ也。吾とも廬嶽道人時時より〳〵拜謁シテキイシタマフヲ法華一乗妙義ノナリ也。太子聞左右さう、是
【原注】
【白文】
十七年己巳夏四月八日、太子始製勝鬘經。此月、百濟僧道欣等十人流着肥後國。聞太子風、情願留住。仍安置元興寺。太子召入於斑鳩宮、問之以過去宿身之事。十僧辞謝垂涙密語等儕曰、上人等何無天眼乎。此太子是衡山般若臺東房第一念禅比丘也。吾等與廬嶽道人時時拜謁聞其説法華一乗妙義者也。太子聞之謂左右曰、是實也。
【書き下し文】
十七年己巳夏四月八日に、太子始て勝鬘經のを製したまふ。此の月、百濟の僧道きん等十人肥後の國に着せり。太子の風を聞て、情に住せんことを願ふ。仍て元興寺に安置す。太子於斑鳩の宮に召入れて、之に問ふに過去宿身の之事を以したまふ。十僧辞謝して涙をながして密かに等せいに語て曰く、上人何ぞ天眼無きや乎。此の太子は是れ衡山の般若臺の東房第一の念禅比丘なり也。吾れ廬嶽の道人ととも時時より〳〵拜謁して其の法華一乗の妙義を説たまふを聞きいし者のなり也。太子之を聞て左右さうに謂て曰く、是れ實と也と。
【漢文エディタ原文】
十七年己巳夏四月八日ニ、太子始テ製シタマフ 2( 勝鬘經ノヲ )1 。此ノ月、百濟ノ僧道|欣(きん)等十人|流(る)- 2( 着セリ肥後ノ國ニ )1 。聞テ 2( 太子ノ風ヲ )1 、情ニ願フ 2( |留(る)住センコトヲ )1 。仍テ安- 2( 置ス元興寺ニ )1 。太子召- 2( 入レテ於斑鳩ノ宮ニ )1 、問フニ^之ニ以シタマフ 2( 過去宿身ノ之事ヲ )1 。十僧辞謝シテ|垂(なが)シテ^涙ヲ密カニ語テ 2( 等|儕(せい)ニ )1 曰ク、上人|等(ら)何ゾ無キヤ 2( 天眼 )1 乎。此ノ太子ハ是レ衡山ノ般若臺ノ東房第一ノ念禅比丘ナリ也。吾レ|等(ら)|與(とも)ニ 2( 廬嶽ノ道人ト )1 |時時(より〳〵)拜謁シテ聞キイシ 3( 其ノ説タマフヲ 2( 法華一乗ノ妙義ヲ )1 者ノナリ也。太子聞テ^之ヲ謂テ 2( |左右(さう)ニ )1 曰ク、是レ實ト也ト。

【本文】
秋九月、小野臣妹子まうデヽ大隋シテ太子、臣いたルニ于衡山般若臺、先イシリノ僧、二口遷化一口猶存セリ。謂、初年ニハ沙弥誤セシ之經ヂニ。而ルヲいん秋、なんぢ太子元是念禅法師、駕シテ青龍したがヘテ五百人東方ヨリンデそら而來さぐきううち、取一巻しのイデ而去。仍法華五巻。名上宮。《是則殿下入定之時也。》太子微笑シテ而黙シタマフ
【原注】
【白文】
秋九月、小野臣妹子到自大隋啓太子曰、臣届于衡山般若臺、先逢三僧、二口遷化一口猶存。謂臣曰、初年沙弥誤取佗僧所持之經授子竟。而去年秋、子國太子元是念禅法師、駕青龍車從五百人到東方、履空而來、探舊房裏、取一巻經、凌虚而去。仍留此法華五巻義。名上宮。《是則殿下入定之時也。》太子微笑而黙。
【書き下し文】
秋九月に、小野の臣妹子大隋よりまうでゝ太子に啓して曰く、臣于衡山の般若臺にいたるに、先にいし三りの僧、二口は遷化し一口は猶存せり。臣に謂て曰く、初年には沙弥誤て佗の僧の持せし所の之經を取て子ぢに授け竟ぬ。而るをいんじ年の秋、なんぢが國の太子元は是念禅法師、青龍の車に駕して五百人をしたがへて東方より到て、そらんで而來て、きう房のうちさぐり、一巻の經を取り、虚をしのいで而去る。仍て此の法華五巻の義を留む。上宮のと名く。《是則殿下入定之時也。》太子微笑して黙したまふ。
【漢文エディタ原文】
秋九月ニ、小野ノ臣妹子|到(まう)デヽ^自リ 2( 大隋 )1 啓シテ 2( 太子ニ )1 曰ク、臣|届(いた)ルニ 2( 于衡山ノ般若臺ニ )1 、先ニ|逢(あ)イシ三リノ僧、二口ハ遷化シ一口ハ猶存セリ。謂テ^臣ニ曰ク、初年ニハ沙弥誤テ取テ 2( 佗ノ僧ノ所ノ^持セシ之經ヲ )1 授ケ^子ヂニ竟ヌ。而ルヲ|去(いん)ジ年ノ秋、|子(なんぢ)ガ國ノ太子元ハ是念禅法師、駕シテ 2( 青龍ノ車ニ )1 |從(したが)ヘテ 2( 五百人ヲ )1 到テ 2( 東方ヨリ )1 、|履(ふ)ンデ^|空(そら)ヲ而來テ、|探(さぐ)リ 2( |舊(きう)房ノ|裏(うち)ヲ )1 、取リ 2( 一巻ノ經ヲ )1 、|凌(しの)イデ^虚ヲ而去ル。仍テ留ム 2( 此ノ法華五巻ノ義ヲ )1 。名ク 2( 上宮ノト )1 。《是則殿下入定之時也。》太子微笑シテ而黙シタマフ。

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【本文】
卅九歳 十八年庚午かうご春三月、髙麗僧【曇徽どんき〔注丨たんき〕法定はうてい二口來レリ。太子-レテ斑鳩宮、問テシタマフ昔身微言。二リノはくシテシテ太子、我等學年久ケレドモ天眼。今想ヘバ殿下みこと、昔シテ殿下第子あそンジ衡山也。太子命ジテ、法師。冝シクシトイヒテ 吾寺、即置タマフ法隆寺
秋九月、太子駕シテ驪駒タマフニ小墾田あやま而【ミタテマツル〔注丨原文「」〕。太子すこしきリタマフ斑鳩。驪駒不ムコト、亦不。兩をゝ、合タリルニルコト。太子聞タマヒテ、遣シテ使のたまフニメト一レ、乃水草。以
冬十月かしはで氏妃侍坐セリ。太子語、汝如。觸レテ。吾タルハ者我之幸也。吾セン之日同穴ニテモレント。妃啓シテ、殿下恩深ようはんべしんハク、千秋万歳如盤石大嶽朝夕つかたてまつラバ幸足ナン矣。何フルコト。太子命ジテ、不ハアラ矣。有ルハルコト、理之自然ナリせいしいスルハ、人之常ナリ。吾昔經數十身修行、崇メキ。僅ツテ小國儲君之身、流-スルコト妙義、未之一ツニ。而ルヲ今釋典漸、正燈頗。九夷之中カニほゞ一乗。故吾バンコトヲ五濁。妃垂レテシテ、妾將ヲカガン。太子命ジテ、汝莫レトムルコト矣。
妃之爲性ひとゝなり聰敏そうびん睿悟ニシテ、御體レバかゆキコト、雖、亦思ヘバント羣臣、妃知。太子をもジメリタマフさむケレバ者令あたゝかナラあつケレバ者令すゞシカラ、思ヘバント者令、思ヘバント者令、欲セバたゝント者令、欲セバセント者令。擧動周旋スルコト殿下。故ヘタマヒ寵愛、有同穴をゝせ
【原注】
曇徽どんき丨たんき ○ ミタテマツル丨原文「」 
【白文】
卅九歳十八年庚午春三月、髙麗僧曇徽・法定二口來。太子引入斑鳩宮、問之以昔身微言。二僧百拜啓太子曰、我等學道年久未知天眼。今想殿下之言、昔爲殿下第子而遊衡山者也。太子命曰、法師等遲來。冝住吾寺、即置法隆寺。
秋九月、太子駕驪駒參小墾田宮、錯而蹈之。太子尠驚還斑鳩宮。驪駒不能喫草、亦不飲水。兩耳掩低、合兩目似有悔過。太子聞之、遣使宣喫草飲水、乃開目含水草。以此爲常。
冬十月、膳氏妃侍坐。太子語妃曰、汝如我意。觸事不違。吾得汝者我之幸也。吾死之日同穴共埋。妃啓曰、殿下恩深。庸妾侍寢常思、千秋万歳如盤石如大嶽朝夕供奉妾幸足矣。何以有終乎。太子命曰、不然矣。有始有終、理之自然。惟生惟死、人之常道。吾昔經數十身修行、崇道。僅爲小國儲君之身、流通妙義、未足万之一。而今釋典漸傳、正燈頗照。九夷之中畧演一乗。故吾不欲久遊五濁。妃垂涙荅曰、妾將何仰。太子命曰、汝莫留意矣。
妃之爲性聰敏睿悟、御體有癢、雖不命處能識掻之、亦思召羣臣、妃知令召。太子所念預先知之。寒者令温、温者令寒、思往者令往、思來者令來、欲起者令起、欲坐者令坐。擧動周旋如殿下意。故加寵愛、有同穴令。
【書き下し文】
卅九歳 十八年庚午かうご春三月、髙麗の僧曇徽どんき法定はうてい二口來れり。太子斑鳩宮にし入れて、之に問に昔身の微言を以てしたまふ。二りの僧はく拜して太子に啓して曰く、我等道を學て年久けれども未だ天眼を知らず。今殿下の之みことを想へば、昔し殿下の第子と爲して衡山にあそんじ者の也。太子命じて曰く、法師遲く來る。冝しく吾寺に住すべしといひて、即法隆寺に置たまふ。
秋九月に、太子驪駒に駕して小墾田の宮に參たまふに、あやまて之をみたてまつる。太子すこしき驚て斑鳩の宮に還りたまふ。驪駒草をむこと能はず、亦水をまず。兩の耳をゝれ、兩の目を合て過を悔ること有るに似たり。太子之を聞たまひて、使を遣して草をみ水をめとのたまふに、乃ち目を開て水草を含む。此を以て常と爲す。
冬十月に、かしはでの氏妃侍坐せり。太子妃に語て曰く、汝我が意のごとし。事に觸れて違はず。吾れ汝を得たるは我が之幸也。吾が死せん之日も同穴にて共に埋もれんと。妃啓して曰く、殿下の恩深し。ようしんはんべて常に思はく、千秋万歳盤石の如く大嶽の如く朝夕につかたてまつらば妾が幸足なん矣。何を以て終ふること有ん。太子命じて曰く、然はあらず矣。始め有るは終り有ること、理の之自然なり。せいし惟れしいするは、人之常の道なり。吾れ昔數十身を經て修行し、道を崇めき。僅に小國の儲君の之身とつて、妙義を流通すること、未だ万が之一つに足らず。而るを今釋典漸く傳り、正燈頗る照す。九夷の之中かにほゞ一乗をぶ。故吾れ久く五濁に遊ばんことを欲せず。妃涙を垂れて荅して曰く、妾將に何をか仰がん。太子命じて曰く、汝意を留むること莫れと矣。
妃之爲性ひとゝなり聰敏そうびん睿悟にして、御體にかゆきこと有れば、處を命ぜずと雖も能く識て之を掻き、亦羣臣を召んと思へば、妃知て召さしむ。太子のをもふ所預じめ先づ之を知りたまふ。さむければ者あたゝかならしめ、あつければ者すゞしからしめ、往んと思へば者往かしめ、來んと思へば者來さしめ、たゝんと欲せば者起たしめ、坐せんと欲せば者坐せしむ。擧動周旋すること殿下の意のごとし。故に寵愛を加へたまひ、同穴のをゝせ有り。
【漢文エディタ原文】
卅九歳 十八年|庚午(かうご)春三月、髙麗ノ僧【|曇徽(どんき)】〈NOTE たんき 〉・|法定(はうてい)二口來レリ。太子|引(め)シ- 2( 入レテ斑鳩宮ニ )1 、問ニ^之ニ以テシタマフ 2( 昔身ノ微言ヲ )1 。二リノ僧|百(はく)拜シテ啓シテ 2( 太子ニ )1 曰ク、我等學テ^道ヲ年久ケレドモ未ダ^知ラ 2( 天眼ヲ )1 。今想ヘバ 2( 殿下ノ之|言(みこと)ヲ )1 、昔シ爲シテ 2( 殿下ノ第子ト )1 而|遊(あそ)ンジ 2( 衡山ニ )1 者ノ也。太子命ジテ曰ク、法師|等(ら)遲ク來ル。冝シク _シトイヒテ_ ^住ス 2( 吾寺ニ )1 、即置タマフ 2( 法隆寺ニ )1 。
秋九月ニ、太子駕シテ 2( 驪駒ニ )1 參タマフニ 2( 小墾田ノ宮ニ )1 、|錯(あやま)テ而【|蹈(ふ)ミタテマツル】〈NOTE 原文「」 〉^之ヲ。太子|尠(すこしき)驚テ還リタマフ 2( 斑鳩ノ宮ニ )1 。驪駒不^能ハ^|喫(は)ムコト^草ヲ、亦不^|飲(の)マ^水ヲ。兩ノ耳|掩(をゝ)イ|低(た)レ、合テ 2( 兩ノ目ヲ )1 似タリ^有ルニ^悔ルコト^過ヲ。太子聞タマヒテ^之ヲ、遣シテ^使ヲ|宣(のたま)フニ 2( |喫(は)ミ^草ヲ|飲(の)メト )1^水ヲ、乃チ開テ^目ヲ含ム 2( 水草ヲ )1 。以テ^此ヲ爲ス^常ト。
冬十月ニ、|膳(かしはで)ノ氏妃侍坐セリ。太子語テ^妃ニ曰ク、汝如シ 2( 我ガ意ノ )1 。觸レテ^事ニ不^違ハ。吾レ得タルハ^汝ヲ者我ガ之幸也。吾ガ死セン之日モ同穴ニテ共ニ埋モレント。妃啓シテ曰ク、殿下ノ恩深シ。|庸(よう)妾|侍(はんべ)テ^|寢(しん)ニ常ニ思ハク、千秋万歳如ク 2( 盤石ノ )1 如ク 2( 大嶽ノ )1 朝夕ニ|供(つか)ヘ|奉(たてまつ)ラバ妾ガ幸足ナン矣。何ヲ以テ有ン^終フルコト|乎(や)。太子命ジテ曰ク、不^然ハアラ矣。有ルハ^始メ有ルコト^終リ、理ノ之自然ナリ。|惟(こ)レ|生(せい)シ惟レ|死(しい)スルハ、人之常ノ道ナリ。吾レ昔經テ 2( 數十身ヲ )1 修行シ、崇メキ^道ヲ。僅ニ|爲(な)ツテ 2( 小國ノ儲君ノ之身ト )1 、流- 2( 通スルコト妙義ヲ )1 、未ダ^足ラ 2( 万ガ之一ツニ )1 。而ルヲ今釋典漸ク傳リ、正燈頗ル照ス。九夷ノ之中カニ|畧(ほゞ)|演(の)ブ 2( 一乗ヲ )1 。故吾レ不^欲セ 3( 久ク遊バンコトヲ 2( 五濁ニ )1 。妃垂レテ^涙ヲ荅シテ曰ク、妾將ニ何ヲカ仰ガン。太子命ジテ曰ク、汝莫レト^留ムルコト^意ヲ矣。
妃之|爲性(ひとゝなり)|聰敏(そうびん)睿悟ニシテ、御體ニ有レバ^|癢(かゆ)キコト、雖モ^不ト^命ゼ^處ヲ能ク識テ掻キ^之ヲ、亦思ヘバ^召ント 2( 羣臣ヲ )1 、妃知テ令ム^召サ。太子ノ所^|念(をも)フ預ジメ先ヅ知リタマフ^之ヲ。|寒(さむ)ケレバ者令メ^|温(あたゝか)ナラ、|温(あつ)ケレバ者令メ^|寒(すゞ)シカラ、思ヘバ^往ント者令メ^往カ、思ヘバ^來ント者令メ^來サ、欲セバ^|起(たゝ)ント者令メ^起タ、欲セバ^坐セント者令ム^坐セ。擧動周旋スルコト如シ 2( 殿下ノ意ノ )1 。故ニ加ヘタマヒ 2( 寵愛ヲ )1 、有リ 2( 同穴ノ|令(をゝせ) )1 。

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【本文】
四十 十九年辛未しんび春正月二十五日、太子製タマヒ勝鬘經えらバシメタマフニ於慧慈法師等大德、讃歎誦習シテ一字ヲモ、不一文ヲモ、頂戴崇奉しうふうシテ。夏五月五日、天皇みゆきシテ兎田野うたのみづかみそなハシタマフニ虞人ぐじん〔注丨かりびと。〕フヲ一レモノヲ、太子諌メテ、殺生之罪佛教。儒童菩薩漸くだ。故てうスレドモ而不かう、不宿ねとり。釋氏五戒ニハ、一不殺生外典之仁也。彼相合ヘリ。伏シテクハ、陛下永チタマヘトわざ。天皇勅シテ、朕女主殺生。是之過也。深慚愧。自今已後爲太子ント
【原注】
虞人ぐじん丨かりびと。 
【白文】
四十十九年辛未春正月二十五日、太子製勝鬘經竟、簡於慧慈法師等大德、讃歎誦習不加一字、不一文、頂戴崇奉更無餘言。夏五月五日、天皇幸于兎田野、自觀虞人逐獸、太子諌曰、殺生之罪佛教尤重。儒童菩薩漸降其禮。故釣而不鋼、不射宿。釋氏五戒、一不殺生外典之仁也。彼此相合。伏願、陛下永断此事。天皇勅曰、朕爲女主好此殺生。是朕之過也。深以慚愧。自今已後爲太子断之。
【書き下し文】
四十 十九年辛未しんび春正月二十五日、太子勝鬘經のを製たまひ竟て、於慧慈法師等の大德にえらばしめたまふに、讃歎誦習して一字をも加へず、一文をもぜず、頂戴崇奉しうふうして更に餘の言は無し。夏五月五日に、天皇于兎田野うたのみゆきして、みづか虞人ぐじんの獸ものをふをみそなはしたまふに、太子諌めて曰く、殺生之罪は佛教に尤も重し。儒童菩薩漸く其の禮をくだす。故てうすれどもかうせず、宿ねとりを射ず。釋氏の五戒には、一に不殺生外典之仁也。彼れ此れ相合へり。伏して願くは、陛下永く此のわざちたまへと。天皇勅して曰く、朕女主とて此の殺生を好む。是れ朕が之過ち也。深く以て慚愧す。自今已後太子の爲に之を断んと。
【漢文エディタ原文】
四十 十九年|辛未(しんび)春正月二十五日、太子製タマヒ 2( 勝鬘經ノヲ )1 竟テ、|簡(えら)バシメタマフニ 2( 於慧慈法師等ノ大德ニ )1 、讃歎誦習シテ不^加ヘ 2( 一字ヲモ )1 、不^ゼ 2( 一文ヲモ )1 、頂戴|崇奉(しうふう)シテ更ニ無シ 2( 餘ノ言ハ )1 。夏五月五日ニ、天皇|幸(みゆき)シテ 2( 于|兎田野(うたの)ニ )1 、|自(みづか)ラ|觀(みそな)ハシタマフニ 2( 【|虞人(ぐじん)】〈NOTE かりびと。 〉ノ|逐(を)フヲ )1^獸モノヲ、太子諌メテ曰ク、殺生之罪ハ佛教ニ尤モ重シ。儒童菩薩漸ク|降(くだ)ス 2( 其ノ禮ヲ )1 。故|釣(てう)スレドモ而不^|鋼(かう)セ、不^射^|宿(ねとり)ヲ。釋氏ノ五戒ニハ、一ニ不殺生外典之仁也。彼レ此レ相合ヘリ。伏シテ願クハ、陛下永ク|断(た)チタマヘト 2( 此ノ|事(わざ)ヲ )1 。天皇勅シテ曰ク、朕|爲(し)テ 2( 女主ト )1 好ム 2( 此ノ殺生ヲ )1 。是レ朕ガ之過チ也。深ク以テ慚愧ス。自今已後爲ニ 2( 太子ノ )1 断ント^之ヲ。

        
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