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聖德太子傳略 卷之上

平氏撰

  欽明天皇   敏達天皇   一歳   二歳   三歳   四歳   五歳   六歳   七歳   八歳   九歳   十歳   十一歳   十二歳   十三歳   十四歳   用明天皇   十五歳   十六歳   崇峻天皇   十七歳   十八歳   十九歳   二十歳   二十一歳   推古天皇   二十二歳   二十三歳   二十四歳   二十五歳   二十六歳   二十七歳   二十八歳   二十九歳   三十歳   三十一歳   三十二歳   三十三歳   三十四歳   三十五歳   三十六歳
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聖德太子傳略

【本文】
三十代 欽明天皇 諱天國あまつくに押開をしひらき廣庭ひろには天皇。磯城島しきしま金刺かなさしよををさメタマフコト三十二年。
三十一年庚寅かういん春二月、第四皇子たちばな豊日とよひみことレテ庶妹そまい間人はしひと穴太部あなほべ皇女シタマフ
三十二年辛卯しんばう春正月朔甲子夜、妃夢ラクいまシテ金色容儀はなはうるはシキむかヒテ而立、謂イテ、吾レニ救世之願。願クハしばら宿やどラントきみ。妃問、是トカ。僧、吾救世菩薩ナリ。家リト西方。妃、妾垢穢ナリ。何宿やどシタテマツラン貴人。僧、吾いと垢穢。唯望ラクハすこしゼンコトヲ人間じんかん。妃辞譲左之とも右之かくもハン。僧懐、躍口中。妃即驚メテ、喉中猶似タリメルニ。妃意大イニトシテ皇子くわうし。皇子きみ之所ゼンント聖人。自以後リトメルコト。妃之妊メルトキ也、性殊睿敏ニシテ、動止閑爽、樞機辨悟ナリ。經八月フコト於外。皇子并セテ妃以トシタマフ
【原注】
○ 睿敏丨かしこくさかし  ○ 閑爽丨みやびやか、さわやか  ○ 辨悟丨さかしくさとし 
【白文】
三十代欽明天皇諱天國押開廣庭天皇。磯城島金刺宮治三十二年。
三十一年庚寅春二月、第四皇子橘豊日尊納庶妹間人穴太部皇女爲妃。
三十二年辛卯春正月朔甲子夜、妃夢、有金色僧容儀太艶對妃而立、謂之曰、吾有救世之願。願暫宿后腹。妃問、是爲誰。僧曰、吾救世菩薩。家在西方。妃曰、妾腹垢穢。何宿貴人。僧曰、吾不厭垢穢。唯望尠感人間。妃曰、不敢辞譲。左之右之隨命。僧懐歓色、躍入口中。妃即驚寤、喉中猶似呑物。妃意大竒謂皇子。皇子曰、之所誕必得聖人。自此以後始知有娠。妃之妊也、性殊睿敏、動止閑爽、樞機辨悟。經八月聞言於外。皇子并妃以大竒。
【書き下し文】
三十代 欽明天皇 諱は天國あまつくに押開をしひらき廣庭ひろにはの天皇。磯城島しきしま金刺かなさしの宮によををさめたまふこと三十二年。
三十一年庚寅かういん春二月、第四の皇子たちばな豊日とよひみこと庶妹そまい間人はしひと穴太部あなほべの皇女をれてと爲したまふ。
三十二年辛卯しんばう春正月朔甲子の夜、妃夢らく、金色の僧の容儀はなはうるはしきいまして妃にむかひて立て、之に謂いて曰く、吾れに救世の之願有り。願くはしばらきみが腹に宿やどらんと。妃問ふ、是れ誰とかる。僧の曰く、吾は救世の菩薩なり。家は西方に在りと。妃の曰く、妾が腹は垢穢なり。何ぞ貴人を宿やどしたてまつらん。僧の曰く、吾は垢穢をいとはず。唯望らくはすこし人間じんかんに感ぜんことを。妃の曰く、敢て辞譲せ左之とも右之かくも命に隨はん。僧歓の色を懐て、躍て口中に入ぬ。妃即驚きめて、喉の中猶物を呑めるに似たり。妃の意大いに竒として皇子くわうしに謂る。皇子の曰く、きみが之誕ぜん所必ず聖人を得んと。此れより以後ち始て娠めること有りと知る。妃の之妊めるとき也、性殊に睿敏にして、動止閑爽に、樞機辨悟なり。八月を經て言ふこと於外に聞ゆ。皇子并せて妃以て大に竒としたまふ。
【漢文エディタ原文】
三十代 欽明天皇 諱ハ|天國(あまつくに)|押開(をしひらき)|廣庭(ひろには)ノ天皇。|磯城島(しきしま)|金刺(かなさし)ノ宮ニ|治(よををさ)メタマフコト三十二年。
三十一年|庚寅(かういん)春二月、第四ノ皇子|橘(たちばな)ノ|豊日(とよひ)ノ|尊(みこと)|納(い)レテ 2( |庶妹(そまい)|間人(はしひと)|穴太部(あなほべ)ノ皇女ヲ )1 爲シタマフ^|妃(ひ)ト。
三十二年|辛卯(しんばう)春正月朔甲子ノ夜、妃夢ラク、|有(いま)シテ 2( 金色ノ僧ノ容儀|太(はなは)ダ|艶(うるは)シキ )1 |對(むか)ヒテ^妃ニ而立テ、謂イテ^之ニ曰ク、吾レニ有リ 2( 救世ノ之願 )1 。願クハ|暫(しばら)ク|宿(やど)ラント 2( |后(きみ)ガ腹ニ )1 。妃問フ、是レ|爲(す)ル^誰トカ。僧ノ曰ク、吾ハ救世ノ菩薩ナリ。家ハ在リト 2( 西方ニ )1 。妃ノ曰ク、妾ガ腹ハ垢穢ナリ。何ゾ|宿(やど)シタテマツラン 2( 貴人ヲ )1 。僧ノ曰ク、吾ハ不^|厭(いと)ハ 2( 垢穢ヲ )1 。唯望ラクハ|尠(すこし)キ感ゼンコトヲ 2( |人間(じんかん)ニ )1 。妃ノ曰ク、|不(じ) 2( 敢テ辞譲セ )1 。|左之(とも)|右之(かくも)隨ハン^命ニ。僧懐テ 2( 歓ノ色ヲ )1 、躍テ入ヌ 2( 口中ニ )1 。妃即驚キ|寤(さ)メテ、喉ノ中猶似タリ^呑メルニ^物ヲ。妃ノ意大イニ竒トシテ謂ル 2( |皇子(くわうし)ニ )1 。皇子ノ曰ク、|(きみ)ガ之所^誕ゼン必ズ得ント 2( 聖人ヲ )1 。自リ^此レ以後チ始テ知ル^有リト^娠メルコト。妃ノ之妊メルトキ也、性殊ニ【睿敏】〈NOTE かしこくさかし 〉ニシテ、動止【閑爽】〈NOTE みやびやか、さわやか 〉ニ、樞機【辨悟】〈NOTE さかしくさとし 〉ナリ。經テ 2( 八月ヲ )1 聞ユ 2( 言フコト於外ニ )1 。皇子并セテ妃以テ大ニ竒トシタマフ。

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【本文】
卅一代 敏逹天皇 諱涬名倉ぬなくら太玉敷ふとたましき天皇。欽明天皇之太子也。橘豊日磐余いはれ譯田をさだタマフコト十四年。
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元年壬辰春正月一日ひとひ、妃めぐリタマフニ第中ルトキ于厩もと、不スルコト入胎につたいシタマフコト正月一日、開誕亦正月一日、総タリ一十二箇月矣。女孺驚まい寢殿。妃亦無シテつゝが-宿シタマフ。皇子驚イタマフ侍從つどヘルニ一レ。忽赤黄せきくわう西方ヨリ、照-耀殿良久シテ而止ンヌ
敏達天皇 猶いま東宮。 乍メシ、命ジテ而問タマフ、及殿復有照耀スルコト。天皇大トシテシテ群臣、此コト於世。即命ジテ有司大湯坐をほゆざ若湯坐わかゆざ而沐浴セシメテいだツルニ、天皇以むつきケタマフ皇后。皇后授皇子。皇子授。妃ひらいケタマフニ身體しんていハシ三日みか天皇設群臣七日なぬか皇后設後宮。大臣已下いか相次みそなへレヲ養産うぶやしない。定めのと三人みな臣連をんむらじ。夏四月後、太子能ものいものがたりシタマフ。知擧動、妄リニ啼泣なきタマハ
【原注】
【白文】
卅一代敏達天皇諱涬名倉太玉敷天皇。欽明天皇之太子也。橘豊日尊兄磐余譯田宮治十四年。
元年壬辰春正月一日、妃巡第中到于厩下、不覺有産。入胎正月一日、開誕亦正月一日、総經一十二箇月矣。女孺驚抱疾入寢殿。妃亦無恙安宿幄内。皇子驚詢侍從會庭。忽有赤黄光至西方、照耀殿内良久而止。
敏達天皇猶居東宮。乍聞此異、命駕而問比、及殿戸復有照耀。天皇大異群臣曰、此児後有異於世。即命有司定大湯坐・若湯坐而沐浴抱擧、天皇以褓受之授皇后。皇后授父皇子。皇子授妃。妃披懷受、身體太香。三日夕天皇設宴賜物群臣。七日夕皇后設宴賜物後宮。大臣已下相次献饌之養産。定母三人。并取臣連女。夏四月後、太子能言能語。知人擧動、妄不啼泣。
【書き下し文】
卅一代 敏達天皇 諱は涬名倉ぬなくら太玉敷ふとたましきの天皇。欽明天皇の之太子也。橘の豊日の尊の兄磐余いはれ譯田をさだの宮に治たまふこと十四年。
元年壬辰の春正月一日ひとひ、妃第中をめぐりたまふに于厩のもとに到るとき、覺へず産すること有り。入胎につたいしたまふこと正月一日、開誕亦正月一日、総て一十二箇月を經たり。女孺驚き抱て疾く寢殿にまいる。妃亦つゝが無して幄の内に安宿したまふ。皇子驚て侍從の庭につどへるにいたまふ。忽に赤黄せきくわうの光り有て西方より至り、殿の内を照耀し良久して止んぬ。
敏達天皇 猶東宮にいます。 乍に此の異を聞めし、駕を命じて問たまふ比ひ、殿の戸に及て復照耀すること有つ。天皇大に異として群臣にして曰く、此の後に於世に異こと有ん。即有司に命じて大湯坐をほゆざ若湯坐わかゆざを定め而沐浴せしめていだき擧つるに、天皇むつきを以之を受て皇后に授けたまふ。皇后父の皇子に授く。皇子妃に授く。妃懷をひらいて受けたまふに、身體しんてい太だ香はし。三日みかは天皇宴を設て物を群臣に賜ふ。七日なぬかの夕は皇后宴を設て物を後宮に賜ふ。大臣已下いか相次てみそなへを献る之れを養産うぶやしないふ。めのと三人を定む。みな臣連をんむらじを取る。夏四月の後、太子能くものいひ能くものがたりしたまふ。人の擧動を知て、妄りに啼泣なきたまはず。
【漢文エディタ原文】
卅一代 敏達天皇 諱ハ|涬名倉(ぬなくら)|太玉敷(ふとたましき)ノ天皇。欽明天皇ノ之太子也。橘ノ豊日ノ尊ノ兄|磐余(いはれ)|譯田(をさだ)ノ宮ニ治タマフコト十四年。
元年壬辰ノ春正月|一日(ひとひ)、妃|巡(めぐ)リタマフニ 2( 第中ヲ )1 到ルトキ 2( 于厩ノ|下(もと)ニ )1 、不^覺ヘ有リ^産スルコト。|入胎(につたい)シタマフコト正月一日、開誕亦正月一日、総テ經タリ 2( 一十二箇月ヲ )1 矣。女孺驚キ抱テ疾ク|入(まい)ル 2( 寢殿ニ )1 。妃亦無シテ^|恙(つゝが)安- 2( 宿シタマフ幄ノ内ニ )1 。皇子驚テ|詢(と)イタマフ 2( 侍從ノ|會(つど)ヘルニ )1^庭ニ。忽ニ有テ 2( |赤黄(せきくわう)ノ光リ )1 至リ 2( 西方ヨリ )1 、照- 2( 耀シ殿ノ内ヲ )1 良久シテ而止ンヌ。
敏達天皇 猶|居(いま)ス 2( 東宮ニ )1 。 乍ニ聞メシ 2( 此ノ異ヲ )1 、命ジテ^駕ヲ而問タマフ比ヒ、及テ 2( 殿ノ戸ニ )1 復有ツ 2( 照耀スルコト )1 。天皇大ニ異トシテシテ 2( 群臣ニ )1 曰ク、此ノ|児(こ)後ニ有ン^異コト 2( 於世ニ )1 。即命ジテ 2( 有司ニ )1 定メ 2( |大湯坐(をほゆざ)・|若湯坐(わかゆざ)ヲ )1 而沐浴セシメテ|抱(いだ)キ擧ツルニ、天皇以^|褓(むつき)ヲ受テ^之ヲ授ケタマフ 2( 皇后ニ )1 。皇后授ク 2( 父ノ皇子ニ )1 。皇子授ク^妃ニ。妃|披(ひらい)テ^懷ヲ受ケタマフニ、|身體(しんてい)太ダ香ハシ。|三日(みか)ノ|夕(よ)ハ天皇設テ^宴ヲ賜フ 2( 物ヲ群臣ニ )1 。|七日(なぬか)ノ夕ハ皇后設テ^宴ヲ賜フ 2( 物ヲ後宮ニ )1 。大臣|已下(いか)相次テ献ル^|饌(みそなへ)ヲ|(い)フ 2( 之レヲ|養産(うぶやしない)ト )1 。定ム 2( |母(めのと)三人ヲ )1 。|并(みな)取ル 2( |臣連(をんむらじ)ガ|女(め)ヲ )1 。夏四月ノ後、太子能ク|言(ものい)ヒ能ク|語(ものがたり)シタマフ。知テ 2( 人ノ擧動ヲ )1 、妄リニ不 2( |啼泣(なき)タマハ )1 。
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【本文】
二歳 二年癸巳春二月《生レテ後僅期有二月矣。》始十五日平旦シテ南無佛而再拜シタマフ。不リタマハヘニめのといさメタテマツルニ、太子擧ながめしいシテタマハスル。七歳之後、此わざミタマフ
【原注】
【白文】
二歳二年癸巳春二月《生後僅期有二月矣。》始十五日平旦合掌向東稱南無佛而再拜。不因人教。母常禁、太子擧目睇不依所制。七歳之後、此態永止。
【書き下し文】
二歳 二年癸巳春二月《生れて後僅に期有二月。》始て十五日の平旦に掌を合せ東に向て南無佛と稱して再拜したまふ。人の教へにりたまはず。めのと常にいさめたてまつるに、太子目を擧てながめしいして制する所に依たまはず。七歳の之後、此のわざ永くみたまふ。
【漢文エディタ原文】
二歳 二年癸巳春二月《生レテ後僅ニ期有二月矣。》始テ十五日ノ平旦ニ合セ^掌ヲ向テ^東ニ稱シテ 2( 南無佛ト )1 而再拜シタマフ。不^|因(よ)リタマハ 2( 人ノ教ヘニ )1 。|母(めのと)常ニ|禁(いさ)メタテマツルニ、太子擧テ^目ヲ|睇(ながめしい)シテ不^依タマハ^所ニ^制スル。七歳ノ之後、此ノ|態(わざ)永ク|止(や)ミタマフ。

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【本文】
三歳 三年甲午春三月、桃花あした、皇子ひきい太子タマフ於後園。太子在抱いだかれて皇子。皇子問、吾いかゞをもふ、桃花スルねがはシトヤ、松葉ヲヤもてあそバント。太子荅シテタマハク、松葉をもバント。皇子問タマフなんゆへ。太子荅シタマハク、桃花一旦之榮物、松葉万年之貞木也。故シト。皇子及抱タマフニ、其身太。非之所一レ。太子仰-タマヒテ皇子われコト御手みて也、如百丈はくじやういはほベルガ千尺之浪。太ロシフウシ。皇子大ミタマフ

【原注】
【白文】
三歳三年甲午春三月、桃花之旦、皇子與妃率太子遊於後園。太子在抱近皇子。皇子問曰、吾児何謂、桃花爲樂、松葉爲賞。太子荅曰、松葉爲賞。皇子問之。何以。太子荅之、桃花一旦之榮物、松葉万年之貞木也。故可賞之。皇子撫頂及抱、其身太香。非世之所嗅。太子仰看皇子曰、児入於御手也、如登百丈之巖浮千尺之浪。太畏太危。皇子大笑。
【書き下し文】
三歳 三年甲午春三月、桃花の之あした、皇子と妃與と太子をひきいて於後園に遊たまふ。太子在抱いだかれて皇子に近し。皇子問て曰く、吾がいかゞをもふ、桃花をねがはしとや爲する、松葉をやもてあそばんと爲る。太子荅して曰たまはく、松葉を賞ばんとをもふ。皇子之を問たまふ。なんゆへぞ。太子之に荅したまはく、桃花は一旦の之榮物、松葉は万年の之貞木也。故に之を賞すべしと。皇子頂をで及抱たまふに、其身太だ香し。世の之ぐ所非ず。太子皇子を仰ぎたまひて曰く、われ御手みてに入こと也、百丈はくじやうの之いはほに登り千尺の之浪に浮べるがごとし。太だ畏ろしふ太だ危うし。皇子大にみたまふ。
【漢文エディタ原文】
三歳 三年甲午春三月、桃花ノ之|旦(あした)、皇子ト與ト^妃|率(ひきい)テ 2( 太子ヲ )1 遊タマフ 2( 於後園ニ )1 。太子|在抱(いだかれて)近シ 2( 皇子ニ )1 。皇子問テ曰ク、吾ガ|児(こ)|何(いかゞ)|謂(をもふ)、桃花ヲ爲スル^|樂(ねがは)シトヤ、松葉ヲヤ爲ル^|賞(もてあそ)バント。太子荅シテ曰タマハク、松葉ヲ|爲(をも)フ^賞バント。皇子問タマフ^之ヲ。|何(なん)ノ|以(ゆへ)ゾ。太子荅シタマハク^之ニ、桃花ハ一旦ノ之榮物、松葉ハ万年ノ之貞木也。故ニ可シト^賞ス^之ヲ。皇子|撫(な)デ^頂ヲ及抱タマフニ、其身太ダ香シ。非 2( 世ノ之所 )1^|嗅(か)グ。太子仰ギ- 2( |看(み)タマヒテ皇子ヲ )1 曰ク、|児(われ)入コト 2( 於|御手(みて)ニ )1 也、如シ 2{ 登リ 2( |百丈(はくじやう)ノ之|巖(いはほ)ニ )1 浮ベルガ ┤千尺ノ之浪ニ }1 。太ダ畏ロシフ太ダ危ウシ。皇子大ニ|笑(ゑ)ミタマフ。

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【本文】
四歳 四年乙未いつび春正月、皇子第中諸〃王子口闘いさかさけ之聲。皇子聞タマヒテツテしもとかたヘノ王子たちをそツテかくレタマヒヌ。而ルヲ太子脱きぬミタマフ。皇子問タマフ、兄弟不和ニシテヘノ少兒たやす口闘いさか。今欲スルニしもとをしへセント、皆悉。而汝何メル。太子合皇子并セテかたむシテテモ於天、而升コトヲ穿うがテモ於地、而隱ルヽコトヲ。故自進ケント。皇子并セテ妃大、汝岐嶷きぎよくナルコト今日けふノミニ。妃披而抱タマフニ身太。香氣非。妃乃タマフ寵愛。《或説、一タビタテマツルニ太子、数月懐。故後宮爭ント、及妃亦ます/\タマフ。》
【原注】
かたむ ─ うなだれ
【白文】
四歳四年乙未春正月、皇子第中有諸少王子口闘叫之聲。皇子聞之設笞追召、諸王子等皆悚逃竄。而太子脱衣獨進。皇子問之、兄弟不和諸少兒等輙以口闘。今欲笞誨、皆悉隱避。而汝何獨進。太子合掌對皇子并妃低首啓曰、不得立階於天、而升。不得穿穴於地、而隱。故自進受笞。皇子并妃大悦曰、汝之岐嶷非只今日。妃披懐而抱其身太香。香氣非常。妃乃最加寵愛。《或説曰、一抱太子、数月懐香。故後宮爭欲抱、及妃亦加抱。》
【書き下し文】
四歳 四年乙未いつび春正月、皇子の第中に諸〃の少き王子の口闘いさかさけぶ之聲有り。皇子之を聞たまひてしもとつて追い召に、かたへの王子たちをそつてかくれたまひぬ。而るを太子きぬを脱て獨り進みたまふ。皇子之を問たまふ、兄弟不和にして諸への少兒たやすく以口闘いさかふ。今しもとをしへせんと欲するに、皆悉く隱れ避る。而を汝何ぞ獨り進める。太子掌を合せ皇子并せて妃に對て首をかたむけ啓して曰く、階を於天に立ても、而升ことを得。穴を於地に穿うがても、而隱るゝことを得。故自進て笞を受けんと。皇子并せて妃大に悦て曰く、汝の之岐嶷きぎよくなること只今日けふのみに非ず。妃懐を披て抱たまふに其の身太だ香し。香氣常に非ず。妃乃ち最も寵愛を加たまふ。《或説に曰く、一たび太子を抱たてまつるに、数月懐ろ香し。故後宮爭て抱んと欲す、及妃亦ます/\抱たまふ。》
【漢文エディタ原文】
四歳 四年|乙未(いつび)春正月、皇子ノ第中ニ有リ 2( 諸〃ノ少キ王子ノ|口闘(いさか)イ|叫(さけ)ブ之聲 )1 。皇子聞タマヒテ^之ヲ|設(も)ツテ^|笞(しもと)ヲ追イ召ニ、|諸(かた)ヘノ王子|等(たち)皆|悚(をそ)ツテ|逃(に)ゲ|竄(かく)レタマヒヌ。而ルヲ太子脱テ^|衣(きぬ)ヲ獨リ進ミタマフ。皇子問タマフ^之ヲ、兄弟不和ニシテ諸ヘノ少兒|等(ら)|輙(たやす)ク以|口闘(いさか)フ。今欲スルニ 2( |笞(しもと)|誨(をしへ)セント )1 、皆悉ク隱レ避ル。而ヲ汝何ゾ獨リ進メル。太子合セ^掌ヲ對テ 2( 皇子并セテ妃ニ )1 【|低(かたむ)ケ^首ヲ】〈NOTE うなだれ 〉啓シテ曰ク、|不(じ)^得 2{ 立テモ 2( 階ヲ於天ニ )1 、而升コトヲ }1 。|不(じ)^得 2{ |穿(うが)テモ 2( 穴ヲ於地ニ )1 、而隱ルヽコトヲ }1 。故自進テ受ケント^笞ヲ。皇子并セテ妃大ニ悦テ曰ク、汝ノ之|岐嶷(きぎよく)ナルコト非ズ 2( 只|今日(けふ)ノミニ )1 。妃披テ^懐ヲ而抱タマフニ其ノ身太ダ香シ。香氣非ズ^常ニ。妃乃チ最モ加タマフ 2( 寵愛ヲ )1 。《或説ニ曰ク、一タビ抱タテマツルニ 2( 太子ヲ )1 、数月懐ロ香シ。故後宮爭テ欲ス^抱ント、及妃亦|加(ます/\)抱タマフ。》

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【本文】
五歳 五年丙申へいしん春三月天皇立テヽ豊御食とよみけ炊屋姫かしきやひめ皇后。《即太子をば也。》太子此めのといだイタマフ皇后みまへ。群臣まいセントス。太子語、大臣奉拜之さきはなテトレヲヨリ。大臣及まいルニ也、放チタテマツル太子於膝ヨリ。太子自ミテ調とゝの-しづメテ衣袴いこ、逡巡トシリゾキよそ/\、立大臣さき北面シテ再拜シタマフ。時五歳ナリ。起伏之よそをいいまシヽコト成人。天皇・皇后太ヘタマフ寵異母問太子サク、吾皇子わうじテカとも群臣シタマフ皇后。太子密、非之所一レ。是天皇ナラント也。遂みこと。秋八月太子、小子須 文書。何ルヤ-筆墨耶。ヒタテマツル皇子。即文筆書法。日ごとキタマフ数千字。三年以後のち、學ブニ王右軍、既タマヘリ骨體。流スコト。時人大トス。《外書博士はかせ學架、内典慧慈。高麗之人ナリ也。》
【原注】
○ 何テカ ─ 何のゆへ

【白文】
五歳五年丙申春三月天皇立豊御食炊屋姫尊爲皇后。《即太子之姑也。》太子此日在母抱侍皇后前。群臣入拜。太子語母曰、大臣奉拜之前放吾於膝。大臣及入也、放太子於膝。大臣及入也、放太子於膝。太子自顧其身調定衣袴、逡巡徐歩、立大臣前北面再拜。時五歳。起伏之儀有如成人。天皇・皇后太加寵異。母問太子曰、吾皇子何以與群臣拜皇后。太子密謂曰、非汝之所知。是吾天皇也。遂如其言。秋八月太子謂母曰、小子須習文書。何不持來筆墨耶。母諮皇子。即賜文筆書法。日別習書数千字。三年以後、學王右軍書、既得骨體。流筆如電。時人大異。《外書師博士學架等、内典師慧慈。高麗之人也。》
【書き下し文】
五歳 五年丙申へいしん春三月に天皇豊御食とよみけ炊屋姫かしきやひめの尊を立てゝ皇后と爲す。《即ち太子の之をば也。》太子此の日めのといだて皇后のみまへに侍いたまふ。群臣まいて拜せんとす。太子母に語て曰く、大臣奉拜之さきに吾れを於て膝よりはなてと。大臣まいるに及て也、太子を於膝より放ちたてまつる。太子自ら其の身を顧みて調とゝの衣袴いこしづめて、逡巡としりぞきよそ/\に歩て、大臣のさきに立て北面して再拜したまふ。時に五歳なり。起伏之よそをいいましゝこと成人のごとし。天皇・皇后太だ寵異を加へたまふ。母太子に問て曰さく、吾が皇子わうじ何を以てか群臣とともに皇后を拜したまふ。太子密に謂て曰く、汝が之知る所に非ず。是れ吾が天皇ならんと也。遂に其のみことのごとし。秋八月に太子が母に謂て曰く、小子須く習ふべし文書を。何ぞ筆墨を持ち來らざるや耶。母皇子にひたてまつる。即ち文筆書法を賜ふ。日ごとに習ひ書きたまふ数千字。三年の以後のち、王右軍が書を學ぶに、既に骨體を得たまへり。筆を流すこと電のごとし。時の人大に異とす。《外書の師は博士はかせ學架、内典の師は慧慈。高麗の之人なり也。》
【漢文エディタ原文】
五歳 五年|丙申(へいしん)春三月ニ天皇立テヽ 2( |豊御食(とよみけ)|炊屋姫(かしきやひめ)ノ尊ヲ )1 爲ス 2( 皇后ト )1 。《即チ太子ノ之|姑(をば)也。》太子此ノ日|在(れ)テ 2( |母(めのと)ニ|抱(いだ)カ )1 侍イタマフ 2( 皇后ノ|前(みまへ)ニ )1 。群臣|入(まい)テ拜セントス。太子語テ 2( 母ニ )1 曰ク、大臣奉拜之|前(さき)ニ|放(はな)テト 2( 吾レヲ於テ膝ヨリ )1 。大臣及テ^|入(まい)ルニ也、放チタテマツル 2( 太子ヲ於膝ヨリ )1 。太子自ラ顧ミテ 2( 其ノ身ヲ )1 |調(とゝの)ヘ- 2( |定(しづ)メテ|衣袴(いこ)ヲ )1 、逡巡トシリゾキ|徐(よそ/\)ニ歩テ、立テ 2( 大臣ノ|前(さき)ニ )1 北面シテ再拜シタマフ。時ニ五歳ナリ。起伏之|儀(よそをい)|有(いま)シヽコト如シ 2( 成人ノ )1 。天皇・皇后太ダ加ヘタマフ 2( 寵異ヲ )1 。母問テ 2( 太子ニ )1 曰サク、吾ガ|皇子(わうじ)【何ヲ以テカ】〈NOTE 何の|以(ゆへ)に 〉|與(とも)ニ 2( 群臣ト )1 拜シタマフ 2( 皇后ヲ )1 。太子密ニ謂テ曰ク、非ズ 2( 汝ガ之所ニ )1^知ル。是レ吾ガ天皇ナラント也。遂ニ如シ 2( 其ノ|言(みこと)ノ )1 。秋八月ニ太子ガ謂テ 2( 母ニ )1 曰ク、小子須ク _シ_ ^習フ 2( 文書ヲ )1 。何ゾ不ルヤ 3( 持チ- 2( 來ラ筆墨ヲ )1 耶。母|諮(と)ヒタテマツル 2( 皇子ニ )1 。即チ賜フ 2( 文筆書法ヲ )1 。日|別(ごと)ニ習ヒ書キタマフ数千字。三年ノ|以後(のち)、學ブニ 2( 王右軍ガ書ヲ )1 、既ニ得タマヘリ 2( 骨體ヲ )1 。流スコト^筆ヲ如シ^電ノ。時ノ人大ニ異トス。《外書ノ師ハ|博士(はかせ)學架|等(ら)、内典ノ師ハ慧慈。高麗ノ之人ナリ也。》

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【本文】
六歳 六年丁酉ていゆう冬十月、遣シヽ百済國大別おほわけきみひきイテ經論並律師・禪師・比丘尼等還來セリ。此由奏。太子侍タマヒテ天皇みゆかもとシテマハクをもフトント持來セル經論。天皇問ヒタマフ、何ゆゑよシゾヤ。太子奏シテハク、児衡山、歴数十身-シキ佛道。佛之埀レタマフコトニモニモ、諸善ヲバ奉行スベシ、諸惡ヲバレトスコト。故今欲フトント百済ヨリズル經・菩薩諸論。天皇大トシテ、汝年六歳ナリ。獨いつ。何いつはごとスル。太子奏シテハク、兒之前身意ナリトをぼユル。天皇拍トシタマフ。所群臣亦大ラシ而竒トス
【原注】
【白文】
六歳六年丁酉冬十月、遣百済國大別王將經論並律師・禪師・比丘尼等還來。此由奏状。太子侍天皇床下奏曰、児情欲見持來經論。天皇問之、何由。太子奏曰、児昔在漢住衡山峰、歴数十身修行佛道。佛之埀教非有非旡、諸善奉行、諸惡莫作。故今欲見百済所献佛經・菩薩諸論。天皇大竒問之、汝年六歳。獨在朕前。何日在漢。何以詐言。太子奏曰、兒之前身意所慮。天皇拍手大異。所聞群臣亦大鳴舌拍手而竒之。
【書き下し文】
六歳 六年丁酉ていゆう冬十月、百済國に遣しゝ大別おほわけきみ經論並に律師・禪師・比丘尼等をひきいて還來せり。此の由状を奏す。太子天皇のみゆかもとに侍たまひて奏して曰まはく、が情に持來せる經論を見んとをもふと。天皇之を問ひたまふ、何のゆゑよしぞや。太子奏して曰はく、児れ昔し漢に在て衡山の峰に住し、数十身を歴て佛道を修行しき。佛の之教を埀れたまふこと有にも非ず旡にも非ず、諸善をば奉行すべし、諸惡をば作すこと莫れと。故に今百済より献ずる所の佛の經・菩薩の諸論を見んと欲ふと。天皇大に竒として之を問ふ、汝年六歳なり。獨り朕が前に在つ。いつの日か漢に在し。何を以ていつはごとする。太子奏して曰はく、兒が之前身意にをぼゆる所なりと。天皇手を拍て大に異としたまふ。聞く所の群臣も亦大に舌を鳴らし手を拍て之を竒とす。
【漢文エディタ原文】
六歳 六年|丁酉(ていゆう)冬十月、遣シヽ 2( 百済國ニ )1 |大別(おほわけ)ノ|王(きみ)|將(ひき)イテ 2( 經論並ニ律師・禪師・比丘尼等ヲ )1 還來セリ。此ノ由奏ス^状ヲ。太子侍タマヒテ 2( 天皇ノ|床(みゆか)ノ|下(もと)ニ )1 奏シテ曰マハク、|児(わ)ガ情ニ|欲(をも)フト^見ント 2( 持來セル經論ヲ )1 。天皇問ヒタマフ^之ヲ、何ノ|由(ゆゑよ)シゾヤ。太子奏シテ曰ハク、児レ昔シ在テ^漢ニ住シ 2( 衡山ノ峰ニ )1 、歴テ 2( 数十身ヲ )1 修- 2( 行シキ佛道ヲ )1 。佛ノ之埀レタマフコト^教ヲ非ズ^有ニモ非ズ^旡ニモ、諸善ヲバ奉行スベシ、諸惡ヲバ莫レト^作スコト。故ニ今欲フト^見ント 2( 百済ヨリ所ノ^献ズル佛ノ經・菩薩ノ諸論ヲ )1 。天皇大ニ竒トシテ問フ^之ヲ、汝年六歳ナリ。獨リ在ツ 2( 朕ガ前ニ )1 。|何(いつ)ノ日カ在シ^漢ニ。何ヲ以テ|詐(いつは)リ|言(ごと)スル。太子奏シテ曰ハク、兒ガ之前身意ニ所ナリト^|慮(をぼ)ユル。天皇拍テ^手ヲ大ニ異トシタマフ。所ノ^聞ク群臣モ亦大ニ鳴ラシ^舌ヲ拍テ^手ヲ而竒トス^之ヲ。

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【本文】
七 七年戊戌ぼじゅつ百済經論数百巻持來シテ上奏。春二月ヨリ太子燒披見シタマフコト日別ひごと一二巻、至一遍了。又奏シテハク、月八日・十四日・十五日・廿三日・廿九日・三十日みそかのひ、是レヲ六齋。此梵天・帝釋あまくだみそなハシタマフ。故禁ジタマヘ殺生。是之基也。仁せい心近シト矣。天皇大シテ於天下、此日令殺生之わざ
【原注】
【白文】
七七年戊戌百済經論数百巻持來上奏。春二月太子燒香披見、日別一二巻、至冬一遍了。又奏曰、月八日・十四日・十五日・廿三日・廿九日・三十日、是爲六齋。此日梵天・帝釋降見國政。故禁殺生。是仁之基也。仁與聖其心近矣。天皇大悅下敕於天下、此日令禁殺生之事。
【書き下し文】
七 七年戊戌ぼじゅつ百済の經論数百巻持來して上奏す。春二月より太子香を燒て披見したまふこと、日別ひごとに一二巻、冬に至て一遍了ぬ。又奏して曰はく、月の八日・十四日・十五日・廿三日・廿九日・三十日みそかのひ、是れを六齋と爲す。此の日は梵天・帝釋あまくだて國の政をみそなはしたまふ。故殺生を禁じたまへ。是れ仁の之基い也。仁とせい與と其の心近しと。天皇大に悅て敕を於天下に下して、此の日殺生之わざを禁ぜしむ。
【漢文エディタ原文】
七 七年|戊戌(ぼじゅつ)百済ノ經論数百巻持來シテ上奏ス。春二月ヨリ太子燒テ^香ヲ披見シタマフコト、|日別(ひごと)ニ一二巻、至テ^冬ニ一遍了ヌ。又奏シテ曰ハク、月ノ八日・十四日・十五日・廿三日・廿九日・|三十日(みそかのひ)、是レヲ爲ス 2( 六齋ト )1 。此ノ日ハ梵天・帝釋|降(あまくだ)テ|見(みそな)ハシタマフ 2( 國ノ政ヲ )1 。故禁ジタマヘ 2( 殺生ヲ )1 。是レ仁ノ之基イ也。仁ト與ト^|聖(せい)其ノ心近シト矣。天皇大ニ悅テ下シテ 2( 敕ヲ於天下ニ )1 、此ノ日令ム^禁ゼ 2( 殺生之|事(わざ)ヲ )1 。

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【本文】
八 八年己亥きがい冬十月新羅國ヨリ-佛像。太子令皇子ヲシテまうシタマハク、西國聖人釋迦牟尼佛遺像ナリ。末世メバないがしろにすレバつゞ。兒經、其旨微妙ナリ。望ラクハ也、崇-ンデ佛像、如修行シタマヘ。天皇大安置供養シタマフ。《今興福寺東金堂。》
【原注】
【白文】
八八年己亥冬十月新羅國献送佛像。太子令皇子奏曰、西國聖人釋迦牟尼佛遺像。末世尊之則銷禍蒙福。蔑之則招災縮壽。兒讀佛經、其旨微妙。望也、崇貴佛像、如説修行。天皇大悦安置供養。《今在興福寺東金堂。》
【書き下し文】
八 八年己亥きがい冬十月に新羅國より佛像を献送す。太子皇子をして奏せ令てまうしたまはく、西國の聖人釋迦牟尼佛の遺像なり。末世に之を尊めば則ち禍をし福を蒙る。之をないがしろにすれば則ち災を招き壽をつゞむ。兒が讀む佛の經、其の旨微妙なり。望らくは也、佛像を崇め貴んで、説の如く修行したまへ。天皇大に悦で安置し供養したまふ。《今は興福寺の東金堂に在す。》
【漢文エディタ原文】
八 八年|己亥(きがい)冬十月ニ新羅國ヨリ献- 2( 送ス佛像ヲ )1 。太子令テ 2( 皇子ヲシテ奏セ )1 |曰(まう)シタマハク、西國ノ聖人釋迦牟尼佛ノ遺像ナリ。末世ニ尊メバ^之ヲ則チ|銷(け)シ^禍ヲ蒙ル^福ヲ。|蔑(ないがしろにす)レバ^之ヲ則チ招キ^災ヲ|縮(つゞ)ム^壽ヲ。兒ガ讀ム佛ノ經、其ノ旨微妙ナリ。望ラクハ也、崇メ- 2( 貴ンデ佛像ヲ )1 、如ク^説ノ修行シタマヘ。天皇大ニ悦デ安置シ供養シタマフ。《今ハ在ス 2( 興福寺ノ東金堂ニ )1 。》

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【本文】
九 九年庚子かうし夏六月人奏シテサク、有土師はじ八島トイフモノうたフコトすぐレタリよな/\人來相和シテこゑ色非。八島異トシテルニ住吉そらクレバナリト。太子さぶらイタマヒテシテまうシタマハク、是けいこくナラン也。天皇大タマフ、何ントフゾ。太子荅シテタマハク、天五星、主五行かたど五色也。歳星色青、主ドル、木也。色赤、主、火也。此あまくだシテ、遊童子、好謡歌わざうた、歌未然。盖ナラント歟。天皇大よみシタマフ
【原注】
よみシタマフ ─ 喜びたまふ
【白文】
九九年庚子夏六月有人奏曰、有土師連八島、唱歌絶世。夜有人來相和爭歌音色非常。八島異之追尋到住吉濱。天曉入海者。太子侍側奏曰、是惑星也。天皇大驚問之、何謂。太子荅曰、天有五星、主五行象五色也。歳星色青、主東、木也。惑色赤、主南、火也。此星降化爲人、遊童子間、好作謡歌、歌未然事。盖是星歟。天皇大喜。
【書き下し文】
九 九年庚子かうし夏六月に人有て奏して曰さく、土師はじの連じ八島といふもの有り、歌をうたふこと世にすぐれたり。よな/\人有て來て相和して爭い歌ふこゑ色常に非ず。八島之を異として追い尋るに住吉の濱に到る。そらくれば海に入る者なりと。太子側にさぶらいたまひて奏してまうしたまはく、是れけいこく星ならん也。天皇大に驚て之を問たまふ、何んと謂ふぞ。太子荅して曰たまはく、天に五星有り、五行を主り五色にかたどる也。歳星は色青し、東を主どる、木也。惑は色赤し、南を主る、火也。此の星あまくだり化して人と爲て、童子の間に遊て、好で謡歌わざうたを作り、未然の事を歌ふ。盖し是の星ならんと歟。天皇大によみしたまふ。
【漢文エディタ原文】
九 九年|庚子(かうし)夏六月ニ有テ^人奏シテ曰サク、有リ 2( |土師(はじ)ノ連ジ八島トイフモノ )1 、|唱(うた)フコト^歌ヲ|絶(すぐ)レタリ^世ニ。|夜(よな/\)有テ^人來テ相和シテ爭イ歌フ|音(こゑ)色非ズ^常ニ。八島異トシテ^之ヲ追イ尋ルニ到ル 2( 住吉ノ濱ニ )1 。|天(そら)|曉(あ)クレバ入ル^海ニ者ナリト。太子|侍(さぶら)イタマヒテ^側ニ奏シテ|曰(まう)シタマハク、是レ|惑(けいこく)星ナラン也。天皇大ニ驚テ問タマフ^之ヲ、何ント謂フゾ。太子荅シテ曰タマハク、天ニ有リ 2( 五星 )1 、主リ 2( 五行ヲ )1 |象(かたど)ル 2( 五色ニ )1 也。歳星ハ色青シ、主ドル^東ヲ、木也。惑ハ色赤シ、主ル^南ヲ、火也。此ノ星|降(あまくだ)リ化シテ爲テ^人ト、遊テ 2( 童子ノ間ニ )1 、好デ作リ 2( |謡歌(わざうた)ヲ )1 、歌フ 2( 未然ノ事ヲ )1 。盖シ是ノ星ナラント歟。天皇大ニ【|喜(よみ)シタマフ】〈NOTE 喜びたまふ 〉。

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【本文】
十 十年辛丑しんちう春二月、蝦夷かい数千あた邊境へんけい。天皇召群臣はか征討之事。於時太子侍タマヒテそばだテヽ左右、聞タマフ群臣あげつらウヲ。天皇近太子シテ、汝如何。太子奏シテハク、小児何ルニ大事、然レドモ今群臣スル衆生わざ也。以爲ヘラク、先魁帥くわいすい《魁帥トイフハ大毛人をほえみし也。》、をも教喩かうゆ、取ちかいゆる-かへ本洛ます/\重禄ハント貪性たんせい。天皇大シテ群臣魁帥綾糟あやかす、詔シテをもんみレバなんぢ蝦夷者、大足彦をゝたらしひこ天皇之世キヲバ、合キヲバルス者放シツ。朕今したが前例セント元惡於是こゝに綾糟等怖泊瀬はつせむか三諸みもろ而盟サク臣等やつこら蝦夷自けう以後子々うみのこ孫々やそつぎナルつかヘタテマツラン天闕みかど臣等やつこらハヾイニ者、天地あめつち諸神もろかみ及天皇みたま-ロボシタマヘトやつこ矣。自後時久
【原注】
【白文】
十十年辛丑春二月、蝦夷数千冦於邊境。天皇召群臣議征討之事。於時太子侍側竦耳左右、聞群臣論。天皇近召太子詔曰、汝意如何。太子奏曰、小児何足議國大事、然今群臣所議皆滅衆生之事也。兒意以爲、先召魁帥《魁帥者大毛人也。》、重加教喩、取其重盟、放還本洛、加賜重禄奪其貪性。天皇大悅即敕群臣召魁帥綾糟等、詔曰、惟蝦夷者、大足彦天皇之世合殺者斬、合赦者放。朕今遵彼前例欲誅元惡。於是綾糟等怖懼乃到泊瀬川、面三諸山而盟曰、臣等蝦夷自今以後子々孫々用清明心事天闕。臣等若違盟者、天地諸神及天皇霊絶滅臣種矣。自此後時久不犯辺。
【書き下し文】
十 十年辛丑しんちう春二月、蝦夷かい数千於邊境へんけいあたす。天皇群臣を召て征討之事をはかる。於時に太子側に侍たまひて耳を左右にそばだてゝ、群臣のあげつらうを聞たまふ。天皇近く太子を召て詔して曰く、汝の意に如何ん。太子奏して曰はく、小児何ぞ國の大事を議るに足ん、然れども今群臣の議する所は皆な衆生を滅す之わざ也。が意に以爲へらく、先づ魁帥くわいすいを召て《魁帥といふは大毛人をほえみし也。》、をも教喩かうゆを加へ、其の重きちかいを取て、本洛にゆるかへし、ます/\重禄を賜て其の貪性たんせいを奪はんと。天皇大に悅て即ち群臣に敕して魁帥綾糟あやかすを召て、詔して曰く、をもんみればなんぢ蝦夷は、大足彦をゝたらしひこの天皇の之世に殺すきをば者り、赦るす合きをば者放しつ。朕今彼の前例にしたがて元惡を誅せんと欲ふ。於是こゝに綾糟等怖ぢ懼て乃ち泊瀬はつせ川に到り、三諸みもろ山にむかて盟て曰さく、臣等やつこら蝦夷けうより以後子々うみのこ孫々やそつぎ清く明なる心を用て天闕みかどつかへたてまつらん。臣等やつこら若し盟いに違はゞ者、天地あめつち諸神もろかみ及天皇のみたまやつこが種をち滅ろぼしたまへと。此れより後時久く辺を犯さず。
【漢文エディタ原文】
十 十年|辛丑(しんちう)春二月、|蝦夷(かい)数千|冦(あた)ス 2( 於|邊境(へんけい)ニ )1 。天皇召テ 2( 群臣ヲ )1 |議(はか)ル 2( 征討之事ヲ )1 。於時ニ太子侍タマヒテ^側ニ|竦(そばだ)テヽ 2( 耳ヲ左右ニ )1 、聞タマフ 2( 群臣ノ|論(あげつら)ウヲ )1 。天皇近ク召テ 2( 太子ヲ )1 詔シテ曰ク、汝ノ意ニ如何ン。太子奏シテ曰ハク、小児何ゾ足ン^議ルニ 2( 國ノ大事ヲ )1 、然レドモ今群臣ノ所ハ^議スル皆ナ滅ス 2( 衆生ヲ )1 之|事(わざ)也。|兒(わ)ガ意ニ以爲ヘラク、先ヅ召テ 2( |魁帥(くわいすい)ヲ )1 《魁帥トイフハ者|大毛人(をほえみし)也。》、|重(をも)ク加ヘ 2( |教喩(かうゆ)ヲ )1 、取テ 2( 其ノ重キ|盟(ちかい)ヲ )1 、|放(ゆる)シ- 2( |還(かへ)シ本洛ニ )1 、|加(ます/\)賜テ 2( 重禄ヲ )1 奪ハント 2( 其ノ|貪性(たんせい)ヲ )1 。天皇大ニ悅テ即チ敕シテ 2( 群臣ニ )1 召テ 2( 魁帥|綾糟(あやかす)|等(ら)ヲ )1 、詔シテ曰ク、|惟(をもんみ)レバ|(なんぢ)蝦夷ハ者、|大足彦(をゝたらしひこ)ノ天皇ノ之世ニ|合(べ)キヲバ^殺ス者|斬(き)リ、合キヲバ^赦ルス者放シツ。朕今|遵(したが)テ 2( 彼ノ前例ニ )1 欲フ^誅セント 2( 元惡ヲ )1 。|於是(こゝに)綾糟等怖ヂ懼テ乃チ到リ 2( |泊瀬(はつせ)川ニ )1 、|面(むか)テ 2( |三諸(みもろ)山ニ )1 而盟テ曰サク、|臣等(やつこら)蝦夷自リ^|今(けう)以後|子々(うみのこ)ノ|孫々(やそつぎ)用テ 2( 清ク明ナル心ヲ )1 |事(つか)ヘタテマツラン 2( |天闕(みかど)ニ )1 。|臣等(やつこら)若シ違ハヾ^盟イニ者、|天地(あめつち)ノ|諸神(もろかみ)及天皇ノ|霊(みたま)|絶(た)チ- 2( 滅ロボシタマヘト|臣(やつこ)ガ種ヲ )1 矣。自リ^此レ後時久ク不^犯サ^辺ヲ。

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【本文】
十一 十一年壬寅じんいん春二月太子率イテ童子卅六人タマフ後園チニ皇子わうじをさメテハシメ二人ハシメ二人、左四人四人、以廿四人ヘニ兩陣ふたつらなりシテ《左十二人、右十二人。》共。諸ヘノ童子たち戯浪きらう私實。一タビルニ、或フシフス。太子しぢあふイデベヲヽタマフ。待而荅、一々反覆スルニ、句トシテツモルコトかへ即荅シタマフニ、各以。如ニスルコト数日、童子わたくし各告父母。父母ひそか而令ムルニまふ太子亦能辨荅シタマフ、非一レ。皇子微行シテやゝタマフニ、多ルコトリタマハ。謂イテ、吾ズヤト聖人耶。又童子之中カニコト、弓石之戯ブコトヲ、輕リタマフシテ雲氣いま數十丈カニ。疾リタマフコト雷電。在ルカトスレバヘニ忽焉トシテマスヘニ。身躰シキコト亦非尋常よのつね。沐浴之後、皇子及妃天皇皇后并後宮貴人たちタマフ、妙ナルかほり發起はつきシテキヌレバ数月不
【原注】
【白文】
十一十一年壬寅春二月太子率童子卅六人遊後園中。皇子修威左侍二人右侍二人、左立四人右立四人、以廿四人庭前兩陣《左十二人、右十二人。》共擧其音令申各志。諸童子等或以戯浪或以私實。一共擧音、或長或短。太子居榻仰首而聞。待了而荅、一々反覆、句無一墮。復了即荅、各以其志。如此数日、童子私歸各告父母。父母私或作難辞而令諮太子亦能辨荅、非心所及。皇子微行稍聞其辞、多有不解。謂妃曰、吾兒殆非聖人耶。又童子之中力不能勝、弓石之戯不得比、輕擧如雲氣、在數十丈虚中。疾走如雷電。在前忽焉在後。身躰香亦非尋常。沐浴之後、皇子及妃天皇皇后并後宮貴人等抱之時、妙香發起一着人衣数月不滅。
【書き下し文】
十一 十一年壬寅じんいん春二月に太子童子卅六人を率いて後園の中ちに遊たまふ。皇子わうじ威ををさめて左に二人を侍はしめ右に二人を侍はしめ、左に四人を立て右に四人を立て、廿四人を以て庭の前へに兩陣ふたつらなりして《左り十二人、右十二人。》共に其の音を擧て各の志をべしむ。諸への童子たち或は戯浪きらうを以し或は私實を以す。一たび共に音を擧るに、或は長ふし或は短ふす。太子しぢて首べをあふいで而ゝたまふ。待ち了て荅し、一々に反覆するに、句として一つも墮ること無し。かへし了て即荅したまふに、各其の志を以す。此の如にすること数日、童子わたくしに歸て各父母に告ぐ。父母ひそかに或は難の辞を作てまふさしむるに太子亦能く辨荅したまふ、心の及ぶ所に非ず。皇子微行してやゝ其の辞を聞たまふに、多く解りたまはざること有り。妃に謂いて曰く、吾が殆ど聖人に非ずやと耶。又童子の之中かに力に勝こと能はず、弓石之戯れ比ぶことを得ず、輕く擧りたまふ雲氣の如して、數十丈の虚の中かにいます。疾く走りたまふこと雷電のごとし。前へに在るかとすれば忽として後へに在ます。身躰の香しきこと亦尋常よのつねに非ず。沐浴之後、皇子及妃天皇皇后并に後宮の貴人たち之を抱たまふ時に、妙なるかほり發起はつきして一び人の衣にきぬれば数月へず。
【漢文エディタ原文】
十一 十一年|壬寅(じんいん)春二月ニ太子率イテ 2( 童子卅六人ヲ )1 遊タマフ 2( 後園ノ中チニ )1 。|皇子(わうじ)|修(をさ)メテ^威ヲ左ニ侍ハシメ 2( 二人ヲ )1 右ニ侍ハシメ 2( 二人ヲ )1 、左ニ立テ 2( 四人ヲ )1 右ニ立テ 2( 四人ヲ )1 、以テ 2( 廿四人ヲ )1 庭ノ前ヘニ|兩陣(ふたつらなり)シテ《左リ十二人、右十二人。》共ニ擧テ 2( 其ノ音ヲ )1 令ム^|申(の)ベ 2( 各ノ志ヲ )1 。諸ヘノ童子|等(たち)或ハ以シ 2( |戯浪(きらう)ヲ )1 或ハ以ス 2( 私實ヲ )1 。一タビ共ニ擧ルニ^音ヲ、或ハ長フシ或ハ短フス。太子|居(い)テ^|榻(しぢ)ニ|仰(あふ)イデ^首ベヲ而|聞(き)ヽタマフ。待チ了テ而荅シ、一々ニ反覆スルニ、句トシテ無シ 2( 一ツモ墮ルコト )1 。|復(かへ)シ了テ即荅シタマフニ、各以ス 2( 其ノ志ヲ )1 。如ニスルコト^此ノ数日、童子|私(わたくし)ニ歸テ各告グ 2( 父母ニ )1 。父母|私(ひそか)ニ或ハ作テ 2( 難ノ辞ヲ )1 而令ムルニ^|諮(まふ)サ太子亦能ク辨荅シタマフ、非ズ 2( 心ノ所ニ )1^及ブ。皇子微行シテ|稍(やゝ)聞タマフニ 2( 其ノ辞ヲ )1 、多ク有リ^不ルコト^解リタマハ。謂イテ^妃ニ曰ク、吾ガ|兒(こ)殆ド非ズヤト 2( 聖人ニ )1 耶。又童子ノ之中カニ力ニ不^能ハ^勝コト、弓石之戯レ不^得^比ブコトヲ、輕ク擧リタマフ如シテ 2( 雲氣ノ )1 、|在(いま)ス 2( 數十丈ノ虚ノ中カニ )1 。疾ク走リタマフコト如シ 2( 雷電ノ )1 。在ルカトスレバ^前ヘニ忽焉トシテ在マス^後ヘニ。身躰ノ香シキコト亦非ズ 2( |尋常(よのつね)ニ )1 。沐浴之後、皇子及妃天皇皇后并ニ後宮ノ貴人|等(たち)抱タマフ^之ヲ時ニ、妙ナル|香(かほり)|發起(はつき)シテ一ビ|着(つ)キヌレバ 2( 人ノ衣ニ )1 数月不^|滅(き)ヘ。

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【本文】
十二 十二年癸卯きばう穐七月百濟賢者韋北いほく逹率たつそつ日羅隨我朝めし使吉備海部あまんべ羽島はじま來朝セリ。此人勇ニシテ而有コト、身光明ほのを。天皇詔シテ阿倍あべ臣・さくわん物部ものゝべ贄子にへこ大連・大伴をほとも糟手子かすでこシム於日羅。太子聞メシテ日羅異相ノト、奏シテ天皇われクハ使臣等難波むろつ、視ント爲人ひとゝなり。天皇不シタマハ。太子密まうシテ皇子シテレガ微服、從ヘノ童子むろつ而見タマフ。日羅在よも。指太子いかナル童子ゾヤ也。是神人ナリト矣。于時太子タマヒ麁布けがビテ馬飼むまかいわらはタマフ。日羅遣シテシムルニ、太子驚タマフ。日羅遥タテマツルニ、脱而走リテ、諸大夫まうちきみたちトシテデヽドニ而見。即知太子。太子隱をはシテヘテ而出タマフ。日羅迎ヘテ再拜スルコト兩段ふたしきり大夫たいふ亦驚シテ再拜をさメテまいルニ、太子辞譲シテチニリタマフ日羅之房。日羅跪而合、白シテサク、敬礼救世觀世音大菩薩傳燈東方粟散王云云。人不クヲ。太子修シテチヲ折磬シテ而謝タマフ。日羅大コトナル。太子亦眉間ヨリチタマフ、如ひかり之枝。須臾アツテ即止ンヌ。太子謂日羅そち之命尽ナン、可かうぶランコトヲト。聖人スラ猶亦不。吾亦如何。清談スルコト終夕ガラ、人不さとルコトヲ。明日太子還リタマフ
冬十二月つごもり、新羅人殺シツ日羅。更蘇生シテ、此レハ驅使くし奴等やつこら所爲しわざナリ。非ズト新羅ニハ也。いゝ而死シヌ。太子乍タマヒテ左右、日羅聖人ナリ也。兒昔在シトキ、彼弟子。常セシ日天。故身ヨリ光明寃仇をんきうシテつぐの。捨テヽ之後、必レン上天
【原注】
【白文】
十二十二年癸卯穐七月百濟賢者韋北逹率日羅隨我朝召使吉備海部羽島來朝。此人勇而有計、身有光明如火。天皇詔遣阿倍臣・目物部贄子大連・大伴糟手子連等問國政於日羅。太子聞日羅有異相者、奏天皇曰、兒望隨使臣等徃難波舘、視彼爲人。天皇不許。太子密諮皇子御之微服、從諸童子入舘而見。日羅在床望四觀者。指太子曰、那童子也。是神人矣。于時太子服麁布衣、垢面、帯縄、与馬飼兒連肩而居。日羅遣人指引、太子驚去。日羅遥拜、脱履而走、諸大夫等大竒出門而見。即知太子。太子隱坐易衣而出。日羅迎再拜兩段。大夫亦驚謝罪再拜、修義而入、太子辞譲直入日羅之房。日羅跪地而合掌、白曰、敬礼救世觀世音大菩薩傳燈東方粟散王云云。人不得聞。太子修容折磬而謝。日羅大放身光如火熾炎。太子亦眉間放光、如日輝之枝。須臾即止。太子謂日羅曰、子之命尽、可惜、被害。聖人猶亦不免。吾亦如何。清談終夕、人不得解。明日太子還宮。
冬十二月晦夕、新羅人殺日羅。更蘇生曰、此是我驅使奴等所爲。非新羅也。言畢而死。太子乍聞謂左右曰、日羅聖人也。兒昔在漢、彼爲弟子。常拜日天。故身放光明。寃仇不離断命而賽。捨生之後、必生上天。
【書き下し文】
十二 十二年癸卯きばう穐七月に百濟の賢者韋北いほく逹率たつそつ日羅我朝のめし使い吉備の海部あまんべ羽島はじまに隨て來朝せり。此の人勇にして計こと有り、身に光明有て火のほのをのごとし。天皇詔して阿倍あべの臣・さくわん物部ものゝべ贄子にへこの大連・大伴をほとも糟手子かすでこの連じ等を遣て國の政を於日羅に問しむ。太子日羅は異相有る者のと聞めして、天皇に奏して曰く、われ望くは使の臣等に隨て難波のむろつに徃て、彼の爲人ひとゝなりを視んと。天皇許したまはず。太子密に皇子にまうして之れが微服を御して、諸への童子に從てむろつに入て見たまふ。日羅床に在てよもに觀る者を望む。太子を指て曰く、いかなる童子ぞや也。是れ神人なりと。于時に太子麁布の衣をたまひ、面をけがし、縄をびて、馬飼むまかいわらは肩を連てたまふ。日羅人を遣て指して引しむるに、太子驚き去たまふ。日羅遥に拜たてまつるに、履を脱て走りて、諸の大夫まうちきみたち大に竒として門どに出でゝ而見る。即太子と知ぬ。太子隱れをはして衣をへて出たまふ。日羅迎へて再拜すること兩段ふたしきり大夫たいふ亦驚て罪を謝して再拜し、義ををさめてまいるに、太子辞譲して直ちに日羅の之房に入りたまふ。日羅地に跪て掌を合て、白して曰さく、敬礼救世觀世音大菩薩傳燈東方粟散王と云云。人聞くを得ず。太子容ちを修して折磬して謝たまふ。日羅大に身の光を放こと火の熾なる炎のごとし。太子亦眉間より光を放ちたまふ、日のひかりの之枝のごとし。須臾あつて即止んぬ。太子日羅に謂て曰く、そちの之命尽なん、惜むべし、害をかうぶらんことをと。聖人すら猶亦免れず。吾亦如何ん。清談すること終夕がら、人さとることを得ず。明る日太子宮に還りたまふ。
冬十二月つごもり、新羅の人日羅を殺しつ。更に蘇生して曰く、此れは是れ我が驅使くし奴等やつこら所爲しわざなり。新羅には非ずと也。いゝ畢て死しぬ。太子乍に聞たまひて左右に謂て曰く、日羅は聖人なり也。兒れ昔漢に在しとき、彼は弟子たり。常に日天を拜せし。故身より光明を放つ。寃仇をんきう離れずして命を断てつぐのふ。生を捨てゝ之後、必ず上天に生れん。
【漢文エディタ原文】
十二 十二年|癸卯(きばう)穐七月ニ百濟ノ賢者|韋北(いほく)ノ|逹率(たつそつ)日羅隨テ 2( 我朝ノ|召(めし)使イ吉備ノ|海部(あまんべ)ノ|羽島(はじま)ニ )1 來朝セリ。此ノ人勇ニシテ而有リ^計コト、身ニ有テ 2( 光明 )1 如シ 2( 火ノ|(ほのを)ノ )1 。天皇詔シテ遣テ 2( |阿倍(あべ)ノ臣・|目(さくわん)|物部(ものゝべ)ノ|贄子(にへこ)ノ大連・|大伴(をほとも)ノ|糟手子(かすでこ)ノ連ジ等ヲ )1 問シム 2( 國ノ政ヲ於日羅ニ )1 。太子聞メシテ 2{ 日羅ハ有ル 2( 異相 )1 者ノト }1 、奏シテ 2( 天皇ニ )1 曰ク、|兒(われ)望クハ隨テ 2( 使ノ臣等ニ )1 徃テ 2( 難波ノ|舘(むろつ)ニ )1 、視ント 2( 彼ノ|爲人(ひとゝなり)ヲ )1 。天皇不^許シタマハ。太子密ニ|諮(まう)シテ 2( 皇子ニ )1 御シテ 2( 之レガ微服ヲ )1 、從テ 2( 諸ヘノ童子ニ )1 入テ^|舘(むろつ)ニ而見タマフ。日羅在テ^床ニ望ム 2( |四(よも)ニ觀ル者ヲ )1 。指テ 2( 太子ヲ )1 曰ク、|那(いか)ナル童子ゾヤ也。是レ神人ナリト矣。于時ニ太子|服(き)タマヒ 2( 麁布ノ衣ヲ )1 、|垢(けが)シ^面ヲ、|帯(を)ビテ^縄ヲ、|与(と) 2( |馬飼(むまかい)ノ|兒(わらは) )1 連テ^肩ヲ而|居(い)タマフ。日羅遣テ^人ヲ指シテ引シムルニ、太子驚キ去タマフ。日羅遥ニ拜タテマツルニ、脱テ^履ヲ而走リテ、諸ノ|大夫(まうちきみ)|等(たち)大ニ竒トシテ出デヽ^門ドニ而見ル。即知ヌ 2( 太子ト )1 。太子隱レ|坐(をは)シテ|易(か)ヘテ^衣ヲ而出タマフ。日羅迎ヘテ再拜スルコト|兩段(ふたしきり)。|大夫(たいふ)亦驚テ謝シテ^罪ヲ再拜シ、|修(をさ)メテ^義ヲ而|入(まい)ルニ、太子辞譲シテ直チニ入リタマフ 2( 日羅ノ之房ニ )1 。日羅跪テ^地ニ而合テ^掌ヲ、白シテ曰サク、敬礼救世觀世音大菩薩傳燈東方粟散王ト云云。人不^得^聞クヲ。太子修シテ^容チヲ折磬シテ而謝タマフ。日羅大ニ放コト 2( 身ノ光ヲ )1 如シ 2( 火ノ熾ナル炎ノ )1 。太子亦眉間ヨリ放チタマフ^光ヲ、如シ 2( 日ノ|輝(ひかり)ノ之枝ノ )1 。須臾アツテ即止ンヌ。太子謂テ 2( 日羅ニ )1 曰ク、|子(そち)ノ之命尽ナン、可シ^惜ム、|被(かうぶ)ランコトヲト^害ヲ。聖人スラ猶亦不^免レ。吾亦如何ン。清談スルコト終夕ガラ、人不^得^|解(さと)ルコトヲ。明ル日太子還リタマフ^宮ニ。
冬十二月|晦(つごもり)ノ|夕(よ)、新羅ノ人殺シツ 2( 日羅ヲ )1 。更ニ蘇生シテ曰ク、此レハ是レ我ガ|驅使(くし)ノ|奴等(やつこら)ガ|所爲(しわざ)ナリ。非ズト 2( 新羅ニハ )1 也。|言(いゝ)畢テ而死シヌ。太子乍ニ聞タマヒテ謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、日羅ハ聖人ナリ也。兒レ昔在シトキ^漢ニ、彼ハ|爲(た)リ 2( 弟子 )1 。常ニ拜セシ 2( 日天ヲ )1 。故身ヨリ放ツ 2( 光明ヲ )1 。|寃仇(をんきう)不シテ^離レ断テ^命ヲ而|賽(つぐの)フ。捨テヽ^生ヲ之後、必ズ生レン 2( 上天ニ )1 。

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【本文】
十三 十三年甲辰秋九月弥勒石像一《今古京之元興寺東金堂。》百濟國ヨリ將來セリ。蘇我大臣勸-シテ佛像、竝幡磨-こま僧慧便之還俗セルヲ、乃シテ三尼つく殿於宅-シタマフ弥勒石像。屈-シテ三尼ナル會齋、亦佛殿-石川つね敬礼。此司馬逹等タリ佛舎利於齋食ヘニ。由ナリ蘇我大臣並逹等深ジテ佛法修行スルコトルニ上レをこた。於こゝ太子時々より/\-シテ大臣之寺、散花供養。密カニジテ大臣、吾昔修行シテシカドモ數十身、万分之一濟救スルコトヲ。君之始功德難。譬ヘバ虚空不可思量ナルガ。吾幼稚ナリト、願クハ紹隆シテメニ善智識、傳如來ラン正幢。大臣謹ケテ墮緩だくわん

【原注】
【白文】
十三十三年甲辰秋九月弥勒石像一《今在古京之元興寺東金堂。》百濟國將來。蘇我大臣勸請其佛像、竝於幡磨國覓得狛僧慧便之還俗、乃以爲師更度三尼。營佛殿於宅東安置弥勒石像。屈請三尼設大會齋、亦佛殿搆立石川宅。毎到敬礼。此時司馬逹等等得佛舎利於齋食上。由是蘇我大臣並逹等深信佛法修行不懈。於是太子時々微行大臣之寺、散花供養玉。密命大臣曰、吾昔修行歴數十身、万分之一未得濟救。君之始貴功德難測。譬如虚空不可思量。吾雖幼稚、願以紹隆与君爲縁爲善智識、傳如來教建正幢盖。大臣謹奉不敢墮緩。
【書き下し文】
十三 十三年甲辰秋九月に弥勒の石像一《今は古京の之元興寺の東金堂に在り。》百濟國より將來せり。蘇我の大臣其の佛像を勸請して、竝に幡磨の國に於てこまの僧慧便が之還俗せるを覓め得て、乃ち以て師と爲して更に三尼を度す。佛の殿を於宅の東につくて弥勒の石像を安置したまふ。三尼を屈請して大なる會齋を設く、亦佛の殿を石川の宅に搆へ立つ。つねに到て敬礼す。此の時に司馬逹等佛舎利を於齋食の上へに得たり。是れ蘇我の大臣並に逹等深く佛法を信じて修行することをこたらざるに由なり。こゝに於太子時々より/\大臣の之寺に微行して、散花し供養し玉ふ。密かに大臣に命じて曰く、吾れ昔修行して數十身をしかども、万分が之一つ未だ濟救することを得ず。君が之始て貴く功德測り難し。譬へば虚空の不可思量なるがごとし。吾れ幼稚なりと雖も、願くは以て紹隆して君が与めに縁と爲り善智識と爲て、如來の教を傳へ正幢の盖を建らん。大臣謹てけて敢て墮緩だくわんせず。
【漢文エディタ原文】
十三 十三年甲辰秋九月ニ弥勒ノ石像一《今ハ在リ 2( 古京ノ之元興寺ノ東金堂ニ )1 。》百濟國ヨリ將來セリ。蘇我ノ大臣勸- 2( 請シテ其ノ佛像ヲ )1 、竝ニ於テ 2( 幡磨ノ國ニ )1 覓メ- 2( 得テ|狛(こま)ノ僧慧便ガ之還俗セルヲ )1 、乃チ以テ爲シテ^師ト更ニ度ス 2( 三尼ヲ )1 。|營(つく)テ 2( 佛ノ殿ヲ於宅ノ東ニ )1 安- 2( 置シタマフ弥勒ノ石像ヲ )1 。屈- 2( 請シテ三尼ヲ )1 設ク 2( 大ナル會齋ヲ )1 、亦佛ノ殿ヲ搆ヘ- 2( 立ツ石川ノ宅ニ )1 。|毎(つね)ニ到テ敬礼ス。此ノ時ニ司馬逹等|等(ら)得タリ 2( 佛舎利ヲ於齋食ノ上ヘニ )1 。由ナリ 2{ 是レ蘇我ノ大臣並ニ逹等深ク信ジテ 2( 佛法ヲ )1 修行スルコト不ルニ }1 ^|懈(をこた)ラ。於^|是(こゝ)ニ太子|時々(より/\)微- 2( 行シテ大臣ノ之寺ニ )1 、散花シ供養シ玉フ。密カニ命ジテ 2( 大臣ニ )1 曰ク、吾レ昔修行シテ|歴(へ)シカドモ 2( 數十身ヲ )1 、万分ガ之一ツ未ダ^得 2( 濟救スルコトヲ )1 。君ガ之始テ貴ク功德難シ^測リ。譬ヘバ如シ 2( 虚空ノ不可思量ナルガ )1 。吾レ雖モ 2( 幼稚ナリト )1 、願クハ以テ紹隆シテ与メニ^君ガ爲リ^縁ト爲テ 2( 善智識ト )1 、傳ヘ 2( 如來ノ教ヲ )1 建ラン 2( 正幢ノ盖ヲ )1 。大臣謹テ|奉(う)ケテ不 2( 敢テ|墮緩(だくわん)セ )1 。

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【本文】
十四 十四年乙巳春二月蘇我大臣起於大野をか。大齋會。太子とゝのみそなハス。比ヲヒルニ心柱、合掌三拜シテ左右、是佛舎利也。不ンバ舎利、不ルコトヲ。釋迦如來滅度之後、碎骨さいこつ舎利應ジテ而出タマフ。是如來シタマフナリ外家ぐわいか。聖人遠カランヤ矣。大臣不ンゼ舎利、此塔必レナン。大臣聞ゼンコトヲ舎利。三七日後齋食之上タリ舎利一枚。大ばか胡麻ごま、其色紅白ニシテ光四モニめぐレリ。浮ルニ、穿而居。投ルニ舎利於水、隨一レ-於水鍛撃たんげきスレドモ、弥ナルひかり馬子むまこ宿祢こころミニ舎利かなしきカニルテ鐵鎚ツニ、其かなしきつちらるレドモ摧壊セラ、而舎利摧毀さいき。大臣納レテ瑠璃旦夕あさなゆうなに礼拜。舎利常、或トキハツニトキハツト。旡コトレル。毎。太子臨而礼拜シタマフ。謂大臣、是真形骨舎利。大臣設心柱。此大臣有えやみフニたゝり時所リシ之祟ナリトス。即以奏聞。太子此日侍タマフ御床。天皇謂太子、我之基あるじ。而今大臣請ント異國之神レヲ如何カヾ。太子奏シテ、諸佛世尊道微妙ナリ。諸神隨シタマハ一レ。今大臣請ゼント佛法。是國家之福ナリ矣。即大臣承シク 。大臣礼-シテ石像ベント壽命
こゝ疫疾をみたからスルをゝ。三月物部ものゝべ弓削ゆげ大連だいれん・中臣勝海シテサク、從天皇ルマデ于陛下、疫疾未。人民可まことテナリ蘇我-スルニ佛法。詔シテ灼然あきらけ、冝シクシト 佛法。太子奏シテまうしタマハク、二臣未因果ことはリヲ、修レバ福至ズレバ禍來。是自然しぜん之理、如來之教也。兒、古ヘノ之聖人かちシガ於大ナルかんいんわざ。今之疫疾はら。何 ゼント之法、能レンヤ セン之命耶。二臣如今いまリナン。二臣不シテまうデヽ於寺-たを堂塔-佛像はな。取佛像難波なには堀江-シテ三尼法服、就海石榴市つばいちあばらやしもとシム。是日旡シテ雲而大フキフル。太子謂皇子、禍始マリ又發スル-滿テリ。患ノヽ、痛キコトルガ。老少竊相謂、是タテマツル佛像ナリ矣。太子謂皇子タマハク、如來シテ而更、興シテ而更。如今二臣破法之報、致フヲ。應 祈請シテまぬか一レ。皇子太子さゝ香炉タマフ。夏六月大臣馬子宿祢奏シテサク、臣。願クハ猶憑タテマツラン三宝。詔シテ、汝たゞテト餘人ヲバ。乃三尼大臣。大臣受而歡喜。太子よろこンデ、以大臣妙敎。佛法ズル、善哉善哉。大臣新タニつく精舎-三尼。佛法之始茲遂ゼリ
【原注】
【白文】
十四十四年乙巳春二月蘇我大臣起塔於大野嶽北。大設齋會。太子備儀臨而觀之。比及立心柱、合掌三拜謂左右曰、是佛舎利之器也。不置舎利、不得爲塔。釋迦如來滅度之後、碎骨舎利應感而出。是如來加于外家。聖人遠矣。大臣不安舎利、此塔必仆。大臣聞之謀感舎利。三七日後齋食之上得舎利一枚。大如胡麻、其色紅白紫光四周。浮水不沈、穿半而居。投舎利於水、隨心所願浮沈於水。鍛撃不碎、弥吐妙輝。馬子宿祢試以舎利置鐵中振鐵鎚打、其与鎚悉被摧壊、而舎利不摧毀。大臣納瑠璃壺、旦夕礼拜。舎利常旋壺裏、或爲二三或爲五六。旡有定数。毎夕吐光。太子臨而礼拜。謂大臣曰、是爲真形骨舎利。大臣設會安塔心柱下。此時大臣有疾卜祟父時所祭神之祟。即以状奏聞。太子此日侍御床下。天皇謂太子曰、我國之基以神爲主。而今大臣請祭異國之神。爲之如何。太子奏曰、諸佛世尊其道微妙。諸神隨之不敢違佛。今大臣請興佛法。是國家之福矣。即大臣承詔冝祭之。大臣礼拜石像乞延壽命。
於是國有疫疾民死者衆。三月物部弓削大連・中臣勝海連等奏曰、從先天皇至于陛下、疫疾未息。人民可絶。良由蘇我臣等興行佛法。詔曰、灼然、冝断佛法。太子奏曰、二臣未識因果之理、修善福至行惡禍來。是自然之理、如來之教也。兒聞、古之聖人勝於大災故有唐旱殷水之事。今之疫疾以德可除。何更滅將興之法、能免將死之命耶。二臣如今必蒙天禍。二臣不聽自詣於寺、斫倒堂塔毀破佛像、縱火燔之。取所燒餘佛像棄難波堀江。喚出三尼奪其法服、就海石榴市之亭並加笞辱。是日旡雲而大風雨。太子謂皇子曰、禍始於此又發瘡死者充滿國中。患其瘡者言、痛如燒斫。老少竊相謂曰、是燒佛像罪矣。太子謂皇子曰、如來教滅而更興、興而更滅。如今二臣破法之報、致此瘡疾。應祈請而脱之。皇子与太子擎香炉礼佛。夏六月大臣馬子宿祢奏曰、臣疾久不愈。願猶憑三宝。詔曰、汝可獨行。唯断餘人。乃以三尼更付大臣。大臣受而歡喜。太子賀之曰、以大臣威興此妙敎。佛法初興、善哉善哉。大臣新營精舎供養三尼。佛法之始自茲遂興。
【書き下し文】
十四 十四年乙巳春二月に蘇我の大臣塔を於大野のをかの北に起つ。大に齋會を設く。太子儀をとゝのへ臨て之をみそなはす。立るに及ぶ心柱を比をひ、合掌し三拜して左右に謂て曰く、是れ佛舎利の之也。舎利を置かずんば、塔とることを得ず。釋迦如來滅度の之後、碎骨さいこつの舎利感に應じて出たまふ。是れ如來の于外家ぐわいかしたまふなり。聖人遠からんや。大臣舎利を安んぜずは、此の塔必ず仆れなん。大臣之を聞て舎利を感ぜんことを謀る。三七日の後齋食の之上に舎利一枚を得たり。大さ胡麻ごまばかり、其の色紅白にして紫の光四もにめぐれり。水に浮るに沈まず、半を穿て居す。舎利を於水に投るに、心の願ふ所に隨て於水に浮沈す。鍛撃たんげきすれども碎けず、弥妙なるひかりく。馬子むまこの宿祢こころみに舎利を以てかなしきの中かに置て鐵鎚をるて打つに、其のかなしきつちとは悉く摧壊せららるれども、而も舎利は摧毀さいきせず。大臣瑠璃の壺に納れて、旦夕あさなゆうなに礼拜す。舎利常に壺の裏を旋て、或ときは二つ三つに爲り或ときは五つ六つと爲る。定れる数有こと旡し。夕べ毎に光を吐く。太子臨て礼拜したまふ。大臣に謂て曰く、是れ真形の骨舎利と爲す。大臣會を設て塔の心柱の下に安ず。此の時に大臣えやみ有りたゝりを卜ふに父が時祭りし所の神の之祟なりとす。即状を以て奏聞す。太子此の日御床の下に侍たまふ。天皇太子に謂て曰く、我が國の之基い神を以てあるじ。而に今大臣異國の之神を祭んと請ふ。之れを如何かゞん。太子奏して曰く、諸佛世尊は其の道微妙なり。諸神之に隨て敢て佛にしたまはず。今大臣佛法を興ぜんと請ふ。是れ國家の之福なり。即大臣詔を承て冝しく之を祭るべし。大臣石像を礼拜して壽命を延べんと乞ふ。
こゝに於國に疫疾有てをみたから死する者のをゝし。三月に物部ものゝべ弓削ゆげ大連だいれん・中臣の勝海の連じ奏して曰さく、先の天皇より于陛下に至るまで、疫疾未だへず。人民絶ぬべし。まことに蘇我の臣が佛法を興行するに由てなり。詔して曰く、灼然あきらけし、冝しく断つべしと佛法を。太子奏してまうしたまはく、二臣未だ識らず因果の之ことはりを、善を修れば福至り惡を行ずれば禍來る。是れ自然しぜんの之理り、如來の之教へ也。兒れ聞く、古への之聖人は於大なる災にかちしが故に唐かんいん水の之わざ有り。今の之疫疾も德を以てべし除はらふ。何ぞ更に將に興ぜんとする之法を滅し、能く將に死せんする之命を免れんや耶。二臣如今いま必ず天の禍を蒙りなん。二臣ずして聽か自ら於寺にまうでゝ、堂塔をたをし佛像を毀破し、火をはなて之をく。燒き餘す所の佛像を取てつ。三尼をび出して其の法服を奪ひ、海石榴市つばいちの之あばらやに就て並にしもとを加て辱しむ。是の日雲旡して大に風ふき雨ふる。太子皇子に謂て曰く、禍此く於始まり又瘡を發て死する者の國の中に充ち滿てり。其の瘡を患る者のゝ言く、痛きこと燒き斫るがごとし。老少竊に相謂て曰く、是れ佛像を燒たてまつる罪なり。太子皇子に謂て曰たまはく、如來の教は滅して更に興し、興して更に滅す。如今二臣破法之報ひ、此の瘡の疾ふを致す。應に祈請して之をまぬかるべし。皇子と太子と香炉をさゝげ佛を礼たまふ。夏六月に大臣馬子の宿祢奏して曰さく、臣が疾ふ久くへず。願くは猶三宝を憑たてまつらん。詔して曰く、汝ぢ獨り行ふべし。たゞ餘人をば断てと。乃ち三尼を以て更に大臣に付す。大臣受て歡喜す。太子之をよろこんで曰く、大臣の威を以て此の妙敎を興す。佛法の初て興ずる、善哉善哉と。大臣新たに精舎をつくて三尼を供養す。佛法之始め茲より遂に興ぜり。
【漢文エディタ原文】
十四 十四年乙巳春二月ニ蘇我ノ大臣起ツ 2( 塔ヲ於大野ノ|嶽(をか)ノ北ニ )1 。大ニ設ク 2( 齋會ヲ )1 。太子|備(とゝの)ヘ^儀ヲ臨テ而|觀(みそな)ハス^之ヲ。比ヲヒ^及ブ^立ルニ 2( 心柱ヲ )1 、合掌シ三拜シテ謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、是レ佛舎利ノ之|器(き)也。不ンバ^置カ 2( 舎利ヲ )1 、不^得^|爲(す)ルコトヲ^塔ト。釋迦如來滅度ノ之後、|碎骨(さいこつ)ノ舎利應ジテ^感ニ而出タマフ。是レ如來ノ|加(か)シタマフナリ 2( 于|外家(ぐわいか)ニ )1 。聖人遠カランヤ矣。大臣不ハ^安ンゼ 2( 舎利ヲ )1 、此ノ塔必ズ仆レナン。大臣聞テ^之ヲ謀ル^感ゼンコトヲ 2( 舎利ヲ )1 。三七日ノ後齋食ノ之上ニ得タリ 2( 舎利一枚ヲ )1 。大サ|如(ばか)リ 2( |胡麻(ごま) )1 、其ノ色紅白ニシテ紫ノ光四モニ|周(めぐ)レリ。浮ルニ^水ニ不^沈マ、穿テ^半ヲ而居ス。投ルニ 2( 舎利ヲ於水ニ )1 、隨テ 2( 心ノ所ニ )1^願フ浮- 2( 沈ス於水ニ )1 。|鍛撃(たんげき)スレドモ不^碎ケ、弥|吐(は)ク 2( 妙ナル|輝(ひかり)ヲ )1 。|馬子(むまこ)ノ宿祢|試(こころ)ミニ以テ 2( 舎利ヲ )1 置テ 2( |鐵(かなしき)ノ中カニ )1 |振(ふ)ルテ 2( 鐵鎚ヲ )1 打ツニ、其ノ|(かなしき)ト|与(と)ハ^|鎚(つち)悉ク|被(らる)レドモ 2( 摧壊セラ )1 、而モ舎利ハ不 2( |摧毀(さいき)セ )1 。大臣納レテ 2( 瑠璃ノ壺ニ )1 、|旦夕(あさなゆうなに)礼拜ス。舎利常ニ旋テ 2( 壺ノ裏ヲ )1 、或トキハ爲リ 2( 二ツ三ツニ )1 或トキハ爲ル 2( 五ツ六ツト )1 。旡シ^有コト 2( 定レル数 )1 。毎ニ^夕ベ吐ク^光ヲ。太子臨テ而礼拜シタマフ。謂テ 2( 大臣ニ )1 曰ク、是レ爲ス 2( 真形ノ骨舎利ト )1 。大臣設テ^會ヲ安ズ 2( 塔ノ心柱ノ下ニ )1 。此ノ時ニ大臣有リ^|疾(えやみ)卜フニ^|祟(たゝり)ヲ父ガ時所ノ^祭リシ神ノ之祟ナリトス。即以テ^状ヲ奏聞ス。太子此ノ日侍タマフ 2( 御床ノ下ニ )1 。天皇謂テ 2( 太子ニ )1 曰ク、我ガ國ノ之基イ以テ^神ヲ|爲(す)^|主(あるじ)ト。而ニ今大臣請フ^祭ント 2( 異國ノ之神ヲ )1 。|爲(せ)ン 2( 之レヲ如何カヾ )1 。太子奏シテ曰ク、諸佛世尊ハ其ノ道微妙ナリ。諸神隨テ^之ニ不 2( 敢テ|違(い)シタマハ )1^佛ニ。今大臣請フ^興ゼント 2( 佛法ヲ )1 。是レ國家ノ之福ナリ矣。即大臣承テ^詔ヲ冝シク _シ_ ^祭ル^之ヲ。大臣礼- 2( 拜シテ石像ヲ )1 乞フ^延ベント 2( 壽命ヲ )1 。
於^|是(こゝ)ニ國ニ有テ 2( 疫疾 )1 |民(をみたから)死スル者ノ|衆(をゝ)シ。三月ニ|物部(ものゝべ)ノ|弓削(ゆげ)ノ|大連(だいれん)・中臣ノ勝海ノ連ジ|等(ら)奏シテ曰サク、從リ 2( 先ノ天皇 )1 至ルマデ 2( 于陛下ニ )1 、疫疾未ダ^|息(た)ヘ。人民可シ^絶ヌ。|良(まこと)ニ由テナリ 3( 蘇我ノ臣|等(ら)ガ興- 2( 行スルニ佛法ヲ )1 。詔シテ曰ク、|灼然(あきらけ)シ、冝シク _シト_ ^断ツ 2( 佛法ヲ )1 。太子奏シテ|曰(まうし)タマハク、二臣未ダ^識ラ 2( 因果ノ之|理(ことは)リヲ )1 、修レバ^善ヲ福至リ行ズレバ^惡ヲ禍來ル。是レ|自然(しぜん)ノ之理リ、如來ノ之教ヘ也。兒レ聞ク、古ヘノ之聖人ハ|勝(かち)シガ 2( 於大ナル災ニ )1 故ニ有リ 2( 唐|旱(かん)|殷(いん)水ノ之|事(わざ) )1 。今ノ之疫疾モ以テ^德ヲ可シ^|除(はら)フ。何ゾ更ニ滅シ 2( 將ニ _ル_ ^興ゼント之法ヲ )1 、能ク免レンヤ 2( 將ニ _ル_ ^死セン之命ヲ )1 耶。二臣|如今(いま)必ズ蒙リナン 2( 天ノ禍ヲ )1 。二臣不シテ^|聽(き)カ自ラ|詣(まう)デヽ 2( 於寺ニ )1 、|斫(き)リ- 2( |倒(たを)シ堂塔ヲ )1 毀- 2( 破シ佛像ヲ )1 、|縱(はな)テ^火ヲ|燔(や)ク^之ヲ。取テ 2{ 所ノ 2( 燒キ餘ス )1 佛像ヲ }1 |棄(す)ツ 2( |難波(なには)ノ堀江ニ )1 。|喚(よ)ビ- 2( 出シテ三尼ヲ )1 奪ヒ 2( 其ノ法服ヲ )1 、就テ 2( |海石榴市(つばいち)ノ之|亭(あばらや)ニ )1 並ニ加テ^|笞(しもと)ヲ辱シム。是ノ日旡シテ^雲而大ニ風フキ雨フル。太子謂テ 2( 皇子ニ )1 曰ク、禍始マリ^於^此ク又發テ^瘡ヲ死スル者ノ充チ- 2( 滿テリ國ノ中ニ )1 。患ル 2( 其ノ瘡ヲ )1 者ノヽ言ク、痛キコト如シ 2( 燒キ斫ルガ )1 。老少竊ニ相謂テ曰ク、是レ燒タテマツル 2( 佛像ヲ )1 罪ナリ矣。太子謂テ 2( 皇子ニ )1 曰タマハク、如來ノ教ハ滅シテ而更ニ興シ、興シテ而更ニ滅ス。如今二臣破法之報ヒ、致ス 2( 此ノ瘡ノ疾フヲ )1 。應ニ _シ_ 2( 祈請シテ而|脱(まぬか)ル )1^之ヲ。皇子ト与 2( 太子 )1 |擎(さゝ)ゲ 2( 香炉ヲ )1 礼タマフ^佛ヲ。夏六月ニ大臣馬子ノ宿祢奏シテ曰サク、臣ガ疾フ久ク不^|愈(い)ヘ。願クハ猶憑タテマツラン 2( 三宝ヲ )1 。詔シテ曰ク、汝ヂ可シ 2( 獨リ行フ )1 。|唯(たゞ)断テト 2( 餘人ヲバ )1 。乃チ以テ 2( 三尼ヲ )1 更ニ付ス 2( 大臣ニ )1 。大臣受テ而歡喜ス。太子|賀(よろこ)ンデ^之ヲ曰ク、以テ 2( 大臣ノ威ヲ )1 興ス 2( 此ノ妙敎ヲ )1 。佛法ノ初テ興ズル、善哉善哉ト。大臣新タニ|營(つく)テ 2( 精舎ヲ )1 供- 2( 養ス三尼ヲ )1 。佛法之始メ自リ^茲遂ニ興ゼリ。

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【本文】
卅二代 用明天皇 《諱豊日。欽明天皇第四みこ。敏達天皇第三弟也。磐余いはれ池辺いけべ双槻なみつきコト二年。》

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十五 元年丙午春正月庶妹そまい穴太部あなほべ間人はしひと皇女皇后。《即太子之母也。》天皇敏逹天皇ジタマフ九月即位シタマヘドモ、故即位。太子奏シテ、兒タテマツルニ天躰遐壽かじうビタマハ。代ミタマフ。願クハシタマヘ仁德。雖フトモスト諒陰りやういん、不カラバアル。天皇詔シテ微言、朕うれあこ之胤子ンコトヲ一レ。悅之年命ンヲバ一レカラ。太子荅シテ、過去因ナリ也。兒身僅ガレテブトモ子孫かばねケテたましひはらマレナバ蓮花、亦復何ミアラン。旡キコト如何トス。天皇黙然シタマフ。二月太子密シテタマハク叔父しゆくふ-ナラント姑后ここう。二臣將 -ナラント於天下。天皇聞メシテ而知タマヒ、歎タマフ天下之不ンコトヲ一レをだシカラ
【原注】
【白文】
卅二代用明天皇《諱橘豊日。欽明天皇第四子。敏達天皇第三弟也。磐余池辺双槻宮治二年。》

十五元年丙午春正月納庶妹穴太部間人皇女爲皇后。《即太子之母也。》天皇以敏逹天皇崩年九月即位、故不稱即位。太子奏曰、兒相天躰、遐壽不延。代兄践祚。願施仁德。雖居諒陰、不可不勤。天皇詔微言曰、朕恤兒之胤子不續。悅朕之年命不永。太子荅曰、過去因也。兒身僅脱及子孫、尸解登仙、魂胎蓮花、亦復何恨。旡可如何。天皇黙然。二月太子密奏曰、叔父將不和於姑后。二臣將不忠於天下。天皇聞而知之、歎天下之不穩。
【書き下し文】
卅二代 用明天皇 《諱は橘の豊日。欽明天皇の第四のみこ。敏達天皇第三の弟也。磐余いはれ池辺いけべ双槻なみつきの宮に治こと二年。》

十五 元年丙午春正月に庶妹そまい穴太部あなほべ間人はしひとの皇女を納て皇后と爲す。《即太子の之母也。》天皇は敏逹天皇の崩じたまふ年の九月を以て即位したまへども、故に即位と稱へず。太子奏して曰く、兒れ天躰をたてまつるに、遐壽かじう延びたまは。兄に代て祚をみたまふ。願くは仁德を施したまへ。諒陰りやういんに居すと雖ふとも、勤めばあるべからず。天皇微言を詔して曰く、朕はあこが之胤子の續がざらんことをうれふ。朕が之年命の永からざらんをば悅ぶ。太子荅して曰く、過去因なり也。兒が身僅にがれて子孫に及ぶとも、かばねけて仙に登り、たましひ蓮花にはらまれなば、亦復何の恨みあらん。如何とすべきこと旡し。天皇黙然したまふ。二月太子密に奏して曰たまはく、叔父しゆくふ將に於姑后ここうに不和ならんとす。二臣將に於天下に不忠ならんとすと。天皇聞めして之を知たまひ、天下之をだしからざらんことを歎たまふ。
【漢文エディタ原文】
卅二代 用明天皇 《諱ハ橘ノ豊日。欽明天皇ノ第四ノ|子(みこ)。敏達天皇第三ノ弟也。|磐余(いはれ)|池辺(いけべ)ノ|双槻(なみつき)ノ宮ニ治コト二年。》

十五 元年丙午春正月ニ納テ 2( |庶妹(そまい)|穴太部(あなほべ)ノ|間人(はしひと)ノ皇女ヲ )1 爲ス 2( 皇后ト )1 。《即太子ノ之母也。》天皇ハ以テ 2( 敏逹天皇ノ崩ジタマフ年ノ九月ヲ )1 即位シタマヘドモ、故ニ不^稱ヘ 2( 即位ト )1 。太子奏シテ曰ク、兒レ|相(み)タテマツルニ 2( 天躰ヲ )1 、|遐壽(かじう)|不(じ)^延ビタマハ。代テ^兄ニ|践(ふ)ミタマフ^祚ヲ。願クハ施シタマヘ 2( 仁德ヲ )1 。雖フトモ^居スト 2( |諒陰(りやういん)ニ )1 、不^可カラ^|不(ず)バアル^勤メ。天皇詔シテ 2( 微言ヲ )1 曰ク、朕ハ|恤(うれ)フ 2( |兒(あこ)ガ之胤子ノ不ンコトヲ )1^續ガ。悅ブ 2( 朕ガ之年命ノ不ンヲバ )1^永カラ。太子荅シテ曰ク、過去因ナリ也。兒ガ身僅ニ|脱(の)ガレテ及ブトモ 2( 子孫ニ )1 、|尸(かばね)|解(と)ケテ登リ^仙ニ、|魂(たましひ)|胎(はら)マレナバ 2( 蓮花ニ )1 、亦復何ノ恨ミアラン。旡シ^可キコト 2( 如何トス )1 。天皇黙然シタマフ。二月太子密ニ奏シテ曰タマハク、|叔父(しゆくふ)將ニ^不- 2( 和ナラント於|姑后(ここう)ニ )1 。二臣將ニ _ト_ ^不- 2( 忠ナラント於天下ニ )1 。天皇聞メシテ而知タマヒ^之ヲ、歎タマフ 2( 天下之不ンコトヲ )1^|穩(をだ)シカラ。

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【本文】
十六 二年丁未夏四月天皇不豫みやまいしたまふ。太子不衣帯、日夜タマフ。天皇一タビシタマヘバ太子タビシタマフ。天皇再タビシタマヘバ太子タマフ。擎香炉祈請シタマフ音不キヲ。詔シテ群臣、朕思ハク、欲シテマツラント三寳卿等なんたち ラフ也。物部守屋大連・中臣勝海ジノサク、何タマハンあだし也。由來もとよりキノ矣。蘇我大臣サク、可而助ケタテマツル。誰サン異計。遂豊國法師まいラシム於内裏。太子大大臣、三宝妙理、人不レヲ。妄リニ異説、邪見ニシテつくつみ如今いま大臣歸シテ福田、率。兒意大、廻シテミヲビト。喜カラ。大臣たゝイテベヲサクツテ殿下盛德-三寳。臣之死センケルとしノゴトクナラン矣。大連横シマニにらンデ。太子謂左右、大連不因果、而今將ビナント。彼レヲ嗚呼あゝシム。是人密大連、今群臣たばかなんぢ。不カランバアルシマ。大連聞即退阿都あと之宅-あつ人衆。中臣勝海かつうみ連亦人衆、將ケント大連、兼魘魅えんみ。及于乗輿事既發覺はつかくシヌ。大臣遣シテ太子舎人跡見あとみ赤檮いちひころサントス。爰大連遣シテ使大臣、吾群臣たばか。我ことさラニ退。于時鞍部くらべ多須奈たすなをんため天皇自身出家シテリタテマツル丈六佛像并坂田さかた。太子握ながシテ、兒愚庸ぐようナリト、助ラレテなんぢあが。况亦千秋万歳後兒わすレン冥助けい乎。是月天皇弥留をもりたまふ。太子をどイテタマフ いきたヘナントあまたゝびナリ矣。及属纊しよつかう太子携ハテ大臣くびさけいきたエテ復蘇よみがへリタマフ再三度ナリ。大臣相提しやうてい慰洩いえいシタテマツル
六月大臣ケテ炊屋姫かしきやひめみことのり、遣佐伯さえき舟徑ふなち綱手つなで、率シテサント穴太部あなほべ皇子・宅部いへべ皇子等。是皇子者、天皇兄弟ナレドモ、阿-シテ大連-天皇、魘-魅大臣。故。太子いさメテ大臣、人之所-一レ人、皆以テナリ生命也。彼リノ皇子者、天皇天倫、兒伯叔ナリ也。議ルニ、須 輕典けいてん。願クハ君爲寛恕くわんじよシテ うつ佗國。大臣不シテシテサク、大義ニハストイフ。其いゝ乎。太子謂左右、大臣亦迷ヘリ因果。亦復難。秋七月大臣与ヘノ皇子シテタントス大連。又大伴おほとも咋子くいこ連・阿倍あべ臣・平ぐん神手かんて、率シテ志紀しきつどイテ渋川しぶかは、共ントス大連於是こゝに大連-ほうそつシテ子弟及奴等やつこらきづキテ稻城たうさいつらなたゝか。其軍強盛ニシテあふきみ恐怖シテタビしりぞかへ。是太子《生年十六》隨大軍しりへ、自はか、非。乃ジテまつりごとするみやつこ川勝、取白膠ぬで-四天王、置ちやうほつ、《一ニハさゝ-ツトサキニ。》而シテ、今使メタマハヾレヲシテ、必ラン-ため護世四天王-セント寺塔。大臣又發コト。進メテ相戰。太子復攻タマフ。此大連登ナル、《又云、昇ルトキ衣摺きすりえだ枝間、》ちか物部ものゝべ府都ふと大明神之矢トイヒテ、中タル太子。太子命ジテ舎人跡見赤檮いちひタシムルニ四天王之矢、《定弓和、慧箭遠はしつ、》中大連さかしまヨリ。賊衆さは。川勝リツ大連ビヲ。《本願縁起云、守屋是生々世々相傳破賊ナリ。震旦漢土男女、弘-佛法、教-セル有情之時、從-セシコト吾身、如。是身終後歴五百生、發-大小寺塔佛像あが-たて、六宗之教法、今身-シツ八箇所寺塔院佛菩薩。所スル法華・勝鬘經疏義毎寺施入封戸ほうこ田園有かず。逆臣惡禽しば/\ジテ-ようどう、迷乱セン。横シマニさしはさンデ凶情かす-田地、滅-セン寺塔。是只守屋変現而已のみ。与吾与守屋影与一レひゞ。寺塔滅亡セバ國家壞失セン矣。》タリノ小將軍直キニ大連、子孫・資材・田宅皆。《本願縁起云、子孫從類二百七十三人爲奴・婢。没-シテ所領田園拾八万六千八百九十代。河内國弓削ゆげ・鞍作・祖父間をゝぢま・衣すりはくさ足代あじろ御立みたち葦原あしはら八箇所地、都集シテ十二万八千六百四十代ナリ。攝津國於勢をせ摸江かたえ鴇田ときた熊凝くまこり散地、都集シテ五万八千二百伍十代、居宅三所并資材等、悉はか-云々。》唯大連田万けい跡見赤檮等。於玉造リニ四天王寺。又於大和飛鳥あすか法興寺。太子大臣とも商量
秋七月天皇はうぶ於河内科長しなが中尾なかを山陵みさゞき。太子ざんシテかちニテタマフ。兩血。ジテ輿みこししゐロスニモ、躍むねうほとばしいきたヘテまたリタマフ。觀シム。此日天陰ほそフルコトあまたタビ矣。人皆以-ヘリ太子孝感之所ナリト一レ也。
【原注】
【白文】
十六二年丁未夏四月天皇不豫。太子不解衣帯、日夜侍病。天皇一飯太子一飯。天皇再飯太子再飯。擎香炉祈請音不絶響。詔群臣曰、朕思、欲歸三寳。卿等冝量也。物部守屋大連・中臣勝海連曰、何背國神敬佗神也。由來不識若此事矣。蘇我大臣曰、可隨詔而助。誰生異計。遂引豊國法師入於内裏。太子大悅、握大臣手埀涙語曰、三宝妙理、人不之識。妄生異説、邪見成釁。如今大臣歸心福田、率師祈壽。兒意大歡、廻悲成喜。喜不可議。大臣叩頭曰、頼殿下盛德興隆三寳。臣之死日復生年矣。大連横睨大怒。太子謂左右曰、大連不識因果理、而今將亡。彼不之識。嗚呼可悲。是時有人密語大連曰、今群臣圖卿。不可不愼。大連聞之即退阿都之宅、集聚人衆。中臣勝海連亦人衆集宅、將助大連、兼作魘魅。及于乗輿事既發覺。大臣遣太子舎人跡見赤檮弑之。大臣叩頭曰、頼殿下盛德興隆三寳。臣之死日復生年矣。大連横睨大怒。太子謂左右曰、大連不識因果理、而今將亡。彼不之識。嗚呼可悲。是時有人密語大連曰、今群臣圖卿。不可不愼。大連聞之即退阿都之宅、集聚人衆。中臣勝海連亦人衆集宅、將助大連、兼作魘魅。及于乗輿事既發覺。大臣遣太子舎人跡見赤檮弑之。
六月大臣奉炊屋姫尊詔、遣佐伯連舟徑・綱手等、率兵欲弑穴太部皇子・宅部皇子等。是二皇子者、天皇兄弟、阿黨大連咒咀天皇、魘魅大臣。故及死。太子諫大臣曰、人之所以爲人、皆以生命也。彼二皇子者、天皇天倫、兒伯叔也。議其罪源、須處輕典。願君爲兒寛恕應移佗國。大臣不聽荅曰、大義滅親。其是謂乎。太子謂左右曰、大臣亦迷因果。亦復難免。秋七月大臣与諸皇子率軍討大連。又大伴咋子連・阿倍臣・平群神手臣等、率兵從志紀郡會于渋川、共伐大連。於是大連部率子弟及奴等、築稻城而接戰。其軍強盛填家溢野。皇軍恐怖三却還。是時太子《生年十六》隨大軍後、自忖曰、非願難濟。乃命軍允秦造川勝、取白膠木刻作四天王像、置於頂、《一云、擎立軍鉾。》而發願曰、今使我勝、必奉爲護世四天王起立寺塔。大臣又發願如此。進軍相戰。太子復攻。此時大連登大榎木、《又云、昇衣摺朴枝間、》誓放物部府都大明神之矢、中太子鎧。太子命舎人跡見赤檮放四天王之矢、《定弓和順、慧箭遠逸、》中大連胸。倒墜木。賊衆躁乱。川勝斬大連頸。《本願縁起云、守屋臣是生々世々相傳破賊。震旦漢土現男女身、弘興佛法、教化有情之時、從順吾身、如影不離。是身終後歴五百生、發起大小寺塔佛像、崇竪、六宗之教法、今身建立八箇所寺塔院佛菩薩像。所製法華・勝鬘經疏義毎寺施入。封戸田園有其員。逆臣惡禽屡現揺動人心、迷乱。横挾凶情、掠取田地、滅破寺塔。是只守屋変現而已。与吾与守屋如影与響。寺塔滅亡國家壞失矣。》三小將軍直入大連家、子孫・資材・田宅皆爲寺分。《本願縁起云、子孫從類二百七十三人爲寺永奴・婢。没官所領田園拾八万六千八百九十代定寺永財畢。河内國弓削・鞍作・祖父間・衣摺・屮・足代・御立・葦原等八箇所地、都集十二万八千六百四十代。攝津國於勢・摸江・鴇田・熊凝等散地、都集五万八千二百伍十代、居宅三所并資材等、悉計納寺分云々。》唯以大連私田万頃賜跡見赤檮等。於玉造岸上始基四天王寺。又於大和飛鳥地立法興寺。太子与大臣相与商量。
秋七月天皇葬於河内科長中尾山陵。太子斬服歩隨。兩足見血。攀輿強進。下梓棺間、躍叫踊絶而更蘇。觀者大悲。此日天陰微雨數矣。人皆以爲太子孝感之所致也。
【書き下し文】
十六 二年丁未夏四月に天皇不豫みやまいしたまふ。太子衣帯を解かず、日夜に病に侍たまふ。天皇一たび飯したまへば太子も一たび飯したまふ。天皇再たび飯したまへば太子も再び飯たまふ。香炉を擎て祈請したまふ音響きをたず。群臣に詔して曰く、朕思はく、三寳に歸してまつらんと欲ふ。卿等なんたち冝く量らふべし也。物部の守屋の大連・中臣の勝海の連じの曰さく、何ぞ國つ神を背てあだしの神を敬たまはん也。由來もとよりらず2(此の若きの事を)1。蘇我の大臣の曰さく、べし2(詔に隨て助けたてまつる)1。誰か異計をさん。遂に豊國法師を引て於内裏にまいらしむ。太子大に悅て、大臣の手をて涙を埀て語て曰く、三宝の妙理、人之れを識らず。妄りに異説をし、邪見にしてつみつくる。如今いま大臣心を福田に歸して、師を率て壽を祈る。兒が意大に歡て、悲みを廻して喜びと成す。喜び議るべからず。大臣頭べをたゝいて曰さく、殿下の盛德につて三寳を興隆す。臣が之死せん日も復たけるとしのごとくならん。大連横しまににらんで大に怒る。太子左右に謂て曰く、大連因果の理を識らず、而も今將に亡びなんとす。彼れ之れを識らず。嗚呼あゝ悲しむべし。是の時に人有て密に大連に語て曰く、今群臣なんぢたばかる。愼しまずんばあるべからず。大連之を聞て即阿都あとの之宅に退て、人衆を集聚あつむ。中臣の勝海かつうみの連亦人衆を宅に集て、將に助けんとす大連を、兼て魘魅えんみを作す。于乗輿に及て事既に發覺はつかくしぬ。大臣太子の舎人跡見あとみ赤檮いちひを遣して之をころさんとす。爰に大連使を遣して大臣に謂て曰く、吾れ聞く群臣我をたばかる。我れことさらに之を退く。于時に佛の工み鞍部くらべ多須奈たすな天皇のをんために自身出家して丈六の佛像并坂田さかた寺を造りたてまつる。太子手を握て涙をながして曰く、兒れ愚庸ぐようなりと雖も、なんぢに助られて法をあがむ。况亦千秋万歳の後兒れ何を以か冥助の福けいわすれん乎。是月に天皇弥留をもりたまふ。太子をどいて將にいきたへなんとすたまふあまたゝびなり。属纊しよつかうに及て太子大臣のくびに携はてさけび泣ていきたえて復蘇よみがへりたまふ再三度なり。大臣相提しやうてい慰洩いえいしたてまつる。
六月に大臣炊屋姫かしきやひめの尊のみことのりけて、佐伯さえきの連舟徑ふなち綱手つなでを遣し、兵を率して穴太部あなほべの皇子・宅部いへべの皇子等を弑さんと欲す。是の二の皇子は、天皇の兄弟なれども、大連に阿黨して天皇を咒咀し、大臣を魘魅。故に死に及ぶ。太子大臣をいさめて曰く、人の之人たる所以、皆生命を以てなり也。彼の二りの皇子は、天皇の天倫、兒が伯叔なり也。其の罪の源を議るに、須く處すべし輕典けいてんに。願くは君兒が爲に寛恕くわんじよして應に佗國にうつすべし。大臣ずして聽か荅して曰さく、大義には親を滅すといふ。其れ是のいゝか乎。太子左右に謂て曰く、大臣も亦因果に迷へり。亦復免れ難し。
秋七月に大臣諸への皇子与と軍を率して大連を討たんとす。又大伴おほとも咋子くいこの連・阿倍あべの臣・平ぐん神手かんての臣、兵を率して志紀しきの郡りより于渋川しぶかはつどいて、共に大連を伐んとす。於是こゝに大連子弟及奴等やつこら部率ほうそつして、稻城たうさいきづきてつらなたゝかう。其軍さ強盛にして家にち野にあふる。きみの軍さ恐怖してたびしりぞかへる。是の時に太子《生年十六》大軍のしりへに隨て、自らはかて曰く、願に非ばり難し。乃ち軍のまつりごとする秦のみやつこ川勝に命じて、取て白膠ぬでの木を)1四天王の像を刻み作て、於ちやうほつに置て、《一には云く、軍の鉾さきにさゝげ立つと。》而して願を發て曰く、今我れをしてたしめたまはゞ、必ず護世四天王を奉らんために寺塔を起立せんと。大臣も又願を發こと此のごとし。軍を進めて相戰ふ。太子も復攻たまふ。此の時に大連大なるの木に登て、《又云、衣摺きすりえだの枝間に昇るとき、》ちか物部ものゝべ府都ふとの大明神之矢といひて放つ、太子の鎧に中たる。太子舎人跡見の赤檮いちひに命じて四天王之矢を放たしむるに、《定の弓和に順じ、慧の箭遠くはしつて、》大連が胸に中る。さかしまに木よりつ。賊衆さはき乱る。川勝大連が頸びをりつ。《本願の縁起に云、守屋の臣は是生々世々相傳破賊なり。震旦漢土に男女の身を現じ、佛法を弘興し、有情を教化せる之時も、吾身に從順せしこと、影の如く離れず。是の身終て後五百生を歴て、大小の寺塔佛像を發起し、、六宗の之教法をあがたてて、今身に八箇所の寺塔院佛菩薩の像を建立しつ。製する所の法華・勝鬘經の疏義寺毎に施入す。封戸ほうこ田園其のかず有り。逆臣惡禽しば/\現じて人の心を揺動ようどうし、迷乱せん。横しまに凶情をさしはさんで、田地をかすり、寺塔を滅破せん。是れ只守屋の変現而已のみ。吾と守屋と影ひゞき与のごとし。寺塔滅亡せば國家も壞失せん。》たりの小將軍直きに大連が家に入て、子孫・資材・田宅皆寺の分とす。《本願の縁起に云、子孫從類二百七十三人寺の永き奴・婢と爲す。所領田園拾八万六千八百九十代を没官して寺の永き財と定め畢ぬ。河内國に弓削ゆげ・鞍作・祖父間をゝぢま・衣すりはくさ足代あじろ御立みたち葦原あしはら等の八箇所の地、都集して十二万八千六百四十代なり。攝津國に於勢をせ摸江かたえ鴇田ときた熊凝くまこり等の散地、都集して五万八千二百伍十代、居宅三け所并に資材等、悉く寺の分にはかる云々。》唯し大連が私の田万けいを以て跡見の赤檮等に賜ふ。玉造の岸の上りに於て始て四天王寺をつ。又大和の飛鳥あすかの地に於法興寺を立つ。太子と大臣と相ともに商量す。
秋七月に天皇於河内科長しなが中尾なかを山陵みさゞきはうぶる。太子ざん服してかちにて隨たまふ。兩の足に血見ゆ。輿みこしじてしゐて進む。棺をろす間にも、躍り叫びむねうほとばしいきたへてまた蘇りたまふ。觀る者の大に悲しむ。此の日天陰りほそき雨ふることあまたたび。人皆太子孝感の之致す所なりと以爲へり也。
【漢文エディタ原文】
十六 二年丁未夏四月ニ天皇|不豫(みやまいしたまふ)。太子不^解カ 2( 衣帯ヲ )1 、日夜ニ侍タマフ^病ニ。天皇一タビ飯シタマヘバ太子モ一タビ飯シタマフ。天皇再タビ飯シタマヘバ太子モ再ビ飯タマフ。擎テ 2( 香炉ヲ )1 祈請シタマフ音不^|絶(た)タ^響キヲ。詔シテ 2( 群臣ニ )1 曰ク、朕思ハク、欲フ^歸シテマツラント 2( 三寳ニ )1 。|卿等(なんたち)冝ク _シ_ ^量ラフ也。物部ノ守屋ノ大連・中臣ノ勝海ノ連ジノ曰サク、何ゾ背テ 2( 國ツ神ヲ )1 敬タマハン 2( |佗(あだし)ノ神ヲ )1 也。|由來(もとより)不^|識(し)ラ 2( 若キノ^此ノ事ヲ )1 矣。蘇我ノ大臣ノ曰サク、可シ 2( 隨テ^詔ニ而助ケタテマツル )1 。誰カ|生(な)サン 2( 異計ヲ )1 。遂ニ引テ 2( 豊國法師ヲ )1 |入(まい)ラシム 2( 於内裏ニ )1 。太子大ニ悅テ、|握(と)テ 2( 大臣ノ手ヲ )1 埀テ^涙ヲ語テ曰ク、三宝ノ妙理、人不 2( 之レヲ識ラ )1 。妄リニ|生(な)シ 2( 異説ヲ )1 、邪見ニシテ|成(つく)ル^|釁(つみ)ヲ。|如今(いま)大臣歸シテ 2( 心ヲ福田ニ )1 、率テ^師ヲ祈ル^壽ヲ。兒ガ意大ニ歡テ、廻シテ^悲ミヲ成ス^喜ビト。喜ビ不^可カラ^議ル。大臣|叩(たゝ)イテ^頭ベヲ曰サク、|頼(よ)ツテ 2( 殿下ノ盛德ニ )1 興- 2( 隆ス三寳ヲ )1 。臣ガ之死セン日モ復タ|生(い)ケル|年(とし)ノゴトクナラン矣。大連横シマニ|睨(にら)ンデ大ニ怒ル。太子謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、大連不^識ラ 2( 因果ノ理ヲ )1 、而モ今將ニ^亡ビナント。彼レ不 2( 之レヲ識ラ )1 。|嗚呼(あゝ)可シ^悲シム。是ノ時ニ有テ^人密ニ語テ 2( 大連ニ )1 曰ク、今群臣|圖(たばか)ル^|卿(なんぢ)ヲ。不^可カラ^不ンバアル^愼シマ。大連聞テ^之ヲ即退テ 2( |阿都(あと)ノ之宅ニ )1 、|集- 2( 聚(あつ)ム人衆ヲ )1 。中臣ノ|勝海(かつうみ)ノ連亦人衆ヲ集テ^宅ニ、將ニ^助ケント 2( 大連ヲ )1 、兼テ作ス 2( |魘魅(えんみ)ヲ )1 。及テ 2( 于乗輿ニ )1 事既ニ|發覺(はつかく)シヌ。大臣遣シテ 2( 太子ノ舎人|跡見(あとみ)ノ|赤檮(いちひ)ヲ )1 |弑(ころ)サントス^之ヲ。爰ニ大連遣シテ^使ヲ謂テ 2( 大臣ニ )1 曰ク、吾レ聞ク群臣|謀(たばか)ル^我ヲ。我レ|故(ことさ)ラニ退ク^之ヲ。于時ニ佛ノ工ミ|鞍部(くらべ)ノ|多須奈(たすな)|爲(をんため)ニ 2( 天皇ノ )1 自身出家シテ造リタテマツル 2( 丈六ノ佛像并|坂田(さかた)寺ヲ )1 。太子握テ^手ヲ|埀(なが)シテ^涙ヲ曰ク、兒レ雖モ 2( |愚庸(ぐよう)ナリト )1 、助ラレテ^|子(なんぢ)ニ|崇(あが)ム^法ヲ。况亦千秋万歳ノ後兒レ何ヲ以カ|遺(わす)レン 2( 冥助ノ福|慶(けい)ヲ )1 乎。是月ニ天皇|弥留(をもりたまふ)。太子|躍(をど)リ|哭(な)イテ將ニ _タマフ_ ^|絶(いきた)ヘナント|數(あまたゝび)ナリ矣。及テ 2( |属纊(しよつかう)ニ )1 太子携ハテ 2( 大臣ノ|頸(くび)ニ )1 |叫(さけ)ビ泣テ|絶(いきた)エテ而|復蘇(よみがへ)リタマフ再三度ナリ。大臣|相提(しやうてい)|慰洩(いえい)シタテマツル。
六月ニ大臣|奉(う)ケテ 2( |炊屋姫(かしきやひめ)ノ尊ノ|詔(みことのり)ヲ )1 、遣シ 2( |佐伯(さえき)ノ連|舟徑(ふなち)・|綱手(つなで)|等(ら)ヲ )1 、率シテ^兵ヲ欲ス^弑サント 2( |穴太部(あなほべ)ノ皇子・|宅部(いへべ)ノ皇子等ヲ )1 。是ノ二ノ皇子ハ者、天皇ノ兄弟ナレドモ、阿- 2( 黨シテ大連ニ )1 咒- 2( 咀シ天皇ヲ )1 、魘- 2( 魅大臣ヲ )1 。故ニ及ブ^死ニ。太子|諫(いさ)メテ 2( 大臣ヲ )1 曰ク、人ノ之所- 2( 以|爲(た)ル )1^人、皆以テナリ 2( 生命ヲ )1 也。彼ノ二リノ皇子ハ者、天皇ノ天倫、兒ガ伯叔ナリ也。議ルニ 2( 其ノ罪ノ源ヲ )1 、須ク _シ_ ^處ス 2( |輕典(けいてん)ニ )1 。願クハ君爲ニ^兒ガ|寛恕(くわんじよ)シテ應ニ _シ_ ^|移(うつ)ス 2( 佗國ニ )1 。大臣不シテ^|聽(き)カ荅シテ曰サク、大義ニハ滅ストイフ^親ヲ。其レ是ノ|謂(いゝ)カ乎。太子謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、大臣モ亦迷ヘリ 2( 因果ニ )1 。亦復難シ^免レ。秋七月ニ大臣与ト 2( 諸ヘノ皇子 )1 率シテ^軍ヲ討タントス 2( 大連ヲ )1 。又|大伴(おほとも)ノ|咋子(くいこ)ノ連・|阿倍(あべ)ノ臣・平|群(ぐん)ノ|神手(かんて)ノ臣|等(ら)、率シテ^兵ヲ從リ 2( |志紀(しき)ノ郡リ )1 |會(つど)イテ 2( 于|渋川(しぶかは)ニ )1 、共ニ伐ントス 2( 大連ヲ )1 。|於是(こゝに)大連|部- 2( 率(ほうそつ)シテ子弟及|奴等(やつこら)ヲ )1 、|築(きづ)キテ 2( |稻城(たうさい)ヲ )1 而|接(つらな)リ|戰(たゝか)ウ。其軍サ強盛ニシテ|填(み)チ^家ニ|溢(あふ)ル^野ニ。|皇(きみ)ノ軍サ恐怖シテ|三(み)タビ|却(しりぞ)キ|還(かへ)ル。是ノ時ニ太子《生年十六》隨テ 2( 大軍ノ|後(しりへ)ニ )1 、自ラ|忖(はか)テ曰ク、非バ^願ニ難シ^|濟(な)リ。乃チ命ジテ 2( 軍ノ|允(まつりごとする)秦ノ|造(みやつこ)川勝ニ )1 、取テ|白膠(ぬで)ノ木ヲ )1 刻ミ- 2( 作テ四天王ノ像ヲ )1 、置テ 2( 於|頂(ちやうほつ)ニ )1 、《一ニハ云ク、|擎(さゝ)ゲ- 2( 立ツト軍ノ鉾サキニ )1 。》而シテ發テ^願ヲ曰ク、今|使(し)メタマハヾ 2( 我レヲシテ|勝(か)タ )1 、必ズ奉ラン- 2( |爲(ため)ニ護世四天王ヲ )1 起- 2( 立セント寺塔ヲ )1 。大臣モ又發コト^願ヲ如シ^此ノ。進メテ^軍ヲ相戰フ。太子モ復攻タマフ。此ノ時ニ大連登テ 2( 大ナル|榎(え)ノ木ニ )1 、《又云、昇ルトキ 2( |衣摺(きすり)ノ|朴(えだ)ノ枝間ニ )1 、》|誓(ちか)テ放ツ 2( |物部(ものゝべ)ノ|府都(ふと)ノ大明神之矢トイヒテ )1 、中タル 2( 太子ノ鎧ニ )1 。太子命ジテ 2( 舎人跡見ノ|赤檮(いちひ)ニ )1 放タシムルニ 2( 四天王之矢ヲ )1 、《定ノ弓和ニ順ジ、慧ノ箭遠ク|逸(はしつ)テ、》中ル 2( 大連ガ胸ニ )1 。|倒(さかしま)ニ|墜(を)ツ^木ヨリ。賊衆|躁(さは)キ乱ル。川勝|斬(き)リツ 2( 大連ガ頸ビヲ )1 。《本願ノ縁起ニ云、守屋ノ臣ハ是生々世々相傳破賊ナリ。震旦漢土ニ現ジ 2( 男女ノ身ヲ )1 、弘- 2( 興シ佛法ヲ )1 、教- 2( 化セル有情ヲ )1 之時モ、從- 2( 順セシコト吾身ニ )1 、如ク^影ノ不^離レ。是ノ身終テ後歴テ 2( 五百生ヲ )1 、發- 2( 起シ大小ノ寺塔佛像ヲ )1 、|崇(あが)メ- 2( |竪(たて)テ、六宗ノ之教法ヲ )1 、今身ニ建- 2( 立シツ八箇所ノ寺塔院佛菩薩ノ像ヲ )1 。所ノ^製スル法華・勝鬘經ノ疏義毎ニ^寺施入ス。|封戸(ほうこ)田園有リ 2( 其ノ|員(かず) )1 。逆臣惡禽|屡(しば/\)現ジテ|揺- 2( 動(ようどう)シ人ノ心ヲ )1 、迷乱セン。横シマニ|挾(さしはさ)ンデ 2( 凶情ヲ )1 、|掠(かす)メ- 2( |取(と)リ田地ヲ )1 、滅- 2( 破セン寺塔ヲ )1 。是レ只守屋ノ変現|而已(のみ)。与^吾与 2( 守屋 )1 如シ 2( 影与ノ )1^|響(ひゞ)キ。寺塔滅亡セバ國家モ壞失セン矣。》|三(み)タリノ小將軍直キニ入テ 2( 大連ガ家ニ )1 、子孫・資材・田宅皆|爲(な)ス 2( 寺ノ分ト )1 。《本願ノ縁起ニ云、子孫從類二百七十三人爲ス 2( 寺ノ永キ奴・婢ト )1 。没- 2( 官シテ所領田園拾八万六千八百九十代ヲ )1 定メ 2( 寺ノ永キ財ト )1 畢ヌ。河内國ニ|弓削(ゆげ)・鞍作・|祖父間(をゝぢま)・衣|摺(すり)・|屮(はくさ)・|足代(あじろ)・|御立(みたち)・|葦原(あしはら)等ノ八箇所ノ地、都集シテ十二万八千六百四十代ナリ。攝津國ニ|於勢(をせ)・|摸江(かたえ)・|鴇田(ときた)・|熊凝(くまこり)等ノ散地、都集シテ五万八千二百伍十代、居宅三ケ所并ニ資材等、悉ク|計(はか)リ- 2( |納(い)ル寺ノ分ニ )1 云々。》唯シ以テ 2( 大連ガ私ノ田万|頃(けい)ヲ )1 賜フ 2( 跡見ノ赤檮等ニ )1 。於テ 2( 玉造ノ岸ノ上リニ )1 始テ|基(た)ツ 2( 四天王寺ヲ )1 。又於 2( 大和ノ|飛鳥(あすか)ノ地ニ )1 立ツ 2( 法興寺ヲ )1 。太子ト|与(と) 2( 大臣 )1 相|与(とも)ニ商量ス。
秋七月ニ天皇|葬(はうぶ)ル 2( 於河内|科長(しなが)ノ|中尾(なかを)ノ|山陵(みさゞき)ニ )1 。太子|斬(ざん)服シテ|歩(かち)ニテ隨タマフ。兩ノ足ニ見ユ^血。|攀(よ)ジテ^|輿(みこし)ヲ|強(しゐ)テ進ム。|下(を)ロス 2( |梓(し)棺ヲ )1 間ニモ、躍リ叫ビ|(むねう)チ|踊(ほとばし)テ|絶(いきた)ヘテ而|更(また)蘇リタマフ。觀ル者ノ大ニ悲シム。此ノ日天陰リ|微(ほそ)キ雨フルコト|數(あまた)タビ矣。人皆以- 2( 爲ヘリ太子孝感ノ之所ナリト )1^致ス也。

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【本文】
卅三代 崇峻天皇 《諱泊瀬部はつせべ、欽明天皇第十五子。用明天皇第十一弟。倉橋くらはしコト五年。》
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十七 元年戊申春三月百濟國使并僧慧令欣れいぎん・慧しよく佛舎利。又恩率・首信等來調みつぎこと佛舎利并れい照律師、令威・慧衆・慧宿・道ごん・令開工一人・鑪盤師一人・造瓦師二人・畫一人。表、本國王傳スラク、承ルニ陛下もとい、肇メテ佛道。漢帝東流之夢、法王西來のり、於今しるしアルヲヤ矣。傳燈聖皇せいくわうまたうま附神ふじんもと、立幢真人重だいさき。臣等不レルビニ-こうと三蔵大師・律學比丘。伏陛下照佛日於若木之さと、掩ヒタマヘト慈雲於扶桑之むら云云。太子大フニ衆師シタマフ大義。衆師妙シテスルニ微言。天皇密太子、人神通之意、又能スト。汝相シテてい、勿コトけい。太子奏シテ、陛下玉躰實いま仁君。然レドモクハ非命忽ンコトヲ。伏シテ左右、勿ルヽコト姦人。天皇問タマフ、何。太子タマハク赤文せきもんクコト眸子まなこスト傷害。天皇引みそなハシテタマフ。太子謂左右、陛下之相不カラかは。是過去ナリ也。若あがメテ三寳シメタマハヾ般若はにや者、万分之一庶幾こいねがひシタマハヾまぬかれシタマハン。即命ジテ群臣・左右、能-シタテマツラシム陛下。近習間宿寤相ハル
【原注】
【白文】
卅三代崇峻天皇《諱泊瀬部、欽明天皇第十五子。用明天皇第十一弟。倉橋宮治五年。》
十七元年戊申春三月百濟國使并僧慧・令欣・慧寔等來献佛舎利。又恩率・首信等來進調。別献佛舎利并僧聆照律師、令威・慧衆・慧宿・道嚴・令開等寺工一人・鑪盤師一人・造瓦師二人・畫工一人。表曰、本國王傳奏、承陛下紹基践祚、肇興佛道。漢帝東流之夢、法王西來之猷、於今驗矣。傳燈聖皇復誕附神之下、立幢真人重出馬臺之前。臣等不勝至喜、貢渡三蔵大師・律學比丘。伏請陛下照佛日於若木之郷、掩慈雲於扶桑之邑云云。太子大悅問衆師以大義。衆師妙會潤以微言。天皇密召太子曰、人言汝有神通之意、又能相人。汝相朕躰、勿有形跡。太子奏曰、陛下玉躰實有仁君相。然恐非命忽至。伏請能守左右、勿容姦人。天皇問之、何以知之。太子曰、赤文貫眸子爲傷害相。天皇引鏡而視之大驚。太子謂左右曰、陛下之相不可相愽。是過去因也。若崇三寳遊魂般若者、万分之一庶幾免。即命群臣・左右、能衛護陛下。近習間宿寤相易。
【書き下し文】
卅三代 崇峻天皇 《諱は泊瀬部はつせべ、欽明天皇第十五の子。用明天皇第十一の弟。倉橋くらはしの宮に治こと五年。》

十七 元年戊申春三月に百濟國の使并に僧慧總・令欣れいぎん・慧しよく來て佛舎利を献る。又恩率・首信等來て調みつぎを進る。ことに佛舎利并に僧れい照律師、令威・慧衆・慧宿・道ごん・令開、寺の工一人・鑪盤の師一人・造瓦の師二人・畫の工み一人を献る。表に曰く、本國の王傳へ奏すらく、承るに陛下もといを祚を践て、肇めて佛道を興す。漢帝東流の之夢、法王西來の之のり、於今にしるしあるをや。傳燈の聖皇せいくわうまた附神ふじんもとうまる、立幢の真人重て馬だいさきに出づ。臣等至れる喜びにへず、三蔵の大師・律學の比丘を貢渡こうとす。伏て請ふ陛下佛日を於若木之さとに照し、慈雲を於扶桑之むらに掩ひたまへと云云。太子大に悅て衆師に問ふに大義を以したまふ。衆師妙に會して潤するに微言を以す。天皇密に太子を召て曰く、人の言く汝に神通之意有り、又能く人を相すと。汝朕がていを相して、けい跡有こと勿れ。太子奏して曰く、陛下の玉躰實に仁君の相にいます。然れども恐くは非命忽に至んことを。伏して請ふ能く左右を守て、姦人をるゝこと勿れ。天皇之を問たまふ、何を以か之を知ん。太子の曰たまはく、赤文せきもん眸子まなこを貫くこと傷害の相と爲すと。天皇鏡を引て之をみそなはして大に驚たまふ。太子左右に謂て曰く、陛下の之相相ひかはるべからず。是れ過去の因なり也。若し三寳をあがめて魂を般若はにやに遊しめたまはゞ者、万分が之一つ庶幾こいねがひしたまはゞまぬかれしたまはん。即群臣・左右に命じて、能く陛下を衛護したてまつらしむ。近習の間宿寤相はる。
【漢文エディタ原文】
卅三代 崇峻天皇 《諱ハ|泊瀬部(はつせべ)、欽明天皇第十五ノ子。用明天皇第十一ノ弟。|倉橋(くらはし)ノ宮ニ治コト五年。》

十七 元年戊申春三月ニ百濟國ノ使并ニ僧慧・|令欣(れいぎん)・慧|寔(しよく)|等(ら)來テ献ル 2( 佛舎利ヲ )1 。又恩率・首信等來テ進ル^|調(みつぎ)ヲ。|別(こと)ニ献ル 2( 佛舎利并ニ僧|聆(れい)照律師、令威・慧衆・慧宿・道|嚴(ごん)・令開|等(ら)寺ノ工一人・鑪盤ノ師一人・造瓦ノ師二人・畫ノ工ミ一人ヲ )1 。表ニ曰ク、本國ノ王傳ヘ奏スラク、承ルニ陛下|紹(つ)ギ|基(もとい)ヲ践テ^祚ヲ、肇メテ興ス 2( 佛道ヲ )1 。漢帝東流ノ之夢、法王西來ノ之|猷(のり)、於今ニ|驗(しるし)アルヲヤ矣。傳燈ノ|聖皇(せいくわう)|復(また)|誕(うま)ル 2( |附神(ふじん)之|下(もと)ニ )1 、立幢ノ真人重テ出ヅ 2( 馬|臺(だい)之|前(さき)ニ )1 。臣等不^|勝(た)ヘ 2( 至レル喜ビニ )1 、|貢- 2( 渡(こうと)ス三蔵ノ大師・律學ノ比丘ヲ )1 。伏テ請フ陛下照シ 2( 佛日ヲ於若木之|郷(さと)ニ )1 、掩ヒタマヘト 2( 慈雲ヲ於扶桑之|邑(むら)ニ )1 云云。太子大ニ悅テ問フニ 2( 衆師ニ )1 以シタマフ 2( 大義ヲ )1 。衆師妙ニ會シテ潤スルニ以ス 2( 微言ヲ )1 。天皇密ニ召テ 2( 太子ヲ )1 曰ク、人ノ言ク汝ニ有リ 2( 神通之意 )1 、又能ク相スト^人ヲ。汝相シテ 2( 朕ガ|躰(てい)ヲ )1 、勿レ^有コト 2( |形(けい)跡 )1 。太子奏シテ曰ク、陛下ノ玉躰實ニ|有(いま)ス 2( 仁君ノ相ニ )1 。然レドモ恐クハ非命忽ニ至ンコトヲ。伏シテ請フ能ク守テ 2( 左右ヲ )1 、勿レ^|容(い)ルヽコト 2( 姦人ヲ )1 。天皇問タマフ^之ヲ、何ヲ以カ知ン^之ヲ。太子ノ曰タマハク、|赤文(せきもん)貫クコト 2( |眸子(まなこ)ヲ )1 爲スト 2( 傷害ノ相ト )1 。天皇引テ^鏡ヲ而|視(みそな)ハシテ^之ヲ大ニ驚タマフ。太子謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、陛下ノ之相不^可カラ 2( 相ヒ|愽(かは)ル )1 。是レ過去ノ因ナリ也。若シ|崇(あが)メテ 2( 三寳ヲ )1 遊シメタマハヾ 2( 魂ヲ|般若(はにや)ニ )1 者、万分ガ之一ツ|庶幾(こいねがひ)シタマハヾ|免(まぬかれ)シタマハン。即命ジテ 2( 群臣・左右ニ )1 、能ク衛- 2( 護シタテマツラシム陛下ヲ )1 。近習ノ間宿寤相|易(か)ハル。

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【本文】
十八 二年己酉、太子奏シテタマハク、八方之政以使ベシ。願クハシテ使三道セシメタマヘ。即近江しんかま於東山道肉人しゝびかり於東海道、阿倍牧吹ひらぶきハス於北陸道。使かへ。天皇大、非太子トノタマフコト外國之境。使かへ。天皇大、非太子トノタマフコト外國之境
【原注】
【白文】
十八二年己酉、太子奏曰、八方之政以使知之。願遣使三道以察國境。即以近江臣蒲遣於東山道、肉人臣鴈遣於東海道、阿倍臣牧吹遣於北陸道。使復奏之。天皇大悅、非太子力朕不能知外國之境。
【書き下し文】
十八 二年己酉、太子奏して曰たまはく、八方の之政使を以て之を知べし。願くは使を三道に遣して以國の境をせしめたまへ。即ち近江のしんかまを以て於東山道に遣し、肉人しゝびの臣かりを於東海道に遣し、阿倍の臣牧吹ひらぶきを於北陸道に遣はす。使ひかへて之を奏す。使ひかへて之を奏す。天皇大に悅て、太子の力に非ば朕外國之境を知こと能はとのたまふ。
【漢文エディタ原文】
十八 二年己酉、太子奏シテ曰タマハク、八方ノ之政以テ^使ヲ知ベシ^之ヲ。願クハ遣シテ 2( 使ヲ三道ニ )1 以|察(み)セシメタマヘ 2( 國ノ境ヲ )1 。即チ以テ 2( 近江ノ|臣(しん)|蒲(かま)ヲ )1 遣シ 2( 於東山道ニ )1 、|肉人(しゝび)ノ臣|鴈(かり)ヲ遣シ 2( 於東海道ニ )1 、阿倍ノ臣|牧吹(ひらぶき)ヲ遣ハス 2( 於北陸道ニ )1 。

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【本文】
十九 三年庚戌春三月、學問尼善信等自百濟レリ。太子於天皇みまへこゝろミニタマフ釋律。尼辨荅スルコト。天皇敕シテ、何ズシモハン海表わだのほか之國。今眼前いまスヲヤ三藏大師乎。太子辞譲シタマフ。時年十九。冬十一月、太子みかぶりシタマフ焉。群臣賀シタテマツル
【原注】
【白文】
十九三年庚戌春三月、學問尼善信等自百濟來。太子於天皇前試問釋律義。尼等不能辨荅。天皇敕曰、何必遠問於海表之國。今眼前有此三藏大師乎。太子辞譲。時年十九。冬十一月、太子冠焉。群臣賀之。
【書き下し文】
十九 三年庚戌春三月に、學問の尼善信等百濟より來れり。太子天皇のみまへに於てこゝろみに釋律の義を問たまふ。尼辨荅すること能はず。天皇敕して曰く、何ぞ必ずしも遠く於海表わだのほかの之國に問はん。今眼前に此の三藏大師いますをや乎。太子辞譲したまふ。時に年十九。冬十一月、太子みかぶりしたまふ。群臣之を賀したてまつる。

【漢文エディタ原文】
十九 三年庚戌春三月ニ、學問ノ尼善信等自リ 2( 百濟 )1 來レリ。太子於テ 2( 天皇ノ|前(みまへ)ニ )1 |試(こゝろ)ミニ問タマフ 2( 釋律ノ義ヲ )1 。尼|等(ら)不^能ハ 2( 辨荅スルコト )1 。天皇敕シテ曰ク、何ゾ必ズシモ遠ク問ハン 2( 於|海表(わだのほか)ノ之國ニ )1 。今眼前ニ|有(いま)スヲヤ 2( 此ノ三藏大師 )1 乎。太子辞譲シタマフ。時ニ年十九。冬十一月、太子|冠(みかぶり)シタマフ焉。群臣賀シタテマツル^之ヲ。

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【本文】
二十 四年辛亥穐八月、詔シテ群臣、朕思ハクテント任那卿等なんたち如何。群臣奏シテサク、皆同詔旨。太子獨シテタマハク、新羅ざいノゴトク貪婪たんらん。外ニハスレドモ相隨フトニハそむ。今雖フトモスト濟成さいせいスルコトヲ。况亦宮庭ンヲヤしゆ乎。冬十一月シテをゝど男麿をまろ巨勢こせさる・大伴くい・葛木小楢をなら將軍、率シテ氏々臣連をんむらじシテ部隊ほうたい〔注丨つきのいくさのたむろのをさ〕、領シテ二万六千人、出デヽ筑紫。太子謂左右、此。雖フトモラン。徒ついやサンりよく。莫ケンクコト停止センニ。天皇聞メシテにくミタマフ
【原注】
將ノ部隊ほうたい丨つきのいくさのたむろのをさ 
【白文】
二十四年辛亥穐八月、詔群臣曰、朕思欲建任那。卿等如何。群臣奏曰、皆同詔旨。太子獨奏曰、新羅豺狼貪婪難量。外稱相隨内實相叛。今雖興軍不得濟成。况亦宮庭近有血臭乎。冬十一月差紀臣男麿・巨勢臣猿・大伴連咋・葛木臣小楢等爲將軍、率氏々臣連等爲裨將部隊、領二万六千人、出居筑紫。太子謂左右曰、此軍不遂。雖行止。徒費人力。莫若停止。天皇聞而惡之。
【書き下し文】
二十 四年辛亥穐八月、群臣に詔して曰く、朕思はく任那をてんと欲す。卿等なんたち如何ん。群臣奏して曰さく、皆詔旨に同じ。太子獨り奏して曰たまはく、新羅はざい狼のごとく貪婪たんらん量り難し。外には相隨ふと稱すれども内には實に相そむく。今軍を興すと雖ふとも濟成さいせいすることを得。况や亦宮庭に近く血しゆ有んをや乎。冬十一月に紀のをゝど男麿をまろ巨勢こせの臣さる・大伴の連じくい・葛木の臣小楢をなら等をして將軍と爲し、氏々の臣連をんむらじ等を率して將の部隊ほうたいと爲して、二万六千人を領して、出でゝ筑紫に居す。太子左右に謂て曰く、此の軍は。行と雖ふとも止らん。徒に人りよくついやさん。停止せんに若くこと莫けん。天皇聞めして之をにくみたまふ。
【漢文エディタ原文】
二十 四年辛亥穐八月、詔シテ 2( 群臣ニ )1 曰ク、朕思ハク欲ス^|建(た)テント 2( 任那ヲ )1 。|卿等(なんたち)如何ン。群臣奏シテ曰サク、皆同ジ 2( 詔旨ニ )1 。太子獨リ奏シテ曰タマハク、新羅ハ|豺(ざい)狼ノゴトク|貪婪(たんらん)難シ^量リ。外ニハ稱スレドモ 2( 相隨フト )1 内ニハ實ニ相|叛(そむ)ク。今雖フトモ^興スト^軍ヲ|不(じ)^得 2( |濟成(さいせい)スルコトヲ )1 。况ヤ亦宮庭ニ近ク有ンヲヤ 2( 血|臭(しゆ) )1 乎。冬十一月ニ|差(さ)シテ 2( 紀ノ|臣(をゝど)|男麿(をまろ)・|巨勢(こせ)ノ臣|猿(さる)・大伴ノ連ジ|咋(くい)・葛木ノ臣|小楢(をなら)等ヲ )1 爲シ 2( 將軍ト )1 、率シテ 2( 氏々ノ|臣連(をんむらじ)等ヲ )1 爲シテ 2( 【|裨(ひ)將ノ|部隊(ほうたい)】〈NOTE つきのいくさのたむろのをさ 〉ト )1 、領シテ 2( 二万六千人ヲ )1 、出デヽ居ス 2( 筑紫ニ )1 。太子謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、此ノ軍ハ|不(じ)^|遂(と)ゲ。雖フトモ^行ト止ラン。徒ニ|費(ついや)サン 2( 人|力(りよく)ヲ )1 。莫ケン^若クコト 2( 停止センニ )1 。天皇聞メシテ而|惡(にく)ミタマフ^之ヲ。

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【本文】
二十一 五年壬子春二月、天皇密カニシテ太子、天たかひき。貴賤ナリ。君南面、臣北面。是ナリ也。而ルヲ蘇我臣内ニハほしいままニシ私欲ニハタリルニ。雖ヘドモリト一レズルコト如來、而旡くわ順忠義。汝をもんみルニ爲何いかん。太子奏シテ、三綱五常聖人スラ。陽九百六ニハ愚臣。今大臣可驕臣。佛教六波羅蜜、其なか忍辱ヲバ亦佛深タマヘリ。臣願クハ陛下行ツテ功德、能いま推移スルコト。【摳梲〔注丨樞機〕スルハ榮辱主也。陛下ヂテリニ發動スルコト。天皇順ヒタマフ。天皇ひとゝなり剛膓ニシテゆるシタマハ。太子常レタマフコトメヲあまたヽビ矣。
冬十月人献山猪いのこ。太子侍タマフニかたはら、天皇指いつツガ、断ントきらハシキ之人。太子大シテ、禍始マル於此ヨリ。聊曲宴群臣左右宿衛之人各賜禄物。太子みづかいさメテ、今日卿等なんたちレトルコト佗人。有リノ愚士於大臣。大臣聞タマフコトヲ於己レヲ、召東漢直駒あづまのあやのあたひこまひそかあつらつのいはなんぢころシタテマツレ天皇。欲むくインヲバセントなんぢこゝろ。駒性癡驕ニシテ亦有擔力たんりよく、亦得タリ-スルコトヲ禁中。夜宿衛なか陛下起居。聞安寢靜密たゞちタリコトヲ天蹕。群臣大。大臣遣シテラウヘノシム。人皆識而不ものい。太子聞メシテ而大シテ、陛下不ヒタマハ愚兒之言フヲ、是過去イナリ也。唯クハ大臣まぬか。其報忽ランこまフトモユトこと、亦復
大臣寵シテフコト數。出-シテ宅第かゝは内外ひそかをか大臣女子むすめ河上ひん。大臣大漢奴あやのやつこシタテマツルト天皇、何をかスコトヲ女子ひんまたやつこカラタテマツリ天皇、吾惡名フルハ於千歳者此やつこナリ也。即於庭前ケテたぶさ、大臣みづかゆみい、汝雖、而弑タテマツル天皇、罪一。汝性癡驕ニシテをもんばかリヲ、輙奴手カラタテマツル天皇、罪二、汝偸カニ天皇、罪三。毎フル。駒さけよば、吾テハ大臣ノミヲ。未天皇コトヲ。自餘辞謝。大臣大ゲテつるぎついやはらベヲ。太子聞メシテ左右しいスル之名リトシメ、千歳之後きよムルコト
【原注】
摳梲丨樞機 
【白文】
二十一五年壬子春二月、天皇密敕太子曰、天尊地卑。貴賤位。君南面、臣北面。是理常也。而蘇我臣内縱私欲外似詐餝。雖初有興如來教、而旡和順忠義情。汝以爲何。太子奏曰、三綱五常聖人難行。陽九百六愚臣爲害。今大臣可謂驕臣。佛教有六波羅蜜、其中忍辱亦佛深誨。臣願陛下行此功德、能有推移。摳梲發榮辱主也。陛下鉗口莫妄發動。天皇順之。天皇爲性剛膓不容物非。太子常納諫數矣。
冬十月有人献山猪。太子侍側、天皇指猪曰、何日如断此猪頸、断朕所嫌之人。太子大驚奏曰、禍始於此。聊令曲宴群臣左右宿衛之人各賜禄物。太子自戒曰、今日敕卿等莫語佗人。有一愚士語於大臣。大臣聞之恐嫌於己、召東漢直駒私誂募曰、卿爲吾弑天皇。欲報之德任卿之情。駒性癡驕亦有擔力、亦得出入禁中。夜入宿衛之中問陛下起居。聞安寢靜密、直入拔劔得犯天蹕。群臣大驚。大臣遣人捕諸驚恠人。人皆識而不言。太子聞而大哭曰、陛下不用愚兒之言。是過去報也。唯恐大臣不脱。其報忽至。駒雖用言、亦復不免。
大臣寵駒賜物旡數。出入宅第不拘内外、偸奸大臣女子河上嬪。大臣大怒曰、漢奴雖用吾言弑天皇、何以得奸吾女子嬪。且夫此奴手弑天皇、吾惡名傳於千歳者此漢奴也。即於庭前懸髪木枝、大臣自射云、汝雖用吾言、而弑天皇、罪一。汝性癡驕不慮吾怒、輙以奴手弑天皇、罪二、汝偸奸天皇嬪、罪三。毎數一罪即放一矢。駒叫呼曰、吾當其時唯識大臣。未識天皇尊。自餘不敢辞謝。大臣大怒投劔潰腹次斬其頸。太子聞之謂左右曰、弑君之名雖有此誡、千歳之後不能雪之。
【書き下し文】
二十一 五年壬子春二月に、天皇密かに太子に敕して曰く、天はたかく地はひきし。貴賤の位なり。君は南面し、臣は北面す。是れ理の常なり也。而るを蘇我の臣内には私欲をほしいままにし外には詐り餝るに似たり。初て來の教を興ずること有りと雖へども、くわ順忠義の情旡し。汝ぢをもんみるに爲何いかん。太子奏して曰く、三綱五常は聖人すら行ひ難し。陽九百六には愚臣害をす。今大臣驕臣と謂つべし。佛教に六波羅蜜有り、其のなかに忍辱をば亦佛深く誨たまへり。臣願くは陛下此の功德を行つて、能く推移することいませ。摳梲の發するは榮辱の主也。陛下口をぢて妄りに發動すること莫れ。天皇之に順ひたまふ。天皇の性爲ひとゝなり剛膓にして物の非をゆるしたまはず。太子常に諫めをれたまふことあまたゝび。
冬十月に人有て山猪いのこを献る。太子かたはらに侍たまふに、天皇猪を指て曰く、いつの日か此の猪の頸をつが如く、朕がきらはしき所の之人を断んと。太子大に驚て奏して曰く、禍於此より始まる。聊か曲宴を令て群臣左右宿衛之人に各禄物を賜ふ。太子みづかいさめて曰く、今日の敕卿等なんたち佗人に語ること莫れと。一りの愚士有て於大臣に語る。大臣之を聞て於己れを嫌たまふことを恐て、東漢直駒あづまのあやのあたひこまを召てひそかあつらつのいはく、なんぢ吾が爲に天皇をころしたてまつれ。之にむくいん德をばなんぢが之こゝろに任せんと欲ふ。駒が性癡驕にして亦擔力たんりよく有り、亦得たり禁中に出入することを。夜る宿衛の之なかに入て陛下の起居を問ふ。安寢靜密を聞て、たゞちに入て劔を拔て天蹕を犯ことを得たり。群臣大に驚く。大臣人を遣して諸への驚き恠しむ人をらう。人皆識てものいはず。太子聞めして大に哭して曰く、陛下愚兒が之言ふを用ひたまはざる、是れ過去の報いなり也。唯し恐くは大臣もまぬか。其の報忽に至らん。こまことを用ゆと雖ふとも、亦復免れ
大臣駒を寵して物を賜ふこと數旡し。宅第に出入して内外にかゝはらず、ひそかに大臣の女子むすめ河上のひんをかす。大臣大に怒て曰く、漢奴あやのやつこ吾が言を用て天皇を弑したてまつると雖も、何を以か吾が女子のひんをかすことを得ん。また夫れ此のやつこ手から天皇を弑たてまつり、吾が惡名を於千歳に傳ふるは此の漢のやつこなり也。即庭前に於てたぶさを木の枝に懸けて、大臣みづかゆみいて云く、汝吾が言を用と雖も、而天皇を弑たてまつる、罪一。汝が性癡驕にして吾が怒りををもんばからず、輙く以て奴手から天皇を弑たてまつる、罪二、汝偸かに天皇の嬪を奸す、罪三。一の罪を數ふる毎に即ち一の矢を放つ。駒さけよばて曰く、吾れ其の時に當ては唯し大臣のみを識る。未だ天皇の尊ことを識らず。自餘は敢て辞謝せず。大臣大に怒てつるぎを投げてはらついやし次に其の頸べをる。太子之を聞めして左右に謂て曰く、君をしいする之名は此の誡しめ有りと雖も、千歳之後も之をきよむること能は
【漢文エディタ原文】
二十一 五年壬子春二月ニ、天皇密カニ敕シテ 2( 太子ニ )1 曰ク、天ハ|尊(たか)ク地ハ|卑(ひき)シ。貴賤ノ位ナリ。君ハ南面シ、臣ハ北面ス。是レ理ノ常ナリ也。而ルヲ蘇我ノ臣内ニハ|縱(ほしいまま)ニシ 2( 私欲ヲ )1 外ニハ似タリ 2( 詐リ餝ルニ )1 。雖ヘドモ 2( 初テ有リト )1^興ズルコト 2( 如來ノ教ヲ )1 、而旡シ 2( |和(くわ)順忠義ノ情 )1 。汝ヂ|以(をもんみ)ルニ|爲何(いかん)。太子奏シテ曰ク、三綱五常ハ聖人スラ難シ^行ヒ。陽九百六ニハ愚臣|爲(な)ス^害ヲ。今大臣可シ^謂ツ 2( 驕臣ト )1 。佛教ニ有リ 2( 六波羅蜜 )1 、其ノ|中(なか)ニ忍辱ヲバ亦佛深ク誨タマヘリ。臣願クハ陛下行ツテ 2( 此ノ功德ヲ )1 、能ク|有(いま)セ 2( 推移スルコト )1 。【摳梲】〈NOTE 樞機 〉ノ發スルハ榮辱ノ主也。陛下|鉗(と)ヂテ^口ヲ莫レ 2( 妄リニ發動スルコト )1 。天皇順ヒタマフ^之ニ。天皇ノ|爲^性(ひとゝなり)剛膓ニシテ不^|容(ゆる)シタマハ 2( 物ノ非ヲ )1 。太子常ニ|納(い)レタマフコト^諫メヲ|數(あまた)ヽビ矣。
冬十月ニ有テ^人献ル 2( |山猪(いのこ)ヲ )1 。太子侍タマフニ^|側(かたはら)ニ、天皇指テ^猪ヲ曰ク、|何(いつ)ノ日カ如ク^|断(た)ツガ 2( 此ノ猪ノ頸ヲ )1 、断ント 2( 朕ガ所ノ^|嫌(きら)ハシキ之人ヲ )1 。太子大ニ驚テ奏シテ曰ク、禍始マル 2( 於此ヨリ )1 。聊カ令テ 2( 曲宴ヲ )1 群臣左右宿衛之人ニ各賜フ 2( 禄物ヲ )1 。太子|自(みづか)ラ|戒(いさ)メテ曰ク、今日ノ敕|卿等(なんたち)莫レト^語ルコト 2( 佗人ニ )1 。有テ 2( 一リノ愚士 )1 語ル 2( 於大臣ニ )1 。大臣聞テ^之ヲ恐テ^嫌タマフコトヲ 2( 於己レヲ )1 、召テ 2( |東漢直駒(あづまのあやのあたひこま)ヲ )1 |私(ひそか)ニ|誂(あつら)ヘ|募(つの)テ|曰(いは)ク、|卿(なんぢ)爲ニ^吾ガ|弑(ころ)シタテマツレ 2( 天皇ヲ )1 。欲フ 3( |報(むく)イン^之ニ德ヲバ任セント 2( |卿(なんぢ)ガ之|情(こゝろ)ニ )1 。駒ガ性癡驕ニシテ亦有リ 2( |擔力(たんりよく) )1 、亦得タリ出- 2( 入スルコトヲ禁中ニ )1 。夜ル入テ 2( 宿衛ノ之|中(なか)ニ )1 問フ 2( 陛下ノ起居ヲ )1 。聞テ 2( 安寢靜密ヲ )1 、|直(たゞち)ニ入テ拔テ^劔ヲ得タリ^犯コトヲ 2( 天蹕ヲ )1 。群臣大ニ驚ク。大臣遣シテ^人ヲ|捕(と)ラウ 2( 諸ヘノ驚キ恠シム人ヲ )1 。人皆識テ而不^|言(ものい)ハ。太子聞メシテ而大ニ哭シテ曰ク、陛下不ル^用ヒタマハ 2( 愚兒ガ之言フヲ )1 、是レ過去ノ報イナリ也。唯シ恐クハ大臣モ|不(じ)^|脱(まぬか)レ。其ノ報忽ニ至ラン。|駒(こま)雖フトモ^用ユト^|言(こと)ヲ、亦復|不(じ)^免レ。
大臣寵シテ^駒ヲ賜フコト^物ヲ旡シ^數。出- 2( 入シテ宅第ニ )1 不^|拘(かゝは)ラ 2( 内外ニ )1 、|偸(ひそか)ニ|奸(をか)ス 2( 大臣ノ|女子(むすめ)河上ノ|嬪(ひん)ヲ )1 。大臣大ニ怒テ曰ク、|漢奴(あやのやつこ)雖モ 2{ 用テ 2( 吾ガ言ヲ )1 弑シタテマツルト ┤天皇ヲ }1 、何ヲ以カ得ン^|奸(をか)スコトヲ 2( 吾ガ女子ノ|嬪(ひん)ヲ )1 。|且(また)夫レ此ノ|奴(やつこ)手カラ弑タテマツリ 2( 天皇ヲ )1 、吾ガ惡名ヲ傳フルハ 2( 於千歳ニ )1 者此ノ漢ノ|奴(やつこ)ナリ也。即於テ 2( 庭前ニ )1 懸ケテ 2( |髪(たぶさ)ヲ木ノ枝ニ )1 、大臣|自(みづか)ラ|射(ゆみい)テ云ク、汝雖モ^用ト 2( 吾ガ言ヲ )1 、而弑タテマツル 2( 天皇ヲ )1 、罪一。汝ガ性癡驕ニシテ不^|慮(をもんばか)ラ 2( 吾ガ怒リヲ )1 、輙ク以テ奴手カラ弑タテマツル 2( 天皇ヲ )1 、罪二、汝偸カニ奸ス 2( 天皇ノ嬪ヲ )1 、罪三。毎ニ^數フル 2( 一ノ罪ヲ )1 即チ放ツ 2( 一ノ矢ヲ )1 。駒|叫(さけ)ビ|呼(よば)テ曰ク、吾レ當テハ 2( 其ノ時ニ )1 唯シ識ル 2( 大臣ノミヲ )1 。未ダ^識ラ 2( 天皇ノ尊コトヲ )1 。自餘ハ不 2( 敢テ辞謝セ )1 。大臣大ニ怒テ投ゲテ^|劔(つるぎ)ヲ|潰(ついや)シ^|腹(はら)ヲ次ニ|斬(き)ル 2( 其ノ頸ベヲ )1 。太子聞メシテ^之ヲ謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、|弑(しい)スル^君ヲ之名ハ雖モ^有リト 2( 此ノ誡シメ )1 、千歳之後モ|不(じ)^能ハ^|雪(きよ)ムルコト^之ヲ。

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【本文】
卅四代 推古天皇 諱豊御食とよみけ炊屋かしきや姫。欽明天皇之女、敏達天皇之きさき少墾田をはるたコト三十六年。

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二十二 元年癸丑春正月、立法興寺すみ。太子臨シタマフ。以百済國ヨリズル舎利。舎利放タマフコト再三度。觀もの。夏四月天皇初メシテ群臣スルヲシテ、吾レハ女人也。性不さと。万機ひゞ國務ます/\。冝 天下之事みなまう太子。即日テヽ太子皇太子。《仍とりかさネテタマフ。》萬機悉まか焉。 《時年二十二。是豊日天皇第二みこ也。母穴太部間人皇女也。りやくろく、皇女懷胎之日巡-シタマフ禁中。當タマヘリ。身いま、兼未然内外二教旡トイフコト妙通。天皇愛シテマサ。故上宮太子。今謂坂田寺。是宮處ナリ矣。是歳四天王寺こぼシテ難波はか。本願縁起、敬田院斯池、號荒陵くわうれう。其底深青龍恒ニニスルナリ也。以丁未玉造ほとり。改-てんジテしづ-まつ青龍、癸丑こぼ-荒陵。斯昔釋迦如來轉法輪ナリ。尓時レテ長者-如來、助-シキ佛法。以、起-寺塔。此ニハケリ七寳。故青龍恒守護れい水東。號シテ白石玉出水。以慈悲心メバ法藥矣。宝塔・金堂-極樂東門中心。以髻髪六毛-佛舍利六粒-レタリ心柱なか。表スル六道之相。宝塔第一露盤カラちりば。表遺法興滅之相。金堂ニハ-金銅救世觀音。百濟國王、吾入滅後戀慕渇仰シテリシ之像也。在百濟國之時佛像經律論法服尼-セリ。相-欽明天皇治天下壬申也。復禅師・律師・比丘・比丘尼・咒師・造佛工・造寺工等相重渡送セリ。相-敏逹天皇治天下丁酉也。》
太子受儲君シタマフ。再三シテ、臣天性はくニシテふけきよく。遊シメ彼岸道場。過去之世數十-漢土、僅ツテ王族ランコトヲ淨土、而みだリニジテ儲君まかスルニセバ万機、神器難滿寳祚やすカランくず。伏惟ミレバ陛下徽號きがう紫極、御スルニ八州仁壽之くは、撫スルニ三戈シタマハヾ柔和のり海表わだのほか率土因あと嘉瑞かずいリニ豊穣ほうじやうつらなルベシ。伏願クハ陛下擇賢良たすちいてつデタマハヾ、則万國歓バシメ四海平安ナラン。臣出家入道シテをもぐわい-佛教-耀セント玄風。天皇不ゆるシタマハシテ、阿フコト。汝耳目われズバ阿兒テカメン。太子不シタマハ。天下之人民聞キヰテ而大ブコト、如ヘルガ慈父愛
《本願縁起、臣忝ケテ儲君、再三固。出家入道シテ外者-佛教、紹-耀セント玄風。天皇不シタマハ。不。故シテ十七憲章、爲王法之、流-シテ諸惡莫作、爲佛法之棟梁。遂五戒、名勝鬘。徃昔婦人之時、釋迦如來説タマフ勝鬘經。以テノ因縁-はじメテ。衡山数十身修行シテ、持-シキ法花經。故製。百済・髙麗・任那・新羅貪狼之こゝろ強盛ナリ。摂-シテ彼等くに、爲ンガ歸伏、造護世四天王、向-西さい。復代代世世王位固メン守護シテクル之臣忠貞之懐。佛子勝鬘敬-シテ三世諸佛・十方賢聖・梵釋四王・龍神八部・一切護法等、起誓言。是敬田院ヲバ戒律之場。放逸、慈心シテ、興セヨ。法花・勝鬘兩部經典六節講演セヨ。其供養料東生郡ひがしなりのこほり陸个つぼ水田應輸物スル而已のみ。毎月六齋日寺町四面殺生禁断セヨ。堂院僧坊-スルコト牛馬以制止スベシ。清淨寺地ルコト汚穢かす-寺物修補、任誤犯セン。如旡慙佛弟子。護世四天王いかタマヘ呵責。若後代不道主・邪げき、若-寺物、若-セバ、令-はにくスル三世諸佛・十方賢聖之罪、墮-シテ旡間獄ランスルコト。子孫苗裔べうゑい旡量、壽命短促ニシテ官位失亡セン。雷電霹靂ひやくりやく以震製セン。若ラバ興隆、官位福榮をのづか以相續、子孫世世ンデ、悉勝因。吾入滅之後、或レテ國王后妃、造-数大寺塔於國々處處、造-数大佛菩薩、書-數多經論、施-セン數多資材・寳物・田園等。或比丘・比丘尼・長者・卑賎くう-教法、救-セン有情。是、吾ナランのみ。若條理物用尽シテクハ、申-公家矣。玉造西かた瓦燒-二万枚、埋-セリくち。至修造ヒン而已のみ。須-封戸ほうこ田園、可。雖末代道俗旡慙ニシテ貪欲日々、競-寺物 三途八難なか。假令フトモ寺物、曽滅亡スルコト。若國郡つかさ、挾サミ邪心、寄公家-田地、還俗財、狩-つか奴婢駆使之時、定ベシ佛法滅盡ヌト。當于斯、王位ひゞきそ、君臣あやまデヲ、奪-ソイ國務、父子義絶國王后妃其数滿タシ、官ぶつ滅亡、王臣共飢渇セン。鬼神悉疫疾日々ニシ、百姓擾乱シテ兵殺綿々タラン。可いた。若一香一花、恭敬供養、若一塊一塵-此塲、遥拜恭クセン、如斯等バン一淨土。唯はた王土國郡ラシメ僧官。資材田地併まか護世四天王、悉攝領シテ、後々代代妨障永。復四箇院建立スル意趣、何ンヤ乎。施藥院一切芝屮しさう藥物之類、順ジテほう合藥シテ一レ、普以施与セヨ。療病院-宿一切男女旡縁病者、日々養育シテクセヨ師長父母。於テハ病比丘相順療治スベシ。禁物ひるしゝ願楽スル、令シテ養愈いや。伹-三宝。至テハ于旡病、莫コト戒律努力つとめ。悲田院-貧窮・孤獨・單・旡頼、日々シテコト飢渇。若勇壯よさうりよく、可えき-ケノ雜事。其料物攝津國・河内國、毎官稲くわんたう各三千束以供用セン而已のみ。三箇国家ナル、教法最要ナリ。敬田院一切衆生歸依渇仰スル断惡修善速證旡上大菩提處也。四箇院建立縁起大。歳次乙卯いつばう。》
【原注】
【白文】
卅四代推古天皇諱豊御食炊屋姫。欽明天皇之女、敏達天皇之后。少墾田宮治三十六年。

二十二元年癸丑春正月、立法興寺刹柱。太子臨礼之。以百済國所献舎利安心。舎利放光再三度。觀者大悅。夏四月天皇初聞群臣奏敕曰、吾女人也。性不解物。万機日慎國務滋多。冝天下之事皆啓太子。即日立太子爲皇太子。《仍禄摂政。》萬機悉委焉。《時年二十二。是橘豊日天皇第二子也。母穴太部間人皇女也。録曰、皇女懷胎之日巡行禁中。當厩戸生。以爲名。身有聖智、兼知未然内外二教旡不妙通。天皇愛之令居宮南。故稱上宮太子。今謂坂田寺。是其宮處矣。是歳四天王寺始壞移建難波荒陵東下。本願縁起云、敬田院斯地内有池、號荒陵池。其底深青龍恒居処也。以丁未歳始建玉造岸上。改点此地、鎮祭青龍、癸丑歳壞移荒陵東。斯處昔釋迦如來轉法輪所。尓時生長者身供養如來、助護佛法。以是縁、起立寺塔。此地敷七寳。故青龍恒守護。麗水東流。號曰白石玉出水。以慈悲心飲之爲法藥矣。宝塔・金堂相當極樂東門中心。以髻髪六毛相加佛舍利六粒、籠納塔心柱中。表利六道之相。宝塔第一露盤誓手鏤金。表遺法興滅之相。金堂内安置金銅救世觀音像。百濟國王、吾入滅後戀慕渇仰所造之像也。在百濟國之時佛像經律論法服尼等渡越是朝。相當欽明天皇治天下壬申歳也。復禅師・律師・比丘・比丘尼・咒師・造佛工・造寺工等相重渡送。相當敏逹天皇治天下丁酉歳也。》
太子受儲君位固辞。再三曰、臣天性薄愚志玄極。遊魂彼岸、銷意道場。過去之世身歴數十遷化漢土、僅爲王族錬法通覺期到淨土、而今叨領儲君委以万機、神器難滿寳祚易頽。伏惟陛下紹徽號居紫極、御八州以仁壽之化、撫三戈以柔和之猷、海表隨化率土因蹤、嘉瑞頻來、豊穣相係。伏願陛下擇賢良以輔治用善哲以撫民、則万國歓心四海平安。臣出家入道爲度外者興隆佛教紹耀玄風。天皇不聽敕曰、阿兒勿。汝爲耳目。姥非阿兒何由治國。太子不敢固辞。天下之人民聞而大悅、如遭慈父愛母。
《本願縁起云、臣忝稟儲君位、再三固辞。出家入道爲度外者興隆佛教、紹耀玄風。天皇不聽。不敢固辞。故製十七憲章、爲王法之模、流布諸惡莫作教、爲佛法之棟梁。遂受五戒、名曰勝鬘。徃昔在婦人之時、釋迦如來説勝鬘經。以其因縁故誦説是經、肇製義。衡山数十身修行、持誦法花經。故製義。百済・髙麗・任那・新羅貪狼之情恒以強盛。摂伏彼等州、爲令歸伏、造護世四天王像、向置西方。復代代世世王位固令守護莫傾國之臣存忠貞之懐。佛子勝鬘敬奉請三世諸佛・十方賢聖・梵釋四王・龍神八部・一切護法等、起誓言。是敬田院定戒律之場。放逸者削跡、慈心者常住弘道、興教。法花・勝鬘兩部經典六節講演。其供養料以東生郡陸个坪水田應輸物献供而已。毎月六齋日寺町四面内殺生禁断。堂院僧坊飼養牛馬長以制止。清淨寺地莫令汚穢。掠取寺物不加修補、任意誤犯。如此旡慙者曽非佛弟子。護世四天王嗔加呵責。若有後代不道主・邪逆臣、若掠犯寺物、若破障吾願、令獲破辱三世諸佛・十方賢聖之罪、墮在旡間獄永莫出。子孫苗裔蒙旡量災、壽命短促官位失亡。雷電霹靂悉以震製。若有興隆輩、官位福榮自以相續、子孫世世常安常楽、悉殖勝因。吾入滅之後、或生國王后妃、造建数大寺塔於國々處處、造置数大佛菩薩像、書寫數多經論義、施入數多資材・寳物・田園等。或生比丘・比丘尼・長者・卑賎身、弘興教法、救済有情。是非他身、吾身耳。若條理物用尽旡其料、申請公家以之充用矣。玉造岸西方瓦燒置二万枚、埋蔵竃穴。至修造時、鑿取用而已。須多施入封戸田園、可令旡所乏。雖然末代道俗旡慙貪欲日々増、競爭寺物應堕三途八難中。假令雖旡寺物、曽莫滅亡。若有國郡司、挾邪心、寄事公家奪妨田地、還爲俗財、狩攝寺奴婢令駆使之時、定知佛法滅盡畢。當于斯時、王位日競、君臣愆序、奪諍國務、父子義絶國王后妃其数滿國、官物滅亡、王臣共恒乏飢渇。鬼神悉嗔疫疾日々、百姓擾乱兵殺綿々。可哀可傷。若擎一香一花、恭敬供養、若以一塊一塵抛入此塲、遥聞寺名遠見拜恭、如斯等者結縁一淨土。唯不混王土、不摂國郡、不掌僧官。資材田地併以委護世四天王、悉以攝領、後々代代妨障永可断。復四箇院建立意趣、何以識乎。施藥院是令殖一切芝屮藥物之類、順方合藥隨各所樂、普以施与。療病院是令寄宿一切男女旡縁病者、日々養育如師長父母。於病比丘相順療治。禁物蒜・肉任所願楽、令服養愈。伹限日期祈乞三宝。至于旡病、莫違戒律努力。悲田院是令寄住貧窮・孤獨・單己・旡頼、日々眷顧莫令致飢渇。若得勇壯強力時、可令役仕四院雜事。其養料物攝津國・河内國、毎國官稲各三千束以是供用而已。三箇院国家大基、教法最要。敬田院一切衆生歸依渇仰断惡修善速證旡上大菩提處也。四箇院建立縁起大如斯。歳次乙卯。》
【書き下し文】
卅四代 推古天皇 諱は豊御食とよみけ炊屋かしきや姫。欽明天皇之女、敏達天皇之きさき少墾田をはるたの宮に治こと三十六年。

二十二 元年癸丑春正月に、法興寺のすみの柱を立つ。太子臨て之を礼したまふ。百済國より献ずる所の舎利を以て心に安ず。舎利光を放たまふこと再三度。觀るもの大に悅ぶ。夏四月に天皇初て群臣の奏するを聞めして敕して曰く、吾れは女人也。性物をさとらず。万機ひゞち國務ます/\多し。冝く天下之事をみな太子にまうすべし。即日に太子を立てゝ皇太子と爲す。《仍てとりかさねて政を摂たまふ。》萬機悉くまかす。《時に年二十二。是れ橘の豊日の天皇の第二のみこ也。母は穴太部の間人の皇女也。りやくろくに曰く、皇女懷胎之日禁中を巡行したまふ。厩の戸に當て生たまへり。て以て名と爲す。身に聖の智います、兼て未然を知り内外の二教妙通せずといふこと旡し。天皇之を愛して宮の南に居まさしむ。故に上宮太子と稱す。今坂田寺と謂ふ。是れ其の宮處なり。是の歳四天王寺を始てこぼち移して難波の荒はかの東の下に建つ。本願の縁起に云く、敬田院斯の地の内に池有り、荒陵くわうれう池と號す。其の底深の青龍恒にに居する処なり也。丁未の歳を以て始て玉造の岸のほとりに建つ。此の地を改めてんじて、青龍をしづまつて、癸丑の歳荒陵の東にこぼち移す。斯の處は昔釋迦如來轉法輪の所なり。尓時に長者の身と生れて如來を供養し、佛法を助護しき。是の縁を以て、寺塔を起立す。此の地には七寳を敷けり。故に青龍恒に守護す。れい水東に流る。號して白石玉出水と曰ふ。慈悲心を以て之を飲めば法藥とる。宝塔・金堂は極樂の東門の中心に相當る。髻髪六毛を以て佛舍利六粒に相加て、塔の心柱のなかれたり。六道を利する之相を表す。宝塔第一の露盤は誓て手から金をちりばむ。遺法興滅の之相を表す。金堂の内には金銅の救世觀音の像を安置す。百濟國の王、吾れ入滅の後戀慕渇仰して造りし所の之像也。百濟國に在し之時の佛像經律論法服尼是の朝に渡越せり。欽明天皇治天下壬申の歳に相當る也。復禅師・律師・比丘・比丘尼・咒師・造佛の工・造寺の工等相重て渡送せり。敏逹天皇治天下丁酉の歳相當る也。》
太子儲君の位を受て固く辞したまふ。再三して曰く、臣天性はく愚にして志玄きよくふける。魂を彼岸に遊しめ、意を道場にす。過去の之世に身數十をて漢土に遷化し、僅に王族とつて法を錬し覺を通じ淨土に到らんことを期し、而に今みだりに儲君を領じてまかするに万機を以せば、神器滿ち難く寳祚くずやすからん。伏惟みれば陛下徽號きがうぎ紫極に居し、八州を御するに仁壽之くはを以し、三戈を撫するに柔和の之のりを以したまはゞ、海表わだのほか化に隨ひ率土あとに因り、嘉瑞かずい頻りに來り、豊穣ほうじやうつらなるべし。伏願くは陛下賢良を擇て以てちいたすけ善てつを用て以て民をでたまはゞ、則万國心を歓ばしめ四海平安ならん。臣は出家入道してぐわい者を度し佛教を興隆し玄風を紹耀せんとをもふ。天皇ゆるしたまはず敕して曰く、阿ふこと勿れ。汝を耳目と爲す。われ阿兒に非ずば何に由てか國を治めん。太子敢て固く辞したまはず。天下之人民聞きゐて大に悅ぶこと、慈父愛へるがごとし。《本願の縁起に云く、臣忝く儲君の位をけて、再三固く辞す。出家入道して外者を度し佛教を興隆し、玄風を紹耀せんと爲す。天皇聽したまはず。敢て固く辞せず。故に十七の憲章を製して、王法之模と爲し、諸惡莫作の教を流布して、佛法之棟梁と爲す。遂に五戒を受て、名を勝鬘と曰ふ。徃昔に婦人に在し之時、釋迦如來勝鬘經を説たまふ。其の因縁を以ての故に是の經を誦説し、はじめて義を製す。衡山に数十身修行して、法花經を持誦しき。故義を製す。百済・髙麗・任那・新羅貪狼之こゝろ恒に以て強盛なり。彼等のくにを摂伏して、歸伏せ令んが爲に、護世四天王の像を造り、西さい方に向へ置く。復代代世世の王位固く守護して國を傾くる之臣く忠貞の之懐を存せしめん。佛子勝鬘敬て三世の諸佛・十方の賢聖・梵釋四王・龍神八部・一切の護法等を奉請して、誓言を起つ。是の敬田院をば戒律之場と定む。放逸の者は跡を削り、慈心の者は常に住して道を弘め、教を興せよ。法花・勝鬘兩部の經典六節に講演せよ。其の供養料は東生郡ひがしなりのこほり陸个のつぼの水田應輸物を以て献する而已のみ。毎月六齋日に寺町四面の内に殺生を禁断せよ。堂院僧坊に牛馬を飼養すること長く以制止すべし。清淨の寺地を汚穢せ令ること莫れ。寺物をかすめ取る修補を加へず、意に任て誤犯せん。此の如く旡慙の者の曽て佛弟子に非じ。護世四天王いかて呵責を加たまへ。若し後代不道の主・邪げきの臣有て、若し寺物を掠め犯し、若し吾が願を破障せば、三世の諸佛・十方の賢聖を破辱はにくする之罪をしめ、旡間獄に墮在して永く出すること莫らん。子孫苗裔べうゑい旡量の災を蒙り、壽命短促にして官位失亡せん。雷電霹靂ひやくりやくの悉く以震製せん。若し興隆の輩有らば、官位福榮をのづから以相續し、子孫世世に常に安く常に楽んで、悉く勝因を殖ん。吾入滅の之後、或は國王后妃と生れて、数大の寺塔を於國々處處に造建し、数大の佛菩薩の像を造り置き、數多の經論義を書寫し、數多の資材・寳物・田園等を施入せん。或は比丘・比丘尼・長者・卑賎の身と生れ、教法をくう興し、有情を救済せん。
是れ他の身に非じ、吾が身ならんのみ。若し條理物用尽して其の料旡くは、公家に申しけ之を以て充て用よ。玉造の岸の西のかたに瓦二万枚を燒き置き、竃くちを埋み蔵せり。修造の時に至て、り取て用ひん而已のみ。須く多く封戸ほうこ田園を施入し、乏く所旡らしむべし。然と雖も末代の道俗旡慙にして貪欲日々に増し、寺物を競ひ爭て應に三途八難のなかに堕すべし。假令ひ寺物旡と雖ふとも、曽て滅亡すること莫れ。若し國郡のつかさ有て、邪心を挾さみ、事を公家に寄せ田地を奪い妨げ、還て俗財とし、寺の奴婢を狩りつかて駆使せ令ん之時は、定て知べし佛法滅盡し畢ぬと。于斯の時に當て、王位ひゞきそい、君臣序でをあやまち、國務を奪い諍そい、父子義絶し國王后妃其の数國に滿たし、官ぶつ滅亡し、王臣共に恒に乏く飢渇せん。鬼神悉く嗔て疫疾日々にし、百姓擾乱して兵殺綿々たらん。哀むべしいたむべし。若し一香一花を擎げ、恭敬供養し、若し一塊一塵を以て此塲に抛ち入れ、遥に寺の名を聞き遠く見て拜恭くせん、斯如き等の者の縁を一淨土に結ばん。唯し王土にはた、國郡に摂せ、僧官にらしめ。資材田地併ら以て護世四天王にまかせ、悉く以て攝領して、後々代代妨障永く断つべし。復四箇院を建立する意趣、何を以か識んや乎。施藥院は是れ一切の芝屮しさう藥物の之類をへしめ、ほうに順じて合藥して各の樂ふ所隨て、普く以施与せよ。療病院は是れ一切の男女旡縁の病者を寄宿せしめ、日々に養育して師長父母の如くせよ。病比丘に於ては相順て療治すべし。禁物のひるしゝは願楽する所に任て、服して養愈いやさ令よ。伹し日の期を限て三宝に祈り乞へ。于旡病に至ては、戒律に違こと莫く努力つとめよ。悲田院は是れ貧窮・孤獨・單・旡頼を寄住せしめ、日々に眷して飢渇を致さ令こと莫れ。若し勇壯よさうりよくを得ん時は、四けの院の雜事にえき仕せしむべし。其の養い料物は攝津國・河内國、國毎に官稲くわんたう各三千束是を以て供用せん而已のみ。三箇の院は国家の大なる基い、教法の最要なり。敬田院は一切衆生歸依渇仰する断惡修善速證旡上大菩提の處也。四箇の院建立の縁起大斯のごとし。歳次乙卯いつばう。》
【漢文エディタ原文】
卅四代 推古天皇 諱ハ|豊御食(とよみけ)|炊屋(かしきや)姫。欽明天皇之女、敏達天皇之|后(きさき)。|少墾田(をはるた)ノ宮ニ治コト三十六年。

二十二 元年癸丑春正月ニ、立ツ 2( 法興寺ノ|刹(すみ)ノ柱ヲ )1 。太子臨テ礼シタマフ^之ヲ。以テ 2( 百済國ヨリ所ノ^献ズル舎利ヲ )1 安ズ^心ニ。舎利放タマフコト^光ヲ再三度。觀ル|者(もの)大ニ悅ブ。夏四月ニ天皇初テ聞メシテ 2( 群臣ノ奏スルヲ )1 敕シテ曰ク、吾レハ女人也。性不^|解(さと)ラ^物ヲ。万機|日(ひゞ)ニ|慎(み)チ國務|滋(ます/\)多シ。冝ク _シ_ 3( 天下之事ヲ|皆(みな)|啓(まう)ス 2( 太子ニ )1 。即日ニ立テヽ 2( 太子ヲ )1 爲ス 2( 皇太子ト )1 。《仍テ|禄(とりかさ)ネテ摂タマフ^政ヲ。》萬機悉ク|委(まか)ス焉。《時ニ年二十二。是レ橘ノ豊日ノ天皇ノ第二ノ|子(みこ)也。母ハ穴太部ノ間人ノ皇女也。|録(りやくろく)ニ曰ク、皇女懷胎之日巡- 2( 行シタマフ禁中ヲ )1 。當テ 2( 厩ノ戸ニ )1 生タマヘリ。テ以テ爲ス^名ト。身ニ|有(いま)ス 2( 聖ノ智 )1 、兼テ知リ 2( 未然ヲ )1 内外ノ二教旡シ^不トイフコト 2( 妙通セ )1 。天皇愛シテ^之ヲ令ム^居マサ 2( 宮ノ南ニ )1 。故ニ稱ス 2( 上宮太子ト )1 。今謂フ 2( 坂田寺ト )1 。是レ其ノ宮處ナリ矣。是ノ歳四天王寺ヲ始テ|壞(こぼ)チ移シテ建ツ 2( 難波ノ荒|陵(はか)ノ東ノ下ニ )1 。本願ノ縁起ニ云ク、敬田院斯ノ地ノ内ニ有リ^池、號ス 2( |荒陵(くわうれう)池ト )1 。其ノ底深ノ青龍恒ニニ居スル処ナリ也。以テ 2( 丁未ノ歳ヲ )1 始テ建ツ 2( 玉造ノ岸ノ|上(ほとり)ニ )1 。改メ- 2( |点(てん)ジテ此ノ地ヲ )1 、|鎮(しづ)メ- 2( |祭(まつ)テ青龍ヲ )1 、癸丑ノ歳|壞(こぼ)チ- 2( 移ス荒陵ノ東ニ )1 。斯ノ處ハ昔釋迦如來轉法輪ノ所ナリ。尓時ニ生レテ 2( 長者ノ身ト )1 供- 2( 養シ如來ヲ )1 、助- 2( 護シキ佛法ヲ )1 。以テ 2( 是ノ縁ヲ )1 、起- 2( 立ス寺塔ヲ )1 。此ノ地ニハ敷ケリ 2( 七寳ヲ )1 。故ニ青龍恒ニ守護ス。|麗(れい)水東ニ流ル。號シテ曰フ 2( 白石玉出水ト )1 。以テ 2( 慈悲心ヲ )1 飲メバ^之ヲ|爲(な)ル 2( 法藥ト )1 矣。宝塔・金堂ハ相- 2( 當ル極樂ノ東門ノ中心ニ )1 。以テ 2( 髻髪六毛ヲ )1 相- 2( 加テ佛舍利六粒ニ )1 、|籠(こ)メ- 2( |納(い)レタリ塔ノ心柱ノ|中(なか)ニ )1 。表ス 2{ 利スル 2( 六道ヲ )1 之相ヲ }1 。宝塔第一ノ露盤ハ誓テ手カラ|鏤(ちりば)ム^金ヲ。表ス 2( 遺法興滅ノ之相ヲ )1 。金堂ノ内ニハ安- 2( 置ス金銅ノ救世觀音ノ像ヲ )1 。百濟國ノ王、吾レ入滅ノ後戀慕渇仰シテ所ノ^造リシ之像也。在シ 2( 百濟國ニ )1 之時ノ佛像經律論法服尼|等(ら)渡- 2( 越セリ是ノ朝ニ )1 。相- 2( 當ル欽明天皇治天下壬申ノ歳ニ )1 也。復禅師・律師・比丘・比丘尼・咒師・造佛ノ工・造寺ノ工等相重テ渡送セリ。相- 2( 當ル敏逹天皇治天下丁酉ノ歳 )1 也。》
太子受テ 2( 儲君ノ位ヲ )1 固ク辞シタマフ。再三シテ曰ク、臣天性|薄(はく)愚ニシテ志|(ふけ)ル 2( 玄|極(きよく)ニ )1 。遊シメ 2( 魂ヲ彼岸ニ )1 、|銷(け)ス 2( 意ヲ道場ニ )1 。過去ノ之世ニ身|歴(へ)テ 2( 數十ヲ )1 遷- 2( 化シ漢土ニ )1 、僅ニ|爲(な)ツテ 2( 王族ト )1 錬シ^法ヲ通ジ^覺ヲ期シ^到ランコトヲ 2( 淨土ニ )1 、而ニ今|叨(みだ)リニ領ジテ 2( 儲君ヲ )1 |委(まか)スルニ以セバ 2( 万機ヲ )1 、神器難ク^滿チ寳祚|易(やす)カラン^|頽(くず)レ。伏惟ミレバ陛下|紹(つ)ギ 2( |徽號(きがう)ヲ )1 居シ 2( 紫極ニ )1 、御スルニ 2( 八州ヲ )1 以シ 2( 仁壽之|化(くは)ヲ )1 、撫スルニ 2( 三戈ヲ )1 以シタマハヾ 2( 柔和ノ之|猷(のり)ヲ )1 、|海表(わだのほか)隨ヒ^化ニ率土因リ^|蹤(あと)ニ、|嘉瑞(かずい)頻リニ來リ、|豊穣(ほうじやう)相|係(つらな)ルベシ。伏願クハ陛下擇テ 2( 賢良ヲ )1 以テ|輔(たす)ケ^|治(ちい)ヲ用テ 2( 善|哲(てつ)ヲ )1 以テ|撫(な)デタマハヾ^民ヲ、則万國歓バシメ^心ヲ四海平安ナラン。臣ハ出家入道シテ|爲(をも)フ 2{ 度シ 2( |外(ぐわい)者ヲ )1 興- 2( 隆シ佛教ヲ )1 紹- ┤耀セント玄風ヲ }1 。天皇不^|聽(ゆる)シタマハ敕シテ曰ク、阿|兒(じ)シ勿レ^|(い)フコト。汝ヲ爲ス 2( 耳目ト )1 。|姥(われ)非ズバ 2( 阿兒ニ )1 何ニ由テカ治メン^國ヲ。太子不 2( 敢テ固ク辞シタマハ )1 。天下之人民聞キヰテ而大ニ悅ブコト、如シ^|遭(あ)ヘルガ 2( 慈父愛|母(も)ニ )1 。
《本願ノ縁起ニ云ク、臣忝ク|稟(う)ケテ 2( 儲君ノ位ヲ )1 、再三固ク辞ス。出家入道シテ爲ス 2{ 度シ 2( 外者ヲ )1 興- 2( 隆シ佛教ヲ )1 、紹- ┤耀セント玄風ヲ }1 。天皇不^聽シタマハ。不 2( 敢テ固ク辞セ )1 。故ニ製シテ 2( 十七ノ憲章ヲ )1 、爲シ 2( 王法之模ト )1 、流- 2( 布シテ諸惡莫作ノ教ヲ )1 、爲ス 2( 佛法之棟梁ト )1 。遂ニ受テ 2( 五戒ヲ )1 、名ヲ曰フ 2( 勝鬘ト )1 。徃昔ニ在シ 2( 婦人ニ )1 之時、釋迦如來説タマフ 2( 勝鬘經ヲ )1 。以テノ 2( 其ノ因縁ヲ )1 故ニ誦- 2( 説シ是ノ經ヲ )1 、|肇(はじ)メテ製ス 2( 義ヲ )1 。衡山ニ数十身修行シテ、持- 2( 誦シキ法花經ヲ )1 。故製ス 2( 義ヲ )1 。百済・髙麗・任那・新羅貪狼之|情(こゝろ)恒ニ以テ強盛ナリ。摂- 2( 伏シテ彼等ノ|州(くに)ヲ )1 、爲ニ^令ンガ 2( 歸伏セ )1 、造リ 2( 護世四天王ノ像ヲ )1 、向ヘ- 2( 置ク|西(さい)方ニ )1 。復代代世世ノ王位固ク令メン 2{ 守護シテ|莫(な)ク 2( 傾クル^國ヲ之臣 )1 存セ ┤忠貞ノ之懐ヲ }1 。佛子勝鬘敬テ奉- 2( 請シテ三世ノ諸佛・十方ノ賢聖・梵釋四王・龍神八部・一切ノ護法等ヲ )1 、起ツ 2( 誓言ヲ )1 。是ノ敬田院ヲバ定ム 2( 戒律之場ト )1 。放逸ノ者ハ削リ^跡ヲ、慈心ノ者ハ常ニ住シテ弘メ^道ヲ、興セヨ^教ヲ。法花・勝鬘兩部ノ經典六節ニ講演セヨ。其ノ供養料ハ以テ 2( |東生郡(ひがしなりのこほり)陸个ノ|坪(つぼ)ノ水田應輸物ヲ )1 献|供(く)スル|而已(のみ)。毎月六齋日ニ寺町四面ノ内ニ殺生ヲ禁断セヨ。堂院僧坊ニ飼- 2( 養スルコト牛馬ヲ )1 長ク以制止スベシ。清淨ノ寺地ヲ莫レ^令ルコト 2( 汚穢セ )1 。|掠(かす)メ- 2( 取ル寺物ヲ )1 不^加ヘ 2( 修補ヲ )1 、任テ^意ニ誤犯セン。如ク^此ノ旡慙ノ者ノ曽テ非ジ 2( 佛弟子ニ )1 。護世四天王|嗔(いか)テ加タマヘ 2( 呵責ヲ )1 。若シ有テ 2( 後代不道ノ主・邪|逆(げき)ノ臣 )1 、若シ掠メ- 2( 犯シ寺物ヲ )1 、若シ破- 2( 障セバ吾ガ願ヲ )1 、令メ^|獲(え) 2{ |破- 2( 辱(はにく)スル三世ノ諸佛・十方ノ賢聖ヲ )1 之罪ヲ }1 、墮- 2( 在シテ旡間獄ニ )1 永ク莫ラン 2( 出スルコト )1 。子孫|苗裔(べうゑい)蒙リ 2( 旡量ノ災ヲ )1 、壽命短促ニシテ官位失亡セン。雷電|霹靂(ひやくりやく)ノ悉ク以震製セン。若シ有ラバ 2( 興隆ノ輩 )1 、官位福榮|自(をのづか)ラ以相續シ、子孫世世ニ常ニ安ク常ニ楽ンデ、悉ク殖ン 2( 勝因ヲ )1 。吾入滅ノ之後、或ハ生レテ 2( 國王后妃ト )1 、造- 2( 建シ数大ノ寺塔ヲ於國々處處ニ )1 、造リ- 2( 置キ数大ノ佛菩薩ノ像ヲ )1 、書- 2( 寫シ數多ノ經論義ヲ )1 、施- 2( 入セン數多ノ資材・寳物・田園等ヲ )1 。或ハ生レ 2( 比丘・比丘尼・長者・卑賎ノ身ト )1 、|弘(くう)- 2( 興シ教法ヲ )1 、救- 2( 済セン有情ヲ )1 。是レ非ジ 2( 他ノ身ニ )1 、吾ガ身ナラン|耳(のみ)。若シ條理物用尽シテ旡クハ 2( 其ノ料 )1 、申シ- 2( |請(う)ケ公家ニ )1 以テ^之ヲ充テ用ヨ矣。玉造ノ岸ノ西ノ|方(かた)ニ瓦燒キ- 2( 置キ二万枚ヲ )1 、埋ミ- 2( 蔵セリ竃|穴(くち)ヲ )1 。至テ 2( 修造ノ時ニ )1 、|鑿(ほ)リ取テ用ヒン|而已(のみ)。須ク多ク施- 2( 入シ|封戸(ほうこ)田園ヲ )1 、可シ^令ム^旡ラ^所^乏ク。雖モ^然ト末代ノ道俗旡慙ニシテ貪欲日々ニ増シ、競ヒ- 2( 爭テ寺物ヲ )1 應ニ _シ_ ^堕ス 2( 三途八難ノ|中(なか)ニ )1 。假令ヒ雖フトモ^旡ト 2( 寺物 )1 、曽テ莫レ 2( 滅亡スルコト )1 。若シ有テ 2( 國郡ノ|司(つかさ) )1 、挾サミ 2( 邪心ヲ )1 、寄セ 2( 事ヲ公家ニ )1 奪イ- 2( 妨ゲ田地ヲ )1 、還テ|爲(な)シ 2( 俗財ト )1 、狩リ- 2( |攝(つか)テ寺ノ奴婢ヲ )1 令ン 2( 駆使セ )1 之時ハ、定テ知ベシ佛法滅盡シ畢ヌト。當テ 2( 于斯ノ時ニ )1 、王位|日(ひゞ)ニ|競(きそ)イ、君臣|愆(あやま)チ^序デヲ、奪イ- 2( 諍ソイ國務ヲ )1 、父子義絶シ國王后妃其ノ数滿タシ^國ニ、官|物(ぶつ)滅亡シ、王臣共ニ恒ニ乏ク飢渇セン。鬼神悉ク嗔テ疫疾日々ニシ、百姓擾乱シテ兵殺綿々タラン。可シ^哀ム可シ^|傷(いた)ム。若シ擎ゲ 2( 一香一花ヲ )1 、恭敬供養シ、若シ以テ 2( 一塊一塵ヲ )1 抛チ- 2( 入レ此塲ニ )1 、遥ニ聞キ 2( 寺ノ名ヲ )1 遠ク見テ拜恭クセン、如キ^斯等ノ者ノ結バン 2( 縁ヲ一淨土ニ )1 。唯シ|不(じ)^|混(はた)ケ 2( 王土ニ )1 、|不(じ)^摂セ 2( 國郡ニ )1 、|不(じ)^|掌(と)ラシメ 2( 僧官ニ )1 。資材田地併ラ以テ|委(まか)セ 2( 護世四天王ニ )1 、悉ク以テ攝領シテ、後々代代妨障永ク可シ^断ツ。復四箇院ヲ建立スル意趣、何ヲ以カ識ンヤ乎。施藥院ハ是レ令メ^|殖(う)ヘ 2( 一切ノ|芝屮(しさう)藥物ノ之類ヲ )1 、順ジテ^|方(ほう)ニ合藥シテ隨テ 2( 各ノ所 )1^樂フ、普ク以施与セヨ。療病院ハ是レ令メ^寄- 2( 宿セ一切ノ男女旡縁ノ病者ヲ )1 、日々ニ養育シテ如クセヨ 2( 師長父母ノ )1 。於テハ 2( 病比丘ニ )1 相順テ療治スベシ。禁物ノ|蒜(ひる)・|肉(しゝ)ハ任テ^所ニ 2( 願楽スル )1 、令ヨ 2( 服シテ|養愈(いや)サ )1 。伹シ限テ 2( 日ノ期ヲ )1 祈リ- 2( 乞ヘ三宝ニ )1 。至テハ 2( 于旡病ニ )1 、莫ク^違コト 2( 戒律ニ )1 |努力(つとめ)ヨ。悲田院ハ是レ令メ^寄- 2( 住セ貧窮・孤獨・單|己(こ)・旡頼ヲ )1 、日々ニ眷|顧(こ)シテ莫レ^令コト^致サ 2( 飢渇ヲ )1 。若シ得ン 2( |勇壯(よさう)強|力(りよく)ヲ )1 時ハ、可シ^令ム^|役(えき)- 2( 仕セ四ケノ院ノ雜事ニ )1 。其ノ養イ料物ハ攝津國・河内國、毎ニ^國|官稲(くわんたう)各三千束以テ^是ヲ供用セン|而已(のみ)。三箇ノ院ハ国家ノ大ナル基イ、教法ノ最要ナリ。敬田院ハ一切衆生歸依渇仰スル断惡修善速證旡上大菩提ノ處也。四箇ノ院建立ノ縁起大如シ^斯ノ。歳次|乙卯(いつばう)。》

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【本文】
二十三 二年甲寅春二月朔、詔シテ皇太子及大臣メタマフ-三寳。是ヘノ臣連おむむらじたち君親之恩きを佛殿、即焉。
【原注】
【白文】
二十三二年甲寅春二月朔、詔皇太子及大臣令興隆三寳。是時諸臣連等各爲君親之恩、競造佛殿、即是謂寺焉。
【書き下し文】
二十三 二年甲寅春二月朔、皇太子及大臣に詔して三寳を興隆せしめたまふ。是の時に諸への臣連おむむらじたち各の君親の之恩の爲に、きをて佛殿を造る、即ち是を寺と謂ふ。
【漢文エディタ原文】
二十三 二年甲寅春二月朔、詔シテ 2( 皇太子及大臣ニ )1 令メタマフ 3( 興- 2( 隆セ三寳ヲ )1 。是ノ時ニ諸ヘノ|臣連(おむむらじ)|等(たち)各ノ爲ニ 2( 君親ノ之恩ノ )1 、|競(きを)テ造ル 2( 佛殿ヲ )1 、即チ是ヲ謂フ^寺ト焉。

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【本文】
二十四  三年乙卯春三月、土佐南海よな/\ナル、亦有声如卅箇日矣。夏四月淡路島。島人不シテ沈木、以まじたきゞかまど。太子遣シテ使。其・長八尺、其異薫。太子みそなハシテ而大、奏シテ、是スル沈木香者也。此ヲバクル栴檀もくナリイタリ南天竺國南海。夏へみまとヘリ。此すゞしナリ也。人以。冬ちつスルトキツテ。其舌、其丁子、其やに薫陸、沈キヲバ者爲沈水香、不ルヲバカラ者爲淺香。而ルヲ今陛下興-釋教はじメテリタマフ佛像釋梵感ジテたゞよハシ-レリ。即有敕命ジテ百済、刻-檀像觀音菩薩。《髙數尺、安吉野比蘓寺。》時々放チタマフ
五月髙麗僧慧慈・百濟僧慧等化來セリ。此リノひろわた内外、尤釋義。則太子問タマフニ、聞タマフ。二僧相語、是真人ナリ也。或トキハシテさとリタマフタリ。三年業成。道かぶラシムゆう。聽メス之日、宿むかし 八人共ニシテ。太子一々べんシタマフ。各得情緒、旡タビヒタテマツルコト。大臣率シテ群臣已下、敢御名みな。稱廏戸とよさと八耳皇子、又稱シタテマツル大法王皇太子。太子辞譲シタマフ矣。
【原注】
【白文】
二十四 三年乙卯春三月、土佐南海夜有大光、亦有声如雷。經卅箇日矣。夏四月着淡路島南岸。島人不知沈木、以交薪燒於竃。太子遣使令献。其大一圍・長八尺、其香異薫。太子觀而大悅、奏曰、是爲沈木香者也。此木名栴檀香木。生南天竺國南海岸。夏月諸蛇相繞。此木冷故也。人以矢射。冬月蟄即斫而採之。其實舌、其花丁子、其脂薫陸、沈水久者爲沈水香、不久者爲淺香。而今陛下興隆釋教、肇造佛像故釋梵感德漂送此木。即有敕命百済工、刻造檀像作觀音菩薩。《髙數尺、安吉野比蘓寺。》時々放光。
五月髙麗僧慧慈・百濟僧慧等化來。此兩僧博渉内外、尤深釋義。則太子問道聞一知十、聞十知百。二僧相語曰、是實真人也。或不思而逹出論外。三年業成。道被幽顯。聽政之日、宿訟未决者八人共聲白事。太子一々能弁荅。各得其情緒、旡復再諮。大臣率群臣已下、敢献御名。稱廏戸豊八耳皇子、又稱大法王皇太子。太子辞譲矣。
【書き下し文】
二十四  三年乙卯春三月に、土佐の南海によな/\大なる光有り、亦声有て雷のごとし。卅箇日を。夏四月に淡路島の南の岸に着く。島の人沈木と知らずして、以てたきゞまじへ於かまどく。太子使を遣して献ぜしむ。其の大さ一・長さ八尺、其の香り異薫す。太子みそなはして大に悅て、奏して曰く、是れ沈木香と爲する者也。此の木をば栴檀と名くる香もくなり。南天竺國の南海の岸にいたり。夏の月も諸のへみまとへり。此の木すゞしき故なり也。人矢を以てる。冬の月ちつするとき即ちつて之をる。其の舌、其の花は丁子、其のやには薫陸、水に沈て久きをば者沈水香と爲し、久からざるをば者淺香と爲す。而るを今陛下釋教を興隆し、はじめて佛像を造りたまふ故に釋梵德に感じて此の木をたゞよはし送れり。即敕有て百済の工に命じて、檀像を刻み造て觀音菩薩を作す。《髙さ數尺、吉野の比蘓寺に安す。》時々光を放ちたまふ。
五月に髙麗の僧慧慈・百濟の僧慧等化來せり。此の兩りの僧はひろく内外にわたて、尤も釋義に深し。則ち太子道を問たまふに一を聞て十を知り、十を聞て百を知たまふ。二の僧相語て曰く、是れ實に真人なり也。或ときは思はずしてさとりたまふ論の外に出たり。三年に業成る。道ゆう顯にかぶらしむ。政を聽めす之日、宿むかしの訟へ未だ决せざる者の八人聲を共にして事を白す。太子一々に能くべん荅したまふ。各其の情緒を得て、復た再たびひたてまつること旡し。大臣群臣已下を率して、敢て御名みなを献る。廏戸とよさと八耳の皇子と稱し、又大法王皇太子と稱したてまつる。太子辞譲したまふ。
【漢文エディタ原文】
二十四  三年乙卯春三月ニ、土佐ノ南海ニ|夜(よな/\)有リ 2( 大ナル光 )1 、亦有テ^声如シ^雷ノ。|經(ふ) 2( 卅箇日ヲ )1 矣。夏四月ニ着ク 2( 淡路島ノ南ノ岸ニ )1 。島ノ人不シテ^知ラ 2( 沈木ト )1 、以テ|交(まじ)ヘ^|薪(たきゞ)ニ|燒(た)ク 2( 於|竃(かまど)ニ )1 。太子遣シテ^使ヲ令ム^献ゼ。其ノ大サ一|圍(い)・長サ八尺、其ノ香リ異薫ス。太子|觀(みそな)ハシテ而大ニ悅テ、奏シテ曰ク、是レ爲スル 2( 沈木香ト )1 者也。此ノ木ヲバ名クル 2( 栴檀ト )1 香|木(もく)ナリ。|生(を)イタリ 2( 南天竺國ノ南海ノ岸ニ )1 。夏ノ月モ諸ノ|蛇(へみ)相|繞(まと)ヘリ。此ノ木|冷(すゞし)キ故ナリ也。人以テ^矢ヲ|射(い)ル。冬ノ月|蟄(ちつ)スルトキ即チ|斫(き)ツテ而|採(と)ル^之ヲ。其ノ|實(み)ハ舌、其ノ花ハ丁子、其ノ|脂(やに)ハ薫陸、沈テ^水ニ久キヲバ者爲シ 2( 沈水香ト )1 、不ルヲバ^久カラ者爲ス 2( 淺香ト )1 。而ルヲ今陛下興- 2( 隆シ釋教ヲ )1 、|肇(はじ)メテ造リタマフ 2( 佛像ヲ )1 故ニ釋梵感ジテ^德ニ|漂(たゞよ)ハシ- 2( 送レリ此ノ木ヲ )1 。即有テ^敕命ジテ 2( 百済ノ工ニ )1 、刻ミ- 2( 造テ檀像ヲ )1 作ス 2( 觀音菩薩ヲ )1 。《髙サ數尺、安ス 2( 吉野ノ比蘓寺ニ )1 。》時々放チタマフ^光ヲ。
五月ニ髙麗ノ僧慧慈・百濟ノ僧慧等化來セリ。此ノ兩リノ僧ハ|博(ひろ)ク|渉(わた)テ 2( 内外ニ )1 、尤モ深シ 2( 釋義ニ )1 。則チ太子問タマフニ^道ヲ聞テ^一ヲ知リ^十ヲ、聞テ^十ヲ知タマフ^百ヲ。二ノ僧相語テ曰ク、是レ實ニ真人ナリ也。或トキハ不シテ^思ハ而|逹(さと)リタマフ出タリ 2( 論ノ外ニ )1 。三年ニ業成ル。道|被(かぶ)ラシム 2( |幽(ゆう)顯ニ )1 。聽メス^政ヲ之日、|宿(むかし)ノ訟ヘ未ダ _ル_ ^决セ者ノ八人共ニシテ^聲ヲ白ス^事ヲ。太子一々ニ能ク|弁(べん)荅シタマフ。各得テ 2( 其ノ情緒ヲ )1 、旡シ 2( 復タ再タビ|諮(と)ヒタテマツルコト )1 。大臣率シテ 2( 群臣已下ヲ )1 、敢テ献ル 2( |御名(みな)ヲ )1 。稱シ 2( 廏戸|豊(とよさと)八耳ノ皇子ト )1 、又稱シタテマツル 2( 大法王皇太子ト )1 。太子辞譲シタマフ矣。

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【本文】
二十五 四年丙辰夏五月、太子慧慈法師、法華經タリ字。師之所者如何。法師荅シテスラク、佗國之經ニモ亦無コト字。太子、於タル一字のみ。吾セシ之經ニハをもリト。法師荅シテ、殿下所シタマフ經在レノニカ哉。太子微笑シテシテ、在リト大隋衡州衡山寺般若臺。法師大トシテ礼拜
冬十一月有司啓スラク、法興寺造ンヌト。是日慧慈・慧法興寺。太子奏シテ於天皇、設旡遮。既ンシテ而夕ベノ紫雲、如クシテ花蓋けがいくだ上天まどかニシテをゝ、又覆佛堂。變ジテ五色。或龍鳳、或じん。良久シテ西而去ンヌ。太子合目送みをくリタマフ左右、此寺感ズルガしるし。伹三百年後、草露霑、五百年後塔殿廢亡セン
【原注】
【白文】
二十五四年丙辰夏五月、太子謂慧慈法師曰、法華經中此句落字。師之所見者如何。法師荅啓、佗國之經亦無有字。太子曰、於此句際落一字耳。吾昔所持之經思有此字。法師荅啓、殿下所持經在何處哉。太子微笑荅云、在大隋衡州衡山寺般若臺上。法師大奇合掌礼拜。
冬十一月有司啓、法興寺造畢。是日慧慈・慧始住法興寺。太子奏於天皇、設旡遮會。既而夕時有一紫雲、如花蓋形、降自上天、圓覆塔上、又覆佛堂。變爲五色。或爲龍鳳、或如人畜。良久向西而去。太子合掌目送。謂左右曰、此寺感天故有此祥。伹三百年後、草露霑衣、五百年後塔殿廢亡。
【書き下し文】
二十五 四年丙辰夏五月、太子慧慈法師にて曰く、法華經の中に此の句に字落たり。師之見る所は如何ん。法師荅して啓すらく、佗國之經にも亦字有こと無し。太子の曰く、此の句の際に於一字落たるのみ。吾が昔し持せし所の之經には此の字有りとをもゆ。法師荅して啓す、殿下持したまふ所の經何れの處にか在る哉。太子微笑して荅して云く、大隋の衡州衡山寺の般若臺の上に在りと。法師大に奇として掌を合せ礼拜す。
冬十一月に有司啓すらく、法興寺造し畢んぬと。是の日慧慈・慧始て法興寺に住す。太子於天皇に奏して、旡遮の會を設く。既んして夕べの時に一の紫雲有て、花蓋けがいの形の如くして、上天よりくだり、まどかにして塔の上にをゝい、又佛堂に覆ふ。變じて五色とる。或は龍鳳とり、或はじん畜のごとし。良久して西に向て去んぬ。太子掌を合せ目送みをくりたまふ。左右にて曰く、此の寺天に感ずるが故に此のしるし有り。伹し三百年の後、草露衣を霑し、五百年の後塔殿廢亡せん。
【漢文エディタ原文】
二十五 四年丙辰夏五月、太子|謂(い)テ 2( 慧慈法師ニ )1 曰ク、法華經ノ中ニ此ノ句ニ落タリ^字。師之所ハ^見ル者如何ン。法師荅シテ啓スラク、佗國之經ニモ亦無シ^有コト^字。太子ノ曰ク、於 2( 此ノ句ノ際ニ )1 落タル 2( 一字 )1 |耳(のみ)。吾ガ昔シ所ノ^持セシ之經ニハ|思(をも)ユ^有リト 2( 此ノ字 )1 。法師荅シテ啓ス、殿下所ノ^持シタマフ經在ル 2( 何レノ處ニカ )1 哉。太子微笑シテ荅シテ云ク、在リト 2( 大隋ノ衡州衡山寺ノ般若臺ノ上ニ )1 。法師大ニ奇トシテ合セ^掌ヲ礼拜ス。
冬十一月ニ有司啓スラク、法興寺造シ畢ンヌト。是ノ日慧慈・慧始テ住ス 2( 法興寺ニ )1 。太子奏シテ 2( 於天皇ニ )1 、設ク 2( 旡遮ノ會ヲ )1 。既ンシテ而夕ベノ時ニ有テ 2( 一ノ紫雲 )1 、如クシテ 2( |花蓋(けがい)ノ形ノ )1 、|降(くだ)リ^自リ 2( 上天 )1 、|圓(まどか)ニシテ|覆(をゝ)イ 2( 塔ノ上ニ )1 、又覆フ 2( 佛堂ニ )1 。變ジテ|爲(な)ル 2( 五色ト )1 。或ハ|爲(な)リ 2( 龍鳳ト )1 、或ハ如シ 2( |人(じん)畜ノ )1 。良久シテ向テ^西ニ而去ンヌ。太子合セ^掌ヲ|目送(みをく)リタマフ。|謂(い)テ 2( 左右ニ )1 曰ク、此ノ寺感ズルガ^天ニ故ニ有リ 2( 此ノ|祥(しるし) )1 。伹シ三百年ノ後、草露霑シ^衣ヲ、五百年ノ後塔殿廢亡セン。

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【本文】
二十六 五年丁巳夏四月、百済使王子阿佐調。語れいやつこ、此ストリノ聖人。僕自拜覲セバ意願たんナン矣。太子聞メシテ、直チニ殿。阿佐驚シテつく/〃\タテマツリ太子かほばせ、復タテマツリテ左右たなごゝろ・左右たなうら、而更再拜スルコト兩段リヲ退、而出デヽ合掌恭敬シテサク、救世大慈觀音菩薩、妙教流通東方日國、四十九歳傳燈演説、大慈大悲敬礼菩薩。太子合セテ須臾アツテ眉間ヨリチタマフ。長三丈計、良久シテつゞマリ。阿佐また再拜スルコト兩段リシテ而出。太子謂左右、此レハ是昔身弟子。故今來スル耳。時人大トス
【原注】
【白文】
二十六五年丁巳夏四月、百済王使王子阿佐等來貢調。語領客曰、僕聞、此國有一聖人。僕自拜覲意願足矣。太子聞之、直引殿内。阿佐驚拜熟見太子顔、復見左右手掌・左右足掌、而更起再拜兩段退、而出庭右膝着地合掌恭敬曰、救世大慈觀音菩薩、妙教流通東方日國、四十九歳傳燈演説、大慈大悲敬礼菩薩。太子合目須臾眉間放白光。長三丈計、良久縮入。阿佐更起再拜兩段而出。太子謂左右曰、此是昔身爲我弟子。故今來謝耳。時人大竒。
【書き下し文】
二十六 五年丁巳夏四月に、百済の王の使い王子阿佐來て調を貢る。れい客に語て曰く、やつこ聞く、此の國に一りの聖人を有すと。僕自ら拜覲せば意願たんなん。太子之を聞めして、直ちに殿の内にす。阿佐驚き拜してつく/〃\と太子のかほばせを見たてまつり、復た左右の手のたなごゝろ・左右の足のたなうらを見たてまつりて、而更に起て再拜すること兩段りを退て、而庭に出でゝ右の膝を地に着け合掌恭敬して曰さく、救世大慈觀音菩薩、妙教流通東方日國、四十九歳傳燈演説、大慈大悲敬礼菩薩。太子目を合せて須臾あつて眉間より白き光を放ちたまふ。長さ三丈計り、良久してつゞまり入る。阿佐また起て再拜すること兩段りして出づ。太子左右に謂て曰く、此れは是昔身に我が弟子たり。故に今來て謝する耳。時の人大に竒とす。
【漢文エディタ原文】
二十六 五年丁巳夏四月ニ、百済ノ王ノ使イ王子阿佐|等(ら)來テ貢ル^調ヲ。語テ 2( |領(れい)客ニ )1 曰ク、|僕(やつこ)聞ク、此ノ國ニ有スト 2( 一リノ聖人ヲ )1 。僕自ラ拜覲セバ意願|足(たん)ナン矣。太子聞メシテ^之ヲ、直チニ|引(め)ス 2( 殿ノ内ニ )1 。阿佐驚キ拜シテ|熟(つく/〃\)ト見タテマツリ 2( 太子ノ|顔(かほばせ)ヲ )1 、復タ見タテマツリテ 2( 左右ノ手ノ|掌(たなごゝろ)・左右ノ足ノ|掌(たなうら)ヲ )1 、而更ニ起テ再拜スルコト兩段リヲ退テ、而出デヽ^庭ニ右ノ膝ヲ着ケ^地ニ合掌恭敬シテ曰サク、救世大慈觀音菩薩、妙教流通東方日國、四十九歳傳燈演説、大慈大悲敬礼菩薩。太子合セテ^目ヲ須臾アツテ眉間ヨリ放チタマフ 2( 白キ光ヲ )1 。長サ三丈計リ、良久シテ|縮(つゞ)マリ入ル。阿佐|更(また)起テ再拜スルコト兩段リシテ而出ヅ。太子謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、此レハ是昔身ニ|爲(た)リ 2( 我ガ弟子 )1 。故ニ今來テ謝スル耳。時ノ人大ニ竒トス。

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【本文】
二十七 六年戊午春三月、擧かしはでのひめシタマフかた侍從、吾ルニかたへの氏女子てい、此人頗ブルヘリ。故。天皇復コンデ、群臣已下女孺已上、給フコトしな
夏四月、太子命ジテ左右メタマヒをゝセテ諸國たてまつ。甲斐ヨリ驪駒くろごま脚白数百匹ツノなか、太子指、是なり。餘かへ。令シテ舎人調子麿ヘシムレガ飼養
秋九月こゝろみツテ、浮雲ノゴトクシテリタマフ。侍從あふルニ麿まろ御馬、直チニうち。衆人。三日之後、廻シテミヲタマイ、謂左右、吾しのヰデチニ冨士たけめぐ信濃。飛ブコト雷電三越みこし、今得タリルコトヲ。麿、なんぢわすレテつかレヲ。寔忠士ナリ。麿啓シテサク、意ニハ、兩脚猶ムコトムガ陸地。唯ルニヘノ、在リツ之下
此秋新羅王献孔雀一せき。天皇御看みそなはシテトシタマフ美麗ナルコトヲ。太子奏シテ、是ミトスルニ。有スル南海丹穴。非レバ聖人スコト。天皇敕シテ太子、朕夢ニダモテンバルコトヲナント矣。其夜天皇夢タマフ鳳凰つとタマフかたち。太子大ハク、是しるし也。
【原注】
【白文】
二十七六年戊午春三月、擧膳大娘爲妃。謂侍從曰、吾常相諸氏女子躰、此人頗合。故擧而爲妃。天皇復歡賜宴、群臣已下女孺已上、給物有差。
夏四月、太子命左右求良馬、府諸國令貢。甲斐國貢一驪駒四脚白者数百匹中、太子指此馬曰、是神馬也。餘皆被還。令舎人調子麿加之飼養。
秋九月、試馭此馬、浮雲東去。侍從仰觀、麿独在御馬右、直入雲中。衆人相驚。三日之後、廻轡歸來、謂左右曰、吾騎此馬、躡雲凌霧直到冨士嶽上、轉到信濃。飛如雷電。經三越竟、今得歸來。麿、汝妄疲隨吾。寔忠士也。麿啓曰、意不履空、兩脚猶如歩蹈陸地。唯看諸山、在脚之下。
此秋新羅王献孔雀一隻。天皇御看竒其美麗。太子奏曰、是不足恠。有稱鳳者在南海丹穴山。非聖人德不能致之。天皇敕太子曰、朕夢得見足矣。其夜天皇夢見鳳凰。晨説其容。太子大悅曰、是遐壽之表也。
【書き下し文】
二十七 六年戊午春三月に、かしはでのひめを擧て妃と爲したまふ。侍從にかたて曰く、吾れ常にかたへの氏女子のているに、此の人頗ぶる合へり。故に擧て妃と。天皇復た歡こんで宴を賜い、群臣已下女孺已上、物を給ふことしな有り。
夏四月に、太子左右に命じてき馬を求めたまひ、諸國にをゝせてたてまつらしむ。甲斐の國より一の驪駒くろごまの四の脚白き者を貢る数百匹つのなかに、太子此の馬を指て曰く、是れ神なり。餘は皆かへされぬ。舎人調子麿を令して之れが飼養を加へしむ。
秋九月に、こゝろみに此の馬につて、浮雲のごとくして東に去りたまふ。侍從あふるに、麿まろ独り御馬の右に在て、直ちに雲のうちに入る。衆人て驚く。三日之後、轡みを廻して歸り來たまい、左右に謂て曰く、吾れ此の馬に騎て、雲をみ霧をしのゐで直ちに冨士のたけの上に到り、めぐて信濃に到る。飛ぶこと雷電のごとし。三越みこし竟て、今歸り來ることを得たり。麿、なんぢつかれをわすれて吾に隨ふ。寔に忠士なり也と。麿啓して曰さく、意には空をまず、兩の脚猶し歩むこと陸地をむがごとし。唯し諸への山をるに、脚の之下に在りつ。
此秋新羅の王孔雀一せきを献る。天皇御看みそなはして其の美麗なることを竒としたまふ。太子奏して曰く、是れ恠みとするに足らず。鳳と稱する者の南海の丹穴の山に在る有り。聖人の德に非れば之を致すこと能はず。天皇太子に敕して曰く、朕夢にだも見ることを得てんば足なんと。其の夜天皇夢に鳳凰を見たまふ。つとに其のかたちを説たまふ。太子大に悅て曰はく、是れ壽の之しるし也。
【漢文エディタ原文】
二十七 六年戊午春三月ニ、擧テ 2( |膳(かしはでの)大|娘(ひめ)ヲ )1 爲シタマフ^妃ト。|謂(かた)テ 2( 侍從ニ )1 曰ク、吾レ常ニ|相(み)ルニ 2( |諸(かたへの)氏女子ノ|躰(てい)ヲ )1 、此ノ人頗ブル合ヘリ。故ニ擧テ而|爲(す)^妃ト。天皇復タ歡コンデ賜イ^宴ヲ、群臣已下女孺已上、給フコト^物ヲ有リ^|差(しな)。
夏四月ニ、太子命ジテ 2( 左右ニ )1 求メタマヒ 2( |良(よ)キ馬ヲ )1 、|府(をゝ)セテ 2( 諸國ニ )1 令ム^|貢(たてまつ)ラ。甲斐ノ國ヨリ貢ル 2( 一ノ|驪駒(くろごま)ノ四ノ脚白キ者ヲ )1 数百匹ツノ|中(なか)ニ、太子指テ 2( 此ノ馬ヲ )1 曰ク、是レ神|馬(ば)|也(なり)。餘ハ皆|被(れ)ヌ^|還(かへ)サ。令シテ 2( 舎人調子麿ヲ )1 加ヘシム 2( 之レガ飼養ヲ )1 。
秋九月ニ、|試(こゝろみ)ニ|馭(の)ツテ 2( 此ノ馬ニ )1 、浮雲ノゴトクシテ東ニ去リタマフ。侍從|仰(あふ)ギ|觀(み)ルニ、|麿(まろ)独リ在テ 2( 御馬ノ右ニ )1 、直チニ入ル 2( 雲ノ|中(うち)ニ )1 。衆人|相(み)テ驚ク。三日之後、廻シテ^轡ミヲ歸リ來タマイ、謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、吾レ騎テ 2( 此ノ馬ニ )1 、|躡(ふ)ミ^雲ヲ|凌(しの)ヰデ^霧ヲ直チニ到リ 2( 冨士ノ|嶽(たけ)ノ上ニ )1 、|轉(めぐ)テ到ル 2( 信濃ニ )1 。飛ブコト如シ 2( 雷電ノ )1 。|經(へ) 2( |三越(みこし)ヲ )1 竟テ、今得タリ 2( 歸リ來ルコトヲ )1 。麿、|汝(なんぢ)|妄(わす)レテ^|疲(つか)レヲ隨フ^吾ニ。寔ニ忠士ナリ也ト。麿啓シテ曰サク、意ニハ不^|履(ふ)マ^空ヲ、兩ノ脚猶シ如シ 3( 歩ムコト|蹈(ふ)ムガ 2( 陸地ヲ )1 。唯シ|看(み)ルニ 2( 諸ヘノ山ヲ )1 、在リツ 2( 脚ノ之下ニ )1 。
此秋新羅ノ王献ル 2( 孔雀一|隻(せき)ヲ )1 。天皇|御看(みそなは)シテ竒トシタマフ 2( 其ノ美麗ナルコトヲ )1 。太子奏シテ曰ク、是レ不^足ラ^恠ミトスルニ。有リ 3( 稱スル^鳳ト者ノ在ル 2( 南海ノ丹穴ノ山ニ )1 。非レバ 2( 聖人ノ德ニ )1 不^能ハ^致スコト^之ヲ。天皇敕シテ 2( 太子ニ )1 曰ク、朕夢ニダモ得テンバ^見ルコトヲ足ナント矣。其ノ夜天皇夢ニ見タマフ 2( 鳳凰ヲ )1 。|晨(つと)ニ説タマフ 2( 其ノ|容(かたち)ヲ )1 。太子大ニ悅テ曰ハク、是レ|遐(か)壽ノ之|表(しるし)也。

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【本文】
二十八 七年己未春三月、太子こう-シテ天氣、奏シテ、應 地震。即をゝセテ天下屋舎。夏四月地震。屋舎悉。太子密シテ、天ヲバ、地ヲバ。陰理不ルトキンバ、則せまとうズルコト、陽道不ルトキンバ、則ふさガリテ而不スルコトヲ。故地震。陛下爲シテ女主タマヘリ。唯をさメテ、不ほどこシタマハ。故。伏シテクハ、德澤潤、仁くわシメタマヘ。天皇大シテ天下、今年調庸租税並シタマフ
秋八月、百済國ヨリ駱駝らくだ一匹うさぎうま一匹・羊二頭・白雉一隻。太子奏シテ、白雉ナリ也。餘是彼くにモノナリ。不ルニあつをさメテ使、荅信ます/\
【原注】
【白文】
二十八七年己未春三月、太子候望天氣、奏曰、應致地震。即府天下令堅屋舎。夏四月大地震。屋舎悉破。太子密奏曰、天爲男爲陽、地爲女爲陰。陰理不足、則陽迫不能通、陽道不填、則陰塞而不得逹。故有地震。陛下爲女主、居男位。唯御陰理、不施陽德。故有此譴。伏願、德澤潤物、仁化被民。天皇大悅下敕天下、今年調庸租税並免。
秋八月、百済國貢駱駝一匹・驢一匹・羊二頭・白雉一隻。太子奏曰、白雉鳳類也。餘是彼土常獸。不足爲竒。厚修其使、荅信陪多。
【書き下し文】
二十八 七年己未春三月に、太子天氣をこう望して、奏して曰く、應に地震を致すべし。即ち天下にをゝせて屋舎を堅めしむ。夏四月に大に地震す。屋舎悉く破る。太子密に奏して曰く、天をば男と爲し陽と爲す、地をば女と爲し陰と爲す。陰の理足らざるときんば、則ち陽せまとうずること能はず、陽の道たざるときんば、則ち陰ふさがりて逹することを得ず。故に地震有り。陛下女主と爲して、男の位にたまへり。唯し陰の理ををさめて、陽の德をほどこしたまはず。故に此のめ有り。伏して願くは、德澤物を潤し、仁くわ民に被しめたまへ。天皇大に悅て敕を天下に下して、今年の調庸租税並に免したまふ。
秋八月に、百済國より駱駝らくだ一匹つ・うさぎうま一匹つ・羊二頭・白雉一隻を貢る。太子奏して曰く、白雉は鳳の類なり也。餘は是彼のくにの常の獸ものなり。竒とるに足らず。あつく其の使ををさめて、荅信ます/\多し。
【漢文エディタ原文】
二十八 七年己未春三月ニ、太子|候(こう)- 2( 望シテ天氣ヲ )1 、奏シテ曰ク、應ニ _シ_ ^致ス 2( 地震ヲ )1 。即チ|府(をゝ)セテ 2( 天下ニ )1 令ム^堅メ 2( 屋舎ヲ )1 。夏四月ニ大ニ地震ス。屋舎悉ク破ル。太子密ニ奏シテ曰ク、天ヲバ爲シ^男ト爲ス^陽ト、地ヲバ爲シ^女ト爲ス^陰ト。陰ノ理不ルトキンバ^足ラ、則チ陽|迫(せま)テ不^能ハ^|通(とう)ズルコト、陽ノ道不ルトキンバ^|填(み)タ、則チ陰|塞(ふさ)ガリテ而不^得^逹スルコトヲ。故ニ有リ 2( 地震 )1 。陛下爲シテ 2( 女主ト )1 、|居(い)タマヘリ 2( 男ノ位ニ )1 。唯シ|御(をさ)メテ 2( 陰ノ理ヲ )1 、不^|施(ほどこ)シタマハ 2( 陽ノ德ヲ )1 。故ニ有リ 2( 此ノ|譴(せ)メ )1 。伏シテ願クハ、德澤潤シ^物ヲ、仁|化(くわ)被シメタマヘ^民ニ。天皇大ニ悅テ下シテ 2( 敕ヲ天下ニ )1 、今年ノ調庸租税並ニ免シタマフ。
秋八月ニ、百済國ヨリ貢ル 2( |駱駝(らくだ)一匹ツ・|驢(うさぎうま)一匹ツ・羊二頭・白雉一隻ヲ )1 。太子奏シテ曰ク、白雉ハ鳳ノ類ナリ也。餘ハ是彼ノ|土(くに)ノ常ノ獸モノナリ。不^足ラ 2( |爲(す)ルニ^竒ト )1 。|厚(あつ)ク|修(をさ)メテ 2( 其ノ使ヲ )1 、荅信|陪(ます/\)多シ。

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【本文】
二十九 八年庚申春正月、天皇敕シテ、新羅・任那相ムルコト如何。太子奏シテタマハク、新羅虎狼之國也。不、猶任那。不滅亡、彼。臣乞、命ジテヘテたう。天皇しかシタマフ。於こゝ阿倍大將軍穗積ほづみシテふく將軍ひきイテ二万餘もろ/\、爲任那新羅。即メテ五城而拔。新羅をそ白旗しらはた麾下しるしのはたのもとイテりく而請かう。將軍奉ゆるシテ、到新羅。新羅亦をか任那。太子聞メシテ左右、寔リシ
【原注】
【白文】
二十九八年庚申春正月、天皇敕曰、新羅・任那相攻如何。太子奏曰、新羅虎狼之國也。不承我命、猶犯任那。不致滅亡、彼猶不輟。臣乞、命將加討令服。天皇然之。於是以阿倍臣爲大將軍、穗積臣爲副將軍、將二万餘衆、爲任那伐新羅。即攻五城而拔之。新羅王惶擧白旗到于麾下。割六城而請降。將軍奉詔免之、到自新羅。新羅亦侵任那。太子聞之謂左右曰、寔如所議。
【書き下し文】
二十九 八年庚申春正月に、天皇敕して曰く、新羅・任那相むること如何ん。太子奏して曰たまはく、新羅は虎狼之國也。我が命をけず、猶ほ任那を犯す。滅亡を致さずば、彼れ猶ほ。臣乞ふ、將に命じてたうを加へて服せ令ん。天皇之をしかしたまふ。於こゝに阿倍の臣を以て大將軍と爲し、穗積ほづみの臣をふく將軍と爲して、二万餘のもろ/\ひきいて、任那が爲に新羅をつ。即五城をめて之を拔く。新羅の王をそ白旗しらはたを擧て于麾下しるしのはたのもとに到る。りく城をいてかうを請ふ。將軍詔を奉て之をゆるして、新羅より到る。新羅亦任那ををかす。太子之を聞めして左右に謂て曰く、寔に議りし所のごとし。
【漢文エディタ原文】
二十九 八年庚申春正月ニ、天皇敕シテ曰ク、新羅・任那相|攻(せ)ムルコト如何ン。太子奏シテ曰タマハク、新羅ハ虎狼之國也。不^|承(う)ケ 2( 我ガ命ヲ )1 、猶ホ犯ス 2( 任那ヲ )1 。不バ^致サ 2( 滅亡ヲ )1 、彼レ猶ホ|不(じ)^|輟(や)マ。臣乞フ、命ジテ^將ニ加ヘテ^|討(たう)ヲ令ン^服セ。天皇|然(しか)シタマフ^之ヲ。於|是(こゝ)ニ以テ 2( 阿倍ノ臣ヲ )1 爲シ 2( 大將軍ト )1 、|穗積(ほづみ)ノ臣ヲ爲シテ 2( |副(ふく)將軍ト )1 、|將(ひき)イテ 2( 二万餘ノ|衆(もろ/\)ヲ )1 、爲ニ 2( 任那ガ )1 |伐(う)ツ 2( 新羅ヲ )1 。即|攻(せ)メテ 2( 五城ヲ )1 而拔ク^之ヲ。新羅ノ王|惶(をそ)テ擧テ 2( |白旗(しらはた)ヲ )1 到ル 2( 于|麾下(しるしのはたのもと)ニ )1 。|割(さ)イテ 2( |六(りく)城ヲ )1 而請フ^|降(かう)ヲ。將軍奉テ^詔ヲ|免(ゆる)シテ^之ヲ、到ル^自リ 2( 新羅 )1 。新羅亦|侵(をか)ス 2( 任那ヲ )1 。太子聞メシテ^之ヲ謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、寔ニ如シ^所ノ^議リシ。

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【本文】
三十 九年辛酉春二月、皇太子初リタマフ於班鳩。三月、太子奏シテ、令メントイヒテ髙麗・百済ヲシテすくきう任那、即遣大伴くい於高麗、遣坂本かす於百済、詔シテ、救ヘト任那。秋九月、新羅簡牒かんてう者】〔注丨名をば曰ふきや摩多と。〕對馬。即とらヘテたてまつ天皇。將ヘント酷法こくはう。太子奏シテ于上野。冬十一月庚辰はかンコトヲ新羅
【原注】
簡牒かんてう者 ─ 名をば曰ふきや摩多と。 
【白文】
三十九年辛酉春二月、皇太子初造宮於班鳩村。三月、太子奏曰、令髙麗・百済救急任那、即遣大伴咋於高麗、遣坂本糠手於百済、詔曰、救急任那。秋九月、新羅簡牒者到對馬。即捕而進天皇。將加酷法。太子奏之流于上野國。冬十一月庚辰議攻新羅。
【書き下し文】
三十 九年辛酉春二月に、皇太子初て宮を於班鳩の村に造りたまふ。三月に、太子奏して曰く、髙麗・百済をしてきうを任那にすくはしめんといひて、即大伴のくいを於高麗に遣し、坂本のかす手を於百済に遣て、詔して曰く、急を任那に救へと。秋九月に、新羅の簡牒かんてう者對馬に到る。即とらへて天皇にたてまつる。將に酷法こくはうを加へんとす。太子之を奏して于上野の國に流す。冬十一月庚辰新羅を攻んことをはかる。
【漢文エディタ原文】
三十 九年辛酉春二月ニ、皇太子初テ造リタマフ 2( 宮ヲ於班鳩ノ村ニ )1 。三月ニ、太子奏シテ曰ク、令メントイヒテ 3( 髙麗・百済ヲシテ|救(すく)ハ 2( |急(きう)ヲ任那ニ )1 、即遣シ 2( 大伴ノ|咋(くい)ヲ於高麗ニ )1 、遣テ 2( 坂本ノ|糠(かす)手ヲ於百済ニ )1 、詔シテ曰ク、救ヘト 2( 急ヲ任那ニ )1 。秋九月ニ、新羅ノ【|簡牒(かんてう)者】〈NOTE 名をば曰ふ 2( |迦(きや)摩多と )1 。 〉到ル 2( 對馬ニ )1 。即|捕(とら)ヘテ而|進(たてまつ)ル 2( 天皇ニ )1 。將ニ^加ヘント 2( |酷法(こくはう)ヲ )1 。太子奏シテ^之ヲ流ス 2( 于上野ノ國ニ )1 。冬十一月庚辰|議(はか)ル^攻ンコトヲ 2( 新羅ヲ )1 。

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【本文】
三十一 十年壬戌春正月、太子奏シテ、興シテ数万征軍、遣ハシテント新羅。天皇然シタマフ。二月、以來目くめ皇子大將軍、領シテ二万五千もろ/\、遣ハシテセシム新羅。夏四月、來目皇子到筑紫、臥フニ。太子聞タマヒテ左右、新羅奴等厭-將軍。疑ラクハはたわた
冬十月、百済僧觀勒來レリ。仍こよみ本及天文・地理・遁かうほう之書也。是えらンデ書生ものならひびと三四人、以-なら於觀勒矣。大陽胡をゝやこふひとをや王陳ほう大友をほとも村主そんしゆ〔注丨むらぬし〕ニシテ天文・遁甲山背やましろ日立ひたち方術。皆學以成業。太子聞キタマヒテ左右、吾昔在衡山修行セシトキ也、此吾弟子。在吾左右ヒテようしゆ山河さんが利害之事、吾以小術ナルヲにくンデケキ。而フテレリ。將レヲ如何セン。冝シク せい上レ
のち十月、髙麗僧僧隆・霊等來レリ。太子謂二僧、汝來ルコトをそかツツル。二僧謝シテサク、宿さいつぐの。久シクシテ後、披拜セリ。左右竒トス。太子謂左右、此昔日そのかみ同德也。今追のみ
【原注】
村主そんしゆ丨むらぬし 
【白文】
三十一十年壬戌春正月、太子奏曰、興数万征軍、遣伐新羅。天皇然之。二月、以來目皇子爲大將軍、領二万五千衆、遣征新羅。夏四月、來目皇子到筑紫、臥病不進。太子聞之謂左右曰、新羅奴等厭魅將軍。疑不果渡。
冬十月、百済僧觀勒來。仍貢暦本及天文・地理・遁甲・方術之書也。是時選書生三四人、以俾學習於觀勒矣。大陽胡史祖王陳習暦法、大友村主髙學天文・遁甲。山背臣日立學方術。皆學以成業。太子聞之謂左右曰、吾昔在衡山修行也、此僧爲吾弟子。在吾左右常言七曜度數・山河利害之事、吾以小術疾而去之。而猶追來。將之如何。冝取其生令習。
閏十月、髙麗僧僧隆・霊等來。太子謂二僧曰、汝來何晏。二僧謝曰、宿債未。久後、披拜。左右竒之。太子謂左右曰、此等昔日同德也。今追來耳。
【書き下し文】
三十一 十年壬戌春正月に、太子奏して曰く、数万の征軍を興して、遣はして新羅を伐んと。天皇之を然したまふ。二月に、來目くめの皇子を以て大將軍と爲し、二万五千のもろ/\を領して、遣はして新羅を征せしむ。夏四月に、來目の皇子筑紫に到て、病ふに臥て進まず。太子之を聞たまひて左右に謂て曰く、新羅の奴等將軍を厭魅す。疑らくははたわた
冬十月に、百済の僧觀勒來れり。仍てこよみの本及天文・地理・遁かうほう術の之書を貢る也。是の時に書生ものならひびと三四人をえらんで、以て於觀勒に學びならはしむ。大陽胡をゝやこふひとをや王陳は暦のほうを習い、大友をほとも村主そんしゆにして天文・遁甲を學ぶ。山背やましろの臣日立ひたちは方術を學ぶ。皆學て以業成る。太子之を聞きたまひて左右に謂て曰く、吾れ昔衡山に在て修行せしとき也、此の僧は吾弟子たり。吾左右に在て常に七ようの度しゆ山河さんがの利害の之事をひて、吾小術なるを以てにくんで而之をけき。而を猶ほ追ふて來れり。將に之れを如何せん。冝しく其のせいを取て習はしむべし。
のちの十月に、髙麗の僧僧隆・霊等來れり。太子二僧に謂て曰く、汝來ること何ぞをそかつつる。二僧謝して曰さく、宿さい未だつぐのはず。久しくして後、披拜せり。左右之を竒とす。太子左右に謂て曰く、此れ昔日そのかみの同德也。今追て來るのみ
【漢文エディタ原文】
三十一 十年壬戌春正月ニ、太子奏シテ曰ク、興シテ 2( 数万ノ征軍ヲ )1 、遣ハシテ伐ント 2( 新羅ヲ )1 。天皇然シタマフ^之ヲ。二月ニ、以テ 2( |來目(くめ)ノ皇子ヲ )1 爲シ 2( 大將軍ト )1 、領シテ 2( 二万五千ノ|衆(もろ/\)ヲ )1 、遣ハシテ征セシム 2( 新羅ヲ )1 。夏四月ニ、來目ノ皇子到テ 2( 筑紫ニ )1 、臥テ^病フニ不^進マ。太子聞タマヒテ^之ヲ謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、新羅ノ奴等厭- 2( 魅ス將軍ヲ )1 。疑ラクハ|不(じ) 2( |果(はた)シ|渡(わた)ラ )1 。
冬十月ニ、百済ノ僧觀勒來レリ。仍テ貢ル 2( |暦(こよみ)ノ本及天文・地理・遁|甲(かう)・|方(ほう)術ノ之書ヲ )1 也。是ノ時ニ|選(えら)ンデ 2( |書生(ものならひびと)三四人ヲ )1 、以テ|俾(し)ム^學ビ- 2( |習(なら)ハ於觀勒ニ )1 矣。|大陽胡(をゝやこ)ノ|史(ふひと)ノ|祖(をや)王陳ハ習イ 2( 暦ノ|法(ほう)ヲ )1 、|大友(をほとも)ノ【|村主(そんしゆ)】〈NOTE むらぬし 〉髙ニシテ學ブ 2( 天文・遁甲ヲ )1 。|山背(やましろ)ノ臣|日立(ひたち)ハ學ブ 2( 方術ヲ )1 。皆學テ以成ル^業。太子聞キタマヒテ^之ヲ謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、吾レ昔在テ 2( 衡山ニ )1 修行セシトキ也、此ノ僧ハ|爲(た)リ 2( 吾弟子 )1 。在テ 2( 吾左右ニ )1 常ニ|言(い)ヒテ 2( 七|曜(よう)ノ度|數(しゆ)・|山河(さんが)ノ利害ノ之事ヲ )1 、吾以テ 2( 小術ナルヲ )1 |疾(にく)ンデ而|去(さ)ケキ^之ヲ。而ヲ猶ホ追フテ來レリ。將ニ之レヲ如何セン。冝シク _シ_ 2{ 取テ 2( 其ノ|生(せい)ヲ )1 令ム }1 ^習ハ。
|閏(のち)ノ十月ニ、髙麗ノ僧僧隆・霊等來レリ。太子謂テ 2( 二僧ニ )1 曰ク、汝來ルコト何ゾ|晏(をそか)ツツル。二僧謝シテ曰サク、宿|債(さい)未ダ^|(つぐの)ハ。久シクシテ後、披拜セリ。左右竒トス^之ヲ。太子謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、此レ|等(ら)ハ|昔日(そのかみ)ノ同德也。今追テ來ル|耳(のみ)。

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【本文】
三十二 十一年癸亥春二月、大將軍來目皇子こう于筑紫。太子謂侍從、新羅奴等遂ころシツ將軍。即敕シテサシム
冬十月、天皇うつリタマフ少墾田をはるだ。太子命ジテヘノ法師セシメタマフ安宅經於宮庭
十一月、太子シテだてやなぐい、又ゑがカシム旗幟いくさばた
十二月、太子始シタマフ五行。德仁義礼智信各有大小。《合シテ十二階也。》德トイパをさ五行也。故頭首はじめ。群臣大
【原注】
【白文】
三十二十一年癸亥春二月、大將軍來目皇子薨于筑紫。太子謂侍從曰、新羅奴等遂弑將軍。即敕還軍。
冬十月、天皇遷于少墾田宮。太子命諸法師誦安宅經於宮庭。
十一月、太子議作大楯及靱、又繪于旗幟。
十二月、太子始製五行位。德仁義礼智信各有大小。《合十二階也。》德者攝五行也。故置頭首。群臣大悅。
【書き下し文】
三十二 十一年癸亥春二月に、大將軍來目の皇子于筑紫にこうず。太子侍從に謂て曰く、新羅の奴等遂に將軍をころしつ。即敕して軍を還さしむ。
冬十月に、天皇于少墾田をはるだの宮にうつりたまふ。太子諸への法師に命じて安宅經を於宮庭に誦せしめたまふ。
十一月に、太子して大だてやなぐいを作り、又于旗幟いくさばたゑがかしむ。
十二月に、太子始て五行の位を製したまふ。德仁義礼智信に各大小有り。《合して十二階也。》德といぱ者五行ををさむ也。故に頭首はじめに置く。群臣大に悅ぶ。
【漢文エディタ原文】
三十二 十一年癸亥春二月ニ、大將軍來目ノ皇子|薨(こう)ズ 2( 于筑紫ニ )1 。太子謂テ 2( 侍從ニ )1 曰ク、新羅ノ奴等遂ニ|弑(ころ)シツ 2( 將軍ヲ )1 。即敕シテ還サシム^軍ヲ。
冬十月ニ、天皇|遷(うつ)リタマフ 2( 于|少墾田(をはるだ)ノ宮ニ )1 。太子命ジテ 2( 諸ヘノ法師ニ )1 誦セシメタマフ 2( 安宅經ヲ於宮庭ニ )1 。
十一月ニ、太子|議(ぎ)シテ作リ 2( 大|楯(だて)及|靱(やなぐい)ヲ )1 、又|繪(ゑが)カシム 2( 于|旗幟(いくさばた)ニ )1 。
十二月ニ、太子始テ製シタマフ 2( 五行ノ位ヲ )1 。德仁義礼智信ニ各有リ 2( 大小 )1 。《合シテ十二階也。》德トイパ者|攝(をさ)ム 2( 五行ヲ )1 也。故ニ置ク 2( |頭首(はじめ)ニ )1 。群臣大ニ悅ブ。

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【本文】
三十三 十二年甲子春正月、始冠位。各有しな
夏四月、太子はじメテシタマフ憲法十七條。手カラシテ。其
ニハ、以やはらぎシト、旡さかフコトむね。人皆黨。亦まれナリスルもの。是君父、【たちまチニ〔注丨とく。また。〕于鄰里。然レドモかみゲバ下睦マシかなフトキハ於論フニ一レ、則事ことわり。何事
二曰、あつ三寳。三寳いぱ佛法僧也。則四生之終歸、万國之極そうナリ。何ヅレノ世、レノラン。人すくな尤惡ナルハ。能レバ。其ンバ三寳、何たゞサンレルヲ
三曰、承テハシメのとヲバ之、則ヲバ之。天をゝ。四時順行、万氣ズルコトヲ。地欲スルトキハハント、則致レヲのみ。是タマハヾ、臣承ハレ。上行ナヘバなら。故テハ、必シメ。不レバシマをのづか
四曰、群卿はく。其ムル之本于礼。上不レバ下不とゝのヲラ。下旡レバ礼、以必罪。是君臣有トキハ礼、位次不。百姓有トキハ礼、國家をのづか
五曰、絶てつテヽ、明ヘヨ訴訟。其百姓之訟ヘハ一日千事アリ。一日スラ、况累歳ヲヤ。須-ムルもの、得ルヲ。見テハまいないゆることはり。便ルモノヽ財之訟ヘハグルガ一レ。乏シキヘハタリクニ一レ。是シキ、則不。臣亦於こゝケヌ
六曰、ラシメムトキハ、古ヘノ良典らうてんナリ。是かくスコト、見テハたゞ。其もの、則くつがヘス國家之利器。爲人民之鋒劔。亦佞媚もの【對シテ〔注丨むかつては〕、則好とが、逢フテハ則誹-あやまち。其キラノ皆無忠於君、無仁於民。是ナルもといなり
七曰、人各有サシドルコト。冝 みだりがはシクセ。賢てつじん〔注丨にん〕ズルトキハ頌音しよういん則起。姦者在トキハ禍乱則繁。世まれナリせいをもせい。事大小、得マル。時急緩、遇をのづかゆたカナリ。因レニ國家永久ニシテしよくコト。故ヘノメツ、爲ヲバ
八曰、群卿百僚はくれうまいをそ退まかんデヨ。王事もろイコト終日ひねもす。是まいルトキハをよときこと、早退まかんズルトキハ事不
九曰、信もといナリ。毎事有信。其善惡成敗于信。群臣共アラバ、何事。群臣無トキハ信、万事悉
十曰、絶忿テヽ、不さかヘルヲ。人みな心。心各有しう。彼ナルトキンバ則我ナリ。我ナルトキハ則彼ナリ。我シモ、彼シモ。共是凡夫ノミ耳。是非之ことわりたれケン。相共賢愚ナルコト、如シテたまきはし。是いかルトヘテレヨあやまち。我タリトもろ/\をこな
十一曰、明功過、賞罰必テヨゴロハ者賞をいテセ、罸テセ。執群卿冝 ニス賞罰
十二曰、國つかさ・國みやつこスルコト百姓。國リノリノあるじ。率土てうきみあるじ。所よさ官司皆是王臣ナリ。何ヘテともをゝやけ-ふれんセン百姓
十三曰、もろ/\ズルものベシ職掌。或使シテコト於事。然レドモルコトヲスルコトクセヨ曽識むかししれる。其ルヲあづかクニ、勿グルコト公務
十四曰、群臣百僚コト嫉妬。我そねメバ、人亦ねた。嫉妬之患リヲ。所以すぐレタルトキハ智於己レニ、則不コビまさルトキハ才於己レニ、則嫉妬。是五百歳いをとせ之後ニシテ乃今いまし千載ちとせニシテモリノせい。其ンバ賢聖、何メン
十五曰、そむキテをゝやけ、是之道ナリ矣。凡人有レバ私必。有レバ恨必とゝのをレバ、則以さまた。恨ルトキハはう。故初くだり上下和とゝのをルトイヘルハ亦是こゝろ
十六曰、使つかフニストイハ、古之良典ナリ。故冬ひま、以使。從春至マデ農桑ときナリ。不カラ使。其ンバなりはいヲカしい、不ンバくはとヲカ
十七曰、大事ヲバカラことは〔注丨さだむ〕。必とももろ/\ あげつラウ。小事。不カラズシモトス。唯をよンデフニ大事、若ラント。故ともわきまフルトキことば則得矣。
天皇大、群臣各うつ一本、讀-天下。天下大
秋七月、改メテみかど、因以シテ、凡-センニハ宮門、以あしひざまづイテヘヨとじきみ
八月、太子謂みやつこ川勝、吾昨夜きのふのよラク、北ノカタ五六里ツノをう。楓林太ハシ。於此林もと、汝ひきイテしよくきやうスルコトレヲさかんナリト。吾今【將 カント〔注丨將に徃かんとをもふと〕。川勝頓首シテシテサク、臣いうあたか御夢。即日ジテ川勝先導。其宿シタマフ泉河ほとり。謂左右、吾シテ後二百五十年、有釋氏、修行テン寺於此。此釋氏非、是後身之一躰ナラン也。其弟子トミ、末法之初佛教はんセン
日、いた兎途うぢ、川勝眷属げん服騎馬シテほとり-滿テリ。太子謂左右あやしよく家冨饒ニシテ、亦てづかけん衣服美けんナリ。是國家たから也。到于木こほり、川勝眷属各たてまつせいよう陪從べいじう輿よたいヨリ已上かみつかた二百きよ人皆悉キヌ。太子大日臨楓野をゝ而宿シタマフ。造ルコトかり蜂岡はちをかふもと、不日ニシテ而了
太子いまシテ侍從、吾ルニ、國之秀ナリ也。南ふさガルあきらカニくら。河わたまへ。東レテ。髙がくうへシテくつ、常擁護。東いま嚴神、西猛霊まうれい。三百歳後、有リノ聖皇せいわうタビうつシテサン。興-シテ釋典、苗胤相續シテトサきうき。故吾ジテ夢相、今遊此處とゞマルコト十日アツテかへリタマフ于宮。始あるときタビタビ、或へだテヽ一兩歳シテキタマヒ、復調とゝのヘテ而駕シタマフ。稱楓野かつらの別宮みや。《後シテ川勝みやつこ。并まへ水田卅町・寺山野六十町。又賜新羅ズル佛像・幡盖等。》
冬十二月、爲ゑがカシメ諸寺佛像荘嚴センガ、定黄文きふみ畫師・山背畫師・簀秦すゞはだ畫師・河内畫師・なら畫師等ゆるシテ、永名業
【原注】
たちまチニ丨とく。また。 ○ 對シテ丨むかつては ○ じん丨にん ○ ことはル丨さだむ ○ 將にかんとすと ─ 將に徃かんとをもふと 
【白文】
三十三十二年甲子春正月、始賜冠位。各有差。
夏四月、太子肇製憲法十七條。手書奏之。其状云、
一曰、以和爲貴、旡忤爲宗。人皆有黨。亦少逹者。是以或不順君父、乍違于鄰里。然、上和下睦。諧於論事、則事理自通。何事不成。
二曰、篤敬三寳。三寳者佛法僧也。則四生之終歸、万國之極宗。何世、何人非貴是法。人鮮尤惡。能教從之。其不歸三寳、何以直枉。
三曰、承詔必謹。則君天之、則臣地之。天覆地載。四時順行、万氣得通。地欲覆天、則致壊耳。是以君言、臣承。上行下效。故承詔、必慎。不謹自敗。
四曰、群卿百僚以礼爲本。其治民之本要在于礼。上不礼下不斉。下旡礼、以必有罪。是以君臣有礼、位次不乱。百姓有礼、國家自治。
五曰、絶餮棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟一日千事。一日尚尓、况累歳。須治訟者、得利爲常。見賄聽。便有財之訟如石投水。乏者訴似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。
六曰、懲惡勸善、古之良典。是以旡匿人善、見惡必匡。其諂詐者、則爲覆國家之利器。爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者對上、則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人皆無忠於君、無仁於民。是大乱本也。
七曰、人各有任掌。冝不濫其。賢哲任官、頌音則起。姦者在官禍乱則繁。世少生知。克念作。事旡大小、得人必治。時旡急緩、遇賢自寛。因此國家永久社稷勿危。故古王爲官以求人、爲人不求官。
八曰、群卿百僚早朝晏退。王事靡。終日難盡。是以遲朝不逮于急、早退必事不盡。
九曰、信是義本。毎事有信。其善惡成敗要在于信。群臣共信、何事不成。群臣無信、万事悉敗。
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖、彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚、如環無端。是以彼人雖瞋還恐我失。我独雖得從衆同擧。
十一曰、明察功過、賞罰必當。日者賞不在功、罸不在罪。執事群卿冝明賞罰。
十二曰、國司・國造勿斂百姓。國靡二君民旡兩主。率土兆民以王爲主。所任官司皆是王臣。何敢与公賦斂百姓。
十三曰、諸任官者同知職掌。或病或使有闕於事。然得知之日和如曽識。其以非與聞、勿妨公務。
十四曰、群臣百僚無有嫉妬。我既嫉人、人亦妬我。嫉妬之患不知其極。所以勝智於己、則不悅、優才於己、則嫉妬。是以五百歳之後、乃今遇賢、千載以難待一聖。其不得賢聖、何以治國。
十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有恨必非固。非固、則以私妨公。恨起則違制害法。故初章云上下和睦其亦是情
十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋農桑之節。不可使民。其不農何食、不桑何服。
十七曰、大事不可獨断。必与衆冝論。小事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故与衆相辨、辞則得理矣。
天皇大悅、群臣各写一本、讀傳天下。天下大悅。
秋七月、改朝禮、因以詔曰、凡出入宮門、以兩手押地兩脚跪越閾。
八月、太子謂秦造川勝曰、吾昨夜夢、北去五六里到一美邑。楓林太香。於此林下、汝率親族、饗吾太盛。吾今將徃。川勝頓首啓曰、臣邑恰如御夢。即日命駕川勝先導。其夕宿泉河北頭。謂左右曰、吾死後二百五十年、有一釋氏、修行崇道、建寺於此地。此釋氏非佗、是吾後身之一躰也。其弟子等尊法傳燈、末法之初佛教繁興。
明日、届于兎途橋、川勝眷属服騎馬迎橋頭、溢滿道中。太子謂左右曰、漢人親族其家冨饒、亦手織絹衣服美研。是國家之寳也。到于木郡、川勝眷属各献清。陪從・輿已上二百許人皆悉醉飽。太子大悅其日臨楓野大堰而宿。造假宮於蜂岡之下、不日而了。
太子御之謂侍從曰、吾相此地、國之秀也。南開北塞。陽南陰北。河徑其前。東流成順。髙嶽之上龍爲窟宅、常臨擁護。東有嚴神、西仰猛霊。三百歳後、有一聖皇再遷成都。興隆釋典、苗胤相續不墜舊。故吾感夢相、今遊此處。停十日乃旋于宮。始自此時、或年中再三、或隔一兩歳不俟駕而行、復調儀而駕。稱楓野之別宮。《後以宮爲寺賜川勝造。并賜寺前水田卅町・寺後山野六十町。又賜新羅王献佛像・幡盖等物。》
冬十二月、爲繪諸寺佛像荘嚴、定黄文畫師・山背畫師・簀秦畫師・河内畫師・楢畫師等。免其戸課、永爲名業。
【書き下し文】
三十三 十二年甲子春正月に、始て冠位を賜ふ。各しな有り。
夏四月に、太子はじめて憲法十七條を製したまふ。手から書して之を奏す。其の状に云く、
一には曰く、やはらぎを以て貴しと爲し、さかふこと旡をむねと爲す。人皆な黨有り。亦逹するものまれなり。是を以て或は君父に順ぜず、たちまちに于鄰里に違ふ。然れども、かみ和げば下睦まし。於事を論ふにかなふときは、則事のことわり自ら通ず。何事か成らざらん。
二曰、あつく三寳を敬へ。三寳といぱ佛法僧也。則ち四生の之終歸、万國の之極そうなり。何づれの世、れの人か是の法を貴ま非らん。人尤惡なるはすくなし。能く教れば之に從ふ。其れ三寳に歸せずんば、何を以か枉れるをたゞさん。
三曰、詔を承ては必ず謹しめ。君をば天にのとり之、臣をば地に則る之。天をゝい地す。四時順行し、万氣通ずることを。地天を覆はんと欲するときは、則壊れを致すのみ。是を以て君たまはゞ、臣承はれ。上行なへば下ならう。故に詔を承ては、必ず慎しめ。謹しまざればをのづから敗る。
四曰、群卿はく僚は礼を以て本と爲す。其れ民を治むる之本と要す于礼に在り。上礼せざれば下とゝのをらず。下礼旡れば、以必ず罪有り。是を以て君臣礼有ときは、位次乱らず。百姓礼有ときは、國家をのづから治る。
五曰、てつを絶ち欲を棄てゝ、明に訴訟を辨へよ。其れ百姓の之訟へは一日千事あり。一日すら尚ほ尓り、况や累歳をや。訟を須い治むるものは、利を得るを常と爲す。まいないを見てはことはりゆるす。便ち財有るものゝ之訟へは石を水にぐるがごとし。乏しき者の訴へは水を石にくに似たり。是を以て貧しき民は、則由ん所を知らず。臣の道も亦こゝに於けぬ。
六曰、惡をらしめ善を勸むときは、古への之良典らうてんなり。是を以て人の善をかくすこと旡く、惡を見ては必ずたゞせ。其れ諂ものは、則國家をくつがへす之利器たり。人民をつ之鋒劔たり。亦佞媚のものは上に對して、則好で下のとがを説き、下に逢ふては則上のあやまちを誹謗す。其れ此の如きらの人は皆忠於君に無く、仁於民に無し。是れ大なる乱のもといなり
七曰、人各さし掌どること有り。其れ冝くみだりがはしくせるべし。賢てつ官にじんずるときは、頌音しよういん則起る。姦者官に在ときは禍乱則繁し。世にせいまれなり。をもせいと作る。事に大小と旡く、人を得て必ず治まる。時に急緩と旡し、賢に遇てをのづかゆたかなり。此れに因て國家永久にして社しよく危ことし。故に古への王は官の爲に以て人を求めつ、人の爲に官をば求めず。
八曰、群卿百僚はくれうは早くまいをそ退まかんでよ。王事もろいことし。終日ひねもすに盡き難し。是を以て遲くまいるときは于ときことをよばず、早く退まかんずるときは必ず事盡さず。
九曰、信は是れ義のもといなり。事毎に信有れ。其れ善惡の成敗は要す于信に在り。群臣共に信あらば、何事か成らざらん。群臣信無ときは、万事悉く敗る。
十曰、忿を絶ち瞋を棄てゝ、人のさかへるを怒らざれ。人みな心有り。心各しう有り。彼れ是なるときんば則我れ非なり。我れ是なるときは則彼れ非なり。我れ必しも聖に非ず、彼れ必しも愚に非ず。共に是凡夫のみ耳。是非之ことわりたれか能く定むべけん。相共に賢愚なること、たまきの如してはし無し。是を以て彼の人はいかると雖も還へて我があやまちを恐れよ。我れ独り得たりと雖ももろ/\に從て同くをこなへ。
十一曰、明に功過をて、賞罰必ずてよ。ごろは賞も功にをいてせず、罸も罪に在てせず。事を執る群卿冝く賞罰を明にすべし。
十二曰、國のつかさ・國のみやつこ百姓を斂すること勿れ。國に二りの君く民に兩りのあるじ旡し。率土のてう民はきみを以てあるじと爲す。よさす所の官司は皆是れ王臣なり。何ぞへてをゝやけともに百姓を賦斂ふれんせん。
十三曰、もろ/\官に任ずるものは同く職掌を知べし。或は病し或は使して於事に闕こと有り。然れども之をることを得ん日は和すること曽識むかししれるが如くせよ。其れあづかくに非るを以て、公務を妨ぐること勿れ。
十四曰、群臣百僚は嫉妬有こと無れ。我れ既に人をそねめば、人亦我をねたむ。嫉妬之患へ其の極りを知らず。所以に智於己れにすぐれたるときは、則悅こびず、才於己れにまさるときは、則嫉妬す。是を以て五百歳いをとせの之後にして、乃今いまし賢にい、千載ちとせにしても以て一りのせいを待ち難し。其れ賢聖を得ずんば、何を以か國を治めん。
十五曰、私をそむきてをゝやけに向は、是れ臣の之道なり。凡そ人私有れば必ず恨み有り。恨有れば必ずとゝのを。固られば、則私を以て公をさまたぐ。恨み起るときは則制にはうを害す。故初のくだりに云ふ上下和ぎとゝのをるといへるは其れ亦是のこゝろ
十六曰、民を使つかふに時を以すといは、古の之良典なり。故冬の月はひま有り、以て民を使ふべし。春より秋に至まで農桑の之ときなり。民を使ふべからず。其れなりはいせずんば何をかしいし、くはとらずんば何をかん。
十七曰、大事をば獨りことはるべからず。必ずもろ/\ともに冝くあげつらうべし。小事は是れ輕し。必ずしも衆とすべからず。唯大事を論ふにをよんで、若し失ち有らんと疑ふ。故に衆とともに相わきまふるとき、ことば則理を得ん。
天皇大に悅で、群臣各一本をうつし、天下に讀み傳ふ。天下大に悅ぶ。
秋七月に、みかどの禮を改めて、因以て詔して曰く、凡そ宮門を出入せんには、兩の手を以て地を押し兩のあしひざまづいてとじきみを越へよ。
八月に、太子秦のみやつこ川勝に謂て曰く、吾れ昨夜きのふのよ夢らく、北のかた五六里を去て一つの美をうに到る。楓の林太だ香はし。此林のもとに於、汝親しよくひきいて、吾れをきやうすること太ださかんなりと。吾れ今將にかんとすと。川勝頓首して啓して曰さく、臣がいうあたかも御夢のごとし。即日に駕に命じて川勝先導す。其の泉河の北のほとりに宿したまふ。左右に謂て曰く、吾れ死して後二百五十年に、一の釋氏有て、修行し道を崇め、寺於此の地にてん。此の釋氏佗に非じ、是れ吾が後身の之一躰ならん也。其の弟子法を尊とみ燈を傳へ、末法の之初め佛教はん興せん。
明る日、于兎途うぢ橋にいたて、川勝が眷属げん服騎馬して橋のほとりに迎へ、道の中に滿てり。太子左右に謂て曰く、あや人の親しよく其の家冨饒にして、亦てづかけんり衣服美けんなり。是れ國家の之たから也。于木のこほりに到て、川勝が眷属各せいようたてまつる。陪從べいじう輿よたいより已上かみつかた二百つきよ人皆悉く醉いきぬ。太子大に悅で其の日楓野のをゝ堰に臨て宿したまふ。かりの宮を於蜂岡はちをかの之ふもとに造ること、不日にして了ぬ。
太子之にいまして侍從に謂て曰く、吾れ此の地をるに、國の之秀なり也。南はき北はふさがる。南はあきらかに北はくらし。河其のまへわたる。東に流れて順を成す。髙がくの之うへに龍くつ宅をして、常に臨て擁護す。東に嚴神います、西に猛霊まうれいを仰ぐ。三百歳の後、一りの聖皇せいわう有て再たびうつして都を成さん。釋典を興隆して、苗胤相續してきうきとさ。故吾れ夢相に感じて、今此處に遊ぶ。とゞまること十日あつて乃于宮にかへりたまふ。此の時より始て、あるときは年の中に再たび三たび、或は一兩歳をへだてゝ駕をたずしてきたまひ、復た儀を調とゝのへて駕したまふ。楓野かつらのの之別宮みやと稱す。《後に宮を以て寺と爲して川勝のみやつこに賜ふ。并に寺のまへの水田卅町・寺の後の山野六十町を賜ふ。又新羅の王の献ずる佛像・幡盖等の物を賜ふ。》
冬十二月に、諸寺に佛像をゑがかしめ荘嚴せんが爲に、黄文きふみの畫師・山背の畫師・簀秦すゞはだの畫師・河内の畫師・ならの畫師等を定む。其の課をゆるして、永き名業と爲す。
【漢文エディタ原文】
三十三 十二年甲子春正月ニ、始テ賜フ 2( 冠位ヲ )1 。各有リ^|差(しな)。
夏四月ニ、太子|肇(はじ)メテ製シタマフ 2( 憲法十七條ヲ )1 。手カラ書シテ奏ス^之ヲ。其ノ状ニ云ク、
一ニハ曰ク、以テ^|和(やはらぎ)ヲ爲シ^貴シト、旡ヲ^|忤(さか)フコト爲ス^|宗(むね)ト。人皆ナ有リ^黨。亦|少(まれ)ナリ 2( 逹スル|者(もの) )1 。是ヲ以テ或ハ不^順ゼ 2( 君父ニ )1 、【|乍(たちま)チニ】〈NOTE とく。また。 〉違フ 2( 于鄰里ニ )1 。然レドモ、|上(かみ)和ゲバ下睦マシ。|諧(かな)フトキハ 2( 於論フニ )1^事ヲ、則事ノ|理(ことわり)自ラ通ズ。何事カ不ン^成ラ。
二曰、|篤(あつ)ク敬ヘ 2( 三寳ヲ )1 。三寳ト|者(いぱ)佛法僧也。則チ四生ノ之終歸、万國ノ之極|宗(そう)ナリ。何ヅレノ世、|何(た)レノ人カ非ラン^貴マ 2( 是ノ法ヲ )1 。人|鮮(すくな)シ 2( 尤惡ナルハ )1 。能ク教レバ從フ^之ニ。其レ不ンバ^歸セ 2( 三寳ニ )1 、何ヲ以カ|直(たゞ)サン^枉レルヲ。
三曰、承テハ^詔ヲ必ズ謹シメ。|則(のと)リ 2( 君ヲバ天ニ )1 之、則ル 2( 臣ヲバ地ニ )1 之。天|覆(をゝ)イ地|載(の)ス。四時順行シ、万氣|得(う)^通ズルコトヲ。地欲スルトキハ^覆ハント^天ヲ、則致ス^壊レヲ|耳(のみ)。是ヲ以テ君|言(の)タマハヾ、臣承ハレ。上行ナヘバ下|效(なら)ウ。故ニ承テハ^詔ヲ、必ズ慎シメ。不レバ^謹シマ|自(をのづか)ラ敗ル。
四曰、群卿|百(はく)僚ハ以テ^礼ヲ爲ス^本ト。其レ治ムル^民ヲ之本ト要ス在リ 2( 于礼ニ )1 。上不レバ^礼セ下不^|斉(とゝの)ヲラ。下旡レバ^礼、以必ズ有リ^罪。是ヲ以テ君臣有トキハ^礼、位次不^乱ラ。百姓有トキハ^礼、國家|自(をのづか)ラ治ル。
五曰、絶チ^|餮(てつ)ヲ棄テヽ^欲ヲ、明ニ辨ヘヨ 2( 訴訟ヲ )1 。其レ百姓ノ之訟ヘハ一日千事アリ。一日スラ尚ホ尓リ、况ヤ累歳ヲヤ。須イ- 2( 治ムル訟ヲ )1 |者(もの)ハ、得ルヲ^利ヲ爲ス^常ト。見テハ^|賄(まいない)ヲ|聽(ゆる)ス^|(ことはり)ヲ。便チ有ルモノヽ^財之訟ヘハ如シ 2( 石ヲ|投(な)グルガ )1^水ニ。乏シキ者ノ訴ヘハ似タリ 2( 水ヲ|投(う)クニ )1^石ニ。是ヲ以テ貧シキ民ハ、則不^知ラ^所ヲ^由ン。臣ノ道モ亦於^|焉(こゝ)ニ|闕(か)ケヌ。
六曰、|懲(こ)ラシメ^惡ヲ勸ムトキハ^善ヲ、古ヘノ之|良典(らうてん)ナリ。是ヲ以テ旡ク^|匿(かく)スコト 2( 人ノ善ヲ )1 、見テハ^惡ヲ必ズ|匡(たゞ)セ。其レ諂|詐(さ)ノ|者(もの)ハ、則|爲(た)リ 2{ |覆(くつが)ヘス 2( 國家ヲ )1 之利器 }1 。爲リ 2{ |絶(た)ツ 2( 人民ヲ )1 之鋒劔 }1 。亦佞媚ノ|者(もの)ハ【對シテ】〈NOTE むかつては 〉^上ニ、則好デ説キ 2( 下ノ|過(とが)ヲ )1 、逢フテハ^下ニ則誹- 2( 謗ス上ノ|失(あやまち)ヲ )1 。其レ如キラノ^此ノ人ハ皆無ク 2( 忠於君ニ )1 、無シ 2( 仁於民ニ )1 。是レ大ナル乱ノ|本(もとい)|也(なり)。
七曰、人各有リ 2( |任(よ)サシ掌ドルコト )1 。冝ク _シ_ ^|不(ざ)ル^|濫(みだりがは)シクセ^其レ。賢|哲(てつ)【|任(じん)】〈NOTE にん 〉ズルトキハ^官ニ、|頌音(しよういん)則起ル。姦者在トキハ^官ニ禍乱則繁シ。世ニ|少(まれ)ナリ 2( |生(せい)知 )1 。|克(よ)ク|念(をも)テ作ル^|(せい)ト。事ニ旡ク 2( 大小ト )1 、得テ^人ヲ必ズ治マル。時ニ旡シ 2( 急緩ト )1 、遇テ^賢ニ|自(をのづか)ラ|寛(ゆた)カナリ。因テ^此レニ國家永久ニシテ社|稷(しよく)|勿(な)シ^危コト。故ニ古ヘノ王ハ爲ニ^官ノ以テ求メツ^人ヲ、爲ニ^人ノ不^求メ^官ヲバ。
八曰、群卿|百僚(はくれう)ハ早ク|朝(まい)テ|晏(をそ)ク|退(まかん)デヨ。王事|靡(な)シ^|(もろ)イコト。|終日(ひねもす)ニ難シ^盡キ。是ヲ以テ遲ク|朝(まい)ルトキハ不^|逮(をよ)バ 2( 于|急(ときこと)ニ )1 、早ク|退(まかん)ズルトキハ必ズ事不^盡サ。
九曰、信ハ是レ義ノ|本(もとい)ナリ。毎ニ^事有レ^信。其レ善惡ノ成敗ハ要ス在リ 2( 于信ニ )1 。群臣共ニ信アラバ、何事カ不ン^成ラ。群臣無トキハ^信、万事悉ク敗ル。
十曰、絶チ^忿ヲ棄テヽ^瞋ヲ、不レ^怒ラ 2( 人ノ|違(さか)ヘルヲ )1 。人|皆(みな)有リ^心。心各有リ^|執(しう)。彼レ是ナルトキンバ則我レ非ナリ。我レ是ナルトキハ則彼レ非ナリ。我レ必シモ非ズ^聖ニ、彼レ必シモ非ズ^愚ニ。共ニ是凡夫ノミ耳。是非之|理(ことわり)|(たれ)カ能ク可ケン^定ム。相共ニ賢愚ナルコト、如シテ^|環(たまき)ノ無シ^|端(はし)。是ヲ以テ彼ノ人ハ雖モ^|瞋(いか)ルト還ヘテ恐レヨ 2( 我ガ|失(あやまち)ヲ )1 。我レ独リ雖モ^得タリト從テ^|衆(もろ/\)ニ同ク|擧(をこな)ヘ。
十一曰、明ニ|察(み)テ 2( 功過ヲ )1 、賞罰必ズ|當(あ)テヨ。|日(ひ)ゴロハ者賞モ不^|在(をい)テセ^功ニ、罸モ不^在テセ^罪ニ。執ル^事ヲ群卿冝ク _シ_ ^明ニス 2( 賞罰ヲ )1 。
十二曰、國ノ|司(つかさ)・國ノ|造(みやつこ)勿レ^斂スルコト 2( 百姓ヲ )1 。國ニ|靡(な)ク 2( 二リノ君 )1 民ニ旡シ 2( 兩リノ|主(あるじ) )1 。率土ノ|兆(てう)民ハ以テ^|王(きみ)ヲ爲ス^|主(あるじ)ト。所ノ^|任(よさ)ス官司ハ皆是レ王臣ナリ。何ゾ|敢(あ)ヘテ|与(とも)ニ^|公(をゝやけ)ト|賦- 2( 斂(ふれん)セン百姓ヲ )1 。
十三曰、|諸(もろ/\)任ズル^官ニ|者(もの)ハ同ク知ベシ 2( 職掌ヲ )1 。或ハ病シ或ハ使シテ有リ^闕コト 2( 於事ニ )1 。然レドモ得ン^|知(し)ルコトヲ^之ヲ日ハ和スルコト如クセヨ 2( |曽識(むかししれる)ガ )1 。其レ以テ^非ルヲ 2( |與(あづか)リ|聞(き)クニ )1 、勿レ^妨グルコト 2( 公務ヲ )1 。
十四曰、群臣百僚ハ無レ^有コト 2( 嫉妬 )1 。我レ既ニ|嫉(そね)メバ^人ヲ、人亦|妬(ねた)ム^我ヲ。嫉妬之患ヘ不^知ラ 2( 其ノ極リヲ )1 。所以ニ|勝(すぐ)レタルトキハ 2( 智於己レニ )1 、則不^悅コビ、|優(まさ)ルトキハ 2( 才於己レニ )1 、則嫉妬ス。是ヲ以テ|五百歳(いをとせ)ノ之後ニシテ、|乃今(いまし)|遇(あ)イ^賢ニ、|千載(ちとせ)ニシテモ以テ難シ^待チ 2( 一リノ|聖(せい)ヲ )1 。其レ不ンバ^得 2( 賢聖ヲ )1 、何ヲ以カ治メン^國ヲ。
十五曰、|背(そむ)キテ^私ヲ向ハ^|公(をゝやけ)ニ、是レ臣ノ之道ナリ矣。凡ソ人有レバ^私必ズ有リ^恨ミ。有レバ^恨必ズ|非(ず)^|固(とゝのを)ラ。|非(ざ)レバ^固ラ、則以テ^私ヲ|妨(さまた)グ^公ヲ。恨ミ起ルトキハ則|違(い)シ^制ニ害ス^|法(はう)ヲ。故初ノ|章(くだり)ニ云フ上下和ギ|睦(とゝのを)ルトイヘルハ其レ亦是ノ|情(こゝろ)
十六曰、|使(つか)フニ^民ヲ以ストイハ^時ヲ、古ノ之良典ナリ。故冬ノ月ハ有リ^|間(ひま)、以テ可シ^使フ^民ヲ。從リ^春至マデ^秋ニ農桑ノ之|節(とき)ナリ。不^可カラ^使フ^民ヲ。其レ不ンバ^|農(なりはい)セ何ヲカ|食(しい)シ、不ンバ^|桑(くはと)ラ何ヲカ|服(き)ン。
十七曰、大事ヲバ不^可カラ 2( 獨リ【|断(ことは)ル】〈NOTE さだむ 〉 )1 。必ズ|与(とも)ニ^|衆(もろ/\)ト冝ク _シ_ ^|論(あげつ)ラウ。小事ハ是レ輕シ。不^可カラ 2( 必ズシモ衆トス )1 。唯|逮(をよ)ンデ^論フニ 2( 大事ヲ )1 、若シ疑フ^有ラント^失チ。故ニ|与(とも)ニ^衆ト相|辨(わきま)フルトキ、|辞(ことば)則得ン^理ヲ矣。
天皇大ニ悅デ、群臣各|写(うつ)シ 2( 一本ヲ )1 、讀ミ- 2( 傳フ天下ニ )1 。天下大ニ悅ブ。
秋七月ニ、改メテ 2( |朝(みかど)ノ禮ヲ )1 、因以テ詔シテ曰ク、凡ソ出- 2( 入センニハ宮門ヲ )1 、以テ 2( 兩ノ手ヲ )1 押シ^地ヲ兩ノ|脚(あし)ヲ|跪(ひざまづ)イテ越ヘヨ^|閾(とじきみ)ヲ。
八月ニ、太子謂テ 2( 秦ノ|造(みやつこ)川勝ニ )1 曰ク、吾レ|昨夜(きのふのよ)夢ラク、北ノカタ去テ 2( 五六里ヲ )1 到ル 2( 一ツノ美|邑(をう)ニ )1 。楓ノ林太ダ香ハシ。於 2( 此林ノ|下(もと)ニ )1 、汝|率(ひき)イテ 2( 親|族(しよく)ヲ )1 、|饗(きやう)スルコト^吾レヲ太ダ|盛(さかん)ナリト。吾レ今【將ニ _ト_ ^|徃(ゆ)カント】〈NOTE 將に徃かんとをもふと 〉。川勝頓首シテ啓シテ曰サク、臣ガ|邑(いう)|恰(あたか)モ如シ 2( 御夢ノ )1 。即日ニ命ジテ^駕ニ川勝先導ス。其ノ|夕(よ)宿シタマフ 2( 泉河ノ北ノ|頭(ほとり)ニ )1 。謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、吾レ死シテ後二百五十年ニ、有テ 2( 一ノ釋氏 )1 、修行シ崇メ^道ヲ、|建(た)テン 2( 寺於此ノ地ニ )1 。此ノ釋氏非ジ^佗ニ、是レ吾ガ後身ノ之一躰ナラン也。其ノ弟子|等(ら)尊トミ^法ヲ傳ヘ^燈ヲ、末法ノ之初メ佛教|繁(はん)興セン。
明ル日、|届(いた)テ 2( 于|兎途(うぢ)橋ニ )1 、川勝ガ眷属|(げん)服騎馬シテ迎ヘ 2( 橋ノ|頭(ほとり)ニ )1 、|溢(み)チ- 2( |滿(み)テリ道ノ中ニ )1 。太子謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、|漢(あや)人ノ親|族(しよく)其ノ家冨饒ニシテ、亦|手(てづか)ラ|織(を)リ^|絹(けん)ヲ衣服美|研(けん)ナリ。是レ國家ノ之|寳(たから)也。到テ 2( 于木ノ|郡(こほり)ニ )1 、川勝ガ眷属各|献(たてまつ)ル 2( |清(せいよう)ヲ )1 。|陪從(べいじう)・|輿(よたい)ヨリ|已上(かみつかた)二百ツ|許(きよ)人皆悉ク醉イ|飽(あ)キヌ。太子大ニ悅デ其ノ日臨テ 2( 楓野ノ|大(をゝ)堰ニ )1 而宿シタマフ。造ルコト 2( |假(かり)ノ宮ヲ於|蜂岡(はちをか)ノ之|下(ふもと)ニ )1 、不日ニシテ而了ヌ。
太子|御(いま)シテ^之ニ謂テ 2( 侍從ニ )1 曰ク、吾レ|相(み)ルニ 2( 此ノ地ヲ )1 、國ノ之秀ナリ也。南ハ|開(あ)キ北ハ|塞(ふさ)ガル。|陽(あきら)カニ^南ハ|陰(くら)シ^北ハ。河|徑(わた)ル 2( 其ノ|前(まへ)ニ )1 。東ニ流レテ成ス^順ヲ。髙|嶽(がく)ノ之|上(うへ)ニ龍|爲(な)シテ 2( |窟(くつ)宅ヲ )1 、常ニ臨テ擁護ス。東ニ|有(いま)ス 2( 嚴神 )1 、西ニ仰グ 2( |猛霊(まうれい)ヲ )1 。三百歳ノ後、有テ 2( 一リノ|聖皇(せいわう) )1 再タビ|遷(うつ)シテ成サン^都ヲ。興- 2( 隆シテ釋典ヲ )1 、苗胤相續シテ|不(じ)^|墜(を)トサ 2( |舊(きうき)ヲ )1 。故吾レ感ジテ 2( 夢相ニ )1 、今遊ブ 2( 此處ニ )1 。|停(とゞ)マルコト十日アツテ乃|旋(かへ)リタマフ 2( 于宮ニ )1 。始テ^自リ 2( 此ノ時 )1 、|或(あるとき)ハ年ノ中ニ再タビ三タビ、或ハ|隔(へだ)テヽ 2( 一兩歳ヲ )1 不シテ^|俟(ま)タ^駕ヲ而|行(ゆ)キタマヒ、復タ|調(とゝの)ヘテ^儀ヲ而駕シタマフ。稱ス 2( |楓野(かつらの)ノ之|別宮(みや)ト )1 。《後ニ以テ^宮ヲ爲シテ^寺ト賜フ 2( 川勝ノ|造(みやつこ)ニ )1 。并ニ賜フ 2( 寺ノ|前(まへ)ノ水田卅町・寺ノ後ノ山野六十町ヲ )1 。又賜フ 2( 新羅ノ王ノ献ズル佛像・幡盖等ノ物ヲ )1 。》
冬十二月ニ、爲ニ 2{ |繪(ゑが)カシメ 2( 諸寺ニ佛像ヲ )1 荘嚴センガ }1 、定ム 2( |黄文(きふみ)ノ畫師・山背ノ畫師・|簀秦(すゞはだ)ノ畫師・河内ノ畫師・|楢(なら)ノ畫師等ヲ )1 。|免(ゆる)シテ 2( 其ノ|戸(こ)課ヲ )1 、永キ爲ス 2( 名業ト )1 。

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【本文】
三十四 十三年乙丑、天皇常レテ太子妙説、遂タマヒ佛法不可思議ナルコトヲをこシテ大誓願ジテたくみ鞍部くらべ《又云鞍作》、造タマフしうトノ丈六各一。是時髙麗げう王貢丈六分黄金三百兩。太子大シテ天皇あつむくイタマフ
秋七月、太子奏議シテジテヘノ王臣、令しう
冬十月、太子遷リタマフ于班鳩。《太子はじめシタマフ。因上宮。今班鳩上宮、是也。》拜別シタマフトキ天皇埀、朕雖リト人主たゞたのンデ皇太子、天下万機日夕くだをこななんぢレナバ斑鳩、朕所ナリこゝろよカラ。太子辞謝シテシテタマハク、雖フトモスト別宅、臣何レタテマツラン宿衛之もと。天皇大。太子此ヨリ後、あした驪駒【朝】〔注丨まいつて〕政事まつりごとレバ即還リタマフ。日日ひま。時人異トス
【原注】
○ 朝丨まいつて 
【白文】
三十四十三年乙丑、天皇常納太子妙説、遂知佛法不可思議、發大誓願命佛工鞍部鳥《又云鞍作鳥》、造銅丈六各一。是時髙麗大興王貢丈六分黄金三百兩。太子大悅奏天皇厚以荅之。
秋七月、太子奏議命諸王臣等、令着褶。
冬十月、太子遷于班鳩宮。《太子元居宮南。因爲上宮。今謂班鳩宮猶爲上宮、是也。》拜別天皇埀涙曰、朕雖爲人主、唯憑皇太子、天下万機日夕下行。子遠別斑鳩、朕所不快。太子辞謝奏曰、雖居別宅、臣何以敢離宿衛之下。天皇大悅賜宴賜禄。太子此後、旦騎驪駒朝奏、政事竟即還宮。日日旡間。時人異之。
【書き下し文】
三十四 十三年乙丑、天皇常に太子の妙説にれて、遂に佛法の不可思議なることを知たまひ、大誓願ををこして佛のたくみ鞍部くらべの鳥に命じて《又鞍作の鳥と云ふ》、銅としうとの丈六各一を造たまふ。是時に髙麗の大げう王丈六分の黄金三百兩を貢る。太子大に悅て天皇に奏してあつく以て之にむくいたまふ。
秋七月に、太子奏議して諸への王臣に命じて、しうけしむ。
冬十月に、太子于班鳩の宮に遷りたまふ。《太子はじめ宮の南に居したまふ。因て上宮と爲す。今班鳩の宮をて猶し上宮とる、是れ也。》拜別したまふとき天皇涙を埀て曰く、朕人主りと雖も、たゞ皇太子をたのんで、天下の万機日夕にくだをこなふ。なんぢ遠く斑鳩に別れなば、朕こゝろよからざる所なり。太子辞謝して奏して曰たまはく、別宅に居すと雖ふとも、臣何を以か敢て宿衛之もとを離れたてまつらん。天皇大に悅で宴を賜い禄を賜ふ。太子此より後、あしたに驪駒にて朝奏し、政事まつりごと竟れば即宮に還りたまふ。日日にひま旡し。時の人之を異とす。
【漢文エディタ原文】
三十四 十三年乙丑、天皇常ニ|納(い)レテ 2( 太子ノ妙説ニ )1 、遂ニ知タマヒ 2( 佛法ノ不可思議ナルコトヲ )1 、|發(をこ)シテ 2( 大誓願ヲ )1 命ジテ 2( 佛ノ|工(たくみ)|鞍部(くらべ)ノ鳥ニ )1 《又云フ 2( 鞍作ノ鳥ト )1 》、造タマフ 2( 銅ト|(しう)トノ丈六各一ヲ )1 。是時ニ髙麗ノ大|興(げう)王貢ル 2( 丈六分ノ黄金三百兩ヲ )1 。太子大ニ悅テ奏シテ 2( 天皇ニ )1 |厚(あつ)ク以テ|荅(むく)イタマフ^之ニ。
秋七月ニ、太子奏議シテ命ジテ 2( 諸ヘノ王臣|等(ら)ニ )1 、令ム^|着(つ)ケ^|褶(しう)ヲ。
冬十月ニ、太子遷リタマフ 2( 于班鳩ノ宮ニ )1 。《太子|元(はじめ)居シタマフ 2( 宮ノ南ニ )1 。因テ爲ス 2( 上宮ト )1 。今|謂(い)テ 2( 班鳩ノ宮ヲ )1 猶シ|爲(す)ル 2( 上宮ト )1 、是レ也。》拜別シタマフトキ天皇埀テ^涙ヲ曰ク、朕雖モ^|爲(た)リト 2( 人主 )1 、|唯(たゞ)|憑(たの)ンデ 2( 皇太子ヲ )1 、天下ノ万機日夕ニ|下(くだ)シ|行(をこな)フ。|子(なんぢ)遠ク別レナバ 2( 斑鳩ニ )1 、朕所ナリ^不ル^|快(こゝろよ)カラ。太子辞謝シテ奏シテ曰タマハク、雖フトモ^居スト 2( 別宅ニ )1 、臣何ヲ以カ敢テ離レタテマツラン 2( 宿衛之|下(もと)ヲ )1 。天皇大ニ悅デ賜イ^宴ヲ賜フ^禄ヲ。太子此ヨリ後、|旦(あした)ニ|騎(の)テ 2( 驪駒ニ )1 【朝】〈NOTE まいつて 〉奏シ、|政事(まつりごと)竟レバ即還リタマフ^宮ニ。日日ニ旡シ^|間(ひま)。時ノ人異トス^之ヲ。

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【本文】
三十五 十四年丙寅春三月、太子いまシテ斑鳩、忽ジテしい、而望平群、謂左右なんうるはシキ。三百歳帝皇。平群神手臣聞太子ミタマヘルヲ也、驚愕をどろイテ-をの之親族、相迎ヘテ再拜、聊にへ。命ジテ神手、吾シテ佛法殺生。汝ところズルムニ。冝シト 菓子・美華而來。神手ひきイテ族人やからびと、爭雜花ざつげ。近たてまつルニ輿みこしまへ、太子咒願こと。神手臣等再拜スルコト兩段リシテ、逡巡トシリゾイテまかん。復望勢夜、謂左右、此むら氣。望區德くど、三百歳帝皇、出ルコト平群。又有さう之氣
夏四月、丈六佛像二エタテマツル于元興寺。太子とゝのヘテヘテ先導。時佛像高クシテ於金堂ヨリ、以不コトヲ。於こゝヘノたくみシテサク、破レタテマツラン。然鞍作とりひでタルニシテ、以シテタリコトヲ。設於斎セリ。此於寺五色美雲、覆佛堂いらか。此夜丈六佛像放チタマフコト光明數度なか一度シテかゞや内外。太子奏シテ、自、毎四月八日・七月十五日ケヨ。五月、太子奏シテシテたくみ之功、賜大仁位并近江坂田郡水田廿町
秋七月、天皇詔シテ太子、諸佛所説諸經ハリヌ。然勝鬘經未ニセ。冝シク まへ-シタマフ。太子辞スラク、臣このごまさセント。思フニ義理まさ通逹。伏シテミレバ、五六日アツテ しゆ師子。天皇荅敕シテ、試、令ヘノ名僧・大德ヲシテ妙義。太子受天皇、其よそをシテ、三日アツテ而竟。講竟ヌル之夜、蓮花。花二三尺ニシテテリほう三四丈之地。明あした。天皇大トシテ車駕みゆきシテみそなハシタマフ。即於テタマフ寺堂。《是橘樹寺也。》
天皇復敕シテ太子、法華經者如來妙義也。冝 亦講説シタマフ。太子謹、亦如シテタマフ於岡もと。王子・大臣・大夫已トイフコト信受。天皇ひきイテ命婦めいふ〔注丨みやうぶ〕已下、亦以みそなハシタマフ。七日アツテ而竟。天皇大、以播磨國水田三百六十町太子。因法隆寺。《此宮同シテもとい之西也。》後イテ中宮寺。《此はし穴太あなほ皇后之宮也。》皇后崩ジタマヒテ後、。二けん經太子略シテ。未流通。高麗慧慈法師已下各在講塲イタテマツル其所一レタマフ。太子取捨シテかなヘシム正理。自究竟之志。後シタマイ
【原注】
命婦めいふ丨みやうぶ 
【白文】
三十五十四年丙寅春三月、太子在斑鳩宮、忽命駕徃椎坂北岡、而望平群里、謂左右曰、那地躰麗。三百歳後有帝皇氣。平群神手臣聞太子近臨也、驚愕召集己之親族、相迎再拜、聊献贄物。命神手臣曰、吾歸佛法不好殺生。汝之所献非吾好。冝取菓子・美華而來。神手臣率己族人、爭擎雜花。近進輿前、太子拍手受賜咒願言。神手臣等再拜兩段、逡巡而罷。復望勢夜里、謂左右曰、此邑旡氣。望區德里曰、三百歳後有帝皇、出在平群後。又有臣相之氣。
夏四月、丈六佛像二造竟居于元興寺。太子備儀迎先導。時佛像高於金堂戸、以不得納堂。於是諸工人等議曰、破堂戸而納之。然鞍作鳥秀工、以不壊戸得入堂。設於斎大會。此夕於寺有五色美雲、覆佛堂之甍。此夜丈六佛像放光明數度之中一度如火映内外。太子奏曰、自此年始、毎四月八日・七月十五日設斎。五月、太子奏賞佛工鳥之功、賜大仁位并近江坂田郡水田廿町。
秋七月、天皇詔太子曰、諸佛所説諸經演竟。然勝鬘經未具其説。冝於朕之前講説其義。太子辞奏、臣頃將製疏。思其義理、適未通逹。伏念、五六日至旬時乃應握麈尾登師子座。天皇荅敕、試講、令諸名僧・大德問其妙義。太子受天皇請、其儀如僧、三日而竟。講竟之夜、蓮花零。花長二三尺而溢方三四丈之地。明旦奏之。天皇大竒、車駕而覽之。即於其地誓立寺堂。《是今橘樹寺也。》
天皇復敕太子曰、法華經者如來妙義也。冝亦講説。太子謹受、亦如僧儀説於岡基宮。王子・大臣・大夫已下莫不信受。天皇率命婦已下、亦以聞看。七日而竟。天皇大悅、以播磨國水田三百六十町施太子。因以納法隆寺。《此寺与宮同基在宮之西也。》後割納中宮寺。《此寺間人穴太部皇后之宮也。》皇后崩後、爲寺。二件經太子略製義。未有流通。高麗慧慈法師已下各在講塲諮其所得。太子取捨合其正理。自此始有究竟之志。後年製畢。
【書き下し文】
三十五 十四年丙寅春三月に、太子斑鳩の宮にいまして、忽に駕に命じてしい坂の北の岡に徃て、而平群の里を望て、左右に謂て曰く、なんぞ地の躰うるはしき。三百歳の後に帝皇の氣有り。平群の神手の臣太子の近く臨みたまへるを聞て也、驚愕をどろいてをのが之親族を召し集め、相迎へて再拜し、聊かにへ物を献る。神手の臣に命じて曰く、吾れ佛法に歸して殺生を好まず。汝の之献ずるところ吾が好むに非ず。冝く菓子・美華を取て來るべしと。神手の臣己が族人やからびとひきいて、爭て雜花ざつげを擎ぐ。近く輿みこしまへたてまつるに、太子手をて受て咒願のことを賜ふ。神手臣等再拜すること兩段りして、逡巡としりぞいてまかんぬ。復勢夜の里に望て、左右に謂て曰く、此のむらは氣旡し。區德くどの里に望て曰く、三百歳の後に帝皇有て、出ること平群の後に在ん。又臣さう之氣有り。
夏四月に、丈六の佛像二造り竟て于元興寺にえたてまつる。太子儀をとゝのへて迎へて先導す。時に佛像於金堂の戸より高くして、堂に以納ことを得ず。於こゝに諸へのたくみ議して曰さく、堂の戸を破て之をれたてまつらん。然に鞍作のとりひでたる工にして、以て戸を壊らずして堂に入ことを得たり。於斎を設て大に會せり。此の於寺に五色の美雲有て、佛堂の之いらかに覆ふ。此の夜丈六の佛像光明を放ちたまふこと數度の之なかに一度は火の如して内外にかゞやく。太子奏して曰く、此の年より始て、四月八日・七月十五日毎に斎を設けよ。五月に、太子奏して佛のたくみ鳥が之功を賞して、大仁の位并に近江の坂田の郡水田廿町を賜ふ。
秋七月に、天皇太子に詔して曰く、諸佛所説の諸經はりぬ。然に勝鬘經未だ其の説を具にせず。冝しく朕が之まへに於て其の義を講説したまふべし。太子辞し奏すらく、臣このごまさに疏を製せんとす。其の義理を思ふに、まさに未だ通逹せず。伏して念みれば、五六日あつて旬の時に至て乃ち應にしゆ尾をて師子の座に登るべし。天皇荅敕して、試し講じ、諸への名僧・大德をして其の妙義を問はしむ。太子天皇の請を受て、其のよそをい僧の如して、三日あつて竟ぬ。講竟ぬる之夜、蓮花る。花の長さ二三尺にしてほう三四丈之地にてり。明るあした之を奏す。天皇大に竒として、車駕みゆきして之をみそなはしたまふ。即其の地に於て誓て寺堂を立てたまふ。《是れ今の橘樹寺也。》
天皇復太子に敕して曰く、法華經は如來の妙義也。冝く亦講説したまふべし。太子謹で受て、亦僧の儀の如して於岡もとの宮に説たまふ。王子・大臣・大夫已信受せずといふこと莫し。天皇命婦めいふ已下をひきいて、亦以みそなはしたまふ。七日あつて竟ぬ。天皇大に悅て、播磨の國水田三百六十町を以て太子に施す。因て以法隆寺にる。《此の寺は宮ともといを同して宮の之西に在り也。》後にいて中宮寺にる。《此の寺ははし人の穴太あなほ部の皇后の之宮也。》皇后崩じたまひて後、寺とす。二けんの經太子略して義を製す。未だ流通有らず。高麗の慧慈法師已下各講塲に在て其得たまふ所をいたてまつる。太子取捨して其の正理にかなへしむ。此れより始て究竟の之志有り。後の年に製したまい畢ぬ。
【漢文エディタ原文】
三十五 十四年丙寅春三月ニ、太子|在(いま)シテ 2( 斑鳩ノ宮ニ )1 、忽ニ命ジテ^駕ニ徃テ 2( |椎(しい)坂ノ北ノ岡ニ )1 、而望テ 2( 平群ノ里ヲ )1 、謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、|那(なん)ゾ地ノ躰|麗(うるは)シキ。三百歳ノ後ニ有リ 2( 帝皇ノ氣 )1 。平群ノ神手ノ臣聞テ 2( 太子ノ近ク臨ミタマヘルヲ )1 也、|驚愕(をどろ)イテ召シ- 2( 集メ|己(をの)ガ之親族ヲ )1 、相迎ヘテ再拜シ、聊カ献ル 2( |贄(にへ)物ヲ )1 。命ジテ 2( 神手ノ臣ニ )1 曰ク、吾レ歸シテ 2( 佛法ニ )1 不^好マ 2( 殺生ヲ )1 。汝ノ之|所(ところ)^献ズル非ズ 2( 吾ガ好ムニ )1 。冝ク _シト_ 2{ 取テ 2( 菓子・美華ヲ )1 而來ル }1 。神手ノ臣|率(ひき)イテ 2( 己ガ|族人(やからびと)ヲ )1 、爭テ擎グ 2( |雜花(ざつげ)ヲ )1 。近ク|進(たてまつ)ルニ 2( |輿(みこし)ノ|前(まへ)ニ )1 、太子|拍(う)テ^手ヲ受テ賜フ 2( 咒願ノ|言(こと)ヲ )1 。神手臣等再拜スルコト兩段リシテ、逡巡トシリゾイテ而|罷(まかん)ヌ。復望テ 2( 勢夜ノ里ニ )1 、謂テ 2( 左右ニ )1 曰ク、此ノ|邑(むら)ハ旡シ^氣。望テ 2( |區德(くど)ノ里ニ )1 曰ク、三百歳ノ後ニ有テ 2( 帝皇 )1 、出ルコト在ン 2( 平群ノ後ニ )1 。又有リ 2( 臣|相(さう)之氣 )1 。
夏四月ニ、丈六ノ佛像二造リ竟テ|居(す)エタテマツル 2( 于元興寺ニ )1 。太子|備(とゝの)ヘテ^儀ヲ迎ヘテ先導ス。時ニ佛像高クシテ 2( 於金堂ノ戸ヨリ )1 、以不^得^納コトヲ^堂ニ。於|是(こゝ)ニ諸ヘノ|工(たくみ)人|等(ら)議シテ曰サク、破テ 2( 堂ノ戸ヲ )1 而|納(い)レタテマツラン^之ヲ。然ニ鞍作ノ|鳥(とり)ノ|秀(ひで)タル工ニシテ、以テ不シテ^壊ラ^戸ヲ得タリ^入コトヲ^堂ニ。設テ 2( 於斎ヲ )1 大ニ會セリ。此ノ|夕(よ)於寺ニ有テ 2( 五色ノ美雲 )1 、覆フ 2( 佛堂ノ之|甍(いらか)ニ )1 。此ノ夜丈六ノ佛像放チタマフコト 2( 光明ヲ )1 數度ノ之|中(なか)ニ一度ハ如シテ^火ノ|映(かゞや)ク 2( 内外ニ )1 。太子奏シテ曰ク、自リ 2( 此ノ年 )1 始テ、毎ニ 2( 四月八日・七月十五日 )1 設ケヨ^斎ヲ。五月ニ、太子奏シテ賞シテ 2( 佛ノ|工(たくみ)鳥ガ之功ヲ )1 、賜フ 2( 大仁ノ位并ニ近江ノ坂田ノ郡水田廿町ヲ )1 。
秋七月ニ、天皇詔シテ 2( 太子ニ )1 曰ク、諸佛所説ノ諸經|演(の)ベ|竟(を)ハリヌ。然ニ勝鬘經未ダ^具ニセ 2( 其ノ説ヲ )1 。冝シク _シ_ 2{ 於テ 2( 朕ガ之|前(まへ)ニ )1 講- ┤説シタマフ其ノ義ヲ }1 。太子辞シ奏スラク、臣|頃(このご)ロ|將(まさ)ニ^製セント^疏ヲ。思フニ 2( 其ノ義理ヲ )1 、|適(まさ)ニ未ダ 2( 通逹セ )1 。伏シテ念ミレバ、五六日アツテ至テ 2( 旬ノ時ニ )1 乃チ應ニ _シ_ 2{ |握(と)テ 2( |麈(しゆ)尾ヲ )1 登ル ┤師子ノ座ニ }1 。天皇荅敕シテ、試シ講ジ、令ム 3( 諸ヘノ名僧・大德ヲシテ問ハ 2( 其ノ妙義ヲ )1 。太子受テ 2( 天皇ノ請ヲ )1 、其ノ|儀(よそを)イ如シテ^僧ノ、三日アツテ而竟ヌ。講竟ヌル之夜、蓮花|零(ふ)ル。花ノ長サ二三尺ニシテ而|溢(み)テリ 2( |方(ほう)三四丈之地ニ )1 。明ル|旦(あした)奏ス^之ヲ。天皇大ニ竒トシテ、|車駕(みゆき)シテ而|覽(みそな)ハシタマフ^之ヲ。即於テ 2( 其ノ地ニ )1 誓テ立テタマフ 2( 寺堂ヲ )1 。《是レ今ノ橘樹寺也。》
天皇復敕シテ 2( 太子ニ )1 曰ク、法華經ハ者如來ノ妙義也。冝ク _シ_ 2( 亦講説シタマフ )1 。太子謹デ受テ、亦如シテ 2( 僧ノ儀ノ )1 説タマフ 2( 於岡|基(もと)ノ宮ニ )1 。王子・大臣・大夫已|下(か)莫シ^不トイフコト 2( 信受セ )1 。天皇|率(ひき)イテ 2( 【|命婦(めいふ)】〈NOTE みやうぶ 〉已下ヲ )1 、亦以|聞(き)ヽ|看(みそな)ハシタマフ。七日アツテ而竟ヌ。天皇大ニ悅テ、以テ 2( 播磨ノ國水田三百六十町ヲ )1 施ス 2( 太子ニ )1 。因テ以|納(い)ル 2( 法隆寺ニ )1 。《此ノ寺ハ|与(と)^宮同シテ^|基(もとい)ヲ在リ 2( 宮ノ之西ニ )1 也。》後ニ|割(さ)イテ|納(い)ル 2( 中宮寺ニ )1 。《此ノ寺ハ|間(はし)人ノ|穴太(あなほ)部ノ皇后ノ之宮也。》皇后崩ジタマヒテ後、|爲(な)ス^寺ト。二|件(けん)ノ經太子略シテ製ス 2( 義ヲ )1 。未ダ^有ラ 2( 流通 )1 。高麗ノ慧慈法師已下各在テ 2( 講塲ニ )1 |諮(と)イタテマツル 2( 其所ヲ )1^得タマフ。太子取捨シテ|合(かな)ヘシム 2( 其ノ正理ニ )1 。自リ^此レ始テ有リ 2( 究竟ノ之志 )1 。後ノ年ニ製シタマイ畢ヌ。

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【本文】
三十六 十五年丁卯夏五月、太子奏シテ、臣之先身-シテ漢土セシ之經、今在衡山。望ラクハシテ使將來、比-センあやま之本。天皇大トシテ左之右之ともかくもランスルニたれキヤ使ハス乎。太子遍シテ百官之人、奏シテのたまハク、大禮小野臣妹子かなヘリ。秋七月、妹子於大隋。《或、以鞍作福利とよとし通事。》太子命ジテ妹子、大隋赤縣せきけんみなみ江南道うち衡州。州うち衡山。是南嶽也。《七代記、南嶽衡山衡州。其衡山五嶽之一数也。其ふう。一ニハ般若峯、二ニハ柱括ちうくわつ峯、三ニハ慧日峯、四ニハ祝融しふゆう峯、五ニハ紫盖峯等ナリ也。一々各有禅房静室。有思禅師、六タビジテ於此。一生各立一塔并一盤せき。其般若臺佛殿まへ。三般若臺するどナルなかれいアリ。異菓消梨タリ於千歳當時そのかみレバタル聖果ひと、其なしみの。思禅師まのあたイテ、其味甘美ニシテ世間たぐひ。大はちばかり。自しか已遠このかたまたノラ。思禅師臨なん/\とす旡常、於般若臺北方石室なかゲヲケリ法花經・鉢・錫杖。謂弟子、吾滅度、向旡佛法-セント衆生。至便嶽寺げんリテ素影そえいテリ。上足第子二人同時素影ナリ。其第子並ナリ。其リノ第子、一リヲバ、在天台山及荊州玉泉トノ兩寺。來去住持。一リヲバゆう、在南嶽衡山シキ也。もとシテ、倭州天皇ナリセル。自聖人遷シテ一レ于隋以下しもつかた、禅師調度スル金録畫像・佛肉舎利・玉典微言・香爐經臺・水びん錫杖・石鉢縄床アリ。松室けい殿未かたむシテ、衡山道場皆悉安置。今道俗瞻仰-。釋思禅師えん忌傳、南嶽衡山嶽寺。其般若臺・雙峯臺・紫盖臺・慧日臺・柱臺・華嚴臺・四禅臺・祝融臺・南臺・般若閣等二十餘所。各有衆僧、六時。伹思禅師居住嶽寺門人綿めん布衣ほい。思禅師臨命終、有人勸-シテ世間-シタマヘト衆生。禅師便荅、有十人綿もの。我亦センスルニ世間。今有一万餘衆生。皆艾布がいほものアリ。乃思禅師徒衆ナリ也。禅師自遷化シテ以來このかた、毎年遠忌不をこた。衡嶽山道塲有二十餘所。僧俗やゝをゝ。并衡州郭下くわつか、道俗山中五千以上。毎年雲ノゴトク忌日大齋法會。連々トシテ也。》山なか般若臺。登けいふもと。入コトしげなか三四許里、門臨ほとり。吾同法皆既遷化シテ唯有ノミ。汝冝 法服、稱シテをく上レ。復昔身セシ時所セシ法華經複シテセリ一巻。乞將來セヨ
妹子到かしこフテくにいた衡山。如太子ジタマヒシガ、入南溪ふもところほいほとり、有一沙弥之内となヘテ、念禅法師使びと到來セリト。有リノ老僧イテつへ而出。又有リノ老僧、相つゞイテ而出。相顧ミテふくゑみ。妹子三拜言語げんぎよ、書シテ。各をく法服。老僧書シテいは、念禅法師於かしこニハなにトカスル。妹子荅シテ、我本朝倭國也。在東海なか。相去ルコトとせ矣。いまいま聖德太子トイフ。無念禅法師トイフひとあが-佛道、流-妙義みづか諸經、兼シタマフ義疏。承令旨りやうじランセルふくセル法華經一巻。餘異事。老僧等大よろこンデジテ沙弥ラシム。須臾アテレテうるしはこ、而來妹子いは、是經并念禅法師之所ナリセシ也。念禅在こゝ-ものうみシテ讀經、睡而燒一點。僧等授、指南峯之上石塔のたまハク、彼レハ念禅遷化たう之塔ナリ也。于今三十六歳矣。妹子受ことばシテ而別。三リノ老僧各つゝンデはこむくイテをく。并封書はこ
年還たてまつ太子。太子大ひらはこみそなはスニ舎利三枚・めい香等。書ことば人不コトヲ。太子讀ながシテ。不。侍從驚あやシム
秋九月、太子奏シテ、衆生之命こと水田。水田もとい於池つゝみテハ亢旱かうかん、衆生うら。天もだシテ而知ハヒくだランコトヲ于國。望ラクハジテ諸國シテきづカン。天皇大シテ大臣ハシム
冬十月、やまと高市たけち池・藤原池・片岡かたをか池・すが池・三立池・山田池・つるぎ。山背みぞ栗隈くりくま。河内戸刈とかり池・依網よさみ池・大池・安宿やすかべ池等。遣シテ使諸國きづクコト大小。又毎國置タマフ屯倉みやけぐら。功竟上奏。天下無亢旱之うれへ、百姓有冨饒之うたへ
【原注】
【白文】
三十六十五年丁卯夏五月、太子奏曰、臣之先身修行漢土所持之經、今在衡山。望遣使將來、比所誤之本。天皇大竒左之右之依奏。誰合使乎。太子遍相百官之人、奏曰、大禮小野臣妹子合相。秋七月、妹子等遣於大隋。《或説曰、以鞍作福利爲通事。》太子命妹子曰、大隋赤縣之南江南道中有衡州。州中有衡山。是南嶽也。《七代記云、南嶽衡山属衡州。其衡山五五嶽之一数也。其山有五峯。一般若峯、二柱括峯、三慧日峯、四祝融峯、五紫盖峯等也。一々峯各有禅房静室。有思禅師、六生於此山修道。一生各立一塔并一盤石。其三石在般若臺佛殿前。三塔在般若臺南。尖山中霊仙。異菓消梨經於千歳。當時有得聖果者、其梨乃生。思禅師親喫此梨、其味甘美世間旡匹。大如鉢計。自尓已遠更未生子。思禅師臨將旡常時、於般若臺北方石室中、挙法花經・鉢盂・錫杖。謂弟子云、吾滅度後、向旡佛法処受身教化衆生。至今便嶽寺見有素影立堂。上足第子二人同時素影。其第子並是人。其二第子、一名智顗、在天台山及荊州玉泉兩寺。來去住持。一名智勇、在南嶽衡山修道也。碑下題云、倭州天皇彼所聖化。自聖人遷跡至于隋代以下、禅師調度金録畫像・佛肉舎利・玉典微言・香爐經臺・水瓶錫杖・石鉢縄床。松室桂殿未傾不朽、衡山道場皆悉安置。今代道俗瞻仰歸依之。釋思禅師遠忌傳云、南嶽衡山有嶽寺。其寺有般若臺・雙峯臺・紫盖臺・慧日臺・柱臺・華嚴臺・四禅臺・祝融臺・南臺・般若閣等二十餘所。各有衆僧、六時行道。伹思禅師居住嶽寺門人脱綿着布衣。思禅師臨命終時、有人勸請久住世間度脱衆生。禅師便荅、有十人脱綿者。我亦擬住世間。今有一万餘衆生。皆着艾布者。乃是思禅師徒衆也。禅師自遷化以來、毎年遠忌不廢。衡嶽山間道塲有二十餘所。僧俗稍衆。并及衡州郭下、道俗山中有五千以上。毎年雲集設忌日大齋法會。連々不絶也。》山中有般若臺。登自南溪下。入滋松中三四許里、門臨谷口。吾昔同法皆既遷化唯有三。汝冝以此法服、稱吾名而贈之。復吾昔身住其臺時所持法華經複爲一巻。乞受將來。
妹子到彼問彼土人遂届衡山。如太子命、入自南溪下。比到門側、有一沙弥在門之内唱云、念禅法師使人到來。有一老僧、策杖而出。又有二老僧、相續而出。相顧含歡。妹子三拜。言語不通、書地通意。各贈法服。老僧書地曰、念禅法師於彼何号。妹子荅曰、我本朝倭國也。在東海中。相去三年行矣。今有聖德太子。無念禅法師者。崇尊佛道、流通妙義、自説諸經、兼製義疏。承其令旨、取昔身所持複法華經一巻。餘無異事。老僧等大歡命沙弥取之。須臾取經納一漆篋、而來謂妹子曰、是經并篋念禅法師之所持也。念禅在此惰倦讀經、睡而燒經有一點處。僧等授經竟、指南峯之上一石塔曰、彼念禅遷化納骨之塔也。于今三十六歳矣。妹子受辞拜而別去。三老僧各物納一篋。荅而贈之。并有封書篋。
明年還來進太子。太子大悅披篋而看有舎利三枚・名香等。書辞人不得見之。太子讀竟垂涙投火。不識其故。侍從驚竒之。
秋九月、太子奏曰、衆生之命事據水田。水田之本在於池坡。儻當亢旱、衆生恨天。天黙而知禍降于國。望命諸國興民築池。天皇大悅敕大臣行。
冬十月、和國作高市池・藤原池・片岡池・菅原池・三立池・山田池・劔池。山背國掘大溝於栗隈。河内國作戸刈池・依網池・大津池・安宿池等。遣使諸國、築池隨國大小。又毎國置屯倉。功竟上奏。天下無亢旱之憂、百姓有冨饒之訟。
【書き下し文】
三十六 十五年丁卯夏五月、太子奏して曰く、臣が之先身に漢土に修行して持せし所の之經、今衡山に在り。望らくは使を遣して將來し、あやまる所の之本に比せん。天皇大にとして左之右之ともかくも奏するに依らん。たれか使はすきや乎。太子遍く百官の之人を相して、奏してのたまはく、大禮小野の臣妹子相にかなへり。秋七月に、妹子を於大隋に遣す。《或る説に曰く、鞍作の福利とよとしを以て通事と爲す。》太子妹子に命じて曰く、大隋の赤縣せきけんの之みなみ江南道のうちに衡州有り。州のうちに衡山有り。是れ南嶽也。《七代記に云く、南嶽の衡山は衡州に属す。其衡山は五は五嶽の之一数也。其の山に五ふう有り。一には般若峯、二には柱括ちうくわつ峯、三には慧日峯、四には祝融しふゆう峯、五には紫盖峯等なり也。一々の峯に各禅房静室有り。思禅師有て、六たび於此の山に生じて道を修す。一生に各一塔并に一盤せきを立つ。其の三の石は般若臺の佛殿のまへに在り。三の塔は般若臺の南に在り。するどなる山のなかれい仙あり。異菓の消梨於千歳をたり。當時そのかみ聖果を得たるひと有れば、其のなしみのる。思禅師まのあたり此の梨をいて、其の味甘美にして世間にたぐひ旡し。大さはちばかりのごとし。しかしより已遠このかたまた未だ生のらず。思禅師旡常になん/\とする時に臨て、般若臺北の方石室のなかに於て、法花經・鉢・錫杖をげをけり。弟子に謂て云く、吾れ滅度の後に、旡佛法の処に向て身を受て衆生を教化せんと。今に至て便ち嶽寺にげん素影そえい有りて堂に立てり。上足の第子二人同時の素影なり。其の第子並に是れ人なり。其の二りの第子、一りをば智と名け、天台山と及荊州の玉泉との兩寺に在り。來去住持す。一りをば智ゆうと名け、南嶽の衡山に在て道を修しき也。もとに題して云く、倭州の天皇は彼の聖の化せる所なり。聖人跡を遷してより于隋の代の以下しもつかたに至て、禅師の調度する金録の畫像・佛の肉舎利・玉典微言・香爐經臺・水びん錫杖・石鉢縄床あり。松室けい殿未だかたむかずちずして、衡山の道場皆悉く安置す。今の代の道俗瞻仰し之を歸依す。釋の思禅師えん忌傳に云く、南嶽の衡山に嶽寺有り。其の寺に般若臺・雙峯臺・紫盖臺・慧日臺・柱臺・華嚴臺・四禅臺・祝融臺・南臺・般若閣等の二十餘所有り。各衆僧有て、六時に道を行ず。伹し思禅師居住の嶽寺の門人は綿めんを脱て布衣ほいる。思禅師命終の時に臨て、人有て久く世間に住して衆生を度脱したまへと勸請す。禅師便荅す、十人の綿をもの有り。我亦世間に住するにせん。今一万餘の衆生有り。皆艾布がいほものあり。乃ち是れ思禅師の徒衆なり也。禅師遷化してより以來このかた、毎年遠忌をこたらず。衡嶽山の間に道塲二十餘所有り。僧俗やゝをゝし。并に衡州の郭下くわつかに及で、道俗山中に五千以上有り。毎年雲のごとく集て忌日の大齋法會を設く。連々として絶えず也。》山のなかに般若臺有り。南けいふもとより登る。しげき松のなかに入こと三四許里、門谷のほとりに臨む。吾が昔の同法皆既に遷化して唯三のみ有り。汝冝く此の法服を以て、吾が名を稱して之にをくるべし。復た吾が昔身に其の臺に住せし時持せし所の法華經複して一巻と爲せり。乞い受て將來せよ。
妹子かしこに到て彼のくにの人に問ふて遂に衡山にいたる。太子の命じたまひしが如く、南溪のふもとより入る。門のほとりに到るころほい、一沙弥有り門の之内に在てとなへて云く、念禅法師の使びと到來せりと。一りの老僧有て、つへいて出づ。又二りの老僧有て、相つゞいて出づ。相顧みてゑみふくむ。妹子三拜す。言語げんぎよ通ぜず、地に書して意を通ず。各法服ををくる。老僧地に書していはく、念禅法師於かしこにはなにとか号する。妹子荅して曰く、我が本朝は倭國也。東海のなかに在り。相去ること三とせに行く。いま聖德太子といふいます。念禅法師といふひとは無し。佛道をあがめ尊て、妙義を流通し、みづから諸經を説き、兼て義疏を製したまふ。其の令旨りやうじを承て、昔の身に持せる所のふくせる法華經一巻をらん。餘は異事無し。老僧等大によろこんで沙弥に命じて之をらしむ。須臾あて經を取て一のうるしはこれて、而來て妹子に謂ていはく、是の經并に篋は念禅法師之持せし所なり也。念禅こゝに在て讀經に惰倦ものうみして、睡て經を燒く一點の處有り。僧等經を授け竟て、南峯の之上の一の石塔を指てのたまはく、彼れは念禅遷化のたう骨の之塔なり也。于今に三十六歳。 妹子ことばを受け拜して別れ去る。三りの老僧各物をつゝんで一のはこる。むくいて之にをくる。并に封書のはこ有り。
明る年還り來て太子にたてまつる。太子大に悅てはこひらき而みそなはすに舎利三枚・めい香等有り。書のことば之を人見ことを得ず。太子讀み竟て涙をながして火にぐ。其の故をらず。侍從驚き之をあやしむ。
秋九月に、太子奏して曰く、衆生の之命こと水田にる。水田の之もとい於池つゝみに在り。亢旱かうかんに當ては、衆生天をうらむ。天もだして知る禍はひ于國にくだらんことを。望らくは諸國に命じて民を興して池をきづかん。天皇大に悅て大臣に敕して行はしむ。
冬十月、やまとの國に高市たけちの池・藤原の池・片岡かたをかの池・すが原の池・三立の池・山田の池・つるぎの池を作る。山背の國に大みぞを於栗隈くりくまる。河内の國に戸刈とかりの池・依網よさみの池・大の池・安宿やすかべの池等を作る。使を諸國に遣して、池をきづくこと國の大小に隨ふ。又國毎に屯倉みやけぐらを置たまふ。功竟て上奏す。天下亢旱之うれへ無く、百姓冨饒之うたへ有り。
【漢文エディタ原文】
三十六 十五年丁卯夏五月、太子奏シテ曰ク、臣ガ之先身ニ修- 2( 行シテ漢土ニ )1 所ノ^持セシ之經、今在リ 2( 衡山ニ )1 。望ラクハ遣シテ^使ヲ將來シ、比- 2( セン所ノ^|誤(あやま)ル之本ニ )1 。天皇大ニ|竒(き)トシテ|左之右之(ともかくも)依ラン^奏スルニ。|誰(たれ)カ|合(べ)キヤ^使ハス乎。太子遍ク相シテ 2( 百官ノ之人ヲ )1 、奏シテ|曰(のたま)ハク、大禮小野ノ臣妹子|合(かな)ヘリ^相ニ。秋七月ニ、妹子|等(ら)ヲ遣ス 2( 於大隋ニ )1 。《或ル説ニ曰ク、以テ 2( 鞍作ノ|福利(とよとし)ヲ )1 爲ス 2( 通事ト )1 。》太子命ジテ 2( 妹子ニ )1 曰ク、大隋ノ|赤縣(せきけん)ノ之|南(みなみ)江南道ノ|中(うち)ニ有リ 2( 衡州 )1 。州ノ|中(うち)ニ有リ 2( 衡山 )1 。是レ南嶽也。《七代記ニ云ク、南嶽ノ衡山ハ属ス 2( 衡州ニ )1 。其衡山ハ五ハ五嶽ノ之一数也。其ノ山ニ有リ 2( 五|峯(ふう) )1 。一ニハ般若峯、二ニハ|柱括(ちうくわつ)峯、三ニハ慧日峯、四ニハ|祝融(しふゆう)峯、五ニハ紫盖峯等ナリ也。一々ノ峯ニ各有リ 2( 禅房静室 )1 。有テ 2( 思禅師 )1 、六タビ生ジテ 2( 於此ノ山ニ )1 修ス^道ヲ。一生ニ各立ツ 2( 一塔并ニ一盤|石(せき)ヲ )1 。其ノ三ノ石ハ在リ 2( 般若臺ノ佛殿ノ|前(まへ)ニ )1 。三ノ塔ハ在リ 2( 般若臺ノ南ニ )1 。|尖(するど)ナル山ノ|中(なか)ニ|霊(れい)仙アリ。異菓ノ消梨|經(へ)タリ 2( 於千歳ヲ )1 。|當時(そのかみ)有レバ 2{ 得タル 2( 聖果ヲ )1 |者(ひと) }1 、其ノ|梨(なし)乃|生(みの)ル。思禅師|親(まのあた)リ|喫(く)イテ 2( 此ノ梨ヲ )1 、其ノ味甘美ニシテ世間ニ旡シ^|匹(たぐひ)。大サ如シ 2( |鉢(はち)|計(ばかり)ノ )1 。自リ^|尓(しか)シ|已遠(このかた)|更(また)未ダ^生ノラ^|子(み)。思禅師臨テ 2{ |將(なん/\とす)ル 2( 旡常ニ )1 時ニ }1 、於テ 2( 般若臺北ノ方石室ノ|中(なか)ニ )1 、|挙(あ)ゲヲケリ 2( 法花經・鉢|盂(う)・錫杖ヲ )1 。謂テ 2( 弟子ニ )1 云ク、吾レ滅度ノ後ニ、向テ 2( 旡佛法ノ処ニ )1 受テ^身ヲ教- 2( 化セント衆生ヲ )1 。至テ^今ニ便チ嶽寺ニ|見(げん)ニ有リテ 2( |素影(そえい) )1 立テリ^堂ニ。上足ノ第子二人同時ノ素影ナリ。其ノ第子並ニ是レ人ナリ。其ノ二リノ第子、一リヲバ名ケ 2( 智|顗(ぎ)ト )1 、在リ 2( 天台山ト及荊州ノ玉泉トノ兩寺ニ )1 。來去住持ス。一リヲバ名ケ 2( 智|勇(ゆう)ト )1 、在テ 2( 南嶽ノ衡山ニ )1 修シキ^道ヲ也。|碑(ひ)ノ|下(もと)ニ題シテ云ク、倭州ノ天皇ハ彼ノ所ナリ 2( 聖ノ化セル )1 。自リ 2( 聖人遷シテ )1^跡ヲ至テ 2( 于隋ノ代ノ|以下(しもつかた)ニ )1 、禅師ノ調度スル金録ノ畫像・佛ノ肉舎利・玉典微言・香爐經臺・水|瓶(びん)錫杖・石鉢縄床アリ。松室|桂(けい)殿未ダ^|傾(かたむ)カ不シテ^|朽(く)チ、衡山ノ道場皆悉ク安置ス。今ノ代ノ道俗瞻仰シ歸- 2( 依ス之ヲ )1 。釋ノ思禅師|遠(えん)忌傳ニ云ク、南嶽ノ衡山ニ有リ 2( 嶽寺 )1 。其ノ寺ニ有リ 2( 般若臺・雙峯臺・紫盖臺・慧日臺・柱臺・華嚴臺・四禅臺・祝融臺・南臺・般若閣等ノ二十餘所 )1 。各有テ 2( 衆僧 )1 、六時ニ行ズ^道ヲ。伹シ思禅師居住ノ嶽寺ノ門人ハ脱テ^|綿(めん)ヲ|着(き)ル 2( |布衣(ほい)ヲ )1 。思禅師臨テ 2( 命終ノ時ニ )1 、有テ^人勸- 2{ 請ス久ク住シテ 2( 世間ニ )1 度- ┤脱シタマヘト衆生ヲ }1 。禅師便荅ス、有リ 2( 十人ノ|脱(ぬ)グ^綿ヲ|者(もの) )1 。我亦|擬(ぎ)セン^住スルニ 2( 世間ニ )1 。今有リ 2( 一万餘ノ衆生 )1 。皆|着(け)ル 2( |艾布(がいほ)ヲ )1 |者(もの)アリ。乃チ是レ思禅師ノ徒衆ナリ也。禅師自リ 2( 遷化シテ )1 |以來(このかた)、毎年遠忌不^|廢(をこた)ラ。衡嶽山ノ間ニ道塲有リ 2( 二十餘所 )1 。僧俗|稍(やゝ)|衆(をゝ)シ。并ニ及デ 2( 衡州ノ|郭下(くわつか)ニ )1 、道俗山中ニ有リ 2( 五千以上 )1 。毎年雲ノゴトク集テ設ク 2( 忌日ノ大齋法會ヲ )1 。連々トシテ不^絶エ也。》山ノ|中(なか)ニ有リ 2( 般若臺 )1 。登ル^自リ 2( 南|溪(けい)ノ|下(ふもと) )1 。入コト 2( |滋(しげ)キ松ノ|中(なか)ニ )1 三四許里、門臨ム 2( 谷ノ|口(ほとり)ニ )1 。吾ガ昔ノ同法皆既ニ遷化シテ唯有リ 2( 三ノミ )1 。汝冝ク _シ_ 2{ 以テ 2( 此ノ法服ヲ )1 、稱シテ 2( 吾ガ名ヲ )1 而|贈(をく)ル }1 ^之ニ。復タ吾ガ昔身ニ住セシ 2( 其ノ臺ニ )1 時所ノ^持セシ法華經複シテ爲セリ 2( 一巻ト )1 。乞イ受テ將來セヨ。
妹子到テ^|彼(かしこ)ニ問フテ 2( 彼ノ|土(くに)ノ人ニ )1 遂ニ|届(いた)ル 2( 衡山ニ )1 。如ク 2( 太子ノ命ジタマヒシガ )1 、入ル^自リ 2( 南溪ノ|下(ふもと) )1 。|比(ころほい)^到ル 2( 門ノ|側(ほとり)ニ )1 、有リ 2( 一沙弥 )1 在テ 2( 門ノ之内ニ )1 |唱(とな)ヘテ云ク、念禅法師ノ使|人(びと)到來セリト。有テ 2( 一リノ老僧 )1 、|策(つ)イテ^|杖(つへ)ヲ而出ヅ。又有テ 2( 二リノ老僧 )1 、相|續(つゞ)イテ而出ヅ。相顧ミテ|含(ふく)ム^|歡(ゑみ)ヲ。妹子三拜ス。|言語(げんぎよ)不^通ゼ、書シテ^地ニ通ズ^意ヲ。各|贈(をく)ル 2( 法服ヲ )1 。老僧書シテ^地ニ|曰(いは)ク、念禅法師於|彼(かしこ)ニハ|何(なに)トカ号スル。妹子荅シテ曰ク、我ガ本朝ハ倭國也。在リ 2( 東海ノ|中(なか)ニ )1 。相去ルコト三|年(とせ)ニ行ク矣。|今(いま)|有(いま)ス 2( 聖德太子トイフ )1 。無シ 2( 念禅法師トイフ|者(ひと)ハ )1 。|崇(あが)メ- 2( 尊テ佛道ヲ )1 、流- 2( 通シ妙義ヲ )1 、|自(みづか)ラ説キ 2( 諸經ヲ )1 、兼テ製シタマフ 2( 義疏ヲ )1 。承テ 2( 其ノ|令旨(りやうじ)ヲ )1 、|取(と)ラン 2( 昔ノ身ニ所ノ^持セル|複(ふく)セル法華經一巻ヲ )1 。餘ハ無シ 2( 異事 )1 。老僧等大ニ|歡(よろこ)ンデ命ジテ 2( 沙弥ニ )1 |取(と)ラシム^之ヲ。須臾アテ取テ^經ヲ|納(い)レテ 2( 一ノ|漆(うるし)ノ|篋(はこ)ニ )1 、而來テ謂テ 2( 妹子ニ )1 |曰(いは)ク、是ノ經并ニ篋ハ念禅法師之所ナリ^持セシ也。念禅在テ^|此(こゝ)ニ|惰- 2( 倦(ものうみ)シテ讀經ニ )1 、睡テ而燒ク^經ヲ有リ 2( 一點ノ處 )1 。僧等授ケ^經ヲ竟テ、指テ 2( 南峯ノ之上ノ一ノ石塔ヲ )1 |曰(のたま)ハク、彼レハ念禅遷化ノ|納(たう)骨ノ之塔ナリ也。于今ニ三十六歳矣。妹子受ケ^|辞(ことば)ヲ拜シテ而別レ去ル。三リノ老僧各|(つゝ)ンデ^物ヲ|納(い)ル 2( 一ノ|篋(はこ)ニ )1 。|荅(むく)イテ而|贈(をく)ル^之ニ。并ニ有リ 2( 封書ノ|篋(はこ) )1 。
明ル年還リ來テ|進(たてまつ)ル 2( 太子ニ )1 。太子大ニ悅テ|披(ひら)キ^|篋(はこ)ヲ而|看(みそなは)スニ有リ 2( 舎利三枚・|名(めい)香等 )1 。書ノ|辞(ことば)人不^得^見コトヲ^之ヲ。太子讀ミ竟テ|垂(なが)シテ^涙ヲ|投(な)グ^火ニ。不^|識(し)ラ 2( 其ノ故ヲ )1 。侍從驚キ|竒(あや)シム^之ヲ。
秋九月ニ、太子奏シテ曰ク、衆生ノ之命|事(こと)|據(よ)ル 2( 水田ニ )1 。水田ノ之|本(もとい)在リ 2( 於池|坡(つゝみ)ニ )1 。|儻(も)シ當テハ 2( |亢旱(かうかん)ニ )1 、衆生|恨(うら)ム^天ヲ。天|黙(もだ)シテ而知ル禍ハヒ|降(くだ)ランコトヲ 2( 于國ニ )1 。望ラクハ命ジテ 2( 諸國ニ )1 興シテ^民ヲ|築(きづ)カン^池ヲ。天皇大ニ悅テ敕シテ 2( 大臣ニ )1 行ハシム。
冬十月、|和(やまと)ノ國ニ作ル 2( |高市(たけち)ノ池・藤原ノ池・|片岡(かたをか)ノ池・|菅(すが)原ノ池・三立ノ池・山田ノ池・|劔(つるぎ)ノ池ヲ )1 。山背ノ國ニ|掘(ほ)ル 2( 大|溝(みぞ)ヲ於|栗隈(くりくま)ニ )1 。河内ノ國ニ作ル 2( |戸刈(とかり)ノ池・|依網(よさみ)ノ池・大|津(つ)ノ池・|安宿(やすかべ)ノ池等ヲ )1 。遣シテ 2( 使ヲ諸國ニ )1 、|築(きづ)クコト^池ヲ隨フ 2( 國ノ大小ニ )1 。又毎ニ^國置タマフ 2( |屯倉(みやけぐら)ヲ )1 。功竟テ上奏ス。天下無ク 2( 亢旱之|憂(うれへ) )1 、百姓有リ 2( 冨饒之|訟(うたへ) )1 。

(聖德太子傳略 卷上<了>)


  欽明天皇   敏達天皇   一歳   二歳   三歳   四歳   五歳   六歳   七歳   八歳   九歳   十歳   十一歳   十二歳   十三歳   十四歳   用明天皇   十五歳   十六歳   崇峻天皇   十七歳   十八歳   十九歳   二十歳   二十一歳   推古天皇   二十二歳   二十三歳   二十四歳   二十五歳   二十六歳   二十七歳   二十八歳   二十九歳   三十歳   三十一歳   三十二歳   三十三歳   三十四歳   三十五歳   三十六歳
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