言志後録 (佐藤一齋) (1) 1−50/254章
言志後録
江都 一齋居士録ス
此ノ學ハ吾人一生負擔ス。
當ニシ 二斃レテ而
後已ム一。
道ハ固ヨリ無
クレ窮マリ、
堯舜ノ之
上ハ、
善無
シレ盡クル。
孔子ハ自リ二志學一、
至ルマデ二七十ニ一、
毎ニ二十年一自ラ覺ユ二其ノ有ルヲ一レ所
レ進
ム。
孜孜トシテ自ラ彊メ、不
レ知
ラ二老イノ之
將ニルヲ 一レ至ラント。
假シ使メバ二其レヲシテ踰エレ耄ヲ至ラ一レ期ニ、
則チ其ノ神明不測ナルコト、
想フニ當ニキゾ レ爲ス二何如ト一哉。
凡ソ學ブ二孔子
ヲ一者ハ、
宜シクシ 下以テ二孔子
ノ之
志ヲ一爲ス上レ志
ト。
文政戊子重陽録ス。
此學吾人一生負擔。當斃而後已。道固無窮、堯舜之上、善無盡。孔子自志學、至七十、毎十年自覺其有所進。孜孜自彊、不知老之將至。假使其踰耄至期、則其神明不測、想當爲何如哉。凡學孔子者、宜以孔子之志爲志。文政戊子重陽録。
此の學は吾人一生負擔す。當に斃れて後已むべし。道は固より窮まり無く、堯舜の上は、善盡くる無し。孔子は志學より、七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覺ゆ。孜孜として自ら彊め、老いの將に至らんとするを知らず。假し其れをして耄を踰え期に至らしめば、則ち其の神明不測なること、想ふに當に何如と爲すべきぞや。凡そ孔子を學ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と爲すべし。文政戊子重陽録す。
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○ 此學−儒学を指す。
○ 斃而後已−「詩之好仁如此。郷道而行、中道而廢、忘身之老也、不知年數之不足。俛焉日有孳孳、斃而後已。」(『礼記』表記)。「曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠。仁以為己任、不亦重乎。死而後已、不亦遠乎。」(『論語』泰伯)
○ 道固無窮−「不識歩道者、將以窮無窮、逐無極與。」(『荀子』脩身)。
○ 堯舜之上、善無盡−『言志録』229章の語。
○ 自志學至七十−『論語』為政篇の語。志學は15歳。
○ 孜孜−努め励む貌。営営。
○ 自彊−「天行健、君子以自彊不息。」(『易経』乾卦象伝)。「彊」は「つとむ・つようす」、「息」は「やむ・やすむ」等と訓む。「自彊不息」の熟語がある。
○ 不知老將至−「其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至、云爾。」(『論語』述而)
○ 耄・期−耄は八十歳から九十歳。耋(てつ)は八十歳、期は百歳。
○ 神明不測−霊性の深化の度合いの測り知れないこと。
○ 當爲何如哉−どのようなものと考えたらよいだろうか。(とうてい想像も及ばないに違いない。)
○ 以孔子之志爲志−「古之人與其不可傳也死矣。然則君之所讀者。古人之糟魄已夫。」(『荘子』外篇「天道」)。
○ 文政戊子重陽−文政11年(一八二八)陰暦九月九日。一齋57歳。
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(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)