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和學大概

村田春海
(『日本教育文庫』學校篇  同文館 1911.3.10

和學大概

平春海 述
和學といふ事、いにしへは別に一家の學ならず、皆儒生のかね通じたりしことなり。弘仁・承和のころより、代々禁廷にて、日本紀を講ぜられしことありしに、皆其時の宿儒博達の人に任せられし事あり。別に和學を專業とせし人ありしといふことも見えず。中世 堀河院の御時、大江匡房卿の和學得業生問答といへるものあるをみれば、和學といふ名目は、さるころよりや、いひはじめし事ならむ。此匡房卿のころまでは、猶いにしへをうしなはざる事も有しを、それより後世干戈常に動て、源平の亂うちつゞきたるより此かた、和漢ともに學問の道皆すたれて、これを振興する人もなく、たゞ漸々におとろへきたりしを、近世文明のころに至て、一條禪閤絶倫の才學おはせしかば、古人の誤をもよく考正し、其著述の書數十部に及べり。此公をこそ、和學再興の人とはいふべけれ。されど今よりみれば、其學疎漏の事どもおほく、いまだ全く和學の正しき筋を得給ひしとはいひがたし。しかるにこの百年あまりこなた、治平久しくうちつゞき、萬の道日々にひらけ來しまゝに、おのづから英俊の士多く出來て、和學の事大にひらけたり。其研究のいたれる、はるかに古人にまされり。今にしては、和學の道遺憾有まじくおもはる。吾國の儒生は、必吾國の國史典故に通ぜずしてはかなはざる事なるを、當世は學問の道、草莽にのみあれば、儒生皆曲稽(*◆)の士の如くになりて、儒者の任は、只漢土の書に通ずるを、己が業とのみこゝろえ、吾國の事は、其業の外の事のやうにおもひたるは、學問の本意を失へるものなり。林春齋が諸生を敎る五科のうちに、和學科をたてけるは心ある事なり。すべて儒者の業は、經世治國の術なれば、吾國に在ては、いにしへよりの建國の大體、制度の沿革、人情世態の變遷し來れるありさま、よろづの事をしらでは、いかでか其學問をほどこすべきやうあらんや。されば和學をば、必要務となすべきなり。今和學をとりたてんとするには、先三科ばかりに分つべきにや。先第一に、國史實録の學を一科とし、次に、律令典故の學を一科とし、次に、古言を解釋する學を一科とすべし。和學をなすには、この古言にくらくては、餘の二科も通じがたき事多し。そのくはしき事は下にいふべし。さて國史實録は、古事記、日本書紀、續日本紀、續日本後紀、文德實録、三代實録、類聚国史、日本紀略、扶桑略記等を正史とさだめ、姓氏録、大織冠傳等の家傳の類、皆正史に屬すべし。かたはら諸家の家記、〔李部王記、九暦、台記、玉海、玉蕊等の類、百餘部あり。〕(*割注。以下同じ。)又水鏡、續世繼、愚管鈔、百練抄、東鑑、園太暦等の類、又今昔物語、宇治拾遺、平家物語、著聞集、十訓抄、江談、古事談、續古事談の類、〔此種類の書、猶あまたあり。〕皆史學に屬すべし。さて右の類の書をよみて、古今國郡山川制度名物の變遷、又王臣の興廢、貴賤の好尚等、世に隨て異なるを詳にせんことを學ぶべし。しかれども古今興例の詳なる事を知らねば、史を讀て通じがたき事あり。此故に律・令・式、必よむべきもの也。其律・令・式は、全く唐の制を學びうつしたるものにて、此學をせんには、唐代の制度の書を參校して、其詳なるよしをしるべし。令をよむには、唐六典、杜氏通典、新舊唐書の諸志を以相照すべし。〔唐の令・式は、今亡びて傳はらず。〕扠又彼をうつさずして、吾國の風俗に隨ひて立たる筋の事あり。それは國史につきて、よく吾古のさまを考へしりて後、辨べし。令條の今の世に行はるゝ義解の本は、養老の時の令にて、今は倉庫・疾の二篇亡びたり。此二篇の闕を補しるべきものは、政事要略令、集解等の書に、其事散在せし事多く、又其文をも引用せり。後世に出たる官職秘抄、職原抄、百寮訓要などの類の書も、皆此令をよむ助ともなすべく、且世に隨て、官位などの變改ある事をば、これらの書にて考べし。律は、古は十二篇有しものなりしを、今はわづかに名例、衞禁、職制、賊盜の四篇のみ殘れり。よりて今其全き事は知がたき事あれど、後世明法家の學者の録し置る書にあり。法曹至要、裁判至要、金玉掌中抄等の書あり。皆律條全く存したりし時に、其肝要の事を抄録せしものなれば、其大概を知らるべし。又三代格、政事要略等の書によりて、律條のしらるべき事あり。さて唐律は、今全篇存したれば、是亦比校に備ふべし。後世鎌倉にて撰せられし貞永式目も、全く律にもとづきたる書なれば、律學をなすものゝ、讀考べきものとす。式は今延喜式全存したれば、古の制度を詳に觀るにたれり。〔弘仁・貞觀の式は、今亡で傳らず。世に弘仁式の闕本とてあれども、疑ふべきものなり。格も三代の全書は亡びて、類聚三代格の闕本のみ今にのこれり。〕此餘儀式等の委しき事は、貞觀儀式、内裏儀式、新儀式、侍中群要等の書存したれば、詳に考る事を得べし。さて貞觀儀式と延喜式は、事體やゝ異なる事もあり。それより後西宮記、北山抄、江家次第等、皆その時代にしたがへる沿革あり。又公事節會の時の座席、及び宮殿等の制を考るには、禁秘抄、雲圖抄、禁腋秘抄、大槐秘抄、拾芥抄等あり。地理の書は、諸國風土記皆亡びて、只豐後・出雲の二書のみ存したれば、詳にしがたき事多し。只其郡郷の名は、和名類聚抄に擧たれば、古名のみは考知るべし。又器物調度の類を考べきは、延喜式・江家次第等の書によりてもしらるべく、類聚雜要、吉部秘訓等の書には、其圖式も多く出たれば、詳に考得べし。裝束服翫の類は、衣服令・延喜式を始、雅亮假名裝束抄、飾抄などより、以下代々裝束の書甚多し。且世に隨て變改一樣ならず。後世に及では、古の名目を誤り心得たる類も多ければ、是又廣く古今を詳にすべきなり。扠此國史・實録・律令・典故の學をなすにも、吾國の古言に通ぜざれば叶はざる事あり。先史學の始とすべき古事記の一書は、全和語を以て録せし物なれば、古言をしらでは、いかでか通ずべきや。又日本紀は、漢文を以て記したる書にはあれど、其本は古事記の如く、和語を録したる書をとりて、強て漢文となせしものなれば、其義理の、漢文に改がたき所に至ては、古言のまゝに和語を載たるも多く、漢字を以譯したれど、猶古の語を失ざらん爲に、某々の字は、此に何々といふなどの自注も多くあり。且古事記・日本紀の二書に、古の歌を載たる凡二百餘首あり。此類、古言をしらでは讀べからず。又延喜式に載たる祝詞、歴史に出たる宣命の類、皆吾國の古文也。其他官職名物の瑣碎なるまでも、皆古言の殘りし事多し。よりて吾國の書を學ぶには、古言を知らずして有べからず。此古言をしらんとするには、古事記、日本紀、萬葉、祝詞、宣命等をよく讀にあらずしては知がたし。しかのみならず、後世の歌集、日記、物語の類をも廣くよみて、古今を照らして考べし。古言を解には別の法なし。たゞ例と類とを廣く押て知べし。其義おのづから明らかなるものなり。さて古言に通じたる上にては、古の人情世態も、格別に明らかにしらるゝ事あり。こゝにくらき時は、いたづらに國史等をよめども、誤解して、殊に其事實をとり失ふ事あるべし。されば是又一科の專業の學となすべきなり。吾國の古書、今も傳はれるものいとあまたあれど、和學をこのむ人、世に少きまゝに、印行に成たるものいと少し。かくの如くにてとし月を經ば、漸々に失ひて、百年の後は多く亡ぬべし。これはいとなげかはしき事なり。有志有力の人、これを刊行しおかば、永代國の寶ともいふべし。其印行になき書、今委しく擧るにたへず。只肝要の一二をこゝに擧ぐ。類聚國史〔原は二百卷有しもの也。今僅六十餘卷存〕、日本紀略〔原本卷數未詳。今僅二十餘卷存〕、扶桑略記〔原は三十卷有しが、今は十卷殘れり。或人云、栂尾舊藏に、此書三十卷の全本ありと。未其詳。〕、本朝世紀、〔原數未詳。今四十餘卷有といふ。未其書。〕、日本後紀、〔今存したる本は、僞書なりといふ。今其書をみるに、後人の僞作ともさだめがたし。古の本にはあらざるべけれども、古人の古書によりて、抄録せしものならんか。類聚國史などの誤字にて、よみがたき所、此書にて明らかなる事あれば、かならずしも廢すべからざる書なり〕、新國史、〔日本史の引書目に載られたるは、水戸には、殘本の存したるものありとしらる。世にたえてなき書なり。未其眞僞。〕以上皆正史にて、かならず有用の書なり。殊に 宇多・醍醐の時世は、記載いと稀なるを、この日本記略、扶桑略記等の、幸に存するによりて、ほゞその時世を考知らるゝ事あり。此外に諸家の傳、雜記の類、印行になきものいと多し。又家記の類は、李部王記、九暦等の書を始として、百餘部あれども、一も印行のものなし。令集解、律四篇、類聚三代格、貞觀儀式、新儀式、内裏儀式、西宮記、北山抄、政事要略〔此書、原は百三十卷有しものなり。今四十卷計あり。〕侍中群要、裁判至要、金玉掌中抄、以上皆古の典故を考べき書にて、必失ふべからざるものなり。此外必用の書の、印行になきものいと多し。正史典故にあづかりて、必闕べからざる書の、印行の本なきは、昭代の闕典とやいふべからん。

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